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第三話・赤の欺瞞者(下)


「あら、リフィアじゃない」


 聞き憶えのある声が飛んできた。年齢不詳の金髪の美女がこっちにやってくる。ライクィレーハだ。普段の彼女は後方空域で早期警戒の任務に就いている。真竜の中でも年長組に属するライクィレーハは誇張なしの千里眼の持ち主で、周囲一〇〇〇マイル以上に渡って感知を巡らすことが可能だ。

 敬礼する私とベルグリューンに対し、ライクィレーハは穏やかに微笑んで答礼する。将官ではなくなったが、彼女が連合軍最高幹部のひとりである隠然たる事実は変わらないし、真竜にとっても敬意を払うべき先輩であった。


 前線務めでないといっても、もしライクィレーハがその気になれば国の二、三は簡単に蒸発――比喩的な意味ではなく――する。どうすれば怒るか見当もつかないほど鷹揚な性格だが、彼女の機嫌を損ねることにあえて挑戦しようと思うものはいまい。


「長老たちの方針はまとまっているのですか?」


 ベルグリューンが尋ねると、ライクィレーハはすこしだけ考え深げな表情になった。


「だいたいのところは。でも、新興派をないがしろにして話を進めるべきではないという意見もあるわね。彼らもいずれかの枝族と縁を結ぶべきだと」

「彼らはふるい秩序を嫌うでしょう」

「新興派は商人として有能なのだから、利害得失の計算はできるだろうとわたしたちは見ているわ。問題は、進んで彼らを引き受けたがる枝族がいないことね。なにかと口うるさい傘下者クリエンテスになるでしょうから」

「彼らが利得で動いているなら、もっと早く真竜族となんらかの関係を結んでいたのでは? 売り惜しみをしてみせても、我々はをあげたりはしないのですから」


 私もベルグリューンの指摘はもっともだと思った。これまで機会がなかったわけでもないのに、新興派の死の商人たちは真竜のどの枝族の庇護下にも入ろうとしていなかった。べつだん、特定の種族・枝族と友誼を結んだとしても、ほかと疎遠になって商売に差し支える、というようなことにはならない。

 やはり、彼らには明確なアンチドラゴンの意思があるのだろうか。


「会議を紛糾させないようにしないといけないわね。わたしたち北部連合ノーザンユニオンは内部に軋轢あつれきを抱えているのだなどという、誤った印象を発信してはならないのだから」


 ライクィレーハの言は、いみじくも今日の会議の性質を現していた。あくまで政治的デモンストレーションなのであって、利害を超克した道義を追求するための場ではない。もちろん、私もそんな子供じみた期待をしているわけではないが。

 そろそろ会議のはじまる時刻だ。


「――では、わたしたちは出席してきます。警備をお願いしますね、大尉」


 冗談じみた口調でそういったベルグリューンへ、


「こんな真竜だらけの中に、のこのこ侵入してくる工作員がいるなら見てみたいもんね」


 と、やる気の欠片もない返答をして、議場へ向かうふたりを見送った。私の役目に儀仗以上の意味はない。ここでなんらかの工作を行いうる余地などないのだ。ライクィレーハあたりは、本来の姿でないいまの状態でも、島内にいるもの全員の現在位置と正体を把握しているだろう。私は時間まで突っ立っていればいいのだ。

 現に警備陣は、私のほかには、もともとリゾート地としてのこの島の保安要員なのだろう数名しかいない。そもそも必要のない役なのであって、傭兵協会マーセナリーズは南北両陣営から信頼を受けているのだという喧伝のための形式だったのだ。


 私ひとりでは傭兵協会の不参加を糊塗する効果はまるでない。協会に加入していない完全フリーの傭兵は、数すくないといってもまったく集められないほどではないはずだ。本当にベルグリューンが無関係ならば、私はここにいる必要などないのではないか。

 ……こんな、余計なことを考える暇のある任務ははじめてだ。地上勤務はやりたくないな、と、ぼんやり思う。

 ぼさっとしていたせいもあったか、かけられてきた声は完全に不意打ちだった。


「これはまた、意外なところで遭ったな」


 驚きを表に出さないようにしつつ、そちらをみると、赤銅色の髪と太い眉に鋭い金色の双眸、彫りの深い厳つい面立ちの、堂々たる体躯の大男が立っていた。着ている軍服は南部同盟サウザンリーガのものだ。まずまちがいなく真竜だろう。さすがに人間相手なら、この距離まで近づかれる前に気配でわかる。


「もう会議のはじまる時間ですが」


 とりあえず無難な科白を選んだつもりだったが、返答はにべもないものだった。


「吾は出席せぬ。その老耄おいぼれを運んできただけだ」


 そういって、赤髪の竜はあごをしゃくった。すこし離れたところに、同盟軍の高級士官衣をまとった老人の姿が目にとまる。階級は中将だろうか。痩身をぴんと伸ばし、狷介そうな目をしている、いかにも参謀といった感じ。


「なにをしておる。お主に用がなくとも儂は会議に出ねばならんのだ。そんな小娘に構っている場合か」


 老人の物いいには引っかかるものがあったが、しかしごもっともだ。私にかかわらないでさっさと行ってほしい。

 だが赤髪の竜のほうは人間二名の内心を察するつもりなどないようだ。


「勝手に行け。いずれの勢力も、ここにまで刺客を放つような真似はできん」

「お主のその慢心がウィルバーを殺したのだ。儂の息子を」


 単なる糾弾ではない、行き場のない痛切さを内包した老人の口調であったが、酷薄にも竜は鼻で笑った。


「ふん、ドラグーンが死ぬのは、ただ己の非才のほかにゆえはない。騎竜諸共に散ったのであれば、相手が悪かった、運のなきことともいえようが、このとおり、吾は生きている」

「きさま……。よいか、ウィルバーを殺した竜でも、ドラグーンでも、見かけたらかならず知らせるのだ。この会議にきている可能性がある」

「その老先の知れた身を滅ぼしたいのなら、自分で動くことだ。吾の不覚で真竜使ドラグーンを死なせたというならともかく、敵の外法となんじの子息の未熟が原因。吾の関知するところではない」

「協定違反の業を用いた相手を、きさまはむざむざ取り逃がしたのだろう。なぜその場で討たなかった。本来なら、息子の復仇をなすまで帰参を禁じることもで――」

「嵩にかかるのもそのくらいにしておけ、バーゼイス」


 老人の舌が動きをとめた。可聴域のぎりぎり下限、ほとんどささやくような声だったが、竜はほんのわずかな語気で人間の魂を凍りつかせてしまえる。怒っているわけではない。ただ、老人の僭上をたしなめただけのことだ。それにもかかわらず、脇で聞いているだけの私まで背筋が粟立つのを感じる。迷惑ないい争いだ。よそでやってもらいたい。


 赤髪の竜は穏やかな調子で、つづける。


「爾にしろ、爾の子息にしろ、吾の契約主であったことはない。契約主たっての頼みであったゆえ背を貸したが、本来であれば真竜の鞍というのは貸し借りするようなものではないのだ。契約主にも今後は弁えてもらわねばならぬが」

「ウィルバーを殺した相手を見つけたらしらせてくれ。協定違反を訴える」


 バーゼイス中将は、それだけいい残して議場のほうへ歩いていった。しかし、竜は動こうとしない。まだ私に用があるのか。こちらにはこれといって身に覚えがないのだが――いや、思い出した。


「あなたは、あのときの赤竜……」

「やっと気がついたか」

「なぜ、こちらの違反行為を告発しないの?」


 ベルグリューンと私は、以前この竜と戦ったことがあった。真竜の強さは基本的にけみした歳月に比例する。ベルグリューンはまだ生まれて一世紀経っていないが、この赤竜はおそらく四、五百歳だろう。名前はいま知ったばかりだが、ウィルバー=バーゼイスが借りてきた真竜に乗っただけの、にわかドラグーンだとは思っていなかった。実力はたしかだった。


 ゆえにまともに戦っても勝てなかった。すくなくとも私は死んでいたはずだ。ベルグリューンは手段を選ばなかったが、赤竜のほうは戦いに対して淡白で、なりふり構わぬというような姿勢は最後まで見せなかった。乗っていたのが正式な契約者ではなかったからなのか。

 赤竜が口の端に笑みを浮かべた。爽やかとはいいがたい表情だ。


「吾が名を聞けば理由が思いあたるかもしれんぞ」

「あなたの名?」

「憶えがあるはずだ、ローパクトの娘よ。ヴァリグナットの名に」

「欺瞞者ヴァリグナット……あなたが」


 たしかに憶えのある名だった。私の父が最後に飛んだ日、その作戦が実行されるきっかけとなった、詐りの情報をもたらした竜の名だ。しかし戦争犯罪者として訴追対象にはなっていない。証拠が不充分であるからだとも、協定違反であるとは断定し難いからだともいわれている。真竜が非真竜に対して意図的に詐術を働くことは禁じられているが、調略ちょうりゃくそのものが規制されているわけではないし、そもそも諜報戦に法的な網をかけようなどという発想自体がナンセンスだ。


 とはいえ、真竜のあいだでも裏切りものがいとわれるのは変わりない。ドラゴンは計略を重んじるが、知恵比べで完結しない、謀殺、騙し討ちの類いは下と見られている。


「知っておれば、あのとき逃がしたりはしなかったのだがな」


 惜しかったとでもいいたげなヴァリグナットの顔だった。私がリフィア=ローパクトだとわかっていたら、ウィルバーがどうなろうがこちらが死ぬまで戦いをやめなかったということか。

 だが誇りを持たない卑劣な輩というわけではないようだ。ここまでの短いやりとりだけでも、それはわかる。


「なぜ汚名を着てまで謀略に手を染めたの? 私の父はたしかに偉大なドラグーンだった。でも、あなたは父を狙ったわけではないでしょう。さすがにそこまでされるほどすごい人だったとは、実の父ながら思えない」

「事情をなんじが知っても詮なきことだ。もちろん、わざわざはかってまで爾の父を狙ったのではない。結果としては大きな取り落としになったが。吾はあの場へ直接出向くことができなかったのだ。ためにあの若造がローパクトの騎竜であったことも、娘の爾がそのままあやつに乗っていたことも知らなんだ。もっとも、あのとき顔を合わせていたら、先日に出遭わした際に、あの若造は爾の身など顧みもせずに突っかかってきただろうが」


 若造、というのはベルグリューンのことのようだ。それにしても、ずいぶんと懇切丁寧な説明ではないか。動機と目的はさっぱりわからないけれども。


「私の父は巻き込まれただけだけど、私自身は狙ってるってわけ?」

「まあ、そういうことになるな」


 ヴァリグナットはあっさりとうなずいた。ずいぶん迷惑な話だ。しかし本気の現れでもあるだろう。詐術や計略は抜きで私の生命をりにくるということだ。ここまでの話がすべて大嘘で、これまた策謀の一部なのだとしたら完全にお手あげだが、私はそこまでしなければならないような重大な獲物ではない。

 私は間接的な対象であって、真の狙いはベルグリューンというのが相場だろうか。


「殺すだけなら、この場でやってしまうのが一番早いんじゃないの」

「自分でわかっておるだろう。そこまでするほどの価値はない、爾には。中立区域で真竜が人を殺して、ただですむわけはない。この会話を聴いているものもあろうしな。今度は空で遭おう」


 不遜な笑みを残して、ヴァリグナットは背を向けた。

 厄介な相手に目をつけられてしまったものだ。彼の正式な契約者がどの程度の腕前かはわからないし、つぎに遭遇するときもまたウィルバーのような立場の騎手が乗ってくるかもしれないが、正直なところベルグリューンと私ではかなり分が悪い。


 赤銅カッパードラゴン重銀タングステンドラゴンに比べれば枝ふたつぶん源祖プライマリから遠いとはいえ、鱗の色よりも年の功の差のほうが大きい。真竜の中でも源祖に近い、白金プラティナム竜、金剛石ダイアモンド竜、闇紫ヴァイオレット竜などと、アイアン竜や蛍石フローライト竜、黄色ゾルター竜のような最下級の真竜を比べても、年齢に二倍の開きがあれば、枝族として格が上であっても実力差は覆せないものだ。


 ヴァリグナットはたぶん四、五百歳、若く見積もっても三百歳を越しているだろう。ベルグリューンの三倍以上だ。年嵩の竜に訊けばヴァリグナットの正確な年齢くらいわかるだろうが、それを知って彼が弱くなるわけではない。


 前回の戦いは、ヴァリグナットが協定違反を辞さずにきていれば、どう足掻いてもこちらに生存の目はなかった。ベルグリューンはここしばらくのあいだにいろいろと面白い技のレパートリーを増やしているので、いまなら逃げ切ることくらいはできるかもしれないが。


 ――とまで考えたところで、ベルグリューンはヴァリグナットの存在とその狙いに勘づいていたのだということに、いまさら私は思いいたった。食って寝ているだけでどんどん強大になっていくので、基本的にドラゴンは努力をしたりしない。しかしベルグリューンは短期間であきらかに成長していた。


 いっぽう私のほうはといえば、上役の立場で忙しくなったことを言訳に、技量の維持だけで満足していた。なんたる無精だろう。空戦騎規制条約の是非や講和の可能性について論じている場合などではなかったのだ。


 私は飛ぶのが好きだ。ベルグリューンとともに空を舞うことが。その条件として戦う必要があるのなら、ためらいなどしない。

 今日の会議の結果について、思い煩う必要はなくなっていた。どちらに転んでも、私のなすべきことに変わりはないのだから。


ドラゴンがあっさり人型形態になると冷める!

……というご意見が一部には存在するそうです。まあ、なんとなくわからないでもありませんが。

この世界の場合、ドラゴンが人型に化けてるんじゃなく、人間はじめとする二足歩行知的生体が竜の源祖の別形態に似た姿に進化した、ということにすぎません。神は自らの似姿をヒトとしてお創りになった、というやつですね。この世界においては神たる源祖竜そのものではなく、アヴァター《化身》である天使の姿というわけです。

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