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私の愛

作者: クジラズク

久しぶりに書きました。

意思の強い女の子はかわいい。




 それは突然のことだった。


「アンジェラ・カーマイン!

 貴様の悪事は全てお見通しだ。ここで全ての罪を白日の元に晒し、婚約を破棄させてもらう!」


 数々の名家、貴族子女が通う王立学園のダンスパーティーにて、公爵令嬢アンジェラは婚約者の伯爵令息ローガン・クラレットに婚約破棄を言い渡された。


 驚きつつも、ホール前方へ目を向けると、こちらを忌々しげに睨みつけるローガンに並び、平民であり特待生のエミリーの姿が見える。


 

「エミリーを平民と罵倒し、虐めたそうだな!」


「わ、わたし、とても恐ろしくて…。

 でも、アンジェラ様が謝ってくださるなら、全てを許します!」


 2人の距離は近く、エミリーは人目も憚らずにローガンへと体を寄せ、豊満な胸を押し付けている。

 誰から見ても明らかな不貞であり、鼻の下を伸ばすローガンは紳士のあるべき姿から随分とかけ離れていた。


(まぁ。醜悪だわ……。)


 しかし、エミリーの柔らかみに気を良くしたローガンは、再び演技ぶった物言いでアンジェラをなじった。


「エミリー、君はなんて慈悲深いんだ。

 罪深い貴様とは大違いだな!」


「いいえ、ローガン様。罪深いのは、あなたの方です。

 あなたは、人が人を裁く傲慢さを知るべきだわ!」


 これ以上、家の醜態は見せられない。そう判断したアンジェラは、騒ぎ立てるローガンへ冷静に対峙した。


 ダンスパーティだと言うのに、とうに楽団は音楽を止め、周りは成り行きを見守るように静かに渦中の三人を取り囲んでいる。

 

(まるで断罪裁判ね。それも、まったく冤罪の。)


 アンジェラは、ため息を吐いた。

 王国の裁判は、国王陛下の名の元に厳格に執り行われる公正なものだ。

 ローガンの行いは王家に対して不敬であり、何よりアンジェラにとって全く身に覚えのない事だと強く非難した。


「貴方は、自分のやった事の重大さが分からないのですか!?」


「チッ、女のくせに、カーマイン公爵家の跡取りだからと良い気になりおって。

 だが、これを見ても、まだ()()()()できるかな?

 エミリー、周りにも分かるように()()を見せてくれ。」


 ローガンの言葉により、エミリーは長手袋をとると、周囲に見せつけるように腕を高く掲げた。

 見ると、その細い素手には、恐ろしいほどに青く変色した大きな痣があり、所々血が滲み出ている。


「ひっ…」

 あまりの痛々しさに、周囲からは声にならない悲鳴が上がった。


 惨憺たる痣傷を間近で見たアンジェラも悲鳴を上げかけたが、寸前に口元を手で覆い声を抑えた。

 貴族令嬢が人前で大口を開ける無作法をしてはならない、と幼い頃からの淑女教育がそうさせたのだ。



「アンジェラ様に、階段から突き落とされて、それで……」


「まぁ。

 そんな事、わたしはしておりません。」


「黙れ! エミリーの怪我を見た時、動揺したのが何よりの証拠だ。潔く罪を認めることだな!」


 ローガンの大声に、周囲の生徒もざわめき出した。

 日々、淑女として冷静を保っていたアンジェラが、あれほど表情を動かしたのだ。同じく動揺した自分たちのことは棚にあげ、皆、何かあるに違いない、と疑いの目を向けはじめた。


「まさか、あのアンジェラ様が……」

「信じられないわ。」

「でも、怪我を見た時、たしかに反応したぞ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」

「ってことは、()()()()()()()()()()()()()

 悲鳴をあげなかったのも、犯行の心当たりがあったからだろうな。」


 貴族にとって、真実とは事実ではない。

 無いものを有るように話す彼らにとって、品行方正なアンジェラの醜聞は美味い餌である。

 これまでと一転して、鋭く突き刺さるような視線がアンジェラへ向かった。


「ふふん! どうだアンジェラ、思い知ったか?

 貴様ような女を、次期公爵にさせるわけにはいかん。

 公爵家に泥を塗った貴様には、せめてもの情けで修道院を用意してある。一生そこで罪を償うことだな!」


「きゃっ、ローガン様かっこいい! 

 でも、それだと公爵家はどうなるの?」


「もちろん。俺が次の公爵家当主さ。そして、エミリーが次の公爵夫人だ!」


 ローガンは腰に腕をまわし、エミリーに甘く囁いた。

 ーーーだが、その一方では、獣のようにギラギラとした目がアンジェラを捕らえている。


(最初から、次期当主(こっち)が目的だったのね……。)

 アンジェラはそう思い返した。


 だからこそ、ローガンはわざと周囲の注目を集める方法で、婚約破棄と断罪を宣言したのだろう。


 王国では、後継を選ぶ際に血のつながりが重視されており、性別を問わず血の濃い者が家を継ぐことができる。

 事実、カーマイン公爵夫妻には子供がなく、最も血縁の近いアンジェラを養子に迎え入れていた。


 カーマイン家は「司法の公爵」とも呼ばれ、代々当主が判事を務める名家だ。

 王家からの信頼は厚く、次期当主は常にその為人が潔白であることが求められるため、冤罪でもアンジェラを失墜させるには充分だった。


(だからって、こんなやり方をするなんて卑怯だわ。)

 アンジェラは、ぎゅっとドレスの裾を握りしめると、顔を上げて再びローガンへ対峙した。


「……それは、現公爵も承諾なさった事なの?」


「フンッ、まだ公爵には話していない。

 だが、我が伯爵家は公爵の分家筋だ。血縁関係もあるし、俺はエドワード王子殿下の側近でもある。

 公爵がどちらを選ぶかは、考えるまでもないさ!」


 ローガンの言葉を受け、アンジェラはぐっと言葉に詰まった。


 現公爵は権力に屈する人ではないと信じているが、この国で最高裁判長官《司法のトップ》は王家だ。

 王家とカーマイン家は切っても切り離せない関係であり、その中でエドワード王子殿下の側近・ローガンの立場は大きい。



 何か糸口はないかとアンジェラが考えを巡らせていると、3人を遠巻きに囲む人混みが、突如として左右に分かれた。



「これは何の騒ぎだ?」



 凛とした声がホールに響き渡る。


 騒ぎを聞きつけ、渦中の人物であるエドワード王子殿下がお見えになったのだ。


 ローガンは力強い味方を得たかのように高揚し、アンジェラは苦々しい表情でエドワード殿下を見遣った。

 

「これはこれは、エドワード殿下!

 殿下が気になさるほどの事ではございません。

 騒ぎの件ですが、今、このローガンめが、片をつけましたので御安心を。」


 ローガンは尤もらしい言葉を並べると、アンジェラに見せつけるように臣下の礼をとった。

 


「そうか。ローガン、君がやったのか。」


「はい! 全て私め一人で行いました!

 今後とも私めは、殿下に代わって誠心誠意働く所存にございます!」



「そうか、分かったよ。


 君はもういらない。

 今日限りで、この学園を去るといい。」



「はい、よろこん……、え? い、今なんと?」


 思いもよらぬ言葉に、ローガンは、エドワード殿下の言葉を聞き返した。

 


「いらない、と言ったんだ。

 なぁ、ベンジャミン。()()()はどうなった?」


 エドワード殿下に名前を呼ばれ、側に控えていた男子生徒ベンジャミンが一歩前へ出た。

 ベンジャミンは、殿下のもう1人の側近だ。宰相家の嫡男であり、頭脳明晰な彼は殿下の右腕として働いている。



「はい、殿下。

 滞りなく、手続きは済ませております。


 ローガン・クラレット殿。

 今回の騒動で、公爵はもちろん、伯爵も貴殿の勘当をご決断し、既に貴族院での承認も得ております。

 せめてのもの情けで、殿下が修道院をご用意なさっています。一生そちらで自分が犯した罪を償ってはいかがですか?」


 クイッと眼鏡を上げて、ベンジャミンは淡々と報告書を読み上げる。

 そこには、かつての側近仲間に対する情はなく、侮蔑を含んだ視線が痛いほどに向けられていた。



「エミリー様のお怪我は、ペイントですか?

 美術室から絵の具の盗難届が出ておりましたね。

 それに、腕の怪我の割に、他は傷ひとつありません。


 貴方の企みなど、殿下は全てお見通しですよ!」

 


「そ、そんな……。」


「わ、わたし、そんなの聞いてないわ。

 ローガン様に命令されたの! 平民だから断れなくて…、だから、わたしは悪くない!」

 

 ローガンは力無くその場に座り込み、エミリーは逃げ出そうとしたが、扉の前には屈強な守衛達が控えている。

 ーーー全て、エドワード殿下の手の内だ。


「じゃあ、ベンジャミン。あとの処理は頼むよ。」


 エドワード殿下は命令を出すと、背後で退出する愚者達を顧みることもなく、まっすぐアンジェラへと歩み寄った。



「やぁ、アンジェラ。()()()()

 良ければ、俺と一曲踊ってくれないか?」

 

 まるで何ともなかったかのような態度で、手を差し出す。


 その様子からは、小事にはとらわれない王者の余裕が垣間見えた。













「……エドワード。さっきは、ありがとう。」


「ハハッ、お礼はいいよ。俺は何もしてない。側近が優秀なだけさ。」


 ダンスの最中、アンジェラはお礼とともに雑談を始めた。


 王族へ話しかけるにしては随分くだけた口調だが、もともと公爵家のアンジェラと王子エドワードは幼馴染である。

 ローガンと出会う以前から交流のあるアンジェラには、それが許されていた。

 

 

「でも、エドワードのせいで、周りに勘違いされちゃうわ。

 みんなの前で、『アンジェラ』って呼び捨てにしちゃうんだもの。王家との癒着を疑われちゃう。」


「つい癖でさ。

 そう言うアンジェラだって、『エドワード』って呼び捨てにしているだろう?」


「今はいいの。ダンス中だもの。誰にも分からないわ。」


 ずるいなぁ。と言いつつも、エドワードは楽しそうに笑っている。

 否、口角は上がっているが、何か裏のある笑みだった。



「じゃあ、責任とるよ。


 ちょうど、側近が1人足りないんだ。

 アンジェラが入ってくれたら、名前で呼び合っていても変じゃないだろう?」



(ああ、やっぱり。)


 エドワードの申し出は、ダンスへと誘われた際に、アンジェラがなんとなく予期していた事だった。


 アンジェラへの、幼馴染みとしての情か。

 ただ単に、ローガンの仕事ぶりが悪かったのか。


 理由はどちらにせよ、王子直々の申し出だ。アンジェラに拒否権は無い。



「良いわよ。エドワードがお望みならば、側近でも何にでもなるわ。」



「うーん。…………ちょっと違うんだよな。

 アンジェラが正義を取り戻せたら、また返事をちょうだい。」



「……それは、どういうこと?」



 アンジェラは聞き返したが、そこで曲が終わり、エドワードは答えを言わずに去っていった。

 



◇◇◇◇◇



  

「……正義とは、何かしら?」


 ふと、アンジェラは呟く。

 ダンスパーティーが終わった後も、エドワードの言葉がずっと頭から離れずにいた。



「簡単よ。

 勝った方が正義で、負けた方が悪だわ。」



 親友のマリアは簡潔にそう述べると、紅茶にミルクを注ぎ入れた。

 お茶会の席で、アンジェラの目の前に座る彼女は、2杯目をミルクティーにするらしい。



 

 ダンスパーティーから3日経ち、学校を休むアンジェラを心配して、親友のマリアが公爵家にやって来た。


 ローガンの仕打ちに憤り、アンジェラの好きな焼き菓子を持って「あんな男、忘れましょう。」と慰めに来てくれたのだ。


 マリアは、「軍部の公爵」と誉高いワイト公爵家の令嬢だ。

 アンジェラと同じく三大公爵家の後継で、王子エドワードの護衛、ーーつまり、側近の1人でもある。



(勝った方が正義ね……。)


 彼女の育った環境から察するに、これが彼女の価値観なのだろう。

 軍人らしい、力強い意見だった。



「でも、それだと決着がつくまで分からないわね。」


「えぇ。だから賠償金も、条約を結び直すのも勝敗がついた後だわ。」


 そう言われると、たしかに戦勝国の正義(かんがえ)に則って、どちらも決められている。


 いささか乱暴だが、マリアの正義は道理に適っているように思えた。



「それで、アンジェラはどう考えてるの?」


「わたしは、……よく分からないわ。」


「あら。

 ーーー本当は、どうなの?」


 マリアは、カップを静かに置くと、アンジェラの目をじっと見つめた。


 そのまっすぐな視線に、思わずぐっと言葉に詰まる。

 マリアの眼差しは、真実に対し、果敢に挑んでいるように思えた。



(マリアに、隠し事はできないわね……。)


 そう思いなおすと、アンジェラは意を決して、マリアの目を見返した。



「どちらかと言うと、……分からなくなってしまったの。」


「それは、どういうこと?」


「うまく言えないんだけどね。

 ……わたしね。以前、ローガンに忠告しに行ったの。

 婚約者でもない女性とは、距離を置くべきだ、って。」



 アンジェラも、はじめは正義を理解していた。

 カーマイン公爵家の者として、常に正しく、公平で、秩序を重んじ、その通りに行動する。


 婚約者のローガンへの対応もそうだった。

 不貞を働くローガンに「他の女性に近づくな」と忠告することは「善」である。

 エミリー嬢と2人きりでいることは、法律的に問題はなくても、倫理的によろしくない。


 ローガンは、将来、国王からの信頼が厚いカーマイン家に婿入りするのだ。

 法律だけでなく、倫理観も身につけて、自己を律しないといけないと、アンジェラは説明した。


 

「そうしたら、ローガンは何と言ったと思う?


 ーーー理屈的な女は嫌いだ、って。」



 その時、アンジェラは「この人と結婚は無理だ」と思ってしまった。


 ローガンの一言に、正義感も、価値観も、すべて踏み躙られた気がした。許せないというより、悲しさと虚しさが心を占めた。


「それ以来、ローガンを遠ざけていたわ。忠告するのをやめて、見て見ぬふりをしていたの。

 だから、ローガンだけじゃなくて、……わたしも悪かったの。」


 婚約者に対して、そのような態度でいるのは「悪」だ。


 本来のアンジェラならば、幾度と忠告し、説得もしくは然るべき対応に出るはずなのに。

 ローガンに踏み躙られても、少しだけ心に残っていた「正義」を殺してしまったのは、紛れもなく彼女自身だった。


 

「泣かなかったけど、わたしだって悲しかったわ。


 だって、小さい頃から一緒にいた婚約者を奪われたのよ?

 お互いの意見を尊重し合って、でも間違っていることは間違っていると諌めてくれる。

 優しくて、誠実な婚約者(ローガン)だったのに……」



 ダンスパーティーのローガンは、もはやアンジェラの知っているローガンでは無かった。


 それほど、平民のエミリーに心移りしてしまったのか。

 はたまた、別の要因が彼を変えたのか。


(……そのどちらにせよ。私の愛した人は、もう、どこにもいなくなってしまったわ。)

 


「もう、あの好きだったローガンはいないの。

 子どもの時は、あんなに笑いあえたのに……。

 この人となら結婚してもいいと心から思っていたのに……。」

 

 ぽつり、とアンジェラの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。

 幼き日の恋心を偲び、好きだった人を弔うために、堰を切ったようように涙は溢れ続けた。

 





 


「……今はいろいろな事が重なって、少し見失っているだけだわ。」


 大丈夫よ、とマリアは宥めるように、アンジェラの手を握った。

 両手で包み込むように握られた手からは、マリアの温かさが伝わってくる。



「アンジェラが愛したのは正義よ。あの男じゃない。

 ーーー正義(あい)を取り戻すために、立ち上がりましょう。」


「……えぇ。

 マリア、ありがとう……。」


 顔を上げると、マリアは優しい瞳をしてハンカチを手渡してくれた。

 どこまでも真っ直ぐで温かいマリアに、アンジェラは心から勇気づけられた。



◇◇◇




「もう大丈夫なのですか?」


 さらに2日後、普段通り学園へ行くと、ベンジャミンに会った。

 王子エドワードの側近であるベンジャミンは、「政治の公爵」と名高いサイアン家の出身である。


 ローガンを修道院へ送る手続きをしたのも彼だ。


 アンジェラとは、政治学や法学など同じ授業を選択しているため、何かと接点が多かった。



「えぇ、学生の本分は勉強だもの。

 それにグループ課題が出されたから、休むわけにはいかないわ。」


 今、2人がいるのは学園の図書館だ。

 同じグループになったベンジャミンとアンジェラは、課題の資料を探していたところだった。


「アンジェラ嬢は真面目ですな。どこぞの誰かとは大違いです。」


 アンジェラの様子に安心したのか、ベンジャミンはクィッと眼鏡を掛け直した。

 ダンスパーティの時も見たが、どうやら彼の癖らしい。


 ちなみに「どこぞの誰か」こと、同じグループのエドワードは本日授業に不参加だった。




「課題は、『法と正義』ね……。

 ねぇ、ベンジャミンは正義って何だと思う?」

 

 アンジェラは、ベンジャミンに質問を投げかけた。



「正義、ですか?

 ……僕にとって正義とは、己の信条に従う事ですな。」


 

 いかにも政治部らしい、抽象的な発言だ。

 そして同時に、深い意味があるようにも思える。



「具体的には?」


「正義とは、宗教や、個人の価値観、そして時と場合によって変化します。

 それでも、変わらず『正義』であり続けるのは、一貫して自分の信条に従っているからだと思うんです。」


 ベンジャミンはそう話すと、静かに本を閉じた。

 真面目で有名な彼だが、珍しいことに、アンジェラとの雑談にのってくれるらしい。


「アンジェラ嬢には、どんな正義がありますか?」


「わたしの正義は……。」


 アンジェラは、質問に答えようと口を開いたが、言葉を続けることができなかった。


「えっとね、………何というか……。」


 仕切り直して、もう一度試してみるが、なかなか言い出せない。



「……ごめんなさい、忘れてしまったの。

 いいえ。きっと、初めから持っていなかったのかもしれないわ……。」

 

 やっと捻り出した言葉は、自分でも情けないもので、語尾が少し弱くなった。



「ゆっくりで良いんですよ。話してみてください。」


 にこり、とベンジャミンは微笑む。

 彼の表情は夜空に浮かぶ月のように穏やかで、アンジェラの心を隅々まで照らしてくれる。


(ベンジャミンと一緒だと、気持ちがどんどん整理されていくわ。)


 アンジェラは考えをまとめると、ゆっくりと話し始めた。


「……わたしね。ダンスパーティーの時、八つ当たりしちゃったの。」


「八つ当たり、ですか?」

 

「えぇ。『なぜ誰も助けてくれないの?』って思ったの。

 1人くらい擁護してくれても良いじゃない、って。

 今でも、まだ、少し思ってるわ。


 それが出来ない事が、分かっているのに。」


 話していて、アンジェラは俯いた。

 


 騒動は公共の場であったが、内容は三大公爵家であるカーマイン家の内輪揉めだ。


 下位の者は、声をかけることができない。

 高位貴族でさえも、ーー例えば、同格である三大公爵家のベンジャミンやマリアでさえも、口出しするべき内容ではなかった。



「すごく身勝手でしょう?


 だって、助けを求めてどうなるの?

 醜聞を広げることになるし、家同士の問題にまで発展するかもしれないのに……。


 それなのに、なんで、周りは助けてくれないの?

 なんで、誰もそばにいてくれないの?って、恨んでいたの。」



 あの時、アンジェラは怒っていた。

 婚約破棄を言い出したローガンに。

 嘘に踊らされ、信じてくれなかった周りの人に。


 腹が立って、心細くて、裏切られた気分になっていた。

 

(正義を忘れてしまって当然だわ。

 せめて、振る舞いはできなくても、心だけは正しくいたかったのに……。)


 こんな話をして、呆れられただろうか。

 あの時のローガンのように、侮蔑を含んだ厳しい視線を向けられるのだろうか。


 そう思うと、アンジェラは顔を上げる事ができなかった。



「それは、正しい感情ですよ。」


 しかし、ベンジャミンは、アンジェラの考えを否定することなく優しく声をかけた。

 


「たしかに、僕はそばにいることができませんでした。

 マリア嬢も怒っていましたが、警備のため持ち場から動くことができません。

 

 だけど、アンジェラ嬢を守りたいという気持ちはあります。それは今も同じです。

 だから、次からは、どうか『助けて』と声をかけてください。


 騒動に巻き込んでくだされば、僕もマリア嬢も、きっと駆けつけて味方になります。」



「で、でも。それだと、ベンジャミン達に悪いわ。

 だって、私の我儘で巻き込むことになるのに。」


 心では嬉しく思いつつも、アンジェラは反論した。


 下位のものなら兎も角、同格であるマリアやベンジャミンを巻き込めば、間違いなく家同士の諍いに発展してしまう。


 友達として、それだけは避けたかった。



「それでも構いません。

 困っている友人を助けないのは、僕の信条に反します。

 助けを呼ぶことは、僕の正義を守ることでもあるのですよ。」

 

 ベンジャミンはメガネをクイッと上げると、少しだけ態度を変えて、イタズラっぽく話してみせた。

 これが彼の本来の性格なのだろう。その発言には芯が通っている。


「それに、これでも僕は有能なんです。

 どんな苦難が待ち構えようと、かならず解決へと導いてみせましょう。」


「ふふっ、頼もしいわ。

 ……ベンジャミン、ありがとう。」


 寄り添うように、ベンジャミンの言葉はどこまでも深く、アンジェラの心へと浸透していった。




◇◇◇◇



 放課後、アンジェラは一人きりで中庭の裏のベンチに腰掛け、考え事をしていた。

 家のことに、「正義」のこと、側近のこと…。その一つ一つが悩ましい。


(こういう時は、今の状況をまとめましょう。)


 軍部の側近はマリア、ーー王子エドワードの護衛として働いている。

 力強い彼女は、励まし、共に戦ってくれる。頼れる剣である。


 政治部の側近がベンジャミン、ーー公務を手伝い、秘書のような役職についている。

 思慮深い彼は、話を聞き、解決へと導いてくれる。優しき叡智である。

 


(そして、勧誘中のアンジェラ(わたし)

 司法の側近として、わたしにできることは何かしら?)



 もちろん、側近として存在するだけで、軍部、政治、司法のパワーバランスを取ることができる。



 ーーーしかし、1人だけ何もしないのは、果たして「善」だろうか?



「わたしの正義。わたしの正義は、……」


(あっ!)

 途端に、ぶわりと、血液がアンジェラの頭の中を勢いよく駆け巡った。


 一目惚れに似た衝動と、巡り会えた喜び。

 心が一杯になるような幸福感に、きらきらと世界が輝き始め、まるで恋をしたかのように自分の頬が熱くなるのを感じた。

 

(やっと見つけたわ。

 正義とは何か。わたしにとっての正義はーーー)


 気づいたときには、アンジェラはエドワードの元へ駆け出していた。




 

 


「エドワード殿()()!」


「やぁ、アンジェラ。

 ーーーいいや、アンジェラ・カーマイン嬢。」


 エドワードは、改めてアンジェラを呼び直した。

 アンジェラの様子を見て、ここに来た理由を察したようだ。


 

「どうやら、取り戻せたようだね。

 あの時の、返事を聞かせてくれるかい?」



「はい! やっと、正義が分かりましたわ。


 わたしの正義は《理想》です。

 どうあるべきか共に理想を描き、時に立ち止まり、殿下が進む道を正していきます。

 わたしは、わたしの正義を以って殿下の側近となり、国家のために尽力することを誓います。」



 言葉と共に臣下の礼をとり、アンジェラは微笑む。


 その表情は、愛を知った少女のようにどこまでも明るく輝いていた。




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