004 女装なので男子トイレに入る
サーヤがギルドに戻ってくると、酒場で騒いでいた男たちの視線が集まる。
「お、エクスカリバーが戻ってきたぞ!」
「ジェットがいねえ……カリバー兄貴が勝ったのか」
「さすがだなカリバー兄貴!」
「変なあだ名ができてる……」
呆れ顔のセレナだったが、当のサーヤは“兄貴”と言われることに満足しているようだ。
どこか誇らしげな彼女に苦笑しながらも、手早く事務作業を終わらせ、冒険者証を渡すセレナ。
「ついに冒険者証をゲットです! これでわたしも立派な冒険者ですよーっ!」
「おめでとうカリバー兄貴!」
「活躍を期待してるぜエクスカリバー!」
「めでてえから俺が酒をおごってやるよ、こっちに来なカリバーちゃん!」
「十歳の子にお酒を飲ませようとしないでくださいっ!」
「えへへぇ……」
「サーヤちゃんも喜ばないの!」
にわかに騒がしくなるギルド内。
(故郷ではこんなにたくさんの人がいる場所ってなかったですから、新鮮で浮かれちゃいますねぇ)
よほど楽しいのか、サーヤは「えへ」とだらしなく笑っている。
その笑顔を見ると、セレナも強いことは言えず――結局、他の冒険者たちに軽くおごってもらうことにした。
もちろん、アルコールは抜きで。
◇◇◇
サーヤとセレナがギルドを出る頃には、外はすっかり暗くなっていた。
「ほへー、帝都って暗くても明るいんですねぇ」
興味津々と言った様子で、通りを照らす魔灯を見上げるサーヤ。
「魔導機関ね」
「まどーきかんって言うんですか、かっこいいですね!」
「サーヤちゃんかっこいいのハードル低くない? まあ……モンスターが増えてる影響で核が大量に取れるようになったから、魔導機関の普及が進んでるのよ」
「核が関係してるんですか」
「あれはいわば魔力の塊。魔王の力っていうのが不穏だけど、動力源としては優秀らしいのよ。だから雑魚モンスターの核でも、それなりの値段で買い取られるってわけ」
「はえー、だからさっきの核をセレナさんにわたしたら、お金がもらえたんですね」
サーヤの手には布袋が握られている。
先ほど、セレナから“報酬”として渡されたものだった。
200個ともなると、物価が高いと言われる帝都でも数日は遊んで暮らせるほどの額になる。
「ねえサーヤちゃん、あの大量の核……本当に自分で集めたの? ジェットが手伝ってくれたとかじゃなくて?」
「ジェットさんとは核を集める勝負をしていましたから、当然べつべつですよ? ふふん、こう見えてもわたし、意外とたたかえるんですからっ。もちろん、本気を出したジェットさんには敵わないかもしれませんけど」
(いやー……十分に本気だったんじゃないかなぁ)
セレナは冒険者ではないので、モンスターと戦うことはない。
しかし受付嬢として、一般的な冒険者が一日にどれだけ核を入手できるのか、それぐらいは把握している。
200個という数は、時間を考えると明らかに異様だった。
それに、核はそんなに軽くない。
大量に詰め込んだ袋を片手で軽く担いでいる時点で、かなりの怪力なのである。
(この子、実はとんでもない逸材なのかも。人材不足のギルドとしては手放したくないわね、子供に頼るのは情けないけど)
人を見た目で判断してはならない。
それもまた、彼女が受付嬢として経験を積むうちに学んだことである。
どんなに小さくても、どんなに幼くても、“天才”と呼ばれる人間は実在するのだから。
「……っと、ここが私の家よ」
「おぉー、大きいですね!」
「まあ、宿が併設されてるから、敷地のほとんどはそっちに持っていかれてるわ」
セレナがサーヤと一緒にギルドを出たのは、ここに案内するためだった。
自分のうちに泊める――わけではなく、安くて手頃な宿を探しているというから、連れてきたのだ。
宿の入口は自宅の玄関とは別にあり、扉の上には『金の鶏亭』と書かれた看板があった。
扉をくぐると、「いらっしゃいませー!」と元気な声が響く。
「あっ、セレナお嬢! おかえりなさいませっ!」
天真爛漫な笑みを見せる、八重歯がチャームポイントな栗毛の犬っぽい少女。
名はレトリー、住み込みで働いているこの宿の従業員だ。
身長が小さいので子供に見られがちだが、実はセレナと同じ20歳である。
「セレナさん、お嬢さまだったんですか!? いわゆるセレブだったんですか!?」
「この宿の娘ってだけだから。大したことないわよ」
「謙遜なさらないでくださいセレナお嬢様!」
「そうですよセレナお嬢」
「二人して悪乗りしないの!」
「しかしお嬢はお嬢ですし、私はメイドですし……」
「レトリーはただの従業員! メイド服は制服! 母の趣味!」
ビシッ、と言い切るセレナ。
宿の一階にはレストランがあり、レトリーはそこのウエイトレスだった。
セレナが言う通り、彼女の母の趣味で制服はメイド服である。
休日に店を手伝う時はセレナも着せられるが、正直恥ずかしいと思っていた。
「ところでそちらの小さくて可愛い女の子はどちらさまです?」
「ああ、この子は――」
「女の子じゃありません、これは女装です!」
「え、女装……? こんなクオリティの高い女装が実在するんですか!? しかもこの歳で! とんだ逸材じゃないですかお嬢!」
「レトリーは黙る! えっと、そのあたりを説明するとややこしいんだけど……」
かくかくしかじか、事の経緯をレトリーに解説するセレナ。
すると話しているうちに、いつの間にか彼女の両親も近づいてきて耳を傾けていた。
しかし『本当は女の子だけど女装という設定にしている』と本当のことを言ってしまうと、サーヤが抗議してくる。
なので仕方なく、『本当に女装している男の子』という体で説明するしかなかった。
「驚いた、どこからどう見ても女じゃねえか。名前も含めてな」
髪の短い筋肉質の男性――セレナの父親であるグレイツがあごひげを触りながら言う。
「この顔つきですもの、女物の服を着せたくなる親御さんの気持ちもわかるわ」
髪が長く目は細い、優しそうな女性――セレナの母親であるミレーナは頬に手を当てながら言う。
「だな、セレナも小さい頃は男物の服ばかり着ていたからなぁ」
「懐かしいわねえ。それが今はこんなに女らしく育っちゃって」
「もう。お父さん、お母さん、そういうのはいいの! とにかく、サーヤちゃんには今日からうちの宿に泊まってもらうから。それでいい?」
「もちろんだ。なんなら宿代をタダにしてやってもいいぐらいだぞ」
「それはさすがに申し訳ないです。自分でお金をかせいで、ひとりで生きていくのも修行のうちですから」
「よく出来た子ねぇ、よしよし。なにか困ったことがあったら私たちに言うのよー?」
「いえ、そんな甘やかされたら修行にならないので……その、撫でるのも、子供扱いするのもやめていただけると……」
「うふふ」
ミレーナはサーヤの抗議を聞かず、マイペースに頭を撫で続ける。
「ふにゃぁん……」
やんわりと逃げようとしたサーヤだったが、ミレーナの巧みなテクニックの前に敗北。
猫のように気持ちよさそうに目を細めた。
◇◇◇
ただの宿泊客だというのに、なぜか歓迎会が開かれ、サーヤは豪勢な食事で盛大にもてなされた。
サーヤは若干忍びない気分になりつつも、歓迎されて悪い気はしない。
ひとまずその場は素直に喜んで、『あとでお金がたまったら恩返しをしよう』などと考えていた。
そんな歓迎会も二時間ほどで終わり、レストランも店じまいの時間がやってきた。
サーヤはセレナに案内され、自分の部屋に向かう。
部屋は六畳一間のワンルーム。
ふかふかのベッドと魔導灯があるだけで、宿としてはかなり上等な方である。
安さも加味するとコストパフォーマンスはかなりいい。
サーヤは金貨の入った袋を机の上に、故郷から持ってきた荷物の入った袋をベッドの上に置いた。
中に入っているのは、着替えと、師匠からもらった、お守り代わりの手紙だけだ。
それを袋から取り出した彼女は、師匠の顔を思い出して「ふふー」と笑う。
物心ついたときから、サーヤは師匠とずっと一緒だった。
もはや師匠と言うよりは、親代わりと言ったほうがふさわしい。
破天荒で、深く考えているようであまり考えていなくて、無茶な修行を課せられたりもするけれど、優しい女性だった。
今までは夜寝るときも一緒だったから、一人のベッドというだけで、少し寂しい。
けれどそれも修行の一環。
『一人で冒険者として生きていくの。そして自分が“立派な冒険者になれた”と感じたそのときが、修行終了の合図よ』
いきなり“男しか冒険者になれない”という試練が訪れたり、前途多難ではあるが――ひとまずそのスタートラインに立つことができた。
「明日から冒険者としてたくさん困ってる人を助けないとですね……!」
ベッドの上に正座で座り、衣服をたたみながら、決意を新たにするサーヤ。
そこで彼女は、ふいにブルッと体を震わせた。
「ん……トイレ」
独り言を言いながら、部屋を出るサーヤ。
「ひえぇ……」
魔導灯がオフになっているせいで、廊下は真っ暗だった。
見慣れぬ場所ということもあってか、闇の向こうに恐ろしいなにかが潜んでいる想像をしてしまう。
「なんで廊下の奥の暗闇ってこんなにこわいんでしょうか……」
一応、一人で寝る訓練はした。
一人でトイレに行く訓練だって何度か。
だいたい50%ぐらいの確率で師匠に助けを求めて泣きついていたが、助けを求められる相手は今はもういない。
(10歳にもなったら一人でトイレに行くのが普通なんです。他の子はみんな一人で行けるって師匠は言ってましたし、わたしにだってできるはず。できる、やればできる、やれば……)
どれだけ自分に言い聞かせても恐怖は消えない。
しかしサーヤにもプライドがあった。
「――っ!」
彼女は目をつぶって、一気に廊下を駆け抜ける。
そして感覚だけでトイレの前に到着すると、ドアノブに手をかける。
「サーヤさんではないですか。女子トイレなんかに入ろうとしてどうしたのですか?」
そこでサーヤに声をかけたのは――レトリーだった。
「レトリーさん……?」
「サーヤさんは女装していても男の子なんですから、男子トイレを使わないといけませんよ?」
「へ? 男子、トイレ……?」
女装と言えば、冒険者になれると思っていた。
サーヤがそれを思いついたときは、とんだ妙案だと自分で自分を褒めたものだ。
しかし彼女は、それ以外の部分を考えていなかったのだ。
(そうです……わたしが男なら、使うトイレは男子トイレ! なんということでしょう、わたしはそこまで考えていませんでしたっ! サーヤ、みぞうの大ピンチですっ!)
「向かいにある扉が男子トイレです。今は明かりもついていませんし、誰も使っていませんから、入れるはずですよ」
「い、いえ、その、わたしは……男ではなく女装なので! ハートは女の子!」
「はい、そそる設定ですが体は男の子なので男子トイレですね」
「それもそうですよね!」
レトリーは決して、サーヤを邪魔したいわけではないのだ。
ただ単に、ごくごく自然な常識をもって行動しているだけ。
(レトリーさんがここにいる限り、わたしは女子トイレに入れない。ここは待ちましょう、かほーは寝て待てです)
サーヤはひとまず男子トイレの前に立ち、レトリーの様子を見る。
だがレトリーも同じように、サーヤの様子を見たまま女子トイレに入ろうとはしない。
(なぜ……レトリーさんもトイレに用事があるからここに来たはずではっ!?)
「サーヤさん、もしかしてひとりでトイレに入るのが怖いんですか?」
「へっ? い、いえ、そういうわけでは……」
「ごまかさないでいいんですよ、暗闇を怯えてお姉さんに泣きつくのはショタの特権ですから。ですが私はノータッチを貫く身、一緒に男子トイレに入ることはできません」
「そう、なんですね……?」
レトリーの言っていることがよくわからないサーヤ。
しかしなぜか、少しだけレトリーが怖い。
「ここは私が助け舟を出して差し上げましょう。女の私では男子トイレには入れませんから、グレイツさんを呼んできますね。同じ男なら気兼ねなく一緒にトイレを使えますよね?」
(一番ダメなやつですよそれーっ!?)
よりにもよって、である。
レトリーはよかれと思ってやっているだけなのだ。
そこに悪気がないことはサーヤにもわかる、わかっているが――
「あの、別にトイレが怖いわけではなくてですねっ、えっと……そうだ、故郷では女子トイレを使っていたんです! なので男子トイレの使い方がわからなくてですね!」
「へえ、女装に理解がある故郷だったんですね。私の同志もいそうですね。でもここは帝都です。郷に入りては郷に従えといいますし、グレイツさんにトイレの使い方を教えてもらうべきではないでしょうか」
(あまりに正論です!)
目の端に涙を浮かべながらも、反論できないサーヤ。
このままでは、グレイツに男子トイレに連れ込まれたあげくに、自分が女ということがバレる羞恥プレイを受けてしまう。
それだけは回避しなければ。
(だれか、だれか助けてくれる人は……ううぅ、いるわけありませんよね。だって今は夜、みんなそろそろ寝静まる時間です。かくなる上は、猛ダッシュでここから逃げて……いやそれはダメです、そもそもわたしはトイレがしたくてここにきたんですから!)
葛藤がぐるぐるとサーヤの頭の中を巡る。
レトリーはそんなことは露知らず、さっそくグレイツを呼びに行こうとしていた。
こうなると、もはやサーヤは祈ることしかできない。
(お願いします女装の神様、わたしは女装しているわけではありませんがどうかお守りください……!)
そして――
「あれ、レトリーじゃない。こんなところでどうしたの?」
救いの神は現れた。
(セレナさん! あの人はどうやらわたしの女装を信じていないようです。本来ならよろこぶべきことではありませんが、今だけはそれが救い! まさに女神降臨です!)
一人喜ぶサーヤ。
男子トイレの前に立つ彼女を見て、セレナは意地悪そうに笑いながら言った。
「あ、あのセレナさんっ、実はわたしですね……」
「サーヤちゃんもいたんだ。そんなとこに立ってどうしたの? 男子トイレはそこで合ってるよ?」
(いじめっ子だこの人ーっ!)
その表情からして、彼女がわざと言っているのは明らかだった。
「それが男子トイレの使い方がわからないそうなんです。なので今から、グレイツさんを呼んで教えてもらおうかと思いまして」
「へー、そうなんだ。それはおもしろそうだけど……私が付いてくから大丈夫よ。レトリーは自分の用事を済ませなさい」
「セレナお嬢が? 男子トイレに入るんですか? 男の子と一緒に!? ダメですよそんなのおねショタ案件です! エロ漫画の導入じゃないんですから!」
「あんたはいかがわしい本の読みすぎなのよ!」
「えろ……まんが……? 都会の文化ですか?」
「サーヤちゃんは知らないでいい世界のことよ。ほらほら、早くトイレに入るわよー」
「あぁっ、そんな! 深夜に男子トイレでお姉さんと女装ショタが二人きりぃーっ! 薄い本が厚くなるぅー!」
「だから黙れっての!」
興奮するレトリーを放置して、二人でトイレに入るセレナとサーヤ。
扉を閉めて、レトリーの声が聞こえなくなると、セレナはほっと一息をついた。
「ごめんねぇ、レトリーが悪絡みして」
「いえ、ほとんどよくわかりませんでしたから。でもレトリーさんが博識な方だということはわかりました」
「博識っていうか……こじらせてるのよ、あれ」
セレナは遠い目をして言った。
「それにしても――まったく、女装だなんてバレバレのウソをつくからこうなるのよ」
「ウソではありません、女装です!」
「ふふっ。心配しなくても、冒険者をやめさせようとは思ってないわ。あなたにも都合があるんでしょうしね」
「そうなんですか……?」
「まあでも、そういうのうるさいやつはいるから、外じゃ一応女装ってことで通したほうがいいかもしれないわね。もし今みたいに困ることがあったら、私を頼りなさい。近くにいるときは助け舟ぐらい出せるわ」
「セレナさんを? どうしてそこまでしてくれるんですか?」
「冒険者証を渡したよしみよ。それに――」
セレナはしゃがみ、サーヤと視線の高さを合わせると、ぽんぽんと頭を撫でた。
「サーヤちゃんってなんだか放っておけないんだもの」
彼女の微笑みに、故郷を出て今までずっと感じていた寂しさが埋まっていく。
じんわりと氷が溶けるように、サーヤの瞳に涙が浮かぶ。
しかしそれは悲しみの涙ではない。
新たな拠り所を見つけた、喜び――その胸の暖かさがもたらす一滴だ。
「わたし……帝都で最初に会えたのがセレナさんでよかったです! ほんとうにありがとうございますっ!」
「大げさな子ねぇ。だから放っておけないのよ」
それは孤独な幼い少女と、心優しい一人の女性が心を通じ合わせる、感動的な瞬間であった。
ここが男子トイレでさえなければ――