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孤独の吸血姫   作者: 凰太郎
~第一幕~
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鮮血の魔城 Chapter.7

挿絵(By みてみん)

「ええい、忌々しい!」

 生来(せいらい)癇癪(かんしゃく)に支配されるまま、エリザベートは(わめ)き散らす。

 進展見せぬ定例会議が終わり、(あて)がわれた客部屋の浴室で私的時間に(ひた)る──その一幕だ。

 金貼りの浴槽が誇示する豪奢(ごうしゃ)さは、彼女の傲慢(ごうまん)気位(きぐらい)に拍車を掛けていた。

 その浴槽内に貯まる赤い水嵩(みずかさ)は、頭上から(したた)(そそ)がれる流血の彩美(さいび)

 ()かる肢体の白さに、鈍く淀む赤が滑る。

 毒々しい悪夢的な色香だ。

 浴室内には()せかえるほどの()(なまぐさ)さが(あふ)れ漂っていた。

「忌々しい! 忌々しい! 忌々しい!」

 強い腹立たしさだけがリフレインする。

 言うまでもなく、カーミラ・カルンスタインとカリナ・ノヴェールへ対する呪詛だ。

 とりわけ、予想外(イレギュラー)な介入者への(いきどお)りは大きい。エリザベートの敵意に気付かぬカーミラとは異なり、あの小娘は明らかに見透かしていた。

 のみならず──どういう意図かは分からないが──露骨な挑発に宣戦布告してきたのだ!

「あの小娘、カーミラに通じていなければ良いが……」

 懸念(けねん)へと(ふけ)る意識に向けて、必死の命乞いが耳障(みみざわ)りに届く。

「御許しを! 御夫人様、後生です! どうか御許し下さい!」

 黙らせても黙らせても、黄色い懇願(こんがん)一時(いっとき)も絶えなかった。

 キッと頭上を(にら)み据える。

 爛々とした加虐心が見上げる先には、大きな鉄の(まる)駕籠(かご)が吊されていた。それはキィキィと慣性に揺れ、内側に捕らえた娘を不安定な足場に(もてあそ)ぶ。

「ぅあぁぁう! い……痛い! ヒィ……どうか、どうか御許しを!」

 駕籠(かご)が揺れる(たび)に悲鳴が漏れ、鮮血が流れた。

 内側に突起した無数の刃が、娘の身体を刺し刻んでいたからだ。

「いい加減に黙れ! この下賎(げせん)の娘めが!」

 エリザベートは腹立たしさに立ち上がった。

 しなやかな全裸の白肌に、鮮血が赤いショールと(まと)わりついている。それは猟奇的な美を(いろど)っていた。

 あからさまな八つ当たりに、駕籠(かご)を大きく投げ揺らしてやる。

「ひ! ひぃぃぃぃぃいいいいいっ!」

「アハハハハハハ! アハハハハハハハハハハハハ!」

 一際大きい悲鳴が上がると、吸血夫人は心底楽しそうに高笑いを響かせた。

 細々と流れる赤が浴槽に流れ落ちて(かさ)を増す。

 この拷問器具は、通称〝(とり)駕篭(かご)〟と呼ばれる。生前のエリザベート自身が考案した陰惨な娯楽だ。

 彼女は他にも、悪名高き拷問器具〝鋼鉄の処女(アイアン・メイデン)〟なども創作している。処女を(かたど)った鉄棺(てっかん)の内側に、無数の刃を据えた代物だ。閉じるだけで生さず殺さずの串刺し刑が執行される。

 これら()むべき拷問具は、鮮血への欲求と猟奇的嗜好の充足手段として開発された物だ。

 しかし、後年(こうねん)には魔女裁判や異教徒尋問などで需要性を発揮する事となる。

 なんと愚かしくも皮肉な話だが〝血濡(ちまみ)れの伯爵夫人〟として裁かれたエリザベートが、旧暦中世のカトリック政権に貢献した功績は軽くない。

 だからこそ、彼女には神と信仰を(あざけ)る資格があった──少なくとも、エリザベート自身はそう考える。

 感謝される(すじ)こそあれ、弾劾(だんがい)される()われはない。

 白い肌に赤い(ぬめ)りが(うるお)いを与え、古きに置き忘れた若さが甦る気がした。

 否、実際に甦っているのだと、エリザベート・バートリーは感じている。

 一頻(ひとしき)りヒステリックな喜悦(きえつ)衝動を満足させた妖妃(ようき)は、心地よい疲労感に酔って鎮まった。

「今宵は(いささ)(きょう)が過ぎたか……」

 一転して静寂に包まれた浴室で、冷静に還って呟く。

 (きし)(とり)駕篭(かご)に横たわる生娘(きむすめ)は、グッタリとしたまま動く事は無い……もはや二度と。

 血の気を失った白い肢体と、弱々しく(したた)(あざ)やかな鮮血──吸血夫人にとって、永劫に飽きる事のない至悦の(みなもと)

 熱に浮かされた白昼夢から覚めたかのように、エリザベートは浴室の片隅へと意識を傾ける。

 そこに積み重なるのは(おびただ)しい屍の山!

 処女達の肢体が折々と築く屍丘(しきゅう)だ!

 正常な精神には、(なま)めかしくもおぞましい光景である。

 この哀れな娘達は、皆〝絞り(かす)〟だ。浴槽を満たすだけの流血量は、到底一人分では足りないのだから。

 自らの肌を()でるに撫で、エリザベートは満足へと浸っていた。妖しげに照り返す赤の(ぬめ)りが、彼女の美しさを維持している実感に変わる。

「ああ、なんと(うるわ)しい事か……我が瑞々(みずみず)しさよ」

 彼女の鮮血への渇望は、これに起因する点が大きい。他の吸血鬼と一線を(かく)する要因だ。

 濡れた裸身を拭いもせずに、血塗れの伯爵夫人はバスローブを羽織って浴室を出た。



 応接間のソファにくつろぎつつ、エリザベートは先の余韻を反芻(はんすう)していた。

 (くゆ)らせる赤ワインで喉を(うるお)す。

 と、不意に他者の気配を感じた。

「……ドロテアか」

 (ひと)(ごと)めいて呼ぶのは、生前から(したが)えている魔女の名。

「左様で」

 抑揚を控えた返事と共に、背後に黒い影が()いた。

 影は人型となり、従者としての実体を刻む。

 褐色の美貌を(はら)んだ黒い長外套(ローブ)の女性であった。

 見た目の年齢はエリザベートより一回り若く思えるが、そもそも人外の実齢など分かったものではない。

 風呂上がりの杯を(たしな)みながら、エリザベートは()う。

「先の不埒者──確か〝カリナ・ノヴェール〟といったか──何か判ったか?」

「残念ながら詳細は不明……ですが、()の者のおかげで、少々興味深い流れがロンドン塔に滞留(たいりゅう)しつつあります」

「ほう?」

 掌中(しょうちゅう)でくゆらせる赤の小波(さざなむ)に、エリザベートの細まる目が映り込む。

「まずジル・ド・レ卿ですが、カリナ・ノヴェールとの決着には不服を募らせている様子。多少揺らぎをつつけば、事を起こす可能性は大きいかと……」

「で、あろうな」()して興味を抱かぬままに返し、コクリと喉を鳴らす。「あの男の気位(きぐらい)を考えれば当然であろう。やれ〝騎士道〟だとか〝武人の誇り〟だとか……ほんに男という生き物は愚かしい」

 実益の利を生まぬ美徳を小馬鹿にしつつ、エリザベートは浅い回顧に酔った。

 彼女の胸中に去来しているのは、もはや還らぬ者となった夫への慕情──そして、満たされぬ渇き。

 彼もまた、そうした人種であった。

 そんな女主人の微々たる心境変化を、ドロテアは黙々と暗い観察眼に捕らえる。

 愛する夫の戦死こそが、エリザベートが魔性へと身を(やつ)したきっかけだ。

 (つの)り満たされぬ寂しさが、彼女を〈黒魔術〉へと傾倒(けいとう)させた。

 そもそもバートリー家は、黒く(にご)った血に支配された呪われし家系と言える。悪魔信望者である伯父に、同性愛主義者の伯母……エリザベートの実兄に至っては色情狂の癖性である。

 この(よど)んだ血は、彼女自身の内にも脈々と眠り流れていた。

 だからこそ、自称〈魔女〉たるドロテアが付け入るには苦もなかったのだ。

(……(ぎょ)(やす)い)

 策謀が内心(あざけ)る。

 その隠された本性を、エリザベートが知る(よし)など無い。

 忠臣を装った従者が淡々と報告を続ける。

「次に、カーミラ・カルンスタインですが……」(もっと)も関心を抱く忌々しい名前に、妖妃(ようき)がピクリと反応した。「どういうわけか、彼女はカリナ・ノヴェールに執心のようです。特別な客人扱いに待遇し、見通しのない滞在を約束させた様子……」

「通じておるのか?」だとしたら、由々(ゆゆ)しき事態である。「カーミラとカリナ・ノヴェールの因果関係は?」

「そこまでは明らかにありませんが、推察するに取り立てて因果関係があるようには思えません」

「……にも関わらず、特別扱いに優遇と?」怪訝(けげん)そうに推察を巡らすエリザベート。「あのカーミラが、(おのれ)以外の吸血鬼に──(こと)に素性も解らぬ一見に──好意的興味を示すなど想像もつかぬが……」

「これらの不確定要素(イレギュラー)は〈不死十字軍ノスフェラン・クロイツ〉の根幹を揺るがすに好材料かと」

 ドロテアは遠回しに野心を刺激していた。

「言われずとも察しておるわ。カーミラ・カルンスタインを──あの忌々しい小娘を失脚させ、我こそが〈不死十字軍ノスフェラン・クロイツ〉の盟主となる……それこそが永らく身を()がした悲願であるからな」

 全同属の頂点に女王として君臨し、自らの美貌と栄華を永遠に(たた)えさせる──エリザベートの心底に常々眠っている野心だ。

「時にドロテアよ、(われ)とカーミラのどちらが華美(かび)にあると思うか?」

「エリザベート様に(かな)華美(かび)がありましょうか」

「そうだとも! だからこそ()せんのだ! 何故(なにゆえ)に皆は、()()を自らの盟主へと担ぎ上げた? 頂点に君臨すべき支配者は、なによりも美しく気高(けだか)くあるべきであろう!」

 安い虚栄──ドロテアは(あざけ)りを隠し(いだ)く。

 しかしながら、エリザベート本人にとっては、何よりも重大な事柄であった。万事(ばんじ)に対する彼女の原動力は、異常なほどの〝美と権力への執着〟なのだから。

「さりながら──」息巻いていたエリザベートは、一転して消沈へと呑まれた。「──事を起こすには、揺るぎなき地盤を築くが必須。特に実戦的な兵力がな」

「御望みとあらば、手筈(てはず)を整えますが……」

 暗い瞳が狡猾(こうかつ)(いざな)う。

「いまから根回しに動くと?」

疲弊(ひへい)する兵士は所詮消耗品。別段、吸血鬼でなくても(よろ)しいかと。()すれば、うってつけの材は、そこら中に転がっております」

 懐刀(ふところがたな)が何を()わんとしているかを察し、エリザベートは不快を噛んだ。

「……デッドか」

 同じ〝死人返(しびとがえ)り〟という再誕プロセスにありながらも、エリザベートは〈デッド〉を汚らわしく思っていた。

 否、彼女に限らず、そう思っている吸血鬼は多い。

 なまじい生前の個性や自尊心を持ち越しているだけに、それらが欠落した〈デッド〉という再生体は(いや)しい粗悪品としてしか(とら)えられないのである。

 とはいえ、ドロテアが(てい)する妙案も理には叶っていた。

「確かに短期で謀反(むほん)体制を整えるには、打って付けの材だが……アレをどう操ると? 知性も感情も欠落した死体に過ぎぬぞ?」

「エリザベート様は〈ゾンビ〉という〝死人返(しびとがえ)り〟を御存知(こぞんじ)で?」

「確か〈デッド〉の別称であったな。旧暦末期には、そうした呼び名で人間共の俗物娯楽などに使われていたのであろう? 闇暦(あんれき)()ける〈デッド〉は、そうした人間共が抱くイメージを、ダークエーテルが反映具象化した存在に過ぎん」

「それは俗世に流布(るふ)した誤釈(ごしゃく)が定着したに過ぎません。正しくは〝似て非なるもの〟です」

「ほう?」

「そもそも〈デッド〉の概念が世に(たね)()いたのは、旧暦末期──怪物としては新参者に過ぎません。一方で〈ゾンビ〉は、南米ハイチのブードゥー教に()いて発祥した由緒正しき〝死人返(しびとがえ)り〟です。歴史も格も異なります。知性や自我が欠落した〝生ける(しかばね)〟である点は共通項にございますが、呪術によって再生させられた〈ゾンビ〉は術師の命令に従う忠実な傀儡(くぐつ)なのでございます」

「なれば、(あつら)え向きの雑兵(ぞうひょう)だな」

如何(いか)にも」

 エリザベートは軽く想像を巡らせた。

 自分に対して献身的に服従する膨大な兵力……。

 無償の服従によって侵攻を続ける不死身の軍隊……。

 そして、賛美と畏怖に祭り上げられた(おのれ)自信……。

「悪くはないな。(けが)らわしくはあるが」

 近年、エジプトに君臨したと聞き及んでいる新指導者〝輪廻(りんね)呪后(じゅごう)〟──強大な呪法によって無数の〈ミイラ〉を忠実なる私兵(しへい)(したが)え、絶対的な支配力を掌中(しょうちゅう)にした女王。

 そのエジプト新女王と自分自身を重ね合わせて、エリザベートは自己陶酔に(おぼ)れる。

(……(ぎょ)(やす)い)

 事の流れは、ドロテアの思惑(おもわく)通りに進んだ。

 愚かな女主人(エリザベート)が気付く事もないままに……。

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