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ある夭逝した天才の記憶  作者: 千艸(ちぐさ)
3/7

変わらない二人

突っぱねながら、お前はそんなに嬉しそうに笑う。俺がお前を好きだと言うたび、お前は俺に邪険な言葉を浴びせつつ、全身でありがとうと返してくる。そんなのは、ズルい。そんなの、惚れた俺には、抗いようがない。


七神剣の森のBLスピンオフ!生まれ変わったと思っていたのは嘘だったのか。二人の関係は、このまま変わらないのか。

「…ナノ技の記事、読んだよ。僕を生かしたのは、お前だな?クリス」

リノがそう言うと、クリスはその場にへたり込んだ。リノには、クリスの絶望が手に取るように感じられていた。この大馬鹿者め、とリノはほくそ笑んだ。やはりクリスはこのくらい僕から離れていなくては。僕の理解者顔して隣に立とうなんて許さない。これ以上お前が隣にいると、僕は駄目になってしまう。

言葉を交わせなかった今までの時間は、本当に夢の様だった。全部クリスに甘えて、僕はただ生きているだけで喜んで貰えた。でも僕は本当はもうとっくに、いつもの僕だ。夢から覚めて、こいつの夢も覚まさせて、新しい僕らの関係を作っていこう。

「…読んだのか、リノ・ライノ」

「実は、とっくに読んでいたんだよ。クリス、何をそんなに怖がっているの?僕はもう半年前に読んでいた。そして今まで何をしていたと思う?」

「半年…、お前……それはお前がナノ技読み始めた頃じゃ」

「うわぁ、さすがクリス、僕のことは記憶力いいね!」

リノが屈み込み、クリスの頭を撫でる。手持ち鐘に髪が挟まってクリスはちょっと痛がった。

「じゃあ、お前、何ともなかった…?」

「何ともなかった。だって僕は生まれ変わったんだ。クリス、お前が前の僕を殺して、新しい僕を生かした。赤ん坊からやり直したんだ、覚えてるでしょう?」

「覚えてるさ…大変だったしな」

クリスはリノの頬を触った。

「新しいお前、なのか。リノ・カミナリノは死んだのか」

「うん。僕はリノ・ライノ。お前だけのリノだよ」

リノが少し頬を染めてそんなことを言うものだから、クリスは次の瞬間、リノを抱き寄せていた。

十五歳になっても可愛くて小さな、俺の天使。今度こそ絶対に守る。思い切りの良過ぎる、頭の切れ過ぎるお前が…死を選ぶことの、二度とないように。

「…リノ。キスしていい?」

「は?無理、キモい。壁でも抱いてろ」

リノがするりと蛇のようにクリスの腕から抜け出す。

「何でだよ!今絶対そういう雰囲気だったでしょ!」

「思い上がんな脳味噌下半身野郎。僕はお前のために存在しているけど、それはお前に何でも許した訳じゃない。セックス相手は外で見つけてこい。僕はお前に抱かれる趣味はない。僕をそういう目で見るんじゃない」

「下の世話までさせたくせに」

「ああ、お前が老いぼれたらお返ししてやるよ」

「そういうことじゃないよ、もー!」


正直に言うと、リノは怖かったのだ。体を許したら、僕を守る最後のダムのようなものが決壊して、僕の人間性は終わる。そんなもの、クリスに背負わせられない。こいつは逃げ出した僕の代わりに、この雲の上の世界の王になる男だ。カミナにも気に入られている。僕が安定したら、この部屋を出て、多分数年後くらいにまた開かれる武闘会で優勝して、人気者になって、偉丈夫のカッコいい王様になる。僕はクリスのリノだけれど、クリスは僕のクリスにならなくて、いい。


クリスはリノがリノ・ライノとしてモルガンの店で働き始めたことをきっかけに蒼天に帰り、しかしちょくちょくリノの様子を見にスラムまで遊びに来る生活を続けていた。高等学校を卒業した彼は成人と認められ、鑑定士の資格を取り、よく言えばフリーランスとして、悪く言えばふらふらと日々を過ごしていた。出自のいい彼は美術品を見る目もあり、リノが彼のために色んなモジュールを作るお蔭で透視なんかもできて、鑑定士の仕事に不自由はしなかったが、あまりそれを頑張って稼ぐという感覚は無く、どちらかというと市井の様々な人と交際を持ち、その中で何でも屋みたいなことをしていた。

リノはクリスより先に成人扱いになっていた。卒論を書いて高等学校卒業認定を受け、モルガンの店で働き始めた段階で、諸々すっ飛ばして成人と認められる仕組みだった。一応クリスから国王に話を通して、リノのライノという名乗りを認めさせたが、リノ自身は特に深く感謝する訳でもなかった。自身の公開情報なんて、いくらでも改ざんできるのだ。

そんなことより、とリノはクリスを睨んだ。こいつ最近彼女ができたと自慢ばかりだ。僕は店から出ないから出会いなんかほぼ無いのに。店に来るのはモルガンの馴染みのおっさんばかりで、そちらの方面では何の楽しみもない。

「僕にも女の子の紹介とか合コンとかないの?」

「えー、うーん…リノはなぁ…」

「何だよ」

「…俺じゃ駄目?」

「え?クリス性転換したかったの?なんだそういうことなら早く言ってくれれば良かったのに」

「違う違う違います!」

クリスは慌てて否定し、後日合コンを設定すると約束した。

が、その約束は果たされなかった。リノの写真を見せた途端、彼女が情緒不安定になり、三日音信不通になったあと一方的に別れを宣告されたとクリスが店で報告して泣いた。そんなヤワな心の持ち主じゃ、クリスには見合わないから別れて良かった、とリノは冷めた目で彼を見ていた。

程なく次の彼女が出来た。リノにも興味津々で、今度一緒に遊ぼうと言っているという。リノは嫌な予感がしたが、果たしてクリスの彼女二号はクリスの見ていないところでリノに迫ってきた。あいつ、女をどういう基準で選んでいるんだ?リノは呆れながらきっちり証拠写真を残しつつ、完全受け身で犯されたと、事後クリスに報告した。クリスは面白いほど凹んで泣いた。

それからクリスは暫くして立ち直ると、最初からリノと並んで歩いて俺を選んでくれる人を見つければ良いんじゃね?と思い立ったらしく、暫く夜の街を連れ回された。まあ大体皆リノに寄ってきたし、クリスに寄った女もリノが少し色目を使うとすぐに堕ちた。どいつもこいつもゴミばかりだ。

やっぱりクリス、女運無さ過ぎないか。リノはクリスに同情した。ほぼほぼその原因は自分にあると自覚してはいたが、クリスがリノを手放すとは思えない以上、クリスの彼女にとっても避けては通れない試練だろう。クリスの好みも大体把握出来た。顔と、胸だ。そんなだから性格選べてないんだよな、とリノはクリスの絡み酒に付き合いながらこっそり溜息をついた。ま、そのうち、数打ちゃ当たるだろう。セックス相手は外で見つけてこいと言ったのは自分だ。合わない相手とはワンナイトでおさらばして、次を当たればいい。


やがて、クリスはリノの前で自分の女の話をしなくなった。別に遊ばなくなった訳ではないようだが、特定の彼女に入れこむことをしなくなったらしい。つまらないな、とリノは思う。クリスの彼女を追い払うの、楽しかったのに。

「リノは彼女できたー?」

「この店で出来るわけないだろ」

「やっぱりさぁ、俺らで付き合えば良くない?」

「良くない」

クリスはバーのカウンターに身を預けながらリノを眺めた。

本当にリノは、初めて会った時から変わらず可愛過ぎる。

最初に見かけたのは闘技場。俺は血が流れるその光景に真っ青になっていたのに、たった十歳だったこいつは顔色ひとつ変えず冷めた目で観戦していた。その横顔があんまり綺麗だったもんで、カミナに会った時にあれは誰だと尋ねたのだ。そう、俺の初恋は、一目惚れだった。

カミナは、リノと仲良くしてくれると嬉しいと言った。今でもあいつはそう思っているのだろう。あいつは見ようと思えばこの国のどこでも見ることが出来る。リノと俺の様子を伺うことだって何度かは実際やっている筈だ。だがリノの暴挙にも、俺の痴態にも、ここまで何も言ってこない。リノのことはお前に任せた。そう言われている気がした。


こいつは何が幸せなんだろうなぁ。俺の可愛いリノ、お前の幸せは俺が用意しないといけないんだろうか。

「…なぁ。俺と二人で、この国出る?」

リノは驚いたふうに俺を見た。

「……何で急に?」

「お前、やっぱり勿体無いよ。せっかく才能あるのにこの国じゃカミナのせいで開発したモジュールひとつも公開出来ないし。俺、お前に幸せになって貰いたいんだよ」

「馬鹿かよ、お前王位継承権はどうすんだよ」

「それはお互い様だろー」

リノはすっかり忘れていた、というかのように瞠目し、それからふわりと笑顔になった。ああ、きっと喉が治っていれば、鈴を転がすような綺麗な笑い声が聞けたんだろうな、とクリスは少し残念に思う。リノはもう全く喉を治す気はないようだった。

「…お前が連れていきたいなら、僕は付いていくさ。地の果てだって、空の向こうだって。あの世にだって一緒に行ってやる。僕に、お前から独立した存在意義なんか、もう無いんだよ。お前が傍に居てほしいと思う限り僕は存在する。この国にいても、余所に行っても変わらない」

「……何で十六歳でそこまで思い詰めちゃうかなぁ」

「お前が十六の時も結構ヤバかったけどな。僕の傍から動かなかったじゃないか。もう一生僕の部屋で過ごすのかと思った」

「リノちゃんが俺と恋人になってくれるならそれでもいい」

「なるか、バーカ!」

そう突っぱねながら、お前はそんなに嬉しそうに笑う。俺がお前を好きだと言うたび、お前は俺に邪険な言葉を浴びせつつ、全身でありがとうと返してくる。そんなのは、ズルい。そんなの、惚れた俺には、抗いようがない。俺に、お前のための俺で居させてほしい。気の迷いだなんて笑うだろうけど、俺は出会った時から、お前の忠実な飼い犬なんだ。

「じゃあ、決めた。リノちゃん貯金を始めます。お前が二十歳になったら、その金でお前を国外に連れ出す。王様は〜〜…まあやることになったら、俺は国外からリモートでやる」

「馬鹿だなぁ、お前…そんなんで成り立つかよ、亡命政権じゃないんだぞ」

「だって!俺のリノは凄いんだぞ!何で誰もリノ・ライノを知らないんだよ!」

俺が憤ってカウンターを殴ると、リノは呑兵衛を宥めるように俺を撫でて、俺の肩に体重を預けた。鐘が耳の傍で鳴る。

「…仕方ない奴。分かった、国外に行くまでは付き合うよ。そこから先のことは、その時考えよう」

「ホント!?やったね、ゴネてみるもんだ!」

俺はガバリと振り返ってリノにキスをした。身を預けていて咄嗟のことで動けなかったのか、リノが目を丸くして俺の腕の中に落ちてきたので、そのまま唇を奪った。抵抗されるが、俺の方が腕力は強い。脇腹に膝が入り、俺は思わず手を緩めた。次の瞬間、リノは俺を突き飛ばして後ずさっていた。その顔は真っ赤にのぼせていた。怒りか、それとも。

「…てめぇ、やりやがったな」

「リノ。リノが好きだ」

「……嫌だ。お前の好きは、僕の好きとは違う」

「どうして…、俺はお前がいいんだ」

「駄目だ。聞き分けのない奴に出す酒はない。帰れ」

「リノ、待て…」

追いすがろうとしたが、リノは作業部屋に駆け込みドアを勢い良く閉めた。鍵が掛かる。俺は力なく店に戻った。モルガンが呆れたように俺を見る。

「坊ン、まさかそのまま帰らねぇよな?…泊まってくなら手術室の毛布使え」

「…助かる」

俺は毛布に包まり、作業部屋の前で寝ることにした。



リノは作業部屋に篭り、一心不乱に端末を動かしていた。

不覚。迂闊。油断。クリスの方が力が強い。そんなのは最初から分かっていたのに、あいつからは手を出さないと思い込んでいた。これでは駄目だ、僕は僕から、あいつを、守る自信がない。

突発的に、短時間作用すればいい。筋力と、反射神経と、柔軟性を増強する何かが必要だ。ブーストモジュールとでも名付けようか。エネルギーを大量に消費して、火事場の馬鹿力というやつを意図的に引き出すのだ。冷却機能も必要になるな。汗腺を強制的に開かせるのが良いか。早く作らないと。僕が、正気でいられるうちに。

ドアの外に人の気配。クリスだろう。帰れと言ったのに、ホント馬鹿な奴。今は、今夜は絶対に開けられない。この鼓動が収まるまでは。さっきの甘い感触を、僕が克服するまでは。


もしここで僕が手を止めたら、と気付かぬうちにリノは妄想に取り憑かれていた。僕の足はドアの方に向かうだろう。クリスと何ごとか話をして、結局中に入れてしまうだろう。そうなったら、もう止められない。僕は今、あいつに火をつけられている。今まで我慢してきた分、僕の炎はあいつを焼き尽くすまで収まらないだろう。全てが台無しになる。綺麗な建前も、優しい嘘も、幸せな未来も。僕が全部、ぶち壊してしまう。

クリスが泣いて詫びてもうやめてくれと懇願する様子が目に浮かび、口許が吊り上がる。最悪だ。僕は、最悪だよ。僕は知ってるんだ。僕が根っからの加虐趣味だってこと。あいつは知らないんだ。僕が綺麗で可愛いリノだと思っている。女の子のように優しく抱かせてくれると思っている。その間にある断絶は、絶望的に埋まらない。

クリス、お前は本当に、僕のことを何も分かっちゃいない。僕の理解者だという顔で隣に立つな。僕を受け入れられるなんて甘い夢を見るな。これ以上は、僕が駄目になるから。


…ああ、やっぱり死んでしまいたい。

僕は気付くと果物ナイフを手にしていた。あれ、これ、前にも無かったっけ?喉を掻っ切った理由。ホントに、名前を間違えられたから、だけだったのだろうか?

もう、思い出せない。生き残っていた筈のニューロンは全部切り離した。でもパターンは一応スキャンしたから、完全な再現でなくても、何となくこんなことがあった気がする。いや、勘違いかもしれない。十四歳の僕が、そんな加虐趣味を自覚する何ごとかと直面するだろうか?

とりあえず、果物ナイフは棚に戻せた。記憶の方に意識が行って、少し落ち着いたのかもしれない。端末の前に戻る。端末にチャットが来ている。クリスだろう。今は、見たくない。そう…まだ僕は…正気でいたいから…。

唐突に、思い出した。思い出してしまったと思った。あるいはそれも、思い出したと錯覚したリノの妄想だったかもしれない。あの日、あの未明。僕はナノ速を見た。名前の件には、勿論腹が立った。蒼天の誰かの仕業だ。何もかもぶち壊してやりたいと思った。責任者を一人一人…色んなやり方で苦しめて…殺したい、と。その次はカミナを。カミナは死なないから、やり甲斐がない。そこにクリスが来る。僕はクリスを琥珀宮に引き摺り込んで、全身全霊の愛を込めて、クリスが息絶えるまで、犯し潰す、そんな妄想をして。

初めての自慰をしたんだ。


(なぁんだ……)

リノは自嘲した。

なんにも、生まれ変われてなんかなかった。

僕は結局、あの時のリノのままで。

ただ、環境が変わって、幸せな夢を見ていただけだった。

クリスは僕にとって劇毒だった。あいつが僕の部屋に来なければ、ただの高慢で天才なクソガキのまま、リノ・カミナリノとして全てを実力で蹴散らしていただろう。誹謗中傷なんて些細なことだ。そんなことで死を選ぶくらいなら、そんなに僕が繊細なら、どれほど気も楽だっただろう。

そうか、だからクリスは僕のことを硝子細工のように扱ったんだな。残念だけど、そんなことで死ぬほど傷付くのはお前くらいのものだよ、優しいクリス。僕の光の英雄。お前が僕を見つけ、幸福な光の中に誘い出し、闇に隠れていた僕の醜い本性を暴き出した。お前が僕を死に追いやったんだ。お前のお蔭で、死ねなかったけどな。

でも、とリノは思い直す。少しは成長したんだと思う。僕はもうクリスのものだから、勝手に死を選ぶことは出来ない。それを思い出せただけでも進歩でしょ。彼は端末をベッドに置いてゴロンと寝転んだ。いつの間にか火照りは消えていた。自分の情けなさに萎えてしまったようだ。何気なくチャットを開く。

クリスの情けないチャットが連投されていた。

リノは自分の頬が緩むのを感じた。

「……格好つかないね、僕ら」

ドアの外にいるクリスに声を届ける。

「……」

何か返事があったようだが、聞こえない。リノは溜息をついて、ドアを開けた。

「全然、聞こえないんだけど」

「…格好良い必要あるか?って…言ったんだ」

クリスは部屋に這入ると、そのまま床に転がった。

「布団で寝ろ」

「寒い…もう動けない」

トニトルスは雲の上の街。なんの防寒もしていない夜は死ぬほど冷え込む。ボディメンテモジュールの体温維持機能など焼け石に水だ。この場合は、雪雲に水か。リノは溜息をついて、テストがてら自分にインストールしていた試作段階のブーストモジュールを起動した。ひょいとクリスを抱え上げ、ベッドに下ろす。

「へっ?はっ?何今の」

「さっきお前に力負けしたから今まで作ってた」

「えっ?この数時間で?」

「うん。腹立ったからめちゃくちゃ頑張った」

「天才かな?天才だったわ…知ってた…」

クリスがうわ言のように呟く。

「そうだよ、僕はお前なんかに抱ける男じゃないんだ。分かったか?犬は犬らしくいい子にしてろ」

闇は闇らしく。光は光らしく。混じってはいけない。リノはクリスを突き放す言葉を紡ぐと同時に、自分を戒める。

「え、押し倒される展開じゃないのか…」

「お前ホント脳天気な奴だよな。僕の趣味じゃないって言っただろ。ていうかお前に男としてのプライドとか無いの?」

「俺はリノから愛されるならどんな愛され方でもいい」

「……馬鹿だなぁ」

クリスがベッドに寝転んだまま、おいでと両手を拡げる。

リノはもう迷わない。

クリスの腹の上にどすんと腰掛けた。クリスが呻く。

「うぇっ…そうじゃないでしょ…」

「知らないよ。寒かったんでしょ?腹暖めてやるからさっさと寝ろ」

「意地悪ですねリノちゃんは…」

クリスはそう言いながら目を閉じた。すぐにいつもの規則正しい寝息が聞こえてくる。リノはそっとクリスの腹から降りて彼の隣に寝転び、手を握り、唇にキスをした。今の僕なら、こういう我慢の仕方も出来る。リノは自分に満足して、彼の隣で眠りについた。


「僕、リノ・ライノでまたモジュール公開始めるよ」

翌朝、リノはベッドの上でクリスの腕の中にがっしり抱き締められたまま、何気なく彼にそう打ち明けた。クリスが変な気を起こさないように、世間話を続ける必要があったのだ。

しかしその内容は世間話として扱うには重過ぎた。クリスは躊躇いがちに尋ねた。

「…またカミナの手柄にされるかもしれないぞ」

「そうかな?王様はリノ・ライノの名乗りを許可してくれたんでしょ。それに、モルガン工房所属のリノってことにするし。次は大丈夫かもしれないよ」

「…そうかもしれないけど。一応今日バックアップ取っとく?」

「ああ…バックアップはもう必要ない。僕、全置換したから」

「……いつの間に……」

「発話する度に生体スキャンしてたら遅すぎるからね。モジュールベースで考えるようにしたんだ」

「ってことは、会話モジュール入れた時?」

「そうだよ。だから本当はお前には泣いて喜んでもらいたかった。なのに最初の反応が『うるさい』だもんなぁ」

「いやマジでそこはごめんってば」

「もう良いけどね。…もし次自殺したら、僕はもう蘇生出来ない。脳は不慮の事故なんかでは死なないようになったけど、僕の意思でいつでも消去できるようにもなった。だからあんまり、僕に変な気を起こさせないようにすることだね」

「…脅しか?このままお前を襲ったら廃人になってやるぞってこと?」

「良く分かってんじゃん。僕の合意無しで事を運ぼうと思うなよ」

「そっかぁ…抱いていい?」

「今の流れで良い要素あったか!?駄目に決まってんだろ」

「じゃあせめてこのまま一緒に寝てて…」

「まあそんくらいなら、良いけど」

「ありがとう」

リノはクリスが黙ってしまったので、寝たのかな、と思った。背後から抱かれているから分からない。彼の鼻息が自分の首筋に当たり続ける。危険な予感がしたので、その部分の感覚を遮断した。

「…リノ。なんで急にモジュール公開するって言い出したの?」

「起きてたのか。…昨日、思ったんだ。僕はもう大丈夫だって。名前間違われたくらいで死ぬ様な奴じゃないって。それならお前が望む通り、僕の名前を世間に出していくのも、悪くないと思ってね。お前が喜んでくれるなら、僕は世に出るよ」

「勿論、嬉しい。俺が嬉しいとお前は幸せか?」

「勿論、幸せだよ。僕の幸せはお前が喜んでくれることだ」

ま、それだけじゃないけど。お前を泣かせる時も同じくらい幸せだけど。そこは僕らのために伏せておかないとね。

「リノ……愛してる」

「知ってるよ」

「それはそれとしてリノちゃん貯金はするから」

「まあ、期待しないで話だけ聞いとくよ」

「俺そんなに金遣い荒いかなぁ」

「ちょくちょく女に注ぎ込んでない?ツケで飲むことも多いだろ」

「確かに今はすっからかんだけど…。これからは頑張るからさ」

「はいはい。日帰りで行ける外国もあるしね」

「…モルガン工房のリノの方が稼ぎそうだよなぁ」

「そこは甲斐性見せろよ…」

「ふふっ…」

首筋の感覚を遮断しているリノは、クリスがした口付けに気付かなかった。


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