第三章 盾の騎士(6)
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ラダトィイ族のむらの集会所、大長屋の中心に篝火が焚かれた。男たちは割った丸太に黒牛の毛皮を敷いた椅子に腰かけて、歓迎の食卓をかこんだ。彼らの習慣から、女たちは最初の挨拶をした後は、客人の前に殆ど姿を現さなかった。
干し葡萄をねりこんだ平たい大麦のパンには、たっぷり蜂蜜がかかっている。リーキ(西洋ネギ)の中に豚のひき肉を詰めて煮たスープはひだまり色に輝き、あぶった分厚い猪の肩肉には香ばしく炒った胡桃と甘い林檎のソースが添えられている。男たちが掲げる銀の杯にはキャラウェイ・シードの入ったコルマ(エール)がなみなみと注がれ、クルトにはうすめた林檎の果汁が与えられた。
クルトは、初めての料理をおっかなびっくり口に運び、味に驚いたり喜んだりしていた。くるくると変わる従弟の表情を、アゲイトは楽しげに眺めている。ライアンとクルトは主賓としてフェルテジルの向かいに坐り、トレナルとレイヴンはその両隣にいた。
「〈影の王〉の再訪にそなえ、クルト公子を騎士たるべく養育し、武器を用意する……とは」
フェルテジルは片手を顎にあて、思案気に唸った。
「ティアナ女大公さまは考えられましたな。確かに、城を出て暮らすのは良い経験になるでしょう」
「アルトリクスの盾がまだあったとは」
クルトの大叔父にあたる長老が、胸をおおう長い白鬚をゆらして息を吐いた。
「とうに失われたか、竜の許へ還ったと考えておりましたぞ。持ち主の代わりに御子たちを護っていたのでしょうな」
竜の鱗を鋳熔かしてつくられた魔法の盾は、里の男たちの手で恭しく運びこまれ、部屋の中央に鎮座していた。嵌めこまれた宝石が火明かりを反射して緋色にきらめいている。
クルトは父の氏族のひとびとに向き直った。
「あの盾は、父が母を守るために鍛えたものだと伺っています。父のことを教えて下さい」
「われら先住民側の話で、よろしいかな?」
長老はライアンに問い、伯爵は静かにうなずいた。ライアンとトレナル、レイヴンの三人は、神妙な表情で杯をかたむけている。長老はフェルテジルと顔を見合わせると、ひとつ咳払いをして語り始めた。
「われらは一部族だけで暮らしていたわけではない。部族同士、常に仲良く平和に暮らしていた、などと言うつもりもない。小競り合いはあったし、力の差はあった。征服民側の対応も違っていたな」
フェルテジルがうなずいて同意を示し、長老は淡々と続けた。
「前大公――ティアナ女大公さまの父君は、ネルダエに厳しい御方じゃったよ。税は高く、住む地域は限られ、職を変えることは禁じられた。それでも、ネルダエの血をひくエウィンを娶られてからは、われらの扱いも変わるのではないかと期待した」
「ぼくのお祖母さま、ですね」
「さよう」
長老がエウィンの名を出した途端、男たちの相貌が硬くなったので、クルトは声をひそめた。ライアンすら眉間に皺を刻んだのだ。
長老は苦々しく舌打ちした。
「ところが、あの女狐め。――すまんな、クルト公子。われらにとって、あの戦いの記憶はまだ生々しいのだ。――地母神に背き、己の民を虐げた。夫たる大公をそそのかして領内に暮らすネルダエの財産を没収し、土地を追い出した。抵抗する者は殺され、村ごと焼き払われた氏族もある。ここへも大勢逃げてきた。……グレイヴ伯爵がおられなければ、われらもどうなっていたか」
「いや、長老」
ライアンが低い声で遮った。トレナルは項垂れている。
「命じられたとはいえ、俺も戦いに参加した者のひとりだ。モルラや身内の者を数名かばったところで、罪が消えることはない」
「それでも感謝しているのじゃよ、グレイヴ卿。貴公らがおられなければ、もっと悲惨なことになっていたであろう」
長老は柔和に微笑んだが、ライアンの表情は晴れなかった。クルトから顔をそむけ、ぎりりと歯をくいしばる。膝にのせた大きな拳が、わずかにふるえた。
「俺は主君を諫めきれず、セルマ公女を――クルト、お前の母上を守れなかったのだ。アルトリクスに会わせる顔がない」
クルトは絶句していた。以前、盾の由来について教えてくれたとき、ライアンが話しづらそうにしていたのは、この為だったのだ。祖父母がネルダエの人々を虐げた事実と、優しく朗らかな伯爵が苦悩しているさまに、少年の胸は重く沈んだ。
トレナルが主の言葉を補足する。
「私たちは前大公に叙任された騎士で、アイホルム大公家に剣を捧げています。主命に逆らうことは許されません。〈アドラーブルク〉に私の氏族の者を匿いながら、別の場所ではネルダエの人々と戦ったのです」
「あの……ぼく、何と言えばいいか、」
おずおずと口をひらいたクルトに、長老は身振りで黙っているよう示した。
「貴公が産まれる前の話じゃよ。クルト公子に責任はない。……妖精の魔法を用いるセルマ公女に対抗するため、ネルダエの魔術師たちは〈闇の魔物〉を召喚した。いや、創り出した、というべきか」
「つくりだす?」
「さよう。〈山の民〉の魔法の鎖帷子を破るには、〈闇の魔物〉の魔力が必要だった。アルトリクスはラティエ鋼の盾を鍛え、セルマ公女を護る盾持ちとして従軍した。もともと、われらラダトィイは鉄づくりをもって自治を許されていたゆえ」
コルマの杯を口へはこぶ長老の声音は複雑だった。ネルダエの一部族でありながら大公家に武器を供給することは、彼らにとっても苦痛だったのだ。
「その頃には、アイホルム大公軍はヒューゲル大公領とダルジェン大公領にも攻め入り、〈五公国〉の聖王の命令にすら背いて戦火を拡げていた。アルトリクスは愛するセルマ公女を両親の支配から解き放とうとして 〈マオールブルク〉を追放され、セルマ公女は命を落とした。相前後して偽大公とエウィン妃が亡くなり、〈山の民〉の国から帰ってきたティアナ公女が後を襲ぎ、ようやく戦が終わった。……わしが知っているのは、ここまでじゃ」
長老が語り終えると、広間はいっとき沈黙に支配された。篝火がパチパチと音をたてて薪を食べている。レイヴンが身じろぎ、数人の男が卓上に杯をおいたほかは、しわぶきひとつ起こらなかった。
クルトは考えこんでいたが、やがて面をあげ、一同を見渡した。なにか言わなければ、と思ったのだ。
「……すみません。ぼく、知らなくて……。知っていなければいけなかったのに」
「貴公はまだ十一歳だ、クルト公子」
フェルテジルが哂って首を振った。
「ティアナ女大公とグレイヴ卿が詳しい話をしてこなかったのは、隠していたわけではなく、時期を待っておられたからだ。事実を曲げずに伝えることはむずかしいし、それを正しく理解することも、子どもには非常にむずかしいからな」
「はい」
「まっとうな大人なら、子ども達には過去の怒りや憎しみではなく、未来への希望や優しさを伝えたいと思う……。ラティエ鋼は、持ち主の生命と運命をともにする。盾が在るということは、アルトリクスは生きているということだ。いずれ会える日も来るだろう。その時に、改めて教えてもらうがいい」
クルトは顎をひいて頷き、父の盾をみた。〈マオールブルク〉を追放された父には、父の言い分があるだろう。今頃、どこでどうしているだろうか。
ライアンがしんみりと言った。
「俺たちがお前に望むのはな、クルト。お前が大公になったら、平和を守って欲しい、ということだ。戦いこそ騎士の誉と言うが――どちらにつくかで親族が争い、親と子が、兄弟が、友人が敵味方に別れて殺し合う。命令に従う兵士たちは、家族を人質にとられているに等しいのだ。二度とそんな思いをさせないで欲しい」
「……はい。分かります」
今アイホルム家がヒューゲル家と戦争を始めれば、ライアンの許にいるカーバッドは父と兄を敵にまわすことになる。ダルジェン家と戦えば、マハスが苦しむだろう。クルトにも、その悲惨さは想像できた。戦争をおこしてはならない。大公たる者の責任を感じて身の引き締まる心地がした。
そして思う――何故、祖父母は戦争を続けようとしたのだろう?
素直な公子の素直な返事に安堵した大人たちが相好をくずしていると、クルトは真顔で次の問いを発した。
「あの……ぼくは、〈影の王〉と戦ってよいのでしょうか?」
ライアンとフェルテジルは眼をまるくし、レイヴンはコルマを噴きだしかけて盛大に噎せこんだ。唖然とする長老たちをみやり、少年は繰り返した。
「〈影の王〉と戦わなければならないのでしょうか。どうしても?」
「何を言う、クルト」
己の言葉を誤解されたかと、ライアンは慌てた。
「〈影の王〉はすでに人ではない。ウリンは失われた国なのに、お前だけでなくこの地に棲むあらゆる生命を危険に晒そうとしているのだ。抗わないでどうする」
「はあ。でも、〈影の王〉には〈影の王〉の理由があるでしょう。話し合いでなんとかなりませんか?」
「問答無用でお前を攫おうとした奴だぞ」
「ぼくに倒せるでしょうか。勝てる気がしないんですけど……」
「大丈夫だ、味方は大勢いる。体を鍛え、武器も用意する。なあ、フェルテジル殿」
レイヴンは横を向き、げふんがふんと咳をし続けている。その様子を眺めていたフェルテジルは、クルトに微笑をむけた。
「さよう。だが、アルトリクスの盾を鍛えなおすのは私ではない。竜との契約は継承された。アゲイトの仕事だ」
「アゲイト?」
クルトが従兄をかえりみると、アゲイトは頷き、席をたって篝火へ向かった。伯父の盾の正面に立ち、両手を腰にあててそれを眺める。
ライアンがフェルテジルに話しかける。
「代替わりしたのか、フェルテジル殿」
「うむ。まだ仕事は続けられるがな。今は、アゲイトがわれらの王だ」
「そうか。祝いをしなければならないな」
などと話していると、アゲイトがくるりと振りかえり、宣言した。
「盾を鍛えなおすのは無理だ」
一同は耳を疑い、クルトはぽかんと口を開けた。
「えっ?」
「この盾を、クルトの武器に打ち直すことはできない。何故なら――」
アゲイトは手を伸ばし、鋼鉄の盾をくるりと裏返した。ライアンが警告を発する暇はなかった。大人の男が五人がかりでなければ運べなかった盾を、アゲイトは無造作に片手で持ち上げた。
「これは、オレの盾だからだ」
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