042 マーブル
魔王城では現在、20体ほどの銀狼が暮らしている。
彼らはフェンリルを長とする群れであり、かれこれ200年ほど、1体も欠けること無く生き残ってきた。
それはひとえに、フェンリルが優秀なリーダーであったからに他ならない。
炎の神とも呼ばれる特異個体、イフリート。
他者と触れ合えないほどの猛毒を身に宿した孤高の毒蠍、ティタニア。
そして、ドワーフでありながら四天王にまで上り詰めた戦闘の天才、シルフィード。
フェンリル以外の四天王に共通するのは、“個の強さを極めた者”ということだ。
だがフェンリルは違う。
彼は常に群れで行動したし、その行動の優先基準の最上位は“群れを守ること”。
魔王への忠誠は、いわばその副産物に過ぎなかった。
帝都から魔王城まで逃げ帰ってきたフェンリルは、銀狼たちに与えられた広間に顔を出す。
彼の顔を見るなり、くつろいでいた仲間たちはすばやく立ち上がり、リーダーの周囲に集った。
「お帰りなさいませ、フェンリル様!」
「わふっ、ダークネスとの会合はいかがでしたか!?」
「わふん、彼女の満足げな顔を見ると、成功したのですね!」
興奮気味の彼らを、フェンリルは「まあまあ」と落ち着け、部屋の奥に置かれた大きなクッションのところに移動する。
そしてそこに寝そべると、「ふぅ」と大きく息を吐いた。
体を包み込む使い慣れた感触に、ようやく緊張の糸が切れる。
ここが彼の定位置だ。
個室も与えられているが、休む時は仲間と一緒にこの広間を使うことが多かった。
「失敗だ。ダークネスはすでに、我の思うような組織ではなくなっていた」
「わふ……そうですか……」
「問題ありません! フェンリル様のお力と私たちが力を合わせれば、必ず帝都を制圧できるはずです! わふっ!」
「そうだそうだっ、なんたって俺たちにはフェンリル様がいるんだからな! わふんっ!」
失敗を告げてもなお、「わふわふ」と奮い立つ銀狼たち。
ちょっぴり頭は足りないが、チームワークは抜群だし、そこらのモンスターに比べれば力だって優れている。
確かに、相手が今までどおりの人類であれば、ここにいる全員で帝都を制圧することは可能だったろう。
「わふ! そうと決まれば、帝都に攻め込もうぜ!」
「待て待て、落ち着けお前たち。我はしばらく、状況を静観するつもりだ。今の帝都に仕掛けるのは危険だからな」
「わふ……そうなのですか?」
「ああ、我は四天王として残った最後の一人になる。しばらく動かずとも、この地位は揺るがないからな。無理に被害を広げるような真似はしたくないのだ」
「わふっ、フェンリル様がそう言うならしかたないな!」
「そうだね、フェンリル様の言うことだもんね。わふっ」
仲間たちは基本的に従順であった。
フェンリルを全面的に信頼し、その言葉を疑わない。
たまにそれが重圧になることもあるが、事実として、これまで彼は誰一人として仲間を失うこと無く、群れを導いてきたのだ。
信頼は、その結果である。
「そういうわけだから、お前たちもしばらくは好きに……ん?」
話しながら、集まった仲間たちの顔を見ていたフェンリルは、あることに気づく。
「頭数が五人ほど足りないようだが、どこに行ったんだ?」
「わふ! 何時間か前に、魔王様に呼び出されてました!」
「魔王様が? 我ではなく、なぜあいつらを……少し見てくるか」
サーヤとのエンカウントのせいか、気持ちは重いし、体の疲れもある。
できればもう少し休みたかったが、それより仲間を優先するのがフェンリルという男。
彼はクッションの誘惑から抜け出すと、
「お前たちは好きにしていていいぞ」
そう言い残して、広間を出た。
◇◇◇
魔王城の廊下を、一人歩くフェンリル。
元より、広さの割に他者の気配があまりしない場所ではあったが、イフリートとティタニアが居なくなってからは、寂しさを感じるほど静かになっていた。
この城がどこにあるのかはフェンリルですら知らない。
外観は、黒い岩石で作られた、まるで全体が禍々しい彫像のような城だ。
庭も用意されており、シルフィードの利用する訓練場などが設置されているが、その端は断崖絶壁。
下を覗き込めば漆黒が広がっており、底は見えず、どこに繋がっているのかも不明である。
空は常にどんよりと曇っており、時折雷鳴があたりに響き渡る。
長い廊下に並ぶ縦長のアーチ形窓から雷光が差込み、薄暗い廊下をふぞろいなタイミングで照らしていた。
魔王ランゾード――もといハルシオンが使用している“個室”は、その奥にあった。
以前はノックもせずに開けて怒られてしまったので、今回は『ちゃんとノックをするぞ』とフェンリルは気持ちを決めていた。
まあ、前回は慌てていたので仕方ない面もあったのだが。
(それにしても……魔王様のあの姿は意外だったな)
扉に前足を伸ばす直前、ふいに銀髪の女性の姿を思い出す。
(あれが魔王様の真の姿というわけか。まさか女性だったとは。しかしあの顔、そしてあの髪……やけにあのサーヤという少女に似ていたような。いや、考えすぎか)
マーリンとハルシオンの関係など、フェンリルが知るはずもない。
彼は思考を打ち切り、慎重にノックをしようとして――その直前で、足を止めた。
「……よく来たな、シルフィード」
「魔王サマがあちしを呼び出すなんて珍しいね」
中から会話が聞こえてきたのだ。
(シルフィードと魔王様? 我の仲間だけでなく、魔王様はあいつまで呼び出していたのか)
割り込まれれば、魔王様もあまりいい気分では無いだろう。
フェンリルは、二人のやり取りが終わるまで、その場で待つことにした。
決して、会話を盗み聞きしようとしたわけではない。
気になるのは事実ではあるが。
(……聞こえてくるのは二人の声だけか。ならば魔王様に呼び出されたあいつらは、一体どこに居るのだ)
◇◇◇
シルフィードは、少し困っていた。
彼女は正直、魔王のことが苦手だからだ。
今まではイフリートやティタニアが居たし、何より魔王が個人的にシルフィードを呼び出すことなど無かったので、1対1で話した事など片手で数えられる程度の回数しかなかった。
魔王はいつものローブをまとった姿で、部屋の奥に鎮座し、小さなシルフィードを見下ろす。
「よく来たな、シルフィード」
「魔王サマがあちしを呼び出すなんて珍しいね」
「それだけ非常事態ということだ。ところでその顔……私と話すのがそんなに嫌か」
「嫌じゃないけどさあ。ソンケーはしてるし、すごいなーとも思ってるよ」
「思っていることを素直に言ってみよ」
「……何か、濁ってる感じがして苦手」
「濁っている?」
「イフリートは、ノーヴァと馬鹿やれたらどこだっていいって感じだった。ティタニアは、シンプルに他人を憎んでた。フェンリルは、たぶん仲間のために戦ってる。あいつらって、動機がはっきりしてんだよね」
「それがどうしたのだ」
「けど、魔王様は何か違うな、と思って。口調とか言葉は変わんないけど、濁ってるとか、混ざってるとか、そんな感じがして苦手」
シルフィードの言葉を聞いて、魔王は肩を震わせる。
「ふ……それで濁っている、か。ふはは……ふはははは……あははははははははっ!」
魔王がなぜ笑っているのか、シルフィードにはまったくわからなかった。
ただその声に含まれた感情もやはり“濁っていて”、聞いていてあまり気分の良いものではなかった。
「実直に力を求めてきたお前が、私にそう感じるか。なるほど、鋭いな。素晴らしいぞ、シルフィードよ! ふははははっ!」
「は、はあ……どうも」
「そんな貴様に、私から贈り物がある。受け取れ」
魔王の近くの景色が歪むと、そこから白銀色の、やけにゴツい篭手が現れる。
一対の篭手は浮かんだままシルフィードの眼の前まで移動し、反射的に構えた彼女の手のひらの上に収まった。
「それは神器だ」
「神器って、大昔にマーリンって魔女が持ち去ったっていう伝説の武具じゃ……」
「……ああ、そういうことになっているな。だがそれは違う、出来たばかりの、新たな神器。名を“ドミネイター”と言う」
「ドミネイター……」
確かにその見た目は、“伝説の武具”と呼ぶにはいささか質素であった。
無駄な装飾は無く、手を覆い、守ることに特化した、機能的で効率的な防具。
唯一の飾りと言えば、縁に描かれている読み取れない文字ぐらいのものだろうか。
シルフィードはドミネイターをじっと見つめる。
自分の顔を反射するその表面に、魂が吸い込まれるような感じがした。
不気味に感じるのは、手作りではなく、何か機械めいたものを用いて作られたような、不自然なまでの均一性のせいだろうか。
バランスは取れているが、そこに温かみは無い。
少なくともシルフィードが知る限り、魔王軍にこのような装備を作れるモンスターはいない。
ドワーフ族には腕のいい鍛冶師もいるが、どうしても“癖”は出るものだ。
ならばこれは、一体誰が、新たに作ったものなのか――考えようかとも思ったが、すぐにやめた。
謎の多い魔王のことだ、きっと想像もつかない手段で手に入れたに違いない。
「それはただの篭手ではない。装着した者に、この世ならざる力を与える。その力があれば――シルフィード、貴様でもサーヤを殺すことができよう」
「サーヤに……勝てる……」
殺すつもりはない。
だが、勝てるようになれたら、それは嬉しい。
道具のおかげというのが引っかかるが。
「安心しろ、卑怯などではない。あのサーヤという少女も、おそらく神器の力を使っているからな」
「そうなのか?」
「でなければ、あのような馬鹿げた能力を得られるはずがない。つまりだシルフィード、貴様がそれを使ってはじめて、サーヤと対等な立場になるのだ」
もちろん、ハルシオンはサーヤが神器の力を使っているかどうかなど知らない。
可能性として頭の片隅には存在するが、今こうしてシルフィードに語ったのは、彼女を丸め込むために他ならなかった。
「さあシルフィードよ、装着してみよ」
「……わかった」
まだ完全に納得したわけでは無かったが、シルフィードは言われるがままに篭手を両手に装着する。
冷たい感触が彼女の両手を包み込む。
同時に、“どくん”と大きな力が腕から流れ込んでくるのを感じた。
「こ、これは……あちしの体が熱い。すごい力が、あちしの体を満たしているっ!」
「そう、それが神器の力だ。ドミネイターは装着者の能力を大幅に増幅させ、全身に満たし、そして――」
魔王はにぃっ、と邪悪に笑う。
「脳を侵し、貴様を支配する」
「え……っ!?」
シルフィードの体がびくんと震えた。
ドミネイターから流れ込んだ力が、脳にまで達したのだ。
「あ……がっ、ががっ、が、ひっ……!」
そして支配していく。
シルフィードは抗おうとしたが、抗えるはずもない。
「神の見えざる手だ。抵抗するほど、辛くなるぞ」
「魔王……サマ……あち、し……を……っ!」
「恨み言か? 四天王など、しょせんは駒に過ぎない。役に立たなくなったら、使い捨てる。それの何が悪い」
「が……ぁ……サー……や……ぁ……」
のけぞり、白目をむくシルフィード。
支配は完了した。
彼女はもはや、ドミネイターに操られる人形に過ぎない。
「さあシルフィード、四天王の責務を果たすのだ。帝都に向かい、サーヤを――否、人間も、寝返ったモンスターどもも、全員殺せ。いいな?」
「……」
瞳から光が失われたシルフィードは、無言でがくんと頷く。
そして幽鬼のように左右に揺れながら、部屋の出口へと向かっていった。




