035 LastRegrets
過去編ラストです。
春が来た。
季節の話ではなく、気持ちの面で。
マーリンと恋人になってからのハルシオンのはしゃぎようは相当なもので、一緒にいるだけでいつも幸せの絶頂と言わんばかりにニコニコと笑っている。
対するマーリンは、『私は冷静よ』と言わんばかりにクールを装っていたが、実際はニヤニヤが抑えきれておらず、ハルシオンと変わらないぐらいハッピーなのは誰の目にも明らかだった。
起床して、『おはよう』を交わす。
並んで朝食を作り、食べさせあいっこをしながら食事を採る。
手をつなぎながら外を歩く。
人目が無いところで、ハルシオンが耳に口を近づけて、「好き」と囁く。
我慢しきれず、マーリンが彼女の唇を奪う。
一瞬一瞬が、どこを切り取っても鮮やかに色づいている。
帰宅して、「おかえりとただいまのちゅー」とか言いながら軽くキスをする。
マーリンが実験をしている間、ハルシオンはそれをじっと見ている。
彼女は『見ているだけで幸せ』だという。
マーリンも『見られているだけで、同じ空間にいるだけで幸せだ』と感じる。
並んで夕食を作る。
肩をぴたりとくっつけて、「食べにくいわ」、「食べにくいねー」などと言いながらも楽しそうに食事を採る。
一緒にお風呂に入る。
同じ布団で、抱き合って眠りにつく。
おやすみのキスは忘れずに。
一日の全てが、信じられないほどの幸福に満たされている。
そんな日々は、かれこれ半年ほど続いた。
ここまで堂々とされると、周囲もさすがに文句を付けるのを諦め、特に何も言ってこなくなった。
もっとも、“国”としては納得できない面があったらしく、最後の最後まで「モンスターを買う暇があるなら戦争に協力しろ」などといちゃもんを付けてきたが――
「この子に魔術師としての才能を見出しました。ハルシオンは私の弟子ですよ」
そんな適当な言い訳と、とある代償を払うことでどうにか突っぱねることができた。
そういうわけで、マーリンとハルシオンの関係は、表面上は師匠と弟子ということになっている。
まあ、別にマーリンはハルシオンに稽古など付けていないし、誰がどう見てもそれ以外の関係なのだが。
城で王族とやりあった帰り道。
マーリンは、ハルシオンと繋いだ手とは逆の方に、やけに大きなケースをぶら下げていた。
「ねえお師匠様、お城でもらってきたそれって何だったの?」
「……ストップ」
「ん?」
「ハルシオン。その“お師匠様”っていうのは、何?」
「だって、私はマーリンの弟子だから。あ、“師匠!”の方がよかった?」
「そういうことじゃないから! あれはただの方便よ、私はハルシオンを弟子にするつもりなんて無いわ」
「そうだったの!?」
「そりゃそうよ、恋人なんだから」
「恋人兼、弟子はどう?」
「死ぬほど甘やかすから無理よ、稽古にならないわ」
「私、マーリンに手取り足取り色々教えてもらいたいけどな」
「だから、稽古にならないのよ。手取り足取りなんてしたら、別のこと始めちゃうでしょ?」
マーリンがそう言うと、ハルシオンは一瞬固まり、首をかしげる。
だがすぐにその意味に気づき、一気に顔を真っ赤に染めた。
「な、何言ってるのマーリンっ! すけべ! えっち!」
付き合いはじめて半年が経った。
まあ、恋人なのだからそういうこともある。
「事実を言っただけよ。そういうわけだから、お師匠様は無しで」
「わかった、いつもどおりマーリンって呼ぶ」
あっさりと承諾するハルシオン。
だが実を言うと、マーリンはちょびっとだけ名残惜しいと感じていた。
(名前呼びもいいけど、たまにはそういうプレイも……いや、プレイとか言ってたらまた怒られるわね)
そういうことは何年後かに、ハルシオンがそういうのに慣れてから――と、マーリンは楽しみにを将来に取っておくことにした。
「それでマーリン、お城でもらってきたそれって何だったの?」
改めて、ハルシオンは会話を仕切り直す。
話題はマーリンが持っている黒のケースに移った。
「神器よ。戦争に協力するつもりが無いにしても、せめてこれの解析ぐらいは進めろ、とのありがたい命令よ」
「神器って、もう戦争に投入されてるんじゃなかったの?」
「フラガラックとレーヴァテインの二つだけね。この“滅剣”ティルフィングだけは、あのアホどもでも扱うことができなかったの」
「どうして?」
「使った人間から代償を奪い取る剣だったからよ。私ぐらいの天才的な使い手なら、体力を消耗するだけで済むでしょうけど――そこらの剣士が使えば、振っただけで命が吹き飛ぶ。そういう代物だったのよ」
「そんなもの、マーリンが持ってて大丈夫なの!?」
「私なら問題ないわ。でもね、あいつらは『自分たちにも使えるようにしろ』って要求してきたの。帝国に押され気味だから、どうにかして反撃したいんでしょうね」
「そんなに戦って、どうするつもりなんだろうね。お金とか、食べ物とか、たくさんもらえるのかな」
「対して旨味なんて無いわよ。プライドでしょう。この国はね、魔術師の肥大化したプライドだけで成り立ってる国なのよ。だから、馬鹿にされたら絶対に仕返ししなくちゃならないの」
「それって、個人的な気持ちじゃないの?」
「ええ、そうよ。でも、帝国も『自分たちが最も強くなければならない』っていうプライドで動いてるから、どっちも止まんないの。ま、この街まで巻き込まれるようなことがあれば、私はとっととハルシオンと二人で逃げるけどね」
「いいの?」
「ここは帰るべき場所なんかじゃない。愛着なんて無いわ」
マーリンの故郷は、ジェミナスの端、帝国との国境付近にあった。
そこでのんびり暮らしていた所を、才能を買われアストラルまで半ば強引に連れてこられたわけだが――その後、故郷は戦争に巻き込まれて焼け落ちてしまった。
今はもう、残っているのはわずかな焼け跡だけだし、同郷の人々は誰が生きているのかもわからない状況だ。
もう、マーリンにとって帰る場所なんて無いのだ。
「まあ、強いて言えば、ハルシオンの隣が私にとっての“帰る場所”ね」
「私はずっと、マーリンの横にいるよ」
「当然よ、手放すつもりなんて無いんだから」
それを確認するように、握る手に力を込めるマーリン。
ハルシオンも握り返すと、二人は微笑み合った。
彼女が体調を崩し寝込んでしまったのは、それから数日後のことだった。
◇◇◇
マーリンは、ベッドに横たわるハルシオンの額に手を当てる。
「熱が収まらないわね……おかしいわ、体に異常は無いはずなのに」
能力だけでなく、知識も常人離れしていたマーリンは、医術の心得もあった。
スペルを用いることで即座に体の異常を発見し、的確な対処が可能だったのである。
それはモンスターであろうとも例外ではない。
ハルシオンは人に近い形をしている。
しかし、やはりモンスターなだけあって、体の作りには違いがあるものだ。
二人が一緒に暮らし始めてから半年。
いずれこういう時が来るかもしれない――そう覚悟した上で、マーリンはハルシオンの体を隅々まで調べ上げていた。
いかなり病を患おうとも、治療できる。
そのはずだったのだ。
「感染症の線は無い。臓器にも異常はない。痛み止めも、解熱剤も効かない……どうなってるのよ、本当に!」
「マーリン……私……平気、だよ。そんなに……辛くは、ないから……」
「こういう時に嘘なんてつかないの! 素直に甘えなさい」
「うん……じゃあ、手を、握って」
マーリンはすぐに指を絡め、ハルシオンの手を優しく両手で包み込んだ。
「ありがと……少し、楽に、なった……」
「ごめんなさい。さんざん偉そうにしておいて、肝心な時に無力を晒すだなんて……」
「そんなこと無いよ。マーリンは、すごい。きっと、私の体も……すぐに、治ると思う。だから、心配しないで」
「ハルシオン……」
「……ねえ、マーリン」
「……何?」
「キスしたら、伝染っちゃうかな」
「っ……!」
マーリンは立ち上がると、すぐさまハルシオンの唇を奪った。
そして鼻の先が触れ合う距離で、言葉を絞り出す。
「伝染るなら、それでいいわ。伝染ってくれれば、対処法がわかるんだから!」
「じゃあ……もっと、キス、して? 触ってる時は……辛く、無いの」
「あなた……辛くないとか言っておいて、やっぱり辛いんじゃない!」
「あ、そうだった……ごめん。うん……やっぱり、辛いっていうか……息苦しくて、暑い……かな」
ハルシオンの体を蝕む“熱”は、40℃を越えていた。
こんな原因不明の発熱が、すでに数日続いているのだ。
どれだけ治療しようとも、快方に向かうどころか、悪化の一途である。
出来うる限りのことは試した。
貴重な薬草も、消耗の大きなスペルも、眉唾もののおまじないも、全部試した。
しかし効果は無く――マーリンにできることは、ハルシオンを隣で抱きしめ、語りかけることのみ。
翌日、さらに熱は上がった。
その翌日、なおも熱は上昇。
次の日、ハルシオンの言葉数が減りはじめる。
さらに次の日、彼女は完全に苦しそうな呼吸を繰り返すのみとなり、反応は、微かに手を握り返すだけになった。
あまりに追い詰められたマーリンは、周囲の人々に助けを求めようとした。
普段の彼女であれば絶対にありえないことだ。
もちろん、タダで頼むような厚かましい行いはしない。
あくまで仕事を依頼するという体で、金だって払ったし、将来の協力だって約束して、貴重な道具を引き渡したりした。
ある魔術師は「私にはどうしようもない」と諦めた。
次の魔術師は「この薬なら効くかもしれない」と法外な値段で安い薬を売りつけてきた。
マーリンはそれでも縋り、大金を支払ってハルシオンに飲ませた。
もちろん効果は無かった。
さらに次の魔術師は「とても良く効く薬ですよ」と笑顔で、安価で薬を分けてくれた。
毒だとすぐにわかったので投げ捨てた。
そんな時、ある貴族から花束が届いた。
“死者の弔い”を意味する花に、『おめでとうございます』のメッセージが付けられていた。
「ふざけるなぁぁああああああああッ!」
マーリンは花束をその場で床に投げつけ、踏みつける。
何度も、何度も、怒りと憎しみと自分の不甲斐なさをぶつけるように。
「ふざけるなっ! ふざけるなっ! 何が『おめでとう』よ! まだハルシオンは生きてるのよぉおおおッ!」
そしてマーリンはすぐに後悔する。
自分で、“まだ”などと口にしてしまったことを。
そして膝から崩れ落ち、両手で顔を覆って、肩を振るわせ嗚咽を漏らす。
「う……ううぅ……ハルシオン……嫌よ、せっかく見つけた……私の、居場所なんだから……私の、生きがいなんだから……失ってたまるもんですか……!」
言葉で強がるのは簡単だ。
だがそのために、何をする? どうしたらいい?
病気かもしれない。
食事が合わなかったのかもしれない。
空気にモンスターにとって毒となる成分が含まれていたのかもしれない。
呪いかもしれない。
様々な可能性を考え、全てを試してみたが、成果はでなかった。
ならばこれ以上、自分の知識でもどうしようもない困難に、どう立ち向かえばいいと言うのか。
「ハルシオン……誰か……誰でもいいから、あの子を……っ!」
背後から、誰かがマーリンを抱きしめる。
火照り、汗ばんだ体が、震える腕で包み込む。
ハルシオンだった。
「マー……リン……」
「あなた……どうしてここにっ!? ダメよ、ベッドで寝てなくちゃ!」
「なか……ない、で……わた、し……しあわ、せ……だ……た……」
彼女は、終わりを悟っていた。
理由はわからない。
だが、自分から“自分”が失われていく感覚があったから。
(きっと、これは、幸せな夢だった)
そう思うことにした。
夢にしてはいささか長かったが、きっと、自分を哀れんだ神様が与えてくれたボーナスステージだったのだろう、と。
(お父様は生まれたときから私を必要としなかった。私は、いつだって誰かに必要とされたがっていた。マーリンは、その願いを……叶えてくれた)
十分すぎるほど、無意味だと思っていた人生に、意味を得ることができた。
(本当は……もっと、一緒に居たかったし。うん……居たかった、けど。それは、わがままだよね)
後悔はある。
輝かしい未来が見えていたからこそ、後悔しかない。
だが、それは自分に過ぎた願いだったのだ――と、そう思うことにして、どうにか諦めた。
「認めないわ……こんな終わり。たとえ誰が――偉い連中が、いけ好かない魔術師たちが、そして天の上から観戦してる神どもが認めたとしても! 私は、こんな終わりを認めないッ!」
しかし、マーリンは折れない。
ハルシオンを抱き上げ、再びベッドに寝かせ、口づける。
「絶対に、あなたを救ってみせるわ。どんな手段を使っても――そうよ。まだ、私は……“全て”を試したわけじゃない!」
マーリンの瞳に宿るのは、決意の炎。
暗く、激しい、全てを焼き尽くす熱狂的な執念。
彼女は立ち上がった。
病の可能性は消えた。
ならば考えられるのは、“呪い”。
天才たるマーリンですら見つけられないような、あまりに高度で、深く、複雑な呪いである。
見つける方法が無ければ、治療することはできない。
だが――
「呪いをかける可能性のある連中を全員ぶっ飛ばせば、呪いは消えるわ」
ハルシオン以外がどうなろうと、どうでもいい。
そして修羅とし化したマーリンは、全てを屠るべく、家を出た。
◇◇◇
「……その後、マーリンは実際に、ジェミナス中の怪しい魔術師や貴族を全員ぶん殴って回ったそうだ。もっとも、さすがに殺しはしなかったようだがな」
キャニスターが日記の内容を全て読み終えると、それを聞いていたサーヤたちはぽかんとした表情を浮かべていた。
「マーリンさんって、すごい人なのね……」
「ラブロマンスって言うからもっと甘いのを想像してましたが、まさかそんなオチになるとは思ってもいませんでした」
「わたしの知ってるお師匠さまとはつながらな……いや、なんとなく似てる気もしてきました」
師匠はサーヤのことをとにかく甘やかすが、同時に無茶な課題を出す人でもあった。
「でもヨ、なんかおかしくネーカ?」
「何か不満か、コウモリ」
「コウモリじゃねエ、ノーヴァだゼ!」
ノーヴァはイフリートの肩の上で、羽を広げて決めポーズを取る。
それを見たキャニスターは「ふん」と鼻で笑った。
「オレ様もノーヴァの意見に賛成だな。キャニスター、貴様はそれを日記と呼んでいたな。ならばなぜ、マーリンが家を出る直前まで書いてある。外出前に、律儀に日記を書いていたというのか?」
「マーリンの記した日記は、あまりに字体が統一されすぎている。おそらく、使役していたゴーレムとやらが自動的に描いていたのだろう」
「そういえばそんなのも出てきてたわね」
「便利ですねえ、私も一体ほど欲しいのですが」
「いかがわしい用途にしか使わなそうね……」
「なんでバレたんですか?」
「否定しなさいよそこは!」
「あの、でもキャニスターさん。お師匠さまの日記に描かれていたのは、家を出るところまでなんですよね」
「そうだ。魔術師たちをぶん殴って回ったというのは、別の資料に残されていた記録だな。半ば拷問じみた方法で、日頃の鬱憤を晴らすように魔術師たちを痛めつけたらしく、一大事件としてジェミナスの歴史に刻まれていたよ」
「そのあと、ハルシオンさんはどうなったんでしょうか……」
「わからん。はっきりしていることは、その直後にマーリンは各国の神器を盗んで姿を消したということだけだ」
「なア、イフリート。オレさア、さっきの話を聞いてテ、300年前に魔王サマの中身が入れ替わったって話、やっぱりホントだと思うんだよナ」
「奇遇だな、オレ様もだ。火のないところに煙は立たない、ただしオレ様がいると煙では済まない、太陽のような輝きを放つ――ということわざがあるように」
「そんなことわざ無いから」
「魔王様が入れ替わったという噂がある以上、何かは起きたに違いない」
「モンスターどもの間ではそんな噂があるのか? そうなると、マーリンはジェミナスで大暴れしたあと、魔王城に向かったのかもしれんな。そこで魔王を撃破した」
「もしそれでハルシオンって子が助かってたなら、神器を奪って回る必要は無いわよね」
「お嬢の言う通りです。つまり……助からなかったのかも、しれませんね」
その時のマーリンの嘆きは計り知れない。
当事者ではないセレナとレトリーの気持ちも、想像するだけでずしりと重くなった。
もちろんマーリン――つまり師匠のことをよく知るサーヤも暗い表情を浮かべる。
「わたしにお師匠さまって呼ばせていたのも……ハルシオンさんが関係しているんでしょうか」
「無い、とは言い切れないだろうな」
「というか、私思ったんだけど……サーヤちゃんの親って、ハルシオンさんなんじゃない?」
「へっ?」
あまりに突拍子もないセレナの発言に、目を見開くサーヤ。
しかし一同の視線は、彼女の表情ではなく、銀色の髪に向けられた。
「銀髪なんてそうそういないし」
「肌の色も、外で活発に活動してるのに白いですよね」
「強さも人間離れしてるしナ!」
「あのっ、ですが、ハルシオンさんは……」
「賢者と呼ばれたほどのマーリンのことだ。子供かどうかはわからんが、無関係ではないと考えた方が自然だろう」
イフリートにまでダメ押しされ、言葉を失うサーヤ。
別に否定したいわけではない。
だが、急に知らない人を親と言われても、戸惑ってしまうだけだ。
しかし、愛する人の忘れ形見を育てていた――と考えると、マーリンの行動にも合点がいく。
「私にはただのラブロマンスにしか思えなかったが、どうやらお前たちには意味があったようだな」
キャニスターはわずかにだが微笑んだ。
つぎ込んだ予算が無駄ではなかったと知り、彼なりに安堵しているのだろう。
「ところでキャニスターさん、魔王城って実在したんですか? 今は、どこにも見つかってないですよね」
「当時はジェミナスの国境付近にあったと言われているな。今の位置は、そこの四天王に聞いた方が早いだろう」
「ガハハハハ! わかるならオレ様も話しているぞ!」
「魔王城から来たんじゃなかったのか?」
「なんつーかよオ、魔王城って出ていくとすぐに見えなくなったリ、出口がいつも違う場所に繋がってタリ、不思議な建物なんだヨ!」
「まるでサーヤちゃんの故郷みたいね」
「賢者マーリンが現在住んでいる場所か……確証は無いが、どれも微妙に繋がっているのが気持ち悪いな」
マーリン、ハルシオン、そして魔王。
この三つの繋がりは決して偶然などではなく、300年前から今も続いている。
サーヤを含めて、この場にいる全員がそれを感じてはいたが――しかし、どう繋がっているのかを正しく理解しているのは、この場にはいない、当事者たちだけであった。
◇◇◇
この世界のどこかに存在する魔王城。
その一室に、銀髪の女性の姿があった。
彼女は物憂げな瞳で、窓の外に広がる帝国をじっと見つめている。
「魔王様っ!」
そこに、ノックもせずに犬っころが入ってきた。
「はっ!? ま、魔王様!?」
魔王が居るはずの場所に、なぜか女性がいる。
彼女の姿を目撃したフェンリルは慌てふためく。
「入る前は許可取れと言ったはずだが」
青い瞳が、するどく彼を睨みつけた。
「も、申し訳ございませんっ!」
フェンリルはすぐに全身全霊で謝った。
謝るのは慣れているが、やはり胃はキリキリと痛む。
「ですが、そのお姿は……」
「これが我だ。見られても困るものではないが、他言は無用だぞ、フェンリル。もし他の者に知られたのなら――」
魔王は手をかざし、次元を歪めることで、フェンリルの真横の空間を喰らった。
音もなく削り取られた床を見て、フェンリルの胃はさらにぎゅーっと締め付けるように痛む。
「貴様も、そうなると思え」
「は、ははぁーっ!」
フェンリルは手足を投げ出すように床に頭をこすりつけ、忠誠を示した。
その間に、魔王は近くにかけられていたローブを手に取り、それを纏う。
すると大きさは異なるものの、顔も体も見えないいつもの姿に戻った。
「それで、何の用だ」
同時に、女性のものだった声も、低く野太い男性のものに変わる。
「それが、我らがどれだけ探しても、魔王城にシルフィードの姿が見えないのです!」
「ああ、アレなら帝都に向かった」
「へっ!?」
「堪え性のない奴だ。サーヤとやらの話を聞いて、我慢できなくなったのだろうな」
「そ……そう、ですか。魔王様は、問題は無いと……」
「四天王を縛り付けるつもりはない。優秀な者どもだからな。“安心して”全てを任せている」
「……っ、か、かしこまり、ました。問題が、無いのなら、あの、我としても問題は、ありません」
「話はそれだけか?」
「は、はいっ! それだけでございます。それでは、失礼いたしますっ!」
やけに慌てた様子で部屋を出ていくフェンリル。
彼はシルフィードと協力してサーヤを討つつもりだったのだ、それがいきなり居なくなったなれば、慌てるのは当然のことである。
だが、魔王にとってはどうでもよかった。
心の底から、どうなろうが。
フェンリルが居なくなったのなら、こんな窮屈なローブなどもう必要ない。
ひとまずフードの部分だけ外し、再び窓の外を見つめる。
だが彼女の見ている景色は、外の風景などではなかった。
◇◇◇
マーリンの暴走により、ジェミナスの首都、アストラルは大混乱に陥っていた。
だが当の彼女は、単身で魔王城に突っ込み、そのままモンスターたちのリーダー格である魔王を撃破するという無茶を成功させていた。
倒した魔王が、ローブを外すと実は“銀色の髪の女性”であったり、死の間際に嬉しそうに微笑んでいたりと気になることはあったが、そんなことはマーリンにとってどうでもいい。
呪いの根源……かもしれない魔王を倒せた。
これでハルシオンを助けられる……かもしれない。
一刻も早く結果を確かめて、元気になった彼女を抱きしめたい。
頭の中はそれで一杯だった。
『はぁ……はぁ……ハルシオン、ただいま! 私、魔王をぶっ殺してきたわ!』
そして家に戻って、マーリンが見たものは――部屋の真ん中に立つ、ハルシオンの姿だった。
マーリンはすぐさま彼女に駆け寄り、瞳に涙を浮かべながら全力で抱きしめる。
『ハルシオン、元気になったのね? よかった……よかったわぁ……やっぱり、魔王の呪いだってのね。でももう大丈夫、あいつは居ないわ。あなたが、苦しむ必要は無いの!』
涙の雫が頬を濡らす。
だがこれは悲嘆の涙ではない、歓喜の涙だ。
現に、マーリンの口元には笑顔が浮かんでいる。
溢れる感情で視界がぼやける。
マーリンは目元を腕で拭って――はじめて、それに気づいた。
『ハルシオン?』
彼女の腕には、“ティルフィング”が握られている。
部屋には、魔術師らしき人間が何人も倒れている。
その瞳は、感情を宿さぬ冷たさで、じっとマーリンを見つめている。
『これ……あなたが、やったの?』
問いかけても返事はない。
ハルシオンはティルフィングを片手に、ゆっくりとマーリンに近づいた。
『ねえ、答えてよ。別に、悪いって言ってるわけじゃないのよ? こんな奴ら、別にどうなったっていいもの。でも、何でその中に、うちのゴーレムまで混ざってるのかなって……ねえ、ハルシオン? 何か答えてよぉっ!』
何も答えない。
言葉が届いていないのか。
あるいは、届いた上で、無視しているのか。
マーリンの背中が壁にぶつかる。
彼女は肺を震わせながら浅い呼吸を繰り返し、全身にべったりと冷や汗を張り付かせながら、瞳孔の開いた目でハルシオンを見つめていた。
わからない。
なぜこんなことになったのか。
わからない。
救えたはずじゃなかったのか。
わからない、わからない、わからない――賢者の、全智なる頭脳をもってしても、何も理解できない。
なぜならば、それは――
『私は、あなたを助けたかっただけなのよぉ! なのに、なのにどうして……こんな、ことに……ハルシオン……私、は……っ』
振り上げられた剣。
ハルシオンはそれを、躊躇なく、マーリンの体に向かって振り下ろした。
『あなたを……あい……し……』
愛する人が、赤に沈む。
愛した私が、赤に汚れる。
思い出が、赤で塗りつぶされる。
◇◇◇
魔王――否、ハルシオンは自らの手のひらを見つめた。
300年経っても、忘れはしない。
マーリンを殺したのは、間違いなく彼女自身だ。
台本通りに。
盟約を履行して。
本能に従って。
生きているなんてことはありえない。
なぜなら、死んだあと首を落としたからだ。
そもそも、体だって真っ二つになっていたからだ。
神器を奪って回ったのはマーリンだ、というのが定説になっているが、ハルシオンはそうは思わない。
その泥棒の姿を見た者は誰もいなかった。
つまり、同時期に姿を消したマーリンに罪を被せただけで、彼女がやったという証拠など一つも無いのだ。
そこに希望なんて無い。
死んだ。
殺した。
この手で、終わらせた。
だから思う。
「世界なんて終わってしまえばいい」
だから思う。
「世界なんて壊れてしまえばいい」
だから思う。
「マーリンの居ない世界なんて……いらない」
サーヤの存在も、変わりゆく世界も、予想外の神鎧の出現も、ハルシオンにとってはどうでもいいことだった。
知っているから。
たとえ誰かが救いの手を差し伸べても、意味なんてないことを。
神の見えざる手が、彼女の幸福を、許してくれない。
次回から平常運転に戻ります。




