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妖長者


『裏切り者?』


『……今は悪いが、すべてを話すことはできない』


『どうして?』


『お前はまだ俺を信じていない、そして俺もお前を信じていない』


『なら、信じていない俺に頼みを任せていいのか』


『さっきも言ったが、俺はお前に賭ける』


『……分かった。やってみよう』


『……ありがとう』


          ❦


 妖長者として過ごし始めて、早四日。少しは妖長者としての自覚が……


「あるわけがない!」


「グチグチ言ってないで、早く妖字を覚えろ」


そう言いながらさらさらと書類にサインをしていき、日課報告書を書いている翡翠は、呆れ顔でずっと辞書を見ながら勉強をしている空汰を見た。


 この妖長者の部屋はいい。基本誰も来ないから、本物の翡翠がいることもバレることはしばらくないだろう。もしもこの部屋に誰かが近づいてくれば、翡翠はすぐに逃げる。


「そういう翡翠はどのくらいで覚えたんだ?」


「俺のことは別にどうだっていいだろ」


「教えろよな」


「俺は……は、早かったぞ!」


『珀巳、翡翠様をどこかで見ませんでしたか?』


『黄木か。翡翠様がどうかしたのか?』


『それが、先程からここら辺を探しているのですが、なかなか見つからなくて……』


『確かに、この近くで妖石の力を感じる……。でも、いつもふらふらしているではないか』


『妖字をまだ全然覚えていないのですよ』


『妖字を? もう三週間経つぞ』


『公務にも支障が出ますので、そろそろ完璧に覚えさせようと勉強させてはいるのですが』


『逃げられたわけ?』


『はい……』


『逃げ足だけは速いお方だからな』


『そうなんですよ』


『……ん?』


『妖石の力が遠くなりましたね』


『部屋に戻ったのかもしれない。行ってみるといい』


『分かりました、ありがとうございました、珀巳』


 結局完璧に覚えたのは、妖長者になって一ヶ月後だった……。古いことを思い出したものだ。


 翡翠が日課を書いていると、気配を感じ取った。


 空汰は、羽ペンを置き立ち上がると背伸びをした。


――――それにしても、妖世界には太陽が無いから、体が可笑しくなりそうだ……


 コンッコンッ

 誰か部屋に来たようだ。誰だろうか。


 空汰は翡翠の据わっている方をちらりと見たが、そこにはもうすでに、翡翠の姿は無かった。


 逃げ足だけは本当に速い。出会ったときから逃げ足だけは速かった。昔からそうなのだろうか。


「はい?」


「ケンジです」


 誰だろう。


「どうぞ」


空汰は手早く辞書と勉強をしていた紙を隠し、椅子に座った。そして、羽ペンを取り日課を書いているふりをした。そこに、ケンジが入ってきた。


 顔面毛むくじゃらな……いや、訂正しよう。無精ひげをはやし、クリクリパーマのおっさんが入ってきた。どう見たって普通の人間にしか見えないが、右の額から頬にかけて大きな傷があるところを見ても、妖の類にしか思えなかった。


 ケンジは部屋に入るなり、ずっと無言で立っていた。


 いつもは翡翠がここで何か先に言うのだろうか? それとも、もしかしてバレた?


「翡翠様」


「は、はい!」


 急に呼ばれ声が裏返ってしまった。何を緊張しているのだ、俺、頑張れ。


「記憶を無くされていると、聞きましたが本当ですかな?」


「……そ、それは」


「失礼、愚問ですな」


「え?」


 空汰が戸惑っていると、ケンジは笑みを浮かべ、蔑むように声を出して笑った。


「私に対する態度があまりにも違いすぎる。礼儀を知らない者のようだ」


 空汰は何も言えずに黙っていた。


 いや、何も言えなかったのではない、何を言っていいのかが全く分からなかった。今、空汰が発言すると、それは翡翠が妖長者に戻った時に困る発言になってしまうかもしれないからだ。後々の翡翠の事を考えると、軽率な発言は出来ない。


「長老に対する数々の無礼。貴方様はお気づきか?」


「……俺には分かりません」


「そうか……。では、またいちから教えてやろう、感謝するがいい。フィリッツの提案だ」


「ふぃり……え?」


「フィリッツだ。長老の長をしている」


「そうなのですか……」


「翡翠様、貴方様はもう少し自分のお立場を考えるべきですな」


「何故です?」


「妖世界を担う者として、我々を……支える者として」


「…………」


「申し訳ないが、もう少しはっきりと」


 空汰は無意識に手を握っていた。小さく震えている。


「お、俺には……よ、妖長者は……お、おおお重荷です……」


「ならば妖長者という職を棄て、去るがいい」


「え?」


空汰は意外な返答に驚き、顔を上げた。


「いいのですか?」


「あぁ、いいよ。好きにすればいい」


 なんだ。こんなに簡単に辞められるのか。翡翠の事を心配して損した。


「ただし、条件は覚えていますね?」


「条件!?」


「何を驚いているのです?」


「条件って何ですか?」


「家族を殺害し弱っている妖に与えることですが?」


 空汰は驚きと恐怖のあまり、声が出なかった。何か言わなければ……、そうだったとか言わなければ……。翡翠の家族が……殺される……。こういうタイプの人は、有言実行の人だ。それに、この感じだと、翡翠は昔辞めたいと言ったことがあるのだろう。その時に脅しをかけられ、辞めるに辞められなかったのだ。


 翡翠は妖長者を辞めたがっている。これだけは確信を持って言えた。


 青ざめている翡翠を見て、ケンジは鼻で笑うと踵を返し部屋を出ようとドアに手をかけ、何かを思い出したかのように振り返った。


「そうそう、意味なく来たわけではありませんでした。今夜、恒例の燈籠を飛ばすそうです。この部屋からだと全然見えませんので、屋敷の屋上にでもあがってみてはいかがかな」


 空汰はその言葉にハッと我に返った。


「燈籠?」


「半年に一度の恒例行事のひとつですよ、お忘れですか。貴方様はいつも楽しみにしていたではありませんか」


「そ、そうですね……。今夜ですね。見てみます」


「……では、失礼。……妖長者様」


 ケンジが部屋から出て行くのと同時に、空汰は膝から崩れた。足が震えて立っているのもやっとの状態だったらしい。


 妖長者とは一体何なのだろうか? 本当に妖世界を統べるだけの者なのだろうか。どう考えても妖長者は、マリオネットのように操られその力を、好き勝手に使われているだけの者に思える。言い方を変えれば、利用されているのだ。


 翡翠は、十歳ころに家族と引き離され、ここに来た。何も知らない妖と一緒に強制的に暮らし始め、今に至る。今まで幾度となく帰りたいと願ったことだろう。十歳はまだまだ幼く、親なしでは心細くてそれだけで死に走りそうな年齢だ。しかし、妖長者として過ごす中で、日々を監視されどこに逃げてもバレて、脅される。そんな日々が当たり前と化していないだろうか。妖長者は人間で、心もある。自由があってもいいはずだ。


「何を……泣いている?」


 気づけば涙を流していた。


 俺は翡翠裕也として今ここにいるから、家族を殺されることは無い。だが、俺の言動ひとつで翡翠の家族が死ぬ可能性がある。誰かを人質にとり、脅され仕事をする。……し続けるしかない、そんな縛られた環境の中で生きてきた翡翠がかわいそうで仕方が無かった。俺なら絶対に耐えられない。


 翡翠は知らぬうちに涙を流し泣く空汰を、窓のふちに座りながら眺めていた。何故泣いているのかよりも何が起こったのかの方が気になっていた。あの気配……長老の誰かの気配だった。何か脅されたのかもしれない。


――――やっぱりこいつには荷が重すぎたか……。赤の他人のこいつにそこまで迷惑をかけるつもりなかった……


「空汰」


「翡翠……」


 呼ばれた翡翠は、スッと窓から降り涙ぐむ空汰のもとへ近寄った。そして、手からタオルを取り出すと空汰の頭に被せた。


「ひ、翡翠……お前さ……。な、なんで、泣かないんだよ!」


 急に腕をわしづかみにされた翡翠は体をひいた。


「何で理由もなく泣く?」


「お前…………何で……。脅されても平気な顔してるんだよ!」


 やっぱりそうか。長老の誰かにきっと脅されたのだ。


「脅されて……平気なわけはない」


「お前が、俺の家族を心配してくれるのはありがたいが、俺は大丈夫だ」


「でも! でも……、俺の家族で脅されたら、絶対! 絶対許せない!」


「確かにそうかもしれない。だが、これは俺の運命なんだ」


 空汰は涙を拭き、ひとつ呼吸を置いてから翡翠を見つめた。翡翠はどこか悲しげな、諦めたそんな表情をしていた。


「運命なんてない!」


「は?」


「お前は、妖長者として生き続けていいのか!?」


「……だからそれは俺の……」


「運命は自分で切り開くもので、自分で築き上げたその先にあるものだ! 誰かの身勝手な理由で、作られていい運命は、運命という名の悪夢だ!」


「落ち着けよ……。俺はここで一生を過ごさなければいけない身なのだ」


「それは誰が決めたんだ?」


「妖長者になって数日後だな」


「お前の意思だけではないはずだ」


「当たり前だ」


「お前は、皆のことを思うばかりで自分のことを何一つ思っていない。命を大切にしないやつは、俺は大嫌いだ」


「お前に嫌われたって痛くも痒くもない」


「そうだろうな。だが、よく聞け! お前は人間も妖も大嫌いだと言ったな!?」


「あぁ、言った。下らない」


「下らないかどうかは、俺の話を聞いてからもう一度考えろ!」


「だから何なんだ」


「お前は自分を大切にしろ、自分を大切に出来ないやつは、誰一人も大切には出来ないぞ」


「それは……」


「それから! お前は俺が守る!」


 翡翠はフッと笑った。


「大真面目な話だ!」


「分かった分かった、空汰の気持ちはありがたいよ」


 翡翠は笑いが止まらず、しばらく笑っていた。


「何でそんなに笑うんだ」


「いや、面白くて」


「何が面白い!?」


「お前は俺が守る! だってさ」


「可笑しくはない!」


「俺より力のない奴にそんなこと言われたの初めてだ……。しかも、他人のくせに一番心配してくれてるからさ。お前良い奴なんだなって」


「今頃気づいたのかよ」


「でも、言っとくが守られるのは嫌だね」


「はぁ? 守ってやると言ってるんだから大人しく守られてろ!」


「守られるばかりは嫌なんだ。力がある分、弄びたくはないからね」


「だったらお前は俺を守れ、そして、俺はお前を守る」


 翡翠は笑みを浮かべ、頷いた。


「良い条件だ」


 空汰も笑みを浮かべ、翡翠とハイタッチをした。


 風に揺れる木々が何かを伝えようとしていることにも気づかずに……。


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