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孤独の吸血姫   作者: 凰太郎
~第一幕~
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鮮血の魔城 Chapter.3

挿絵(By みてみん)

「んーーっ! 肩が凝ったわ!」

 自室へ戻るなり、カーミラが清々しく伸びをする。凛然とした気負いは消え失せ、素直な自然体に砕けていた。

「……オイ」背後のカリナが冷ややかに呼び掛ける。唐突な変貌ぶりには呆れるしかない。「何なんだ、オマエは? さっきまでとは別人だぞ」

「だって、あんなにも多くの来賓がいるんですもの。それらしい態度で振舞わなければ、城主としての威厳が失墜するわ」

 悪戯(いたずら)っぽく肩を(すく)めると、部屋の主は豪華なベッドへと腰掛けた。

 その脇を叩いて相席を(うなが)したが、カリナは壁へと背を預けるだけ。頑として拒否する意向のようだ。無碍(むげ)にされたカーミラは、少々不服そうな顔を浮かべていた。

「それで? どう処理するつもりだよ?」

 意地の悪い邪笑で無頼者が訊ねる。

 けれども、カーミラはケロリとした表情で簡潔に返すだけであった。

「別に? どうもしなくてよ?」

「……は?」

 珍しくも頓狂な声が出る。盟主にあらざるべき態度に、あっさりと毒気を抜かれてしまった。

「キサマ、さっき言っていた事と……」

「わたしはね、カリナ・ノヴェール? 正直、あんな些事(さじ)はどうでもいいの。ううん、むしろスッとしたくらいよ。貴女(あなた)の傍若無人さに恐々とする彼等の表情を見た? 本当はわたし自身が、日々、ああしてやりたかったくらいなの」

「オマエ、城主にして盟主だろう」

「だからよ。望んでもいない威光なんてね、毎日の鬱憤(うっぷん)(ひど)いものなのよ。それを貴女(あなた)が代わりにやってくれた──爽快だったわ」

「横槍を入れたクセに、よくも言える」

「あれ以上やっていたら、貴女(あなた)は本当に〝不死十字軍ノスフェラン・クロイツの敵〟となっていたもの。それにジル・ド・レ卿は、それなりの実力者──双方無傷とはいかないわ。そうなれば、わたしにしても全霊を(もっ)貴女(あなた)を吊し上げるしかなくなる。そんなのはイヤですからね」少女城主は穏やかな苦笑を飾る。「けれど、貴女(あなた)の素性と目的は聞かせてもらうわよ?」

「やはり警戒はするか。ま、当然だがな。()してや、私のような危険分子は──」

「ううん、単なる暇潰し」

「──……」

 まるで暖簾(のれん)に腕押しであった。挑発を帯びた毒が(ことごと)く中和されてしまう。

 奇妙なヤツに好かれたもんだ──と、カリナは困惑を持て余した。

「生憎、自分の素性は知らん。闇暦(あんれき)以前の記憶が無い」

「記憶が?」

 怪訝(けげん)そうにカリナを見つめる。

(それって、奇妙な事象ね。そもそも〈吸血鬼〉は、生前に何らかの固執や(しがらみ)があればこそ転生する──()わば、それこそが自己存在確立(レゾンデートル)の根元だわ。にも関わらず彼女には、それが失われている……)

 カーミラの黙考には構わず、カリナは続けた。

「で、目的の方はコイツさ」保護者に(うなが)され、外套(マント)の内側にひょこりと顔を覗かせる女児。「名は〝レマリア〟と言う。コイツの寝床と食事が目的だ」

 幼子は警戒に保護者の脚へと(すが)りつき、離れようとしない。

 (いだ)いた不安感を(ぬぐ)うべく、カリナは優しく頭を撫でてやった。

 (かろ)うじて安心した人見知りは、ようやく謙虚に頭を下げる。

「こ……こんばわ」

 舌足らずな(つたな)い挨拶。

 カーミラは(さら)された(くろ)外套(マント)の内へ、まじまじと見入っていた。

 困惑を隠せないでいるのを見抜くと、カリナが優越めいて感想を(うなが)す。

「どうした? 人間の子供は初めてかよ?」

「あ……いいえ、そんな事はない……のだけれど……」下手な取り(つくろ)いに動揺を隠していた。「そう、宿と食事……ねえ?」

 白魚(しらうお)のような指を線の細い(あご)に添えつつ、カーミラは思案を巡らせる。

 と、ふと気付く違和感があって、まさかとばかりにカリナへと確認を向けた。

「え、待って? もしかして、そのため(・・・・)だけに?」

「ああ。そのため(・・・・)だけに、この城を頂きに来た」

(あき)れた。そんな理由で、あれだけいる吸血鬼達に?」

「そんな理由の方が、私には大事なのさ」

 赤の果汁を(すす)りつつ不遜な態度に酔う。

 レマリアが大きな欠伸(あくび)をした。小さな握り拳で(まぶた)(こす)っている。

「眠いか?」

「……ん」

 カリナは女児を胸に抱き、ゆったりと背中をあやしてやった。

 緊張感が安らいだせいか、小さな癒しが誘眠を覚え始めている。

 興味津々に観察していたカーミラは、ややあって快諾を提示した。その口調は再び凛とした厳格さを帯びている。

「いいでしょう。貴女(あなた)の──いえ、貴女(あなた)達の客室を用意させます」

「食事もだ」

「無論です。そして、わたしの許可を得ない者も一切近付けさせません。ただし、わたしからも条件があります」

「条件?」

「ひとつ、城内に悪意ある騒乱を生じさせない事──先程みたいにね」

「誰彼構わずケンカを売るなって事か」

 正当性を帯びた妥当な強要だ。カリナにしても承諾するしかない。

 だが解せないのは、次なる条件だった。

「そして、ふたつめ。(しばら)くは滞在してもらいたいの」

「滞在だと?」これには(いぶか)しんだ顔をせざる得ない。「意図が読めんな。先刻(さっき)の一幕を見れば分かるだろうが、少なくとも私は招かれざる客のはずだ。それを何故だ?」

「言ったでしょう? わたし、日々の鬱憤(うっぷん)(ひど)いのよ。本音を零せる話し相手の一人もいれば、多少は気持ちが晴れると思うわ。要するに──」

「──暇潰し……か?」

「そうね」

 カーミラはクスッと微笑(ほほえ)み返した。

 しかし、続ける言葉に彼女の(うれ)いが(かげ)りを含む。

「それに他国や城外の話も聞きたいし……」

「オマエ、城から出た事が?」

「無いわ。(かご)の鳥だもの」

 ようやくカーミラの真意が()めた気がした。

 自由(じゆう)気侭(きまま)に旅路を行く自分とは対局にある空虚だ。

「やれやれ、雲上(うんじょう)の立場ってのも大変なモンだな」

 境遇への同情は湧かない。

 立場が違い過ぎる。

 さりとも、個人としての共感からは同情は覚えた。

 彼女も自分と同じように〝虚無感〟を覚え、埋めようと足掻(あが)いている。

 吸血鬼とは、永劫の時間を生きる〈不死者(ノスフェラトゥ)〉だ。それ(ゆえ)に〝己の存在意義〟を見失ってしまう事も多い。

 有限の生に在ればこそ〝存在意義を懸けるべき目的〟というものは得られる。

 だが、不死者の時間は無限だ。致命的な失敗をしようが、やり直しはいくらでも利く。

 当然、達成感や充実感には疎くなる。それが〝存在意義の喪失〟に結実している事を、多くの吸血鬼は自覚していない。

 そして、怠惰に溺れ堕ちていくのだ……〝永遠の生〟へと。

 カリナは──そして、カーミラは──そうした〝虚無感〟が溜まらなく嫌だった。

 否、怖いと言ってもいい。

 いくら〝永遠の生〟であっても、心が満たされなければ〝永遠の死〟と変わらない。魂の牢獄だ。

 だから、足掻(あが)く。

 何でもいいから充足感に転化しようと、手探りに模索する。

 しがみつく。

 己の核たる〈心〉が死なないように……。

 カリナにとって幸いなのは、(そば)に〝レマリア〟がいる事であった。

 この子を護る誓いを自らに課す事で、自己存在意義の確立が出来ている。

 しかし、カーミラには、それが無い。

 哀れだった。

 そして、その痛みは他人事ではない。

「分かったよ。(しばら)くは厄介になってやるさ」

「本当に? ああ、嬉しいわ!」

 カーミラの表情が心底喜びに晴れる。

「勘違いするな。別に気を許したワケじゃない」

「それは徐々にでいいわよ。けれど、わたし達、親密な友達になれそうな気がしなくて?」

「下らん戯言(ざれごと)を」

「あら、素直な予感よ?」

「滞在猶予は確約できんぞ」

「構わなくてよ。一ヶ月でも二ヶ月でも……何なら一生居ても良くってよ?」

「調子に乗るな。気が向けば出て行く」

 やや舞い上がり過ぎたのを自重し、カーミラは肩を(すく)めて可愛げに舌を出した。そうした仕草は、悪戯(いたずら)(とが)められた子供のように無邪気だ。とても〝不死十字軍ノスフェラン・クロイツ盟主〟とやらには思えない。

 話が(まと)まった後、城主は一人の吸血鬼を呼び寄せた。背中が曲がった小柄な老婆だ。その表情は見るからに温厚で、田舎村の人好き婆さんといった風貌だった。

「カリナ、紹介するわ。この者は〝サリー・ポタートン〟──わたしが城内で(もっと)も信頼している吸血鬼よ。サリー、こちら〝カリナ・ノヴェール〟──大切な客人よ」

 カーミラからの紹介を承けて、サリーが深々と(こうべ)を垂れる。

 対してカリナは、鋭い眼力(がんりき)で交流の障壁を設けていた。露骨な敵意だ。

 過敏な警戒心に気付いたカーミラが、意固地な客人を安心させようと補足した。

「大丈夫、警戒しなくても平気よ。サリーは女子供の血は吸わないもの」

「本性の偽装を常套とする吸血鬼相手では、表層的な心象は信用に値すまいよ」

「いいえ、信用できるわ」

「何を(もっ)て?」

「サリーの事は、ずっと見てきたもの。それでも納得できなければ〝カーミラ・カルンスタイン〟の名に懸けて……ね」

 正視に交えたカーミラの瞳は嘘を飾っていない。

 一応の妥協に折れ、カリナは少しだけ険を解いた。

「今後、雑用があればサリーに言えばいいわ。彼女を世話役にしてあげる」

 主君の意向を察したサリーが、改めて(こうべ)を下げる。

「どうぞ(よろ)しゅうに、カリナ様」

「有り難迷惑だが、まあいいさ。それよりも、さっさと部屋へ案内しろ」

(かしこ)まりました。では、こちらへ……」

 先導するサリーに誘われ、(くろ)外套(マント)の少女は部屋を後にした。




 独りきりとなった静寂の中で、カーミラは考えていた。

 カリナが固執する〈レマリア〉なる存在が、どうにも釈然としない。

「可哀想なカリナ。きっと〈レマリア〉に縛られているのね」

 散らばる思念を(まと)めるべく、窓際へと歩み寄って遠景を眺める。

 相変わらずの闇空(やみぞら)に、相変わらずの黒月(こくげつ)──巨大な単眼が何処を見据えているかは定かにないが、現在(いま)だけは己の胸中を見透かされているような気分になった。

「なんとか自由にしてあげないと」

 人知れず決心を抱く。

「しばらくの滞在は、約束を漕ぎ着けたんですもの……後は、やり方次第。それには綿密に事を運ぶ必要がある──細心の注意を払わなければ、逆にカリナは果てぬ怒りに呑まれてしまうでしょうからね。(あせ)ってはならないわ」

 ふと今後の予定を思い起こし、指針定まらぬ思索を()める。

 現状は憂鬱(ゆううつ)な定例会議へ向けて、心持ちを切り替えなければならない。




 カリナに(あて)がわれた客室は、なかなかに整った内装であった。

 積もる(ちり)さえなければ……だが。

 室内を静かに賑わしている数々の家具類は、一様に格調高い美意識に統一されていた。(かし)製の棚やタンスは、(にじ)む年季のわりに現役の頑健さを維持している。細部に施された繊細な装飾もまた、充分に目を愉しませてくれた。室内に充満するのは、石壁特有の冷涼。部屋の角には蜘蛛が巣糸を飾っている。多少、鼻が不快に曇るのは、風通しの滞納が積年に埃臭(ほこりしゅう)(はぐく)んでいるせいだろう。統括して察するに、使われなくて久しい。

「急な事でしたので申し訳ございません。明日には(ちり)ひとつなく掃除させて頂きますので……」

 卓上の燭台に明かりを灯しつつ、サリー婆が詫びる。

「そうだな。ま、今日のところは仕方ないだろうさ」

 浅い夢へとたゆとうレマリアを、そっとベッドに寝かし置いた。

 愛苦しい寝顔を短く慈しむと、カリナは円卓へと(くつろ)ぐ。

「カリナ様、御食事は? 当城には洋の東西問わず、赤ワインが揃えてございますが?」

「いいや、()らん」

 妖婆が言う〝赤ワイン〟とは、(すなわ)ち〝生き血〟だ。

 吸血鬼独特の隠語表現である。

 そして〝貯蔵〟等の言い回しは『血液搾取用の人間を家畜同然に飼い囚えている』の意味だった。

 一聞するだけには、残酷な鬼畜の所行としか思えないだろう。

 しかし、それは人間の価値観だ。吸血鬼の価値観とは(もと)より異なる。レマリアを連れ歩くカリナにしても、いちいち吸血習慣を(とが)める気など毛頭無い。

 第一、食糧の問題は種族存続の根幹を担う重大事だ。無理解に有る一方的な価値観だけで否定する方が、明らかに歪んだ独善である。

 ()してや、現在は闇暦(あんれき)──怪物達が支配する世界なのだから、人間の倫理に依存する価値観など何の意味も為さない。

 レマリアが標的にならなければ、それでいい──単に、それだけの話だ。

「今後も〝赤ワイン〟は()らん。通常の食事だけを用意しろ」

「はて? 我等に人間の食事は意味がありませぬぞ? 抜けぬ習慣が(きょう)じさせる、形ばかりの真似事にございます。それでは御身体に障りますぞ?」

「構わんさ。慣れているのでな」

 淡白に述べて、柘榴(ザクロ)(かじ)る。

 その様子を見たサリーは「ははあ」と(ひと)合点(がてん)した。

「カリナ様は、御優しいのですなあ」

「何だ、いきなり気持ちの悪い」

 老婆は、それ以上語らない。意味深な()みを優しく含み、(すす)けた部屋を整え続けた。

 (ゆる)い沈黙に間が保てなくなり、カリナは先程から不思議に思っていた疑問をサリー本人へとぶつけてみる。

「確かオマエは『女子供の血を吸わない』と、カーミラが紹介していたな。妙な制約だとは思ったが……何故だ?」

「実は、私が吸血鬼として転生したきっかけこそが根本(こんぽん)でしてな。御耳(おみみ)汚しで(よろ)しいか?」

「構わんさ」

 カリナは相席を足蹴(あしげ)に差し出した。

 何か訳有りの臭いを感じ、安い好奇心を働かせる。

「では、失礼して──」

 曲がる腰を(おもり)(わずら)いつつ、サリーは樫席へと座した。

 卓上で揺れ踊る灯火が、妖婆の()(なまぐさ)い回顧を呼び起こす。

「あれは人間だった頃に(さかのぼ)りますが、私には一人娘がいましてな。母一人子一人ながらも、それ相応に幸せでしたとも……ええ、そりゃもう…………」

 かつての幸せを咬み絞めるように、老婆は何度も(うなづ)いていた。

「けれど、そんな幸せをアイツが──あの男が奪い潰していきおった!」

 語気含まれる根深い呪怨!

 先程までとは一転し、老婆の表情は悪鬼に歪んだ!

「あの男は娘を(たぶら)かし! 連れ去り! 麻薬漬けにし! 娼婦へと(おとし)め! 妊娠した腹を蹴飛ばし! 挙げ句、薄汚い野良猫のように捨ておった! 許すものか……許されるものか!」

 それは、おぞましい程の鬼気であった!

 が、カリナは呑まれる事も無い。

 果汁(すす)りの平静な態度で聞き役へと徹す。

「最低な情事の果て……か。それで?」

「実家へと戻ってきた娘は、見た目に(ひど)(やつ)れていましてな。それでも、私は心の底から再会を喜びましたとも。あの子の傷心を想うと胸が張り裂けんばかりでしたが、それでも深く追求せずに痛みを分かち合ったのです。これからは、また親子でやり直そう……と。ですが、翌日、娘は遺書を遺して逝きました。私が仕事へ出た隙に入水自殺したのです」

「おそらく自分が惨めで、同時に己の浅はかさが許せなかったのだろう。責めてやるなよ」

「誠に左様で。そして、悲嘆こそすれど爪先ほども責めてなどおりませんとも。責めるべきはアイツ! 恨むべきはアイツなのでございますから!」

 鎮まった鬼が、また顔を覗かせた!

「だから、復讐した! 夜闇に紛れて拉致(らち)し、ベッドへと(くく)り着け、供血管で血を抜き取ってやった! 生きながらにして少しずつ……少しずつ! 一滴残らず! 遅々と確実に〝死〟へと近付けてやりましたわい!」

 無自覚に加熱した興奮を抑え、サリーは再び平常の語り口調へと戻る。

「時には温情の演技を見せ、一縷(いちる)の望みも抱かせてやりました。その時のヤツの顔といったら……まだ自分が救かるなどと勘違いをしている間抜けぶりで。いえいえ、勿論(もちろん)、最初から許す気なぞ更々ございませんとも。すぐに罵倒に(あざけ)り返し、蒼白に歪む泣き面を存分に(まなこ)へと焼き付けました。それを最期まで繰り返しました──朝を迎えるまで」

「なるほどな」

 とりあえず、カリナの疑問は氷解した。

(コイツが自らに課している禁忌(きんき)は〝深い母性〟と〝拭えぬ後悔〟が転化したものか。だが、それは言い換えれば、己自身への呪縛でもある)

 回顧の怨念に浸る妖婆は、またも激情に自制が利かなくなったようだ。

「だが復讐しても、まだ足りぬ! 足りぬ! 足りぬ足りぬ足りぬ! 本当ならば地獄の底までも追いかけて、八つ裂きにしてやりたいところ!」

「やめておけよ」(きょう)()めに聞き役が(さと)した。「それをしたところで、地獄では永遠に満たされん。罪人の魂は、獄刑執行のために何度でも再生するからな。それどころか、八つ裂き刑を無限に繰り返す羽目となるだろうさ」

「構いませんとも! むしろ望むところですじゃ! アイツを何度も殺せるならば!」

 鬼女は聞く耳を持たない。

 それほどまでに激情へと呑まれていた。

 うんざりとした()(いき)を吐き、カリナは平然と毒突く。

「やれやれ……オマエの娘とやらも哀れなモンだな。これで煉獄(れんごく)への拘束は延長決定だ」

「何と? いま何と申された! 如何(いか)にカーミラ様の客人とはいえ、我が娘を侮辱されるか! 許しませんぞ──許されんぞ!」

「侮辱しているのはキサマだ!」

 怒り任せに一喝し、カリナは席を立ち上がった!

 いまにも襲い掛からんばかりの鬼を、吸血姫(きゅうけつき)の凄みが気迫に呑み返す!

「現世での報復は仕方あるまい。それだけの遺恨はあるのだからな。だが、己の母が永劫に〝羅刹(らせつ)〟と在り続けるのを、逝った娘が望んでいるとでも思うかよ!」

 牙を()いた鬼が逆上の憤怒(ふんぬ)に吠える!

「オマエに……オマエ如きに、何が判るか! あの子は──〝ペニー〟は、私の生き甲斐だった! 私の全てだったんだよ!」

「その娘の魂から、怨鎖の解放までも奪うかよ!」

「なっ?」

「自殺は決して許されぬ魂の罪。なればこそ、キサマの娘は煉獄(れんごく)に囚われているはずだ。いつ解放されるか分からぬまま、紅蓮(ぐれん)(くさび)に縛られてな! それに追い打ちを加え、オマエの果てぬ殺意を呪縛の鎖錠(さじょう)と課すかよ! オマエが殺意に溺れれば溺れるほど、元凶たる娘には罪の重さが増すのだぞ!」

「おお……ぺ……ペニー!」

 真に迫る気高き波動が、鬼を成す琴線(きんせん)断裁(だんさい)した。

「わ……私は……私は!」

「挙げ句『望むところ』だと! このエゴイストが……キサマは〈母親〉という肩書きに酔っているだけだ! 愛情の有様(ありさま)を履き違えるな!」

「おお……おお……おおおおおお!」

 復讐に生き続けてきた妖婆は、見開いた目に大粒の涙を流していた。

 さりとて、これは負の涙では無い。

 零れ流れる温かさは、永らくサリー自身が殺していたもの──自分自身であった。

「お……おおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ………………」

 年老いた母親は、ただひたすらに泣き崩れる。

 ようやく救われた気がした──永遠に続くとも思えた呪刑(じゅけい)から。

 人の心に泣き濡れながらも、サリーはカリナへの感謝を吐露(とろ)せずにはいられなかった。

「カリナ様は……カリナ様は、本当に御優しいのですな」

「フン、脳味噌でも逝ったかよ?」

「だって、ほれ」(しわ)()れた古枝(ふるえだ)のような指が、カリナの嗜好品を指す。「カリナ様の優しさは、その〝柘榴(ザクロ)〟が証明してございます……証明してございますとも」

「……チッ、()(ごと)を」ばつ悪く顔を(そむ)けたカリナは、身を投げるように座り直した。誰にも明かさぬ本意を見透かされ、(ひねく)れ者は弁明を盾とする。「ベジタリアンなのさ、私は……」

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