第二話・闇夜と雷閃(上)
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スクランブルがかかるのは久しぶりだ。しかも夜間にとは。敵さんは、しばらく硬直していた戦線をテコ入れするメドでも立てたのか。
寝間着を脱ぎ捨て、即時U・Dで下着の上に直接フライトスーツや付属装備を定着させる。思念感応送受信器が飛んできたところで、手を使ってそいつのスイッチを入れた。
〈準備できてる?〉
〈あまりにお嬢さまが遅いからあくびをかみ殺していましたよ。まさか、警報が実際に鳴るまで寝ていたのですか?〉
相棒のドラゴンは、心底あきれたといいたげな精神波を投げてよこしてきた。
〈その、『お嬢さま』っていうのはやめると約束したはずだが、ベルグリューン〉
〈あなたが『お嬢さま』からは卒業したというのなら、この異様な夜気の流れに勘づかなかったはずはないのですが〉
〈……柔らかいベッドで寝てたもんだから気がゆるんでた。出世はするもんじゃないな〉
現在の私は、ただ飛んでは戻って報告書をあげていればすむ身分ではなくなっていた。横になれたのはつい二時間前だ。ベルグリューンも察してくれたのか、返信はやや穏やかな調子になった。
〈せめて一番乗りで発着サークルまでお願いしますよ、リフィア=ローパクト大尉。あなたが航空隊のチーフだ〉
私は真竜乗りのドラグーンで、騎竜であるベルグリューンとの契約関係は個人的なものだ。戦争への関与はフリーランスとしてのもので、別段どちらの陣営についても、あるいは途中で鞍替えしても一向に問題ないのだが、ひょっとすると片方だけに深入りし過ぎただろうか。
そんな、らしくないことを考えながら私は士官棟から出た。さいわい飛行士では一番乗りだった。もっとも、平隊員が寝起きしている兵舎は士官棟よりも発着サークルまで遠いので、そのおかげかもしれない。
サークル上には乗騎たちがそろっていた。自分で装具を身にまとうことのできない連中は地上要員に着つけてもらっている。ベルグリューンはすでに自分で鞍を背に載せていた。
真竜はベルグリューンだけ。ほかには翼肢竜が六尾、夜間空戦向きの夜皇梟が三羽いる。翼肢竜と夜皇梟は、しゃべれはしないが頭はとてもよい。人語はほぼ完璧に解するし彼らどうしで意思の疎通もできる。ただし翼肢竜と夜皇梟はあまり円滑なやりとりができない。人間の騎手か、高位竜族を介したほうが早くて正確だ。私が隊長に推挙された理由もこれだった。真竜が指揮を執れば多種族の混成編隊の動きは抜群によくなる。
「ベルグリューン、接近中の敵の推定戦力を教えて」
私に気づいて直立敬礼しようとする装具員たちに作業をつづけるよう手で示してから、ベルグリューンに声で尋ねる。戦術管制や早期警戒竜からの情報もあるにはあるが、ベルグリューンはそれらもすでに受け取っているだろうし、彼が自前で収集したデータもあるだろう。ベルグリューンが一度目をとおした状態のほうが、私には理解しやすい。
ベルグリューンから、思念感応で情報が流れ込んできた。私の脳裏で、映像と音声として再生される。ベルグリューンの主観による注釈と解説がつけ加えられているはずだが、どれが元のデータでどれが相棒の施した編集なのかはわからない。私が時間をかけて解析してもほとんど同じ結論にいたるのはたしかだ。ベルグリューンと私は、もうお互いの思考傾向がわかっている。
管制オペレータから説明されていれば五分はかかっただろうことが、十秒とせずに理解できた。
「敵は第一波と第二波にわかれてる。敵前衛が第一迎撃ラインを突破するまではあと三分。第二迎撃ラインで張るなら猶予はあと五分ちょいか。――うしろの大きいのはなに? 竜じゃない」
迎撃ラインは全部で五本。第一迎撃ラインは相互の勢力圏の中間であるCゾーンぎりぎりに設定されているので、敵を感知した時点でパトロール飛行中の戦闘編隊がいないかぎりは使われない。真空地帯ではあるがこちら側に近いBゾーンと、航空優勢を保持しているAゾーンが主な迎撃圏だ。Aゾーンを半ばまで侵攻すれば、敵はこちらの前線基地を長距離対地攻撃の限界射程に捉えることになる。
「どうやら『飛ぶ』生き物ではなさそうです。元から空気に浮かぶ、大型の中空遊魚類でしょう」
伏せていた銀灰色の身を起こしながら、ベルグリューンが答えた。竜族としてはまだ若いといっても、その姿は力強くかつ美しい。真竜こそが全生物の頂点に立つ存在であると、理屈抜きで見るものの本能にたたみかける。ベルグリューンの族する重銀竜は真竜の中でも数がすくなく、源祖に近いのだという。
ドラゴンの認識力と知性は人間を上まわるが、私はベルグリューンの分析に首をかしげた。
「大型種の中空遊魚にこんな速度は出せない。二〇〇ノット以上じゃない」
「速度を出せる種類の中空遊魚に拡大魔法をかけているのかもしれませんし、大型種を無理に増速させているのかもしれません。どちらにしても敵の前衛を排除できるかどうかのほうが重要です。この大きさの中空遊魚にしては速いといっても、近接すれば我々の敵ではない」
ベルグリューンはでかいだけの相手より前衛の数のほうを脅威と看做しているようだ。前衛はあきらかに対迎撃編隊用の露払いだ。数はすくなく見て十六、もしかしたら二十ほどか。
「前衛も魚かな? たしかあっちは夜皇梟がいない、翼肢竜だけでこの数を集めたなら、ほかの戦線から引き抜いてるってことになる」
空戦用の乗騎といえば、各種竜族のほかには巨大猛禽類が代表格だ。しかしイーグルやホークは夜間を不得手としている。例外であるアウルは、こちら――北部連合の側しか擁していない。猛禽獅子や半馬鷲も視覚は鳥類のそれだ。中空遊魚は頭が弱いのであまり空戦乗騎には向かないのだが、数が動員できるという面はある。
とはいえ、乗騎だけでなく飛行士も不足しているのが現状だ。私が生まれるずっと前、戦争がはじまった当初は、真竜が一方的な殺戮と破壊を恣にしないようにと、ドラグーンがその枷とされたものだった。だが、いまでは単品では戦闘力に不安のある空戦乗騎が増え過ぎて、ライダーの仕事がたいへん重要になっている。真竜が種族としては中立の立場を採ることになったため、質量ともに大穴の空いた戦力を補充するためにさまざまな野獣が投入されたのだ。
最近では、自らの意思で旗幟を表明できない知性の劣弱な種を戦争に徴用するのは禁止すべきだという議論も出てきているらしい。
〈中空遊魚は組み合わせ次第で厄介な相手になりえますが、まだあちらの陣営としても試行錯誤をはじめたばかりでしょう。いきなり複数編隊規模で実戦投入してくるとは思えません〉
ベルグリューンの返事が思念感応に変わったので、どうやら隊員がそろってきたらしいということが私にもわかった。振り返ってみると、飛行士たちが走りながら隊列を整えてこちらへ向かってくる。兵舎を飛び出したのはバラバラだったのだろう。
「本日当直、第八混成飛行隊、ただいまスクランブル発進準備完了いたしましたッ!」
レジル曹長以下、九名の敬礼に、私も軽く答礼する。翼肢竜の騎手の装備は基本的に真竜使である私と同じだ。レイ・アローを投射するボウと手甲のシールド発生装置、思念感応の送信器と受信器に、緊急時に自分と乗騎をしばらく延命させるためのサバイバルキット。
ドラゴンブレスには遠くおよばないものの、翼肢竜は強酸の弾丸を吐ける。夜皇梟は自前の飛び道具がないので、ライダーが乗騎のぶんまで遠距離戦をがんばるか、いっそ近接戦をしかけるか選択することになる。夜皇梟乗りのひとり、クヴェイ伍長はランスを持ち、ブーストブーツを履いていた。ときには敵の上空を占位して自ら質量爆弾となる、大胆な戦いかたをする男だ。
スクランブル要員たちへ向け、私は大雑把に状況を説明する。
「敵の数は二十前後。空戦騎編隊と、おそらくは対地攻撃用の大型騎。二波にわかれている。我々の任務は対地攻撃の阻止だ、最悪の場合は小型騎に防衛ラインを突破されてもやむをえない。なにか質問は」
ベルグリューンの精神波がすこし動いたのを感じたが、明瞭な意思にはならなかった。たまには対空砲座部隊に仕事をさせてもいいだろうという、私の気分が伝わったのかもしれない。それに、空戦編隊の排除より対地攻撃の阻止が優先されるのはたしかだ。真竜以外の空戦騎が地上施設を襲撃したとしても、打撃を与えるには火力が足りない。
「はーい、大尉」
「なんだ、ルーノ。手短にな」
新人ライダーのルーノ=ケレス伍長が手を挙げたので、私は発言を促した。まだ十五の少女だが素質はある。たぶん五年前の私より。
「エースになればドラゴンに乗れるようになりますか?」
ルーノは眼を輝かせながらそういったが、私はいつもどおり淡々と応じる。
「ドラグーンになりたければ自分で契約してくれるドラゴンを探すか、中央の士官学校に入ることだ。エースになれたら、推薦状を書くよう司令代行にかけあってやる」
ドラグーンはほぼ例外なく多大な戦果を挙げているエースだが、その逆ではないのだ。歴戦の勇士であってもドラゴンが認めてくれるかはわからない。個人ではなく国と契約している真竜もわずかながら存在するが、国軍はエリートにしかドラゴンを預けてはくれない。こんな辺境には士官学校出の軍人もほとんどいなかった。ここの基地司令代行の中佐くらいだ。
もちろん士官学校を卒業したとしてもドラグーンになれる保証はない。直接契約なしで竜の背に跨がることができるものはほんのひとつまみだ。べつに国家ドラグーンになるより個別にドラゴンと契約するほうが簡単だという意味ではないが、祖父の代からのつき合いという理由でベルグリューンに乗っている私の口からでは、説得力があまりないかもしれない。
私の答えはあてのはずれたものだったか、ルーノは頭を抱えた。
「……ぅー、勉強は苦手です」
「私としてはひとりくらい士官学校に行ってきてほしいが。中央とのパイプを持った士官がすくないと、装備割りあてが吝嗇いままだ」
こんなことをいっている私自身、いちおう士官学校の入学資格は持っている。卒業すれば少佐として、傭兵扱いではない正式な軍籍を得ることになるだろう。そうなればフリーの立場を捨てるわけで、けっきょくのところ、私は現状以上に深入りをする気はなかった。
「ほかにないのなら行くぞ。第三迎撃ラインまでは短距離空間転移で移動、第二迎撃ラインで邀撃する」
『イエッスメム!』
威勢よく唱和してから、ライダーたちが次々と相棒の背に跨がる。ベルグリューンの鞍上についてから、私は地上要員に手を振った。装具員たちが退がり、射出師が発着サークルに埋め込まれている黄玉に両手をかざす。短距離転移のための魔力を充填するのが射出師の仕事だ。第三迎撃ライン上の転送サークルは一方通行で、こちらからシフト・アウトはできるが向こうからここの基地へくることはできない。
八基のサークルに光が満ちるのを確認して、私は号令を下した。
「出撃!」
ベルグリューンの眸が瞬間的に蒼く光る。私たちのサークルに射出師からのチャージは不要だ。呪法焦点さえ組んであれば、真竜はほとんど負荷もなしで籠めてある術を解放できる。さすがに転送陣を経ずに瞬間移動のできるドラゴンは滅多にいないが。
一瞬のちには、九騎とも第三迎撃ラインに設置されているサークルに転移完了していた。BゾーンとCゾーンの地上にはひたすら草原が広がっており、視界を遮るものはなにもない。敵影はまだ見えないが、第一迎撃ラインを突破しているはずだ。彼我の距離は七〇マイル少々。こちらが八分で四〇マイル飛べば第二迎撃ラインでぶつかる。敵に増速する気配はない。
サークルから離陸した。ベルグリューンを先頭に、翼肢竜が左右に三騎ずつついて、楔形のフォーメーションを組む。高度二五〇〇フィート、速度二六〇ノット。夜皇梟の小編隊はやや高空、四〇〇〇を飛行。天候は晴れ、新月、ところどころに巻雲が浮かんでいる。こちらとしては上々のコンディションだ。夜皇梟が発見されにくい。
距離が縮まってくるにつれて正確な情報が入ってくる。敵の数は二十一騎で確定。後方に大型のものが二騎、三騎ひと組の編隊が六、一〇〇〇〇フィート近い高空に一騎。最後のやつは指揮官か、あるいは情報収集を目的とする観測騎か。当然、向こうもこちらの数や隊形を把握しはじめているだろう。夜皇梟が見つかっているかどうか。
相互の距離がだいたい一マイルになった。私はベルグリューンに指示を出す。
「ベルグリューン、参式を。水平方向に二〇〇〇フィート先を起点に、十秒保たせて」
「相変わらず、無茶な注文が多い」
そういいながらも、ベルグリューンが私の要求に完璧に応えてくれた。ドラゴンブレスのエネルギーを増幅・変成し、球形の塊にして撃ち放つ。人頭大だったエネルギー塊はおよそ三秒で目標点まで飛び、そこで一気に炸裂した。真昼の太陽、とまではいかないが、闇空を白く染めあげる。光球の直径はだいたい三〇〇フィート。
炸裂時間を一瞬にすれば一〇〇〇フィート以上の範囲を攻撃できるが、参式ブレスは弾速が遅い。この距離から撃っても躱されてしまうだけだ。現にブレスが起点へ飛ぶまでに、彼我の距離は二四〇〇フィートほど縮んで、三〇〇〇フィートを切っていた。直進から上昇に切り替えた敵の姿がはっきりと見える。