第10項 『後先を考えてください』
先陣を切るクー・シーと、その後ろを駆け抜けるウェイライ。
スピードに定評のあるクー・シーにしっかりとついて行っているあたりさすがは盗賊と言ったところか。
膝小僧ほどの高さに張られたロープを器用に飛んで避けながら、1人と2匹は凄まじい速度でアッカに接近していく。
幾度となく掘り起こされ柔らかく耕された地面に足跡を刻みながら―――
先頭のクー・シーが、ガルドゲルズのセンサー範囲内に突入した。
瞬間周囲の土が跳ねあげられ砂埃が舞い、あたりが煙に包まれる。
「キィィィィィィィエェェェェェェッ!!」
「うっ!」
跳ね上げられた土煙に紛れモンスターの叫ぶような、荒れ狂う鳴き声が響き渡る。ガルドゲルズがロープに阻まれ地上に顔を出すことが出来ず暴れているのだ。
目もなく鼻もなく、しかしそんなことわざわざ特筆するまでもないほどに目立つ凶悪な大口。
それらが地面のあちこちから次々と這い出てくる。
ガルドゲルズの顔は1つではない。いや、正確には顔など存在しない。
ゾロリと気味が悪いほどに綺麗に並んだ鋭利な歯。それらを包み込む大口がついたものは標的を砕き飲み込むためだけに存在するいわゆる捕食器官。口がついているため便宜上顔と呼んでいるに過ぎない。
それらが真ん中のアッカの木を取り囲む形で複数本地面に潜んでいるのだ。
標的に1番近い器官が自由に動けないため別の顔を順々に出しているようだが、当然そんなことをしてもウェイライには届かない。
しかしその口の本数が増えると叫び声の音量も上がり、重なることで耳障りな不協和音を作り上げていた。
その果て無き深淵から放たれる凄烈な叫びは、聴く者の精神を脅かす。
凶暴な生き物のつんざくような鳴き声は人間の本能や理性を直接揺さぶり、その心に恐怖を与える。
ギシギシと音を鳴らして揺れるロープも不安感を煽る一因となるだろう。
並みの人間であれば、怯んで一瞬足を止めてしまっていても不思議ではない。
しかし当然ながら、ここに並の人間など1人もいない。
ウェイライは怯むどころか自分からガルドゲルズのほうに突っ込み、あろうことかその顔面を思い切り踏みつけた。
正確には、ウェイライが踏んだのはガルドゲルズの顔面ではなくその目前に密集していたロープ。
ウェイライが乗った瞬間ロープは許容範囲限界まで伸びきり深く沈み込む。
急激にかかる負荷にロープ全体が軋み、しなり、生物のごとく悲鳴を上げる。
これは別にウェイライの体重が重いからとかそういうわけではなく、彼女が踏み込む瞬間にスキルを使用したからに他ならない。
そう、決してウェイライの体重が重いからではない。
『踏跳歩』
跳躍力を強化する効果があり、その場で高く跳ぶときに使われるスキルである。
それがロープの反動が加わることで更に加速しながら空中へと飛び立つ。より高く、より速くアッカへと接近する。
(…おお)
あれだけ軋んでいたロープが切れるのも恐れることなく迷わず踏み込むとは。なんという胆力。
しかも、わざわざガルドゲルズのすぐ近くのロープを使った。
たしかにロープはガルドゲルズの頭上に集中させて張っているため、そこを狙ったほうが切れるリスクも抑えられるし跳ぶ方向も安定させられる。
しかしあれだけ暴れ回っているモンスターを目前にして落ち着いて冷静に思考し、分析し、一瞬でリスクと成果を天秤にかけ見事的確な判断を下すなど。
「やっぱり、只者じゃないなアイツ」
その芸術的とも言える一連の動作を見て俺は、思わず感嘆の声を上げていた。
「〜〜っ!」
宙を舞いながら歯を食いしばり、全身を使ってアッカに手を伸ばすウェイライ。
その手のひらに微かな光が灯る。
これぞ盗賊の真骨頂。あらゆる壁をすり抜け狙った獲物を引き寄せる、至高の窃盗スキル。
『オープンセプト』を発動させたウェイライの手の中には、アッカの実が大量に詰まった白い袋が確かに収まっていた。
「よし…」
遠くから眺めていただけの俺も思わず歓喜の声を上げていた。
それほどまでに美しく、洗練された完璧な窃盗。
そしてそのまま空中を滑空したウェイライは……。
流れるような動作で木に激突した。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」
「……は?」
腰を強打し、そのまま真っ逆さまに落ちていくウェイライ。
「ッッッ!!」
しかし、木の根元まで走り込んでいたクー・シーが、自由落下してくるウェイライを背中で受け止めた。
一瞬でも遅れていたら確実に地面にぶつかって骨折ではすまなかっただろう。
まさかアイツ、跳んだあとの着地方法を考えていなかったのか。
「いっっっったぁぁぁもぉぉぉぉ!」
思い切り打ち付けたのか腰のあたりをバンバン叩いてすぐに起き上がろうとするウェイライ。
せっかくロープの耐久度を犠牲にして稼いだ時間を腰の回復時間で浪費している。
しかしはたから見ればふざけているように見える状況でも、本人にとっては今まさに命がけで事を起こしている真っ最中である。
態勢を立て直したウェイライはクー・シーの背中に乗せられたままその場でダガーを投げた。
放たれたダガーは寸分違わず袋の付け根に命中し、支えのなくなったアッカの袋が落ちてくる。
それをもう1匹のクー・シーが即座にキャッチ。良い連携だ。
ガルドゲルズは顔の部分が暴れまわっているので背中に生えている木も少なからず揺れているのだが、1発でダガーを当てるとは素晴らしい投擲技術だ。
ウェイライはクー・シーの背中から降りると手に持っていた袋を叩きつけるように木箱に投げ込む。
その間に向こうではガルドゲルズが、ロープに歯を立てその咬合力にまかせて噛みちぎり始めていた。
先程ウェイライが掛けた負荷が効いているのか、ブチブチ音を立てて切れていく。
奴を自由にしたら最後、あのスピードを前に逃げることなどできない。
殺るか殺られるかの話になってくる。
「はぁ…はぁ…はぁ…っ!」
ウェイライが肩で息をし始めた。このままでは間に合わないかもしれない。
そう判断した俺は、指先で何もない空間を数ヶ所示してハンドサインを送った
すると同時に、ウェイライが目標数のアッカを集め終えたらしくこちらに向き直る。
(よし、いいぞ)
しかし最後の最後、わずかに残った頼みの綱が完全に千切られ包囲網に穴が空き、狂える魔獣が再び解き放たれる。
まだウェイライたちは探知範囲内。ガルドゲルズはこれを見逃すモンスターではない。
「ああヤバいヤバい!」
自由を取り戻したガルドゲルズは顔をめいいっぱいに持ち上げ、奇声と粘液を撒き散らしながら標的に向かってその大口を伸ばした。
「っ!」
しかし、ガルドゲルズが噛み付いたのははウェイライたちではなく、その反対方向のなにもない空間だった。
「えっ!?」
ウェイライが仰天してそちらに目が釘付けになる。まあ、モンスターが急におかしな行動を取り出したら不安になって動きを注視してしまうのは当然だが。
しかし、ウェイライはすぐに気を取り直し正面に向き直った。
この娘は、良くも悪くもとにかく物事の切り替えが非常に早いのだ。
「はっ、はっ、はっ、はっ……ぷっはぁぁぁ!!」
痛む腰を庇いながら走っていたウェイライは、俺の足元までくるとその体を地面に投げ出し盛大に転がった。
ガルドケルズの探知範囲外、安全圏まで到着したのだ。
一瞬できた大きな隙が決め手となり、ウェイライ・ワードとクー・シー2匹は見事ガルドゲルズの領地からの生還を果たした。




