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孤独の吸血姫   作者: 凰太郎
~終幕~
26/26

孤独の吸血姫

挿絵(By みてみん)

 カリナ・ノヴェールが去って五日後──。

 薔薇(バラ)(えん)東屋(あずまや)(いこ)うカーミラは、ティーカップの赤ワインを淡く含んだ。

 鼻を突く鉄分臭に、ふと偏食(へんしょく)を思い出す。

柘榴(ザクロ)……か」

 それが吸血行為の代用となるなら、普及推進案を一考してもいいかもしれない。

 もっとも反発は多いだろう。

 そもそも一般吸血鬼の魔力維持が期待出来るかは解らない。カリナや自分は〈特別な存在(・・・・・)〉なのだから。

「カーミラ様」

 聞き慣れた凛声(りんせい)(われ)に返る。

 ジル・ド・レ卿に代わる新たな側近・メアリー一世だ。

「メアリー、居住区見直し案に進展があって?」

 報告に石畳(いしだたみ)を渡ったメアリーは、(かしこ)まって東屋(あずまや)へと相席した。

「防壁をシティ外まで拡張するには、あと半年は掛かると見通しが……」

「そう……」

 今回の内乱で、少女領主は防壁拡張の必要性を学んだ。

 シティを──選別した区域だけ(・・・・・・・・)を守ればいいという話ではない。

 この領地(すべ)てに(ふところ)を広げなければ、真の〝人魔共存〟は(きず)けない。

 防壁がロンドンを──(いな)、イングランドそのものを囲えば、領内に()ける魔気の影響は遮蔽(しゃへい)できる。デッドの猛威も排斥(はいせき)できよう。

 そうした根回(ねまわ)しから(たみ)の生活環境を整える意向であった。長期計画になるではあろうが……。

 それに(ともな)い、カーミラは新しい政策方針も加えていた。

「人間達の雇用(こよう)状況は?」

「悪くはありません。働き口が出来た事により生活の安定が見える……と、民衆は歓迎しているようですね」

 防壁拡張工事には居住区をはじめとした〈人間〉達を広く雇用(こよう)した。施工指揮は〈吸血鬼〉であるが、徹底した現場監視によって不正や不当が(しょう)じないように厳しく配慮している。無論、障害たる〈デッド〉の駆逐(くちく)兼任(けんにん)だ。

 そして、これを束ねる共同責任者は、ジョン・ジョージ・ヘイとペーター・キュルテンになる。

 近代吸血鬼(モダン・ヴァンパイア)である彼等ならば、大衆心理にも順応力があるだろう──そう踏んでの抜擢(ばってき)であった。

「現場の雰囲気は(よろ)しくて?」

「ええ。我等(われら)へ向ける(たみ)の感情も、徐々(じょじょ)に軟化されるかと。共通価値観と連帯意識の前には、種族差異など些末(さまつ)な事なのかもしれません」

 人間達の〈吸血鬼〉に対する嫌悪と忌避(きひ)感──吸血鬼達の〈人間〉に対する(さげす)みと加虐(かぎゃく)意識──それらを抑制(よくせい)させる(ため)に、()えて〝同じ目的〟を与えた。

 しかしながら、カーミラの胸中には誰にも吐露(とろ)せぬ思いが巡る。

(……エリザベート・バートリー)

 因果な事に、彼女の暴虐(ぼうぎゃく)がもたらした功績は大きかった。

 象徴(しょうちょう)(あく)人身御供(ひとみごくう)によって領民達のガス抜き(・・・・)()され、人間達による反乱は回避されたのだ。

 さもなくば、ジル・ド・レ戦で疲弊(ひへい)した〈不死十字軍ノスフェラン・クロイツ〉は壊滅(かいめつ)()()()っていたかもしれない。

 ()しくも、彼女もまた地盤(じばん)(がた)めに一役(ひとやく)買ったのだ。

「……カーミラ様? 如何(いか)がされましたか?」

「いいえ、何も……」

 メアリーからの呼び掛けに(われ)へと返り、涼しい平静で()(つくろ)った。

「ところで、それって健全な連帯感(・・・・・・)でしょうね? もう謀反(むほん)や反乱は()()りよ?」

 冗談めいて含羞(はにか)む。

 と、メアリーから(そそ)がれる眼差(まなざ)しが(おだ)やかな事に、ふと気付いた。

「何かしら?」

「いえ、今回の一連があってこそ、カーミラ様も変わられた……と」

「そう?」

「以前は政治に消極的──ともすれば無関心な(ふし)もありましたが、いまでは意欲的に取り組んでいらっしゃる」

「ん~……どうかしらね?」

 カーミラは闇空(あんくう)(あお)ぎに、はぐらかす。

「今回の一件で、理想論と現実のギャップに気付かされた事も多々ある。自分が(よりどころ)としてきた理想を、机上(きじょう)空論(くうろん)で終わらせたくない(おも)いもね。だけど……」

 (つぶや)()らす本心は、(しの)ぶような声音(こわね)であった。

「何よりも、守っておいてあげたいのよね──帰れる場所(・・・・・)を」

「帰れる場所……ですか?」

 真意が()めずに怪訝(けげん)を浮かべるメアリー。

 だが、カーミラの柔和(にゅうわ)な横顔に疑問は氷解(ひょうかい)した。

 少女城主の傾視(けいし)を追って、共に黒月(こくげつ)(あお)ぐ。

 二人が思い浮かべていたのは、心優しき(ひねく)(もの)──孤独を背負って旅路を行く吸血姫(きゅうけつき)

 あの黄色い巨眼は、この瞬間も(くろ)外套(マント)を見つめているのだろうか……。

 静かに月を眺め続ける。

 あの毅然(きぜん)とした皮肉屋が、いつか帰って来る日を待ち望みながら……。



「ドイツくんだりまで来てみたというのに……何処もかしこも変わらんな」

 辟易(へきえき)(こぼ)しつつ、(くろ)外套(マント)魔気(まき)(ただよ)う情景を見渡す。

 (けわ)しくも(ひら)けた山道(さんどう)だ。右手は断崖(だんがい)と切り立っており、遠景(えんけい)に拒絶的な山脈が(そび)えていた。その裾野(すその)には黒い雲海(うんかい)が漂う。左側に(しげ)雑木林(ぞうきばやし)鬱蒼(うっそう)としていて、まるで魔樹(まじゅ)巣窟(そうくつ)にも思えた。下山(げざん)(しるべ)()()した馬車道(ばしゃみち)は、おそらく集落へと続いているはずだ。何処かは知らないが……。

「この道はオマエの村へと通じているのか?」

 少女を送り届ける道縋(みちすが)ら、柘榴(ザクロ)(かじ)りに(たず)ねる。

「うん、そうよ。ダルムシュタットっていうの」

 隣に並び歩く子供は(ほが)らかな笑顔で答えた。

 警戒心は感じられない。気を許した……という事だろうか。

 年齢は十歳前後。ピンク色のチャイルドドレスが愛らしい。頭には赤いバケット帽を被り、バスケットケースを腕に通している。

 出会ったのは偶然だ。

 彷徨(ほうこう)山道(さんどう)出会(でくわ)したデッドの(むれ)(さば)いてみれば、獲物は大樹(たいじゅ)の上に逃げ登った少女であった。

 以降、襲撃は無い。

 厳密には何体か遭遇したが、魔姫(カリナ)の前には結局無いも同じ(・・・・・)だ。

「何故、あんな所にいた? 子供一人が出歩く場所でもあるまいよ」

「あのね、あのね? あそこ、たくさん野苺が採れるの」

 屈託(くったく)無くバスケットケースの収穫を見せる。大量……と呼べるほどでもないが、そこそこだ。

「お母さん、野苺好きなの」

 無垢な笑顔に(いや)されかけたが、ここは毅然(きぜん)(くぎ)を刺しておく。

「だからと言って、子供一人で彷徨(うろつ)いていい場所でもあるまいよ。今回のようにデッドが襲ってきたら、どうする気だった」

「……うん」シュンと沈んだ。「前は、お父さんと行ったけど……」

現在(いま)は、いないのか?」

「うん」

 ()えて理由は追及しない。

 闇暦(あんれき)では、よくある事象(こと)だ。

「お母さん、病気だから……大好きな野苺なら食べられるかな……って」

 ふと似た境遇の少年を思い出した。

 ロンドン居住区で出会った少年──救ってやる事が出来なかった。その()いは残る。

「ほらよ」

 バスケットケースへと柘榴(ザクロ)をふたつ足してやった。

「え?」

 驚き見つめ返す少女を余所(よそ)に、黒姫(くろひめ)は前を見据(みす)えたまま嗜好品(しこうひん)(かじ)る。

「いいの?」

「悪けりゃやらん」

 不器用な横顔を(あお)(なが)めつつ、少女は笑顔を染めた。

 (いだ)いた好感は、そのまま強い好奇心へと変わる。

「お姉ちゃんは、どこへ行くつもりだったの?」

 この人の事を、もっと知りたくなった。

 何故なら〝いい人〟だからだ。

 そして〝優しい人〟だからだ。

「さてな……(あて)など無い」

 柘榴(ザクロ)(かじ)りが感慨(かんがい)もなく答える。

「行くとこ、ないの?」

「無いな」

 少女は何故だか悲しくなった。

 この〝優しいお姉さん〟には〝おうち〟が無い。

 家族がいない。

 お母さんも、お父さんも、食卓も、暖炉(だんろ)の暖かさも──それは、すごく寂しい事だ。

「じゃあ、ウチにお泊まりして? お姉ちゃん、命の恩人だもの。お母さんだって喜ぶわ」

「フッ、私を招く(・・)か」

 乾いた自嘲(じちょう)は、されど()()めていた。

 ささくれた心を、温情が(つつ)()んでくる。

 自分の思惑(おもわく)と無縁な歓待(かんたい)は初めてかもしれない。

 数歩、沈黙に足を(きざ)んだ。

 道程(どうてい)への正視(せいし)(はず)さぬまま、カリナは(たず)ねる。

「オマエ、母親は好きか?」

「うん! 大好き!」

 満面の笑顔が答えた。

「……そうか」

 (かす)かに口角(こうかく)が上がったのを自覚する。

 その言葉が聞けるならば、(おのれ)の闘いに意義も持たせられるだろう。

 これから先、血塗(ちぬ)られた旅路(たびじ)()てぬとも……。

 不意に指先へと温もりが絡まった。

 幼い指が絡まる感触だ。

 その懐かしさに寂しさが動揺する。

 思わず並び歩く姿を求めると、一瞬だけ〈レマリア〉がいた。

 が、無垢(むく)(いや)しは、すぐに残像と消える。

 そこに在るのは屈託(くったく)()い〈生命(いのち)〉の笑顔。

 淡い苦笑に(おのれ)(いまし)める。

「……未練だな」

 (くろ)外套(マント)魔姫(まき)は軽やかな表情に顔を上げた。

 闇暦(あんれき)の絶対支配者と目が合う。

 だが、それにさえ負ける気がしなかった。

 心に背負(せお)うものが不屈を与えてくれるからだ。


 所詮(しょせん)人間(ひと)〉は(ひと)りでは生きられぬ。

 (おも)いなくして生きられぬ。

 そして、私の本質は、結局〈人間(ひと)〉なのだ。

 なればこそ、混沌に身を投じよう。

 この健気(けなげ)な温もりを護るために────。


 孤独(こどく)吸血姫(きゅうけつき)は、決意を抱き締める。

 哀しいまでに気高(けだか)い決意を……。


「お姉ちゃん、行こう?」

 少女が手を引いた。

 次なる混沌の地は、もう近い。




[完]

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