第8項 『罪は…きちんと清算してくださぃ……』
広大な陸、海、そして空。
各々が自らのテリトリーを主張し、競い合い奪い合う危険なモンスターで溢れたこの世界。
脅威に囲まれた人々は自ずと力を、強者を求め、より強い名士を崇め奉る風潮が出来上がる。
そんな弱肉強食の世界で、驚異的な才能を持ち強大なモンスターを屠り続けている存在がいると噂されていた。
いわく、彼らはサイネル人によく似た身体的特徴を持ち、サイネル語に似た独特の言語を扱う。
いわく、彼らは自らを異世界の『ニホン』から来た人間だと自称する。
いわく、彼らは神からとある使命を与えられここに来たと語る。
いわく、彼らの体のどこかにはE字の特徴的な痣が刻まれている。
彼らはおとぎ話の主人公のようなものであり空漠たる存在ではあるが、一方でその強さに憧れ、敬畏の念を抱き崇拝する者たちがいることもまた事実。
そんな実在するかも分からない、曖昧模糊とした存在の彼らを人々は―――
「天使と呼んでいる」
「はぁ…」
言葉は通じるが、意味は通じない。
なんとももどかしいといった表情の少年。
ひとしきり説明はしたが、やはりこの世界に根付いたおとぎ話を異世界から来た人間がいきなり全て理解するのは難しいのだろう。
「たしかに僕は日本ってところから来ましたし、左肩の…ここ、ここにE字の痣もあります」
そう言いながら左肩の部分をさらけ出す少年。
その肩の付け根付近にはたしかに、真っ黒なEの形をした印が刻まれていた。
「あなたの言うことが正しければ僕は…天使、ということになるんでしょうか」
「…ああ」
もちろん、この少年の言うことを全て鵜呑みにして確信しているわけではない。
例えば、着ている服。
先程投げる際に掴んだときから感じていたが、柔らかくしなやかな手触り、それでいてとても軽く厚みのある…利便性と耐久性を両立させたとても優秀な生地だ。
俺はこの国1番の技術力を持っていると確信しているとある道具屋に通っているが、こんな優秀な服はついぞ目にしたことがない。
靴も見たことのない珍妙なデザインと鮮やかな着色が施されており、少なくともこの国で作られたものとは思えないできだった。
ここまで証拠が揃っているのだ。まず天使と見て間違いないだろう。
そもそもこの少年が、自分を天使と偽る理由がない。存在を信じている人間自体が少ないからだ。
普通天使のフリをしたところで頭のおかしい人間だと思われて終わりだ。
この場、この状況でこの俺の前に現れたからこそ信じるに値するのだ。
(まさか…本当に実在するとは)
昔からのその存在に憧れ、一目見たいと調べ続けていた天使が今、目の前にいる。
興奮する感情を深呼吸で沈めた俺は、脆い薄氷を扱うが如く慎重に、繊細に少年に対応した。
「と、とりあえず。なんで泥棒なんてしたのか教えてくれないか」
一旦冷静になった俺は、この少年が泥棒であり現在自分に捕らわれているということを思い出し、脱線した話を元に戻す。
俺の言葉を受けて、少年はこちらの目を見てゆっくりと語り出した。
「その…僕、4日ほど前に気づいたらここに来てたんですけども。言葉も通じないし字もほとんど読めないので寝床も食料も食いぶちも、なにも自力で手に入れられなくてですね」
少年は俺の問いに対して嘘も誤魔化しもする様子なく、若干バツが悪そうにではあるがハキハキと答える。
その1つ1つの動作、話し方から彼の誠実さが伝わってくる。
「いよいよ歩くことすらままならなくなってしまって…それで美味しそうな匂いにつられてここまで歩いてきてて気づいたら……」
少年は拳を握りしめて悔しそうに、歯がゆそうにこちらから瞳を逸らしながら、呟く。
「勝手に食べてました」
「…」
少年はそこまで言うと、こちらの様子を伺うように肩をすくめた。
これ以上、なにも言う気はないらしい。
「そうか」
いきなり見知らぬ世界に身一つで飛ばされて、言葉も通じないおかしな人々に囲まれて右も左もわからず彷徨い続け……。
とてつもなく苦しかったことだろう。
ニホン語が通じる自分に…いや、天使に理解のある自分に出会わなければもっと酷いことになっていただろう。
この少年の置かれている状況を想像しただけで、とてつもなく不憫な思いに苛まれた。
俺は少年の肩に手を置き、できるだけ優しさを含ませた声でそっと語りかけた。
「食わなきゃ死ぬ状況だったんだろう。同情できる部分もあるし、今すぐ衛兵に突き出そうなんてことはしない」
俺の言葉を聞いた少年は安心したような、しかしどこか後ろめたさを感じさせる微妙な表情を作りこちらを見上げた。
まあ、素直に喜べる状況でもないだろうが。
「だがもちろん、罪はしっかり償ってもらう。今からここの責任者のところに行くぞ。事情は俺が説明するから、一緒に謝ろう」
ここまで言ってからようやく少しだけ瞳に明かりが戻る少年。
こういった生真面目な性格の人間は、完璧無罪で庇われるよりも少しくらい責任を持たせてあげた方が精神的に楽になる。
それに、エイデン料理長であれば話せば分かってくれるだろうという勝算もあった。
「わ、分かりました。食べてしまった木の実のぶんはきっちり償わせてもらいます!」
鼻息を荒くし、若干オーバー気味に意気込みだす少年。
見たところ齧られたアッカは全部で4つほど。大した損害ではないのでそこまで気負う必要はないのだが。
と、
「そういえば、まだ名前を聞いていなかったな天使くん。聞かせてもらえるかい」
せっかく本物の天使に出会えたのだ。名前は聞いておかなければ。
少年は上げたテンションのままこちらに向き直ると、明朗で快活な気分の良い声でその名を口にする。
「僕は……カザキリ!カザキリソウイチと申します!」
「カザキリ…ソウイチ」
これから幾度となく呼ぶことになる友の名前を。
この時の俺は何の気なしに呟いた。




