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孤独の吸血姫   作者: 凰太郎
~第三幕~
22/26

醒める夢 Chapter.5

挿絵(By みてみん)

 普段は不必要なほど静寂に祝福された大広間が、現在(いま)殺伐(さつばつ)とした決闘場へと一転していた!

 黒が攻め、白が()わす!

 白が攻め、黒が(はじ)く!

 カリナ・ノヴェールとカーミラ・カルンスタインの攻防は、拮抗(きっこう)した実力(ゆえ)一進一退(いっしんいったい)(きざ)み続けた!

「そうか……キサマか! キサマだな! キサマがレマリアを!」

 少女城主を()めつける目に沸々(ふつふつ)とした憎悪(ぞうお)宿(やど)る。

 (うつ)ろう魂が見定(みさだ)めた新たな獲物だ。

 ()れど、それは最大に手強(てごわ)い。

「いまにして思えば、最初からレマリアを狙っていたな! だからこそ、私の滞在を周到に約束させた! そうだろう!」

「とうとう〈レマリア(・・・・)〉は消えたのね」

「とぼけるな! 恥知らずの〈女吸血卑(ヴァンプ)〉が!」

 ついに来るべき瞬間を迎えた──それを覚悟したカーミラの表情は、儚げな悲哀を(ふく)んでいた。

消す手間(・・・・)(はぶ)けた。後は、どう納得させるか)

 カーミラの哀れみが自分へと向けられたものだと、カリナが(さと)れるはずもない。激情へと()まれた現状(いま)の彼女には……。

狡猾(こうかつ)に友情を(よそお)い! まやかしの共感を(いだ)かせ! 虎視眈々(こしたんたん)と舌なめずりをしていたのか!」

 怒り任せに(あか)()()む!

 その軌跡は鋭利ながらも、相変わらず乱雑であった。

 他の吸血鬼ならいざ知らず、カーミラに()けられぬ道理はない。

「……()ちたわね、カリナ・ノヴェール」

「上から言うかよ! その高貴ぶった態度、常々(つねづね)気に食わなかったさ!」

 (あか)い閃光と繰り出される突き!

 (しろ)外套(マント)がカーミラの円舞(えんぶ)(あわ)せ、敵意の牙を(まと)わり()んだ!

 自身が常套(じょうとう)とする回避動作を真似(まね)され、カリナは(しゃく)()む。

「よくも、その動きをっ!」

貴女(あなた)だけの専売特許じゃなくってよ」

 ()んだ勢いを殺さぬまま、カーミラは回転の余力に舞った。

 その遠心力を()かした反撃に、(いばら)双鞭(そうべん)が襲い伸びる!

 (まなこ)寸前まで襲い迫る双蛇(そうじゃ)を、カリナは紙一重の後方跳びに退(しりぞ)けた!

所作(しょさ)が似ても当たり前。同じ〈()〉が、そうさせるのだから」

「何が〈()〉だ! 馬鹿にしてくれる!」

 足裏が地面の感触を踏んだと同時に、カリナは屈伸態勢をバネと転化する!

「レマリアを返せぇぇぇーーーーっ!」

 地を蹴る間合いに繰り出される突き!

 勢いと全体重を乗せた渾身(こんしん)の一撃!

 が、(あか)の切っ先は金髪を()(つらぬ)いただけ。

 標的と(さだ)めた(うれ)いは残像が(すべ)るかのように(わき)へと()けた。

 紙一重(かみひとえ)()す技量もまた、先刻のカリナ(よろ)しくだ。

「また猿真似か!」

「言ったでしょう? 同じ〈()〉が、そうさせる……と」

虚言(きょげん)(まど)わすかよ!」

 (いら)()ちを()えつつも、せっかく得た好機は逃さない!

 まだ剣の間合いだ!

 そのまま(やいば)()ぎ払い、(きょ)を突いた斬撃を狙う!

「もらった!」

 手応(てごた)えを確信するもカリナが捕らえた像は(かすみ)

 (やいば)が裂くと同時に、カーミラは白く霧散(むさん)していた!

「チィ……霧化(・・)かよ!」

 カーミラほどの技量ならば、交戦下で行使できて当然。

 だがしかし、精神集中の行程すらも()まえぬ対応の早さと魔力底値は、正直、予想を上回(うわまわ)っていた。(しろ)外套(マント)による〈魔力増幅〉の効力も大きいのだろうが。

「何処から来る」

 鋭敏な警戒心を鳴子(なるこ)と張り巡らせ、潜伏した気配を周囲に追い睨む。

 (きり)()した〈吸血鬼〉は、その場に存在しながらも存在しない(・・・・・)(ある)いは、存在しないながらも存在する(・・・・)。見渡す空間そのものが〈潜伏する敵(・・・・・)〉だ。

(とはいえ、霧化(きりか)状態のままでは、アチラも手が出せまいよ)

 物理攻撃へと転じるには再実体化の必要がある。

(双方が下手に動けぬ以上、襲撃時に実体化する気配を捕らえるしかない──一瞬の賭けではあるが)

 (まぶた)()じ、静寂に身を(ゆだ)ねた。

 感覚を細く(とが)らせ、カリナは精神世界の闇へと(ひた)る。

 落ち(はじ)ける(しずく)の音……大気の流動……先刻の死に損ないが乱す息遣(いきづか)い…………(すべ)ての微音(びおん)索敵(さくてき)の邪魔であった。

 黙想に立ち尽くすカリナは、一見(いっけん)には無防備だ。

 しかし、秘めたる応戦意識に(すき)は無い。

 大気拡散した(きり)──(すなわ)ち〝カーミラ〟は、素直に感嘆(かんたん)を覚えていた。

天賦(てんぶ)ね。先程まで理不尽な激情に溺れながらも、局面では冷静な対応判断を(くだ)せるなんて)

 (すさ)んだ流浪(るろう)(みが)かれた〈戦士〉としての素養(そよう)だろう。こればかりはカリナの優位性だ。自分では遠く及ばない。

(はてさて、何処から攻めたものかしら?)

 おそらく安全()つ有利な方角など無いだろう。

 (カーミラ)(わずか)かながらにも勝算を考えて、獲物の周囲を漂い始めた。



 足の(けん)を斬られたジョンには身動きすら叶わない。引きずる痛みを(かば)いつつ、その場で座り倒れるしかなかった。

「な……なんて戦いだ」無力な傍観(ぼうかん)に、驚嘆(きょうたん)の息を()んだ。改めて介入(かいにゅう)余地(よち)が無い事を自覚する。正直、矛先(ほこさき)推移(すいい)に命拾いした気持ちだ。「カーミラ様も、カリナ・ノヴェールも、桁外(けたはず)れた実力じゃないか! 完全に僕等とは格違いだ!」

「で、あろうな」

 不意に聞こえた声に振り向く。

 彼の背後に立っていたのは、真紅のロイヤルドレスの吸血妃──メアリー一世であった。気高き淑女(しゅくじょ)は、(けわ)しい面持(おもも)ちで戦いの()()きを見守り続ける。

貴女(あなた)から見ても、やはり一線を(かく)するのですか? メアリー?」

「次元が違い過ぎる」

 観察視を動かす事もなく、メアリーは淡々と答えた。

 その場に座り込むジョンは、斜め下よりメアリーを仰ぐ姿勢となっていた。そのアングルから(うかが)う彼女の目鼻立ちは荘厳(そうごん)に美しい。元〝イングランド女王〟の肩書きは伊達(だて)ではない──ジョンは内心(ないしん)思った。彼女ならば〝吸血貴族(ヴァンパイア・ロード)〟という称号さえも、違和感無く受け入れられる……と。

「僕から見れば、貴女(あなた)やジル・ド・レ卿だって相当なものですが」

「恐縮だが()(かぶ)り過ぎだな……ジル・ド・レ卿は、ともかくとして」

「そうでしょうか?」

 認識不足の格下が()らす甘さに、ようやくメアリーは一瞥(いちべつ)を向けた。

「確かに、私の魔力底値は〈不死十字軍ノスフェラン・クロイツ〉の中でも高い方であろうな。だが、()かすべき実戦技能が皆無(かいむ)だ。カーミラ様と、カリナ殿──そして、ジル卿には、その両側面が不備(ふび)無く(そなわ)わっている。いざ一対一の決闘とでもなれば、私など相手にならぬだろう」

 結論を()べて、再び交戦へと見入(みい)る。

 重みを持て余したジョンも、彼女に(なら)った。

「どう見ますか? 有利な方は……」

(わか)らぬな。純粋に戦闘技能ならば、カリナ殿に()があるが……現状は正気を()いている。普段の冷静な判断力を発揮できていない」

「それは(さいわ)いだ。なら、カーミラ様が負けるはずがない」

「カーミラ様とて万全(ばんぜん)ではないぞ」

「え?」

「重傷を()しての応戦だ。先程、再生休眠を終えたばかりとはいえ、ダメージ完治には遠い」

「じゃあ、どちらも不利な条件を?」

「だから言っている……(わか)らぬ、と」(いだ)く不安を噛み殺して、メアリーは(にが)見解(けんかい)(つむ)ぐ。「付け入るとすれば、カリナ殿が平常心を()いている事だが……あのような対応力を見せられてはな。どうやら戦闘に関しては、従来の技量が心髄(しんずい)から(にじ)み出るらしい」

「自我の損失に関係なく……ですか?」

「筋金入りの〈戦士〉という事だろう」

 ()わす言葉が()き、二人は(もく)して見入(みい)った。

 ややあって、ジョンは異なる疑問を(たず)ねる。

「あの……〈レマリア(・・・・)〉とは何ですか? いや、(ある)いは〝()〟なのかもしれませんが」

「何? 何故、そなたが〈それ(・・)〉を?」

「先程、カリナ・ノヴェールが襲い来る(さい)(くち)にしました──『レマリアを殺したな?』と……それから『私のレマリアを返せ』とも」

「ふむ?」メアリーは居住区での一波乱(ひとはらん)想起(そうき)する。「生憎(あいにく)と、私も〈それ(・・)〉は判らぬ。名前だけは聞いた事があるが……」

 介入を制された事柄ではあるが、そもそも真相すらメアリーは把握していない。

 だが、カーミラは〈それ(・・)〉が〈何か(・・)〉を確信している。

 そして、あの時に少女盟主が秘めていた決意が、迎えるべく瞬間を迎えたのだ──と。



 カリナの瞑想(めいそう)は続く。

 (かす)かに霊気が流れた。

 瞬間は近い──そう確信した刹那(せつな)

「そこかよ!」

 振り向き(ざま)に魔剣を()ぐ!

 奇襲に飛び掛かる双蛇(そうじゃ)を、紅玉石(ルビー)(やいば)(はじ)()らした!

 後方頭上!

 そこからカーミラは現れた!

「カリナ・ノヴェール!」

「カーミラ・カルンスタイン!」

 愛用の武器を(はじ)かれたカーミラが、強襲の勢い任せに近接態勢へと取り付く。

 茨鞭(いばらむち)(つか)紅剣(こうけん)(つか)が、一歩も引かずに(つば)()り合った!

「カリナ・ノヴェール! いい加減に目を()ましなさい! 貴女(あなた)が追い求めているのは、永遠の白昼夢に過ぎないのよ!」

「何を意味不明な事をホザいている! 脳味噌でも()ったかよ!」

 ギリギリと攻めぎ合う押し比べ!

「かつて貴女(あなた)は言った──わたしがロンドンに見ているのは、自尊的な幻想だと! 結局は己の奉仕行為に酔った〝自己愛(・・・)〟だと!」

「言ったがどうしたよ! 事実は事実だろうが!」()え返す中、カリナはハッと思い当たった。「そうか、だからか! その腹いせに、レマリアを殺したのか!」

「まだ不毛(ふもう)を続けるというの! カリナ・ノヴェール!」

 (かな)わぬ疎通(そつう)歯痒(はがゆ)さを()む。

 哀れみと悲しさが(せき)を切り、カーミラは激情を叫んだ!

「ならば、ハッキリと言ってあげる! 最初から存在しないのよ! 貴女(あなた)の言う〈レマリア(・・・・)〉なんてね!」

「なっ?」

 一瞬、カリナが動揺(どうよう)()まった。

 想像すらしていなかった言葉だ。

 そして、彼女の根幹(こんかん)を破壊するほどの暴言(ぼうげん)だ。

 放心(ほうしん)(ひる)んだ(すき)が、(ちから)均衡(きんこう)(くず)し掛けた。

 カーミラには好機である!

 だが、それも一瞬──。

「言うに……事欠(ことか)いてぇぇぇーーーーっ!」

 カリナが憤怒(ふんぬ)を爆発させた!

 激情が(ちから)と転じ、拮抗(きっこう)していた対立を(はじ)()ばす!

「あう!」

 床へと(ころ)(すべ)るカーミラ!

 直接的な肉弾戦となれば、全開状態のカリナに(まさ)るわけがない!

 すかさず半身(はんみ)を立て直し、難敵(なんてき)身構(みがま)える!

 痛みを感じている余裕などない!

 それほどの相手だ!

霧化(きりか)を!)

「させるかよ!」

 瞬間的に回避を意識したにも関わらず、(すで)にカリナが踏み込んで来ていた!

 捕食の如き瞬発力が赤い(ひらめ)きを突き出す!

「っあああああーーーー!」

 非情の凶牙(きょうが)が腹を(つらぬ)いた!

 ジル・ド・レが負わせた致命箇所だ!

「妙だとは思ったが……キサマ、手傷(てきず)()っていたな」

「っくう!」

「隠していても、(かす)かに血の匂い(・・・・)がするんだよ。私はキサマ()よりも鋭敏なんだ。普段から絶食(・・)しているからな」

「やっ……ぱり、あの〝柘榴(ザクロ)〟は……そういう事なのね」

 苦悶(くもん)(こら)えながら、白の吸血姫(きゅうけつき)が指摘する。

「古代ギリシアの神話に於いて、柘榴(ザクロ)は〈冥府の果実〉として伝わる。貴女(あなた)は、それを代用品とした──(かて)である吸血行為のね!」

「ああ、そうさ。レマリアと──あの子と共に生きるために、私は吸血行為を捨てる必要があった。己の生命と魔力を維持するために、新たな糧を模索したのさ。常若の国の〈妖精の林檎〉や日本神話の〈黄泉戸喰(よもつへくい)〉、人間共が創り出した〈人工血液〉──あらゆる神話や科学産物を模索(もさく)し続けた。だが、どれもこれも(かて)に代わる効用は無い。そうした模索(もさく)の中で辿(たど)り着いたのが〈柘榴(ザクロ)〉だ!」

 カーミラは言葉に(ふく)まれていた重みを()む──此処にもいた……人間との理想的共存を模索(もさく)する〈吸血鬼〉が!

 ()しくも、それは自分の姉妹──ジェラルダインの血統(・・・・・・・・・・)であった。

 原初の血が、そうさせる。

 哀しき呪縛(じゅばく)が、同じ宿命(さだめ)()す。

 それでも、自分とカリナには決定的な差(・・・・・)があった。

 それを思うと笑わずにはいられない。

 どこまでも哀れみを()びた笑いであった。

「フフ……フフフ」

「何だ? 何が可笑(おか)しい!」

「だって、可笑(おか)しいわ……可笑(おか)しくて、滑稽(こっけい)で、哀れだもの。|存在しない存在を溺愛するなんてね《・・・・・・・・・・・・・・・・》!」

「キサマァァァアアーーーーッ!」

 逆上が(ちから)を込める!

 それに呼応するが如く、(あか)(やいば)が輝きを()び始めた!

「クッ……ァァァアアアアア!」

 (こら)えきれず絶叫に(もだ)えるカーミラ!

 彼女の中でカリナ(・・・)が暴れ狂っていた!

「吸え! 吸い尽くせ〈ジェラルダインの牙〉! (すべ)てを(かて)と喰らい尽くせ!」

 深い憎悪が、けしかける!

 ますます光を輝かせる魔剣──と、その輝きは(ほど)なくして鎮静化(ちんせいか)していった。

「何だ? 何故止まった〈ジェラルダインの牙〉よ!」

「ハァハァ……フ……フフフ」九死に一生を得た(にえ)が、脂汗(あぶらあせ)ながらに(ふく)み笑う。「……どうやら〝ジェラルダイン〟は、わたしの考え方に味方したみたい」

「な……何だと?」

「魔剣の中で邂逅(かいこう)して以降、演繹(えんえき)し続けたわ。何故〝ジェラルダイン〟が魔剣内に存在していたのか──何故、貴女(あなた)が〝ジェラルダイン〟の()む魔剣を所有しているのか」

「な……何だ? 何を言っている!」

「この魔剣は〝ジェラルダイン〟そのもの──おそらく〝魂の転生体〟か、(ある)いは〝残留思念の具象化(ぐしょうか)〟なのよ。そして、そんな禍々(まがまが)しい代物(しろもの)を愛剣としている以上、貴女(あなた)自身も無関係ではない」

「だから、何を……!」

「わたし達は共に〈ジェラルダインの血統(・・・・・・・・・・)〉という事──因果的な〝姉妹(・・)〟という事よ! カリナ・ノヴェール!」

 驚愕すべき指摘(してき)に、黒の吸血姫(きゅうけつき)が固まる。

 確かに自身の()()ちは何一(なにひと)つ知らない。

 さりとも、あまりに予想外の指摘(してき)であった。

「た……戯言(たわごと)を言うな! 何を根拠(こんきょ)に!」

「だからこそ、貴女(あなた)は〈レマリア(・・・・)〉に異常(いじょう)固執(こしつ)する。かつて、わたしが〝ローラ(・・・)〟を愛したように──元凶(げんきょう)たるジェラルダインが〝クリスタベル(・・・・・・)〟という名の少女に()がれたように──わたし達〈ジェラルダインの血統〉は、自身の愛を注げる対象を強く求める(さが)なのよ。無償(むしょう)の愛を(かたむ)ける存在を求め続けるの。貴女(あなた)にとっては〈レマリア(・・・・)〉が、そうだったようにね。それは無限(むげん)虚無(きょむ)から(だっ)したいが(ゆえ)かもしれない。孤独に対する精神的自衛(じえい)かもしれない。けれど、貴女(あなた)の悲劇は〝自らが創り出した幻影(・・・・・・・・・・)〟に依存(いぞん)してしまった事。それは、とても哀しい事ではなくて?」

「幻影……だと!」

 またも逆鱗(げきりん)へと()れられ、憎悪に歯噛(はが)みする!

「私のレマリアが……あの子(・・・)が幻影だと言うか!」

貴女(あなた)が来訪して今日(こんにち)まで、城内に〈レマリア〉を見た者なんて一人もいないのよ」

「ふざけるな! 現にキサマは──」

「──見てないわ」

 (がん)とした目力(めぢから)に、カリナは言葉を()む。

 いいや、コイツは見ていたはずだ。

 初めて顔合わせをした時も、まじまじと外套(マント)の内を──いや待て、まじまじと〈()〉を見た?

 あの時の怪訝(けげん)そうな表情は何だ?

 直後の意味深(いみしん)一考(いっこう)は?

 まじまじと(・・・・・)何も存在しない外套(・・・・・・・・・)〟|へと見入ったのではないか《・・・・・・・・・・・・》?

 私の奇行(・・)を……。

「わたしだけじゃなくてよ。城内の者は誰一人(だれひとり)として〈レマリア〉なんて見ていない」

「……黙れ」

「メアリーも、エリザベートも、ジル・ド・レ卿も……リック親子でさえもね!」

「黙れと言っている!」

 思い返せば、レマリアへの対応を見せるのは、他ならぬカーミラだけ(・・・・・・)だったのではないか?

 メアリー一世も、リックも、その場にいるはずの女児には無関心だった……無関心過ぎた(・・・・・・)

「そもそも思い出して御覧(ごらん)なさい! 貴女(あなた)自身〝一人の瞬間(・・・・・)〟が、多々あったのではなくて?」

 ジル・ド・レと対峙した時、あの子は何処にいた?

 居住区でのゾンビ退治から戻った時、カーミラに(うなが)されるまで何処にいた?

 リックの母親と対面した時には?

 自分が揺らぐ。

 だが、ようやくカリナは反論の(たね)見出(みいだ)した。

「いいや、サリーだ……サリーがいる! サリーは、私とレマリアを見続けてきた!」

 一縷(いちる)の希望に(すが)るような思いであった。

 しかし、無情なる現実は、それさえも否定(ひてい)する。

「……優しいのよ、彼女は。だからこそ、貴女(あなた)へと(あて)がった」

「なっ?」

「彼女の半生(はんせい)は聞き(およ)んでいるでしょう? おそらく貴女(あなた)の母性を、自分自身と重ね合わせた……だからこそ、口裏を合わせていたに過ぎないわ。貴女(あなた)を──貴女(あなた)の〝()〟を守ろうと」

 サリーの()(わけ)想起(そうき)した──「なにせレマリア様は、おとなしゅうて、おとなしゅうて」

 いまにして思えば、あれは〝見えていない(・・・・・・)事〟への()(つくろ)いだったのではないか?

「これで分かったでしょう?」

 突きつけるカーミラに反論ができない。

 それでもカリナは虚脱(きょだつ)(つぶや)く。

「レマリアは……いるんだ。いまでも私を待っている」

闇暦(あんれき)年号(ねんごう)になってから、三〇年間……何故〈レマリア(・・・・)〉は〝成長〟しなかったの?」

「──っ!」

「悪夢から解放される瞬間(とき)が来たのよ! カリナ・ノヴェール!」

「まだ……言うかよぉぉぉーーーー!」

 役立たずとなった愛剣を放り捨て、(こぶし)で殴り掛かった!

 薄々と認め始めた真実から目を()らすべく……。

 (おのれ)保身(ほしん)にしがみつくべく…………。

「レマリアが……アイツが、いないだと! 存在しないだと! よくも言える! あの子と私が過ごした日々も知らずに! よくも!」

 無抵抗な仰向(あおむ)けを、カリナは容赦なく殴りつけた!

「アイツはな、(ととの)った環境でないと寝れないんだ! 川魚(かわざかな)は食わない! 生臭(なまぐさ)さがイヤなんだとよ! 野菜嫌いを克服させるために、柘榴(ザクロ)ジュースに混ぜ忍ばせた事もある! それでも見抜いて飲まなかった! 鼻が()くヤツだよ! まったく手が焼ける!」

 ()き立つ感情の(すべ)てを(こぶし)に乗せる!

「機嫌がいい時は、うろ覚えの『オーバー・ザ・レインボー』を口ずさんだ! 舌足らずでな! 好奇心が強過ぎるから、片時も目が離せない! ムカデを手掴みにしそうになった時は、慌てて引き離したものさ!」

 (こぶし)を振る!

 振り抜く!

 振るい続ける!

 カーミラは殴打(おうだ)されるままに金糸(きんし)を乱すも、絶対的な勝者であった。

 認め始めている──そう思えばこそ、この痛みは〝痛み〟ではない。

 これは〝カリナの痛み(・・・・・・)〟だ。

 (いと)しい(カリナ)の……。

「いつも寝顔を()でてやった! そうすると夢の中で安心するんだ! 私に()んだ花をくれた事もある! 雑草だったがな! まだまだ思い出は、たくさんあるぞ! これだけ聞いても、まだ存在しないなどと言えるか! どうだ!」

 (こぶし)に込められる(ちから)が、徐々(じょじょ)に抜けていくのが分かった。

 次第(しだい)に勢いも失速(しっそく)する。

 やがて完全に(しず)まった暴力は、相手の胸鞍(むなぐら)(つか)んで(うずく)まった。

「……どうなんだ……なんとか……なんとか言えよ!」

 (むせ)ぶように(しぼ)り出した声は、完全に(よりどころ)見失(みうしな)っていた。

「カリナ・ノヴェール……」

 カーミラには、ただ抱きしめるしか(すべ)がない。

 ()み殺す嗚咽(おえつ)に震える頭を優しき細指(ほそゆび)()(なだ)める。

 まるで子供をあやすかのように……。

 反目(はんもく)の決着は覚悟していた以上に(こころ)(いた)かった。

 と、不意に聞き慣れた下品な濁声(だみごえ)二人(ふたり)(あざけ)る!

「ィェッヘッヘッヘッ……吸血姫(きゅうけつき)同士のキャットファイトたぁ、イイモンを見せてもらったぜ。アンタ等〝百合(ゆり)〟だったのかよ? ィェッヘッヘッヘッ……」

 耳にした途端(とたん)、カリナの内で再燃(さいねん)する希望(きぼう)

「ゲデか!」

 その姿を周囲に捜した!

 自分と傍観者(ぼうかんしゃ)達との間に黒い(もや)が集結し始める。

 それは次第(しだい)(ひと)(かたち)()した。

 普段なら見たくもない腰巾着(こしぎんちゃく)だ。

「よぉ、お嬢……こりゃまたご機嫌そうだな? ィェッヘッヘッ」

 死神は山高帽子を(つま)んだ会釈(えしゃく)を向けると、葉巻(はまき)酒瓶(さかびん)(たしな)(ひた)る。

 相変わらずの太々(ふてぶて)しさだ。

 だが現状では、どうでもいい。

 カリナは(うと)むべき下衆(ゲス)へと(あゆ)み、普段の気丈(きじょう)さで確固(かっこ)たる助言(じょげん)(めい)じた。

「ちょうどいい! キサマ、証言しろ! レマリアは実在する(・・・・)──とな!」

「なんでぇ? おチビちゃん、いなくなったのか?」

 飄々(ひょうひょう)と露骨に驚いて見せる。

 いつも通りの茶化(ちゃか)しぶり──けれども、カリナは安堵すら覚えた。叩き落とされた非情な指摘から、ようやく現実へと(かえ)れる足掛(あしが)かりだ。

「それをいい事に、コイツ等は『レマリアが実在しない』などと言いやがる!」

「そりゃ無慈悲だねぇ?」

「キサマは知っているはずだ! レマリアは幻想なんかじゃない(・・・・・・・・・)と! 証言してやれ! 実在する(・・・・)と!」

「ああ、そういう事ね。了解了解」

 カーミラは初めて会った卑俗(ひぞく)()めつける。

(何処の誰かは知らないけれど、余計な事を……せっかくカリナが現実を受け入れ始めたというのに)

 そうした(うと)みも、生来(せいらい)の嫌われ者は承知だった。優越に吸血令嬢を一瞥(いちべつ)するのも心地いい。

 ゲデは葉巻(はまき)を深く()かすと、向けられた敵意に酔う。

「さあ、真実を言ってやれ! ゲデ!」

「あいよ」

 意気を甦らせたカリナが()いた。

 ゲデは物臭(ものぐさ)そうに従い、大きく口角(こうかく)(ゆが)ませる。

 そして、ヌッとカリナへ顔を近付けて、こう言うのだ。

「レマリアだぁ? そんなヤツァ、いねぇ(・・・)よ」

「なっ?」

 思いも掛けぬ残酷な裏切り!

 呆然(ぼうぜん)と立ち尽くすカリナが見たのは、普段以上に(いや)しい喜悦面(きえつづら)であった。

 予想外の衝撃に絶句したのは、彼女だけではない。カーミラも、メアリーも、ジョンも……あまりに冷酷なゲデの対応に言葉を失っていた。思わせぶりな素振(そぶ)りで希望を(いだ)かせ、奈落(ならく)へと叩き落とす──あまりな(なぶ)り方である。

 やるせない(いきどお)りが、外道(げどう)への怒りと転化する。

 が、集中する憎悪さえも、ゲデには享楽(きょうらく)に過ぎない。

「まったく面倒だったんだぜぇ? アンタに合わせた道化(どうけ)芝居は。ま、幻影とはいえ〈意識の結晶〉だからな、本質は〈魂〉と似たよなモンだ。おかげで、オレの幻視(げんし)で見る事は出来たがな……ィェッヘッヘッ」

「嘘を……嘘を言うな!」(しぼ)り出した否定(ひてい)は、わなわなと震えていた。「現にキサマは、レマリアと会話しているではないか! その品性の無さに嫌われていたのを忘れたか!」

「だからよぉ、そいつは〝お嬢の潜在意識(・・・・)〟ってヤツだ。アンタ自身の感情を、ガキの幻に投影行動させていたに過ぎねぇよ。ガキなら、こう言動するだろう……ってな」

「な……何?」

「この国に着いて早々(そうそう)にデッドが(むら)がったのもよ、アンタ自身(・・・・・)(わめ)いて呼び寄せたのさ。ガキの幻影を現実的(リアル)に体感したくってな。傍目(はため)にゃ狂っ(イカれ)てたぜ……ィェッヘッヘッ」

「う……そだ」

「ィェッヘッヘッ……ま、どちらにせよオレ様がエラく嫌われてるのは間違いねぇがな」()かす紫煙(しえん)に優越を乗せる。「で、どうだったよ? 自己満足の母親ごっこは? アンタの〈レマリア〉は、いい子ちゃんだったかい? ィェッヘッヘッ」

 最早(もはや)(あざけ)りすら耳に入らない。

 ただ(うつ)ろな拒絶だけが(つぶや)()れた。

「う……嘘だ」

「嘘じゃねぇよ。ぜーんぶ、アンタの妄想だ」

「嘘だ……嘘だ!」

 一心不乱(いっしんふらん)に首を振る。

 直視させられた現実に怯え、(かたく)なに(こば)むかのように。

 目に見えぬ悪魔が小娘の心を鷲掴(わしづか)みにしていた。

 非力な抵抗を容赦なく(にぎ)(つぶ)さんと……。

「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!」

「オイオイ、お嬢ともあろう者が。往生際(おうじょうぎわ)が悪ィねぇ」

「嘘だァァァァーーーーーーッ!」

「ありゃりゃ、もう壊れてやんの。チッ、案外思ったよりもヤワ(・・)だったな」

 孤高は崩れた。

 頭を抱えて慟哭(どうこく)に沈む姿は、凡百(ぼんひゃく)な存在の(ひと)つに過ぎない。

「つまらねぇ……こんなオチのために付き(まと)ってたワケじゃねぇんだぜ? オラ、(かえ)って来いよ? お嬢には、もっともっと楽しい展開を見せて(もら)わねぇとな。ィェッヘッヘッィェッヘッヘッィェッヘッヘッヘッヘッ──ィェッ?」

 遠慮なく嘲笑(あざわら)下衆(ゲス)の首が()()ぶ!

 カーミラ・カルンスタインの茨鞭(いばらむち)であった!

 傷を()して立ち上がった麗姿が、静かなる怒りを(はら)む!

「ゲデとやら、そこまでにしておくのね」

 首無し紳士は転げ落ちた一部を探り拾い、有るべき箇所(かしょ)()え直した。その(さま)滑稽(こっけい)ながらもグロテスクだ。

「オイオイ、カルンスタイン令嬢よォ? オレァ、アンタの手助けをしたようなもんだぜ? 聞き分けないワガママ娘に、物の分別(ふんべつ)を教えただけさ……ィェッヘッヘッ」

(くち)(つつし)みなさい。わたしと貴方(あなた)では、カリナへ向ける想い(・・)が違うわ。これ以上、まだ彼女を苦しめるというのならば──」

「ハァ? どうするってのよ?」

「──その薄汚(うすぎたな)(くち)から全身を()()きにしてくれる! 二度と再生が叶わぬほど完全消滅させてやるから、そう思え! わたしは〈()〉ほどアマくはないぞ!」

 誰も見た事のない〈()〉としての側面(そくめん)露呈(ろてい)した!

 爛々(らんらん)と吊り上がった目に宿るのは、氷の如き殺意!

 その鬼気(きき)は圧倒的であった!

 彼女を中心として渦巻(うずま)く黒き台流(たいりゅう)は、カリナとの反目(はんもく)で見せた魔力の解放である!

 初めて見る主君の苛烈(かれつ)さには、メアリー達ですら畏怖(いふ)を覚えずにいられない。

 カーミラ自身にしても、(ひそ)む残虐性を(あらわ)にしたのは数百年ぶりだ。

「チッ……へいへい、承知しましたよ」

 ゲデは忌々(いまいま)しそうに舌を鳴らした。

 肌で感じる魔力の底深(そこぶか)さは、さすがにカリナと同格である。

 ややあって(みずか)らを鎮めたカーミラは、虚空を仰いで慟哭する放心を慈しみに抱きしめた。

「レマリアは……私の〈レマリア〉は……」視界が(にじ)む。()れる声が涙を()びる。「……レマリアが……いない?」

「御聞きなさい、カリナ・ノヴェール。貴女(あなた)の行為は、祖先の呪血(じゅけつ)(あゆ)ませた宿命(さだめ)──わたし達〈ジェラルダインの娘〉が踏襲(とうしゅう)する(さが)なのよ」

「ジェラルダインの……娘?」

 (うつ)ろに鸚鵡(おうむ)(がえ)しを(こぼ)す。

「ええ、そうよ。わたしも貴女(あなた)も、原初吸血姫(デモン・ヴァンパイア)〈ジェラルダイン〉の血統(けっとう)なの。貴女(あなた)とわたしが不確(ふたし)かな共感を見出(みいだ)し、(さら)には魔剣〈ジェラルダインの牙〉を(したが)える事ができたのが証明よ」

 カーミラは優しく(さと)し続ける。

 きっと(おも)いは届く……清水(しみず)が石へと()()るように。

貴女(あなた)だけじゃないのよ、カリナ・ノヴェール。わたし達は、(みな)〈孤独〉なの。誰かを愛するのは、誰かに愛されたいから。けれど、叶わないのよ。不老不死を宿した瞬間から、常命(じょうみょう)とは相入(あいい)れないの。それでも、愛し続けるの。それが〈人間(・・)〉としての(さが)だから。例え〈不死の怪物〉だとしても……〈吸血鬼〉だとしても、わたし達は根幹(こんかん)的に〈人間(・・)〉なのよ。だからこそ足掻(あが)く。(ぬく)もりを求め続ける。気高(けだか)くあろうともすれば、逆に慢心(まんしん)悪徳(あくとく)にも溺れるの。それもこれも()が〈人間(・・)〉だからよ。心宿(こころやど)さない〈デッド〉や〈ゾンビ〉とは違うわ」

「人……間……?」

「それは夢幻(むげん)虚無(きょむ)から(だっ)したいが(ゆえ)かもしれない。孤独に対する自衛かもしれない。けれど、貴女(あなた)の悲劇は〈自らが創り出した幻影〉に依存(いぞん)してしまった事。それは、とても哀しい事ではなくて?」

「私には……私には何も無い。最早(もはや)、何も……」

「何も無いわけないでしょう!」

 此処が正念場(しょうねんば)だ!

 いまのカリナは境界線の手前にいる!

 ()かせてはならない!

「レマリアが……レマリアが、いないんだ」

「わたしがいる! わたしが貴女(あなた)の〝レマリア(・・・・)〟となり、貴女(あなた)がわたしの〝ローラ(・・・)〟となるの! 世界中が敵になっても、わたしは貴女(あなた)を愛し続けるわ!」

「レマ……リア……」

 愛する名を(くち)にするだけで熱いものが(こぼ)れ落ちた。充足(じゅうそく)(つちか)った歳月が、(すべ)(しずく)と消えていく。

「しっかりなさい! いつもの貴女(あなた)は、どうしたの! 誇り高く、不敵で、気丈で、何事にも()びない──そんな孤高の吸血姫(きゅうけつき)は何処へ行ったの!」

 (もろ)く壊れそうな心を強く抱きしめる!

「……レマ……リア……」

 感触は感じている──状況も把握(はあく)している────それでも、カリナの心は(かえ)って来なかった。

「お願いよ、カリナ……わたしと共に生きて…………」

「う……うう……」

 顔を(うず)めた孤高は声を殺して泣き()れた。白い胸が熱く湿(しめ)る。

 カーミラは慈母(じぼ)の如く、その(すべ)てを(つつ)み込む。

 されど──瓦解(がかい)しそうな自我──残酷な現実に(もてあそ)ばれた傷心(しょうしん)──それは、カーミラにも(つな)()められるかは(さだ)かにないものであった。

 その時、聞き覚えのある老声(ろうせい)がカリナの耳に届く。

「カリナ様ーーーーっ!」

 この場に居るはずのない声だ。

 油断ならない魔城にて唯一(ゆいいつ)(こころ)(ゆる)した声だ。

 虚脱(きょだつ)の瞳が、その存在を見定(みさだ)める。

「サ……リー?」

 広間の一角──重傷を()した老婆が駆けつけていた。

「カリナ様! ああ、おいたわしや!」

 よろつく足取りに駆け寄る。

 荒い息遣(いきづか)いからカリナは察した。

 サリーは四肢(しし)こそ復活していたが、ダメージが完治したわけではない。むしろ、逆だ。

 自分の腕へと崩れ抱かれる老婆を困惑に見つめる。

「サリー……何故?」

「お許し下さい! レマリア様を……カリナ様の大切なレマリア様を守れませんでした! されど、生きておりますとも……きっと! このサリーが保証致します!」

 老婆が(なだ)めようとすればするほど、少女の心は痛みを増した。

 だが、その痛みが本来の冷静さを取り戻させる。

 現実を直視させる鎧(・・・・・・・・・)へと変わっていく。

「サリー……もう、いい……もう、いいんだ」

「いいえ、よくありません! レマリア様は生きておられる! カリナ様のレマリア様は生きておられる! ですから、決して夜叉(やしゃ)羅殺(らせつ)に成り下がってはなりませんぞ! 左様(さよう)な事になっては、レマリア様が泣かれます! このサリーも悲しゅうてなりません! ぐっ……うう……」胸を押さえて苦悶(くもん)(こら)える妖婆(ようば)は、ようやく(おとず)れた最期(さいご)を心静かに自覚した。「はぁ……はぁ……カリナ様は、お優しい方。本当に心優しい方……サリーは……知って……おり……──」

 老体(ろうたい)から静かに(ちから)が抜けた。

「なんだ、それは……私が心優しい……だと? とんだ勘違いだ……迷惑な誤解だぞ。私は(ひねく)(もの)なんだ。嫌われ者の疫病神(やくびょうがみ)なんだよ。おい、起きろ。オマエには懇々(こんこん)と説明してやらねばならん。起きろよ、サリー……」

 呼び起こそうと揺らし続ける。

 されど最早(もはや)、答える事はない。

 眠りから覚める事はない。

「起きろと言っている! サリー!」

 やがて、腕の中から黒い(ちり)が消えていった。

 (いだ)く重みが()へと(かえ)っていく。

「サリィィィイイーーーーーーッ!」

 老塵(ろうじん)が拡散する虚空(こくう)(あお)ぎ、少女は悲嘆(ひたん)を叫び()めた。



 悲しみを噛み締めた瞬間から、どれくらいの時間が()っただろうか──。

 数分か?

 数時間か?

 (ある)いは、数秒だろうか?

 存在すら消えた亡骸(なきがら)(いだ)き続け、カリナは深く沈んでいた。項垂(うなだ)れた表情を(のぞ)(うかが)う事は叶わない。

 その場に居る誰もが彼女の胸中(きょうちゅう)(さっ)して(たたず)む──品性下劣(ひんせいげれつ)なゲデを(のぞ)いて。

「ケッ……御涙(おなみだ)頂戴(ちょうだい)安物劇(やすものげき)なんざ、阿呆(アホ)らしくて笑えもしねぇぜ」

 蚊帳(かや)(そと)の死神は、露骨(ろこつ)興醒(きょうざ)めを()(あま)していた。

「……カリナ」

 神妙(しんみょう)面持(おもも)ちで、カーミラが呼び掛ける。

 続ける言葉など見つからない。

 けれど、このままにしてはおけなかった。

 身命(しんめい)(なげう)ったサリーの(ため)にも……。

「カーミラか……()らぬ気遣(きづか)いをするなよ」

「え?」

 意表を突かれる。

 カリナから返ってきた抑揚(よくよう)は、予想に反して泰然(たいぜん)としていた。

「……上から目線の同情など(しゃく)(さわ)るだけだからな」

 憎まれ(ぐち)に上げた表情からは狂気が消えていた。

 (もろ)さが消えていた。

 そこに存在するのは、気高き(ひねく)(もの)だ。

「大丈夫……なの?」

「それが(しゃく)(さわ)ると言っている」

 レマリアを失った。

 サリーを失った。

 だが不思議な事に、彼女の心は以前より強く()った。

 静かに呪縛(じゅばく)から立ち上がると、カリナは冷ややかな蔑視(べっし)に言い放つ。

「おい、下衆(ゲス)野郎(やろう)

「か~? 正気(しょうき)に戻った途端(とたん)、コレかよ」

 久々となる無碍(むげ)な対応に、山高帽子を(つぶ)して(なげ)いた。

「オマエ、霊視ができるんだったな」

「そりゃあ、オレ様の固有能力だからな」

「ならば、私の素性(すじょう)経緯(いきさつ)見通(みとお)せるはずだな」

「それを知った上で()(まと)ってるんだよ」

「……だろうさ」

 自嘲(じちょう)侮蔑(ぶべつ)(ひと)しく浮かべる。

 ようやく(さと)った──何故、この異教の死神(・・・・・)が、固執(こしゅう)的に()(まと)うのか……を。

 根深(ねぶか)()は悲劇の連鎖(れんさ)を呼ぶ。コイツにとっては居心地(いごこち)のいい享楽場(リゾート)だ。

 いいだろう。

 それさえも受け入れ、私は生きる──生き続けて(・・・・・)やる。

「ま、お嬢の頼みとありゃあ聞いてもいいがよ。その前に少しばかり付き合ってもらうぜ? こっちも時間が無ぇんでな」

「時間?」

 不機嫌(ふきげん)怪訝(けげん)を混ぜて(にら)み返す。

「ああ、アンタに会いたがってるヤツ(・・・・・・・・・)がいるんだよ」

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