第25項 『支払いから逃げてください』
突如起きた大騒ぎによって昼下がりの優雅なコーヒーブレークをブレイクされた怒りは、さきほどの『あの』瞬間を見たことで完全に払拭された。
俺は手に持っていたカップをゆっくりと粉々に砕けたソーサーの上に戻すと、目の前で大量のご馳走を食い散らかす双子の弟の方に視線を移した。
「……おい、見たか?」
「うんうん。もうバッチリみたよにいちゃん」
太めなシルエットを隠そうともしないソースまみれの薄着を見に纏った弟は、料理を詰め込んでいっばいいっぱいになっている口をモゴモゴと動かしながら俺の問いに答える。
もうじき30歳にもなろうというのに、未だにテーブルマナーが成っていない。やはりもっと小さい頃から矯正しておくべきだったか……。
「だから、食べ物を口に含んだまま喋るんじゃあない…………まあいい。あの全身のシルエット隠した怪しい男どもが殺り合っていた時、空中からいきなり子犬が現れたよな?」
「うん、てをかんでたね。ざまぁみろってかんじだね。あいつがなげたタイルがおれのりょうりめちゃくちゃにしやがった!」
先ほどまで上機嫌に飲み食いしていたというのに、いきなりテーブルに拳を突き立て激昂し始める弟。
生きるために食べているのか、食べるために生きているのか……それすら不明瞭に見える食事大好き人間の弟は、その大好きな食事の邪魔をされると周りが見えなくなってしまうのだ。
「こらこら、怒るんじゃあない。追加で注文してやるから……あ、すいませんそこのお嬢さん。フリムグルーとアッカの蜂蜜漬け……それからトマトの絞り汁を4人前お願いします」
タイミングよく横を通った従業員の女の子にオーダーをすると、真っ赤に腫れ上がっていた弟の顔がみるみる元に戻っていく。
落ち着いたのを確認したのち、脱線した会話の内容を先ほどの話に戻す。
「あの子犬…かなり霊性の高い精霊と踏んだんだが……どうだ?」
「さすがにいちゃん、みるめあるね。あのこかなりつよいよ。しかもあれぜんりょくじゃないっぽい。ちからがぶんさんされてるかんじしたし」
やはりか……俺の目に狂いはなかった。
「霊性が高く複数の魂に分霊可能……その上透明化まで持っているとは。強いな……」
正直、あのパッとしない天の目の召喚術師が使役しているとは思えないレア度だ。
「なぁ、あの精霊……俺たちのものにしたくないか?」
「ええ〜、せいれいはおいしくないよ。それに、あれだけレアなせいれいならさすがにクランけいやくまでしてるんじゃないかな」
たしかに……。美味いかどうかはどうでも良いが、クラン契約までされていると手の出しようがない。
「それはおいおい考えるとして…まずはあの精霊の使い手の情報を集めないとな。さ〜て、久々に忙しくなりそうだ」
「なんだ、けっきょくねらうんだね。まあ、いいけどさ」
(まだそんなに遠くには行っていないはずだ)
「さて、行くぞ」
「ええ〜、まだたべてるとちゅうなんだけど」
俺は腰掛けていた椅子から優雅に立ち上がり、先程あの精霊を操っていた大柄の男を追いかけようと大通りに足を踏み入れた。
しかし、その瞬間を狙いすましたかのように横から、腹に響く低音の声で呼び止められた。
「ちょっと待ってください、お客さん。 支払いもせずにどちらへ?」
後ろを振り返ると、ニコニコ笑顔の表情を浮かべたお兄さんが、やさしい手つきで棍棒をなでなでしながらこちらを凝視していた。
やれやれ……またこれだ。
運命というものは、常に俺たち兄弟を1つの行動に駆り出す。
29年前にこの街で生を受けてからというもの、大事な岐路では必ずこの行動を強いられるのだ。
今となってはすっかり慣れてしまったその運命に、今回も従っておくことにした。
「おい、弟よ」
「なんだいにいちゃん」
弟と目が合う。やはり、考えていることは同じらしい。
「逃げるぞ」
「あいよ」




