第七話・竜踊る穹窿の涯に(4)
〈迂闊だな!〉
あざけりの思念感応とともに、グラムが急追してきた。どうやら拍車の術を使っているようだ。ドレイクの紫色の眼が輝く。亜竜といってもドラゴンはドラゴン、ブレスが決まればベルグリューン程度の若い真竜を墜とすことくらいわけはない。
〈レヒーティタ、おねがい〉
私は後座へ声をかけて命綱を切断、ベルグリューンの鞍を蹴る。レヒーティタも離脱し、人型形態から本来の姿へと戻った。真竜から真竜へ乗り換えるだなんて、なかなか経験者のいないだろう贅沢な体験だ。
さしものグラムにとっても、この光景は想定外だったらしい。
〈――そんなのありかっ!?〉
〈だからごっこにつき合う暇はないといった〉
正々堂々と、人竜一体で一騎討ちだなんて趣味は、いまの私にはない。グラムが驚愕に捕われた一瞬の隙を逃さず、こちらから先にドレイクの雷撃ブレスの射程圏である三〇〇〇フィート域へ飛び込む。
私の指示に合わせてレヒーティタが弐式ブレスを放った。幼竜である彼女のブレスは本来三〇〇〇フィートも飛ばないが、集束させれば射程は稼げる。さらにいえば、普通はこれほど幼い竜は変成ブレスを使えない。こんな真似ができるという事実こそ、レヒーティタが歳不相応の苦労を重ねてきている証明だ。
ドレイクも応射した。さすがに火力は向こうの方が高い。レヒーティタのブレスは完全に相殺され、余剰が痩せた電閃となってこっちへ飛んでくる。とはいえここまで減衰していれば私のシールドで充分防御可能だ。さして重く感じることもなく、雷撃ブレスは弾けて消える。
これでお互いに最大の武器はしばらく使えなくなった。ベルグリューンが一番先に再チャージを完了するだろうから、有利なのはこちらだ。そもそも、真竜を二体もつれている私は相当に反則気味であって、逃げたところでグラムの恥にはならない。
しかしグラムは拍車の術を切ることなく、ランスを構えて突っ込んできた。
〈舐めるな小娘!〉
前回の戦いで、ライダーとしての私になら勝てるという確信を持ったとでもいうつもりか。乗り手が死亡すれば竜はそれ以降の交戦を認められていない。たとえ騎竜が長老クラスだろうと、ドラグーンさえ斃してしまえばもうなにもできなくなる。
私も安く見られたものだ。あのときからなにも変わっていないとでも思っているのか。
真っ向から突撃してくるグラムへ、シールドを付与したレイ・アローをお見舞いしてやる。グラムは小細工に気づかなかったので、ものの見事にランスが吹っ飛んだ。が、やつは舌打ちしたのみ。即時U・Dで剣を取り出し、勢いを変えることなく迫ってくる。まだまだ予備の武器を位相背嚢に詰め込んでいるかもしれない。
レヒーティタは小柄なぶんベルグリューンより機敏に動ける。速度を緩めず肉薄してきたグラムたちを簡単に回避した。亜竜族としてはかなり大きいグラムのドレイクは、旋回して戻ってくるのに十秒以上かかるだろう。
……と思ったのだが、グラムは鐙を蹴って宙へ飛び出すと、飛行の術を起動して単身でこちらへ向かってきた。なにがなんでも私を仕留めるつもりらしい。レヒーティタに怪我をさせるわけにはいかない。レヒーティタが化身したのに驚いていたくらいだから、グラムは私が真竜をふたり連れているのを知らなかったようだし、彼女の正体もわからないだろうが。すくなくともレヒーティタのほうが私より狙うに値する、重要な存在だ。
私も剣を喚び出し、鞍から離れてレヒーティタをうしろにかばう。
グラムは直線的にしかけてきた。シールドの術を応用し、剣を寝かせて斬撃を逸らす。予想どおり、いやそれ以上にグラムの剣圧は重かった。最初から防ぐつもりでいなかったら、こっちの得物をたたき折られていたかもしれない。私になら勝てるという自信も、あながち過剰なものではないようだ。たしかに個人の戦闘能力ではグラムのほうがずっと強い。
グラムは次々と剣撃を繰り出してくる。まともに打ち合ってはいられない。左腕を剣身の半ばに添えて、ルーフ・ブロックで防御する。
以前の私では守りに徹したところでひとたまりもなかっただろうが、さいわい、グラムの猛攻をしばらくしのげる程度には成長していたようだ。グラムは、ただシールドを張って身を丸くしているような相手なら三秒で解体してしまえるにちがいない。私がここまで接近戦で粘れるとは思っていなかったか、口許がゆがんでいる。前に戦ったときの私は、はなから近接武器を持っていないほどだったのだから、それも仕方ないが。
技量ではグラムのほうが上だったが、こちらは時間を稼げばいいだけなので分の悪い勝負ではなかった。十秒はかからなかっただろう。ドレイクの苦鳴が響いてきたので、さすがのグラムも一度間合を取って下方へ視線を移した。ベルグリューンと格闘していたドレイクが、翼骨を折られて落下していく。
乗り手と騎竜が別々に戦ってはいけない、というルールは実は曖昧だ。ライダーは安全な後方に待機して前線に騎竜を送り込む、などという拡大解釈がされないとはかぎらないので、基本的には禁止されているのだが、しかしいまのような状況は、乱戦になれば往々にして起こることでもある。
乗騎がやられたのを見て降参するかと思いきや、グラムは剣を構え直した。あきれた執念だ。だがその前にベルグリューンとレヒーティタが動いていた。ベルグリューンが竜の身体をたたんで人型に変化し、レヒーティタが位置入替の術を使って私と人間態のベルグリューンを交代させる。
グラムの前から私の姿は消え、剣を手にしたベルグリューンが出現した。言葉になっていない喚声をあげてグラムは斬りかかったが、ベルグリューンは軽々と捌く。
もはやグラムに勝ち目はない。しかし退がる様子はなかった。頭に血が昇っているのか、それとも真竜相手でも人型形態であれば勝てると思っているのか。たしかにそのへんの真竜なら、人間の姿をしているときのために武芸に打ち込むだなんて、無駄な努力はしない。必要があれば、真の姿に戻って敵を完膚なきまでにたたきのめすのみだ。が、ベルグリューンは普通とちょっとちがう。
案の定、十合打ち交わすことはなく、決着がついた。グラムの剣は遥か彼方へ弾き飛ばされ、喉元にベルグリューンの刃の尖鋒が突きつけられる。
正体を現した真竜に力押しでやられたのならともかく、まさか人型形態のまま剣術で負けるとは思っていなかったのだろう、貌を蒼くして茫然自失のグラムにひと言かけることもなく、ベルグリューンは剣をポケット次元へ収めると、真の姿に戻ってこちらへ飛んできた。私と人型形態になったレヒーティタを拾い直して、ゼヴェリッグ中尉たちが交戦しているほうへと転進する。
〈ケティエル大佐に比べればまだまだひよっ子でしたね。つぎがあればさらに手強い敵になっているでしょうが〉
とグラムを評するベルグリューンへ、私はかねて気になっていたことを訊いてみた。
〈どうして剣術なんて覚えたの?〉
〈あなたのお父上に、カーレッジに剣の稽古をする相手がほしいと頼まれたのです。プラクも剣の達人でしたが、カーレッジがドラグーンになりたてのころは参謀本部務めが忙しくて、息子に稽古をつける暇はなかなかありませんでしたから〉
〈そうなんだ。知らなかった〉
いわれてみれば、ひとり立ちしてから間もなく私の祖父と知り合って契約を交わし、以後ずっとローパクト家の騎竜をやっているベルグリューンが剣を覚えるきっかけになりそうなのは、祖父か父がらみであるのは当然だった。それにしても、私はベルグリューンについて、そして父や祖父について、知らないことが多すぎる。
つぎの休暇はベルグリューンに昔話を聴かせてもらおうかなと思いついたが、まだまだ戦闘中だ。気を引きしめ直して、アルヴァレディルムが送ってくる戦況図に意識を集中させる。こちらから発信はできないが、思念感応は切れていない。私たちが有翼飛蛇とグラムを退けたことを察知して、敵の残存編隊は離脱をはじめていた。ベルグリューンが加われば一気に戦力均衡が破れ、同盟側は全滅しかねない。
私たちの目的はアルテニア中枢部へ到達することであるので、追撃は無用と指示を出したが、周囲の状況を見てみると放置はできそうもないなと気づいた。ゼヴェリッグ中尉とラドニ少尉は巧みな指揮を振るってくれていたようで、こちらはまったくの無傷だったが、数の上ではあちらが五割増だっただけあり、最初二十七騎いた敵は三騎しか減っていなかった。
この規模の同盟編隊を自由に振る舞わせては、連合軍が航空優勢を得る妨げになる。とはいえ追いかけて撃破するのは時間の無駄であるのみならず、今回の作戦の主目的でもない。スコアを稼ぐだけならたしかにいくらでも獲物が飛んでいるが、戦闘で勝ってもアルテニアの議事堂が南部派の手に落ちてしまえばなんにもならないのだ。しかし負けない程度に戦局を維持する必要もある。
次善の策として、ラドニ少尉に猛禽隊を任せ、手近にいる友軍と合流してこの空域を保持してもらうことにした。翼肢竜隊は引きつづき私たちとアルテニアを目指す。部隊分割に問題があったら、アルヴァレディルムがなにかいってくるだろう。
NDA−28とコードの割り振られていた友軍編隊と一度合流し、猛禽隊を預けてからあらためてアルテニア市部へ針路を定め、進攻を再開する。
グラムとの交戦に加え、部隊再編成で多少のタイムロスがあったが、まだ時間の猶予は充分にあった。
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行く手に、朝日を浴びて空に浮かびあがる摩天楼の群れが見えてきた。
アルテニアは辺境域に位置していながらも、南部同盟全土で十指に入る巨大都市だ。地表から伸びている楼閣だけでなく、浮遊している塔やドームも多い。各地を結ぶ定期航路の飛行船が寄港する中継地でもある。アルテニア離脱派がタイミングを計ったのか、普段なら空港の高い塔に係留されているはずの飛行船の影は見あたらなかった。定期航路の旅客には中立域の住民も多いので、戦闘に巻き込んで面倒になることを避けたのだろう。
騒動の中心部ではどれほどの激戦が繰り広げられているのかと思いきや、林立する塔の合間にときおり戦闘光の閃きが奔っているものの、都市内と周囲の交戦圏のあいだに、ドーナツ状の空白域ができていた。
それもそのはずで、二頭の巨大なドラゴンがアルテニアを中心に、お互いに一定距離を保ったまま旋回をつづけていた。片方は優美な黄金の竜、もう片方の竜は太陽の光が当たる角度の変わるたびにさまざまな輝きを発している。
黄金竜のほうは毎度おなじみの黄金の貴婦人だ。後方空域にいたはずだが、いつの間にやら最前線まであがってきたらしい。アルテニアをはさんでライクィレーハの反対側を飛んでいる真竜ははじめて見るが、たぶんあれがオプスヴァイクスなのだろう。
それぞれの陣営の最強クラスが睨み合っていては、残余の有象無象には近寄りがたい。この戦場に存在する、オプスヴァイクス以外の全同盟軍が束になってライクィレーハに挑んでも勝てないのだ。逆もしかりで、この場のライクィレーハ以外の全連合軍はオプスヴァイクス単騎におよばない。序列ではライクィレーハについで二番目のアルヴァレディルムでも、オプスヴァイクスからすれば、ベルグリューンに対する翼肢竜ほどの脅威にもならないだろう。
それならまどろこしいことをせずにさっさと最強どうしで決着をつけろ、といいたくなる向きもあろうが、ライクィレーハとオプスヴァイクスが戦おうものなら、たぶん勝敗がつく前にこの世界は塵に還ってしまう。そしてなにもライクィレーハとオプスヴァイクスだけが最長老格ではないのだ。
最上位の真竜はもはや世界の範囲に収まる存在ではない。実際にこの世界が窮屈だと感じた真竜はよその宇宙を求めて旅立っていく。ライクィレーハたち現最長老クラスも、あと千年かそこらもすればこの世界をあとにするはずだ。〈遷界〉といわれ、死ぬこととはちがう。
もちろん、ドラグーンが斃されれば最長老といえどそれ以上の交戦は禁止だが、しかし交戦規約を守るのであれば、そもそも最上級の真竜は先制攻撃禁止である。脇を素どおりしてアルテニア市へ突入していっても邪魔はされないはずだが。
〈虹蜺竜は源祖の第一子が始祖といわれており、真竜中最強の枝族だとされています。そしてオプスヴァイクスは、重ねている齢そのものもこの世界に現存する全真竜のうちで一、二を争う。厳密にはライクィレーハより強いでしょう。比べることに意味があるとは思えませんが〉
ベルグリューンの説明によると、私がいま見ているドラゴンは、神にもひとしいこの世界でもっとも強大な存在であるらしい。といっても、ライクィレーハとは顔なじみなので、そこまでの感慨はなかった。人間から見れば、どちらも桁外れのバケモノであることに変わりない。
ライクィレーハへ接近、速度を同調させて平飛行する。