010 壊れた聖剣とエトセトラ
割れたエクスカリバー。
散らばった破片を見て固まるサーヤ、フレイグ、シーファの三人。
しばらく続いた沈黙を切り裂いたのは、
「そ、そんな……わたしのせいで、エクスカリバーが……そんなっ……うわあぁぁぁぁあんっ!」
そんなサーヤの泣き声だった。
「悪気はぁっ、悪気はなかったんですぅ! エクスカリバーがどれだけすごいかっ、ひっぐ、ずごいのかぁっ、ほんどに、ほんどうにわらし、あこがれててぇっ」
すぐにでもなだめたいところだったが、シーファにもそんな余裕はない。
「あ、あわわわ……っ! フレイグ、どうするのこれ!? エクスカリバーって世界に唯一現存する神器なんだよ!? すっごく貴重な装備なんだよ!?」
「ごめんざぁぁぁいっ! ぞんなっ、ぞんなきちょうなっ、ずびびっ、ものだと、しって……ごめんなざいっ、しってましたあぁっ! サーヤしってましたからぁっ、もうこれは、腹を……腹を斬るしかあぁぁっ!」
「うわぁっ!? サーヤちゃん? だめだめっ、こんなところで切腹しようとしないで! というか手刀で切腹できるわけないから! 落ち着いて!」
「そうだな、二人とも落ち着いたほうがいい」
「フレイグは落ち着きすぎだよお前ぇーっ!」
思わずキレるシーファ。
しかしフレイグは、顎に手を当てて涼しい顔をしている。
「できますぅ! わだじならぁ、手でも切腹ぅ! しますぅ!」
「できてもやらないで!」
「なあサーヤ、そう嘆くことはない。エクスカリバーはそういうものなのだ」
「そういう……ぐすっ、もの……?」
目を真っ赤にして涙を流すサーヤに、フレイグは優しく笑いかける。
「星の魔術が打ち破られた時、刻は満ちる。聖剣は砕け白銀の鎧を脱ぎ捨て、真なる姿を現すだろう――聖剣黙示録第六章、第二節より」
「フレイグ、それは……?」
「俺が今考えた」
「ただのポエムじゃん!」
「まあ待てシーファ、俺は勇者だ。勇者ならば、勇者パワーにより発した言葉全てが意味を持つ」
「過信しすぎだよ!」
「勇者、すごいです……」
「あぁ、サーヤちゃんが信じちゃってる! ダメだよ適当なこと言って子供を騙したら! ていうか真なる姿もなにも、砕けちゃってるし!」
「騙してなどはいない。真なる姿が剣とは限らないからな。見ていろシーファ、サーヤ。すぐに現れるぞ、“奴”は」
「そんなわけが……」
99%疑いながら、破片を見つめるシーファ。
フレイグは腕を組み、サーヤは涙を拭きながら、同じ場所を凝視する。
すると地面がぐにゃりと歪み、なにかがせり上がってきた。
「くひゃははははははは! 発動時刻を過ぎました! あなたの無様な末路を見てやりにきましたよ、勇者フレイグよ!」
「本当になんか出たー!?」
現れたのは、ローブを纏った、髪は長く白く、肌は浅黒い大男であった。
フードに覆われた目元では、赤い瞳が妖しく輝いている。
どう見ても人間ではない。
「私は邪念のインディ……」
「あなたがエクスカリバーの精霊さんですか!?」
「えっ?」
「そうだ、こいつがエクスカリバーの精霊。その名もフェアリー・オブ・エクスカリバー!」
「誰ですそれは!? 私は邪念のインディヴァードです!」
「エクスカリバーの精霊じゃないんですか? じゃあジャネンさん、なんのご用でしょうか」
「名前はそっちではなーい! はっ――貴様は、私の妨害をした化物少女! よくもあのときはやってくれましたね、この顔を忘れたとは言わせませんよ!」
「初対面ですけど」
「……よく考えたらそうでしたねぇ!」
「どいつもこいつもアホっぽいなぁ!」
思わず暴言を吐くシーファ。
だが咎めるまともな神経をした人間は誰もいなかった。
フレイグは険しい表情で一歩前に出ると、インディヴァードと向き合う。
「それで邪険のインディヴァード」
「邪念です!」
「邪念のインディーズ」
「なんで今度はそっちを間違えるんです!? あとアマチュア扱いはやめなさい!」
「邪念のプロ」
「そういうことじゃないんですよぉーっ!」
「わがままなやつだ、ならばなんと呼べばいい?」
「邪念のインディヴァードでいいんですよ! そのまま本名で!」
「……?」
「首を傾げて『あれ、しっくり来ないな?』みたいな顔をするなァーッ!」
すっかりフレイグの空気感に呑まれているインディヴァード。
「あの、ジャネンノ・インディヴァードさん」
「発音が気になりますが、名前を呼んでくれるだけマシですね。なんでしょうか? 一つぐらいなら答えてあげましょう」
「わたし、少女じゃなくて女装なんです」
「それここで言うことですか!?」
「女装だったんだ……女の子にしか見えないよ」
「俺は見抜いていたぞ、勇者パワーで」
「さすがに嘘だよね?」
「あの出で立ちからして、彼女は冒険者だ。冒険者は男しかなれない、となれば女装と考えるのが自然だろう」
「思ったよりまともな発想だった……!」
「さすが勇者さま、わたしをひと目で女装だと見抜いたのはあなたがはじめてです!」
「ふっふっふ、やはりそうか。勇者は観察力も、他の者達を凌駕しているからな! この双眸に宿る勇者アイならば、この世にはびこる姿の見えぬ悪ですらも見抜いてみせよう」
「その割に私の毒には気づいていないようですね」
「黙れインサート! あれはあえて見逃していただけだ、貴様をおびき出すためにな!」
「待ってフレイグ、適当なことを言ってこれ以上混乱させないで! 毒ってなに? ボクたちにそんなものを仕掛けていたの?」
「くひゃひゃひゃっ、そうです勇者。私は星域魔術の発動に失敗したあと、直接貴様に手を下すために、この帝都に侵入していたのです! そして昨日のうちに貴様に近づき、そのエクスカリバーに致死毒を仕掛けさせてもらいました! 発動時刻はすでに過ぎています。本来ならば貴様はすでにここで息絶えて……息、絶えて……ゆ、勇者貴様ーっ! なぜ生きているーっ!?」
「今更そこに突っ込むの……?」
「この人、ちょっとアホっぽいです……」
サーヤにすら言われる始末。
しかし決して、インディヴァードが悪いわけではないのだ。
こんな事態、本来なら起きるはずがないのだから。
「もしかして、エクスカリバーが壊れちゃったから、毒が発動しなかったの?」
「エクスカリバーが壊れたですって!?」
「ああ、そうか――エクスカリバーは俺を守るために自壊したのか……!」
「まさか、エクスカリバーにそんな能力があったとは!」
もちろん無い。
あれが壊れたのは単純に、サーヤのパワーが半端なかったからだ。
「くっ……作戦は失敗しましたが、あなたは結果としてエクスカリバーを失いました。光の力を宿したあの剣がなければ、あなたは魔王様を倒すどころか、我々とまともに戦うこともできないはずです!」
「それはどうかな?」
「なんですと……?」
「仮にあのエクスカリバーが折れたとしても、第二第三のエクスカリバーが現れ、お前たちを追い詰めるだろう!」
「なっ、あの聖剣にさらなるそんな能力があるというのですか!?」
「パァン・ペィタージュ・スァラッド・スティーキ・ルァイス・ストゥルベィルィ――」
手を前にかざし、目を閉じて詠唱を始めるフレイグ。
インディヴァードはごくりと唾を飲み込んだ。
「さあ、勇者の呪文に呼応し、虚空より目覚めよエクスカリバー・ネクストジェネレーション!」
「勇者さんからすごい力を感じます。なにか、腹の底から根源的な衝動がわきあがってくるような……!」
「まさか、フレイグのあの呪文はっ!」
「な、なんなのだあれはっ!」
「昨日の夕食のメニュー……!」
「頭おかしいんじゃないかあいつ!?」
ちなみに魚も出てきたが、フレイグは苦手なので食べなかった。
「クソッ、なぜだ……なぜ目覚めない、エクスカリバー・ネクストジェネレーション!」
膝をついて悔しがるフレイグ。
「当たり前でしょう! もういいでしょう、こんな茶番は終わりです! あなたたち全員、ここで始末してあげますよ! くひゃひゃひゃひゃひゃっ!」
さすがに付きあいきれなくなったインディヴァードは、鋭い爪で彼に襲いかかった。
するとシーファが前に立ちはだかり、短剣で受け止める。
「やらせないよっ!」
二本の短剣をクロスさせ、つばぜり合うシーファ。
しかし彼女はパワータイプではない。
魔王軍幹部の力の前に、完全に押し負けていた。
「ぐっ、強い……!」
「くひゃひゃひゃっ! 今のあなたたちでは、幹部に勝てるはずがありません! お退きなさいひ弱な虫けらよ!」
「嫌だ、ボクは退かない!」
彼女は力で負けた分を、ハートでカバーする。
歯を食いしばり、限界を越えた力を引き出しながら。
「怪我では済みませんよ?」
「なにを失ったっていい、フレイグの役に立ってみせるんだ!」
「シーファ……」
それはシーファが、故郷を出るときに決めたことだった。
フレイグはなにかと隙の多いやつだ。
割と優しいし、頼りがいもあるのだが、シーファがついていないとなにをやらかすかわからない。
それになにより――そんなフレイグのことが、好きだから。
(助太刀したいところですが、ああも密着していたのでは手が出せません。一旦距離を取ってくれれば……)
近すぎるシーファとインディヴァードの距離に、前に出れないサーヤ。
「ではあなたの健気な覚悟を、私の暴力で踏みにじってあげましょう!」
インディヴァードが動く。
ローブの背中部分が盛り上がったかと思うと、両腕よりも更に巨大な腕が二本、そこから生えてきた。
「なっ、四本の腕!?」
「手足が二本ずつ――そんな人間の常識が、我らに通用するとでも思いましたか!?」
彼らは人ではない。
たまたま人に近い形をしているだけなのだ。
「シーファアァァァァァッ!」
「無駄です、もう間に合いませんよ!」
フレイグの叫び声が響く中、巨大な腕がシーファに襲いかかる。
すると――ズドドドドッ! とインディヴァードの体に、エクスカリバーの破片が衝突した。
「ぐ、あっ!?」
彼の体は吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
(今のスペルって……あれ?)
その現象にサーヤが既視感を覚える中、フレイグは肩を上下させ呼吸を整えるシーファに駆け寄った。
「大丈夫か、シーファ!」
「こ、これは……エクスカリバーの、破片……!? なぜ、あの呪文は……ただの夕食のメニューだったはずでは……」
「俺は勇者だ! 勇者の力は、俺の意思は、なにがあってもお前たちのような悪には負けない! たとえ無意味な呪文だったとしても、それはなんらかの力になる!」
「馬鹿な……そのような、理屈が……ぐはっ……!」
意識を失うインディヴァード。
しかしフレイグは、もはや彼のことは眼中にないようであった。
「やった……すごいよフレイグ! 魔王軍の幹部を倒し……あっ」
無言でシーファを抱きしめるフレイグ。
「お前が無事でなによりだ」
「あ、あわわっ、あわわわっ!?」
シーファの顔はまたたく間に赤く染まり、体温は急上昇した。
「体が熱いぞ。はっ、まさか毒か? どこをやられた、見せてみろシーファ!」
傷を探そうと、彼女の体をまさぐるフレイグ。
「待って、脱がせないで! ほら見てるから! サーヤちゃんがこっち見てるからこんなところじゃダメぇーっ!」
「なにを言っているんだお前は。男のくせにそんなことで恥じらうんじゃない!」
「だからボクは女なんだよぉおおお!」
シーファの悲痛な声が響き渡る。
だが彼女を男と信じて止まないフレイグは、それでも手の動きを止めようとはしなかった。
「勇者さんたち、無事でなによりです。魔王軍の幹部というやつも倒せたみたいですし、これで一件落着……あ」
ほっと一安心できたのもつかの間。
サーヤはエクスカリバーの破片を見て、再び現実に引き戻された。
インディヴァードはエクスカリバーの精などではなく、魔王軍の幹部だったのだ。
つまりフレイグの語っていた聖剣黙示録は事実ではなかった――サーヤが余計なことさえしなければ、エクスカリバーは割れなかったのである。
「そうでした……わたし、あのエクスカリバーを割ってしまって……う、うぅ……うわあぁぁぁああんっ!」
「泣くな女装少女よ!」
「ぐすっ……でも、フレイグさん……わたし……っ」
「エクスカリバーは、いずれ壊れる運命にあったのだ。魔王との激しい戦いの中で、俺はそれを感じていた」
「どういう……ずずっ……こと、なんです……ひっく……か……?」
「エクスカリバーは、俺の勇者パワーに耐えられる剣ではなかったのだ。俺が剣を振るう度に、こいつは悲鳴をあげていた」
「そんなことに……」
「だから仕方のないことなんだ。なあに気にするな、俺が真の勇者ならば、すぐに新たな聖剣から近くに寄ってくる。いわゆる聖剣体質というやつだ」
「そんな体質まで……勇者さんって、本当にすごいんですね。わかりました……でも、ごめんなさい。本当に、ごめんなさいっ」
「あはははっ、それでも謝るとは、よくできた子だな。きっと素晴らしい冒険者になるだろう。まあ、俺には及ばないだろうがな! あっはっはっはっはっ!」
(また適当なこと言ってる……でもまあ、それであの子が救われるならそれでいいか)
サーヤも泣き止み、笑顔が戻り一件落着――かのように思えたが。
(それより問題は――あの割れたエクスカリバーをどうするか、だよねぇ)
実際は、最大の問題が残っているのであった。
◇◇◇
その後、フレイグとシーファはサーヤと別れ、仲間たちのもとに戻っていった。
割れたエクスカリバーを見たマギカはフレイグを怒ると思われたが、もはやそれを通り越して魂の抜けた表情で失神。
これ幸いとファーニュが「介抱します!」と言って部屋に連れ込まれたという。
もちろんその話は皇帝を始めとする帝国政府の人間にも伝わった。
「なあに、すぐに代わりは見つかる。俺は勇者だからな!」
とかっこつけて言い放つフレイグ。
それに対し皇帝ラングレンは、
「見つかるわけが無いだろうがドアホがあぁぁぁぁッ!」
と渋い声でブチ切れた。
さすがにこのときばかりは、フレイグも涙目だったらしい。
◇◇◇
そして翌日、
『聖剣エクスカリバー粉砕! 神器が失われたことにより、魔王討伐は困難に』
サーヤはそんな記事を目にしてしまった。
「やっぱり大丈夫じゃないじゃないですかぁ! わたしの……わたしのせいで勇者さんのエクスカリバーが……うわあぁぁぁあんっ!」
新聞を見て急に泣き出したサーヤを前に、事情を知らないセレナたちは戸惑うばかり。
とりあえず泣き止まそうと試行錯誤し、最終的にセレナの指をしゃぶることで落ち着いたという。