第三章 盾の騎士(2)
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西の空にうかぶ雲が薄紅色にかがやき始めたころ。クルトは、ライアンとモルラ達とともに城を出て、トウイー川へ向かった。レイヴンは来ないだろうとクルトは考えていたが、鹿毛の牝馬に騎ってついてきた。ライアンはクルトに、〈天睛〉号に騎乗して〈夜の風〉号のとなりで控えているよう告げた。狩猟のぜんたいを観て学習するためだ。
鷹狩りには鷹だけではなく、ハヤブサ、シロハヤブサ、セーカーハヤブサ、オオタカ、ハイタカなどをもちいる。種によって大きさと習性が異なり、訓練方法も違う。シロハヤブサの〈王の星〉は主の頭上を旋回して獲物をさがし、急降下して襲いかかるのが得意だ。オオタカの〈海の光〉は主の腕にとまって待機し、勢子におわれて飛び出してきた鳩や鷺、ヤマウズラなどを仕留めるという。
モルラは左腕に〈海の光〉をとまらせ、川岸のイラクサやハシバミ、スイカズラが茂るくさむらの手前にたった。〈海の光〉の頭には革製の目隠し帽がかぶせられている。見えなくとも落ち着いてモルラに身をあずけていられるのは、よく訓練されている証だ。勢子役のマハスとカーバッドは、クルトに笑顔をみせてから徒歩で川へ向かった。
クルトが観ていると、小姓と従者たちは無言でくさむらに入った。腕を挙げ、親指を立てたり拳を振ったりして合図を交わしている。何をやっているのかとクルトが訊ねる前に、トレナルが小声で教えてくれた。
「藪にひそむ鳥の種類と場所をおしえているのです。声を出すと逃げてしまいますからね」
(なるほど。)とクルトが頷いたとき、〈中央山脈〉から吹き下ろしてきた西風がくさむらに波を立てた。帽子を外された〈海の光〉が鋭い眼差しを風上へ向けると、モルラは大きく踏みだして彼女を投げた。〈海の光〉は巨大な翼を悠然とひろげ、ぶわりと舞い上がり、まっすぐ草の波へとびこんだ。
バササッという羽ばたきに続き、グワッという短い悲鳴があがった。〈海の光〉が獲物をおさえこみ、モルラとカーバッドが駆け寄って雁にとどめをさす。その足下から無数の鳥が飛びたち、またたく間に群れをなして川面をよぎった。
「まだだ」
前へ出ようとするクルトの腕にライアンが触れ、低い声で制した。いぶかしむ少年の視界の隅を、灰色の影が切り裂く。レイヴンが 「ひっ」 と叫んで首を縮めた。
上空で待っていた〈王の星〉が雁の群れに襲いかかり、逃げおくれた一羽を河原へ追いつめた。マハスと従者のひとりが応援に駆けていく。数秒後、マハスはしとめた雁を笑顔でかかえあげた。
クルトはほっと息を吐き、ライアンは笑った。レイヴンが伯爵に声をかける。
「上手くいきましたね」
「ああ、上出来だ。いつもはこうはいかない」
「そうなんですか?」
クルトが問うと、ライアンは軽く肩をすくめた。
「狙った獲物を獲れるのは半分くらいだ。半分は失敗する。〈海の光〉と羽合せができなければ上手くいかないし、〈王の星〉は疲れやすい」
「成功したところが観られて良かったです。これを目標にすればいいんですね」
クルトの応えに、ライアンは一瞬まるく目をみひらき、苦笑した。
クルトは馬をおり、トレナルに手綱をあずけてモルラの許へ走って行った。「すごい! かっこよかった!」 とカーバッドを褒め、モルラの手にとまる〈海の光〉をねぎらう。
トレナルがライアンと轡を並べて言った。
「聡明な公子です。好奇心があり、意欲がある。謙虚に学び、失敗にくじけない強さがある」
「父親に似たのだろう。これで体が健康なら申し分ないのだが」
「ご心配なさらずとも、こちらへ来てから熱は出ていません。日に日に丈夫になっておられるようで、将来が楽しみです」
トレナルは言葉を惜しまず称賛し、ライアンは髯におおわれた頬をゆるめた。二人の会話を聴いていたレイヴンは首を傾げ、もの言いたげに口を開いたが、何も言わなかった。
従者とマハスが〈王の星〉を連れて戻ってきたので、ライアンはモルラと少年たちに声をかけた。
「良い狩りだったな。城へ戻って夕食にしよう」
三人の少年は顔をみあわせ、期待をこめて笑った。
*
クルトとマハスは料理長を手伝い、雁の羽をむしった。翼と尾の羽根はペンと矢に、羽毛はクッションに使うため、別々にしてとっておく。腹を裂いてとりだした内臓は、〈海の光〉と〈王の星〉に与えた。料理長は一方の雁の腹にきざんだリーキ(西洋ネギ)と大蒜とバター、レンズ豆とローズマリーを詰め、皮を縫い合わせて表面を焼いたのち、鉄製の鍋に入れて蒸しあげた。モルラがもう一羽の肉を骨ごと切り、赤葡萄酒と蜂蜜とローリエを加えて煮込む。焼きたての白パン、ベーコンと蕪のスープ、林檎と蜂蜜入りの葡萄酒も用意された。食欲をそそる香りとともに料理がつぎつぎしあがっていくのを、少年たちは生唾を飲みながら見守った。
食事が始まると、小姓と侍女たちは給仕をしなければならない。テーブルを組み、手を洗うためのラベンダー水を入れた器を用意し、ナイフとカップを並べ、葡萄酒を注いでまわる。(お皿代わりの)うすく切ったライ麦パンに雁の煮込み料理を盛っていると、ライアンが声をかけてきた。
「マハス、カーバッド、クルト。もういいから食べなさい」
クルトがモルラを見上げると、モルラは微笑んでうなずいた。許しを得た少年たちは内心歓声をあげながら席につき、ご馳走に舌鼓をうった。スープをもってきてくれたのがミーノン(トレナルの娘)だったので、クルトはやや頬を赤らめた。
大人たちが小姓たちに声をかけたのは、話をしたかったかららしい。トレナルが葡萄酒のカップを置いてきりだした。
「今日はうまくいったな。マハスは〈海の光〉と羽合せを始めてはどうか? 今から練習すれば、冬のキツネ狩りに間に合うだろう」
マハスの雀斑をちらした頬にぱっと血がのぼった。カーバッドが 「やったな」 と囁き、脇をつついて祝福する。トレナルはカーバッドとクルトにも面を向けた。
「カーバッドは〈王の星〉と羽合せてみるがいい。モルラに頼んでおく故、クルトは据えを始めなさい。鳥を腕にのせてゆるがぬように支えるのが、信頼をきずく第一歩だ」
「はい。分かりました」
クルトが背筋をのばして応える。カーバッドは胸のまえで拳をふり、「やった!」 と呟いた。モルラはそんな少年たちを眼をほそめて眺めている。
ライアンが葡萄酒をひとくち飲んでから、きりだした。
「その前に、ひとつ仕事を片付けよう。アルトリクスの盾と囚人たちを、〈鉄の民〉の里へ届けるのだ。明日でかけるので、クルトは一緒に来なさい」
「……はい」
クルトは少し驚きつつ頷いた。父の盾はともかく、〈マオールブルク〉から連れてきた盗賊のことはすっかり忘れていたのだ。
マハスとカーバッドは顔を見合わせた。
「クルトだけですか? ボク達は?」
「行きたいのか?」
ライアンが片方の眉をもちあげ、愉快そうに問う。少年たちは口ごもった。
「ラダトィイ族の集落ですよね。剣の里……」
「オレ達に剣はまだ早いですか?」
カーバッドが期待をこめて問う。トレナルは微笑んだ。
「先住民の暮らしと鋼の作り方を学ぶのは、よい経験になるでしょう。城の手が足りているなら同伴させたいですが」
「ああ。いや――」
ライアンは葡萄酒を飲み干し、やや申し訳なさそうに首を振った。
「――ラダトィイ族にとってはどうかな。今回は、アルトリクスの盾を打ちなおしてもらうのが目的ゆえ、クルトは行かなければならないが……。ダルジェン大公家とヒューゲル大公家ゆかりの者を連れて行く許可を得ていない」
肩を落とす二人を慰めるように、ライアンは付け加えた。
「それも訊ねてこよう。二人は先に訓練をして、クルトが帰ったら教えてやって欲しい」
「分かりました」
「気をつけて行って来いよ、クルト」
二人と一緒に行けないのは残念だったが、カーバッドに励まされて、クルトは頷いた。少し離れた席で雁の肉をほおばっていたレイヴンが、はりきって片手を挙げる。
「わたしを忘れないでくださいよ!」
ライアンが苦笑する。
「なんだ。くるのか、大ガラス卿」
「当然です。わたしは〈白の御方〉の名代ですからね。坊の行くところへは、火の中だろうと水の中だろうと御供させて頂きますよ。坊もわたしが一緒の方が頼もしいでしょう? ねっねっ」
「えっ? ああ、ええと、はい」
「……調子にのって、〈鉄の民〉に焼き鳥にされないよう気をつけろよ」
ライアンにぼそりと釘を刺され、レイヴンは声にならない悲鳴をあげた。トレナルが笑いだし、モルラも口をおおって微笑んだ。温かな笑いが人々の間を波紋のように拡がっていく。
クルトは、騎士たちに葡萄酒を注いでいたミーノンが手を止めてこちらを振り返り、花が咲くように笑うさまを眺めていた。
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