第18項 『引き際を考えてください』
『百火掌』を発動させた今の俺は当然、走る速度も飛躍的に上昇している。
いくら走っている場所が屋根の上であろうと、追いつくのに数秒とかからなかった。
男の真横の位置まで来たのを確認した俺は屋根から飛び降り、壁を走る形で一気に距離を詰める。
「っ!」
男がこちらに気づき振り返ってくるが、もう遅い。
元々の走る速度に重力による加速が加わり、すでにトップスピードまで乗ってしまっている。
壁を蹴って男に向かって跳んだ俺は、その顔面に向けて渾身の蹴りを放つ。
―――が。
俺が近づいた瞬間、男がローブの下に隠していた手をさらけ出した。
その手には、短剣の柄のような形の棒が握られていた。
ロッドと言われる魔術を強化、補助する道具だ。
男がそのロッドをこちらに向けて振ると、衣服の隙間からゾロリ、と透明な水のようなものが這い出てくる。
その水が突如、俺の顔面に向かって飛んできたのだ。
空中で回避が叶わない俺は、その水の砲弾をまともに食らってしまう。
「ぐっ!」
吹き飛ばされ民家の壁に激突しそうになるが、側にいた2羽のカラドリウスが全身をクッションにして俺を受け止めた。
しかし、俺が受け身を取って手を地面につけている間に、また距離を離されてしまう。
男が使用したと思われる水は俺に当たっても弾けずに形を維持していた。今はロープのような状態で男の体を取り巻いている。
明らかに水属性の魔術スキル。
おそらく水を任意の形に変形し操作する『アクアモルド』で間違いないだろう。
扱いづらい上に形の維持が難しく、外部からの干渉ですぐに崩れてしまうため攻撃に使うのは難しいはずだが……。
しかし、あれだけの精度、速度、強度で操作できるなら攻防一体の優秀な魔術になる。
先程男が振るったロッドには、計5つの高純度エレオライトが埋め込まれていた。
高い実力と高性能な道具の組み合わせにより、あそこまで強力な攻撃を可能にしているのだろう。
あの男の役職は魔術を最も得意とする魔術師でほぼ間違いない。
「はぁ…はぁ…はぁ…っ」
急いで立ち上がるが、息が上がり始めていることに少なからず焦りが生じる。
『百火掌』は身体にかかる負担がとても大きいため、接続時間が長引けば立っていることすらできなくなってしまう。
次の挙動で追いつかなければならない。
俺は再度走り出しながら、手に持っていた4枚目の魔法陣の板を男に向けて、地面を這わせるようにして投げた。
寸分違わず狙ったところに滑っていく魔法陣。それが男の足元まで来た瞬間、俺は手をかざし『サモン』を発動させた。
男からすれば、地面から突如モンスターが現れたも同然の状況。
魔法陣から飛び出したカラドリウスはその鋭い嘴を標的に向け、突き上げるように襲いかかった。
「くっ!」
男は魔法陣が見えた時点で回避行動をとっていたため下からの奇襲を避けはした。が、走っている状態から無理に体を捻ったため大きく減速してしまう。
これ以上この状態を維持したら帰って動きが悪くなると判断した俺は、この時点で『百火掌』を解除した。
しかし1度足を止めてしまえばこちらのもの。あとは4羽のカラドリウスたちが勝手に男に攻撃を仕掛けてくれる。
俺の想定通り、息のあった動きで男の周囲を取り囲み旋回を始めるカラドリウスたち。
あとは俺が追いついてしまえば、サポートの豊富な俺の方に分がある。
飛び回るカラドリウスを見て撃ち落そうとしたのか、男が触手状の水を器用に操作して地面のタイルを剥がし、投げつける。
しかし高速で飛び回るカラドリウスたちに当たるはずもなく、全て外れていった。
「はぁ…はぁ…クソっ。めんどくせぇ……」
すると男は、つぶやきながらこちらに向き直り手に持っていたエレオライトのロッドを勢いよく振り上げた。
それに呼応するように触手状の水がロープ状に変化し、とぐろを巻く蛇のように男を取り囲む。
そしてそのまま発動者の男を中心にして螺旋状に猛スピードで回り始めた。
(なんだ?)
この時俺は全身に受けた嫌な予感に従い、男に向かって全力疾走していた足を一度止めた。
さきほどのめちゃくちゃな動作とは明らかに違う、洗練された美しいまでの流れるような動作。
次の瞬間、目にも留まらぬ速さで水の円が膨れ上がり、男の周囲を飛び回っていたカラドリウス4羽を一瞬にしてなぎ払った。
「っ!」
高速回転する鋭利な水に切り裂かれ、ズタズタになったカラドリウスたちが光の粒子となって虚空に消えていく。
『サモン』によって召喚された使い魔は、召喚に要した魔力を使い切るか一定以上のダメージを受けると、肉体を維持できず消滅してしまう。
深いダメージを負うとそのまま回復ができない状態…即ち「死亡」してしまうことだってある。
全てのカラドリウスを仕留めたことを確認した男は、水を高速回転させたままこちらを睨みつけながら構えを取る。
どうやら、ここにきてようやく俺を「少なくとも背を見せながら逃げるのは危険な敵」と認識してくれたらしい。
一方俺はアシストを秒で失い、一気に不利な状況に追い込まれてしまった。 新しく魔法陣を描いてる隙もない。
残る武器はナイフ1本と手に持っている小さな魔法陣1枚。そして懐に入っている予め描いておいた手の平サイズの魔法陣が2枚。
これらを使い切れば俺の負け。
あの威力の水に当たれば死は確実。近づいただけで細切れにされるだろう。
(こいつ……)
シンプルに、異常に強い。
正直、召喚術師の俺が街中で突発的に戦い始めて勝てる相手ではない。
白昼堂々騒ぎを起こすような輩なのでただの酔っ払いの喧嘩かなにかだと思っていたが、これは違う。
初手の攻撃が通用しなかった時点で逃げるべきだった。完全に引き際を間違えたと後悔する。
捕まえるどころか、死の危険すら感じてしまうこの状況。
「っ」
しかし、相手の動きを見て1つ作戦を捻り出した俺は、1度止めた足を再び動かし、男に向かって猛突進を開始した。
これが失敗したら全力で逃げることに専念しようと誓いながら。




