第22項 『油断しないでください』
「はぁ…はぁ…はぁ…」
(終わった)
男が前のめりに地面に伏したのを見た瞬間俺は、全身の力が抜けて肩で息をしていた。
激しい運動をした直後に急に止まったので、全身が熱に包まれ汗が吹き出してくる。
『百火掌』の代償と命の危機に晒された緊張で大幅にスタミナを消費してしまったため、もう立っているだけでいっぱいいっぱいになっていた。
(起きるなよ…起きるんじゃねぇぞ……)
頭の中で念じながら短槍を杖代わりに突き、ゆっくりと男に近づいていく。
男は膝だけ立てたまま前のめりに倒れ、顔をべったりと地面に付けて寝ている。
小刻みに震える体の下に埋もれた手は、まだ腹の中央辺りを抑えている。鳩尾への突きがよほど効いたのだろう。
重騎士などの騎士系統の役職であれば自身の防御力を上げる体術スキルが豊富にあるので、この程度の攻撃では倒すことはできなかっただろう。
しかしそこはやはり軟弱さに定評のある魔導師系統。攻撃を受けてしまえば簡単に崩れてしまう。
(それにしても…こいつは結局なにがしたかったんだ?)
スキルの強さや立ち回りから、ただの暴漢でないことくらいは容易に想像できる。
こんな昼間に中央街などで騒ぎを起こせばどうなるか、そこまで考えなしの人間にも見えない。
(…まあいい。さっさと拘束して衛兵に引き渡す)
とりあえず、ロープで縛っておいた方がいいだろう。
俺は1度立ち止まると懐から小袋を取り出し、更にその中から小さく黒い棒を取り出した。
炭を固めて作ったチョークだ。地面のタイルに魔法陣を描くなら羽ペンよりもこちらのほうが勝手が良い。
取り出したチョークを手の中で確認しながら、再び歩き出そうと右足を前に出した瞬間。
ズブッ!と、俺の右足が勢いよく地面にめり込んでいくのを感じた。
「な―――」
急に右足をとられ、視界がブレる。
更に、それに合わせるように目の前の男が勢いよく立ち上がり、こちらに走りこんでくるのが見えた。
さきほどまで燃えるように熱かった身体が、芯の奥底から急激に冷めていくのを感じる。顔から血の気が引いていく。
舗装され、一面がタイル張りになっているはずの床になぜ足を取られるのか。
チラリと足元を見ると視界の端に、地面の一部が沼のようにドロドロに変化し、俺の右足を飲み込んでいる光景が映った。
その”一部”とは……。
(さっきタイルを剥がした部分か―――)
さきほどこの男は、カラドリウスたちに投げつけるために数ヶ所、地面のタイルを剥がしていた。
そこに例の水を染み込ませることで、むき出しになった土も一緒に巻き込んで操作することを可能にしたのだ。
完全にしてやられた。この男は、まだ気絶などしていなかった。
俺の足が土の部分に来るのを待っていたのだ。
沼自体の拘束力はほとんどないようで、力を込めれば簡単に抜け出すことはできる。
しかし敵はすぐ目の前にいるのだ。一瞬でもバランスが崩れてしまえば、突ける隙などいくらでもある。
そして、この男はそこを躊躇なく突いてくる。
前のめりになりながら鳩尾を庇っていた手をローブの下に潜り込ませ、何かを取り出す動作をみせる男。
おそらく隠し持っている短剣かなにかで攻撃するつもりなのだろう。
体が傾き倒れかけている最中の抵抗できない俺には、その動きが酷くスローモーションに見えた。
胸か、腹か、首筋か。この距離ではどこを攻撃されても避けようがない。
一突きされればその時点で俺の死は確定する。
それでもなんとか避けようと、無様な格好になりながらも体を限界ギリギリまで捻った。
もちろんそんな動きで避けられるわけもないのだが、生存本能が下す命令のままに体が勝手に動きだした。
そして、目の前の男と目が合う。
「っ?」
しかし、男のその表情を見た俺の心を覆ったのは、恐怖でも絶望でもなく……困惑だった。
男は、すぐ目の前に勝利が転がっているにも関わらず、酷く驚いた顔でこちらを見ていたのだ。
そして、懐に入れていた手を抜くことなく、俺の真横を走り抜けて行った。
図らずも、側から見たら男のただの突進を俺が体を捻って避けた形となった。
(……は?)
通り過ぎた男が振り返り、再び目が合う。その顔には未だに目を見開いた驚きの表情が貼りついていた。
お互いに間抜けな困惑顔を突き合わせる。
男は「何をした?」という目でこちらを見てくるが…こちらからすれば「なにがしたいの?」と言いたい気分だ。
体当たりなどではなく、さっさとナイフやら何やらで斬りつけておけば決着はついていたのだ。そのために懐に手を突っ込んだのではなかったのか。
我に返った男が懐に入れていた手を抜き出すが、やはりその手にはなにも握られていなかった。
一方こちらは、片手にチョーク。もう片方の手には短槍を握っている。
「…」
「……」
「………っ!」
絶好のチャンスを逃し手札を切り尽くした男は、こちらに背を向けて逃走を開始するが当然逃げ切れるはずもなく……。
地を蹴り一気に距離を詰めた俺は、無防備な背中に短槍を叩き込む。
肉の塊を叩く鈍い音と共に、男の意識は今度こそ完全に絶たれた。




