第14項 『家に誘ってください』
その言葉を聞いた老人は、「なるほど」といった具合に顎に手を添えながら相槌を打った。
どうやら期待通りの面白い返答はできたらしい。ウィアトールの汚いものでも見ているかのような視線がちとキツいが。
「面白いねキミ……調香師にわざわざ自分の匂いを作らせるとは。いつでも嗅げる匂いなんじゃないのかい?」
「いやいや、自分の匂いは常に嗅ぎ続けてますからね。すっかり慣れてしまって分からないものじゃないですか」
「ハッハッハ。つまり君は、自分では知覚できない香りを俺に作らせようってわけかい。なかなか酷い注文してくれるじゃないの」
冗談交じりに笑いながら茶化してくる老人。その余裕のある態度から、俺のオーダーを受けることは容易いということが見て取れる。
「あなたの腕を信頼してのリクエストですよ」
「…そこまで言われちゃあ、期待に応えんわけにはいかないな。よっしゃ!君ら3人のオーダー、きっちり1時間30分で終わらせてやる!また後でここに来たまえ」
そう言うと老人は勢いよく後ろを振り向き、積み上げられた木箱をガサガサと弄り始めた。早速調合の作業に取り掛かるのだろう。
正直、ステーキや焼けた鉄の匂いなどなにをどう合わせて再現するのか気になったが、今日は連れが2人もいる。
1時間以上も同じ場所でボーッとするわけにもいかなかったので、気にはなるが調合しているところを見るのは諦め別の場所に行くことにした。
「よしカザキリ、あのおじいさんがお前の大好きな焼けた鉄の匂いを作ってくれるらしいぞ。ちょっと手間がかかるみたいだから他のところで時間を潰す」
「え?鉄の匂いを?そんなことできるんですか?」
「あのおじいさんいわくデキるらしい。どうするのかは気になるところだが」
状況がイマイチ分からないであろうカザキリに簡単な説明を済ませると、俺は簡易テントに背を向け歩き出した。
ウィアトールとカザキリも、俺に続く形で足を動かす。
俺たちがその場を去った後には中央街の騒がしい喧騒と、テントの下から聞こえてくるゴリゴリと何かをすり潰す怪しげな音だけが残った。
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老人の調香を待つことになった俺たちは、中央街唯一の書店に来ていた。
俺たち3人は巨大な本棚の前に並び、各々適当な本を手にとっては文字に目を通している。
ウィアトールにおすすめのスポットを尋ねられたので反射的に答えてしまったのだが、よくよく考えたら今日失敗したと思えなくもない。
書籍自体あまり量産できるものでもないので結構なお値段がする上、オーレン王国の識字率は20%前後。ラウンド内に絞ったとしても40%あるかどうか怪しいだろう。
商人の中にも字の読み書きができない人間などザラにおり、文章の作成を代行する代書人という職業が存在するほどだ。
幼い頃から修行に明け暮れていた(らしい)ウィアトールに、文字を学ぶ時間があったとは思えない。
カザキリもなにやら真剣な顔つきで文字の羅列を目で追っているが、恐らくは全く理解などできないはずだ。
ちなみに、俺も代書人の資格は持っている。文字の読み書きは依頼書や報告書を作成する際に必ず必要となる知識だからだ。
ただでさえ教養のない者が多い冒険者は当然、読み書きできる人間がそこまで多くないので代書人としての仕事は多い。
(……まあ、いいか。イザベラ先生の新作出てるかもしれないし。カザキリにリズ語を教えるならそれ用の本も買わないとな)
そう思い直し改めてウィアトールのほうを見てみると、『世界食材文化史・蓋世の月編』というタイトルの本を、眉根を寄せて真剣に読んでいる姿が見えた。
「ウィアトールお前、文字読めるのか」
「あ……いや、ちょっとだけ……最近勉強し始めたばっかりで。単語しか分からないから、絵の方を見てる」
真剣に目を通しているのが見えたので読めるのかと思ったのだが、どうやら挿絵の方をメインに見ていたらしい。
「そうか…あ、それなら今度俺の家に来るか?リズ語くらいなら教えてやれるし、お前が今読んでる本もシリーズ全部揃ってるぞ」
「え?」
俺の誘いが意外だったのか、ウィアトールは思わずと言った様子で読んでいた本を閉じてこちらを見てくる。
相変わらず表情は変わらないが、ここまで俊敏な動きをしたのは初めてだ。
「あ…それなら、今度教えて、読み書き」
「……おう、任せとけ」
ウィアトールを家に誘ってしまった。今までまともに会話したことすらなかったのに今日1日で凄まじい進歩だ。
その後また黙り込んでしまったが、まあ焦ったっていきなりペラペラ会話できるようになるわけではない。
心の距離は、これから少しずつ縮めていくとしよう。
「……よし」
会話が途切れたところでちょうど読みたい本が見つかった俺は、それを本棚から抜き取る。
そのまま本を持って勘定台に歩いて行こうとした時、先ほどまで本を見て黙り込んでいたカザキリが急にこちらに向き直り、やや興奮した声色で話しかけてきた。
「ユ、ユーゴさん!ちょっと、ユーゴさん!」
「どうしたカザキリ。本屋では静かにするのがマナーだぞ」
大きな声を咎めつつも、話の先を態度で促す。
カザキリがなにやら重要な発見をしたということが、慌てているその雰囲気から伝わってきたからだ。
「あ、すいません。でもですね、すごいんですよこれ。これ、リズ語?でしたっけ。この文字この国の公用語なんですよね?」
そう言いながらカザキリが指を差したのは、AからZまでリズ語のアルファベットが並んでいる一覧表。
「ああ、そうだが?基本はこのアルファベット26種類を組み合わせて意味を作り出す。それがリズ語だ」
俺が喋っている間もうんうん頷き先を話したくて仕方ないといった様子のカザキリは、俺の言葉が終わると同時に前のめりになりながら訴えかけてくる。
「実はですねこの単語……僕が前に居た世界の『英語』ってやつにそっくりなんですよ!」




