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孤独の吸血姫   作者: 凰太郎
~第三幕~
23/26

醒める夢 Chapter.6

挿絵(By みてみん)

 ロンドン塔敷地内には(いく)つかの城搭(じょうとう)(そび)えている。

 双色(そうしょく)吸血姫(きゅうけつき)が連れられた場所は、その内の一つ〝ブラッディ・タワー〟であった。

「ずいぶんとカビ臭い場所だな」

 カリナの毒突きを拾い、カーミラが簡潔な説明を(はさ)む。

「この塔は、かつて拷問処刑場でもあったの。(ゆえ)に現在でも、多くの拷問器具が眠っている。闇暦(あんれき)現在では利用されてないけれどね」

「ィェッヘッヘッ……そいつは、どうかねぇ? ま、お楽しみって事で……おおっと、此処だ此処だ」

 ようやく目的の部屋へと到着し、(いや)しい案内人は(きし)み鳴く扉を開いた。

「こ……これは!」

 あまりの惨状に言葉を失う吸血姫(きゅうけつき)達!

 霊気と冷気が(とどこお)る蒼い石室(せきしつ)──時代(とき)の眠りから再利用された痕跡(こんせき)を赤々と刻む拷問器具の数々──そして、処狭(ところせま)しと散乱する死体の山!

 子供! 子供! 子供! 子供! 子供!

 吸血鬼ですら()せるかと思える()(なまぐさ)さが部屋中に充満していた!

「これは……まさか、ジル・ド・レ卿が?」

 思い当たる吸血騎士の性癖(せいへき)に、カーミラは絶句した!

「ま、そういう事らしいな。いつから再発したかは知らねぇが……おっと、コイツだコイツ」

 室内を慣れて探る死神が一人の子供の前で()まる。

 見覚えのある少年であった!

「この子は……っ!」

 驚愕するカーミラ!

 居住区で出会った少年(リック)だ!

「何故、この子が此処に?」

「ィェッヘッヘッ……(さら)ったのは〝魔女ドロテア〟さ」

「まさか、ジル・ド・レ卿と魔女は通じていたの?」

「いんや? あのショタコン騎士と魔女は通じてねぇよ。けど、まあ〈魔女(・・)〉とは通じてねぇが〈魔術師(・・・)〉とは通じていたってトコかねえ? ィェッヘッヘッ」

 ゲデの示唆(しさ)は意味が判らない。

 判らないが……少年を守れなかったという後悔の念だけは、獄刑(ごっけい)のように彼女達を痛ぶった。

 この少年だけではない。(むご)たらしい部屋で(もてあそ)ばれた幼き(いのち)──その全てに対する懺悔(ざんげ)だ。

 虫の息で(あえ)ぎながら少年の瞳は縋っていた。

 自責に拘束されたカーミラを余所(よそ)に、カリナが少年の脇へと歩み寄る。

「何が言いたい?」

 片膝(かたひざ)()きに(のぞ)き込み、優しい瞳で(たず)ねた。

「ゼェ……があ……ちゃ……」

 言葉を(つむ)げぬもどかしさに幼い腕が伸びる。体を動かす事など叶わないというのに……。

 懸命(けんめい)(うったえ)えようと震える手を、黒姫(くろひめ)の両手が柔らかく(つつ)み込んだ。

「心配するな、オマエの母は無事だ」

 苦しみ(あえ)ぐ少年の顔が安堵(あんど)を覚える。

 母親が死んでいるか生きているか──真実は知らない。

 それでもカリナは、そう()げた。

「オイ……ラ……どうじで……ごんな……?」

「……私の強さは知っているな?」

「う……ん」

「なら、安心して待っていろ。吸血鬼如き、敵ではない」

「……うん」

 苦しそうに、嬉しそうに、命が微笑(ほほえ)んだ。

 ()れた母性が優しく()でる。

 直後、少年が吐血(とけつ)(せき)()んだ。

 最期(さいご)は近い──だからこそ、カリナは(てい)する。

「ひとつだけ選ばせてやる……私と共に生きる(・・・)か?」

「ぎゅ……げづぎ?」

「ああ」

 事の()()きをカーミラは(もく)して見守る。

 その確固たる眼差(まなざ)しは、この後の展開を信じているかのようであった。

「どうする? 私と共に来れば、そんな苦しみからは永遠に解放されるぞ?」

 されども、少年は困ったように首を振る。

「ううん……があちゃ……の……子……いい……」

「……そうか」

 黒の吸血姫(きゅうけつき)慈愛(じあい)微笑(ほほえ)んだ。

 予想通りの返事であった。

 望んだ答えであった。

 少年の(まぶた)をそっと()じると、凛然とした所作(しょさ)にカリナは立ち上がる。

 (おごそ)かに引き抜いた(あか)(やいば)が小さな胸へと()(さき)(さだ)めた。

「私を信じろ。痛みなど無い」

 そして、魔剣は墓標(ぼひょう)となり、幼い命を生き地獄から解放した。

 約束通り、一瞬たりとも痛みなど与えずに……。



 暗い静寂──。

 またひとつ命が()った。

 たった数時間で、(とうと)き魂が続けて()った。

 重い現実だ。

「さて……と、じゃあ約束通り教えてやるかね。お嬢の過去を──」

 頃合(ころあ)いを見計(みはか)らい、ゲデが切り出す。

「アンタはカルンスタイン令嬢が言う通り〈ジェラルダインの血統(けっとう)〉だ……って、それはいいか。聞きてぇのは、そっから先だろうからよ。ま、百聞(ひゃくぶん)一見(いっけん)にしかずってな。直接見た方が早ぇ。オレの手間も(はぶ)ける」

「直接見る? どうやって?」

 怪訝(けげん)を浮かべるカーミラに、酒瓶(さかびん)(あお)りの優越が答える。

霊視(・・)共有(・・)してやるって話よ。コイツもまた、出血大サービスだ……ィェッヘッヘッ」

 そして、ゲデの(いや)しい目は目映(まばゆ)くも毒々(どくどく)しい赤光(せっこう)()(はな)ち、吸血姫(きゅうけつき)達を悪夢へと()み込んだ。




 旧暦(きゅうれき)中世、イギリス・ウェールズ地方に存在したしがない(・・・・)田舎村──。

 風そよぐ小高い丘にカリナ達は降り立った。

 空は清々しいほど青く、萌える草花は健全な生を息吹(いぶ)いている。足下(あしもと)の緑が風に()でられる(たび)に、(ほの)かに甘い香りが鼻腔(びこう)(くすぐ)った。ラベンダーの香りだ。見渡せば遠景に山々が見え、丘陵(きゅうりょう)を越えた先には質素な集落が日常を(いとな)んでいた。

「なんだか懐かしいわね、この正常な光景は……」

 周囲の情景を展望したカーミラが、しみじみと懐古に(ひた)る。

「どうやら村の(はず)れか」

 呟いたカリナは奇妙な違和感を覚えた。

 (おのれ)の両手を視認し、(さら)に全身を(なが)(まわ)す。

 まるで幽霊(ゴースト)のように自分自身が()けていた。

 いや、彼女だけではない。カーミラも、ゲデも──全員が霊体化しているではないか。

「幽体化した覚えはないが……」

 途惑(とまど)いを察知した案内役が、安い優越感で教示する。

現状(いま)のオレ達は〝時空を越えた意識体〟そのものだ。ただ眼前(がんぜん)の出来事を鑑賞するだけ……どう逆立ちしても史実に介入できないようになってるのさ。つまりは〝時空の摂理〟ってヤツだ。ま、アチラさん(・・・・・)コチラ(・・・)を見る事が出来ねぇがな……おおっと、来た来た」

 急に身構えるゲデの注視を追った。

 一人の娘が丘を登って来るのが見える。

 純白ドレスに、花摘(はなつ)みのバスケットケース。赤い髪はツインテールに(まと)められていた

 その少女を見るなり、吸血姫(きゅうけつき)達に衝撃が走る!

 とりわけ、カリナの驚愕は殊更(ことさら)に強い!

「アレは……()?」

「この村の領主〝アンカース家〟の娘──それが生前のアンタ(・・・・・・)だよ」

「なるほどな。だから、キサマは〝お嬢(・・)〟と呼ぶ……か」

「まあな」

「に、しても──」過去の〝自分(・・)〟を、まじまじと観察する。「──まるで真逆(まぎゃく)だな。実感が()かん」

 自嘲(じちょう)苦笑(にがわら)う。

 どちらかと言えば、カーミラ()りのお嬢様だ。

 ()(なまぐさ)い生き方に身を投じる自分と同一人物には思えない。世間知らずが(にじ)み出た雰囲気は、むしろイケ好かないぐらいだ。

 花摘(はなつ)みに(すわ)るアンカース令嬢が、ふと背後へと気を取られる。誰かを待っているかのようだ。

 小さな人影が、せっせと()けて来た。

 その姿を視認した瞬間、カリナは絶句に(かた)まる!

「まさか……レマリア?」

 絞り出した声が震えていた。

 懐かしさと、(さび)しさと、(いと)しさと、哀しみ──鎮静化(ちんせいか)していた(すべ)ての感情が息を吹き返す。

「レマリアーーーーッ!」

 思わず駆け出していた!

 感情に支配されるままに!

 ただ(いと)しさのままに!

「ああっと! 待てよ、お嬢!」

 制止の声など知った事ではない!

 歴史の改変が、どうした!

 あの(ぬく)もりと安らぎが再び得られるなら、時空神(クロノス)にさえ(つば)()こう!

 ()けて来る我が子を片膝(かたひざ)()きに待ち、抱擁(ほうよう)せんと両腕を広げた。

「此処だ! 私は此処にいるぞ、レマリア!」

 されど屈託のない笑顔は、()()びる母性を()()けていく。

「もう! わたし、まってっていったのよ!」

 満面の笑顔で幼女が抱きついたのは〝忌まわしき吸血姫(きゅうけつき)〟ではなく、清廉貞淑(せいれんていしゅく)な〝アンカース令嬢〟であった。

「おねえちゃん、ズルい! わたし、こどもなのよ! おそいんですからねーだ!」

「うふふ、ごめんなさいね。さあ、(ふく)れてないでこっちへいらっしゃいな。ダリヤやラベンダーが一杯よ?」

「わあ、ほんとなの! これ〝おはなばたけ〟なのよ?」

「そうよ? 綺麗でしょう」

「うん、きえいね」

 噛み締める虚無感(きょむかん)には、背後から聞こえる微笑(ほほえ)ましい(たわむ)れが残酷だった。あまりにも残酷過ぎた。

 現実の無情を突きつけられた(くろ)外套(マント)を、ゲデが(あざけ)(わら)う。

「ィェッヘッヘッ……だから言ったじゃねぇかよ? オレ達ァ〝時空を越えた意識体〟そのもの。過去には介入できねぇんだよ」

「……分かっている」

「意識体が抱擁(ほうよう)しようなんざ笑っちまわぁ。()してや相手は過去の史実(・・・・・)に過ぎねぇ。金縛りにすら出来ねぇよ」

「分かっていると言っている!」

 癇癪(かんしゃく)のままに()えた!

 さぞかし失意に沈んでいる事だろう──(いや)しい下衆(ゲス)根性(こんじょう)は、それを期待してほくそ笑む。

 しかし、立ち上がった美姫(びき)は、意外にも気丈(きじょう)(たも)っていた。

「そうか……あの子供が〈レマリア〉の前身(ぜんしん)か」

「ありゃ? 思ったよりも平然としてやがらぁ」

()のままにならぬ現実など、とっくに受け入れている」

「クソッタレなタフさな事で」

 正直、カリナにしても平気なわけではない。

 傷心(しょうしん)()えてなどいなかった。

 むしろ一生(いっしょう)(ぬぐ)えぬ。

 それでも、受け止めるだけの強さ(・・)を学んだ──いや、ふたつの(とうと)(いのち)によって(さず)けられた。

 後は〈現実〉に()まれるか(いな)か……それだけの話だ。

 無論、言うほど簡単ではないが。

「……あの二人、姉妹なのか?」

「ああ、あのチビスケはアンカース令嬢の妹──つまり〝生前のアンタ〟の妹さ」

「……そうか」

 実感を(ともな)わない(おも)()(なが)め続けた。

 心を満たしてくるのが〝嬉しさ〟なのか〝寂しさ〟なのかは、彼女自身にも判らない。



 月明かりがテラスから射し込む。

 穏やかな気候だ。寝苦しさは無い。

 にも(かか)わらず、アンカース令嬢は寝汗に(むしば)まれ苦しんでいた。ネグリジェを乱し、苦悶(くもん)(あえ)ぎ続ける。

「ぅぅ……ぁぁ……ハァ……やめ……て」

 (なま)めかしく悩ましい(さま)は、まるで夢魔(インキュバス)夜這(よば)いに()っているかのようであった。

 その(はずかし)めを、カリナ達はベッドの(かたわら)(たたず)んで(なが)めた。

「……どういう事?」

「それはどちらの意味だ、カーミラ?」

「どちらも……よ、カリナ。わたし達はさっきまで花香(はなかお)丘陵(きゅうりょう)に居た。けれど、気がつけば此処にいる──時間帯も変わってね。それに……」苦しみ(もだ)え続ける寝姿(ねすがた)を心配そうに見つめる。「生前の貴女(あなた)、とても苦しそう。この苦しみ方、ただの〝悪夢(ナイトメア)〟じゃなくってよ?」

「ああ、微弱ながら魔力を感じる。(のこ)()にも近いものだがな」

 彼女達〈吸血鬼〉が吸血行為に(かよ)(さい)、似たような事象を獲物へと()す事がある。相手に催眠効果を及ぼし、夢幻(むげん)の中で(むさぼ)るのだ。常套(じょうとう)手段(しゅだん)のひとつだ。

 眼前(がんぜん)痴態(ちたい)は、それと同じ臭い(・・)がした。

「さて……と、まずは軽く説明してやるかねぇ?」

 耳障(みみざわ)りな濁声(だみごえ)が、揚々(ようよう)と解説を名乗り出る。

「まずは〝時間と場所の推移(すいい)〟だが、コイツは自然と(しょう)じるのさ。時間(じく)は〝生前のお嬢〟で、観察対象は〝吸血姫(きゅうけつき)へと変貌(へんぼう)した経緯(けいい)〟だ。それを基準として(なが)めているわけだから、関係事象だけをピックアップして過ぎていくって寸法(すんぽう)さな。そうでもなきゃ、一生分(いっしょうぶん)の時間経過を付き合わなきゃならねえ。クソ長ぇ駄作(ださく)映画の()れ流しみてぇなモンだ。とてもじゃねぇが、オレでさえ御免(ごめん)だね」

 実体無き葉巻(はまき)を深く吐いた。

「で、お嬢を気持ちよ~く(もだ)えさせている──」カリナの殺気(さっき)を感じ、(たの)しげに言い直す。「──苦しめている〝悪夢(ナイトメア)〟だが、いまは野暮(やぼ)に語らねぇよ。それこそが今回の〝()〟だしな。ただし、相手はチンケな(・・・・)夢魔(・・)〉なんかじゃねぇ。それだけは教えといてやらぁ」

「ハァ……ぃゃ……ぃゃ……」

「この現象は毎夜続き、日毎(ひごと)に強くなっている。今晩で五日目(あた)りかねぇ?」

「ぅぁぁぁあああーーーーっ!」

 突然、アンカース嬢が絶叫に()()ねた!

 それは絶頂にも悲痛にも似た叫び!

 呼応するように、吸血姫(きゅうけつき)達は真っ赤な波動を感じる!

 カーミラは身に覚えがあった。

 魔剣を手にした時の荒れ狂う波動だ。

 ただし圧迫感は、あの時の比ではない。

「こ……この波動は?」

「まさか〝ジェラルダイン〟か?」

「イヤ……イヤァァァアアーーーーッ!」

 悪夢の餌食が激しく乱れ苦しむ!

 と、赤き圧迫が次第に(しず)まっていった。

 汗塗(あせまみ)れに紅潮(こうちょう)したアンカース嬢は、荒息(あらいき)ながらに軽く痙攣(けいれん)している。

「ィェッヘッヘッ……果ててやんの」

「……殺すぞ、キサマ」

 いつもよりも気色悪く感じるニタリ顔を、カリナが殺気任せに()めつけた。

「けれど、これでハッキリしたわね。生前の貴女(あなた)魅入(みい)っていたのは──」

「──ああ、間違いなく〝ジェラルダイン〟だ」

 カーミラの演繹(えんえき)を、カリナが忌々(いまいま)しげに噛む。

 ややあって、アンカース令嬢が起き上がった。

 その表情に自我は(うかが)えず、(うつ)ろな瞳は(ほの)かに赤く(とも)っている。

「やはり〝催眠効果〟を植え付けたかよ」

「いいえ、カリナ。どちらかと言えば、これは〝遠隔支配〟だわ。何故なら〝ジェラルダイン〟自身は訪れていないのですからね」

「さすがは〈原初吸血姫(デモン・ヴァンパイア)〉だ。たいした〈怪物(・・)〉だよ」

 皮肉を吐き、柘榴(ザクロ)(かじ)った。

 アンカース令嬢が虚脱的に(すべ)り出たのは、夜風吹き抜けるテラス。

「いよいよ迎えに来るのかしら?」

「オマエなら、そんな面倒を()くか?」

 カリナの指摘に、カーミラは苦笑(にがわら)いで首を振る。

「いいえ、あそこまで(あやつ)れるなら、呼ぶ(・・)わね」

 観察対象が芝庭(しばにわ)へと跳んだ!

 まるで猫のように、しなやかな身のこなしで!

 二階の高さから物音(ひと)つ立てずに!

「あら、この頃から体術に覚えがあって?」

「……なワケあるかよ。どう見ても、アレ(・・)は運動音痴な箱庭(はこにわ)()いだ」過去の自分を誹謗(ひぼう)するのは、なんとも奇妙な感覚だ。「遠隔支配で身体能力までコントロールしてやがる。まさに〈怪物(・・)〉だな」

 思わず腰の魔剣へと警戒心を向けていた。



 白い夢遊病が辿り着いたのは、閑散とした石造りの()であった。奥には祭壇のような角石(かくせき)が祭られており、一振(ひとふ)りの剣が気高く突き刺さっている。

 魔剣〈ジェラルダインの牙〉だ。

 その前まで進むと、アンカース嬢は崩れ落ちた。

 様子を見る意識体が気配すら()まずに会話する。

「おい、ゲデ……此処は何だ」

「此処は〝ジェラルダインの墓〟だな」

「……何?」

「人も寄りつかねぇ墓地裏(ぼちうら)雑木林(ぞうきばやし)──そこには見つけにくい(ほこら)があってな。ま、(ある)いは魔力で|見つからねぇようにしてる《・・・・・・・・・・・・》のかもしれねぇが……ともかく、その中だ」

「じゃあ〝ジェラルダイン〟は、この村で最期(さいご)を?」

 食いついてきたカーミラを一瞥(いちべつ)すると、葉巻(はまき)()かしの物臭(ものぐさ)が答える。

「さあねぇ? (ある)いは此処で一度死んで、また復活した可能性はあるが……相手は〈伝説上の怪物(・・・・・・)〉だ。オレ()とは存在自体が格違い。その真相詳細なんか把握(はあく)出来ねぇよ。何にせよ、此処に〝ジェラルダインの想い〟が強く(のこ)されているのは事実だがな」

 アンカース嬢が朦朧(もうろう)とする意識を起こした。

 眼前(がんぜん)に構える剣を認識した途端(とたん)、その表情が(こわ)ばる。

「アナタなのね……毎晩、私を苦しめているのは!」

 わなわなと抗議の声音(こわね)を震わせているのが、怒りか恐怖かは(さだ)かにない。

「何故? 何故、私を苦しめるの? アナタとは会った事すら無いというのに!」

 傍目(はため)に不可解な状況であった。

 彼女の反発は魔剣へと向けられたものではある。

 しかしながら、その口調や態度は明らかに〝()〟へと向けられたものではない。目の前に居る〝何者か(・・・)〟へと向けられたものだ。

「どういう事かしら?」

「おそらく見えている(・・・・・)のさ。いや、|見えるようにされている《・・・・・・・・・・・》のかもな」

「それって〝ジェラルダイン〟の魂?」

(ある)いは魔剣に巣食(すく)う残留思念だ。どちらにせよ〝選ばれた〟って事さ……クソ忌々(いまいま)しいがな」

 哀れな(にえ)の抵抗が続く。

「なんでよ! なんで毎晩『血を吸え』と()いるの! そんな異常で恐ろしい事を、私にさせようとするの!」

 愁訴(しゅうそ)が涙を(ふく)んでいた。表情も感極(かんきわ)まりつつある。

「アナタは恐ろしい精神異常者よ! そして、私にも一線(いっせん)を越えさせようとしている! 悪い仲間に引き込もうとしている!」

 必死な無力を(なが)め、黒の実力者が零した。

「どうやら相手を〈吸血姫(きゅうけつき)〉とまでは認識していないようだ。まだ〈人間の異常癖性者〉だと勘違いしてやがる」

 (われ)ながら馬鹿らしい白痴(はくち)さだ。情けなくて笑えてくる。

「私は狂ってなんかいない! 血を飲みたいなんて思ってない!」

 一心不乱に頭を振って、否定し続けた。

 それが何にもならぬ事を〝カリナ・ノヴェール〟は知っている。

血液嗜好症(ヘマトディプシア)は無かったのかしら? 強引に〝ジェラルダイン〟から植え付けられた?」

「いや、潜在的に有ったはずだ──何せ〈血統(けっとう)覚醒(かくせい)〉だからな。さもなくば、魂の共鳴など起きん。その現実を直視出来ず、駄々に拒絶しているだけさ」

 とはいえ、それは〈()〉で在り続けるには大事な線だ。

 屈した者こそ〈外道(げどう)〉へと堕落(だらく)する。

「もう、やめてよ! 父様も、母様も、村の人達も……そして、レマリアさえ──大事な人が、みんな美味(おい)しそうに見えるの! その肌の下に熱く赤い物が流れていると思うと、食らいつきたくなるほど(かわ)くのよ!」

 アンカース嬢は(うずく)まり、苦しみの吐露(とろ)(すす)り泣いた。

「それを理性で()()くのが、どれほど苦しい事か! アナタに分かって? 猟奇(りょうき)を美徳とするアナタに〈人間(・・)〉であろうとする心が理解出来て?」

 魔剣は黙したまま語らない。

 が、傍観する魔姫達は意思意向を感じる事が出来た。

「……次だな」

 カリナが確信を(つぶや)いた直後、それは現実の展開となる。

「い……いや!」

 アンカース嬢の身体(からだ)が、本人の意思とは関係無く動かされ始めた。

「これって、まさか強制支配を?」

「ああ、遠隔支配の延長だろう。まったく……強引な手に出てくれる」

 魔剣が()いたにせよ〈原初吸血姫(デモン・ヴァンパイア)〉が()いたにせよ、(おのれ)が〈吸血姫(きゅうけつき)〉と()す瞬間を見るのは気分がいいものではない。

「いや……やめて……いやよ!」

 理性を振り絞って抵抗するも、少女の細腕(ほそうで)不可視(ふかし)剛腕(ごうわん)で無理矢理動かされた。

「私は、アナタの〈()〉なんかじゃない! 私は〝アンカース家〟の娘よ! 御父様と御母様の娘なのよ! 絶対に〈吸血姫〉になんかならない! なりたくない!」

 クシャクシャに泣き崩れた顔で、それでも〈人間〉としての尊厳に(すが)り続ける。

 されど、強大な〈魔〉の前では、小鳥の(さえず)りに過ぎなかった。

 震える手が着実に(つか)へと伸び、そして──。

「いやあぁぁぁーーーーっ!」

 彼女は呪われし魔剣を引き抜いた。

 血塗(ちぬ)られた(ごう)と共に……。



 夜風は(おだ)やかだった。

 窓から吹き込む風精霊(シルフ)が踊る(たび)に、幼き寝顔は髪や(ほほ)()でられて笑う。

 夢現(ゆめうつつ)で、いい匂いがした。

 レマリアが大好きな人の匂いだ。

 だから、ゆっくりと意識が覚める。

 お姉ちゃんが胸へと沈めてくれていた。

 髪を()でる優しさは、いつからか風の(たわむ)れではなかったようだ。

「……ん、おねえちゃん?」

 寝ぼけ(まなこ)で見た表情は、優しく、寂しく、何処か冷たい。

 これから起こる事を確信しながらも、カリナは傍観するしかない。それが、とても歯痒(はがゆ)かった。

「……ゲデ、いま一度()う。過去は変えられぬのだな?」

「ああ、無理だね」

 喜色(きしょく)に酒の小瓶を(あお)る。

「例外的な措置法も無いのか?」

「無いね」

「……そうか」

 それ以上は(あらが)わなかった。

 覚悟を決めて直視するだけだ。

 確定された哀しみを強く抱き締める。

 ()(がた)い展開に心折れぬように。

「おねえちゃん、どうしたの?」

「どうもしないわ、レマリア」

 魔性の()()けは、優しく髪を()で続けた。

 幼い妹は、(いま)だ本性を見抜けていない。

 軽く感じた違和感さえも、警戒心へ直結させる事が出来なかった。

「ねむねむできないの?」

「そうね。ちょっと眠れないの」

「イタいイタいなの?」

「ううん、もう苦しくないわ」

「うん?」

 親指吸いにコテンと頭を(ゆだ)ねる。

 姉は──姉だった者(・・・・・)は、(いと)しさのままに細指(ほそゆび)を動かし続けた。時折(ときおり)、髪を()いてやりつつ。

 感情を浮かべぬ冷たい表情が、若干(じゃっかん)寂しそうな(はかな)さを(ふく)んだ。けれども、それは仮面(・・)ではなかっただろう。

「ねえ、レマリア──」

「うん?」

「──大好きよ」

「わたしも、おねえちゃんだいすきなのよ?」

「……有り難う」

 悲しみを微笑んだ。

「ずっと大好き……ずっとずっと一緒だからね」

「うん。ずっといっしょなの」

 幼さが嬉しそうに染まる。

 深く顔を(うず)めた愛を、幻夢(げんむ)はあやし続けた。

「さあ、もう眠りなさい……それまで、こうしていてあげるから」

「うん」

 約束通り、幼き(いや)しが寝付(ねつ)くまで続けた。

 (おだ)やかな寝息が聞こえると、ようやく魔性が行動を起こす。

 静かに──そして、ゆっくりと喉笛(のどぶえ)に牙を刺した。

 起こさぬように──声を上げさせぬように──痛くないように──そして、恐怖を与えないように。

 気品に愛された(うるわ)しき令嬢は、血を(すす)(いや)しい(けもの)畜生(ちくしょう)()ちた。

 咥内(こうない)(なま)(あたた)かさで満たされていく。鉄分の臭いが鼻を抜けていく。

 (いと)しい生命(いのち)を自分の中へと受け入れた瞬間、彼女の脳内で()(はじ)けた。

 それを契機(けいき)に満たされぬ(かわ)きが暴れ出す。

 爛々(らんらん)血走(ちばし)った目から(こぼ)()ちた涙は、彼女が哀しみに(のこ)した〈人間(・・)〉の一滴(ひとしずく)であった。



 旧暦中世──かつてウェールズ地方には、|しがない田舎村が存在した《・・・・・・・・・・・・》。

 一夜(いちや)にして地図から消えた〈呪われし村〉だ。

 紅蓮に染まる灼熱と、阿鼻叫喚(あびきょうかん)木霊(こだま)させる殺戮(さつりく)の赤き(やいば)──血に飢えた狂気の麗獣(れいじゅう)が、(すべ)てを根絶(ねだ)やしに終わらせた。



 墓地裏(ぼちうら)に在る(ほこら)は発見される事も無く、()びた鉄扉(てつとびら)を硬く閉ざし続ける。

 その奥深くで、魔性は眠りに()いた。

 ()むべき牙を抱きかかえ、いつ目覚めるかも判らぬ眠りに……。

 激情任せの虐殺(ぎゃくさつ)を忘却したかった。

 (おのれ)の存在さえも消し去りたかった。

 されど──。

「──レマリア」

 (いと)しい存在だけは忘れたくない。

 魂が疲れ果てた。

 その心労(しんろう)誘眠(ゆうみん)()え付ける。

 そして、彼女は石の如く眠った。

 運命の目覚めまで──。




 気がつけば、カリナ達は例の拷問場に居た。

 状況が動いた形跡は無い。

 現実時間は数秒しか経過していなかった……という事だろう。

「そう……そうだったの」

 カーミラは(ひと)り納得する。

 闇暦(あんれき)以前の記憶が無い──カリナの奇妙な経歴が、ようやく説明付いた。

 同時に、彼女が〈レマリア〉という幻像を生み出し、狂気的固執(こしゅう)(いだ)いていた理由も。

(けれど、彼女は〝同属化〟をしなかった──妹を始めとして、村人の誰一人として)

 カーミラの(いつく)しみを()き消すように、下衆(ゲス)な死神が声高(こわだか)雄弁(ゆうべん)を演じる。

「最愛の妹をテメェで(あや)めた罪悪感に()えきれず、理性がブッ壊れた。コレが惨劇の幕開けだ。血に飢えた魔獣と()ち、一晩で村を全滅させちまいやがった。家族も、村人達も、それこそ(おんな)子供(こども)も、一人残らずな。ま、それさえも魔剣の支配意志かもしれねぇが……さすがのオレ様も、そこまでは判らねぇ」

 聞いているのかいないのか……カリナは無反応だ。

 少年の亡骸(なきがら)へと黙祷(もくとう)(ささ)げるだけである。

「何にせよ、それからお嬢は(なが)い眠りに就いた。忘却(ぼうきゃく)の眠りってトコか──ま、オレから言わせりゃ現実逃避(・・・・)だわな……ィェッヘッヘッ。ところが目覚めの時が(おとず)れる。旧暦(きゅうれき)一九九九年七の月にな」

「それって〈終末の日アンゴルモア・ハザード〉で?」

御名答(ごめいとう)さ、カルンスタイン令嬢。ダークエーテルが呼び起こしたのは〈デッド〉だけじゃなかったって事だ。(おびただ)しい負念(ふねん)を魔剣が吸い、お嬢の(かて)へと転じた。眠りながらにして、吸血行為に等しい魔力吸収が(おこな)われていったのさ。もっとも(しばら)くは(たくわ)えて眠るだけ……準備(じゅんび)万端(ばんたん)に目覚めるのは、闇暦(あんれき)年号が始まってからだ」

 またひとつ、カーミラの疑問が氷解(ひょうかい)した。

柘榴(ザクロ)偏食(へんしょく)ながらも、(おとろ)えを感じさせない魔力底値の高さ──それは魔剣の性質によるものだったのね。吸血行為を自粛(じしゅく)するカリナにとって、魔剣は〈武器〉であり〈牙〉なんだわ。つまり敵を斬り捨てれば斬り捨てるほど、吸血行為に等しい(かて)()られるという事……)

()くして最強最悪の〈怪物〉たる〝カリナ・ノヴェール〟の誕生でござ~いってな……どうよ? 御満足(ごまんぞく)(いただ)ける御伽話(おとぎばなし)だったかい?」

 沈思(ちんし)(ひた)るカリナへと、ゲデの値踏(ねぶ)みが投げられる。今度こそ、さぞかし失望しているであろう──ゲデは内心(ないしん)ほくそ笑んでいた。

三文(ハム)役者、聞くに()えん狂言(きょうげん)は終わったか?」

 期待を裏切り、カリナは平然と憎まれ口を返す。

 目の前で眠る少年の顔を(なが)めていると、何故か〝レマリア〟が(かさ)なった。

 見渡す限りの未熟(みじゅく)な命──約束された未来を奪われた不条理。その哀れさを思うと、(おのれ)の過去など些末(さまつ)にさえ思えた。

生憎(あいにく)、もはや過去などに興味は無い」

「はあ? お嬢が説明しろって言うから、わざわざ──」

「結局、現在(いま)の私は〝カリナ(・・・)ノヴェール(・・・・・)〟だという事だ。それよりも優先すべき事がある」

 腹立たしさを噛むゲデ。

 とはいえ、結局は折れるしかない。

 (しゃく)だが、それが両者の力関係だ。

「チッ! 何だよ、優先すべき事ってのは?」

「この部屋で息絶(いきた)えた子供達の無念(・・)──一人(ひとり)(のこ)さず、私に伝えろ! 一人(ひとり)(のこ)さずだ!」

 激情(あら)わに立ち上がり、孤高なる愛(・・・・・)()えた!

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