006 女装は世界を救う(1回目)
「おおぉー! 本当に洞窟がありました!」
当たり前のことだが――いざその穴を前にすると、なぜかわくわくしてくるものだ。
先が見えない暗闇という意味では、夜中のトイレに向かう廊下と何ら変わりは無いというのに、不思議と恐れは感じない。
サーヤは腰にぶら下げた魔導ランプを照らし、洞窟に足を踏み入れた。
外は若干蒸し暑かったが、中はかなり涼しい。
湿気はこちらのほうが多いはずなのだが――奥に湖でもあるのだろうか。
セレナの話によれば、特に強いモンスターも住み着いておらず、構造も簡単とのことだ。
ゆえにサーヤは、気楽に前に進むことができた。
道なりに、入口が見えなくなるあたりまでやってくると、彼女はなにか見つけたようだ。
「向こうでなにか光ってますね……石でしょうか。いや、うごいてるみたいですし……」
目を凝らすと、その発光する物体は、両翼を羽ばたかせていた。
「コウモリでしょうか。あ、もしかしてマッシュバット! ということは、このあたり月光茸も群生してるんですね。あれおいしいんですけど、食べると翌日、ちょっと体が光っちゃうんですよねー。あのマッシュバットたちは、月光茸が主食なんでしょう。なんとグルメな!」
月光茸は、こういった暗い洞窟の中に生えているキノコの一種だ。
それ自体も暗い場所で緑色の光を放っており、なにやら危ない物体に見えるが、毒も無いし普通に食べることができる。
実際、帝都でも少量ではあるが出回っており、酒場やレストランなどで珍味の一種として、『食べると光ります』の注意書きと共に振る舞われていた。
「こっちは……」
今度は足元に、白くてうねうねとした虫の幼虫を見つけたサーヤ。
「這虫茸ですね、相変わらずきもちわるい見た目です」
それもまたキノコの一種であった。
自然に生えるキノコの多くは、動物から食べられないために様々な進化を遂げてきたが、這虫茸は『こういった見た目のほうが人間に食べられずに済むから』虫の姿になったと言われている。
とはいえ、這虫茸の見た目は猛毒を持つ毛虫に類似しており、動物もあまり近づきたがらないようだ。
ちなみに動いているのは、生物の体温に反応しているからである。
「わたしは好きですし、もらっていきましょうか」
故郷でもたまに見かけることはあったが、やはり珍味扱いであった。
味は悪くないのだが、やはり見た目のせいで人気が低い。
「む、ここの壁は……あ、やっぱり取れました。岩そっくりですが、わたしの目はあざむけませんよ、壁茸ちゃん。お、隣に赤蝶茸。毒があるからあぶないとは言いますが……ぱくっ」
壁にくっついたキノコを、そのまま口に運ぶサーヤ。
パチパチという痺れる感覚と、甘酸っぱさが口内に広がった。
「んふー、果物みたいで味は絶品なんですよねぇ。相性がいいのか、キノコの毒はわたしには効きませんし!」
それはサーヤの幼い頃からの体質であった。
師匠が特別な処置を施したわけでもなく、彼女は毒キノコを食べても腹を壊すことがないのである。
実は、毒を持った食べ物というのは、意外と美味しいものが多い。
世の中には、体調を崩すことを覚悟の上で、あえて食す人間もいるぐらいだ。
それをノーリスクで楽しめるのだから、サーヤがキノコ好きになるのも当然の話であった。
「こっちは食べたら死ぬと言われている上に腐った指のような見た目をしていますが、芳醇な香りを放つ指腐茸! んぐっ、もぐ……こちらは触っただけで肌が赤くただれるけど刺激的な味が特徴のエキセントリックな赤い悪魔、デビルマッシュ! はむ、もきゅ、もきゅ……おお、これはかつてとある村の住民を皆殺しにしたと言われる、命と引き換えに美味が味わえる死人茸ではないですか! キノコの楽園ですね、ここは!」
テンション高めに、毒キノコをぽんぽんと腹に収めていくサーヤ。
そもそもキノコは生で食べていいものではない。
彼女の尋常ではない胃があってこそ、できる芸当であった。
「もぐもぐ……このひょうひでいけば、んぐ……っ、依頼の品である、紫蜜茸もすぐに見つかりそうですね。しかしこれだけ色んなキノコが生えていて、なおかつモンスターもいないのに、まったく人の気配がないだなんて、もったいないですねぇ」
◇◇◇
この洞窟は、一時期珍しいキノコが取れる場所として多くの冒険者たちが通っていた。
だが、毒キノコも多く生えており、似たキノコと勘違いして採取した冒険者が何人も出たため、『キノコは食い扶持としては効率が悪い』という認識が広まったのである。
結果、現在はサーヤのように、特定の依頼を受けた人間ぐらいしか寄り付かない。
それに食用のキノコは、帝都付近で普通に栽培されているのだ。
毒キノコと間違えるリスクを犯してまで、ここで採取する人間はほとんどいなかった。
そんな場所だからこそ――星域術式を仕掛けるには、うってつけの場所なのである。
「くっくっくっ……術式はまもなく発動する。これで我々魔王軍の勝利は決まったようなもの。突然現れた勇者とやらも、大したことありませんでしたねぇ」
ここは洞窟からほど近い場所にある、小屋の中。
そこで椅子に腰掛け、目の前に浮かぶ“映像”を眺める男がいた。
浅黒い肌、床まで伸びた白い髪、そしてローブの隙間から見える赤い瞳――人間でないのは明らかである。
「いえ、これこそが私の実力なのでしょう。魔王四天王ティタニア様の参謀、邪念のインディヴァードにかかれば、人類など赤子の手をひねるよりたやすく滅ぼせる! くひゃはははははははっ!」
鋭い爪の伸びた長細い指を曲げ、虚空を仰ぎながら高笑いするインディヴァード。
丁寧な自己紹介があったので特に言うことはないが、彼は魔王軍の幹部であった。
そして、今まさに世界を滅ぼそうとしている“星域術式”を発案した張本人でもある。
「しかし灯台下暗しとはよく言ったものですねえ。勇者たちは帝都から離れた場所ばかり探していますが、本命の術式は帝都からすぐそばの洞窟に隠されている! ですがそれに気づけたところで、無能な勇者どもには見つけることもできない! なぜなら、この私の天才的頭脳が導き出した策略によって巧妙に隠蔽されているから!」
本来、世界を滅ぼすほどの術式ならば、それだけ巨大な魔法陣が必要になるはずである。
それは光る図形だったり、規則的に並べられた巨大な岩のオブジェであったり、あるいは動物の死体を利用した儀式であったりと様々だが、今回はそのどれでもなかった。
「冒険者はみな、『毒キノコには絶対に近づくな』と教育されると聞きます。それを逆手に取った、術式隠蔽。よもや勇者たちも、洞窟に仕込まれた毒キノコの配置が術式を成しているとは、想像もしますまい。くひゃひゃひゃ、長い年月をかけ、手塩をかけて栽培してきた甲斐があったというもの!」
インディヴァードは自信に満ちている。
ただでさえ人が近づかない洞窟に、完璧だと自負する術式を仕込んだのだ。
“念の為”に、彼のスペルを使って“使い魔”を飛ばし洞窟内を監視しているが、それはいわばウイニングランのようなもの。
術式が発動する瞬間を見届け、勝ち誇るために行っているに過ぎなかった。
「ですが……このままなにも起きないというのは、少々退屈ではありますね。天才というのは試練があってこそ輝くもの。勇者でなくとも、不運な冒険者が偶然にも洞窟を訪れる、なんてイベントがあってもいいものと思うのですが――おや?」
インディヴァードの目に、少女の姿が映る。
「おやおやおや? これは幼い少女ではないですか。ですが装備からして、冒険者のようだ。くひゃひゃひゃっ、面白い獲物がやってきましたねえ。どう料理してあげましょうか」
残酷な魔族は舌なめずりをする。
だが余裕に溢れていた彼の表情が凍りついた。
「幼い子供の悲鳴ほど私の欲を満たすものはありません! さあ、私が洞窟に仕掛けた108個の残虐な罠が火を噴き――ん? なんですかこの少女は、キノコを採取している……? なるほど、キノコ採取の依頼で来たわけですね。ですがそれは……待ちなさいっ、それは赤蝶茸! 色も形も、わかりやすく毒キノコだとわかる筆頭ではないですか! 冒険者はおろか素人でも母親から『絶対に触っちゃダメよ』と教えられる毒キノコの中の毒キノコ! さらに言えば、末端とはいえ術式を構成している一部……なっ、素手で取って――しかも生で食べた!?」
あまりに愚かな少女の行動に、驚きを隠せないインディヴァード。
だが直後、彼はさらなる驚愕に襲われることとなる。
「馬鹿な、苦しむどころかさらに他の毒キノコにも手を出した!? しかもあの動き、どう見ても、毒キノコだけを狙って食べています! おやめなさい、それは指腐茸! あなたぐらいの年頃の少女が口に含むとグロテスクで絵面がひどい! あぁ、そっちはデビルマッシュ! 少女が悪魔を食らうのですか。普通は逆でしょう!? 怪獣ですかあなたは! ああ、さらに死人茸まで! 見た目が死体のように見えるから死人茸と呼ばれるというのに、それを食べるとは! 育てるのにどれだけ時間がかかったと――ぺっしなさい! ほら、ぺっ!」
もちろん音声は向こうに届いていないので、サーヤが止まることはない。
「なんなのですかあの少女は……毒キノコを食べてあのような幸せな顔をするとは。まさか我らの仲間? いえそんなはずはありません、猛毒に耐えられるのは毒を操るティタニア様ぐらいのもの。我らとて死人茸など食べれば一日と保ちません! ってあぁ、そこにまで手を出すのですか!? それはいけません、術式の中枢を担う大事なキノコをッ、おお、そんなイチゴ狩りのような感覚で食べてしまうのですか! クレイジー! あまりにクレイジイィーッ! クレイジーマッシュガール! オーマイガッ!」
インディヴァードは、繰り広げられる信じがたい光景に頭を抱え、髪をかき乱す。
「ふぅ……何者かは知りませんが、これ以上見過ごすことはできません。術式は傷つきましたが、発動に問題はありません。元より頑丈に組まれた術式ですから、どんなに欠損しようとも、洞窟そのものが破壊されない限り、帝都ぐらいは壊滅させられるよう作られているのです。灯台下暗し――のためだけでなく、帝都付近に術式を仕掛けたのは、距離による威力の減衰を防ぐためでもあるのですから」
深呼吸を挟み、彼は少しだけ冷静さを取り戻した。
そして鋭く尖った爪先で、浮かび上がる映像の一部に触れる。
「さてと――罠その1、残忍に発動なさい」
星域術式は隠されているだけではない。
その洞窟には、勇者が気づいたときのために、罠も仕掛けられていた。
紫蜜茸に手を伸ばしたサーヤの足元の地面が開く。
「お別れです、ポイズンガール。地下500メートルの奈落に沈むがよい」
少女の体は重力に引き寄せられ、穴の底に落ちる――はずだった。
しかし、なぜか彼女はその場にとどまっている。
「……ん? 映像が止まってしまったのでしょうか」
そう思うのが自然だ。
だがしかし、少女は浮いたまま動き出した。
その髪は逆立ち、彼女から発される波動により近くにある水たまりが波打っている。
「私は、幻でも見ているのでしょうか」
現実を受け入れられないインディヴァード。
その間にも、サーヤは穴の上から移動し、地面に着地している。
彼女は首をかしげながら穴を覗き込むと、『まあいいっか!』と言わんばかりに明るい笑顔でその場から去っていく。
「はっ、現実逃避をしている場合ではありません。あの少女、帰り道にも毒キノコを食べるつもりのようです。そのような狼藉、許すわけにはいきません! 罠その2、その3、その4、冷酷に連続発動!」
上下左右、四方向からサーヤに向かって鋭く尖った岩の槍がせり出してくる。
射出速度は銃にも勝るほどだ。
この至近距離で、人間が反応できるはずもなかった。
岩の槍は少女を串刺しにし、映像が砂埃に包まれる。
「どうですっ、さすがにこれで――なっ!?」
だが白煙が晴れると、そこには無傷のサーヤの姿があった。
反応できなかったのではない。
反応しなかったのだ。
壁拳アイギスを使い硬化した体ならば、防御する必要すらなかった。
「ミスリルゴーレムですら無傷でいられない威力なのですよ? それを受けて、平然と歩いてっ! あのようなことが……くっ、ならばこれでどうです。罠その5、猟奇的に押しつぶしなさい!」
落下してくる天井を、サーヤは腕一つで支えながら歩く。
「貪欲なる罠その6!」
キノコに擬態したモンスターがサーヤに触れようとしたが、体から放たれた“気”だけで消し飛ばされる。
「悲劇めいた罠その7ぁ!」
岩による打撃が無理なら、炎で攻める。
両側からせり出してきた射出口から火炎が放射された。
サーヤはその中を、『お師匠さまの修行よりは涼しいですね』と言わんばかりに胸元をパタパタさせながら涼しい顔で通り抜けていく。
「はぁ……はぁ……まだです。まだですよ、名も知らぬ少女よ! 私の罠の貯蔵はまだまだ残っているのですから!」
インディヴァードにも意地がある。
彼はありったけの罠を一気に発動させ、サーヤを攻め立てた。
それは魔王をしても『十歳の女の子にちょっとやりすぎじゃない?』と引くほどの苛烈さであったが――
「なぁぜだあぁぁぁぁっ! なぜっ、この天才である私がここまでの罠を仕掛けたというのに、その全てを平然と避ける! 耐える! 破壊するうぅぅぅぅぅうう!」
結局、サーヤに傷一つつけることはできなかったのであった。
「ならば……ならば奥の手です。そのひゃくはちいいぃ! 奈落より現われよ、Sランク冒険者ですら貪る邪悪なる牙! 邪竜ニーズヘッグッ!」
洞窟全体が揺れ、最初に開いた穴から、巨大ななにかが現れる。
それは黒い竜であった。
表面は鱗でぬらりと光り、目はぎょろぎょろと左右で違う方向を見つめ、口からはでろんと舌がこぼれ、大量のよだれが地面を汚す。
もはや竜というよりはトカゲと言ったほうが近く、また高潔なモンスターである竜と呼ぶには下品すぎた。
インディヴァードの美学にも反するモンスターではあったが、彼の言葉通り、それは奥の手。
本来なら勇者相手でも披露するはずのなかった、最終手段なのである。
「さあ、さあさあさあ! その強靭なる牙で、私の策略を台無しにするそのガキを食い散らしなさいっ! くひゃひゃひゃひゃひゃっ!」
サディスティックに笑うインディヴァード。
ニーズヘッグは這いずりながら、猛スピードでサーヤに迫る。
洞窟内は音がよく響く。
さすがにサーヤも異変に気づき、振り向くと、暗闇の向こうから迫りくる気配を察知し――拳を構えた。
そしてニーズヘッグの接近に合わせるように、口を開く。
映像を凝視するインディヴァードは、聞こえない音声の代わりに、読唇術でサーヤの言葉を読み上げた。
「全、力、全、開、せいけん……エクスカリバー?」
少女の拳から、洞窟よりもさらに太く広い、白のビームが放たれ――映像が光に包まれる。
黒のニーズヘッグも、白い光に塗りつぶされた。
音は聞こえてこない。
聞こえてこないが――インディヴァードの脳内には、シュゴォォオオオッ! という激しい破壊音が鳴り響いていた。
「そ、そんなバカ、な……」
光が晴れる。
そこに立っていたのは、少女一人だけ。
洞窟のほとんどは破壊され、ニーズヘッグは巨大なトカゲの黒焼きになってしまっている。
当然――星域術式は、完全に崩壊していた。
「なんなのですか、あの少女は……あんな化物が人類側に存在するだなんて! いけません、これはいけませんよ、世界のバランスが壊れてしまう! 魔王様に報告を――いや、かくなる上は、私が直接叩いて――え?」
インディヴァードとサーヤの目があった。
彼は、その唇の動きを再度読んだ。
「あなた、見ていますね……?」
そして少女は拳を振るう。
『追拳フラガラック!』
そう言葉を発して。
「う、うあ……なにかが、こちらに近づいて……逃げ切れないっ! こんな距離で! こんな速度で! こんな正確さで! ありえない、ありえないんだよおぉ! うわあぁぁぁああああああああっ!」
◇◇◇
洞窟から出たサーヤは、足を止めて一息つく。
「まさかあんなものが住んでる上に、誰だか知りませんが盗撮犯までいたなんて。監視の術はお師匠さまがわたしのお風呂を覗くのによく使ってましたからね、見抜くのは簡単です。あとはおしおきがうまくいっているといいんですが」
当然、彼女はそれが魔王軍幹部によるものだとは気づいていない。
ひょいひょい拾い上げていた毒キノコが術式を作っていることも知らないし、もちろん自分が世界を救ったという自覚は微塵も無かった。
「それにしても……他の冒険者たちがこないのには、ちゃんとした理由があったんですね。事前に危険を察知して近づかない――やっぱり先輩たちはすごいです。そしてわたしはまだまだです! もっと修行して、自分をみがかなければ!」
己の未熟さを実感するサーヤ。
しかしながら、ランプとは逆側にぶら下げた袋には、依頼の品である紫蜜茸がちゃんと入っている。
「とはいえ、なにはともあれ初依頼完了です。早くセレナさんに報告しましょうっ! んふふ、セレナさんやおじさんたちは喜んでくれますかねー。今日はわたしのおごりでおいしいものを食べちゃったりして……ふっへへーっ♪」
そしてサーヤは軽い足取りで、帝都へと戻っていくのだった。