第15項 『お金を払ってください』
「エイ語だと?」
初めて聞く単語だ。
「はい、アルファベットだけじゃなくて…文法やら単語やら、構成もほとんど全部英語なんです。先程からユーゴさんたちの会話を聞いてて、なんとなく似てるな〜とは思ってたんですけど、文字を見て確信しました。似てるなんてレベルじゃありません、ほとんど同じですよこれは!」
「わ、分かった分かった。とりあえず落ち着け」
グイグイ詰め寄ってくるカザキリをなだめながら、先ほどの話に思考を巡らす。
(オーレンが使っている『リズ語』が、カザキリの世界の『エイ語』?まあサイネル語がニホン語として通じてる時点で、あってもおかしくはない現象だが……)
「それにしてもすごいですよ……ここまで似てるなんて。実はニホンでは義務教育で、ほぼ強制的にこの英語も習わされてたんですよ。全く知らない言語だったら憶えるの相当時間かかると思ってましたけど、これなら想像していたより早くコミュニケーション取れるようになれそうです!」
「……そうなのか。それは確かに助かるな」
(強制的に外国の言語を学ばせる環境があるのか……ニホンでは、という言い回しということは…少なくともカザキリと同年代の人間は全員その教育を受けることができるってことか?生活水準がかなり進んだ国なのかもしれないな)
そこまで考えたところで、巨大な金属同士がぶつかり合う、重厚感溢れる鐘の音が中央街に響き渡った。
ラウンドの街では、1時間置きに鐘楼から時刻を知らせる大きな鐘の音が響き渡る。
一般市民の多くは個人で現在時刻を知る術が無い者が多いため、この鐘の音はラウンドの多くの住人の助けになっている。
「ん、もうこんな時間か。そろそろここを出るぞ。あのおじいさんの作業が終わるまでにウィアトールの買い物も済ませておきたい」
俺は手招きでウィアトールを呼ぶと、本を持って勘定台に歩いて行った。
「あ、分かりました。行きましょうか」
―――――――――――――――――――――――――――
本屋を出た俺たちは、エイデン料理長に貰ったメモに従い買い物を済ませ、先ほどの調香師のおじいさんがいる簡易テントの下へと歩いて行った。
料理長は量が多いと言っていたが全然そんなことはなく、俺とカザキリが1袋ずつ持てば済む程度だった。
やはりウィアトールを外に連れ出すための口実だったらしい。
まあ、その甲斐あって少しだけではあるが街中の様子を見せることができた。
「やぁ、お帰り」
戻ってみると、老人はさっきと同じ場所に同じ体勢で優雅に座り込み、テーブルに液体の入った3つの小瓶を並べてキメ顔でリンゴに噛り付いていた。
この余裕綽々な態度を見るに、どうやら満足のいく完成度で全員ぶん作り終えているらしい。
「完成してるみたいですね、流石です」
「はっはっは、このくらいよゆーよゆー。ほら、これがワーテルグリフステーキ、これが焼けた鉄、そんでこっちが君の香りだ」
老人は高笑いしながらテーブルの小瓶を手に取ると、それぞれリクエストした人間に手渡しし始めた。
「あ…ありがとうございます」
ウィアトールは受け取るやいなやコルクの栓を抜き取ると、中の液体の香りを嗅ぎ出す。
開けた瞬間からステーキの良い香りが辺りに漂い、俺の食欲を心地よく刺激し始めた。
(…なかなか、強い香りだな。これは結構長持ちしそうだ)
一通り匂いを嗅いだウィアトールはその出来に満足したのか、うんと1度頷くとポケットの中に小瓶をしまった。
それを見たカザキリも、今自分が持っている瓶の中身が先程自分が言った「焼けた鉄の匂い」であると気づき、その香りを確かめようとコルクの栓を開ける。
「!」
その瞬間放たれる鋼鉄の匂いは、一瞬この場を製鉄所か鍛冶屋かなにかと錯覚させるほどにリアルなものであった。
脳裏に、赤熱するほどエネルギーのこもった鉄の塊が浮かんでくる。
その焼けた鉄の塊の上でジュウジュウ音を立てて焼かれるワーテルグリフのステーキ……。
………ダメだ。先ほどのステーキの残り香と重なって、鉄板の上で焼かれる豪勢な肉料理しか出てこない。
狙ったわけではないはずなのだが、2人のリクエストした匂いたちが空きっ腹の俺の精神を殺しにかかる。
ウィアトールも真顔のまま、口の端によだれを垂らして一生懸命に鼻をスンスン言わせている。コックの例に漏れず食い意地の張った子だ。
「うわぁぁ…すごい!この匂いはたしかに製鉄されたてホヤホヤの玉鋼の香りです!ありがとうございます!」
俺とウィアトールが肉の匂いに気を取られている中カザキリは、あくまで鉄の匂いにご執心のようだ。
しかし…鉄の匂いが1番好きとは、やはり相当な変わり者だ。
「あれ?ユーゴさんは開けないんですか?その瓶」
俺が手に持っていた瓶をすぐ懐にしまうのを見たカザキリが、不思議そうに訊ねてくる。
(ああ、そうか。カザキリはこの中の匂いを知らないのか)
「残念ながら、往来で自分の匂いを撒き散らす趣味はないんでね」
「え?自分の匂い?」
……改めてそんな真顔で指摘されると、なぜ自分の匂いなど注文してしまったのかという感情が沸々湧いてくるのでやめてほしい。
「はいはい、お代はサリオ銀貨6枚だよ。ほら払った払った」
まだお金を受け取っていない老人が、割り込む形で話に入ってくる。
(銀6枚……分かってはいたがやはり、高いな)
香りとはそもそも、上流階級の人間が娯楽として楽しむもの。一般市民においそれと手の出せるものではない。
そう考えるとむしろリーズナブル……かもしれないのだが、この手の嗜好品の相場には詳しくないため素直に払うしかない。
「ゼル銅貨だったら何枚ですか」
「う〜ん……まあ20枚だな」
俺は財布からサリオ銀貨4枚とゼル銅貨20枚を取り出すと、テーブルの上に並べて老人に確認を促した。
「あ…ちょっとユーゴ。自分の分くらいは自分で―――」
俺が1人で全員ぶんの金額を払っていることに気づいたウィアトールが止めようとするが、ここで払わせてしまうのは野暮というものだ。
「いいんだよ、もう払っちまったし」
見ると老人はすでに硬貨を数え終え、丈夫そうな鉄製の箱の中に詰めてテントの奥に片付けてしまっていた。
ウィアトールはまだなにか言いたそうだったが、テキパキと作業を続ける老人を見て諦めたのかそれ以外は何も言ってこなかった。
「さて。貰うものも貰ったし、そろそろ行くか」
この場での用事が全て済んだ俺たちがテントの下から離れようとした時、金をしまい終えた老人が思い出したように声をかけてきた。
「あ、そういえば君……天の目だよね」
「え?あ……はい。そうですけど……なにか?」
なぜ分かったのか…という疑問が一瞬だけ脳裏をよぎったが、すぐに自分が今天の目専用の黒いマントを着ていることを思い出した。
頭が完全にプライベートの状態に入っていたのですっかり忘れていた。
本来、関係者が一目で天の目だと認識できるよう着用を義務付けられた物だが、ある程度知識のある人間であれば関係者でなくともソレだと分かってしまう。
「……いや、ご苦労様〜って、ね。この国…ていうかこの街最近『変なの』多いから、気をつけろって。それだけだよ」
「はぁ…分かりました。ありがとうございます」
見ず知らずの老人から急に忠告を受け不可解であったが、心配してくれたようなので生返事を返し、今度こそ俺たち3人は調香師のテントを後にした。
……少し離れたところでなんとなく気になり一瞬だけ振り返ると、老人が簡易テントをせっせと片付けているのが見えた。




