第2章:いつも通りの朝
翌朝。いつもよりも早く、和哉は高校へと登校していた。
自分が一番乗りだろうかと思いながら教室の扉を開けると、室内にはすでにクラスメイトが数名いた。
軽く挨拶を交わしつつ和哉が自分の席へと向かうと、後ろの席に座る少年から声をかけられた。
「おはよう、和哉! 今日も良い朝だな!」
笑顔で和哉に声をかけてきた少年の名は、橋本光志郎。
このクラスの中で、和哉が一番親しくしている人物である。
「ああ、おはよう、光志郎」
「なぁなぁ、お前がやってるソシャゲ、俺も始めたから、フレンド登録……って、一体どうした?
顔色がよくないが、夜更かしでもしたか? らしくもないぞ、優等生」
光志郎の席が和哉の真後ろである以上、和哉が相手にしようがしまいが光志郎の声はハッキリ届いてしまう。
「僕だって、たまには夜更かしぐらいするよ」
和哉は夕べ、早々に床に就いたものの、あまり眠ることができなかった。
化け物と少女の光景を「幻だ」と思うには、あまりにもリアル過ぎたのだ。頬をなでた、冷たい風のあの感触が。
寝ようと目を閉じても、あの冷たい感触を思い出してしまう。
結局、胸のざわつきを収められぬまま、朝を迎えてしまったのだ。
「へぇ? ほぉ? ふ~ん?」
光志郎は席を立ち、興味津々といった様子で和哉にすり寄ってくる。
「何か悩みがあるというのならば、この親友様が相談にのってあげよう!」
「普通、親友だなんて軽々しく口にしないんじゃないかな?」
ニコニコ顔の光志郎を横目で見ながら、和哉はそうぼやく。
この光志郎という男、和哉とはいろんな意味で正反対のタイプだった。
まず、見た目。
和哉は、癖のない黒髪で、中肉中背。近視なので眼鏡をかけている。
対する光志郎は、若干癖のある髪を香染色に染めていて、身長が高く体つきも逞しい。
そして、性質。
和哉はインドア派。性格は生真面目で、優等生タイプ。
光志郎はアウトドア派。性格は人なつっこく愛嬌がある。そして、遅刻早退サボり上等の問題児だった。
見た目も性質も、まるで水と油。
対照的なふたりだが、いつの間にか仲良くなっていた。
(初めて会った時のことなんて、全く憶えてないけど。
それでも、光志郎には気を遣わなくていいから楽なんだよね……)
具体的にいつ頃仲良くなったのか憶えていない。
それでも、互いに気を遣わず、言いたいことを言い合える間柄だった。
「俺との友情を疑うのか!? 和哉は冷たいなぁ。泣くぞ、人目をはばからず」
「泣きたいなら泣けば? ただ、みんなそろそろ登校してくるだろうから、クラス中に泣き顔見られることになると思うけど」
鞄の中身を自分の机の中に収めながら、和哉はしれっと答える。
取り付く島もない和哉を見て、光志郎はすごすごと自分の席へと戻っていった。
「和哉クンてば何故か俺にだけ塩対応ヨネ? 何でだろ? 不思議不思議」
「お前は親友だから、かな?」
「親友の俺には、ありのままの和哉を見せてくれてるってことか!
そうかぁ、それならしょうがないな! 塩対応でも許そう!」
和哉が雑に扱おうとも、光志郎はポジティブに受け止めてしまう。
そんな彼を見ていると、グダグダと考えていた自分が馬鹿らしく思えてきた。
「……悩みってほどのことじゃないんだけどさ」
誰かに話してしまえば、存外スッキリするかもしれない。
和哉は鞄の中身を机にしまい終えると、光志郎と向き合うよう、椅子へ逆に座った。
「昨日、予備校帰りに変なモノを見ちゃって」
「変なモノ?」
光志郎は灰茶色の瞳に好奇心の光を宿し、ぐっと身を乗り出してくる。
「うちの近所で、女の子が化け物退治してた。なんか、青っぽいドラゴンみたいなの召喚してさ」
「…………」
ポカンと口を開けたまま、光志郎はしばらくの間静止して。
「ええと……俺のこと、からかってる?」
怪訝そうに眉をひそめると、光志郎にしては真面目な部類の声色でそう問いかけてきた。
「そうだよな。冗談だと思うのが普通だよな」
光志郎の反応は、和哉が想像した通りだった。
だって、和哉自身でさえ、自分が見たモノを信じられずにいるのだから。
やたらリアルな感触を覚えているとしても、やっぱりアレは幻覚だったのだ。
光志郎の反応を見て、和哉はそう結論づけた。
「やっぱり僕は、白昼夢か幻覚でも見たんだろうな」
「和哉ってば、今になって中二病に?
それとも、単純に体調が悪い?
親御さんには相談した?
今日の予備校、休んだ方がいいんじゃないのか?」
光志郎が矢継ぎ早に問いかけてきた。
和哉は首を横に振り、すべての疑問を否定する。
「中二病なんかじゃないってば。
それに、体調だって悪くない。
あと、こんなこと親に言えるわけないだろ。
それと、予備校は休まないから。念のために言っておくけど、ついてくるなよ?」
この自称親友様は、やたらノリが良いのだ。「面白い」と思ったら実行に移しそうな怖さがある。
和哉は光志郎が余計なことをしないように釘を刺しておいた。
「ちぇっ。送り迎えとか面白そうだなと思ったのに。
……それにしても、そんな変な幻覚見たってのに、和哉は冷静だなぁ。
アニメみたいな展開に遭遇したーって、興奮したりしなかったのか?」
お前はアニメとか好きだろと言う光志郎を、和哉は半眼で見つめた。
「アニメはアニメ、現実は現実。区別くらい、ちゃんとついてるよ。
それに、物語ってのは第三者として見てるから楽しいんだよ。
僕は当事者になりたいなんて思わない。
だって、物語の登場人物たちって、だいたい悲惨な目にあってるじゃんか」
「それは……そうかもしれないけど。
和哉って、世界の命運を賭けた戦いとか、そういうのに燃えるタイプかと思ってた」
「だから、フィクションとノンフィクションの区別くらいついてるって言っただろ。
そもそも、僕は争いごとは苦手だし、自分のことだけで手一杯だし。
余計なことに首を突っ込む暇があるなら、お前たちとゲームする方に時間を割きたいよ」
からかうような口ぶりの光志郎を見て、和哉はその額を小突いてやった。
「あらヤだ。俺がこの前、お前を格闘ゲームでフルボッコにしたの、まだ根に持ってる?」
「根には持ってないけど、次は僕が勝つから。絶対に」
「和哉、自分が負けたってことにこだわってるじゃん。
いいか、人はそれを「根に持つ」と言うんだぞ?
しょうがない。貢ぎ物をやるから、これで鎮まりたまえ」
光志郎はうやうやしく和哉の手を取ると、そっと何かを握らせた。
「和哉は疲れてるみたいだし、あまーい飴ちゃんをあげよう。これで癒やされるといい」
「飴……?」
和哉が手を開くと、個包装の飴が乗っていた。
問答無用で押しつけられたバター味の飴を見て、和哉は顔をしかめる。
「僕を飴一個でなだめる気なのかよ。
しかもこれ、めちゃくちゃ甘いヤツじゃん。
お前、甘い物はあんまり好きじゃないのに、何で持ってるんだよ?」
「同居人から押しつけられた。
俺は甘いの好きじゃないけど、和哉は結構好きだろ」
「甘い物は好きだけど、僕が飴を買うならフルーツ味とかにするかな。
というか、人様からもらった物で、僕の機嫌を取ろうとするのはどうなの。
そもそも、一緒に暮らしてるのに、その人は光志郎の好み把握してないの?」
光志郎はあまり甘い物が好きではない。
友人である和哉でも知っている事実なのに、同居人が知らないということはありえるだろうか?
(同居人って、なんかよそよそしい言い方だよね。
そういえば、光志郎から、家族のこととか聞いた試しがなかったな)
複雑な事情があるのかもしれない。
だが、光志郎が何も話さないということは、余計な詮索をされたくないのだろう。
それならば、光志郎がその気になったら話してくれればそれでいい。
そう結論づけて、和哉は握らされた飴をポケットへとしまい込んだ。
「分かった上でやるから始末に負えない。
まあ、今回は役に立ったからいいとして」
光志郎は和哉の鼻先に指を突きつける。
「いいか? 俺と約束しろ。
学校と予備校終わったら、変な寄り道せず、直ぐに家に帰って休むって」
「そこまで徹底するほどのことでもないだろ」
「うるさい。
最近、野犬とかの変死が相次いでるって噂を聞いたんだよ。
物騒なんだ。気をつけるに越したことはないだろ」
「ん? そんな噂あったっけ?
まあ、いいや。努力はするよ」
しつこく食い下がってくる光志郎をなだめるため、和哉は柔らかく笑ってみせた。
「おはよう、藤沢に橋本」
「おや、藤沢はともかく、橋本がこんな早くからいるなんて珍しくないか?」
ちょうど話に区切りがついたところで、比較的親密なクラスメイトたちが登校してきた。
「ふっふっふ。山本君に高橋君、俺のことを甘く見ているな?
いいか、俺だって、たまにはちゃんと登校するのだよ!」
「光志郎、それは胸張って言うことじゃないから。
あと、「たまには」って、本人が言っちゃオシマイだからね?」
胸を張る光志郎を見て、和哉たちは苦笑したのであった。