第一話・嵐下に舞いて
航空マニューバ用語である「インメルマンターン」の「インメルマン」は人名であり、第一次世界大戦で活躍したエースです。したがって地球ではないこの世界で「インメルマンターン」という言葉があるのはおかしなこと、あるいはインメルマンさんに相当する人物の名が冠されていてしかるべきですが、私はただでさえ煩雑な悪文を書くため、これ以上の面倒を避けるため用語のすり替えは行いませんでした。ご了承ください。
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哨戒任務はあまり楽しくない。
Cゾーンの中間付近に差しかかったところで、空模様があやしくなってきた。西のほうからかなりの速度で黒雲が近づいてきている。その下にはっきりと降雨の影が見てとれた。雲中に、ときおり稲光が閃いている。目算だと、あと二十分くらいでこのあたりも雷雨に包まれるだろう。
「雲にそって戻るか」
「サボる気ですか、お嬢さま。C・Dゾーン境界までの哨戒飛行が、本日のミッションのはずですが」
ベルグリューンが批難がましい声で、今日のお務めの内容を繰り返した。几帳面すぎるドラゴンは、騎手の私が暴風と雷雨でもみくちゃにされて風邪をひいてしまったらどうするのか、ぜんぜん気にしようとしない。
「雲の中に突っ込んでどうするのさ。なんにも見えなくて、哨戒になんかなりゃしない。もし敵が奇襲をかけてくるなら、雲の影にまぎれてくるよ」
「一理ありますが、雲へ入らないのは、本当にそのような戦術的利点をカヴァーするのが目的なのですか」
「そうだってば」
雲に突っ込んでしまえば人間の感覚器官はものの役に立たない、それは事実だ。仕事にならないのならわざわざ濡れにいくことはない。しかし頭の固いドラゴンはこういった。
「本日のミッションは定時・定点観測のための哨戒です。Dゾーンの敵前線基地の活動レベルを測るのが本義であって、敵の威力偵察や強襲に対抗するためのものではない。そういう仕事は早期警戒竜に任せ、やはりCゾーン限界まで飛んで、敵基地の様子を見にいかなければ。定時のデータに穴があるべきではない」
「ベルグリューン、『哨戒』って単語を辞書で調べてごらん。『敵の襲撃にそなえて警戒すること』って書いてあるはずだよ。この辺は滅多に大きな雲が出ない、敵が乗じるには絶好の機会じゃないか」
「天候の急変に即時に合わせて飛ばすことのできる航空隊などたかが知れています。我々が対処せずとも、Bゾーンの迎撃部隊で充分。どうしても気になるのなら、ライクィレーハにひと言打電を」
ライクィレーハというのは、私たちの後方四〇〇マイルくらいを周回飛行している今日の当直早期警戒管制竜だ。もうかなりいい歳のオバさんドラゴンで、感知能力は桁ちがいに高いが小まわりは利かない。ベルグリューンはまだ若く、千里眼というわけにはいかないので、敵勢力圏ギリギリに迫る任務が割りあてられる。まあ、若いといっても竜族は竜族、私の祖父の代からのつき合いだ。私がドラグーンになったのは二年前のこと。いつまで経っても「お嬢さま」呼ばわりから抜け出せていないけれど。
そうこういっている間に、雷雲にかなり近づいていた。雲が流れる速度以上に、ベルグリューンが速いのだ。巨大な積乱雲はたっぷり高度三〇〇〇〇フィート超にまで成長していた。雷鳴がはっきりと聞こえ、私たちの会話を邪魔しはじめている。
思念感応に切り替えた。
〈ここまで発達した積乱雲、この地方のこの時季には、そうとう不自然じゃないか?〉
〈たしかに珍しいとは思いますが。天候操作魔法の結果だとでも?〉
〈ありえない話じゃないでしょ〉
〈しかし昨日までの敵前線基地に、そのような魔力流の兆候はまったくありませんでした〉
事前の準備なしに天候操作魔法を起動できるとなれば、かなりの力量の魔術師が派遣されてきたことになる。私も敵基地を調べる価値はありそうだと思えてきた。とりあえず、ライクィレーハに注意を促しておこう。たぶん彼女も雷雲自体には気づいているだろうが。
思念感応の増幅器になっている腰の結晶に手をやったところで、私は遅まきながら異常に気づいた。
〈最大戦速! 索敵強化!〉
私が意識的に指示を出す前に、ベルグリューンは反応していた。広げて巡航モードだった翼を小さくたたんで、一気に加速する。雷雲の表面すれすれに張りつき、高度三〇〇〇フィートから八〇〇〇まで急上昇。そこで反転して、地上方面へ向け感知器官を全力で働かせる。私もおよばずながら周囲を見まわす。雷鳴がひどすぎて、人間の聴力はまったく役に立たない。
〈思念感応が妨害されているのですね〉
〈そういうこと。このくらいの雷で増幅リンクが切れるわけない〉
〈通常の感知能力では敵反応ありません。魔法的手段に切り替えますか?〉
〈探査の術を使うと確実にこっちの位置もバレる。もし見つかってるなら、しかけてきそうなもんだけど……〉
私はひとまずボウをとりだしたが、レイ・アローをつがえるのは躊躇した。レイ・アローはかなり目立つ。視覚的には閃く雷光にまぎれるので問題ないだろうが、敵がパッシブで魔力検知をしていたらほぼまちがいなく発見されてしまう。
気づかれていないのなら、このまま味方のスクランブル編隊と敵が交戦をはじめるまで上空を占位していたほうが得策だろうか。接近してくる雷雲に対しては、かならず一編隊以上が様子を見にあがってくる。長い年月を閲した超巨竜が嵐をまとって襲撃してくる可能性というのは、かぎりなくゼロに近いがないわけではない。
一瞬、目の前が漂白された。
雲の中ほどから、地上へ向けて巨大な電光が迸ったのだ。その無彩色に反転した視界の中に、黒い点がいくつも浮かびあがったのを、たしかに私は見た。
〈参式ブレス発射、左バンクしながらパワーダイヴ〉
指示と同時に、フルパワーのレイ・アローを拡散指向で撃ち放つ。矢種は、進むごとに分割され、光の雨に変わっていく。ベルグリューンが口腔で増幅したブレスを吐き出すのは、一瞬あと。参式の特徴は、やや低速でエネルギーがひと塊になって前進していく点にある。敵の探知を眩ます囮として最適だ。ブレス操作を習得したドラゴンの戦闘能力は飛躍的に向上する。
敵の対空迎撃が半時計まわりの螺旋を描くこちらの右手を通過していく。まだ見つかっていない。ベルグリューンの初撃が破壊的炸裂を引き起こしたときには、すでに私たちは地表近くまで降下していた。頭上で咲いた爆閃に、敵影が照らされる。二騎。尾が長く、前肢はない。下級の亜竜族――翼肢竜だ。
〈低空で雲の下へもぐって〉
〈こっちはアクロバットで精一杯。外さないでくださいよ、お嬢さま〉
〈私をだれだと思ってる〉
地面までほんの一二〇フィートほどの超低空で、ベルグリューンは強烈に引き起こして水平飛行に移った。速度はほとんど死んでいない。私は喘ぎながらもベルグリューンの背の上で体勢を仰向けに変え、ボウを構える。
二射。一尾の頭を吹き飛ばし、もう一尾は心臓を貫いた。
炸裂したブレスを上昇して回避していた連中がこちらに気づく。火箭の雨が降ってきた。ベルグリューンは不規則なジグザグ運動で躱す。
よほど乗り馴れていても振り落とされずにいるのはかなり難しい。ベルグリューンの背中に密着して、銀灰色の鱗ごしに伝わってくる彼の呼吸に合わせてこちらも体重移動する。
〈ブレスチャージまでは?〉
〈あと十二秒〉
〈よし、インメルマンターン、四式発射。殺れるだけ墜として〉
〈敵編隊の中を突っ切る気ですか?〉
〈正対してるあいだくらいは私の張る防御でも保つはず。すれちがったらパワークリンヴ。雲に入ろう〉
ボウを即時U・Dでしまい、左右の手に力を込める。手甲に埋め込まれている紅玉は着用者の魔力に感応して障壁を発生させる。
ベルグリューンが上昇しつつの反転に移った。もう一度仰向けになり、全精神を込めて両手を突き出す。レイ・アローが次々とシールド面で弾けて火花に変わる。
三、二、一――
ベルグリューンが反転し終わった。私がシールドをはずすと同時に四式が解放される。四式ブレスは壱式、いわゆる「ドラゴンブレス」の集束・複数投射版。瞬時に五本の光の柱が宙を引き裂いた。
発射と同時にベルグリューンはバレルロール。私がシールドを張るまでの一瞬の隙をカヴァーしてくれた。敵の一匹が吐いた酸の弾丸がすぐ右を通過する。つぎの一弾には私のシールドが間に合った。かなり重たいが、上級竜族のブレスに比べればかわいいもの。ベルグリューンのブレスは、五分割されているにもかかわらず敵のライダーが張っていた防御をぶち抜いて乗騎に致命傷を与えていた。真のドラゴンは敵にしたい相手ではない。
互いに高速ですれちがう。残敵は三騎。思っていたよりすくなかった。開幕のレイ・アローと参式ブレスもある程度の戦果があったのかもしれないが、楽観はできない。
敵の騎手が後方にレイ・アローを撃つよりも迅く、ベルグリューンは急上昇、雷雲に飛び込んだ。無数の水滴が襲いかかってくる。斜めに雲を突っ切るまで、しばらく我慢するしかない。
十秒で高度五〇〇〇フィートに達し、雲の北側に抜けるはずだったが、四五〇〇くらいでベルグリューンがいきなり左旋回した。
〈敵がいるの?〉
〈おそらく、真竜です〉
ベルグリューンの返答とほぼ同時に、視野を、雷閃とは異なる紅い輝きが灼いた。いまさっきまで私たちが飛んでいた軌道が、上空側から一条の光線に貫かれる。
〈弐式ブレスか〉
〈わたしより年長の竜でしょう。最高速はあちらのほうが上、逃げるのは不可能です〉
〈小まわりはこっちに分があるはず。雲を出入りしながら接近を避ければなんとかなる。味方はあとどのくらいでくるかな〉
〈ライクィレーハが状況に気づいていないということは考えにくいですが、二十分くらいでしょうか〉
〈ちょっときついかな……〉
〈雲から出ます、敵は真上〉
なぜわざわざ出るのか、といいかけて、私も雲の中に留まっていられない理由を察した。こちらの後方を塞ぐ配置で、機雷が投下されてきている。誘雷機だ。竜は雲を突っ切っても雷にあたらないようになっており、だから竜と嵐は親和性が高いのだが、生まれもっての雷竜でないかぎり電気そのものに完全な耐性を持っているわけではない。誘雷機で惹き起こされた稲妻に巻き込まれればダメージは免れえないし、人間の騎乗者にとっては致命的だ。
高度四八〇〇フィート、ほぼ水平で雲から飛び出した。ベルグリューンのいったとおり、真上に敵影。彼よりふたまわりほど巨きな、赤い竜だ。赤い竜といえば紅緋か赤銅だが、こいつは赤銅竜だろう。雲に対して左側面を向けていた。十字に交差する恰好になる。
右旋回でこちらの上後方につけようとする相手に対し、ベルグリューンは左へシャンデル。向こうのドラグーンと目があった。手にはボウではなくスタッフ。ウィザードだ。
巨竜はより若い竜よりも直線飛行は速いが、旋回能力では劣る。旋回途中の赤銅竜の右側面をとった。相手は左翼もたたんで急降下に移る。振り切られると厄介だ。
〈弐式を!〉
地上へダイヴする敵のうしろにつけた。まだ射程内に収めている。ドラゴンブレスのエネルギーを一点に集束させて放つのが弐式だ。直線上の極めてかぎられた範囲しか攻撃できないが、威力は抜群に高い。ベルグリューンが顎を開く。
敵が常識外の動きに出た。突然翼を大きく展開して、それを軸に急ピッチダウン、宙空で地面に対し背を向け、こちらと逆しまに相対する。
ベルグリューンが弐式を撃ち放った。赤銅竜もブレスを噴出させる。壁状に成形されたエネルギー塊――五式だ。ひと息で莫大な量のエネルギーを解放できる、年長の竜でないと五式ブレスは使えない。ベルグリューンのブレスは灼熱の壁を撃ち抜けなかった。紅蓮の波濤はそのままこちらへ突き進んでくる。
避け切れない。
〈ベルグリューン、できるだけ正面面積を減らして直角降下〉
〈お嬢さま、無茶です!〉
〈まあ、見てなさい!〉
私はベルグリューンの背中から頸に取りついて、鼻面の前に両手をかざした。ブレスの壁のど真ん中、ベルグリューンの弐式が突き刺さった部分へ全力でシールドをたたきつける。
――突破した。
とはいっても空いた穴は小さく、しかもすぐ塞がってしまう。ベルグリューンの翼やしっぽは無傷というわけにはいかない。それでも全身黒焦げになるところを最低限の損害で抜けられたのだから、私の判断は上々だったはずだ。ドラゴンブレスは連射が利かない。こっちは隙だらけだが、即座に致命的な攻撃はできなかろう。
……こちらの右上方につけてきた赤竜の背に跨がるウィザードが杖をかざしているのを見たとき、私は自分の間抜けさを呪った。翼肢竜のライダーとはちがう、真竜を駆るドラグーンなのだ、おのずとその力量は異なる。当然ではないか。
光刃が投射されてくる。シールドで弾くが、二発が限度だった。ブレスの壁をこじ開けるのにほとんど力を使ってしまった。三射めがシールドを貫いて右肩に突き刺さる。骨が砕ける感覚。
「ッあぅ……!」
ベルグリューンが即時U・Dを使ったようだ。命綱が巻きとられ、私の身体は鞍に固定される。が、私はもうなんの役にも立たない。
防御が皆無の状態でレイ・アローやフォース・ボルトを食らえば人体は簡単に断裁される。スタッフに光が満ちるのを、私は念じて見つめた。こちらを狙え。残忍な相手なら、ここで騎竜の翼を破って撃ち墜とす。戦時協定で、騎手が死亡したドラゴンが交戦をつづけること、騎手を失ったドラゴンに追撃をすることは禁じられている。この協定の真意は、ドラグーンの存在によって竜族の戦闘力に枷を嵌めるという点にある。ドラゴンほどの超越的な生物であれば、脆弱な他種族の騎手を乗せるより、スタンドアロンで戦うほうが強いことは、いうまでもない。
……と、風を切る音とは異なる、高周波の、人間の耳には聴こえるか聴こえないか、ただし不快なことはまちがいない響きが奔った。スタッフの光がかき消える。魔力集束を消散させる竜言語だ。
ウィザードは信じがたいといいたげな表情でこちらを見た。それはそうだろう。
〈ベルグリューン、竜言語の使用は協定違反になる〉
〈協定ですか、そんなものもありましたね〉
私の指摘をまったく意に介そうともせず、ベルグリューンは急旋回。赤銅竜へ突っ込んでいく。向こうもまったく動じる色なく、鉤爪を光らせて迎え撃つ体勢をとった。竜どうし、接触距離での殴り合いで、体格の劣る側が勝つことはありえない。
〈やめなさい! 私を放り捨てれば、あなたが戦う理由はない〉
〈リフィア、きみの父上にわたしは約束しているのですよ〉
捨て身の体あたりをしかけたベルグリューンを、赤銅竜は前肢の鉤爪であっさりと受けとめた。右の鉤爪はベルグリューンの頸を、左の鉤爪は右の翼をつかんでいる。
瞬間、ベルグリューンがブレスを吐いた。猛烈な爆発で、再び間合が離れる。しかし赤銅竜の鉤爪はベルグリューンの右翼を半ばまで引き裂いていた。落下する。
私は最後の力を振り絞って軟降下を起動、粘性のある空気の層でベルグリューンを包み、自由落下をゆるめる。あちらは平然としていた。ベルグリューンがブレスを吐けたのだから、当然向こうもチャージずみだろう。ひと吹きでこちらは消し炭になる。
竜と一緒に死ぬことがあるとは思わなかった。ドラゴンは永き時に渡って幾人ものドラグーンをその背に乗せる。私が戦死するにせよ、寿命まで生きられるにせよ、ベルグリューンはつぎの相棒と飛ぶ、それがあたり前だと思っていた。
竜と死ねるのなら、それも悪くない――
が、赤銅竜はこちらを攻撃しようとしなかった。悠々と、しかしDゾーン方面へ飛んでいく。ざらざらした感覚の、思念感応がこちらの精神に響いた。
〈向こう見ずな若造め。その人間への過度な義理立て、いずれ後悔することになるぞ〉
飛び去る赤銅竜の背に、空の鞍だけが乗っていた。固定されていなかったウィザードはベルグリューンのブレスで吹き飛んでしまったのか。乗り手を失った赤銅竜は、人間の争いに関与する必要を認めなくなったのだろう。いずれ新たな真竜使が彼に契約をもたらすまで。
驟雨で濡れた草原の上に、軟着陸する。生き残りの翼肢竜編隊が上空を旋回していたが、ベルグリューンが身を起こすとDゾーンのほうへ引きあげていった。飛行できなくなったとはいえ、真竜のブレス攻撃に対抗するのは分が悪いと判断したようだ。
私は身動きできそうにない。鞍の上にうつぶしたまま、問いかける。
「ベルグリューン、私の父と、どんな約束をしてたの?」
「もしもその身になにかあったときは、わたしがきみを守ると、それだけですよ。……きみの父上は、あの日、それを最後の出撃にすると決めていた。あのときわたしにもうすこしだけでも力があれば……」
「そっか。父さん、私がドラグーンになるのには反対してたっけ、そういえば」
父が無事に引退していれば、ベルグリューンはほかのだれかの騎竜になっていたか、契約を終えて人界とのかかわりを断っていたのかもしれない。もちろん、父が健在でいてくれる人生はよいものだったにちがいない。しかし、ベルグリューンとともに飛べる人生のかたちというのは、私にとってはこれが唯一のパターンだということなのだろう。
「ベルグリューン、もう、お嬢さまっていうのはやめてくれる」
「わかりました、リフィア」
ビーコンが、友軍の接近を告げている。気だるさを覚えて、雲の去った空から降り注ぐ陽光にきらめく鱗に頬を寄せ、私は目を閉じた。
毎度ながら完成品なので必ず完結します。安心して読んでください。
旧掲載先のラノ様は縦書き小説ビューサイトだったので元データはそれ前提でした。変換作業をぼちぼちやりながら投下していきます。
通しでの長さは文庫本300ページちょいくらいです。




