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孤独の吸血姫   作者: 凰太郎
~第三幕~
21/26

醒める夢 Chapter.4

挿絵(By みてみん)

 現在のロンドン塔内には、人の──(いな)〈吸血鬼〉の姿(すがた)気配(けはい)は全く無い。(もと)より深い霊気を漂わせる情景が、(さら)に拍車を掛けた蒼い虚構へと染まっていた。

 幽然たる迷宮を駆け巡るは、たった一人(ひとり)の影のみ。

 (すなわ)ち、ジョン・ジョージ・ヘイだ。

 彼自身の足音や装飾具の金音(かなおと)が、無遠慮に反響する。走る片手間に周囲を見回し、彼は弱腰の本音を零した。

如何(いか)に僕が〈吸血鬼〉とはいえ、さすがに不気味だな」

 向かう(あて)も尽きて一時的に戻った場所は、威風ある表門を据えた大広間──ジル・ド・レ卿とカリナ・ノヴェールが一戦交えた場所だ。

 広大な空間には、巨大な柱が連なり立っている。細微な装飾意匠が刻まれた支柱だ。柱同士の間に生まれ落ちる暗がりは、(さら)に城内深部への主要通路として続いている。そうした造りが四方八方へと伸び広がり、(さなが)ら蜘蛛の巣状の迷宮入口であった。

 歯痒(はがゆ)い状況に()れ始める。

「カリナ捜索は、ペーターに任せるつもりだったのに。そうすれば、彼を安全圏へと逃がす事ができた」

 しかし、ペーターは(かたく)なに辞退した。

 結果、押し問答の(すえ)にジョンが折れる形となった。

「一番の理由は、キミも同じ考え(・・・・)だったって事だろう? ペーター?」

 どちらが我を通すにせよ、口論で時間を浪費するのは勿体(もったい)ない。(ゆえ)妥協(だきょう)だ。

「にしても、いったい何処にいるんだ? カリナ・ノヴェール! 恣意(しい)的な性格は知っていたけれど、こうも行き先が分からないなんて……」

 この大広間から捜索を始めて、客室棟──会議室──無数の廊下────普段ならば立ち入り禁止扱いの場所さえも巡るだけ巡り、駆けるだけ駆けた。

 焦燥に駆られる中で、まだ行っていない場所を脳内検索する。

 と、不意に他者の気配を感じた。

 警戒したジョンは、それを探り追って注視する。広間外れの一角だ。

(城内で()って事はないだろうが……〈怪物〉は種々様々な魔力を保持しているからな。何が生じても不思議じゃない)

 緊迫感を噛み締めながら、じっと睨み据え続けた。

 コツリコツリと近付いて来る硬い足音。

 ややあって大柱間の闇から浮かび上がった正体は、まさしく彼の捜し人に他ならなかった。

「カリナ・ノヴェール!」ようやくの邂逅(かいこう)に、歓喜の声を上げる。「良かった! 探していたんだ! 情けない話だが、実はキミに頼みがあって──」

 そこまで用件を(てい)すると、ジョンは言葉を()み込んだ。思わず駆け寄ろうとした足も数歩で硬直に止まる。

 彼を強張(こわば)らせたのは、得体の知れぬ恐怖。本能的な危険の察知だ。

 カリナ・ノヴェールは、その顔を深く()せていた。表情を(うかが)い見る事は出来ないが、疲労とも悲哀とも()のオーラが(むしば)んでいるようにも映る。

 いや、それはいい。

 問題なのは、あからさまに見て取れる違和感だった。

 霊風(れいふう)にそよぐ(くろ)外套(マント)も、美しくさえある童顔にも、(ことごと)く赤の押し花が咲いている。

 ジョンは疑問を(いだ)く。

 ──何故、彼女は、これほどまでの〝返り血(・・・)〟に染まっている?

 ──あの(けが)れは〝()〟のだ?

 意識した途端、背筋に戦慄が走る。頬を伝う脂汗(あぶらあせ)否応(いやおう)なく不安を助長させた。

 彼女の手に下がるのは、抜き身となった深紅の愛剣。

 だが、あの(ぬめ)りは何だというのだ?

 (したた)り落ちる赤の(しずく)は?

 ふと想起する──彼女が現れた方向は、一般吸血鬼の避難壕(ひなんごう)へと通じているはずだ!

「カ……カリナ・ノヴェール?」

 ようやく絞り出した声が(かす)れ震えた。

 彼の耳へと返ってきたのは、沈着ながらも冷酷を()びた声音。

「……レマリアが死ぬはずはないんだ」

「レマリア? 何を言って──?」

「……死ぬものかよ。私が守ると誓ったんだからな」

 ゆらりゆらりと恐怖が歩み近付いて来た。その虚脱的な所作(しょさ)はデッドやゾンビとは質が異なる。明確な俊敏さを押し殺した動き──まるで獲物を襲う直前の肉食獣だ。

 やがてカリナは、ようやく顔を上げた。

「キ……キミ?」

 ジョンの戦慄が高まる!

 ()(まみ)れの顔に浮かんでいるのは、薄ら笑いとも取れる狂気! その瞳には理知性の損失が(うかが)える!

「そうか……キサマか? キサマがレマリアを──」

 獲物を見定めた魔姫(まき)が、ゾッとする冷笑に酔った。

「う……あ……」

 格違いの恐怖に気圧(けお)され、逃走意思に後退(あとずさ)る!

 まるで〈魔王(サタン)〉と対峙したかのような畏怖感であった。

 狂気は(あゆみ)()めない。躊躇(ちゅうちょ)を覚えない彼女の足は、間合いを詰めるに有利に働いた。

「レマリアは何処だ?」

 向けられた質問に戸惑(とまど)う。ジョンにしてみれば、意味不明な謎掛けでしかない。

「だ……だから、僕は──!」

「何処にいると──()いているんだぁぁぁーーっ!」

 憤怒(ふんぬ)に支配された麗獣(れいじゅう)が地を蹴った!

 紅玉石(ルビー)の如き(やいば)が牙を()く!

「うわあああ!」

 本能的に身を守ろうとするも、ジョンは(すく)む事しかできなかった!

 それどころか、(もつ)れる足に尻餅を着いてしまう──が、それは奇跡的に生命線を(つな)いだ!

 瞬間、頭上を()ぎ過ぎる殺意の紅刃(こうじん)

「ひ……ひい!」

 間髪入れぬ幸運であった!

 すかさず身を(ねじ)って無様に起き上がると、(きびす)(がえ)しの逃走を(はか)る!

 返す(やいば)が背中を浅く(えぐ)った!

 瞬間的に走る痛み!

 しかし、それにかまけている余裕は無い!

 死にたくなければ一目散(いちもくさん)()()せるだけだ!

 目指すは眼前に見える大柱!

 その間へと構成された暗い門!

 広く入り組んだ本城内へと続く逃走経路だ!

(あそこにさえ逃げ込めば、身を隠せるはずだ! 城内には数多くの部屋が在る!)

 来訪して日の浅いカリナよりも、自分にこそ()がある──そう判断した。

 常時(じょうじ)狩られる側の草食動物は、得てして逃走能力が(ひい)でている。あたかも、その法則に準じるかのように、ジョンの瞬発性は目を見張るものがあった。

 が、理性を()いた執念というものは、時として原始的本能よりも不屈で恐ろしい。

「レマリアを、どうしたァァァーーーー!」

 常軌(じょうき)逸脱(いつだつ)した激情を()え叫び、並外れた身体能力に追撃して来る!

 彼女の(まわ)りで生まれ消える幾多(いくた)(あか)()

 それは間合いへ入った対象を容赦なく裂き、大木の如き石柱でさえも鋭く(えぐ)った! 

 必死の逃走ながらも、ジョンは背後の敵を分析する。

 狂える(やいば)は無差別で考え無しの大振りと()していた。

(もはや卓越(たくえつ)した剣技(けんぎ)片鱗(へんりん)すら見えないじゃないか。ジル卿と対決した時とは、まるで別人だ)

 そう結論着きながらも、やはり逃げきる自信など無い。(もと)より身体能力が違い過ぎる。

 それでもジョンは(あらが)った!

 一縷(いちる)の望みへと賭ける心構えなればこそ!

 数秒が数分に感じられ、数メートルが数百メートルにも感じられる!

 ようやく目的の空間を眼前までに捕らえた!

 後は気力を振り絞って飛び込むだけだ!

(この大広間よりも空間幅は狭いんだ──あの大振りなら思うように振るえないはず!)

 思惑を巡らせた瞬間、脚に熱さ(・・)が走る!

「ぐあ?」

 その熱が痛みだと認識したと同時に、彼は(すべ)り転んでいた!

 濁々(だくだく)とした赤の流れ──膝裏(ひざうら)(けん)を切断されている!

「クソ! クソッ!」

 忌々しさを込めて傷を押さえた。

 目的の逃走経路は目の前だというのに、最早(もはや)逃げる事自体が叶わない。霧化(きりか)獣化(じゅうか)といった変化術が使えないのが、心の底から口惜しい。自分達〈近代吸血鬼(モダン・ヴァンパイア)〉と〈吸血貴族(ヴァンパイア・ロード)〉の魔力差だ。

 体全体を不自然に引き吊り、無駄な足掻(あが)きに後退(あとずさ)った。

 それを哀れなハンデとすら思わず、無慈悲な血獣(けつじゅう)が静かに近付いて来る。

「レマリアは何処だ」

 また例の謎掛けであった。絶望的だ。

「聞いてくれ、カリナ・ノヴェール! 僕は、その〈レマリア(・・・・)〉というのを知らない! 何者かすら知らない!」

「何処にいる」

 空気を裂いて(あか)()が生まれ、ジョンの腕は赤い飛沫(しぶき)(はじ)かせた!

「ぐぁあ!」

 無罪者の悲痛も、自我崩壊した裁人(さばきびと)には届かない。

 それでもジョンは訴え続けた。逃走が叶わぬ現状では、それしか身を守る(すべ)は無い。

「聞いてくれ! 君がそれ(・・)を探しているというなら、僕も手伝う! だから──」

「殺したな?」

「な……っ?」

 狂気が一層深い闇を(はら)んだ。

「そうか、キサマがレマリアを殺したんだな! 私の目を盗んでアイツを(さら)い、その血を(すす)り尽くしたのか!」

「違う! 貯蔵血液こそ常飲(じょういん)していたが、僕は誰かを直接喰らった事は無い!」

「じゃあ、私の腕で冷たく眠ったアイツの死体は何だ! キサマが殺したんだ! キサマが! だが、いいか! 易々(やすやす)とレマリアに手を出せると思うな! 私が守っているんだからな! 全身全霊を賭けて、私が守っているんだ! アイツが死ぬわけがない! そうだろう!」

「カ……カリナ・ノヴェール?」

 彼女の主張は、まるで支離滅裂(しりめつれつ)だ。

 一頻(ひとしき)り激情を吐き散らしたカリナは、障気(しょうき)とも思える深い深呼吸へと溺れた。平静の仮面を取り戻し、再びジョンへと訊い掛ける。

「もう一度訊く。レマリアは──私の〝あの子〟は、何処だ」

「く……狂っている!」

 生唾(なまつば)が渇きを通過した。

 会話すら成立しない凶刃(きょうじん)相手に、状況打開の妙案などあるはずがない。

「何処だぁぁぁーーっ!」

 絶叫に振り下ろされる赤い(やいば)

 いよいよ覚悟を決め、ジョンは(かた)く身を閉ざした!

 一際(ひときわ)甲高(かんだか)く金属音が(はじ)ける!

 理不尽な処刑は──一向(いっこう)に執行される気配が無い。

 不確かな違和感を(いだ)き、ジョンは恐る恐る自分を開放した。

 眼前に()るのは、見目(みめ)(うるわ)しい少女の姿!

 彼と執行人を(さえぎ)り、白き外套(マント)(なび)く!

 茨鞭(いばらむち)(つか)凶剣(きょうけん)(はじ)き払った彼女は、悠々とした物腰を崩さずに語り掛ける。

随分(ずいぶん)と荒れているわね? カリナ・ノヴェール」

「……キサマッ!」

 忌々しく歯咬(はが)みする!

 狂気に()まれながらも、黒は白を強く意識していた──生涯最大の難敵(なんてき)と成り得る唯一の存在を!

貴女(あなた)の〈レマリア(・・・・)〉は、御元気?」

 柔らかく(いつく)しむような微笑(びしょう)は、カーミラ・カルンスタインからの正式な挑戦状と受け取った!




 花の微香にミツバチが導かれるように、彼は自然体で〝()〟へと導かれる──そういう性質だ。

 深い常闇(とこやみ)を泳ぎ渡るゲデは、空間に開いた切れ間から現実世界へと躍り出た。

「いい臭いがすると思ったんだがなぁ?」

 残念そうな口振りながらも、例の如き飄々(ひょうひょう)たる態度で小瓶入りの酒を(あお)る。

 紫煙(しえん)()かしに見渡す部屋は、薄暗くも陰惨な拷問部屋であった。

「毎日使われてるみてぇだがよ、残念ながら今日は定休日だったかね? ィエッヘッヘッ」

 壁や床にこびり付いた(おびただ)しい血痕(けっこん)に、(したた)るほど血塗(ちぬ)れた拷問用具の数々──嘔吐(おうと)を誘う死臭も、彼の嗜好(しこう)には沿()っている。

 だが、死屍累々(ししるいるい)と放置される死体については、少々不満があった。

「最悪だな、ガキばかりかよ? 幼児偏愛癖かねぇ?」

 子供を惨殺する外道ぶりが好かない……のではない。そんなセンチな道徳観念など、最初(ハナ)から持ち合わせていない。

「ガキはよ、罪の重さ(・・・・)が軽いんだ。どんな罪だろうと、そいつぁ〝健気な生の一生懸命さ〟として善性の許容範囲へと減罪されちまう──悪意(まみ)れの殺人とかなら別だがよ。要するに、オレ様の醍醐味(だいごみ)たる〝死の旨味(うまみ)〟が(しょう)じねぇのさ。天使様ってのは、とことんガキに優しいようだぜ……クソッタレが!」

 腹いせ(まぎ)れか、幼い遺体を足蹴(あしげ)に転がす。断末魔の形相は、そのまま恐ろしくも惨たらしい瞬間を刻んでいた。足がもげ、腕が千切(ちぎ)れ、心臓を(えぐ)り出され……未成熟な死体は、実に様々な末路を披露(ひろう)している。しかしながら、多くは首の骨を(ひね)り折られていた。

「じわじわと拷問で心身共に追い詰め、最後は首の骨ポキリってね」

 改めて室内を見渡す。漂う霊気と遺恨から、過去の惨状を見通すためだ。ブードゥー教の〝死神(・・)〟たるゲデには、それが可能であった。その魔眼を(もっ)てして、死に()く者の過去を見通し(なぶ)るのだから。

「……な~るほどねぇ? 百年戦争の英雄様が、悪癖再発ってトコかぃ?」

 (いや)しい目が(たの)しげに(ゆが)んだ。

「ただ気になるのは、(そそのか)してる〝コイツ(・・・)〟だな……どうやら〝従者(じゅうしゃ)〟を(よそお)ってるみてぇだが、そんなタマ(・・)じゃねえ」

 (さら)に意識を集中し、その人物のみに焦点を絞った。

「プレラーティ──ドロテア──ああ、そういう事か」

 幻視(げんし)に正体を看破(かんぱ)したゲデは、無作為な足取りで窓へと歩き進んだ。(あお)(のぞ)く先には、例の巨眼黒月(きょがんこくげつ)が見下ろしている。

「御主人様も()が悪いぜ? 言ってくれねぇもんだから、間抜けにも鉢合わせしちまった。ま、聞いてても来るけどな。なんせ他人の領域(・・・・・)とかは、オレにはどうでもいい事だからよ。ィエッヘッヘッヘッ!」

 自由気儘(じゆうきまま)がモットーのゲデにしてみれば、主従関係は行動の()であれ、絶対的な強制力ではない。基本的に自分が楽しめれば、それでいい。例え、同業者(・・・)が幅を利かせていても……。

「さてさて、何かおこぼれは無いかねぇ?」

 罪無き肉塊(にくかい)が散乱する部屋を、好奇心のままに探索し始める。

 と、部屋の一角から妙な息遣(いきづか)いを感じた。必死に苦しみ(あえ)ぐ呼吸だ。

 興味を()かれて捜してみると、虫の息で生き長らえる少年が転がっていた。とはいえ、(もも)(やいば)(つらぬ)かれ、ペンチで五指(ごし)(つぶ)されてはいたが……。

「なんでぇ? 残りモンがあるじゃねぇか」

 喜々(きき)(のぞ)き込む。

 息を荒げる未熟な生命(いのち)は、無慈悲な〝()〟への抵抗を続けていた。

「あのな、苦しみ(こら)えても無駄だから。結局、オマエは死ぬんだよ」

「ハァ……ゼェ……があぢゃ……」

「あらら、声帯(せいたい)(つぶ)されてらぁ」

「……がえる……があぢゃ……」

「まったく〈人間〉てのは、しつこいねぇ? 風前(ふうぜん)灯火(ともしび)から、くたばるまでが実に長ぇや」

 暇潰(ひまつぶ)しに過去を見通(みとお)してやった。

「んん? オマエ──」奇妙な経歴を見付け、ニタリと喜悦(きえつ)する。「──面白ぇモン、見ィ~付けた!」

 (いや)しい余興(よきょう)(ひらめ)いた。上手(うま)くいけば、久々に盛大な晩餐(ばんさん)が楽しめそうだ。

「オイ、ガキ。特別に延命魔術を(ほどこ)してやらぁ。ま、そうは言っても現状維持だがな。痛みから解放されるとか、瀕死が治るわけじゃねぇ。どのみち結局は死ぬ。ただ、その〝死〟のタイミングを遅らせるだけだ……って、怖ぇ目で(にら)むなよ。これでも出血大サービスなんだぜぇ? 何せ〝死神(・・)〟たるオレ様が、(みずか)禁忌(タブー)(おか)そうってんだからよ」

「……がり……ぁ……」

「ああ、会わせてやらぁな。そうしなきゃ、お楽しみの幕(・・・・・・)が上がらねぇしな。ィエッヘッヘッヘッ……!」

 どこまでも下卑(げび)た笑い声が、呪われし鮮血の部屋に木霊(こだま)し続けた。

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