スリアヴォス 勇者と筆頭魔術師の少女
馬が最後の丘を駆け上った。
絶え間なく吹き付ける砂風に目を細めると、そこにはあの頃と変わらぬ街があった。
対魔王軍のために築かれた最前線都市、スリアヴォス。
世界中から、様々な想いや思惑を抱えた人々が集まっていた。
かくいう私もその一人だ。
私という人間はここから始まった。
いつか、再び訪れるべき場所だと知っていた。
今後、自分がどのような人生を歩むとしても、絶対に訪れなければならない場所だった。
私は外套のフードを目深に被り直し、馬を前に進めた。
スリアヴォスの手前にある、名もない宿場町に宿をとった。
お世辞にも上等とは言えない安宿だったが、ベッドがあるだけマシだろう。
外套を脱ぎ、床に荷物を降ろして、ベッドに座る。
開けっ放しの窓から、懐かしい臭いがした。
長く忘れていた、砂と何かが焼けたような臭い。
魔王城があった辺りは『瘴気溜まり』と呼ばれる湿地帯で、その臭いがこうして一年中吹き付ける偏西風に乗ってやってくる。
魔王が消えた今でも、この臭いだけは変わらない――。
*
当時、十歳だった私は、師であるマリーン大師からスリアヴォスに赴任するように命じられた。
過去類を見ない並外れた魔力量のせいで神童だと持て囃され、将来を決める自由を失っていた私に、マリーン大師は慰めの言葉の代わりに、戦闘経験を積んでおけという言葉をくれた。
スリアヴォスのことは、周りの大人達の噂話で知っていた。
魔王軍と戦うイカれた冒険者どもがうじゃうじゃいるとか、命を削って金に変える奴らが住む街だとか、噂は最前線で戦う人たちを見下すようなものが多かった。
怖くて仕方なかった。
でも、私に選ぶ権利はなかった。
やらねば用済みとなり、居場所を失う。
今日を生きるのに必死だったあの頃に戻るだけ。
だから黙って頷いた。
もう、ネズミや虫の死骸を漁って生きるのは嫌だったから。
スリアヴォスに着いて驚いたのは、その活気だった。
王都の季節祭よりも騒がしく、大勢の人で溢れていた。
圧倒された。
凄まじい熱気と気迫、スリアヴォスにいる人達は皆、エネルギーに満ち溢れていた。
――すぐ側に死があるからだろうか。
と、幼いながらに思った。
事実、死が間近にあるからこそ、スリアヴォスの生は輝いていた。
まるで、燃え尽きる前の蝋燭のように。
スリアヴォスに着いてすぐ、私を送ってきた使者は王都へ帰っていった。
一人残された私は、人目を避けるようにして街の中を歩いた。
誰もが傷を負っていた。
だが、誰一人として泣く者も、苦痛に顔を歪める者もいなかった。
路地裏で仲間を焼く冒険者達が酒を酌み交わしていた。
片腕で殴り合いの喧嘩をしている男もいた。
抱きついてくる男を殴り飛ばす酒場の女がいた。
誰も彼もが笑っていた。
街全体が、あの臭いに包まれていた。
スリアヴォスに来て二年が経った頃、私は王都へ帰還するように命じられた。
マリーン大師の思惑通り、魔王軍との戦闘経験を積んだ私は良い駒に育っていた。
戦闘が発生するのは、前線に限ったことだけではない。
王都近郊で討伐があれば、必ず私が呼ばれた。
敵は前線と比べて、格段に弱かった。
前線帰りの私は、守りたくもない人達から、守護神だの大魔術師だのと言われた。
調子の良いことを囀る輩は、例外なく、前線で戦う人達を見下していた連中だった。
討伐がないときは、魔術学院の教壇に立つように命じられた。
ガラスの箱に大切にしまわれていたような生徒たちに、簡単な魔術を教えた。
小さな火を起こす魔法で軽い火傷を負った生徒に、責任を取って回復魔法をかけろと命じられた。彼は大物貴族の一人息子だった。
魔法をかけてやると、どこの誰かもわからない怪我人達をたくさん連れてくるようになった。
時間が経つにつれ、前線に想いを馳せる日が増えていた。
*
私はベッドから立ち上がり、窓から外を眺めた。
雲が風に流されていく。
じりじりと肌を焼く日射しが心地よかった。
初めて勇者に会った時も、こんな晴れた日だった。
スリアヴォスの路地裏を彷徨っていたとき、四方を建物の石壁に囲まれた空き地に迷い出た。
そこには何もなく、乾いた土の地面と雑草が少し生えているだけの場所だったが、空き地の真ん中で男達が焚き火を囲んでいた。
立ち上る煙に混ざって、香ばしくて美味しそうな匂いがした。
遠巻きに眺めていると、男のひとりが私に声を掛けてきた。
「おい、そんなところで見ててもやらんぞ」
勇者だった。
この前線都市スリアヴォスで最強の男、勇者フレイ。
生まれながらにして完全魔法耐性というギフトを授かった男。
「何をたべてるの?」
「こっちに来たら教えてやるよ」
フレイは幼い私を古い友人のように扱った。
戦闘の仕方も、街での振る舞い方も、全部フレイが教えてくれた。
彼は恐ろしく強かったが、魔力が無かった。
傷が癒えるのは、誰よりも早かった。
しかし、彼の持つ完全魔法耐性により、魔法で回復することはできなかった。
戦いを重ねるたびに、小さな傷が増えていった。
でも、彼は泣き言一つ言わなかった。
いつも彼は笑って、皆の盾になった。
王都で教壇に立っていた頃、魔王を討ち取ったという報せが入った。
スリアヴォスに飛んで、フレイに祝いの言葉を贈りたかったが、魔王が倒れた影響で王都周辺に魔王軍の残党が逃げ延びてきた。
私は対応を命じられ、寝る間もなく残党狩りに従事する日々を送った。
せめてもの贈り物として、良く効くという傷薬と、旅がしたいと言っていたフレイのために、たっぷり物が入る魔法を施した背嚢を届けさせた。
残党狩りが落ち着いときには、もう一年が過ぎていた。
結局、私はスリアヴォスに行く機会を失っていた。
そんな時、学院の廊下を歩く私の前に、懐かしい顔が立ちふさがった。
モルゾという男だ。
スリアヴォスでは、共に戦ったこともある。
主に斥候を務め、腕も良かった。
懐かしさに顔を綻ばせたあと、私は勇者の死を知った。
*
瓦礫の街を歩く。
あれだけ活気に満ちあふれていたスリアヴォスは、その役目を終えていた。
たくさんの戦士がいた。
ある青年に「なぜ戦うのか?」と聞いたことがある。
彼は「家族を守るためさ」と笑った。
納得したが、私は驚かなかった。
隣の男は綺麗事だと笑っていた。
でも、あの時の青年のうしろには確かに家族が見えた。
彼は家族を守っていた。
モルゾに勇者の死を告げられ、フレイから頼まれたという木彫りのお守りを受け取った。
ガーディと呼ばれる針葉樹から作った物だ。
盾の素材にも使われる丈夫な木で、戦士達の間では、小さく切った木片を懐に忍ばせておくと、身代わりになってくれるという言い伝えがあるらしい。
お守りを指で触りながら、モルゾに教えられた場所で待っていると、遠くから男がこっちに向かってきた。
「オーガスタか?」
「ええ、そうです」
男はどこかで見たことがあるような顔だったが、はっきりと思い出せなかった。
「ほぉ、随分と大きくなったな……。俺はリッジだ。まぁ、覚えてねぇだろうが、何度か一緒になったことがある」
「あ、ごめんなさい……」
「構わんさ。数回、顔を合わせただけだしな」
そう言って、リッジは「こっちだ」と歩き出した。
「王都じゃ、筆頭魔術師なんだって?」
「はい……一応」
「まあ、あんたの戦い振りは、ちっせぇ頃から凄かったからなぁ……」
「……」
「フレイはいい奴だったな」
「はい、幼かった私に、いろいろと教えてくれました……」
「……」
しばらく沈黙が流れた。
規則的に鳴る、小石を踏みしめる音が段々と私をあの頃に戻していく。
ふいに、誰も居ない建物の中から、酔っ払った男達の笑い声が聞こえたような気がした。
「本当は……フレイから誰にも教えるなと言われてた」
「え……」
「特にお前には教えるなと」
「フレイが?」
リッジが立ち止まる。
そして、眉間に皺を寄せ、何度か迷ったあと口を開いた。
「お前がいなくなってから、あいつはやっと守りたいものができたって言うようになった。はっきりとは言わなかったが、みんなわかってた。お前のことさ」
「わ、わたし⁉」
「なぜだかは知らねぇ。お前に惚れたのだとしたら、とんだロリコン野郎だが……へっ、とにかく、ずっと魔王を討ち取るまでお前のことを気に掛けてた」
「そんな……」
胸が痛い。
ぎゅっとねじ切られるように痛む。
「だから、あいつの最後を誰かがお前に伝えてやらねぇとって……モルゾに頼んで、お前を呼んだんだ」
「……フレイは、なぜ死んだのですか?」
リッジは質問には答えず、ある建物に入った。
私はその後を追う。
スリアヴォスの中でも高い建物だった。
石階段を上り、私達は屋上に出た。
屋上には何も無く、真ん中に黒い焦げ跡があった。
気付くと私は、ガーディのお守りを握り絞めていた。
スリアヴォスは役目を終えた。
たった二年、戦闘経験を積むだけのはずだった。
でも、私はフレイに、勇者に出会ってしまった。
「ここで燃やすように言われたんだ」
リッジの言葉に、思わず目を見開いた。
ただの黒い煤の跡が、特別な意味を帯びていく。
胸の奥から、何かが噴き出してしまいそうになるのを必死で堪えた。
「限界が来てたんだ……魔王を倒したあと、フレイは二週間以上目を覚まさなかった。目が覚めたあとも、前みたいに歩けなくなってた。ずっと寝たきりだったんだ」
「そんな⁉」
知らなかった……。
知ろうとしなかった。
彼なら笑って魔王を倒したと思っていた。
武勇伝を酒の肴に、路地裏に行けば、今も肉を焼いて、酒をかっくらうフレイの姿があるような気になっていた。
私は……、私は……。
「墓はいらないって」
リッジの言葉で、現実に引き戻される。
黒い煤の近くにしゃがみ込み、リッジは指先で煤に触れた。
「墓を作ると、お前が縛られてしまうからってさ……それと」
リッジが私に見覚えのある背嚢を差し出した。
「これは、私がフレイに贈った……」
「ああ、いつもベッドの横に置いてさ、嬉しそうに言ってたぜ。あいつも旅に連れてってやりたいなって……」
私は背嚢を抱きしめた。
勝手に体が震えていた。
声にならない嗚咽がこみあげる。
「う……うぅ……」
「オーガスタ、お前が連れてってやれよ」
私は何度も何度も頷いた。
涙を拭い、屋上から抜け殻になった街を眺める。
スリアヴォスは役目を終えていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
面白いと思ってくれたら、ブクマや★から応援お願いいたします。