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塔の上のレイヴン  作者: 石燈 梓(Azurite)
第一部 魔犬と少年
25/32

第四章 失われた王国(6)

*ご注意:高波(津波)が街を襲う描写と、暴力的で残酷な描写があります。苦手な方はご注意ください。


          6


 潮風が西から雲をはこんできた。空はみるまに厚くおおわれ、湖面はざわめき、三角の波が立つようになった。(蓋をした鍋のなかで煮えるスープのようだ、とクルトは思った。) アーエン王女は長い黒髪と胴着(ドレス)を風になぶらせ、城とオルトスの堤防をむすぶ石橋をひとり駆けて行った。

 王女の腰帯には、金の鎖で革袋(エスカルセル)が結びつけられている。クルトは、それと似たものをティアナ叔母が持っていたことを思い出した。城を差配する女性がもつ袋で、貨幣や鍵が入っている。王女はウリン城を管理しており、その権力は水門に及んでいた。

 カルニュクス(戦闘ラッパ)の音は、二度、三度と響いてやんだ。アーエン王女は不安げに、何度も湖岸をかえりみた。


 堤防にたどり着いたクルトは、外海(そとうみ)をみて絶句した。陸にかこまれた湖より海面は高く、波は数倍はげしかった。にごった灰青色の波が岩礁(がんしょう)にぶつかるたび、白い泡が散る。波間に浮かぶフォルクメレの船団は、灰色の波しぶきに霞んでいる。

 ライアンとアゲイトは、堤防の造作に感心していた。巨大な岩を整形して積んだだけでも驚異だが、継ぎ目が全くみえないのだ。ウリン王国より旧い時代に築かれ、数百年の波に耐えてきた技術だった。


 アーエン王女は堤防の上を行ったり来たりした。アリル公を捜しているのだろうか。隠れて様子をうかがっていたクルトは、岩壁に背をあずけたレイヴンが急にだらりと両手をおろしたことに気づいた。


「レイヴン卿?」


 体調が悪いのかと案じるクルトに、レイヴンは力なく微笑んだ。


「大丈夫です。ほら、来ましたよ」

「アーエン様!」


 堤防の外海側の岩陰から、かぼそい声が響いた。まだ幼い子どもの声だ。アーエン王女は足を止め、クルトは崖下をのぞきこんだ。


「……レイヴン卿?」

「はい。わたしです」


 レイヴンは、今にも泣き出しそうだ。

 波しぶきを浴びながら、痩せた少年が懸命に岩をよじのぼっていた。黒い髪に黒い瞳、日焼けしていない白い肌にまとう上衣(チュニック)は、ずぶぬれになっている。


「姫さま!」

「ソロハ! しっかり」


 王女は腕を伸ばし、少年を堤防へ引き上げた。すり切れた上衣を着た少年は、尻もちをついて坐り、ぜいぜいと喘いだ。

 クルトは彼の幼さに驚いた。自分より年下ではないか……。ひとりごとのようなレイヴンの呟きが聞こえた。「ソロハ(「明るい」という意味)。ああ、そう呼ばれていましたねえ。わたしの幼名です」


 アーエン王女は少年の肩を両手でつかみ、揺さぶった。


「ソロハ。お前、ひとりなの? アリル様は、どうなさったの?」

「アリル様は……おいでになれません」


 ソロハは唾液をのみ、かすれた声で答えた。王女の表情が凍り、みるみる蒼ざめる。ソロハは話を続けようと視線を上げ、息を呑んだ。

 金髪の男が長剣をふりあげ、王女の背後に迫っていた。少年を追ってきたフォルクメレの男たちだ。ソロハは王女の体をつきとばした。


「姫! お逃げ下さい!」

「ソロハ!」


 男が鞘ごと振り下ろした長剣がソロハの頭を殴り、小柄な少年は堤防のふちまで飛ばされた。王女は悲鳴をあげ、岩の上を這って逃げようとした。次に現われた屈強な男が彼女の黒髪をつかみ、ぐいと引っ張った。しなやかな体が弓なりに反り、白い喉があらわになる。


「待ってください!……いいのです」


 身をのりだすクルトとライアンを、レイヴンが引きとめる。ライアンは剣をさやばしらせようとして動きを止めた。


「しかし――」

「これは過去です。四百年も昔の出来事なのです。かまう必要はありません」


(でも、目の前でひとが襲われているのに!) クルトが言うより速く、アゲイトが盾を手にとびだした。王女をひきずる男の足を鋼鉄の盾で払い、その背に短剣を突きたてる。援護に出ようとしたライアンは、レイヴンにしつこく腕を掴まれた。


「レイヴン卿」

「過去は変えられません。助けても、どこかで帳尻が合って、必ず元に戻るのです。そういうことに(・・・・・・・)なっている(・・・・・)のですよ」


 クルトとライアンは、その言葉で、レイヴンがこの経験を繰り返しているのだと察した。(四百年もあったのだ。魔術師(ドリュイド)になった彼が、ここを訪れない理由があるだろうか。過去を変えようと試みない理由が……。)

 幼い頃の自分が頭をふって身をおこすさまを見守り、レイヴンは悲しげに微笑んだ。


「姫! お逃げ下さい」


 ソロハはフォルクメレの男の腕に噛みつき、相手がひるんだ隙にアーエン王女を助け起こした。アゲイトが盾で男を殴りたおす。王女と少年は互いに支え合い、よろめきながら石橋へ向かった。黄金の鎖が切れ、王女の革袋(エスカルセル)が足下に落ちる。クルトが回収する前に、男たちのひとりがそれを拾った。


「わたし達も行きましょう。アゲイト!」


 レイヴンはクルトを促し、ライアンとともに走り出した。最後まで残って追手を足止めしたのち、アゲイトが駆けて来る。彼らが堤防を離れた数秒後、どおん、と雷のような音が響いた。

 クルト達が何事かと振り返る。レイヴンは、風の音にかき消されまいと声をはりあげた。


「水門が開き、堤防にヒビが入ったのです。高波(たかなみ)が来ます。急いで!」


 オルトスの堤防に入った小さな亀裂が、ビシビシと音をたてて蜘蛛(クモ)の巣状に拡がり、そこから海水が噴きだした。クルトは身を(ひるがえ)した。レイヴンとライアンが、両側から公子の腕をかかえて走る。数歩おくれてアゲイトが、盾を背負いなおして追ってくる。


 海が堤防に体当たりする轟音は、湖面を泡立て石橋を揺らした。何度目かの振動の後、岩の塊が水とともにガラガラと落ちてきた。堤防につづく石橋は、そこから順に崩れはじめた。逃げるクルト達を、橋の崩壊が追いかける。

 クルト達は懸命に駆け、息を切らしながら島の土を踏んだ。堤防を壊した波は湖に流れこんで水位をあげ、高く(そび)えて押し寄せる。湖岸にぶつかって跳ね返り、次の波と重なってさらに巨大な水の壁となり、舟と瓦礫を吸い上げる。成すすべなく、数人の兵士たちが呑みこまれた。灰色をとおりこしてドドメ色になった波は、華奢な石橋を粉砕し、防波堤をあっさりと越え、牙をむいてウリンの街に襲いかかった。

 逃げ遅れた人々の悲鳴があがり、城壁の崩れる音、木製の柱が裂けるメリメリという音が聞こえた。驟雨(しゅうう)のごとく降りそそぐ水滴と突風をかいくぐり、レイヴンとクルト、ライアンとアゲイトは、島の反対側を目指して走り続けた。呼吸がおいつかずに喘ぐクルトの手をレイヴンが引き、ライアンが背中を押す。

 城下を通り過ぎるとき、クルトの視界の隅を、小舟に乗りこむヴェルトリクス王たちとアーエン姫、ソロハ少年の姿がかすめた。


「こちらです!」


 四人はレイヴンの案内で、石畳の坂道を駆けくだった。美しく着飾った人々が、逃げ場をもとめて右往左往している。ある者は荷物を抱え、ある者は恐怖に泣き叫ぶ小さな子どもの手を引いている。金貨が石畳にこぼれ、葡萄酒の瓶が割れ、怒号と悲鳴と喚声が波音にかき消される。(何も出来ない……。) クルトは胸が引き裂かれるように感じた。


「レイヴン卿?」


 突然レイヴンが立ち止まったので、クルトはつんのめりそうになった。ライアンが支えてくれる。逃げまどう人々を愕然(がくぜん)と観ていたレイヴンは、(かぶり)をふって(きびず)を返した。


「……わたしの両親と、妹です」

「えっ!?」


 咄嗟に引き返そうとするクルトを、レイヴンは遮った。


「いいのです……もう済んだこと。死んだ人々です」

「二人とも、急げ!」


 ライアンに背を押されて、クルトは再び走り出した。角を曲がりながら振り向くと、幼児を抱いて逃げる若い夫婦がちらりと見えた。


 盾を背負って駆けてきたアゲイトが、クルトに追いつき、追い越した。高々と(そび)えた波が、王城の尖塔をつきくずし、地響きとともに島に噛みつき、街をえぐりとる。クルト達は水浸しになった桟橋を滑りおり、そのまま湖にとびこんだ。

 湖面は乱暴に波うち、クルト達は木の葉のごとく揺さぶられた。転覆した舟が周囲を流れていく。ライアンは小舟のひとつを引き寄せると、クルトとレイヴンをそこに掴まらせた。アゲイトは折れた木の柱をみつけ、自力でしがみついた。

 波は強風にあおられて厚みを増し、容赦なく島に押し寄せた。湖上にたたずむ優雅な貴婦人のようなウリンは、殴られ、削られ、悲鳴をあげて(くずお)れた。クルト達は声を失い、茫然とそのさまを見守った。


 風の咆哮のなかに甲高い悲鳴をききとり、彼らは我にかえった。人をぎゅうぎゅうに載せた小舟が激しく上下している。舟縁(ふなべり)にしがみつく人々の間にヴェルトリクス王とアーエン姫をみつけ、クルトは息を呑んだ。


地母(ネイ)神よ!」


 ヴェルトリクス王は娘の髪をつかみ、後ろ手に縛った彼女の体を船縁(ふなべり)におしつけると、剣を掲げて叫んだ。その後ろで数人の男たちが、もがくソロハ少年を抑えている。アーエン王女ははりさけんばかりに目をみひらき、涙で頬をぬらしていた。


「地母神よ! 我が娘の生命を(にえ)に捧げる。我が復讐のとき来たるまで、ウリンの民をここにとどめよ!!」


 王は剣を振り下ろした。ライアンは咄嗟にクルトの目を覆おうとしたが、クルトはその手をよけて凝視した。――断末魔の叫びと鮮血が噴きあがり、黒髪が水に呑まれた。生命を失った髪の毛が群れる蛇のごとくうねり、渦巻き、ゆれながら沈んでいくのを、人々は凍ったように凝視(みつ)めていた。


 次の瞬間、


〈ヴェルトリクス! アイホルム!〉


 首を斬られたはずなのに、血を吐くようなアーエン王女の声が響いた。ヴェルトリクス王は蒼白になり、クルトも、ライアンとアゲイトも、ぎょっとして灰紫色の空を仰いだ。


〈ゆるさぬぞ! ネルダエとフォルクメレの者どもよ! 未来永劫、魔女(ドリュイダス)(いか)りを恐れよ……!!〉


 船上の男たちが、大急ぎで王女の遺体を湖に投げこんだ。ヴェルトリクス王は自失した表情で船内に坐りこんでいる。


 アゲイトとライアンが、クルトの両側に寄ってくる。レイヴンは静かに告げた。


「終わりました……。戻りましょう、わたし達の世界へ」


 レイヴンはたぷんと水に潜り、アゲイトが続いた。クルトはもう一度、波にただよう舟を見遣った。この後、ウリンの人々は殆ど死に絶えるのだ。死にきれなかった彼らの王と、幼いソロハ少年を遺して――。

 クルトは深く息を吸ってとめ、水に潜った。





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