臭煙記
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ゴミ。それは本当に捨てなくちゃいけないものなのかな?
いや、いよいよ僕の家の近くのスーパーでもね、レジ袋の無料配布をやめるんだ。これからは小さい袋で2円、大きい袋で5円だったかな。限りある資源を大切にって奴かなあ。
でもさ僕が思うに、ゴミって放っておいたら何かプラスのものに変貌するんじゃないかな。今でこそマイクロプラスチックが、海をはじめとした環境に毒だっていうけど、まだプラスチックが開発されて200年だよ?
これが1000年、2000年の未来には毒がひっくり返って、ものすごい利益を生み出す可能性もある。だからゴミっていうのはすぐ処分せず、ずっと取っておくことで……。
――ん? 希望的観測にすぎるし、放っておいて人類が滅んだら元も子もない? ついでに、自分の部屋をゴミ屋敷にしている言い訳にするな?
ちい、ばれたか。ゴミ屋敷をごちそうの山と化してくれるシステム、早く作られてくれ〜! おとぎ話にもあるんだから、最先端技術を駆使してどうにか実現してくださいよ。科学者のみなさ〜ん!
――へ? その話に興味がある? 「最先端技術を駆使して〜」のくだり?
ああ、おとぎ話のほうか。小さいころにうちのじいちゃんに教えられたものでさ。もしかしたらメジャーなものかもしれないけど、聞いてみる?
むかしむかし。ある村に住んでいた男は、非常に倹約家で知られていた。その年の作物、日々の食べ物の確保はもちろんのこと、汗や糞尿に至るまで家のいずこかに保存していたとか。
以前、この一帯は飢饉に襲われたことがある。死者を出すほどの厳しい状況だったが、男はどうにか生き延びた。生き延びたはいいんだけど、空腹に悩まされたことがだいぶ心にこたえちゃったようでね。
「いざという時に備え、あらゆるものを溜め込み、食えるようにしておかねばなるまい。捨てるなぞしてはならん。いつなんどき、それしか食えない時がやってくるか、わかりゃしないのだから」
家に招かれた友人に、彼はそう語ったらしい。その間も、彼は友人に対しては白湯を出していたが、自分はいろりにかけたヤカンから出る、湯気ばかり吸っていたそうだよ。
あえてヤカンの吹き出し口を自分へ向け、常に湯気越しに相手と話をする。ときおり、鼻や口で「はふはふ」とほおばるようなしぐささえした。
いかにも獣めいていて、気味悪く思った友人は、少しずつ彼と距離を取るようになったとか。
彼が警戒し続けた大飢饉だけど、数十年が経っても訪れることはなかった。それでも彼は、ゴミを溜め続ける生活を送り続けていたらしい。
やがて、おさめるものの数も場所も足りなくなってきた。じかに置いたり、野ざらしにしたりするものだから、周りから苦情がくる。
そのたびに彼は、フタを作るなど最低限の処置はほどこすけど、行動そのものは止めない。
「天災は忘れたころになんとやらだ。俺がこうして備えている限り、飢饉がやってこないなら安いもの。皆もおおいに助かるだろう」
ああいえばこういう。あくまで自分中心の考えに終始する彼は、ますます孤立していった。
ついには、打ち捨てられた村はずれのボロ小屋を簡単に直し、排泄物を主体にその中へ詰め込んでいく。元の彼の家はまっとうな貯蔵庫となったものの、彼自身は直したボロ小屋にいることがほとんどだったとか。
その異臭は一里(約4キロ)先にも届いたといい、村人たちは「某の肥溜め」と陰口を叩いたらしいよ。
それからさらに何年も過ぎた日のこと。山から帰ってきた彼は、自分の「肥溜め」を見つけることができなかった。
自分の小屋があった場所に、大きな家が建っていたからだ。横長でしっくいの壁を持ち、あまさずに茅がふいた屋根は、地主の住まう家を思わせる。
ためしに彼は、ここからかつての我が家へ向かってみた。結果、距離も方角も間違いはなくて、首をかしげてしまう。
少なくとも昼前まで、小屋は存在していたはず。日ごろから不満を漏らしていた村人たちが、突貫工事で家を解体した可能性もなくはない。でも、そこから屋敷を建て直すのは時間的、労力的、心情的にもありえないことだった。
彼は玄関の開き戸に手をかける。
入り口の土間は右手にかまど、左手に各種道具類が立てかけてあるのは、彼の小屋と同じ。でも、そのすき間を縫うようにしておかれた、排泄物の入った瓶たちは、すっかり姿を消していた。
何年もつき合った臭いは残っている。玄関をあがり、狭い廊下に挟まれた居間や寝室は、その片方だけで彼の住んでいた空間の倍近くはあった。畳もふすまもない、だだっ広い板敷きの屋内に、彼はとまどいを隠せない。
どこへいっても臭気は弱まらなかった。絶対に臭いのもとは近くにあるのに、見つけることができない。
うろうろしている間に、彼は更なる異変に気づく。目を離したスキに、室内の家具が整っていくんだ。
囲炉裏しかなかった部屋から、ひょいと顔をそらせて戻ると、人が座る丸いござが置かれる。二度目は空っぽの棚が壁にひっつき、三度目にはゴザの前に食膳がおかれた。
乗っているのはほかほかの白飯に、干し魚が一尾。切ったたくあんに、ねぎ入りの味噌汁。彼にとって年に数えるほどしか並ばない献立で、怪しさはいよいよ増す。
――この屋敷はまずい。彼が踵を返しかけたところで、「がたん」と頭上から音がする。
上を向く。ふいていた茅の一部に、穴が空いていた。そこからのぞくのは、黒雲が渦巻くように湧いた空だ。
崩れた茅たちは、らせん状に巻かれながらどんどん上へ昇っていく。まだしがみついている茅たちもそれにつられて、穴は広がる一方。
あっという間に、部屋たちはその腹の中身をさらけ出す。もちろん、そこにいた彼の姿も。それでいて風はおさまらない。
しっくいの壁が、ぼろぼろとはがれて巻き上がっていく。支えを失った棚やいろりもその後へ続き、床の板たちもがたがた震え出した。
彼自身もただじゃすまない。屋根が完全に取り去られた時点で髪は逆立ち、服は上へ引っ張られるほどだった。それが今はややもすると、足が床から離れそうになってしまう。
浮かんだらおしまい。彼は床に伏せ、出口へと這っていく。
板と板のわずかなすき間に爪をかけて、食い込ませるよう力を入れていく。周りの板たちの中には、完全に引きはがされて、空へ連れていかれるものも増え始めた。
土間まであと数歩で、爪をかけようとした板が「ばりり」と音を立て、一気にとぶ。あわてて手を引っ込めた彼だけど、開いた穴からは湯気と、いっそう増した臭気が漂ってくる。
のぞき込んだ。そこには彼の顔にかかるくらい激しく泡立つ液体があったらしい。暗くてはっきりしないけど、それはおそらく彼が溜め続けていた……。
そこまでが限界だった。吸い込む風はなおも勢いを増し、彼の足がそれに捕まった。
つま先、膝、腰と引きはがされ、とっさに穴のふちの板をつかむも、及ばず。きれいにはぎ取られた板と共に、彼は一気に空へ運ばれる。
すでに穴だらけになった屋敷の床が、旋回しながら遠ざかっていく。茅たちと同じように、彼の身体も激しく回っていた。
すでに暗い空の中、黒々とたたずむ山々の影さえも下に見ながら、彼はめまいに意識を奪われていく……。
気がつくと、彼は自分の家の土間に倒れていた。そこは土間と居間しかない、自分がいつも住んでいる狭い小屋。臭いも家具の位置も変わっていなかった。
ただ排泄物を溜めていた瓶たち。その中身は、ことごとくが空っぽになっていたんだ。
のちに彼は語る。自分が足を踏み入れた屋敷は、ひょっとすると神様が糞尿を煮立てた時にできた、まやかしかもしれないと。
自分が湯気を頬張るように、神様も自分の家に蓄えてあったものを沸かして、美味しくいただいたのだろう、とも。