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赤い月

作者: 藤棚




少女は中庭にあるこじんまりとした東屋で優雅なティータイムをしていた

白銀に見える長い髪を風に遊ばせ、横には屈強な黒髪に金色の瞳の男性と年の近く若い赤茶色の髪をし深い緑色の瞳をした青年を携えて

一見にはただの昼下がりのティータイム

しかし、そこに会話はない

それは、少女が彼らの主人だからではない

彼女が放つ言葉は「はい」しか彼らも聞いたことがない

少女の名前はルナマリア

人里離れたこの洋館に住む令嬢

薄幸の空気を常に纏う彼女は今日も己の心を縛る

まるで全てを諦めて受け入れるだけと言わんばかりに、己を持たずに今日も生きる

ただ、時折遠くを見つめるのは一体どこを見ようとしているのか

それはルナマリアすらわからないことだった


ティータイムを終えると赤髪の青年ジムはティーセットを片付けに屋敷に戻る

もうひとりの黒髪の執事であるダインに任せておけば問題は起きるはずがないと

元より来訪者は少なく、ルナマリアの両親はそれないの社会的地位を持つ富裕層

敵は多いがルナマリアの存在を不気味がり公にしていないためか、危機にあうことなどないのだが念の為にとダインはいる

相も変わらずの重いティータイムから解放されたジムはついため息を落とした


「ため息はもう少し人目を気にすべきだぞ、ジム」

「アベル様。これは見苦しいところを…」


頭を下げたジムにアベルは片手を上げてそれを制した

咎めるつもりはない

自分も見ているだけでため息をつきたくなるくらいだ


「ルナマリアお嬢様は今日も変わりなしか」

「はい、いつもとなに一つお代わりにはならず…」


ルナマリアは生まれた時からこうだった

産声は上げたがそれ以外に彼女が泣いたところを誰も見ていない

乳母がミルクを忘れても黙って虚空を見つめ待っていた乳飲み子

両親が我が子ながらに気持ち悪がり出したのはこの頃だ

何かしらの病気を疑われたが彼女は至って健康

障害も見当たらなかった

ただ、彼女には意思がない

生きる意志さえも

それだけだと数年かけて何人もの医者が答えをだした

意思がなく言われたことに従順すぎる彼女を持て余した両親は彼女が小学校に上がる前にこの屋敷に追い払った

図らずもその時ルナマリアの弟となる命が母親の胎内にあったのが一因だろう

アベルとダインはその時からの付き合いだ

もうひとり世話役としてジュリエッタという美女がついてきている

当時、四人の生活が始まる時にルナマリアは一言だけよろしくお願いしますとだけ声をだした

三人は今でもそれ以上に長い言葉を聞いたことはない

教育係兼医師のアベル

執事兼ボディーガードのダイン

世話係のジュリエッタ

近年になり

執事見習いのジムと

メイド見習いのジンジャー

ボディーガード兼料理人のフリート

この七人で暮らしているが

ルナマリアの日常は何一つ変わることなく過ぎていく


しかし、だた一つ

ルナマリアが感情らしいものを見せたことがある

それはジンジャーがつけっぱなしにしていたラジオから聞こえたもの

音楽だった

クラシックでも流行りの曲でもない

いわゆる弦楽器のゆっくりとした曲にルナマリアはわずかに頬を緩ませた

いつもの主人とは違う表情にその時ダインは一筋の光を見た気がした

すぐに親友と呼べる仲になっていたアベルに報告、相談するとアベルは一考して色々と実験を開始した

ルナマリアが聞いていた曲を調べ、そこから同じ弦楽器でもどれに一番表情を動かすか

同じ弦楽器でもどういった曲調に反応があるか

ルナマリアの負担にならないようにそっと聞かせながら様子を見守る


「結果、やはりあれにしか反応はしなくなってしまったがな」


アベルはポツリと漏らす

ルナマリアは琵琶の音にしかもう反応しない

しかし、逆に琵琶にはわかりやすく反応するようになった

ナスサスは今でもその実験をやめていない

琵琶以外でも心動かされるのであればそれに越したことはない

とりあえず仕入れたばかりのCDをコンポにいれ東屋にギリギリ聞こえる程度で曲を流し出す

今日はギターだ

最近売れだした作曲家のものだ

歌手は昔からいる売れ子

アベルは初めて聞いたときなんとなくこの曲が好きになる気がした

ゆっくりとした優しい曲調

歌手の声が邪魔に感じ歌なしばかりを流していることに気がついたときは苦笑しか出なかった


曲が東屋に届き出すとダインは今日も始まったなと思う


ガシャン


ダインは慌てて音のした方を向くと目の前で主人であるルナマリアが固まっていた

持っていたティーカップの受け皿を落として

ダインがあわてて声をかけようとするとルナマリアはそれより早く立ち上がると持っていたカップまで落として走る

突然のことに戸惑いながら慌てて追いかけるとルナマリアはアベルの前で立ち止まっていた

両耳に手を当てその音を逃すまいと目を閉じて立ち尽くしている

ダインは目を丸くした

ルナマリアの表情は今までに見たことがないほど幸せをかみしめているからだ

頬を緩ませ、つぶられた瞳からは涙まで流している

どういうことかと友に訪ねようと視線を向けるとアベルも同じらしく目を見開いている

ルナマリアは時がこのままとまればいいと言わんばかりに空を仰ぎながら音を拾い続ける

今年で一四になったばかりの少女の少女らしい表情にダインもアベルも動けなかった

そして、長くない曲が終わると同時にルナマリアは短くあっとだけ漏らした

そして己の両手を見る

ゆっくりと自分がいたはずの東屋に視線を送る


「あっあっあっ……」

「お嬢様?」

「あ~~~~~~~~!!!!!!」


ルナマリアはダインの呼び声に叫び声を上げ頭を振り乱し錯乱した

何事かと駆け寄ってきた面々に事情はあとでと言い、アベルは自室にある鎮静剤をとってくるとダインに抱き合抑えながら錯乱するルナマリアにその注射をさす

アベルがこれを使用したのは初めてだった

ルナマリアは意識を手放す直前一言声を漏らした


『きぃぅ』


初めて聞く単語にアベルとダインは顔を見合わせる

何を言おうとしたのかもう分からない

わかるのはそれがぎ「き」から始まる何かということだけだった



少女の目からひとしずくの涙がこぼれ落ちた



・・

・・・


遥か昔

まだ人々が森を切り開きながら集落を広げていた頃

月光色と称される髪色を持つ少女は生きていた

年にして十一

いくつもの集落が点在する森

その集落の一つに生を受けた少女の名前はルナマリアといった

皆既日食が終わった直後に生まれたルナマリアは昼が夜に打ち勝った瞬間に生まれた子と希望の象徴として周りから崇められていながらも年の近い少年少女と仲が良く、心清らかに優しく、笑顔が可愛らしい少女に育っていた

そんな日常はある日突然に終を告げる


「お迎えに上がりましたぞ、ルナマリア様」


少女はことを理解できぬうちにそのまま集落から連れ去られた

その日

森には火事があり

結果、一つの集落はなくなった

生き残りは一人もなく

ルナマリアもその時に死んだと思われてしまい

それが人的災害であり、人々は火事が起きる前に物言わぬ体に成り果てていたことなど、誰も気が付くことはなかった




ルナマリアが目を覚ますとそこは自室だった

自分がなぜここにと思うが寸前の記憶は思い出せない

東屋でそのまま眠ってしまったのだろうか?

そう思うが胸のあたりが少しだけ熱い

嬉しい夢を見た気がする

いや、少し違う?

ルナマリアはまだ重たいまぶたをこすると体を起こし部屋を出る

探さなくてはいけない気がした

でもそういうことは言われていない

勝手に動いてはいけない

なのに、わかっているのに止められない体

まだ、ぼんやりとする頭を抱えながらルナマリアはろうかを進む

そうだ、私は…

ルナマリアの瞳に初めて宿っていたわずかな光が消える

ダメ、探してはいけない

探せと言われてない

だから、私は…

そこまで考えるとルナマリアの体はぐらりと揺れ

そのままろうかにその身を委ねることになる

冷たい回廊はなにかを思い出しそうで同時に自分の立ち位置を思い出させる

間違ってはいけない

こんどこそ


「こんど?」


今度とはいったいいつ何を指して今度と言っているのだろう

ルナマリアはそう思うと贖いきれないほど重くなったまぶたに従うことになってしまう



・・

・・・


幼女のルナマリアは突然親と引き離されて我を取り戻すと同時に泣いた

親元に帰りたいと

しかし、ルナマリアを連れ去った男はそれを許さなかった


「あなたは選ばれたのです。高貴で尊いお方に。お父様たちは別れが辛くなるからと顔を見せなかったのですよ。わがままを言うべきではありませんな」


ルナマリアは黙る

わがままなど言うべきではない

それは分かる

しかし、最後の別れくらいは言わせてくれてもいいのではないだろうか?


「私の名はギラン。祭祀ギランとお呼びなさい。いいですね。あなたはこれからその汚れを落とすためにある場所に行きます。汚れが落ちましたら御方にあわせて差し上げますぞ」


ギランの言葉にルナマリアはこくりと頷く

馬に乗らされもう自力では戻れないところまできているのは幼いルナマリアでも分かる

もう受け入れるしかない

その日からルナマリアの瞳に太陽と月は映らなくなった

滝壺の裏にある洞窟に鎖で繋がれ、厳重に柵まで作られ、ルナマリアが逃げ出すことができないようにすると日に一度の食事をギランの側近が代わる代わる運んでくる。

ルナマリアは小さな燭台の火だけが照らす空間でひとり寂しく暮らす

ルナマリアは思う

なぜ自分が選ばれたのか?

昼が夜になる日に生まれたからか?

会いたい

友に、両親に

ひやりと冷える空間でルナマリアはひとりの寂しさに何度も膝を抱えて涙を流す

滝の轟音でそれは誰にも聞かれることがなく

誰も幼いルナマリアを慰めない


ルナマリアはそうして日付の感覚をなくして年を重ねた

そして、一四になったある日

ルナマリア孤独は初めて癒される


その日は突然の大雨だった

もちろん洞窟のルナマリアがそれを知ることはない

しかし、流浪の旅の楽士がひとり雨宿りのために滝壺の近くの木に身を預ける

ふと視線をその滝にやると何やら一部が色が違う

洞窟でもあればここより濡れまいと楽士は滝の裏に回ると思惑取り洞窟がある

これ幸いと、楽士はその洞窟に足を踏み入れた

外の様子はわからないが昼寝でもして、様子をてみればいいと楽士は愛用の琵琶を下ろして腰を下ろす

水しぶきが届かない位置に落ち着くと楽士は目を閉じた


「……」


楽士の優れた耳が滝壺からの轟音以外の音を拾う

何がと目を開けてあたりを見回すと洞窟の奥からわずかに光があることが分かる

楽士は単純な好奇心で奥に進んでみることにする

雨が止むまでの暇つぶし

そう思って先に進んでみたのは薄明かりの中体を小さく丸めて涙を流す少女の姿だった


これがルナマリアと楽士、キースの出会いだった




アベルをはじめとする屋敷使い全員が居間に集合していた

ルナマリアのあんな声を聞くのは全員が初めてのことだ

故に何が起きたか知りたかった

同時にアベルとダインもその場にいたものの状況が分かっていなかった


「とりあえず、私もダインも正確にはわからん。ただ、あったことといえば、いつもと同じく音楽を聴かせたそれだけだ。」

「それだけでお嬢様があのように取り乱すとは考えにくかろう。もう少し詳しくはなしてみんか」


アベルはジュリエッタの声に深くため息を付く


「いや、付け加えることといえば、音が聞こえ出すとほぼ同時にルナマリアお嬢様は食器を落とされてな、すぐにアベルの前まで走って行かれた。これも初めてのことだな」

「そこからは私が説明しよう。ルナマリアお嬢様は音楽に聞き入っておられた。一音も逃さないと両耳に手を当てられて、そして、私は目を疑った。あのルナマリアお嬢様が幸せそうに笑っておられたのだからな」

「お嬢様が笑うぅ!!?」

「茶化すな。黙って聞いてろ。アベル様続きを」

「あぁ、曲が終わって我に戻ったのか、自分の行動が信じられないといった風になられてな。そこからはお主たちも知るとおりだ」

「にわかには信じ難いですな。お嬢様が笑われるなど、私たちは見たことがない」

「その点は我らもだ。むしろ、生まれて初めてではないのかと私は思っている」


アベルの言葉に沈黙が流れる


ゴトッ


しばらくの沈黙を破るように重い音が廊下からなる

不審者かとダインとフリートが身構えながら廊下に続くドアに手をかけ恐る恐るろうかを見渡す

視界に見える範囲には何もない

二人は顔を見合わせるとこくりと頷きあい外に出る


ダインが手で合図を送るとフリートが頷きそれぞれに左右に別れる

それぞれに懐に忍ばせていた警棒に手を伸ばし、いつでも戦闘に入れる準備をしてそれぞれに先に進んでいく


音の音源にたどり着いたのは部屋で眠る主人を心配し二階に上がったダインだった


「お嬢様!!」


屋敷に響き渡るような大声に居間に残っていたメンバーも飛び出し二階へと駆け上がる

そこにはダインによって抱え起こされているルナマリアがいるが意識は無いようだ

これも初めてのことだ

今まで目覚めていても誰かが呼びに行くまで一人で部屋を出たことがないルナマリアが一人で廊下にいる

信じられないことが立て続けに起きている


「とりあえず私はこの作曲者と演奏者に連絡をとってみよう。宛はあるのでな。」


アベルは務めて冷静に自分のすべきことを口にした

自分からなにか動くことをしなかった少女がこれだけのことをしたのだ

もしかするとなぜルナマリアが全てを諦めながら生きているのかわかるかも知れない

ようやく見えた一筋の光におもえるそれをアベルはしっかりと握ることにした


演奏者と作曲者は同じ人物だった

作曲者欄にあるGなる人物にアベルは自身の人脈を惜しみなく使い接触し、屋敷まできてもらえることになった

アベルの私財である大金をちらつかせることで


「へぇ、辺鄙なとこだけど…悪くない」


数日後、ルナマリアの屋敷を赤紫色の髪をターバンをヘアバンドのように縛り、その翡翠色の瞳を不敵に細めて訪れる


「絶世の美女か、大金か、はたまた、両方か、まっ欲はかきすぎない程度にしときますか」


青年はそう言うとギターボックスを片手に門の横にある呼び鈴を鳴らした


中から現れたのはジュリエッタだった

青年は口笛を吹く

まさか、本当にいるとは思わなかった美女の登場に顔がにやけるのを必死で抑える


「お主がアベルの言っておった作曲家か?」

「キースと申します。中に入れてもらえますか?お美し人」

「…」

「入れてもらえますか?絶世の美しき女神」

「何だ、私に言っておったのか。今、確認をとっておるゆえ待っておれ」


さも、見張りだと言わんとするジュリエッタにキースは肩をすくめる

これは手厳しいとおどけても良かったがやめておくことにする

これは得策でないことをキースは知っている

だてに歴戦はない

女の扱いは不本意ながらになれていた

まだ異性を意識しない幼少期からそのたぐいまれな整った綺麗な顔立ちはあまたの女というものを魅了した

その結果、不要な争いに巻き込まれた経験も少なくない

故に、今、やるべきことはわかっている

誠実に、できるだけ、

先手として、ナンパ師を演じたのは痛手だが最初の一手くらいは緊張を和らげるためと言えば通じなくはない


アベルが出てきてキースを歓迎し居間へと案内する

そこには客人を家主として迎えるためにルナマリアが待っていた

キースは案内された先にいたルナマリアに目を見開く

伏せられた目からはなんと生気の感じないものか

同時になんと儚いと感じる


「ルナマリアお嬢様、こちらが今朝お話した客人であるキース殿です」


アベルの紹介にルナマリアは顔を上げニコリと笑う


「初めまして、ルナマリアと言います。ゆっくりしていってください」


キースは顔をしかめた

隠せなかった

その張り付いた仮面のような笑み

背筋に何かがはっていくような不快感が伝う

故に培われた経験則を忘れつぶやいてしまう


「気持ち悪い笑を持ってらっしゃるな」


ついでてしまった言葉にキースは開き直る

まだ、幼いと言える少女に嫌われたところで痛くも痒くもない

後ろに控えた男たちと美し人に睨まれるのは痛いがそれくらいは甘んじて受けるくらいの技量はある


「申し訳ありません。不快にさせるつもりはありませんのでお許し下さい」

「…いや、女性にこのような発言申し訳ありません。お詫びを言葉以外にもさせていただきたいくらいでございます」


小さく頭を下げたルナマリアにキースは膝を折り頭を下げて誠意あるように謝る

さながらルナマリアがキースとも主従関係があるようだ


「私は気にしておりません。頭をお上げください。ここにいる間は何をされても構いません。ご自由にされてください」

「寛大なるご慈悲ありがとうございます。しかしながら、出会い頭にも関わらずあのような無体を晒すとは…私もまだまだでございます。いつかこのお詫びをさせてください。今はまだ資格すらないかもしれませんが」

「いえ、お待ちしております。それであなたの気が済むのなら」


ルナマリアはキース言葉をそっと噛み締めるようにして応える

ジムに促されルナマリアは退席する

キースはルナマリアがいなくなるまで体制を崩さなかった

今できる最善は誠意だと判断して


キースは改めてアベルの私室に案内されると向かい合って座ることにする

こう失態を繰り返した以上授業料として欲は忘れることにする

それに最初がなくともさっきのはそれ以上の失態である

キースは実質ただ働きになるのを覚悟した

今回はつてだけでも持つことが出来れば御の字と


「率直に聞くとしよう。わがお嬢様をどう思った」

「賢く心優しい方だと「本当にか?」」


言葉をかぶせてきたアベルにキースは睨みを効かせる

腹の探り合い

キースは頭の中を切り替える

金持ちの道楽かと最初は思ったがそうでもなさそうだ


「気持ち悪い笑み」


アベルのポツリと漏らした言葉にキースは反応する


「ここは防音はしっかりしている。それに私しかいない。正直に話してもらって構わない」


キースは早々に白旗を上げる

こいつは策士だと思う

変に頭を使うことはもういいだろうと

本心を告げることにする


「面白いとも言えるが…さっきの笑い方は顔だけで笑っているように見えたな」

「他には?」

「自分がない」

「ほう、なぜそう思う?」

「受身、もしくは相手の事優先。そういうふうにしか動いていないのを見ればな」


アベルは短い間によく見ていると思う


「キース殿も素直に話してもらえたようだし、私も率直に要件を言いましょう。私共の依頼は簡単です。お嬢様に音楽を聴かせて欲しい。それだけだ」

「…は?」


キースは間抜けな声を上げる

それも悪くない

なぜなら、拍子抜けもいいところだからだ

そんな簡単なことでいいのならさっきの侘びも兼ねて今からやってみせてもいい

なんなら即興で新たに作ってもいいくらいだ


「いちおう、理由を説明しよう。先日のことだ…」


アベルは先日の一件を話す

赤子の時から感情を忘れて育ったルナマリアの突然の反応

今までから考えられないような様子をアベルが話を進めるにつれキースの顔から遊び心が抜けていく

真剣に話を聴くキースにアベルは口角を自然に上げる

プロ根性はあるようだと


「事情はわかった。とりあえず、その初めに反応した曲を教えてくれ。弾いてみよう」


アベルはCDのジャケットを手渡す

キースはこれかと一瞥すると持ってきたクラシックギターを取り出し音を合わせる

アベルは窓を小さく開けておくがそれにキースが気が付く様子はない

凄まじい集中力だ

キースは音を合わせ終わると指で弦を弾いて音をだす

己の爪だけで音をだすキースの曲は美しく、機械を

として聞くときは感じなかった感動をアベルの中に生み出す

自分でこれだけ感じるのであればルナマリアはどれだけ反応するか

アベルは楽しみになる



これからある嵐のような一幕はまだ開けたばかり




・・

・・・


楽士キースは時を止めていた

滝に隠された洞窟の奥で閉じ込められている少女が泣いている

ひとり、膝を抱えて

何にと問うわずとも理由など簡単に想像がつく

肌を重ねた女はすでに数多といる

しかし、このような少女を対応するのは初めてだ

それなりの女性になら言葉巧みに慰めることもできたのだがそれが少女に通じるか

やがて人の気配に気がついたのは少女、ルナマリアだった

顔を上げると柵の向こうに見慣れぬ青年がいる

ルナマリアはその瞳を大きく開けて驚き、一瞬で泣き止んだ


「だれだ?」


言葉を出したのはルナマリアからだった


「旅の楽士キースだ。お前はなぜこんなところにいる?」

「私はルナマリアだ。体を清めるためにここにいることになっている」

「一人でか?」

「日に一度は食事が運ばれる以外は一人だ」


キースは少しだけ自分の浅はかな言葉に後悔をした

なぜと尋ねれば関わることを前提としているようなものだ

すでにその期待をさせているかもしれない

根無し草の生活は相にあっている

ここで足を長く止めてしまいたくない


「旅と言われたが、ここへはなぜ?」

「ひどい雨だからな。少しばかり休ませてもらっているだけだ。弱まれば「ならば少し話をしてくれ」」


ルナマリアはキースの言葉を遮り、願いを口にすると柵を掴んで身を乗り出す

キースはその姿に目を開いた

少女の足には枷があった

逃げ出さないようにか、頑丈そうに見える鎖が少女についてきている


「少しでいんだ。頼む。外のことを聴かせて欲しい。もう、何度も季節は変わった。ここに来て、一度も外には出されていない。頼む。少しでいい」


キースは一考した

ここで安い同情をすれば残されるルナマリアは酷く傷つくことになるだろう

一瞬だけと、のぞみを叶えることは容易い

しかし、それがなくなってしまったとき彼女は虚無に襲われるだろう


「いや、せっかくだ。少し、曲を聴かせてやろう。せっかくの出会いに話だけとはもったいなからな」


キースはため息を付いてから答えた

最終的に自分の生業である一瞬の夢を見せるに考えが傾く

ルナマリアは目を輝かせた

その目は夜空の星が散りばめられているようだ

キースはおもわず熱くなった顔を逸らし逃げるようにおいてきてしまっている相棒を取りに行く

自分の好みはもっと大人のはずだと言い聞かせながら



曲を弾き終わり一息つく部屋に訪れたのはジュリエッタだった


「失礼するぞ」


簡単な言葉とともにジュリエッタはアベルの私室にその身をいれるとふたりが向き合って座る横に立つ


「どうだった?」

「お主の予想どうりじゃ。あのようなお嬢様は初めて見たわ」

「そうか、今はどうされている?」

「ダイン殿とフリートで抑えておる。収まらぬようならジムがそちを呼びに来る」


アベルはそうかとだけ言葉を返すと腕をくんで少しだけ考える

キースはと言うとすでに失態を繰り返した身としては大人しくしておくことにしている

用意されてた紅茶をそっと口をつけ次の話を待つことにする


「次の指針を決めた。キース殿しばらく雇われてくれんか?」

「…」

「内容はしばらくの滞在だ。出かけるのも自由。むしろ運転手としてフリートを使ってもらっても構わない。ここで滞在し、時折、楽を奏でてもらえばいい。給金はこれくらいでどうだ?」


アベルは紙に書かれた数字を提示する

キースは視線をそれに移すと破格の数字がある

内容から言っても簡単な仕事だ

文句の付け所がない

仕事としては

残りは個人の感情だ

キースは感じる

この仕事を受ければ、少なくとも一つの根が伸びてしまうこと予感がしてしまう

どこにそんな要素があるのか考えても答えは出ない

そして、なにより、あんな仮面のような笑い方をする少女のそばにはいたくない

胸が締め付けられる気がする

それでも、断る理由が己の心一つというのは逆に断れない

そして、先に非礼をもってしまっている


「わかった。ただし、一つ条件をつけたい」



キースはアベルの案内でルナマリアの部屋の前に着く

中からは悲鳴のような鳴き声が聞こえる

アベルは小さくノックをしてからドアを開ける

中にはダインに羽交い締めされ手をフリートに抑えられているルナマリアがいた

キースは持っているギターを弾く

するとピクリとルナマリアが反応し、ダインとフリートはおもわず力が抜ける

キースは構わず弦を弾いて音楽を奏でながらルナマリアに近寄ると腰を下ろす

キースの条件は今すぐルナマリアにあわせてもらうこと

そして、自分の演奏にそれだけの価値が有るか己の目で確認させてもらうことだった

ルナマリアの瞳が揺れながらそれを見つめた


「今は、泣き止み、この曲を楽しむことだ。音楽は癒し。感じるままに聞くといい」


キースの言葉にルナマリアから力が抜けるとダインはその身をゆっくりと離した

フリートも倣う

ルナマリアは自由になった身を前のめりにかがめ這いつくばるようにしてキースのそばによると目を閉じた


「抑えずとも良いのです。私に教えてください。今、あなたはどんな気持ちですか?」

「……うれしい」

「では、そのまま聞いてください。私の拙い演奏ではありますが、あなたの癒しになるように力を尽くします」


ルナマリアは満面の笑を浮かべた

それはただ、音楽を聞いた時とは比べ物にならないほどの歓喜の笑だとその場にいた誰もが分かる

そして、再び目を閉じて音楽に集中する

キースは胸がざわついた

しかし、それを表には決して出さずに演奏を続けた

満足するまで引き続けるつもりはなかったが、ルナマリアがその身を揺らし、気絶するように寝入るまでキースは奏で続けた

いくつもの曲を



・・

・・・


「綺麗な音だ。こんなに心穏やかにいられたのは久方ぶりだ。礼を言わせてくれ。ありがとう」


少女の口からは少女らしからぬ言葉が漏れる

キースはそれに笑いが出そうになるが務めてそれを隠す


「いえいえ、良い休憩ができましたからな。これくらいなんてことありませんよ」


キースは微笑を浮かべて言葉を返す

こんなこと、一時のことでしかない

キースはわかっている

この時間が終わればルナマリアは再び孤独にひとり耐えねばならなくなることを


「いや、本当に感謝する。久かたにこのように穏やかになれた。一人ではないときのほうが短く、わずかな此の身。本当に嬉しかった」

「食事を持ってくるものがいると言っていたが」

「数人が交代で来るが、一人を除いて会話らし会話はしない。この服だって唯一私と話をしてくれるものが用意してくれたものだ。そうでなければ今頃裸だったかもしれん」


体の成長により来ていた服が着れなくなったのだろう

それほどルナマリアは一人でこの場所にいる

キースはらしくなく胸が締め付けられた

ここから出してやろうかと思わなくはないが、柵は壊せる自信はあっても鎖まではどうにもできない

鎖を切るほどのものは持ち合わせていないからだ

らしくない同情心を刺激されつつも叶えることができない己の無力さに嫌気が差しそうだった


「誰かいると思えば楽士ですかな?」

「ジーク!」

「?!」


キースは手を止めおもわず立ち上がった

旅をするにあたりそれなりに腕はある

そして気配にも敏感だ

己の武器は弓

離れていれば威嚇ぐらいはできそうだが

ジークと呼ばれた老体の間合いにいることをキースは悟る


「何もせんよ。ルナマリアよ。久しいな」

「あぁ、ずっと会ってなかったからな。会えて嬉しい。そうだ、キース、彼がこの服をくれた人だ。」


キースは警戒を解く

どうやら敵ではないと

ルナマリアの言葉もだが、ジークからは己に対して敵意が出ていないことをキースは感じ取る


「ジークじゃ。よっこい、ワシにもなにか聞かせてくれんか?」

「…仕方ありませんな。では失礼ながら」


そう言ってキースは再び腰を下ろし、曲を奏でる

滝の轟音の中に流麗な旋律がゆっくりと流れた



「いい楽士じゃ。機会があればまた聞きたいものじゃの。礼をしたいから少しばかり来てもらえるかの?」

「礼?」

「楽士に弾いてもらってただで返すようなことはできんよ」


どうやらこのご老体は彼女から俺を離したいらしいな

キースはとりあえず従うことにする

ルナマリアの寂しそうな顔が最期に見えたが、出会った時からこれは仕方がないことなのだ


洞窟の入口につくとジークは足をすぐに止めた

足元には持ってきただろう食べ物が見受けられた

果物ばかりだなとキースは喉元まで出た言葉を飲み込む


「あの子は生贄じゃ」

「…」

「単純な同情心だけなら立ち去ることじゃ。見つかればお前も無事ではない。」

「…」

「そうではないというなら、一時の癒しをもう少しの間与えてやってくれ」

「なぜあなたがそうしないのですか?」

「わしは、もう、戻れん。あの子に何かをしてやるほど綺麗ではないのじゃよ」


ジークはそう言うとキースの返事を待たずその場を後にした

キースは残されたものとして足元にある果物を抱え再び奥へと向かった

己のこれからの行動を考えながら

日に一度しか来ないなら食事係が今日はもう来ないことを感謝して




「っは!」


キースは飛び起きるようにしてその身を起こした

あたりは暗く窓から見える月明かりだけが部屋を照らしている

じっとりと汗をかいた額を左手で拭いあげ、ベッドから身を離す

近くに良いされている水差しから直接水をのみ外を見る

月が沈みかけている

反対の空は明るくなりかけている

夜型ではあるが、前日は寝ていなかったのでいつもより早い就寝のせいだと言いたいが起きたのはそれが理由ではないことはキースがよく理解している


「満月はすぎたばかりだろう…」


ポツリと漏らす言葉

幼い頃から何度も満月の晩に現れる、夢の中の少女

いつのまにか自分おほうが年を取ってしまった

覚えているのは自分がその時なにか弦を弾いて楽を奏でていることと、その少女が笑っていること


「アナーヒター(女神)」


いつからそう呼ぶようになったか

いつから満月の日は眠らず、会うことを避けるようになったか

もう覚えてもいない

月光のような髪を持つ彼女を月の女神と呼びだしたのも

自分で唯一会える方法を断ちながらも会えないことに苦しみを覚え出したのも

それでも夢で出会う彼女を喜ばせたくて始めた弦楽器

一番手を出しやすかったギターを独学で覚えても、いざとなると笑顔以外が向けられた時の方が恐ろしいと眠れなくなったもの

どうにもならないからと現実に居る女を幾人も抱いてきたが埋められない想いに気がついたのも

キースはもう昔としか思っていない


「俺のアナーヒターを超える人物は、未だに現れず…か」


いつもは少しでも欠ければ夢に出ない少女

予想外に出会えたことに喜ぶ心と、未だ夢に現れる少女に想いを寄せてしまう自分に愕然とする心がキースの中でせめぎ合う

それでも、わずかに歓喜の方が優っていることをキースはわかっている

女々しくも感じつつも、それ以上に嬉しいと感じる己の心を少しだけ笑ってキースは再び布団にはいる

どうせ見てしまったのだから、もう少しくらい彼女に会いたいと



本来すれ違うはずのなかった糸がすれ違ったために運命がすら近づけてしまったことにまだ彼は気がつかない



・・

・・・

キースはそれからも何度もルナマリアの元を訪れた

誰かが洞窟から出入りしたのを確認してから洞窟内に侵入し、いくつもの曲を奏でる

ルナマリアも馬鹿ではないのですぐに雨風をしのぐためではなく、自分を慰めるためにしていると察するがただ、礼を言うだけにとどめた

ジークに一時の癒しをと言われたからではなく

キース自身が癒したいと思ったからだが、それはルナマリアには言わない

ただ、時間が経つとともに二人の気持ちに変化が訪れる

諦めの境地で日々を過ごしていたルナマリアはいつまでもキースの奏でる曲を聴きたいと願い、連れ出して欲しいと思うようになっていた

キースもまた、月が一周するほどの期間しか持っていなかったが、ルナマリアの賛辞や、キラキラと向けられる眼差しに心地よさを覚え、連れ出したいと思うようになる


しかし、相手を思えばそれは互いに口に出せない

だが、キースは決断する

力ならある程度ある

道具と時期さえ見誤らなければと

だからまず道具を揃えるために一度、ルナマリアの元を離れることにした


「えっ行ってしまうのか?」

「ちょっと野暮用でしてな。なに、用事を済ませればまた戻ってきますよ」


あからさまにシュンとうなだれるルナマリアの頭をそっとなでるとキースは記憶を頼りに前回のいた村へと急ぐ

少しづつ村が発展しているところだった

帰りは蓄えていた残りで馬を買って戻ればすぐだとキースは決意を胸に出立した



「おぉ次の満月、こんどこそあの娘を捧げる。皆準備は良いな。不備があってはならん。あと二日しかないのだからな」


ギランは集まった信者たちに号令をかけていた

皆叫び声をあげて応えるが、その中でひとり、悲しげな視線をルナマリアの居る滝にジークは向けていた





「で、実験はどうなんだ?医師殿?」

「お主か、変わらんよ。やはり、お主の奏でる音楽がなければお嬢様はいつもと変わらぬ」

「もう、残りわずかだぜ?延長するかい?」

「頼めるか?」

「気が向けば?」

「自分から言い出しといてそれか」

「それとこれは別なんで」


キースは口元を緩ませる

面白い

糸口がないものほど見つけてみたくなるものだ


「じゃぁ、俺が動いてみますか」


キースはそう言うと入ってきたばかりのアベルの私室を後にした

向かう先はこの時間はアフタヌーンティーを庭の東屋で楽しむルナマリアの元だ

近寄ると従事していたジムが睨みを一瞬聞かせたがキースにそれは通じず、俺にもと言われてしまう始末だ

キースはルナマリアの目の前に座るといちおうルナマリアの許可を一言とって弦を弾いた

一音出すごとにルナマリアの表情が自然なものに変わっていく

最初は違いに戸惑いすら覚えるかと思ったが、キースはすぐにこっちが本当の笑顔なのだと素直に受け入れた

そして、そう思えば自然な笑顔をもっと出してやりたいと願うものだ


「お嬢様は、どんな曲がお好きですか?」

「好き嫌いはありません」

「ではこれから弾く曲と比べてどちらが好ましいか教えてください」


ルナマリアにとっては難しい課題

しかし、それがしなくてはいけないこと、望まれていることならばと少し頑張ることにする


一曲目はゆっくりとした優しい音楽

次に演奏されたのは少し暗く始まるが、最後は明るい曲


「一曲目の方が馴染みがあるように思います」

「では三曲目を弾きますので、同じく比べてみてください」


次に演奏されたのは軽快な音楽だった

聞いているだけで普通なら浮かれそうなほどだ


「はじめが好ましいように思います」

「そうですか、では最期に」


そう言ってキースはいつになく真剣な表情を浮かべた

変わらずそばにいたジムには最初の曲と何ら変わりはない

曲自体は違うが、速さ、リズム、音階

それも似たようなものだ


ガシャン


突然の陶器の割れる音にジムは慌ててルナマリアに視線を送ると腕を抱えるようにして体を小さくする姿が目に入る


「お嬢様!」


ジムは叫んで屈むと顔色を変えずに演奏を続けるキースを睨みつけた


「感情を抑えてはいけない。泣いてもいい。叫んでもいい。ここに貴方の行動を責める人はいない。むしろ俺はそれを望んでいる。」

「あっ、っぅあ」

「この曲が終わるまででいい。抑えるな」

「っあ、っ、だぁ」

「残りわずかだ。何を望む?言わねば叶えられないことをあなたはわかっている。だから閉口している。一度くらいは許されるものです。何を恐れてのぞみを抑えるのですか?教えてください」

「…っせたく…ない」


ドサリ


「お嬢様!」


ルナマリアはやっと口から言葉を出すとそのまま全身の力が抜けるようにして体を横に倒す

ジムが慌てて抱き起こすとその目元は涙が流れている

まだひと月といない人間にこれほど心動かされていることにジムは何とも言えない気持ちになる

今まで見たことない表情

聞いたことのない声

そして、今日、彼女の意思を聞いた

敗北感に似た感情がジムを包む


キースは立ち上がるとギターをかたらわに置き、えラムの腕からルナマリアを奪い取る

睨まれたがこのままルナマリアを寝かせるには忍びないだろうとため息を吐き出せば先を歩いて先導するところがジムのいいところだ

理性の強い人間だ

キースはそう思いながらルナマリアを抱えて部屋まで連れて行くと大人しく寝かせてすぐに部屋を出る

余計な火種は生みたくない


「まて!」


おい俺はいちおう客人対応のままのはずだが?

キースは言いかけてやめた

ジムの目には強い意思に似て非なるものがあったからだ


「さっき、お嬢様に何をした?!」

「お前も見ていただろう?曲を弾いいて、感想を言うように誘導していただけだ」

「嘘だ!」

「どうとでも、とりあえず俺は医師殿にこのことを報告してくる。お前も好きにしろ」


向き直っていた体を元に戻してキースはジムに軽く手を振り奥へと足を進める

ジムもわかっている

キースはギターを弾いいただけだと

そして、語りかけただけだと

それでも、認めたくなかった

いきなり現れた人物が自分の主人の心を一番動かしているという事実を簡単に認めるわけには行かなかった


キースは少しだけ引っ掛かりを覚えていた

この屋敷に止まるようになって毎晩現れるようになった少女

夢の中で何度もキースに賞賛の拍手を送る彼女とルナマリアが似ている気がした

だから思いつきで夢で奏でている音を真似て最期に弾いてみただけだった

あんな反応するのは予想外だ

反応があれば行動しようと思ってはいたが

予想をはるかに上回る反応に一瞬の躊躇を覚えたほどだ

それを少しも見せない己の面の皮の厚さに感謝する


アベルに今あったことを話すとキースはあてがわれた部屋へと倒れこむように入り、そのままベッドに上半身を預けるだけの形で床に座り込んだ

少しばかり気を張り詰めすぎたのがトドメだったのだろう

毎晩中途半端に目が覚めるので寝不足に近かった体は気の緩みから眠気を誘発した

キースは抵抗することをせず、今回は素直にそれを受け入れることにした

昼間の夢に彼女が出てきたことはない

それでも、もしかしたらと小さく期待をして、キースは目を閉じた


今は、会いたい

俺だけのアナーヒター



・・

・・・

「今宵は満月!しかも紅月!儀式にふさわしい。期は満ちた。皆の者、我らが神にかの者を捧げる時なのだ。何度となく訪れた満月は時期を待つかの如く雲に覆われて数年。やっとこの日が参ったのだ。火を灯せ祭壇を飾り、神に捧げものをするのだ」


祭祀ギランの声が響く

ジークはひとりついにこの日が来たと深く悲しいため息を落とした

ジークは後悔していた

少女の両親を殺め、できかけの村を焼いた日から

自分の信じていた神はなんと慈悲なきことを望むと

しかし、気が付いても遅い

すでに自分の手が血に塗れている事を誰よりも理解しているからこそ遅かった

神を言い訳にしていくつもの命を散らしてきた

こうなればもう老いとしの身としては最後まで付き合うしか道はない

盲目に信じていた若き頃が悔しく思える

かくなる上は全ての罪を背負って生きていくしか道はなしとジークは覚悟を決めていた

それでも、生贄として選ばれた少女の純粋な顔を見えれば決心も鈍りそうになり、つい甘い顔をしてしまう


「憎むならワシを恨んでくだされ、ルナマリア殿。許されようとはもう、思いませぬ」


ジークは小さく天上に大きく赤く輝く月を見ながら呟いた


ルナマリアは数年ぶりに外に出された

少女から女になりかけの体はすぐに女人の信者によって清められ白い質素な着物を着せられる

何事かと怯えつつもそのときが来てしまったことをルナマリアは悟る

しかし、ルナマリアが思い描くものとはかけ離れていることをこの時はまだ理解していない

ルナマリアは高貴で尊いかたに選ばれたとしか聞かされていないからだ

生贄にされると知らないルナマリアはそれでも選ばれたのだから、その人と記憶の中で仲睦まじい両親のようになれねばと覚悟を決める

しかし同時に胸が痛む

脳裏によぎるはすぐに戻ると言って行ったキースのこと

別れの挨拶もできなかった、また

自分はこういう運命なのかと思いつつ

尚且つ可能なら今すぐ、キースにさらわれていきたい

あの日、この人たちに突然さらわれてしまった日のように

今度は自分から望んでキースにさらわれたい

ルナマリアはそっとその思いを心に仕舞込みながらそれでも、願わずにいられなかった


ルナマリアは湖畔の一角に連れてこれれる

そこには用意された祭壇

奥には人がひとり乗れる小舟が用意されていた

ルナマリアはあたりを見回す

これから生涯を共にする人がそこにいると思ったからだ

しかし、それらしい人は見当たらない

同じようにフードを深くかぶり小さい火を持っている人間しかいないからだ


「よく来たな。あそこがお前の席だ」


ギランに言われて、ルナマリアは祭壇に足を進めた

ここで待っていればいいのか?

訪ねたいがそういう空気ではない


「これを」


フードをかぶった一人がルナマリアにそっと盃を手渡した

飲めということなのだろうか?

その後ろのギランが口角を上げている

そういうことなのだろうとルナマリアが盃を傾けた時だ


「飲むな!!」


叫び声とともにルナマリアの手から盃だけが飛んだ

何事かと飛んだ盃を見ればそこには一本の矢がある


「だれだ!神聖な儀式をなんと心得る!出てこい!」


ギランの荒れ狂う声が響く

そこにルナマリアが会いたいと願った人物が馬に乗って現れる


「間に合ってよかった」

「貴様!何をしたかわかっているのか!」


キースは周りにいる儀式の参加者を始めギランを無視してそのままルナマリアの下まで馬を使って移動するとルナマリアの服を引っ張って馬に乗せる


「うわ!」

「舌を噛まないように閉じておけ!あとは落ちるな!」


落ちるなと言われても荷物のように馬の背に腹を乗せる形で乗せられたルナマリアはどうやって?!とおもう


「儀式を邪魔するとは愚かな!皆の者このモノを捕らえるのだ!」


ギランは叫ぶ


「そう言われて簡単に捕まる奴はいないさ」


キースは巧みに馬を操り人を避け通る


「待ちなされ!」

「ジーク!」

「ようやったぞジークそのものを「これを持って行きなされ」ジーク裏切ったか!!逆賊め!!」


ジークから投げられた小袋をキースは右手で取る


「ここはわしが食い止めよう。行きなされ」

「…こんなことしてもあんたらの罪は消えないぜ」

「知っておる。最後の良心じゃ。させてくれ」


キースはそれを聞くと馬の腹を蹴った

ジークは死ぬ気なのだとわかったから


少し時を遡る

キースは剣を買える村にようやくたどり着いた

そのとき道中、土が焦げている箇所を何箇所か見ていた

火事かと思ったがとびとびのため昔のとつくことも想像できた

だから気にはしていなかったが、少しだけ引っ掛かりを覚えたため剣を購入した時に少し話をしてみたのだ

昔火事でもあったのかと

そこで初めて知った

小さな集落が点在しているとき、一つに統合する少し前

あの場所には数件の家があったことを

そして、そこには昼が夜になる日に生まれた娘がいることを

さらに、その子は周辺の集落からもしたわれる可愛らしく清らかな子であり、月光のような髪をしていたことを

キースはその先に不安を覚え、それが外れることはなかった

ある日、突然その集落から火の手が上がり全員が死んだと言われたのだ

村人は面白く噂をするように付け加えた

その日、馬に乗った集団が森から出て行ったものがいたらしいと

キースの中ですべてが繋がった

月光を集めたような髪を持つ少女

これはルナマリアのことだと

数ある会話の中で太陽が隠れて、昼に戻った時に生まれたと語っていたことから間違いないだろうと

両親にすら挨拶もせずに家を出て連れてこられたとも言っていた

死人に口なし

そりゃ子供を連れて行くと言われれば抵抗するし、証拠を消すなら全部を消したほうが簡単だ

そして、なによりジークが言っていた

ルナマリアは生贄だと

キースはさして吟味もせずに適当に剣と馬をそこで調達すると急いでルナマリアの元に戻ったのだ

キースからしたら急にそうはならないだが、向こうは違う

村人は言っていた

五年ほど前の出来事だと

いつ、その日が訪れてもおかしくない

キースはとにかく馬を急かすことしかできなかった



キースは途中でルナマリアを引き上げ直し自分の前に座らせると聞いてきたことをそのまま話した

これから両親に会えるかもという期待をさせることも残酷だからだ

その上でキースは自分の考えを言う


「俺とともに来い。お前の意思で、俺と旅をしないか?」


いきなり与えられた現実に頭がついていかなかったルナマリアは目を見開いた

幼い日、ともに遊んだ友も、自分に優しかった大好きな両親ももういない

孤独になる

その不安は訪れる前にキースはかき消してくれる


「私、思ったんだ。あそこに連れて行かれるとき、今度はキースが私をさらってくれたらいいのにって、誰かと父様と母様みたいになるならキースがいいって。だから一緒に行く。もう、私は自由だからな」


ルナマリアは強い意志を持って振り向いて答える

キースはそれにこくりと優しく笑いかけながら答えた


「ならお前はもう俺のだな」


キースはそう言ってルナマリアの額にくちづけをそっとする

もう少しは待つさと小さく言って


長距離を走ってきている馬はすでに限界に来ていたため乗り捨てることにする

そして森の中を月光を頼りに進んでいくとちょうど影になりそうなところを見つける


「あそこで少し休もう」


キースの提案にルナマリアは頷くことしかできない

追われているからと焦ってはいたが五年間も行動を制限されていた人間に山道は辛い

しかも、体力がほとんど失われている

キースの持っていたわずかばかりの水でルナマリアはホッと一息付いてキースのかたに身を預ける


肩にかかる重みが愛おしいと思いキースは今度はルナマリアのその月光を集めたと言われていた髪をひとすくいするとそっとキスを送った

ルナマリアは慌てて身を離す

その顔はリンゴのように赤い

キースはその顔を愛おしそうに目を細め今度は指のセでルナマリアの頬を撫でようとする

突然の甘い空気にルナマリアが硬直し、ふたちして追われていることを少し忘れた時だった

二人の顔の前を何かが通り過ぎキースは買ったばかりの剣を抜き立つとあたりを警戒した

わずかな油断が生んだ危機だった


赤い月が二人の行く末をただ見ていた





ドンドンドン


激しくドアを叩く音にキースは目を覚ます

窓に視線を向けると外は既にくらい

そう言えばもう秋かと思いながらうるさく鳴らされるドアに向かい開ける

そこには悲壮な表情を浮かべたジムがいた


「大変です。お嬢様が、お嬢様が」


キースはジムをとりあえず水を飲ませて落ち着かせて続きを促す


「お嬢様が見当たらないんです。あれから一時間置きに皆で交代しながら様子を見に行っていたんですが、先ほどフリートが様子を見に行くと部屋がもぬけの殻で…今、全員で近隣を探しています。キース様もよろしければご協力を!」


キースはジムの言葉に動きを止めた

思考までも止まってしまいそうなのをなんとか言葉を反芻することで動かす

ルナマリアがいなくなった?


「防犯カメラで今確認しました。三十分ほど前にお嬢様が一人で外に出られた様です。誘拐の線は薄いです」


キースはそこまで聞くとジムを突き飛ばすようにして外に出た

宛はない

しかしそのまま駆け出す

外には夢に出てきたような季節はずれの赤い月

あの少女を失ってはいけない

失わせないでくれと心が叫ぶ

しばらくして先見であるダインとアベルが見つかった

アベルは近隣の地図を見ている

キースはそれを見せてもらうことにする


「そなたも来たのか」

「あぁ、先ほどのこともあるしな。このままでは目覚めが悪い」

「今、ジンジャーがこのあたりを、フリートがこのあたり、ジュリエッタがこのあたりを探している。ジムにはお嬢様が戻られたときのために屋敷に残ってもらっているが、ダインは今からこっちを頼む。キース殿は…」

「俺はこのあたりを探す」


現状と指示を出している指揮官アベルの言葉を遮りキースは地図を指差す

そこはダムの近くだった


「俺なら音に敏い。万が一に早く反応できる」

「わかった。頼もう。では俺はこっちだ。何かあれば屋敷にいるジムに連絡をとってくれ。ジムが中継となり残りのメンバーに連絡を入れることになっている」

「わかった。キース殿。お嬢様を頼むぞ」

「…いないことを願うよ」


水場だしなとキースは小さく付け加え、自分の嫌な予感が外れていることも期待して誰よりも少女を心配しているだろう執事に返事をする

キースは頭の中に地図を広げて走った

アベルに見せられた地図ではダムはそう遠くない

近道、と森を抜けようかと思ったが急がば回れだ

舗装された道路を全力で走る

頭をよぎるは眠る少し前のことさきほど見た夢

自分の行動がこうさせたのかと思わずにいられない

少しの誘導のつもりだった

それでも彼女にとっては特別だったのだろう

少しでも己を取り戻す手助けぐらいの想いと

誰もが遠慮して見つけられないでいる突破口を見つけ出したい欲求と

自分の出す音色だけがルナマリアの心を動かすという優越感

それらが合わさっての行動

キースは少しだけ悔いていた

短慮だったと

そして、夢を思い出していた

いつもとは少し違う夢

少女を救う夢

続きがあった気がしなくもないが、ジムが鳴らしたドアの音でそのへんはもう曖昧だ

彼女がいた湖

そこから森に連れ出し逃げた夢

いつもと違う格好の少女

余韻になど浸れる余裕はない

思い返して美しさに浸りたかった

同時に思い出せば、なぜかルナマリアのことがよぎるのでそれは無理だとすぐに判断する


「アナーヒター…!」


キースは息を切らあしながら自分が想う少女を呼ぶ

どうかルナマリアを無事に見つけられるようにと

神に祈るように


ダム湖が見え出したときキースは舌打ちをした

湖のほとりに目的の人物を見つけたのだ

ゆっくりと前に進み今にも足はダム湖にたどり着きそうだ

連絡の二文字が頭をよぎるが、そんなことよりも捕まえなくてはとキースはガードレールを飛び越え山肌を滑るように降りる

しかし、季節は秋

落ちたばかりの葉に足を取られキースは体勢を維持できずにそのまま転がる

なんとか体を丸めるが、下にたどり着く前に木に転がり勢いのついた背を思いっきり打ち付ける


「っは!」


痛さに、息苦しさに

おもわず意識が空を舞った



****

ダメだ

このままじゃダメだ

また間違えてしまう

もう嫌なんだ

私のせいで誰かが死ぬのは

お願いだ

私はちゃんと役割を果たすから

だから

もう、誰も、殺さないで


・・

・・・

ルナマリアとキースの間を通ったのは一本の矢だった

キースはあたりを目だけを動かし確認する

囲まれている

こうなる前になぜ気がつかなかったのだろうか

すでに馬もない

こんなところで命を捨てるつもりは毛頭ないが

同時にルナマリアを渡すつもりもない

生き逃げるための作戦をいくつも組み立てる

ルナマリアは突然目の前に現れた矢に驚き、さらに立ち上がったキースにすがるように視線を送る

自分が、自分たちが絶体絶命の中にいることを理解するのは難しくなかった

そこにギランが現れる


「手間をかけさせおって、そやつを渡せ、さすれば神より慈悲がもたらされるだろう」

「…あんたが言う地獄から天国へ昇格するかしないかってだけだろ?悪いが、俺はそんなのゴメンだ」

「救えん奴よ。皆の者かかれ!」


周りにあった気配が一斉に動くのが分かる

キースは流れるように、舞うように手にしたばかりの剣を振るう

一番得意なのはやはり付き合いの長い弓だ

しかし、剣に覚えがないわけではないとキースは相手を一刀していく

後ろにいるルナマリアのことを気にしながら

普通なら大きな隙になるだろうそれは技量の差なのかハンデにはならなかった

しかし、多勢に無勢

たった一人で剣を振るい続けることは難しい

キースは一つの考えを実行することにした

勢いよく大きく剣を払うとそのままルナマリアの手を取り一気に走る

その先にいるのは馬だ

馬上からの攻撃はなかったが、ここまでの移動に数人は馬を使っていたらしくギランの後ろには数頭の馬が居るのをキースはしっかりと見つけていた

キースは剣を握る手を大きく横殴りに振るいギランに斬りかかると、ギランは驚き尻餅をつく

その隙にキースは後ろの一番近い馬にルナマリアを抱え上げだ


ドン


重く一点を付く痛みがキースの背を着く

キースはそれが何かわかってしまう

理解すれば自分がどうすることが一番か、想像に難しくない


「行け!!」

「えっ?ちょ、キース?!」


キースは馬につながっていたロープを一頭するとそのままルナマリアを乗せた馬の尻を叩いて走らせた

ルナマリアが慌てて叫んだが走り出した馬を止める術など知らないルナマリアはそのままキースからどんどん離される

キースは小さく生きろとだけ呟く

幸い、背に刺さった矢には毒がないようだった

それを引き抜くことはしない

このまま切り捨てる

全員

キースは鬼神の如く駆け出した

流れるような洗練された動き

舞のような美しさを変えず

それでも、ここで己が倒れれば後がないことだけを自覚して

剣が折れてしまえば地面に転がるすでに振い手を失った剣を拾って

囲まれてもひるまず

己の技能を最大限に引き出し

ひとり、また一人とキースは切り捨てる

そして、最後の一人を倒したときキースは同時に腹部に大きな傷を負い、相手が倒れたのを見届けると己も膝をついた

早くルナマリアを追いかけよう、

そう思ってなんとか立ち上がった時にキースは初めて気が付く

ギランがいないことに

一気に血の気が引いたキースは傷を気にせず立ち上がると、まだ残っていた馬に飛び乗り来た道を引き返した


間に合え、間に合ってくれ

ルナマリア


ルナマリアは捕まっていた

あのあとすぐにおってきた数人とギランによって拘束されていた

か弱く体力すら限界に等しくなっていたルナマリアを捉えることはギランらにとって赤子の手をひねるも同じだ

馬から引きずり落とされ、両脇を二人の男に固められ、腕を一本ずつ拘束されて、ルナマリアにできる唯一の抵抗はもう、睨みつけることだけだった

しかし、ギランらにそれは通じない

痛くも痒くもないと適当にあしらわれると縛られて再び馬上に荷物のように載せられる

舌を噛まぬようにと猿轡までされルナマリアはキースから教えられた真実を思い出し奥歯を噛み締めた


こんな人に私の両親は、友人は殺されていた

こんな人に私は大人しく従っていた

こんな人に、私は、何もできない


ルナマリアの瞳からはいくつもの涙がこぼれ落ちていった


再び祭壇に運ばれたルナマリアはそれでもと必死に身を動かし抵抗する

思い通りになんかさせない

させるものかと最後まで戦う意志を持つ


しかし、祭壇からなんとか上半身を抜け出し、地面の下まで這ったときにルナマリアは目を見開く

眼下にあったのは血の海に転がるジークの物言わぬ姿だった


「愚かな奴であろう」


ルナマリアの頭上からギランの声が落ちる


「お前が生きたいと願うからと惑わされおって」


私が生きたいと願ったからジークは死んだ…


「お前の両親もお前を産まねば、昼を夜に変えた日にお前を産まねば今頃生きておったというのに」


私が生まれたから、父様と母様は死んだ…

あの日に私が生まれたせいで


「お前が戻りたいと泣かなければ、集落を焼くこともなかったというのに」


私のわがままでみんなが…死んだ


「あの男も、お前が逃げたり、望まねば、無駄に命を散らすことはなかったはずだというのに」


私が一緒に行きたいと願ったからキースも…

逃げなかったらキースは…


ギランは考えを変えた

従順に従わせるためにあえて真実は隠した

ギランにとって後ろめたいことではなくともそうした方が少女ルナマリアはきっと従順だという周りの言葉を受けて

あえて隠すということにしたのだ

しかし、睨まれた時に悟った

知られてなと

ならばギランからしたら全てはめんどうをかけたルナマリアのせいなのだからそのまま真実をさらに教えてやることにしたのだ


ルナマリアの瞳から輝きは失われていく

己のせいで大切な人達がいなくなったということはルナマリアでなくとも受け入れがたいことだ

まだ、大人になりきれていな、子供の頃から一人隔離され、成長を止められた人間ならなおさらに

キースに出会うまで唯一の慰めとなっていた者の衝撃的な姿にルナマリアの思考は悪い方へと簡単に傾き、受け入れていく


動きを止めたルナマリアにギランは今度こそと猿轡を外し、盃を口に押し付け無理やり飲ませた

いきなりのことで吐き出すことすら思いつかずルナマリアは何度か喉を鳴らす

ギランはそれに満足そうに口角を上げるとそばにいた従者にルナマリアの身を預ける

ルナマリアは体に力が入らなかった

祭壇の奥の小舟にその身を寝かされても指一本動かせる気はしない

全身が鉛のように重く、痺れている

そして、数人が小舟を取り囲むと小舟にルナマリアの来ている服を船に縫い付けるようにして杭を打つ

そんなことすれば小舟が隙間から浸水することくらいルナマリアも知っている

恐ろしさに身が震えそうだった

まさか、まさかと思いたい

しかし、時間は経つごとにまさかは現実だと理解する


絶望するルナマリアの光を失った瞳にギランが映る


「なんじゃ、まだわからんのか?お前が自我で行動しようとすればするほどに周りが巻き込まれるのだぞ、それでも今宵、我らが神の元に行けることに感謝こそしなければならん」


感謝するようなことならお前が変われとキースなら言ってくれるかな?

ルナマリアは涙を流しながら想う


「なにより、お前がここで逃げ出せばあまたの人間が苦しむ事になる。いや、もうすでに遅いかもしれんな。もう数多くの人間が苦しみ、命を落としているやもしれん。あの青年のようにな」


ルナマリアの心にトドメが入った

キースは私のせいで

私が逃げたから

逃げたいと思っていたから

この人たちのいうことを聞かないでいたから

知らないままなら、数多に入れられただけかもしれない

出会ってしまったから、命まで失うことになってしまった

最期に見たキースの姿を思い出す

背に一本の矢を受けながら多くの人に一人向かっていったキース

助かると楽観できるわけがない


ごめんなさい


ルナマリアは動かない口でそっとキースに誤ると瞳を閉ざした

その双眼からは涙が流れることはない

もう、涙を流すほどの心は残っていなかった


ルナマリアはハッとした

背に冷たいものが感じたからだ

それが湖の水だと気がつくのに時間はいらない

いつの間にか湖に流されていたらしい


このまま、自分は沈んでいく

もう一度、キース奏でる音が聞きたかった

もっと耳に残せば良かった

でも、あなたは私に出会ってしまったせいで…

ごめんなさい

もう望まない

私はもう自分のことを望まない

だから、だから

……さようなら


ルナマリアが別れを思うとちょうど顔が水面に覆われた

苦しい

生きたまま捧げるから生贄

これが今の自分に与えられた罰なのだとルナマリアは必死に耐えてから体の空気を吐き出し意識を手放した

手放す瞬間に思うのはキースのこと

会いたいとつい願った自分にさらに絶望を重ねた

もう望まないと決めたはずなのに

ごめんなさいと湖に想いを溶かしながら

ルナマリアは一瞬だけ瞳に水面の向こうにある赤く大きな月を見た

血のように赤い月はルナマリアの罪を許さないと言っているようにかんじた


キースはなんとか祭壇にたどり着くとそこには歓喜に沸く集団が居る

そして、目の前の湖は赤い月を映した部分から赤く血のように染まっていく

直感する

儀式は行われた

間に合わなかったと

キースは怒りに任せて剣を振るった自分の腹部から流れる血を気にせずに

そして最期にギランの顔に剣をつきたて絶命させると数歩、湖に近づき力尽きる


ずっと孤独だった

それを嫌だと思ったことはない

むしろ動きやすいし楽だと思ってきた

子供の頃は大人が勝手に親切にしてきた

それを利用して生きていた

体が大きくなれば女が勝手に世話を焼いた

一人で基本的には生きていたから、楽士をして生計をたてて、時折り、気まぐれに好意に乗ってやって

そうして生きてきた

それなのに、初めて離れがたいと思った相手

旅の間に必然的に身につけた技術でも足りずに守れなかった、手放してしまった少女

もし、来世があるなら


「今度こそ、俺は…」


呟いて、キースは目をとじた

キースから流れる血と赤く染まった湖の水がわずかに触れて、交わった




キースは咳き込んで起き上がる

一瞬意識は飛んだ

同時に思い出した

あれは前世というやつだろうか…

とキースは思う

同時にすべてが納得がいく


これは必然の出会い

そして、これ故にルナマリアは今に至るのかもしれない

ならば、これを良くも悪くも変えられるのは自分だけ


キースはそう思うと痛む背をかばうことをせずに再び山肌をすべる

今度は少しだけ慎重に降りる

もう一秒も無駄にしたくない


降りきる少し前にキースはルナマリアの姿を捉える

すでに腰まで水に使っている


ヤバイ


キースは残り数メートルを駆け下り、そのままバシャバシャと水の中を音をたてて進む


「ルナマリア!!」


キースは叫ぶ

しかし、ルナマリアは動きを変えない

一歩、また一歩とその身を沈めるために進む


「聞こえないのか?!クソ!」


キースは悪態をつきながらも冷たい水をかき分けて必死にルナマリアに追いつくとそのまま後ろから抱きしめた


「行くな。もう、生贄などならなくていいんだ。お前は自由になったんだ」

「…」

「頼む、生きてくれ、愛してるんだ。お前をもう、失いたくない」

「…」

「…頼む、ルナマリア、俺を見てくれ」


ルナマリアの首がゆっくりとキースに向き直る


「キース?」

「あぁそうだ、俺だ」

「生きてる」

「当たり前だ」

「だって、私がわがままを言ったから、…だからみんな…だから、私…」


キースは思い出したからこそ理解した

ルナマリアは断片的に覚えていたのだろう

悲しい記憶だけを覚えていたんだと

同時に現実と過去が区別がつかなくなっていたのだと

奇しくもアノ日と同じ赤い月

余計に混乱させている

キースはルナマリアの体を自分に反転させる


「あれは君のせいじゃない。悪いのは祭司だ。あいつが全部悪い」

「でも、」

「だから、俺たちはまた出会えたんだ」


キースはそう言うとルナマリアの額にキスを送る

あの時と同じ場所に

ルナマリアは目を見開く


私はこの優しさを知っている

まるで真綿に包まれるみたい

心がとかされていくみたいだ


「今度こそ、共に生きよう。あの時は叶えられなかったが、今度こそ、叶えよう」

「キース…」

「愛している、俺のアナーヒター」

「うっあう、っあ」

「堪えなくていい。今までよく頑張ったよ。だから、もういいんだ、もう、抑えなくていい」


ルナマリアは声を上げて泣いた

生まれて二度目の涙

抑え続けた感情が溢れていく

キースは優しく包み込むようにただ抱きしめる

吹き抜ける風が体温を奪っていったが、それはあまりに些細に感じるほど、それ以上に二人の心は温かくなっていた


キースは泣きつかれて眠ってしまったルナマリアを横抱きにすると屋敷へと足を進めた

少し寒く感じる時期なだけに急いで彼女を屋敷に連れて行きたかったが、自分のスマホは流石にショートしていた

歩いて帰るしかない

道中キースはこれからを考える

ルナマリアはそれなりの家の娘として生まれていた

今の自分は駆け出しの作曲家

望む形は少しばかり険しい道になりそうなのは簡単に分かる

しかし、のぞみはある

ルナマリアはまだ十四歳

時間はある

自分の努力次第でなんとかなるかも知れない

早ければ二年で形にしてみせるとキースは誓う


「あと少しだけ待っていてくれ、俺の、俺だけの愛しいアナーヒター」




屋敷につく少し前に一度屋敷に戻っていたフリートにキースは発見されすぐに情報伝達が行われた

何があったのか聞かれたが、キースは答えなかった

前世と言われてもどうせ信じないないだろう

なら汚されないように二人の秘密にしてしまいたかった


翌日、二人は風邪をひくことなく朝を迎えた

あれだけ冷えたから覚悟をしていたのだがキースは肩透かしを食らった気分だ

同時に屋敷に嬉しい悲鳴が上がる

それはキースには理由はわかっていた

ルナマリアが自分の意志を話したと

食欲がないと本来心配を向けるべき言葉

しかし、イエスしかいつも言わない少女が自分のことを主張したのだ

キースは小さく笑って帰り支度をした

もう、動き出した

時間はいくらあっても足りない

一分一秒を無駄にしたくない

その日の昼過ぎには契約を破棄するとすぐにキースは屋敷を出た

ルナマリアにはアベル経由で「また」とだけ伝えて




三年後

ルナマリアは社交の場にいた

洗練された薄い翡翠色のドレスを身にまとい

横には変わらずダインを連れて

感情を表に少しずつだが出しだしたルナマリアは親との関係を修復した

高校からは両親と弟の暮らす家から通っている

今日は友人に誘われて、新星のオペラ監督兼作曲家の公演を見に来ていた

友人であるエトワールはこういう場を苦手としており、付いてきてほしいと頼まれたのだ

海外を始め、すでに三作目となるこのオペラ監督の作品はどれも評価が高く、まだ若く、その容姿も美しいという評判から若い女性に特に人気が高い


舞台はよくある恋愛喜劇

ルナマリアは作法を守って魅入った

それまでの公演もそうだったと噂だが、ルナマリアが見た公演も終わるとみな立ち上がり大きく拍手を送る

役者もさる事ながら、監督が作曲したという曲はどれも素晴らしいものだった

一つ一つが胸を打つようだったとルナマリアは思う


公演が終わり、支援企業の娘として観覧をしたエトワールとともに監督に挨拶に向かい、ルナマリアは目を見開いた

そこには会いたかった人がいた

相手も気が付くと優しく目を細めると両手を広げてルナマリアを呼ぶ


「お待たせしました。俺のアナーヒター」

「キース…」

「あなたを攫う準備が出来ましたよ。俺にさらわれてくれますか?」


ルナマリアは友人の目を気にせずその胸に飛び込むと何度も涙をこぼしながらうなづいた

もう離さないでとヒシと抱きついて


キースももう離さないと優しく、そして強く抱きしめた


その日は天上に赤い月が再び輝いていた

それはただ二人を見守り続け、今まさに祝福を送るようにいつもより明るく光を放って


自己満足作品でした

読んでいただき、ありがとうございます

前作シリーズの前身になった作品だったので、、、

あっちは完全異世界にしたけど


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