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不思議な男の子

「翡翠様、どちらへ?」


 空汰は振り返り優しい笑みを浮かべると、困った様子で頭に手を置いた。


「あ、いや……その……。……散歩?」


 妖長者としての日々が淡々と過ぎていった。気づけば翡翠と出会い、ここに来てから一週間が経つ。時間の流れとは本当に早いものだ。


 ここ一週間特に何かをしていたというわけでもなく、公務を翡翠がしている間に俺は勉強をするといったことばかりだった。本当に退屈だ。こんな日々を過ごしてきた翡翠は本当にすごいなぁと思う。しかし、約束を交わしたあの日から翡翠は公務をする時以外一度も来なくなった。理由を聞いても、俺は忙しいんだ、とか、俺は自由の身だからな、とかしか教えてくれないから、何故最近全く必要以上に顔を出さなくなったのかは分からないが、多分、俺が考えるにはこの屋敷内で何かが動いているのかもしれない。


 実は未だに、『裏切り者を探して欲しい』という頼みに関しての詳しい内容を聞いていない。聞くタイミングがいつも分からず、結局いつもそのままになってしまう。


――――もしかして……それを聞かれるのが嫌だから来ないのか?


 空汰は屋敷内を歩き回りながら、守護者たちにペコペコと頭を下げた。守護者たちは、空汰を見ると敬礼し挨拶をした。


こういう守護者たちの敬愛の様子を見ると、翡翠は確かに妖長者なのだと感じることが出来る。一応、陛下、と呼ばれる方なのだなと……。


「ん?」


 屋敷内を適当に歩き回った結果、開けた場所を見つけた。どうやら、中庭のようだ。渡り廊下を挟むように人間界では見たことのない色とりどりの花々と小さな川が流れていた。


「へぇー。屋敷内にもこんなきれいな場所、あったんだ」


 空汰は吸い寄せられるように中庭の渡り廊下への中央に行った。水の音と花のいい香りがする。自然と笑みが浮かんだ。


――――何だか心地の良い場所だ


 空汰は気づけば、穏やかな風景に見とれていた。我に返ると、懐から懐中時計を取り出し時間を確認する。まだまだ時間はたっぷりある。


 空汰は渡り廊下の隅に腰かけ、暁の空を見上げた。


 妖世界には昼と夜という区別はない。太陽がないのだから、それがないのも納得は出来るが、妖世界にも七不思議はあるようで、そのうちの一つが、昼は無いのに、夕方はあることだった。何故、太陽はないのに暁の空があるのか、皆は血眼になって研究したそうだが、結局誰も答えを見つけることは出来なかったらしい。人間界でいうと、夜→夕方→夜という感じになる。本当にこの世の中、不思議なことだらけだ。


――――俺の知る世界はまだまだ、狭い


「おい、そんなところで何をしている」


 空汰は急に声を掛けられ、体制を崩しそうになりながら声のした方を見た。そこには、小学低学年くらいの男の子が立って、じっとこちらを見据えていた。背が小さく短髪のその男の子の黒い瞳に吸い込まれそうになりそうだ。


「……僕、どこから来たの?」


 屋敷内でこんな小さな男の子は一度も会ったことなんて無いし、いるとも聞いたことがない。


 空汰が子供っぽく問うと、男の子は呆れたように空汰の隣に座った。


「バカなやつだ」


「ば、バカ!?」


 まさか初めて会った年下の男の子にバカ呼ばわりされるとは思ってもいなかった。


「それで、こんなところで何をしている」


 男の子はまじまじとこちらを見ながら、もう一度同じ質問をした。


「いや、暇つぶしに屋敷内を散歩していたら中庭を見つけたんだ。ここの景色が綺麗で、つい見とれてしまっていた」


「……そうか」


男の子は視線を逸らすと黙り込んだ。


 一体この男の子は誰なのだろうか。屋敷の者でないのならば、無断で立ち入ったことになる。守護者に見つかれば最悪なことになりかねない。


「ねぇ、僕。どこから入ってきたの?」


 男の子はちらっとこちらを見るだけで何も言わなかった。


「ここの屋敷の者? もしそうなら身分証見せてくれると嬉しいのだけど」


「……お前こそ、誰だ。普通こういう時は知りたい方から名乗るものだろう?」


「あ……。すまない」


 つい癖で相手側から聞いてしまった。というより、自分の立場が上なためあちらから名乗ってくることが多く、自分は後なのだと勝手に思い込んでしまっていた。


 空汰は立ち上がり、男の子の前にしゃがみ視線を揃えて微笑んだ。


「じゃあ俺から言うね。俺は……、し……翡翠裕也っていうんだ」


「……そうか」


 普通の者ならば翡翠や妖長者と聞けば、知らなかった者も敬礼するものなのだが、男の子は全く興味のないといった様子で、小さくつぶやいた。


「君は?」


「……何者という質問には答えられない」


「もし屋敷内の者でないのならば、急いで出た方がいい。見つかると大変なことに……」


「妖長者様に言われなくても、分かっている。俺はこの屋敷を妖長者様よりも知っている。長く居たから」


「……え?」


「妖長者様」


「はい?」


「ここの景色が好きか?」


「え……あ、うん。またここに来たいと思うよ」


 空汰はそういって、景色を眺めた。男の子の気配を背に感じながら、風に揺れる花を静かに見つめた。こんな緩やかな時間がいつまでも続けばいいのになと願いながら。


「ここに来るのはいいが、この先の別館にはあまり行かない方がいい」


「それはど……」


 空汰は驚いて男の子の方に振り返ったが、もうすでにそこには男の子の姿は無かった。


 気づけば夜になっていた。そんなにも時間が経っていたのかと少し驚く。


 結局、あの男の子が何者だったのか全く分からなかった。でも、それよりも気になることがあった。


――――何故、あの先には行かない方がいいのだろうか


          ❦


 翌朝、空汰はもう一度あの中庭に行った。しかし、そこに男の子の姿は無かった。


 仕方なく、部屋に戻ろうと廊下を歩いていると色々な妖に会った。


――――今日はやけに妖が多いような……


「これはこれは、翡翠陛下、お久しぶりでございます」


 誰だ?


「お久しぶりです」


「最近はご公務の方どうですか?」


 公務?


「出来る限り頑張ってはいます」


「そうですか、これからも妖たちのために何卒、よろしくお願いいたします」

「こちらこそ」


 一人去って、また一人。


「翡翠陛下、こんにちは」


 だから、誰?


「こんにちは」


「こんなところで何をしているのですか?」


「あ、えっと……、ちょっと気分転換にと……」


「そうでしたか。確かに公務漬けでは体は持ちませんからなぁ」


「ありがとうございます。……あの」


「はい?」


「失礼ですが、本日のご用件は?」


「用件?」


妖は驚き笑いながら翡翠を見た。


「陛下がご存知ないのですか?」


「え?」


「もうすぐ陛下の生誕祭ではありませんか」


「生誕……祭!? あ、いや……その……そうでした……」


「公務でお疲れなのでしょう。忘れてしまうとは」


「あ、いえ……申し訳ありません」


「陛下」


「は、はい」


「ご自分の事はご自分が一番分かるのですから、気を付けてくださいね」


「ありがとうございます」


「では、私はこれで失礼いたします」


「ご、ごゆっくり……」


―――はぁ……。翡翠とのつながりをもつ人物が全く把握できていないのを忘れていた……。それにしても……あいつにも誕生日があるんだな……。……あるか、あいつそういえば人間だった


          ❦


 翌日、いつものように翡翠が顔を出した。


 翡翠の負担を少しでも減らそうと、空汰は出来るだけ頑張って公務をしていたのだが、全く進まなかった。


「相変わらずだな―空汰」


「うるせぇな。これでも一生懸命読んでいたんだ!」


「で、読めたのか?」


空汰に問いながら、ニコニコと笑みを浮かべる翡翠を見て、空汰は机をバンッと叩き立ち上がった。


 翡翠はそんな空汰を見て、嘲笑を浮かべた。


――――相変わらず、ほとんど読めないのに変わりはないか。……しかし、そのやる気だけは変わったな


「空汰」


「何だよ」


 空汰が振り返ると、今まで一度も見たことのないほどの自然な笑みを浮かべている翡翠がいた。しかし、翡翠はすぐにニコッとすると椅子に座り、公務をし始めた。


「さっさと、覚えろよ」


「……言われなくても」


 聞いてみようか。


 翡翠の頼みの詳しい内容を。……でも、聞いていいのだろうか。言わないということは、俺のことをまだ信じ切れていないのか話したくないのかのどちらかだ。聞いたところでそれが、本当だとも信じがたい。だが、信じると決めた以上、翡翠を信じるのも俺の役目なのかもしれない。


 翡翠にはちゃんと心がある。


 空っぽの心で接し続けられた翡翠の事を心配していたが、最近はそれがよくわかる。笑えるし泣ける。怒るし自分で決意だってする。ひとりの人間として、翡翠は生きている。


 言わないのにはそれなりの理由があるのだ。


 それを俺が何も知らずに聞いて言いわけもない。翡翠が言おうと決めたその日まで、短いかもしれないし長いかもしれないが、待つことにしよう。


 翡翠がきっときちんと話してくれる、その日まで。


「空汰」


「はい?」


「早く、勉強をしろ!」


「ご、ごめん!」


 翡翠の事を俺が信じられなくて、誰があいつのことを信じるのだ。


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