第六話・真竜使の資質(5)
ルーノの視点で進行中です。
ふたりはまだわたしには見えない迅さで斬り結んでいた。ケティエル大佐は乗騎がやられたことをわかっているだろう。ブレスが飛んでくる前に、ベルくんにわずかでもダメージを与えることを、特に飛行能力に損傷を負わせようと狙っているはずだ。
それまで前肢と両翼、角でケティエル大佐の斬撃を受けていたベルくんが、いきなり右の後脚を振りあげた。ひときわ鋭い音が響き渡り、大佐の左足の剣がへし折れる。ラドニ少尉の剣を一閃で截断するほどベルくんの四肢や翼の爪は堅牢なのだ。いくら強化術をかけてあっても、何十合と打ち交わしていれば金属疲労が蓄積するだろう。ベルくんは押されていたわけではなく、大佐の攻勢の限界点を待っていたのか。
さらにベルくんは右まわりに一転しながら左翼と左前肢でケティエル大佐の右の二刀を捌き、つづけてしっぽを横薙ぎに振るった。大佐は後方にとんぼを切って躱す。
ケティエル大佐は後転しながら、両手の半月刀を投じていた。左右のブーツの先からも、折れた剣の残りと、まだ無事でいる剣が射出される。爪先からつぎの刃が飛び出した。諸手の得物も新たに喚び出したものを把って、大佐はリアタック。
ベルくんは飛んできた四刀を前肢と両翼で打ち払った。四本の剣は、ただ弾き返されただけではなく、明確に大佐を狙って逆進していく。ベルくんの双眼が青く光っていた。念動術だ。接触することで術を流し込んだらしい。
大佐はベルくんが剣を撥ねのける際に隙を生じると踏んでいただろう。しかし打ち返されてきた四刀を防ぐために動きの無駄を強いられたのは大佐自身だった。ベルくんは一気に突進、大佐と交錯する。
ケティエル大佐のフライトスーツの、左のわきに一文字の切れ目が入っていた。ライクィレーハは、大佐へ死亡判定を下している。
四刀をポケット次元へ格納し、ケティエル大佐は斬られた脇腹をさすってつぶやいた。
「……一世紀生きてないドラゴンにブレス抜きで殺られるとはね」
どうやらブレスを使われないかぎり、負けはしないと思っていたようだ。たしかにその自信もうなずけるすさまじい戦いぶりだった。森びとというのは、みんなこんな超人ばかりなのだろうか。
ベルくんは自ら軽い拘束の術を右翼にかけていた。わたしにはさっぱり見えなかったが、ライクィレーハによると、大佐の反撃はベルくんの右翼の皮膜を浅く斬っていたそうだ。
「あの体勢からひと太刀浴びせてくるとは、さすが名高い翡翠の森の守護騎士。よい経験になりました」
大佐へ一礼し、ベルくんはわたしのほうへ飛んできた。拾いあげてもらって、進攻を再開する。あとはローパクト大尉とレヒーティタだけだ。
〈どうしてブレスを使わなかったんですか?〉
〈森びとは普通の人間より魔術感覚に秀でていますから、ブレスの使用を事前に察知される可能性がありました。ブレスは放ったその竜自身の知覚も眩まします。大佐はもう一度くらい瞬間移動を使えたでしょうから、大佐に避けられた場合、転移先を即時に探知できないのは危険でした。ブレスを使うなら、ほかの手段で揺さぶって先に瞬間移動をさせてから、転移地点を捉えて照射したほうが確実です〉
わたしの質問に対し、ベルくんはていねいに解説してくれた。ブレス抜きで勝てると大佐をあなどっていたわけではなく、一度きりの切札を安易に使えなかったということらしい。
〈なるほど。シールリング准尉のA・M・フィールドはどうやって破ったのでしょうか?〉
〈竜言語で術式そのものを解体しました。竜言語は協定で使用を制限されていますが、絶対に禁止というわけではありません。完全障壁やA・M・フィールドのような、理の言霊の外部から干渉しないと破れない、甲種に分類されている魔術に対しては、竜言語の使用制限が解除されることもあります〉
今度はよくわからない。竜言語というのはこの世界そのものを記述している法則にかぎりなく近い――わたしがなんとなく知っているのはその程度だ。だから人間に使える言霊よりも上位の力をもって事象に干渉できる、ということらしい。それだけの業を使わなければ破れないだけの術を使ったエルがすごいのだろう。
Q&Aタイムはここまでだ。防空側にとっての死守ライン、つまりこちらからにとっては突破すれば勝利条件を満たすことのできるゴールまではあと三〇マイル。巡航速度で飛んでも五分ちょっとで到達できる。
ローパクト大尉とレヒーティタはもういつ現れてもおかしくない。
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変化が生じたのは、最終防衛ライン近辺の空だった。早まわしの映像であるかのように、地上三〇〇〇フィートほどの高度に雲がわいてきた。
積雲が四つ、たぶんひとつあたりの直径は一マイルくらいだろう。さすがに出現タイミングがよすぎる。
〈天候操作術でしょうか?〉
〈壮年段階の真竜であれば使える術ですから、ローパクト大尉が早期警戒竜役に要請したのでしょう。いまのわたしは零式を使わないと機敏に動けません。小まわりの利く若い竜と格闘戦をするのは不利ですね〉
大尉たちは雲に隠れてこちらを迎え討つつもりなのだろうか。雲を正面に見る高度までベルくんにあがってもらい、直進する。一番手前の雲からあと七マイルまで接近したところで、雲の白さを背景に、黒い点が浮かびあがった。こっちへ向かってくる。
さすが大尉だ。雲に隠れて出てこないだなんてことはなかった。わたしはちょっとうきうきしている自分に気づく。ベルくんもすこし楽しそうだ。
〈討って出てきますか。あいさつのメニューはどうしましょう?〉
〈大尉と撃ち合ってもわたしじゃ絶対勝てません。あなたでもレイ・アローの射程内では厳しいのではないですか?〉
〈万全の状態ならともかく、いまなら五発以内に撃ち墜とされるでしょうね〉
やや旋回能に問題があるとはいえ、ベルくんをして五発保たないといわしめるとは、ローパクト大尉の弓術の腕前は恐ろしい。近接戦のケティエル大佐に射戦のローパクト大尉と称するべきだろうか。
採るべき作戦は決まった。ブレス攻撃、それも射程の長い弐式が最適の選択肢ということになる。ベルくんが普通に吐く壱式はだいたい一〇〇〇フィートの円錐範囲を灼くが、集束投射の弐式なら一マイルはとどく。
正面対向で互いに戦闘速度、距離が一マイル詰まるのに三秒とかからない。レヒーティタの動きにはまったくブレがなかった。このまま飛びつづけたら本当に正面衝突しそうだ。
先に動いたのは大尉だったが、レイ・アローを前方へ放つその意図はわからなかった。レイ・アローは飛んでもせいぜい三〇〇〇フィートだ。まだ距離は一マイル、つまり五〇〇〇フィート以上ある。
ベルくんが顎を開いたときには、レイ・アローは大尉たちから六〇〇フィートほど進んだところで停滞していた。
ブレスを放ったのも、わずかにレヒーティタが先だった。しかしまだ幼竜である彼女のブレスは一〇〇〇フィートも飛ばない。レヒーティタのブレスは、大尉が一瞬前に射った停滞レイ・アローにぶつかる。
ベルくんがブレスを――正確には、代替弐式である出力を抑えた雷撃術を――解放した。弐式は稲妻と同じ速度で宙を裂く。どうやら大尉のレイ・アローにはシールドが付与されていたらしい。レヒーティタのブレスは拡散せずに、シールドの枠にそって防壁を形成していた。もちろん、ベルくんの弐式はそれを軽々と貫く。
だが、ライクィレーハの判定は「命中せず」だった。同時に、レヒーティタの代替ブレスである色彩噴出がきれいに拭いさられ、視界がひらける。強力な解呪の術だ。これもライクィレーハの仕事にちがいない。
つまり、ベルくんの弐式はレヒーティタのブレスを跡形なく消し去ったが、命中はしなかったという裁定のようだ。
すぐにレヒーティタは反転、全速でこちらから遠ざかっていく。大尉は複数のレイ・アローをばらまいていた。どの矢種も、すこし飛ぶと最初に放ったものと同じように中空で静止する。
〈爆雷でしょうか?〉
〈ですね。まっすぐ突っ込むと痛い目を見ますよ〉
〈迂回して追撃してください〉
急旋回できないベルくんは大きく上昇、レヒーティタはその隙に距離を稼いでいた。わたしたちが上を通過しようとしたのを見ているかのように、爆雷が炸裂、指向性のある散弾がこちらへ向かってくる。さっきのレイ・アローにシールドを付与する術といい、大尉の射撃技能はすごい。
シールドを展開して、防御。ライクィレーハから、三発めでわたしのシールドは貫通されると警告がきた。実戦だったら重さで感覚的にわかっただろうが、しかし訓練でよかったと心底思う。こんなもの実戦で食らいたくはない。大尉のレイ・アローは威力が高すぎる。シールド発生装置である手甲の紅玉に魔力を再充填、一射ぶん防ぐごとに張り直す。
レヒーティタはもう見えなくなっていた。彼女たちが紛れ込んだだろう雲の群れへ向かいながら、ベルくんへ訊いてみる。
〈どうして弐式は命中しなかったのでしょうか?〉
〈ローパクト大尉のレイ・アローを核にレヒーティタのブレスで覆って、レンズの効果を生み出したのだと思われます。弐式は直線的ですから、すこし軌道を曲げれば避けられる。ライクィレーハが判定している以上、実戦で本当にブレスを撃ち合っても同じ結果になるのでしょう〉
レヒーティタのブレスと大尉のレイ・アローを合わせても、ベルくんのブレスの十分の一のエネルギーもないはずだ。それでも、わずかに屈折させることくらいはできるかもしれない。たった一度の角度差でも、六〇〇フィートの距離があれば一〇フィート以上逸れる勘定になる。
〈弐式を年齢と枝族の格でともに下まわっている側が防いだという話は、聞いたことがないですけど〉
〈わたしもありませんね。もしかするとライクィレーハも見たことがなかったかもしれませんよ〉
手札のうちで最大の威力を持つ技を受けられてしまったのに、ベルくんはなんだかうれしそうだ。実はわたしもなのだが。たぶん、わたしもベルくんも、はたして大尉がどうやって弐式を防ぐのかを見たかったのだ。
もっとも、実際にやってのけられてしまうと、感心してばかりもいられない。わたしはレヒーティタのことはまったく知らないが、ベルくんの実力の一端は知っている。レヒーティタをどれだけ高く見積もっても、ベルくんと彼女の力の差は五:一では利かないはずだ。わたしと大尉の差はそれ以上だろうか。
高度七〇〇〇フィート、雲の上を飛ぶ。白くてもこもことした、典型的な積雲だ。下部は平らだがこちら側は山のように盛りあがっている。さらに成長すれば雷雨を伴う積乱雲へ変わるが、天候操作の術はもう働いていないだろう。今日の天気でこれ以上は発達しない。
大尉とレヒーティタはどこに隠れているのか。わたしはゴールラインまで一マイルになったら零式で一気に突っ切ってしまうつもりだった。直線飛行はもとからベルくんのほうが速い。加えて零式を使えば、レヒーティタには絶対追いつけない速度になる。それはあちらもわかっているはずだ。
ベルくんが索敵結果を伝えてくる。
〈下方に飛翔体の反応があります。わたしたちと平行に飛んでいるようです〉
〈大尉たちでしょうか?〉
〈幻術による欺瞞の可能性はあります。生体反応は検知できません。自身には隠密術をかけて実体のある囮を牽引するという方法もありますね。単純なやり口ですが効果はそれなりです〉
弐式のように攻撃範囲がかぎられているブレスを囮に空撃ちしてしまったら、つぎはこっちが相手のブレスを食らう番だ。わたしはちょっと身を乗り出して、ベルくんの翼のふちから下をのぞき見た。そろそろひとつ目の雲の上を通過する。
雲の切れ間にさしかかった。つぎの雲までの隙間は、四〇〇フィートほど、飛び抜けるのに半秒もかからない。下方を飛ぶ竜のシルエットが見えた。高度差が四〇〇〇フィートはあるので、わたしの目では幻術か実体のある囮か、真物のレヒーティタかは判別できない。
〈……よくわかりませんでした〉
〈すくなくとも牽引索はなかったようです。あとふたつ雲を越えればゴールですが、どうしますか?〉
〈もう一度目視で確認します。雲にそって降下してください〉
〈了解〉
ベルくんは雲の表面に張りつきながら、積雲の左の稜線にそって高度を下げていく。かなり大まわりだが降下すれば速度が稼げる。たぶん雲の切れ間でレヒーティタの真横あたりに出るはずだ。