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妖町祭り



「そこの若いお兄ちゃんたち! これ買っていかないかーい!?」


「今日は妖町祭りだ! 俺が赤字になりすぎて死ぬ前に来いよ!」


「へいへい、いらっしゃい!」


「お兄さんたち、これ! ほら! 見ていって! 買わなくてもいいから!」


 空汰と翡翠は苦笑を浮かべながら、妖町祭りの会場を歩いていた。


「いつもこんなに活気がある街なのか?」


「いや……、祭りのときだけだ」


「だよな……」


「何か食べるか?」


「おすすめがあるのか?」


「俺がいつも買っているお店があるんだ」


「へぇ……。どんな店なんだ?」


「人間界の食べ物を売っているところだ」


「マジ!? 食べたい!」


「人間界に隠れ暮らしている妖たちが、この時期になると人間界から食べ物を持ち込んで売るんだ。少々値は張るが、まぁ、俺もお前も金には困っていないしな」


「金、銀、銅だよな」


「そうだ。あまり金は使うなよ」


「え? どうして?」


「金を持つものは爵位持ちのものばかりだ。しかも人間が金を持っているとなると、意外にもすぐに妖長者だとバレてしまう」


「でも、俺……。妖長者の印、体に入ったままだけど?」


 翡翠は立ち止まり、空汰を見た。


 空汰は不思議そうに首をかしげていた。


 そして、翡翠は空汰の腕を掴むと今来た道を走った。


 人気のないところまで走り二人は息があがっていた。


「な、何なんだよ……。いきなり、走らせるな」


「だったら、せめて印くらいおいて来いよ!」


「おこうと思ったけど、出せなかったんだから仕方がないだろ?」


「ディリーにでも預ければよかっただろ!?」


「ディリーにそんな迷惑はかけられない」


「ったく……。お前がその印を持っているってことは、誰にでも妖長者に見えるということだ。分かっているのか?」


「分かってるけどさ……」


「だったら、お前ここにいろ」


「楽しみにしていたのに!」


「知るかよ!」


「お前はいつもどうやって来てたんだよ」


「俺は、守護者の中でも力のあるやつと逃げ足のはやいやつに渡していた。もちろん、黄木ではないぞ」


「黄木に渡そうとした瞬間、監禁されそうな勢いだよ」


「黄木ならやりかねないな」


「俺はここにいるしかないのか?」


「仕方ないから、お前が欲しいものなら買ってきてやる」


「といわれてもどんなのがあるか知らないし……」


「お前の好きそうなものを適当に買ってきてやるから、待ってろよ」


 空汰は文句ありげな不満そうな顔をしていたが、翡翠は表情一つ変えず空汰に背を向けた。


「ちなみに、何が好きなんだ?」


「……飴とかチョコレートとか……」


「女子かよ」


「いいだろ、別に」


「じゃあ、せいぜい下級妖に食べられないように気を付けてろよ」

翡翠はそういいながら手を振り去って行った。


 空汰は、不満げな表情をしていたが、静かに見上げた。森の入り口だろう。木がたくさんある。


 空汰は木の上に登り座った。森の番人みたいだった。


――――やっぱりおいてこないと、ダメか……


 空汰がふと視線を向けると、空汰が座っている枝のさらに先に黒猫が蹲り寝ていた。


 そんなところで寝てよく落ちない。この猫は人間界にいる猫と同じだろうか? それとも、漫画とかでよく出てくる魔界の黒猫だろうか? 妖世界に猫はいるのか? 狐がいるのなら、いるか……。


 空汰がスヤスヤと寝ている黒猫に視線を向けると、黒猫はピクリと耳を動かし首を上げた。どうやら、起こしてしまったらしい。


「ご、ごめんな。起こしたか?」


 黒猫は、眠そうに欠伸をすると空汰を凝視した。


 左目が赤く、右目が青いという変わった猫だった。どう考えても普通の猫でないことは確かだ。


 猫はやがて、飛び降りると振り返りもう一度空汰を見上げ去って行った。


 空汰は猫の姿が見えなくなるまで目で追った。


――――不思議な猫だなぁ


          ❦


『お前、本当に分からないのか?』


『分からない分からない。さ、教えろ』


『あの男の子は……』


 翡翠は得意気な笑みを浮かべ、空汰を見た。


『あの男の子は俺だ』


『……は?』


『だーかーらー、俺』


『いや、全然意味分からないのだけど』


 翡翠は、ため息交じりに説明をし始めた。


『まず一回目』


「おい、そんなところで何をしている」


「……僕、どこから来たの?」


「バカなやつだ」


「ば、バカ!?」


「それで、こんなところで何をしている」


「いや、暇つぶしに屋敷内を散歩していたら中庭を見つけたんだ。ここの景色が綺麗で、つい見とれてしまっていた」


「……そうか」


「ねぇ、僕。どこから入ってきたの?」


「ここの屋敷の者? もしそうなら身分証見せてくれると嬉しいのだけど」


「……お前こそ、誰だ。普通こういう時は知りたい方から名乗るものだろう?」


「あ……。すまない」


「じゃあ俺から言うね。俺は……、し……翡翠裕也っていうんだ」


「……そうか」


「君は?」


「……何者という質問には答えられない」


「もし屋敷内の者でないのならば、急いで出た方がいい。見つかると大変なことに……」


「妖長者様に言われなくても、分かっている。俺はこの屋敷を妖長者様よりも知っている。長く居たから」


「……え?」


「妖長者様」


「はい?」


「ここの景色が好きか?」


「え……あ、うん。またここに来たいと思うよ」


「ここに来るのはいいが、この先の別館にはあまり行かない方がいい」


『次、二回目』


「行かない方がいいと、言ったはずだ!」


「あの時の……」


「今すぐそこから離れろ!」


「何故?」


「そこは、一番やばい奴の部屋だ! あいつが気づく前に、さっさと失せろ! 失せろ!」


『分かったか?』


『あのチビはお前だったのか……』


『だから、言っただろ? 俺は姿を自由に変えることが出来ると』


『……た、たしかに……』


『ちなみに、珀巳の話をお前は聞かなくていいのか、と言ったな?』


『だって、そうだろ? ずっと放置しておくわけにもいかない……』


 翡翠は、真顔で空汰を見た。


『もう聞いた』


『……は!? いつ!? どこで!?』


『正確には澪がな』


『澪? あの蝶の?』


『はい、バカ』


『お前一回殺すぞ』


『分かった分かった。まぁ、俺が勝つと思うけどな』


『……それで、どういうことか俺に分かるように説明しろ』


『じゃあ、小学生に分かるように言わないとな』


『お前、絶対バカにしてるだろ』


『いや、全く』


『絶対してるだろうが!』


『うるせーよ。いちいちわめくな、小学生』


『うるせぇのはお前だ!』


 翡翠は呆れたような肩をすくめた。


 そして、飴を舐めながら話し始めた。


『お前が二回目の小さな俺に会う直前の話だ』


「そんなところで何をしている?」


 木の上で一休みしているところに、珀巳が通りかかった。翡翠は、つい声をかけてしまった。


「誰です?」


 妖長者の印も石も持っていない、姿を変えている翡翠を珀巳は当然、知らない男として捉えた。


「初めまして、君……名前は?」


 翡翠は木から飛び降りた。


「珀巳と言います。あなたは?」


「珀巳か……良い名だね。俺は、ある屋敷で守護者をしている身なんだ。名は……澪という。よろしく」


 まさか翡翠と名乗るわけにもいかない。


「よろしくお願いします……」


「何かあったのか?」


 この状況下なら、簡単に口を割りそうだ。


「え?」


「俺が相談に乗ってやろうか?」


「あなたのことをよく知らないので」


「確かにそうだな。でも、悩み事っていうのは誰かに相談すると案外すぐに答えが見つかるものだ」


「答えが……見つかる……」


「見たところ、お前は何か悩み事を抱えている。俺はこう見えてかなり口も堅い。信じられないなら俺の本当の名をお前に預ける。それでどうだ?」


 もちろん、本当の名など翡翠には無い。翡翠自身が自分の本当の名を覚えていないのだから、教えるに教えられるわけもなかった。


 珀巳は翡翠の真っ直ぐなまなざしに頷いた。


「なら、本当の名を教えてください。貴方に、相談してもいいでしょうか?」


 澪……。ならば零か……。いや、それはどう考えても可笑しい。


「本当の名は、ゼロだ。相談は引き受けよう」


 珀巳と翡翠は、近場にあった食事処に入った。


「どんな悩み事なんだ?」


「私……すごく大切な方を裏切ってしまいました……」


「大切な方なのに?」


「あの方を守るためだったのです……」


「利用されたってことか?」


「……結果的にはそうなってしまいました」


「詳しく話せる?」


「……それは……」


「俺の事を信じて」


『それで、珀巳は話したのか?』


『まぁな』


『珀巳って口軽くないか?』


『あいつはこう言ってた』


「あなたは、どこか、主に似ていますね」


『バレてねぇだろうな?』


『多分?』


『それからは?』


『それから、数回この屋敷内でも会ったが?』


『はぁ!?』


「まだ言っていないのか?」


「ゼロ」


「澪と呼べ」


「澪。何故こんなところに?」


「居たら悪いのか?」


「どうやって、この屋敷に入ったのですか?」


「……回廊から」


「花と小川のある?」


「そう」


「あそこに行くと、翡翠様に会ってしまいます」


「何故?」


「翡翠様はたまにあそこに顔を出されるのです」


「澪」


「何?」


「やはり、正直に言うべきでしょうか」


「俺に話せたことを、どうして主に言えない? 言ってみればいい」


「しかし……」


「臆するな」


「……はい」


 翡翠は去ろうとした。


「澪」


「何だ」


「君の本当の姿はどれですか?」


「は?」


「私と会ったときの大人の姿? 翡翠様に忠告しに行った子供の姿?」


「……馬鹿か?」


「え?」


「どちらも、俺は俺だ」


『お前なぁ……』


『ちなみに、お前が、俺が行くなと言った別館に近づいたとき、子供の姿で来たときのことだ』


『失せろと叫んだときか?』


『その時に、珀巳はそばにいたが?』


『守護者だと名乗っておきながら、のこのことこの屋敷に!?』


『この屋敷の守護者ではないと言ってあるがな』


『お前この後、どうなっても知らねぇからな』


『まぁ、その時はその時で考えるさ』


『それで? お前は珀巳の話を聞いた』


『聞いたよ』


『俺には報告なしか?』


『……珀巳をどうするかという話なら……』


『違う。過程からだ』


『面倒くせぇな』


『俺だってここの妖長者だ』


『分かったよ。ただし、後日な』


『は!? お前いつもそうやって』


『逃げない』


『え?』


『この話からは逃げない。妖町祭りでな』


『……意味が分からない』


『俺にとってみれば、お前の方が意味分からねぇよ』


『どこに行くんだ?』


『逃げるんだよ、もうそろそろ、式が来そうだからな』


『絶対! 話せよ』


『分かったよ』


 翡翠はそういうと、窓から去って行った。


          ❦


 気づけば眠っていた。


「おい、空汰!」


 誰かが自分を呼ぶ声で目が覚めた。


「あ、ひ……、じゃなかった。裕也」


「降りて来いよ」


 空汰は言われた通り飛び降りた。


 すると、翡翠から紙袋を渡された。


 空汰はそれを受け取ると、袋を開け取り出した。


 美味しそうな飴だった。見たことがあった。人間界のものだろう。飴細工といって飴が固まらないうちに色々な形を作るものだ。


「これは……狐?」


「俺は狸」


「何で?」


「お前のその狐がかわいいからつい買ってしまった。狐と言えば狸かなと思って、狸にした」


「もっと、可愛いものがあっただろ?」


「ウサギとか猫とか鶴とかあった」


「それにしろよ!」


「いいだろ、狐でも。俺は狐が好きなんだから」


「珀巳の事か?」


「あぁ、そういえば……話す約束とかした?」


苦笑を浮かべる翡翠に、空汰はニヤリと笑みを浮かべた。


「した。言った」


「もういいだろ」


「勿体ぶらずに教えろよ」


「恥ずかしい」


「何でだよ」


「あいつ俺の事べた褒めだったから……」


 空汰はフッと笑った。


「良いから、話せよ」


 翡翠は諦めたように話し始めた。


 珀巳は食事処で微かに揺れる光を眺めていた。


『事の発端は、約十年前です』


 約十年前、新しい妖長者として、翡翠様が無理矢理妖世界に連れてこられたその夜の話です。


 その日は終日新たな妖長者様を迎えられるということで、屋敷内は慌ただしく動いておりました。私も凄く忙しかったことを覚えています。


 そして、翡翠様に初めてお会いしたのは、その日の夜、翡翠様が姿を消したと総出で探し出したときでした。翡翠様は、部屋から逃げ出したわけではなく、子供のように隠れていただけでした。私が最初に見つけたので、長老方に報告しようと翡翠様のもとを離れようとしたとき、翡翠様は私の裾を掴んだのです。それからは、しばらく好きなように泣かせました。これからは、泣かないようにするからと私に約束をして、未来の分までも泣いているかのような勢いでした。


 しかし、それから数日間は全く会うこともありませんでした。私はまだ、翡翠様の式ではなかったのです。実はその頃、長老のオーガイ様に仕えておりました。前妖長者の翡翠様はそれはそれは優秀な方でしたが、妖力は現妖長者に少し劣っておりました。オーガイ様は、前妖長者の翡翠様が大嫌いでした。しかし、私を見つけてこの屋敷内に連れてきたのは前妖長者の翡翠様です。その方がご存命の間は、私も翡翠様に仕えておりましたが、人間ですからいつかはあちら側に逝ってしまいます。それを待ち望んでいたかのように、オーガイ様は自分に仕えるように命令しました。命令ですから従わないわけにもいかず、数日間……大体一週間くらいオーガイ様に仕えていました。


 新しい妖長者の翡翠様は、慣れるまでかなり抵抗をされていました。世話役の者もかなり手を焼いていたそうです。私は、そんな翡翠様の様子を少し見に行きました。私に泣かないからと約束はしたものの、まだ所詮小学生程度。すぐに泣いてしまうかと思っていました。しかし、翡翠様はどんなに世話役の方に怒鳴られても手をあげられても全く泣きませんでした。私はそんな翡翠様のもとにオーガイ様には秘密で、会いにいきました。


「大丈夫ですか?」


「誰?」


 その頃、私はオーガイ様に仕えておりましたので、仮名を『名草』と書きまして『ナグサ』と名付けられておりました。


「名草と申します」


「名草?」


「翡翠様、泣きたいときは泣いても良いのですよ?」


「やだ。泣かない!」


「どうしてですか?」


「泣いたって……何の解決にもならないんだ」


「それは……」


「それに……。此処に連れてこられるときに、言われたんだ」


「言われた? 何をです?」


「……抵抗するのなら、家族を皆殺しにするって……」


「家族…………」


私は何も言えませんでした。私に家族はいません。人間がいう家族がどれほど大切なものであるのか、それが脅しの材料になるようなものなのか、全く分かりませんでした。


「施設の人たちだけど……」


「施設育ちなのですか?」


「俺の本当の家族はいない。たぶん、死んだ」


「たぶん?」


「俺も本当の事は知らない……」


「そうでしたか……」


「ねぇ、名草って何をしているの?」


「何と言いますと?」


「この屋敷で何をしているの? 守護者にしては、服装が違うし……身なりもここで仕えている妖たちに比べて良すぎる気がする」


「勘が良いのですね」


「違う。ただの興味だ」


「私はここで式というものをしております」


「式?」


「主に仕える言わば側近のようなものです」


「そうなんだ」


 翡翠様は考える素振りをした後、私に言いました。


「なら、俺の式になってよ!」


「翡翠様のですか?」


「そう! 俺の式になって、俺と一緒にいてよ!」


「しかし……」


「今仕えている主が誰かは知らないけれど、お願い! いずれ式を仕えないといけないって聞いた。それなら、俺は珀巳がいい」


 その頃の私にはとても嬉しい言葉でした。どうやら私はただの高級妖の中でも妖力が強いらしく、オーガイ様はそれだけにただただ惹かれ、私を仕えさせていました。ただ単純に、純粋に私を欲する翡翠様に、私は心を惹かれてしまいました。


 その翌朝、私はオーガイ様に式の契約を解いてほしいと頼みにいきました。


 もちろん、一筋縄ではいかず、ある条件が掛けられました。それが、翡翠様に仕えながらオーガイ様に情報を渡すというものでした。所謂、スパイのようなものです。


 そして、私は翡翠様の式となりました。


 新たな仮名として『珀巳』と書きまして『ハクシ』と名付けられました。


 その頃、人見知りがひどいふりをしていた翡翠様に、致し方なく礼儀作法やダンスなど一から教えていました。分かっているくせにきちんとやろうとしない翡翠様に、付き合うのはとても大変でしたが、その分、とても楽しくもありました。


 しばらくして、暁月記学園に通うようになってから、私の出番も徐々に減っていきました。新たな式、黄木と柊も加わり、翡翠様は立派な妖長者様となられました。


 そして話は十年後に戻ります。


私は、オーガイ様にあることを命じられたのです。

 

部屋に戻ってくる途中、ある紙を誤って落としてしまい、探したが全く見つからなかったそうです。


「名草」


「今の私は珀巳です」


「私にとっては、名草だ。違うか?」


「……はい」


「名草、その紙をもしかしたら翡翠様が持っているかもしれない。部屋から探しだしてこい」


「どんな紙でしょうか?」


「珀巳」


「はい」


「お前の翡翠への気持ちは何だ? もともと忠誠心の強いお前の事だ。大切な主か?」


「はい。私にとって、今一番思うべき者です」


「では、裏切ることはしたくないわけだな?」


「当たり前です。もし、そういう用件でしたら私は手を引きます」


「手を引く!? お前が?」


「私は貴方様に脅されているわけではありません」


「じゃあ、言い方を変える」


 オーガイ様が何かを企んでいることを悟ったのはこのときでした。


「なら、その翡翠様にバラしてしまってもいいわけだな?」


「……何をです?」


「翡翠様という主に仕えていながら、こちらにも手を貸していた、という事実をね。翡翠様はあぁ見えてガラスの心の持ち主だ。お前が私と公務以外で密会していたなんて知ったら、お前はどうなるかな!?」


 多分、私を切り捨てるでしょう。


「さて、それを踏まえてもう一度聞く。紙を探し出してこい」


「……分かりました」


「その紙は……『妖長者 翡翠裕也 暗殺計画 極秘文書』と書かれている」


 私は言葉が出ませんでした。その時、私はどんな表情をしていたのかすら分かりません。時間の流れが一瞬にして止まってしまったように思います。オーガイ様が、今度は何を考えているのか、私はやっと知りました。


 妖長者が人間であることは誰もが知る有名な話です。そして、それに異議を唱える者もいれば賛同する者もいます。異議を唱える者はこの妖長者の屋敷にいてはならないという絶対的な決まりはありますが、それでも、地位を求めこの屋敷で働きたいという者は多くいました。オーガイ様はそうして、ここで徐々に地位をあげられ、長老となられた一人です。オーガイ様は人間にこの世界を預けることに、不満を抱いていました。しかし、ここまで肥大化するとは私も予想していませんでした。


「その計画は……」


 私の声はとても小さく、震えていました。やっと、出た言葉でした。


「お前には関係のない事だ」


「……翡翠様を、どうするおつもりですか……?」


「どうしてほしい?」


「そっとしておいてもらいたいです。それか、人間世界へ帰してあげてください」


「それは、私の権限では無理だ。いつか、フィリッツの位に成ったら考えてやろう」


「絶対に、翡翠様に手を出さないで頂きたい!」


「それは、お前の行動次第だ。あの文書を翡翠様が見ているのなら今すぐに殺さなければならない。だがもし、見ていなければ普通に今まで通り過ごせる。翡翠様の部屋にないのなら探し出せ」


「もし……翡翠様の部屋に……あったら……」


「殺す」


「おやめください! それだけは、どうかお願いいたします!」


「なら、お前が殺せ」


 オーガイ様はとても冷酷な方でした。こんな方に一時でも仕えていたと思うと、寒気がします。


「私は……翡翠様を最後までお守りします……」


「なら、とっとと探しに行け。お前の報告を待つ」


 私にもはや選択肢はありませんでした。私はオーガイ様の部屋を去ろうとしました。


「虚偽の報告は待っていないからな」


 念押しをされ、私は翡翠様の部屋に行きました。


 極秘文書がない事を願いながら、部屋中を探しました。


 しかし、オーガイ様の言う通り部屋にはオーガイ様が探していた文書がありました。


 私はかなり焦りました。そこからは何をどう考えたのか、よく覚えていません。気づけば、極秘文書を片手にオーガイ様の部屋の前で立ち尽くしていました。


 そこから三十分、私はオーガイ様の部屋に入ることが出来ませんでした。


 三十分後、意を結して部屋に入ると、オーガイ様はいつものように公務をされていました。


「持ってきたのか!?」


「はい」


 私が文書を渡すとオーガイ様は文書に目を通され、本物であることを確認すると私を睨みました。


「どこで、これを見つけた?」


 私はすぐには答えられませんでした。しかし、沈黙は了承と同じ意味という言葉をどこかで聞いた覚えがあったので、頭をフル回転させました。


「回廊に落ちていました」


 オーガイ様は私の下手な嘘をすぐに見抜いたはずです。私もそれは覚悟の上での嘘でした。しかし、オーガイ様はため息を吐き極秘文書をなおしました。


「分かったから、もういい。下がれ」


「え……」


「回廊に落ちていたのだろ?」


「は、はい」


「なら、回廊に落ちていたのだ。それとも、嘘か?」


「い、いえ! そんなことは……」


「なら、去れ。今回の仕事は終わりだ」


 オーガイ様のその優しさは一体何だったのだろうかと私は今でも不思議に感じますが、一応妖長者を見守る一人としての自覚があるということなのだろうと私なりに解釈していました。


 しかし、オーガイ様はそんな生易しい妖ではありませんでした。


 その夜、翡翠様を殺そうと長老たちが動きました。もちろん、統率者はオーガイ様でした。私は自分を責めました。翡翠様の就寝時間に奇襲をかけたのですが、翡翠様は察しの強い方で、すぐに逃げ出され森まで追跡されたそうです。妖長者の印と妖石に縛られる妖長者様はどんなに逃げても必ず見つかってしまいます。それを知らない翡翠様ではありません。死ぬ気で逃げたはずです。私は、翡翠様を守ることが出来ませんでした。


 私はただただもぬけの殻と化した翡翠様の部屋で落胆することしかできませんでした。やっと、自分がいるべき場所を見つけることが出来たのに、それも奪われてしまいました。私のせいで……。私は本当に無力でした。……高級妖の中でも妖力が強いという謳われは、ただの戯言だと深く悔みました。


 私が未熟だったばかりに、私は翡翠様を結果的に裏切ってしまったのです。


 翌朝、オーガイ様が私のもとに怒り狂いながらやってきました。殴り蹴られました。しかし、痛みはありませんでした。翡翠様が数日間見つからず、妖世界は危機的状態に陥ってしまい、長老たちも殺気立っておりました。妖長者という存在は、妖世界に絶対不可欠な存在ではありますが、妖長者という存在が、世界を滅ぼす鍵にもなる、いわば、諸刃の剣なのです。


 私は外部の痛みには慣れておりました。誰か様のおかげで……。しかし、どうやら内部の痛みには弱かったようで、翡翠様の行方知れずを知った時は、本当に気力を失いました。私は一体何をしでかしたのかと、事の大きさに今更気づいたのです。


 そして、それから数日後、再び翡翠様は妖世界に戻されました。妖世界は滅びゆく途中でしたが、妖長者様のお帰りに徐々に元の姿へと戻って行きました。


 しかし、翡翠様は記憶を失われておりました。


 私の事も分からず、黄木や柊の事もすっかり忘れておりました。礼儀やダンスなど基礎基本であることもすべて最初の頃に戻っていました。翡翠様の本当の容姿は誰も知りません。私も知らないのです。どれが、本当の姿でどれが作った姿なのか、見分けがつかないのです。それほど、変化へんげの術には長けている方でしたので、別人かもしれないと疑っていた者も慣れてしまうとそんな憶測が飛び交うことは無くなりました。


 さて、翡翠様の記憶が消えたことで一番喜ばれたのはもちろん、オーガイ様をはじめとする裏切り者と呼ばれる皆様方です。そこに、私の名が入っていしまっていることを思うと、胸が締め付けられる思いです。


 けれども記憶が消えたことにより、極秘文書の事を忘れられた翡翠様のことを見たオーガイ様は、翡翠様を殺すことを一時中断しております。私にとっても、心が休まるときでした。


 そして、あの夜会が開かれることとなりました。


 私としては思い出したくもない夜会となりましたが……。


 夜会の一ヶ月前、翡翠様が夜会に参加するため各作法を学んでいる頃でございます。


 久しぶりに待ち望んでもいなかったあの方から呼ばれました。


「今度、ツェペシ家で夜会が開かれる」


「そのようです」


「お前も行くのか?」


「付き人として、式としてついてまいります」


「ならば、翡翠を捕らえろ」


「何故ですか? 今の翡翠様は記憶を失われております」


「全くの別人の可能性も棄てきれない」


「しかし……」


「私に歯向かうのかい!?」


「そういうわけでは……」


 オーガイ様は私に不敵な余裕の笑みを向けていました。


「翡翠様が記憶を取り戻されたとき、私は彼に本当の事を打ち明けてもいいんだよ?」


「おやめください」


「君が私に未だ仕えてくれていて、あの日、紙を盗み出したのも君だとね」


「……おやめください」


「私は口で命令しているだけだ。証拠はない」


「どうして! どうして、あの時、翡翠様を襲ったのですか!」


「殺すためだよ」


 オーガイ様のあまりに冷酷なその声を私は忘れません。きっとこの方は、自らが妖長者にならない限り、ずっとその座を狙い続けるのでしょう。最悪な手段を使って……。


「オーガイ様……。出来る限り貴方様の命令には従います。ですから……」


「翡翠様には手を出すな……。分かってる。ちょっと確認したいことがあるだけだ」


「確認したいこと……」


「本人かどうか調べる」


「本当にそれだけですか?」


「……あぁ」


 この時の私はバカでした。まさか、オーガイ様がこんなに優しいわけがないのです。けれど、私は確認したいことがあるという偽りの文句を真に受けてしまったのです。


 そして、夜会前日、オーガイ様に呼び出されました。


「お前は、翡翠様より後に行くのだな?」


「はい。少し遅れていきます」


「なら、遅れついでにダイ様に会っておきなさい」


「ダイ様に? なぜです?」


「彼にも、私から計画を話している」


「ダイ様も裏切り者ですか?」


「いや。私の駒だ」


 ツェペシ・ダイ様は、ツェペシ家の当主というお方です。そんな方を手駒にとるなど、恐ろしい真似をよくできたものだとオーガイ様に恐怖を覚えました。


 そして、私は予定通り夜会に翡翠様より遅れて出発しました。そして、そのまま一応ツェペシ家には着いたのですが、翡翠様のもとには行かずに、ツェペシ家の裏手に回りました。守護者に挨拶をして中に入れてもらい一室で待機していると、そこにダイ様がやってきました。


「君が珀巳かね?」


「そうです。初めまして」


「翡翠様を捕らえよとの御達しだ。やれるかね?」


「しなくてはいけません」


「お互い、大変だねぇ」


「そうですね……」


「どうやって捕らえる?」


「翡翠様はひどく勘の良い方です。不自然な動きではすぐにバレてしまいます」


「ならば君をおとりに使うか」


「……逆に怪しまれます」


「だろうな……」


 ダイ様はあまり気乗りしていないようでした。


「ダイ様」


「何だ」


「ダイ様は……妖長者が人間であることをどう思われているのですか?」


「私達はいつまでも妖長者の座を狙い続ける。それだけだ」


「それだけ……」


「簡単に言わぬと分からぬか?」


「え?」


「妖長者がいなければ、狙うことも出来ない」


 それはつまり、妖長者を批判はするが支持もするという中間的な立場だった。


「今までの……」


「態度か?」


「はい」


「全部嘘だ。確かにうざいオヤジでもいいが、脅されることがなければ、今君とこうして話しているように翡翠様とも接しているよ」


「お優しいのですね」


「お前はどうなのだ?」


「私ですか?」


「お前は翡翠様に仕えているのだろ?」


「はい。私は、翡翠様のみに仕えます」


 ダイ様は笑みを浮かべました。これまでの態度が本当に嘘のようです。


「ならば、私と組まないか?」


「組む?」


「私は弱みを握られている。ま、所謂裏金という存在でな」


「裏金はこちらの世界で日常茶飯事です……」


「私達の裏金は特殊だ。そこは気を遣ってくれないかな?」


「分かりました」


「それで、どうする? 私と組むか?」


「私に利益はありますか?」


「今回の捕らえよとの命令を無視する。まさか捕らえるだけだと思っているのではないだろうな?」


 私は心底驚きました。


「……殺され……ますか?」


「捕らえて殺されないわけがない。絶好のチャンスなのだから」


「……ダイ様の利益は何ですか?」


「オーガイが持っている証拠の文書を持ち出して欲しい。そのままここに持ってこなくていい。焼け」


「しかし……」


「お前が焼いた保証はたしかにないが、お前を信じよう」


 私は言われた通り急ぎもう一度屋敷に戻りました。


 そしてオーガイ様の部屋に入りました。運よくいませんでした。私は急いであまりものを動かさないように探しました。


 そして私は極秘文書をなおしていた場所を探ってみました。やはりそこにダイ様の証拠となる文書がありました。持ってこなくていいから焼けと言われましたが、ダイ様が無視するという保証はありません。私は一応焼かずに、もう一度ツェペシ家へ行きました。少し雨が降っていました。雨宿りをするようなそんな雨でもないので、急ぎ馬車を走らせました。戻るとエリア様が出迎えてくれました。親切にタオルを貸してくれましたが、拭くよりも先に、ダイ様に会いたくて仕方がありませんでした。


 そしてダイ様に会った私は、文書を手に持ちました。


 ダイ様は、確かに、と頷きました。


「燃やしてくれ」


「翡翠様を捕らえないと約束してください」


「必ず」


 私はその言葉を信じ燃やしました。


 ダイ様は燃えたことを確認しますと、立ち上がり私に深く頭を下げました。


 他者の式に頭を下げるなど、普通ではありえないことです。


「だ、ダイ様!? 頭をおあげください」


「恩にきる」


 ダイ様はオーガイ様と比べ物にならないよいお方でした。


 しかし、私の心には晴れることのない靄がかかっていました。


 外に出ると空はすっかり晴れていて、綺麗な夜空をしていました。


 多分私はとても哀しげな顔をしていたと思います。


 裏切らないと決心しても、結局は色々なことで裏切ってしまっていました。知らず知らずに、知っていても尚、オーガイ様に従い続けていました。このままでいいはずはありません。例え、翡翠様を守ろうとして成したことであっても、過程で裏切り行為が入っている時点で、全く意味をなさないのです。多分、私はこれからも翡翠様の目を欺きながらオーガイ様にも仕えることになります。翡翠様のもとを離れたくはないのです。


 私がしてきたことを、翡翠様にすべて打ち明けられてしまったとき、きっと私は式を辞めさせられてしまいます。オーガイ様はそれを寧ろ望んでいるようにも見えます。しかし、私は、今の翡翠様に心から仕えたいと思うからこそ、こんな道を歩んでしまったにすぎません。これが、茨の道の出入り口だとしたら、そろそろオーガイ様のもとを離れるべきだと言うことは分かってはいるのですが、それを許してくれるほど心優しい妖ではないことくらい、身に染みてもう分かっていました。なら、どうするのかという話ですが、私にはもう、何もできません。


 私の居場所は、もうここには無いも同然です。


「おい、そんなところで何をしている。珀巳」


 その名を呼ぶ声は、私にはとても勿体ないような、そんな気がしてなりません。


 私は呼びかけられた方を向きました。そこには、呆れ顔をした翡翠様が立っていました。


「遅刻か?」


「申し訳ありません、翡翠様……」


 こんな式で申し訳ありません。


 翡翠様を守れない式など、不必要です。


「良いから行くぞ、会場に戻る」


「会場……ですか?」


「遅刻した理由はそのあと聞くからな」


 翡翠様。私はもう少し、貴方様のそばに居てもいいのでしょうか。


 居て良いというのならば、私は……。


          ❦


「そんなことが……」


「珀巳本人に澪と名乗った俺が直接聞いた話だ」


「珀巳は……その……」


「俺に忠誠心があるってことだな」


「忠誠心が強いが故に起きた出来事……」


「その通り」


「裕也は……」


 翡翠は優しい笑みを浮かべていた。


「俺は珀巳を見捨てたりはしない。俺がここに連れてこられた時に、唯一、涙を受け止めてくれた奴だからな」


「ちなみに珀巳は澪というお前の事を知っているのか?」


「俺は言っていないから知らないだろうな。まぁ、明日にでも俺がもう一度話を聞く。知らないふりでな」


「それからは?」


「次裏切ったら、絶対許さないってことで」


「良いのか?」


「良い。一人、裏切り者が確定した。今はそれだけで十分だ」


「オーガイ長老……」


「まぁ、一番怪しいやつだ」


「一人ではないよな?」


「俺が逃げたときも、数人の声がしていた。一人ではない」


「じゃあ、他に誰が……」


「最悪、長老全員かもな」


 確かにそうかもしれない。長老全員が裏切りだとしたら、妖長者を殺すのは簡単だ。


「珀巳はこれからも妖長者の式としてついてもらう。もう、俺に隠すことはなくなるんだ。オーガイに従わなくてもいい」


「じゃあ珀巳は……」


「やっと自由になれたな」


 二人は安堵の笑みを浮かべていた。


 翡翠が何かに気付き少し走った。そして立ち止まり、空汰の方を向いた。


「おい! あそこに団子があるぞ!」


「だから、何だ」


「食う!」


 翡翠にはいつもの笑顔が浮かんでいた。


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