暁月記学園の記録
空汰は苦笑を浮かべていた。
「本当に来るのが遅いんだよ……。というか、何でお前動けるんだ!?」
翡翠は、普段の姿ではなく姿を変えていた。
「俺は……」
言いかけて翡翠はアンジュに気付いた。
翡翠はアンジュに近寄り手を差し出した。
「俺は翡翠。初めまして。君がアンジュ?」
アンジュは困ったように一歩後ずさった。どうやら、翡翠を変人か何かと勘違いしているようだ。
空汰は咄嗟に翡翠の片手を引っ張り、アンジュに聞こえないように小さな声で言った。
「おい。お前、何自分の名前言ってんだよ! 翡翠って妖長者しかいないだろうが!」
「お前がはじめに、言っただろ?」
『翡翠……!?』
「あぁ。言った」
「それにあいつは口が堅そうだ」
「そんなこと分からないだろ?」
「俺の目は確かだ。それに、ディリーを知るうえで、必要な人材だ」
「確かにそうかもしれないけど……。アンジュはディリーのことが嫌いらしい」
「なら、話はもっと早いな」
「そういう問題かよ……」
「いいか? 絶対お前は名を明かすな」
「何で? お前のがバレたのだから、いいだろ?」
「それはそれ。これはこれ」
「はいはい……」
翡翠はアンジュにもう一度近寄り笑みを浮かべた。
「俺は変人ではないよ。スカイの知人だ」
「……翡翠という名は、妖長者のみが持つ苗字です」
「そうだね。仕方ない、俺は妖長者だから」
「え!?」
背後で空汰が止めようとするが、翡翠はそのまま続けた。
「君に聞きたいことがある」
「私に?」
「君にしか今聞くことの出来ないことなんだ」
「それを聞いて私があなたに、本当のことを話すとでも?」
「それは困ったなぁ」
「妖長者様なら、すぐに分かる」
「確かに。今の俺は妖長者の印も妖石も持っていない。それは何故か……。ディリーの事について少し探っていたから」
「ディリーについて?」
「そう。それで、聞きたいのだけどいいかな?」
「答えるかどうかは別よ」
翡翠は笑みを浮かべた。
「ディリーは自らに掛かっている呪いが『殺人鬼呪法』というものであり、尚且つ、生まれた後にかけられたものだと知っているね?」
「……えぇ」
「自ら、解こうと思えば解けることも知っているね?」
「……」
翡翠は黙り込むアンジュを見て、フッと笑みを浮かべると空汰を見た。
「スカイ。今何を?」
「え、え、あ、えっと……。宝探し?」
「所謂ゲームだな」
「勝負をしているんだ。俺らが勝てば解放してもらえる。それに、ディリー掛かった呪いを解くことが出来る」
「負ければ、君は、俺の前から勝手に消えるわけだ」
「え……」
翡翠は哀しそうな笑みを浮かべていたが、やがて空汰から視線を逸らすとため息を吐いた。
「お前まで……俺のそばから勝手にいなくなるなよ……」
空汰はあまりに悲しそうに言う翡翠に何も言えなかった。
「それで、何をしに来たの? 妖長者様は」
翡翠はスッと表情を変えた。
「あれ、信じてくれるんだ」
「……一応」
「それは嬉しいな。そうだね、急がないとディリーが来てしまう」
「ディリーが?」
空汰は翡翠を見た。
「うん。来るよ。こんな下らない事に時間をとっている場合じゃなかった」
「それで?」
「アンジュの話が聞けたから、確信が持てた。スカイ、アンジュ。……君等に頼みがある」
❦
ディリーとナッツは侵入者がいると思われる場所に向かっていた。
「で、ディリー」
「何?」
「ディリーは、呪いってどう思う?」
「普通に聞いてくるんだね」
「ご、ごめん……」
「ん~、そうだなぁ。僕にとって呪いは……。あ、居た。あの羽織を着ている男だよ」
ナッツは途中で話が途切れたことを気にしながらも、ディリーの言われたところを見ると、そこには羽織を着てベンチに座っている男の後ろ姿があった。
ディリーはナッツに建物の陰に隠れておくように言うと、静かに男の前に立った。
「そこで何をしているの~?」
いつもと変わらない笑顔を見せながら、男の様子を探る。
男は立ち上がると、微笑んだ。
「久しぶりだな、ディリー」
その声にディリーは固まった。
あの人の声だった。それまで学年一位を譲ったことのなかった僕が、負け続けたその男。そこにはユウがいた。
「……ユウ?」
「この学園も全然変わらないな」
あのころとは違って、あのユウが微笑んでいた。
ユウが笑みを浮かべているだけでも、凄く驚いたが、それだけではない。
「何故、ここに?」
「何故って……。お前の呪いを解いてあげようかなと思って」
「君は僕がどんなに笑みを向けても、優しくしても……」
「だってさ、お前のその偽りが嫌いだったから」
「偽り……」
「その子供みたいな無邪気な笑顔も理想的な優しさも容姿も……全部、嘘偽りだっただろ?」
「そんなこと……」
「なかったら、俺はお前と普通に接していたよ」
「君は……」
「俺は別にお前が大嫌いだったわけではない。そういうところだけが嫌いだったんだ」
「でも、他の人には笑いかけるのに僕には、全くなかった」
「だって、偽りの笑みを見せる奴に本当の笑みを見せたって仕方がないだろ」
ディリーは俯き、両手を握りしめていた。
「ふざけるな……。僕は、君が来るまで一度も負けたことが無かったのに……」
「それも嘘だ」
ディリーは咄嗟に顔を上げた。
「嘘じゃない! 僕は!」
「お前が生まれてきて、呪いを掛けられた時点で負けている。呪いを掛けられるのは、自分よりも立場が上か妖力が強い者だけだ。それはお前ももう知っているだろう!? お前は立場も負け、妖力の強さに負けた。生まれてすぐというハンデはあるが、負けたことに間違いはない」
「僕は……」
ディリーはまた俯き小刻みに震えていた。そんなディリーを見ていた翡翠は、小さくため息を吐くと、羽織を脱ぎディリーの頭に被せた。
「人も妖も生きていく上で、嘘は大敵だ。一つの嘘で、友だち全員を無くしてしまうこともある。人生を棒に振ることもある。ディリー……」
「どうして、僕の名前を憶えているの……? どうして……。僕の事なんかきれいさっぱり忘れていると思っていた」
「覚えているよ。一時は生徒会としてP班として同じ班だったのだから」
翡翠は羽織の上から手を置いた。
地面に小さな雫が数か所に落ちる。
「ディリー」
「ユウは良いよ……」
「え?」
「ユウは僕と違って、人間だから、周りのみんながもの珍しそうに寄る。それだけで人気者だった……」
「俺は決して人気者ではなかった」
「そういうんだよ……。持っている人って……。すべてを持っているのに……。僕が欲しいものを全部持っているのに、それを簡単に棄てようとする」
「棄ててなんかいない」
「いらないなら、僕にちょうだいよ。僕は……君みたいに、人気者になりたかった……」
「君は陰で頑張りすぎたが故に見返りを求めているに過ぎない」
「違う! 僕は全然ダメだよ。どんなに頑張ってもまだまだ足りない。君のようには慣れない」
「俺のようになる必要はない、むしろ、俺になってはいけない」
「君に出会ったころから、僕は君を目標にして、なにもかも完璧にやり通そうとした。でも、どんなに完璧に近づけようと思っても、皆に嫌われていた」
「それは、君の勘違いだよ。ディリー」
ディリーがスッと顔をあげた。顔は涙で濡れていた。その顔を見た翡翠は笑みを浮かべ、ディリーの頭を撫でた。
「……俺はお前の良きライバルだと思っているし、お前の周りにいる……ナッツとマランツとローリーだったかな? あいつらはお前にとって友達ではないのか?」
「それは……」
「お前が友達と思っていないとあいつら三人に伝えたら、きっと悲しむと俺は思う」
「……あの三人だけ……」
「三人だけ? 俺は一人だけで良いと思うぞ?」
「一人だけ?」
「『一人だけで良い。唯一無二の存在を探せ』昔、俺にある人が言ってくれた言葉だ」
「唯一無二の……」
「お前には唯一無二の存在が三人もいる。羨ましいな」
「アイツらが……」
ディリーの脳裏に三人の笑顔が浮かんだ。
数百年と同じ時間を過ごす彼らに、自分は感謝したことがあっただろうか。ありがとう、ごめんなさい、の一言を掛けてあげたことがあるだろうか。
「ディリー。お前は一人じゃない。俺もいる。自分に自信を持て」
翡翠のその一言にディリーは泣き崩れてしまった。軽く過呼吸状態のディリーを見て、翡翠は口を堅く結んだ。
『……翡翠……様……、俺を……殺して……くださ……い……』
珀巳と重なってしまった。
翡翠は顔を手で隠し苦笑した。
――――どうやら、俺は珀巳のことが大切らしい……
翡翠は、一呼吸置き、ディリーの隣にしゃがみ込み背中に手を置いた。
「呪いを解く方法を……知っているね?」
ディリーは泣きながらも、小さくうなずいた。
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「どうするの?」
「翡翠に任せるしかない」
「違う」
『スカイ、アンジュ。……君等に頼みがある』
『頼み?』
『この呪いを解くには、まずゲームに勝つことが絶対条件だ。宝探しと言ったな。どんなルールだ?』
空汰はルールのすべてを翡翠に話した。
『なるほど。小枝か……。昔から変わっていないんだな』
『昔から?』
『実は、俺がこの学園に居る間もこのゲームは行われていた。もちろん、時間は止められていたが、俺には関係のないことだから、見物人として遠目に見ていた。その頃から小枝だった』
『見て見ぬふりだったのか?』
その瞬間翡翠の顔が曇った。
『ゲームにズルはご法度だ。それは、今お前もゲームをしている身からして分かるだろ……。俺は、初めてゲームの世界に巻き込まれたとき、ただ見ているだけではダメだと、見殺しにしてしまうと、ディリーたちが隠した場所を教えてあげた。だが、時間を止めている空間は言わばディリーの領域内。ゲームにズルはご法度。すぐにバレて、ズルをした瞬間に死んだ。……俺が殺したようなものだ。それから、俺は死ぬと分かっていながらただただ行われるゲームを見続けた。そんな場所に耐え切れなくなって、俺は学園を辞めた』
『……そうだ……った……のか……』
『……ディリーにかけられている呪いは生まれつきではなく、生まれた後に掛けられた呪いだ。名は「殺人鬼呪法」』
翡翠はそう言って、妖術で隠し持っていた本を取り出し、ページを開くと空汰とアンジュに見せた。
『これなら、俺でも、本人でも解ける。あとは、お前らが勝つかどうかだ』
「勝てばいいわけでしょ」
「そんな簡単に言うけど、当てがないんじゃ……」
「少しの間は翡翠が時間を稼いでくれる。それまでの間だ」
「でも、ちょっと待って。この学園の広さを知っているの?」
「大体は分かっている」
「地中でも屋根裏でも、教室で固まっている生徒の懐でも、どこに隠してもいいのよ!? 小枝は十センチもない。そんな小さなものが、手当たり次第に探して見つかるわけがない」
「確かにそうかもしれないけど……」
「考えればどこにあるのか分かる!」
「考えたって……。……え!?」
空汰は立ち止まり背後に立ち止まっているアンジュを見た。
「私の能力なら、分かるかもしれない!」
「アンジュの能力って……」
「私は……、跡が見えるの」
「跡?」
「ディリーが歩いた場所を追えば、辿り着くはず……」
「でも、それって、ディリー知っているよね……?」
「あ……」
「多分、ディリーのことだから、それくらいは考えてるよ。撒く方法なんて簡単じゃないか」
「……そうよね……」
「しかも、ここは学園だ。数時間前までディリーだって普通に過ごしていた」
「確かに……。やっぱりだめね……」
「いや、俺の方が役立たずだ」
「とりあえず、ディリーたちが入っていた屋敷内を探すのが賢明よ」
「そうだな……。しかし、ディリーは考えたうえでこの屋敷に入ったのだろうけれど、よりにもよって一番広い屋敷に入るとは……。困ったな……」
「ディリーはあぁ見えてすごく頭だけはいいから」
「そういえば、学年一位だったな……」
「負けず嫌いなのよ、かなりの」
「負けず嫌いの努力家ならいいじゃないか」
「まぁ、そうね……」
空汰はふと部屋の時計を見た。
「急いだ方がいいんじゃないのか? 翡翠が止められるとしても、十数分くらいだろう?」
「そうね。なら、まずは賭けないと」
「賭ける?」
「外も中も探している暇はない。だったら、外に隠したか中に隠したか定めてしまわないと」
「確かに……言うとおりだ。どちらだと思う?」
アンジュは考える素振りを見せた。
「ディリーは気紛れだから。交互に隠しているってわけでもないし、どちらかが多いわけでもない。もう、正直運しか……」
「なら……このまま中を探そう」
「どうして?」
「ここに入ってからずっと屋敷内を探している。なら、その努力は水の泡では無かったと自分は思いたい。それに、中を少し探しているなら、外を零から探すよりも一進んでいる方がいいと思わないか?」
「確かに……一理あるわ」
「ここからは、分かれて探そう」
「私は二階を」
「なら、俺は一階を探して、そのあと三階に行く」
「分かった」
二人は頷き合い、分かれた。
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「ディリー」
「ユウ。君に会えて凄く嬉しかった……。でも、僕は今、ゲームをしている最中なんだ。君はいつも見ていたから知っているよね」
「……見ていたことを知っていたのか」
「知っていたよ。残念ながら」
「……そうか」
「君はスカイを知っている」
「……知って……いる……」
「どこに隠したかは?」
「知らない」
「隠しても無駄だよ。君との話が出来たことはすごく嬉しかったけれど、だいぶ時間をロスしてしまった……。でも、僕は勝つよ」
「例え、俺がスカイたちが隠した場所を知っていたとしても教えない」
「フェアじゃないから?」
「違う。……教えれば、お前が死ぬだろうが」
ディリーはフッと笑うと、ニッコリと笑みを浮かべた。
「僕は不老不死さ」
「……死ぬ気か?」
「僕は死なないよ」
「ディリー。俺からお前に、言葉を贈ろう」
「言葉? 僕に?」
「そうだ」
「なんだろ~。気になるなぁ」
「『生きろ。生きて、幸せになれ』」
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一階には無かった。三階を見ていくが、未だ見つからなかった。
ふと窓の外に視線を向けた。
――――もしかして、外……だったか?
足音がして振り返るとそこに息切れしているアンジュがいた。
「どうだった?」
「ごめん……」
どうやら、二階にも無かったらしい。
「四階っ……見に行くから」
「分かった」
アンジュはそれだけ聞くと走り階段を昇り始めた。空汰は、階段の踊り場まで走りアンジュを呼び止めた。
「アンジュ!」
アンジュは息を切らしながら、立ち止まり振り返った。
「アンジュ……、巻き込んで悪かった……」
アンジュは微笑むと空汰の方に向き直った。
「ばかっ。任せなさいよ」
アンジュはそういうと、走り昇って行った。
空汰も三階を見始めた。
しかし、三階も見つからなかった。
四階にあがり、アンジュのところに行ったが、アンジュも見つけていないようだった。空汰は五階へと向かった。
どこを探しても見つからない空汰とアンジュの表情には焦りの色が浮かんでいた。
違う屋敷だったのかもしれない。外だったのかもしれない。
そこにアンジュがやってきた。
「アンジュ……」
アンジュは無言のまま目を伏せ、首を横に振った。
六階が最後の階だ。そこで見つけきらなければ、また一からになる。
空汰とアンジュは二人で最上階へと向かった。
「どこにあるのか……」
「見当もつかない……」
空汰はそう言いながら、壁にもたれかかった。
「屋敷内で隠せる場所で、見てないところは……」
「床、壁、屋根裏、妖たちの体の中……」
「そうだ……。妖たちの、体の中もいいんだ……」
「屋敷内には隠せる場所がたくさんある」
空汰は何かに気付いたのか、固まっていた。
アンジュは首を傾げて、空汰を見た。
「スカイ?」
「ど…………て………………た」
「え?」
空汰は固まったままロボットのように動き、アンジュの腕を掴んだ。
「どうして、気づかなかったんだろう」
「え? 何に?」
「ディリーは、確かにこの屋敷に入った……」
「えぇ」
「この屋敷の三階にあるのは、俺らの学年の教室」
「そうだね。それが?」
「ディリーは多分、負けず嫌いだけど、優しい……」
「優しい?」
「負けたくはない。でも、呪いは解きたい。内心はそう思っている。もちろん、それを表には出さないけれど、確かにそう思っている」
「どうしてそんなことを思うの?」
「自分に勝る存在がいた。ユウという存在が。ディリーはユウと勝負がしたかったと考えると……」
「勝負をする前に去ったから、出来なかった」
「その通り。ユウを覚えているってことは、何かしら理由があるはず」
「何がいいたいの?」
「ディリーは負けず嫌いで勝ちにこだわる。でも、それはフェアな状態だ。明らかに自分が勝つという状態で勝ったって面白くも嬉しさもない。だから、よく考えればその人にとってすぐに分かる場所に隠している」
「翡翠に自分を助けてほしいと、思っていたのなら、尚更。誰かに助けを求めていた。だったら……。必ず俺たちが分かる隠し場所だ」
「私達の学年がある屋敷ということが偶然ではないとしたら……」
何か、何かあるはずだ。俺も知っていて、アンジュも知っていて、ディリーも知っている場所が……。必ず、どこかに……。
空汰はハッとして顔を上げた。
「アンジュ、分かった。急がないと!」
空汰はそういうなり走り出した。アンジュも急いでそのあとを追いかける。
二人は四年Sクラスの教室に入った。そして、見つけた。
空汰は隠し場所に近づき、手を触れた。
すると、光を放ちながら小枝が出てきた。
空汰は小枝を手に取ると、笑みを浮かべた。
――――やっぱり……
❦
ナッツとディリーは、マランツとローリーが居る噴水のところにいた。
ローリーが首を傾げた。
「どうして、戻ってきたのです?」
ディリーは笑みを浮かべていた。
「探しても意味ないからね」
「意味がない?」
「だってさ……。あっちの隠し場所は自分たちだからね」
「自分たち?」
「スカイかアンジュ。どちらかが小枝を隠し持っているんだよ」
ローリーはナッツを見た。
「た、確かに。その通りです!」
ナッツがそういうのなら、本当なのだろう。
しかし今までゲームをしてきた中で、隠さずに自分たちで持っている者は初めてだった。それを冷静に判断出来てしまうディリーに少し恐怖を覚える。
「マランツ、ローリー、ナッツ」
マランツとローリー、ナッツは、呼ばれディリーを見た。
ディリーは、スカイペアが戻ってくるであろう方を向いていた。
「もうすぐ…………――」
マランツとローリー、ナッツの顔色が変わった。
そこに空汰とアンジュが戻ってきた。
空汰の手には小枝が握られていた。
ディリーはニッコリ笑みを浮かべた。
「おかえり~。アンジュ、スカイ!」
空汰はディリーを見た。どうやら気づいているらしい。空汰は懐から小枝を取り出した。自分たちがどこかに隠すべき小枝だった。
「あ、見つけた! やっぱり、君たちが持っていたんだね!」
「気づいていたから、ここで待っていたんだろう?」
「まぁ……そうだね。でも、君等がここに来るかどうかは正直分からないよ」
「俺らなら見つけると、思っていただろ?」
「確かにそうだね。隠し場所はよく考えれば誰だって分かるさ」
「サシに隠すのは、良い案だ」
「褒めてくれてありがとう! 僕こう見えて褒められたことが少なくて、褒められると嬉しいんだ!」
「で、俺はこの小枝をここに持ってきた。俺らの勝ちか?」
奥に立っているマランツがこちらに視線を向けた。
「俺に手渡さなければ勝ちにはならない。簡単に言えば……」
マランツが言うよりも早くディリーが動いていた。
ディリーは空汰の持っている小枝目掛けて飛んできたが、空汰は瞬時に避けた。
「へぇ……。意外と瞬発力は良いんだね」
「い、一応……」
ディリーは嘲笑を浮かべアンジュを見て、空汰を見た。
「アンジュの能力は役に立たないでしょ?」
「このゲームで能力をあまり使ってはいけない。お前らだって、あまり能力は使わないだろ? だから俺は、アンジュの能力については知らない」
ディリーはアンジュを見た。
「良い友達が出来たね、アンジュ」
「うるさい」
アンジュはディリーから視線を逸らした。
そこからは速かった。決着がつくのが速かったのではない。ディリーと空汰の動きが速かった。
ディリーが小枝を奪おうとする。
空汰はそれを避ける。
互角に戦う空汰を見たローリーとマランツ、ナッツは唖然としていた。
「なぁ、ローリー……」
「えぇ、あのディリーと互角に戦っていますね……」
「俺、あいつが負けるところ想像出来ないんだけど」
「私も出来ません……」
「何で、今回は俺じゃなくて、ナッツを……」
「マランツではなく、ナッツにしなくてはいけなかった理由があるはずです……」
「ディリーは何を考えているんだろうな……」
「私には分かりません。勉強は分かっても、ディリーの考えは本当に分かりません。ずっと解けない難題です」
「俺にも分からない……。でもよ、今分かることが一つだけあるよな……」
「えぇ、ありますね」
「ディリーが……」
「負けてしまう可能性があります」
マランツとローリーは、ふとあることに気付き、フッと笑みを浮かべた。
ディリーは未だ余裕の笑みを浮かべていた。
空汰はそんなディリーの笑みに気を許さないようにディリーの動きをしっかりと目で追っていた。一つ反応が遅れれば負けてしまう。それくらいは分かっていた。ディリーに取られる前にマランツに小枝を渡せばいいだけである。距離にすればそれほどない。
空汰とディリーは同時に立ち止まった。二人とも息を切らしているが、まだ、余裕はあるようだった。
「ディリー。どうして、そんなに勝ちにこだわる?」
「負けず嫌いなんだよ」
「それだけじゃないだろ?」
「……僕には両親がいた。もちろん、今はいない。昔まだ生きているとき、両親は僕にこう言ったんだ。『出来の悪い息子はいらない。お前は他人だ』と……。両親は僕に比べてとても優秀だったよ。伯爵家では勿体ないくらいにね。でも、僕は全然だめだった。優秀な両親のもとに生まれた子供なのに、ダメダメだった。両親に負けたくなかった……。もちろん、誰にも……。もう、要らないと誰にも言わせない」
「ディリー。君はダメな妖なんかじゃない」
「もういいんだよ。此処まで来てしまったから。後はこのゲームに勝つだけ」
「ディリー。君は今一人でこのゲームをしているのか?」
「基本僕はいつも一人だったよ」
「ディリー……。このゲームは、最初から最後までペアなんだ」
「だから何? アンジュは用無しだしナッツは体力があまりないから、動き回ることは出来ない」
「それでも、今回君はナッツを選んだ」
「適当さ」
「そうは思えない。君は自分がすることに必ず意味を持ってしている。ナッツを選んだ理由があるはずだ」
空汰がそういうと、ディリーはナッツを見た。ナッツはディリーを真っ直ぐに見ていた。
ディリーはため息を吐き、視線を戻した。
「悪いけど、僕は僕だけで戦う。今までだってペアと言いながらも一人で戦ってきた」
「そこに仲間が居たから、勝てたんだ」
「違う。このゲームも一対一だよ!」
「ディリー。ゲームは君の負けだよ」
空汰はそういうと、ある一点を指さした。
ディリーはその指先から線を辿るように見た。するとそこには、アンジュとマランツ、ローリーが立っていた。
マランツは困ったように笑みを浮かべると、ディリーに見えるように小枝を手に持った。
ディリーは固まっていた。
「言っただろ? 最初から最後までペアなんだと」
「……君が持って……いたじゃないか……」
「途中まではな」
「途中……まで……?」
「君が奪おうとしているのは俺たちが隠すべき小枝。だとしたら、俺が二つ小枝を持っていたって奪おうとする方の小枝にしか視線がいかないはずだ。だから、ノーマークのアンジュに小枝を渡してしまえば、ディリーは俺の小枝に集中して、気づかずに勝てると思った」
「……そ……ん…………な……馬鹿な……」
マランツとローリーとアンジュが空汰とディリーのもとに近寄ってきた。
マランツは空汰からもう一つの小枝を受け取った。
「今回のゲームの勝者は……」
マランツはディリーに憐みの視線を向け、決心したように空汰とアンジュを見た。
「スカイ、アンジュペア!」
空汰は自然と笑みが零れた。
空汰がアンジュに声を掛けようとした瞬間、甲高い音が鳴り響いた。
皆がその音に驚き顔を上げていた。すると、屋敷の屋根の上から誰かが飛び降りてきた。
「スカイ、アンジュ、ローリー、マランツ! 離れろ!」
四人は咄嗟に言われた通りに後退った。
すると、甲高い音の最後に妙な抑揚が鳴った。
空汰は不思議に思いながらもしゃがみ込んでしまっているディリーに視線を向けると、ディリーを中心に魔方陣が浮かんでいた。
ディリーもそれに気づき立ち上がり逃げようとするが、魔方陣がそれを許さなかった。どうやら足止めの魔方陣らしい。
屋敷から飛び降りてきた人影は着地に失敗したのか少しよろよろとしていた。
どうせ登場するのなら、もっと格好良く登場してほしかった。
人影はきちんと立つとディリーに視線を向けることもなく、他の全員を順番に見ていった。
「俺のほかに妖力に自信があるやつ、三人手を貸して欲しい」
空汰はようやく声で誰か分かった。ここにはじめに来た時とはまた姿が変わっていた。空汰が名を呼ぼうとすると、男は小さく首を振った。
アンジュが小声で言った。
「あれ、ユウこと翡翠よね?」
「ここではユウと呼んだ方がいい」
「そうね」
ナッツが皆の元に走り寄ってきた。
「君は誰……?」
「俺はユウ。ディリーの……良きライバルだ」
ローリーはディリーを捕らえられ動揺していた。
「今から一体何をする気です!?」
翡翠は当然といった様子でローリーを見た。
「呪いを解く」
「どうやって!?」
「やめろ!」
ずっと黙っていたディリーが声をあげた。翡翠以外全員が驚き、肩をピクリと震わせた。翡翠は、静かにディリーを見据えていた。
「僕の……呪いは解かなくていい……。殺せばはやい話だ……」
ナッツは驚いてディリーのそばに近寄った。
「そんな……」
翡翠は近寄りすぎているナッツを見た。
「ナッツ、離れなければお前も陣に捕まるぞ」
ナッツはその言葉を聞いて一歩下がった。
翡翠は面倒くさそうにディリーと視線の高さを合わせると一瞬空汰を見て、ディリーを見た。
「殺されて逃げるのか?」
「え?」
「死んで逃げるんだな」
誰かと一緒だ。
「僕は……」
「言ったはずだ。『生きろ、生きて、幸せになれ』と」
「生きて幸せなやつなんていないよ」
「だったら話がはやい。そういうことだ」
翡翠はスッと立ち上がった。
あまりの呆気なさにディリーは顔をあげた。
「え……」
「生きていてもいいことばかりじゃない。でも、お前はこれまで嫌なことも多かった。他人を殺してきた分、これから背負う罪も軽いものではない。だが、苦あれば楽ありだ」
「……僕は……生きる価値なんて……」
「生きる価値なんて関係ないし知るか。価値は自分でつけるものでも、誰かがつけるわけでもない」
「生きる意味だって!」
「生きる意味? 俺だって、何で生きているのかなんて知らねぇし、ここにいるやつらだって、それは知らないと思うぞ? 生きる意味なんて探すだけ無駄だと思うけどな……。でも、もし生きる意味を知りたいのなら、俺はこう思う。……生きる意味を見つけるために、生きているんじゃないのか?」
「生きる意味を……見つける……」
「確かに生きる意味は人それぞれだから、一概には言えないけどな」
「僕は……」
「無いと思うのなら俺は今からお前を殴る」
「……は?」
「お前には生きる意味がある。俺がひとつだけ教えてやる。他の意味は自分で探せ。
お前はお前に殺されて生きたかったのに生きることのできなかったやつの分まで生きろ。それが、せめてもの償いだ」
「……そう……だな……」
「さてと、誰か三人手伝ってくれないか? これは、四人いないとダメなんだ」
空汰は進んで手をあげたが、翡翠に即断られた。それもそうだ。未熟者すぎるから、危険なのである。これは失敗すれば、ここにいる全員がディリーの呪いによって殺される。ディリーだってここにいる者達が自分の呪いで殺されるところなんて、見たくないはずだ。
そして、翡翠、ローリー、マランツ、アンジュの四人が呪いを解くことになった。
翡翠はディリーから少し離れたところで手を合わせ、呪文を唱えた。すると、地面にディリーの足止めをしている魔方陣とは別の魔方陣が浮かび上がってきた。
翡翠はディリーに視線を向けた。
「ディリー。来い」
翡翠がそういうと魔方陣は散った。ディリーは動けるようになり、よろよろと立ち上がりふらふらと自ら新たな魔方陣の中央に立った。
四人は対角線上に中央を向いて並んだ。
空汰とナッツは少し離れた噴水の前に立ち様子を窺っていた。
翡翠がなにやら三人に指示を出していた。残念ながらここからでは、何を言っているのか分からない。
しかし、最後の一言だけは口の動きで分かった。
『ディリー、俺はお前の友達だ』
ディリーが顔を上げた瞬間、四人は順番に呪文を唱えていった。
魔方陣が光り、風が吹いていた。
ディリーはもがき苦しんでいた。離れていても声が聞こえる。
空汰は耳を塞ぎたいと思ってはいたが、それは現実から逃げているようで止めた。ナッツに視線を向けると、ナッツの瞳からは涙が流れていた。
「ナッツ……」
ナッツは空汰の声に、自分が泣いていることに気付いた。
「ご、ごめんなさい」
「泣いてもいいと……思う」
「僕は……ディリーのために、何もできませんでした」
「そんなことないと思うよ」
「いいえ。僕は、他の二人と違って、妖力だってそんなに強くないから」
「それでも、あの遊び好きのディリーがさ、ナッツを殺さなかったってことは、自分のそばにおいていてもいいと思われたからじゃないのかな」
「気紛れですよ……」
「そうかもしれない。だけど、俺から見たら、君等四人はとても楽しそうだった。多分、生徒会で見せていたディリーのあの笑顔は、本物じゃないかな」
「え…………」
空汰はナッツに微笑みかけた。
「俺、ここにきてまだ二週間だから、まだよくわかってないけど、クラスで見せる笑顔と生徒会で見せる笑顔はやっぱり全然違った」
「それなら……良かったです……」
「嫌なやつがいる前で本物の笑みは見せないよね」
ナッツには笑みが浮かんでいた。
「確かにそうですね……。実は、殺されてもいいと思っていました」
「でも殺されなかった」
「はい……。何故殺さないのか、それが不思議でなりませんでした。でも、僕は気づいたらまだ生きているといわれただけでも嬉しかったのです……。生きて此処にいると言われたような気がして……。……でも、勝手に僕がそう解釈しているだけですけどね」
「良いと思うよ。どう解釈しようと勝手だ。それにディリーは、優しいから」
「知っています。すごく優しいことくらい」
「彼を取り巻く環境が悪かっただけだ」
「呪いが解けたらディリーはどうなるのでしょうか……。やっぱり罪に問われてしまいますかね……」
「普通はそうだね。あとは、妖長者様次第じゃないのかな」
「妖長者様……翡翠様は、どんな方なのでしょうか……」
「会ったことが?」
「無いのです」
「あ、そっか……ナッツは……」
「濁さなくても大丈夫ですよ。僕は、妖力もあまり使えない中級妖なので、妖長者様が拝見できるような場所に参加したことがありません」
「そっか……」
空汰は必死に頑張っている翡翠を見た。
「妖長者様は多分、すごく強くて優しくて、時に怖くていつも誰かの事を考えてくれているいい人だと思うよ」
「そうだと……いいですね」
「そうだね」
突然あたりが静かになった。
空汰とナッツは異変を感じ、ディリーを見た。
ディリーは、ぐったりと倒れ込んでいた。それを静かに見据える四人。
空汰とナッツは慌ててディリーのもとに駆け寄った。
「ひ……、ユウ。どうなった?」
「一応呪いは解けたと思うが…………」
「どうした?」
「負荷が大きすぎた」
「……まさか」
空汰はディリーを抱きかかえた。ぐったりとしている。
「ディリー! ディリー! 目を開けろ! ディリー!」
静かすぎる。
どうやら、また時間が止まっているようだった。多分、呪いが解けた余波だろう。
「ディリー! 頼むから起きてくれ! ディリー!」
「スカ……」
「ユウは黙ってろよ! ディリー!」
空汰は黙り込んだ。
ディリーは一向に目を覚ます気配は無かった。
❦
「全く、日課さえきちんと提出出来ないとは……。あと一週間あるのだが、大丈夫なのかね?」
「……はい」
「全く」
ケンジは吐き捨てるようにそう言うと、椅子に座った。かなり怒っているらしい。
「それで!?」
「……」
「妖長者様!」
空汰はビクッと震えた。
「何なんですか!」
「申し訳ありませんでした……」
「あと一週間、妖長者だとバレずに過ごしてくださいね!?」
「……」
「分かりましたか!?」
「はい……」
「……それで、ディリーの容体は如何なのです?」
「……未だ、目を覚ましません」
❦
ディリーが目を覚まさないまま一週間が過ぎた。
しかし、日常は変わらず過ぎていった。
空汰はケンジに怒鳴られため息を吐きながら、医務室に入った。するとそこには、あのメンバーが全員集まっていた。
「よ!」
何故か翡翠もいる。もちろん、マランツたちの間ではユウということになっている。
「ディリーは?」
「まだだな……」
マランツは小さな声で言った。
「このままかもしれない……って」
「ユウ。ちょっといいか?」
翡翠と空汰は医務室から廊下に出た。
「何だ?」
「ちゃんと呪いは解けたのか?」
「解けた。だが言っただろ? 負荷が大きすぎたと」
「死んではいないんだな?」
「あぁ……。だが、空汰。お前に言っておかなければいけないことがある」
「言っておかなければいけないこと?」
「あの時、確かに呪いは解けた。だが、呪いが消え散るとき……アンジュにその一部が乗り移った」
「乗り移った!?」
「静かにしろ」
「……本人には……」
「伝えていない。多分、本人も気づいてはいない」
「乗り移ったらどうなる?」
「乗り移ったのは呪いの欠片だが、呪いに大きさは関係ない。中に入れば成長だってするやつもある」
「じゃあ……」
「アンジュが誰かを殺さない限り、アンジュは死ぬ」
「アンジュ…………が……死ぬ……。な、なら……それも、解けよ!」
「それは無理だ」
「何でだよ! アンジュは人間だぞ!」
「だから無理なんだ」
「え……」
「人間にこの呪いを解く負荷はディリー以上に大きすぎる。魔方陣に入っただけでも死に兼ねない」
「じゃあ……」
「残念だが、アンジュが誰かを殺し続けない限りは生きられない。助けることも出来ない……」
「期限は……」
「ディリーは一ヶ月に一回くらいのペースだった。だが、今月は未だに誰も殺していない」
「俺らが勝ったからな……」
「もって後、……一週間だ」
「一週間……」
「伝えるか?」
「……伝え……ない」
「言うと思った」
二人は黙り込んだ。
「翡翠、何で、勝たなければならなかったんだ?」
「二重の呪いだからだ」
「二重?」
「ディリーは掛けられたときから、負けず嫌いでどんどん優秀になっていた。意味が分かるか?」
「ディリーは勝つより、負けることの方が難しいから……」
「呪いを解かせないためだ」
「ちなみに……その呪いをかけたのは……」
「お前ならもうとっくに分かっていると思っていたがな」
空汰はその一言が思いがけず嬉しかった。
そこにドンッ!と医務室のドアが無造作に開けられ、アンジュが飛び出してきた。
「ディリーが! 目を覚ましたよ!」
二人は顔を見合わせ、医務室に入った。
翡翠が空汰にだけ聞こえるような小声で言った。
「ディリー本人だ」
呪いをかけたのは自分自身。ディリーがディリーにかけた呪いだった。
ディリーはきっと昔、頭がよくなってやろうと、妖力が強くなってやろうと、かなり独学で勉強したに違いなかった。その時、自分自身気付かずに呪文を読んでしまい自分自身にかけてしまい、かけてしまった後にどんな呪いかを見たのだろう。解くに解けず、今に至ってしまった。しかし、悪いのはディリーだけではなかった。ディリーを見放した両親のために、頑張った結果がこうさせたのだから。
ディリーはベッドの上で座り、自然な笑みを浮かべていた。
ここにいる全員が素敵な笑みを浮かべている。
ユウを見たディリーが無邪気な笑みを浮かべた。
その笑顔を見た翡翠も自然と笑みを浮かべていた。
空汰はディリーが目覚めたことに喜ぶ皆を見て、微笑んだ。
ずっとこんな時間が過ぎて行けばいいのに、それは叶わない。神様は意地悪だ。
一週間後、俺は此処を去る。
一週間後、アンジュは死ぬ。
一週間後、ディリーも学園を去らされる。
一週間後からすべてが動く。今のこの状態のまま時間を止めてほしい。
こういうときに、ディリーの力を使いたいと思うのはいけないことだろうか。
それから数日間は医務室に似合わず騒がしかった。
❦
学園を去るまで、残り一日。
アンジュが死ぬまで、残り一日。
ディリーが学園を去ることになるまで、残り一日。
空汰は学園に登校前に、ケンジの部屋にいた。
「本日で最後です。本日学園から帰宅後、日課とともに報告書を提出願います」
空汰はケンジを見据え、黙っていた。
「もしかして、去りたくないとか……言い出しませんよねぇ?」
「ディリーを……どうするつもりだ」
「刑に処す」
即答だった。
「どなたかの傘下に彼がいるのであれば、易々と手は出せないが、彼は独り身ですからねぇ」
「……呪いのせいだ」
「関係ない」
また黙り込む空汰を見て、ケンジは呆れた顔をした。
「ふざけるのも大概になさってください、妖長者様。そろそろ、屋敷を出ないと間に合いませんよ?」
空汰は一礼すると、何も言わずにケンジの部屋を後にした。
❦
翡翠は学園内の庭に、アンジュと二人きりでいた。
「ありがとうございました、翡翠様」
「ここでは、その名で呼ばないでください。アンジュ様」
アンジュは気恥ずかしそうだった。
「様はいりません。いつから気づいていたのですか?」
「俺はこの学園を卒業していませんが、アルバムは持っています。学年別の集合写真……。俺のクラスは定期パーティーの最終日に撮られたものです。その背後に、貴方様が写っていました」
「今日がその定期パーティーの最終日よ。知ってた?」
「はい。スカイは参加すると思います」
「あら、貴方は来ないのね」
「身を隠しているので」
「残念」
「すみません」
「ユウ様、貴方は今妖長者をしていませんね?」
「……お察しの通りです。スカイが妖長者をしています」
「やっぱりね」
「それこそいつからお気づきに?」
「スカイと名乗る男の子に初めて会った時からよ……。貴方に雰囲気が似ていたもの」
「スカイはとてもいいやつです」
「でしょうね。貴方が根は良い人だもの」
「そんなことはないですよ。俺は最低な人間です」
「私だって人間だもの」
「アンジュ様」
「だから、様はいらないわよ」
翡翠は、静かに穏やかに哀しそうな表情をしていた。
「もう……ご存知ですね……?」
アンジュは服を風に靡かせながら、翡翠に背を向けた。
「……えぇ」
「貴方様なら気づいていると思ってはいましたが……」
「私だって、伊達に妖世界を人間として生きているわけではないもの」
「怖くは……ないのですか?」
「死ぬことが? そうね……。怖くないといえば嘘かもしれない。でも、私は代替わりするのよ!?」
そう言いながら振り返るアンジュの表情には哀しげな笑みが浮かんでいた。
「アンジュ様……」
「私に様は不必要よ……」
「土地神に様は必要です」
「楽しかったぁ……。この学園を守るのは……」
「今までディリーがこの学園内で殺した妖たちは、生きていますね?」
「もちろんよ、私の領域内で殺させるわけがない。少し離れた街で本当の名を変え、生きているわよ」
「それでも、ディリーが生きていたのは……」
「あの呪いは不完全だった……。私に移るまではね」
「貴方様の妖力を吸い、本物の呪いとなられました……」
「その通り。不完全な呪いはその者への負荷が大きい。飛んでくるとは思わなかったけれど」
「代替わりされても……」
「アンジュはアンジュよ。私は神に成りきれなかった天使。アンジュとして、この学園をこれからも守っていく」
「アンジュ様……」
「ユウ様、大丈夫です。……寧ろ私は、スカイ……空汰の事が気になります」
「名を……」
「知っていますよ。会った時から」
「そうでしたか……。土地神様の領域には安易に入れませんね」
「入ってらっしゃい。また、新たな私に会えるわよ」
「そうですね。隠れて会いに行きましょう」
「空汰の事はきちんと守ってあげなさい。黒い影が近づいている」
「黒い影……」
「貴方達が追い求めている何かかもしれないわね」
「そうだと……良いのですが……」
「ディリーをよろしくね」
「空汰がもう考えているようです」
「それなら安心ね」
「信じてくれるのですか?」
「貴方達二人は絶対に信用できる。私はそう思います」
「ありがとうございます」
「じゃあ、翡翠様、さようなら」
翡翠は深く一礼をした。
数秒後顔をあげたが、そこにもうアンジュの姿は無かった。
また今日もいつものように過ぎて行く。何も変わらず、静かに、ただ淡々と……。
❦
「遅いぞ! スカイ!」
「ご、ごめん」
「そうだよ~、もうっ、スカイ、一緒に参加しようって言ったのに!」
「ごめんね、ディリー。それから、サシも」
三人は定期パーティーの最終日に参加した。
会場に入ると、中央にたくさんの料理が並び和気藹々としていた。
サシと空汰はディリーに引っ張られ中央の料理を手に取った。
そこにアンジュがやってきた。
「私も良い?」
「アンジュ! もちろんだぜ!」
サシが手を引く。しかし、アンジュはサシの腕をほどき、ディリーの手を取った。
ディリーは困ったようにしていたが、アンジュが微笑みかけると、笑みを浮かべ照れていた。空汰とサシはそれだけで、ディリーを弄れた。
凄く楽しかった。もうその一言だけで分かってほしい。
そこに生徒会メンバーも集まってきた。学校生活の中で、こんなに楽しいことは無い。このメンバーが表で仲良くすることもない。しかし、今日だけは特別だった。
このメンバーで過ごすことの出来る最後の日だから。
パーティーが進み、空汰は夜風に当たろうと外に出た。すると、ディリーもついてきた。
「楽しいね」
「そうだな……。こんな時間がずっと……」
「無理だね……」
「そう……だね……」
「多分僕もこの学園を去らなければならない。そして、きっと殺される」
「……ディリー……」
「良いんだ。僕が悪かったから。受けるべき罰は受けないと」
「生きようと決心したんじゃなかったのか?」
「生きるよ。精一杯に。殺されるその日まで」
外で何やら話している空汰とディリーを、アンジュは静かに眺めていた。
――――空汰様、……ディリーをお願いします
❦
コンッコンッ
「どうぞ」
空汰は扉を開けて入った。
そこには学園長が笑みを浮かべて座っていた。
「どうされましたかな?」
「報告があります」
空汰はそういうと、力で隠し持っていたファイルを取り出すと学園長に差し出した。その時、扉がノックされ、担任のカケイラが入ってきた。空汰があらかじめ呼んでいたのだ。
三人ともソファに座り、学園長は受け取ったファイルを読み始めた。
そこには、ここ一ヶ月の学園の様子から状況まで全て書き込まれていた。もちろん、ディリーのことも……。
そして学園長は読み終わると、静かにファイルを置き、唸った。
「うーん……」
どうやらディリーの事をあまり知らなかったようだ。
「まさか、妖長者様だったとは……」
「秘密にしていて申し訳ありませんでした」
「ディリーは、退学処分ですね」
「はい。決定事項です」
「……今朝、アンジュという生徒が姿をくらましました。関係ありますか?」
「……ありません」
ある、とは言えなかった。
「アンジュという人間は、天使よりの神です」
「天使よりの神?」
「俺もよくは知りません。ですが、彼女がこの学園を守ってきた土地神であることは確かです」
「それがいなくなったということは……ここも危なくなってしまうのかもしれませんね」
「それはありません。……詳しくは言えませんが」
「そうですか……。それなら、少し安心です」
「詳しく話せなくてすみません」
「大丈夫ですよ。あなたは、良い生徒でした」
「そんなことは……」
「もともと、気にはなっていたのです。ディリーは、妖関係が苦手でした。でも、ここ最近本当に楽しそうでした」
「俺たちもすごく楽しかった……。できればもう少しこの時間を過ごしたい」
「この学園をどうなされますか?」
「どうにもなりません。ただし、ディリー、ローリー、マランツ、ナッツは退学を命令します」
「分かりました。我々はどうしましょう?」
「カケイラ先生は一ヶ月休んでください」
カケイラは驚いたように空汰を見た。
「どうしてですか?」
「疲れ。……溜まっているように思います」
「……ありがとう……ございます」
「それから、学園長」
「はい」
「実のところ本当はもう少し重い処罰を考えられていたのですが、俺は違います。この学園を一生守ってください。辞めることは許しません」
その言葉を聞いた瞬間学園長の表情は日が差したように明るくなった。
「ありがとうございます!」
「これからも、暁月記学園学園長として、新たな生徒会を築いてください」
「はい!」
空汰は笑みを浮かべると、ファイルをもう一度隠し立ち上がった。
「俺はもう少しこの学園で、学びたかった……。お世話になりました」
学園長とカケイラはスッと立ち上がり、笑みを浮かべた。
「こちらこそ、ありがとうございました!」
「スカイ、また戻ってきてくださいね」
「カケイラ先生、ありがとうございました」
空汰は二人の視線を背に感じながら、学園長室を後にした。
翌日、生徒会メンバーは全員退学となった。
❦
ディリーは妖長者の屋敷に来ていた。
応接間に通され、緊張しながら椅子に座った。
今日は処罰を言い渡される日である。死ねと言われることぐらい分かってはいるが、それでも生きたいという思いが募る。
殺しの処分を言われれば、少しだけ抗うつもりで来た。
自分のために死んでしまったアンジュのためにも生きたい。そして、代替わりしたアンジュに会いに行きたい。
ノックのあと、扉が開いた。ディリーはスッと立ち上がる。入ってきた人物を見たディリーは固まっていた。
「……え!?」
「やぁ、久しぶり。ディリー」
「……どうして?」
「改めまして初めまして、妖長者の翡翠裕也と言います」
ディリーは驚きのあまり声が出なかった。
しかし、状況をのみこむと笑いが溢れた。ディリーは笑いすぎてお腹が痛くなった。
「あぁ、なるほど。ようやく分かったよ。それで一ヶ月か」
「ディリー。俺今から長老のところに追加の報告書を提出しに行かなければいけないから、時間があまりない。たくさん笑って話したいけど、今日は無理そうなんだ」
「そっか、やっぱり妖長者様は忙しいね」
「でも、明日なら話せるかもしれない」
「明日? じゃあ、僕は死なないの? 殺されないの?」
「ディリーを殺す? 有り得ない。今回の公務を担当する長老に言われたんだ」
『どなたかの傘下に彼がいるのであれば、易々と手は出せないが、彼は独り身ですからねぇ』
「逆に言えば、誰かの傘下にディリーが入れば殺されない。君が生きたいと望むなら選択肢は無いよ」
「生きたい……。僕、生きたい!」
「守護者として、俺に仕えないか?」
❦
ローリー、ナッツ、マランツは代替わりをしたアンジュのもとを訪れていた。
可愛らしい女の子が、無邪気に駆け回っていた。世話役の人は大変だろう。
そんな無邪気なアンジュを見て、ローリーはマランツとナッツを見た。
「アンジュはアンジュなのに、やっぱり違いますね」
「ディリーとは、本当にお別れになるのかな……」
「ナッツ、そんな哀しい事を言うなよ」
「でも、マランツ、ディリーは……」
『マランツ、ローリー、ナッツ。……もうすぐ…………お別れだね。今までありがとう』
ローリーはゲームの終盤に見せたディリーの悲しげな笑みを忘れられずにいた。いや、ここにいる三人全員が忘れることはないだろう。
ディリーは多分、殺されてしまう。もう、会えない。
❦
暁月記学園の公務も終わり、報告書も提出した。ほぼ日記のような報告書に、ケンジはかなり怒っていたが、ケンジに怒られるのも少し慣れてしまった。
そこにいつものように、翡翠が顔を出した。
「疲れたなぁ」
「楽しんでいたくせに」
「お前の方がパーティー楽しそうだったじゃねぇかよ」
「まぁ、それはそれだ」
「まぁいいけど。今回は結構頑張っていたからな」
「翡翠が褒めると気持ち悪いな」
「はぁ!? もうお前知らねぇ!」
「いやいや、落ち着けよ」
「あ、そういえば、何で守護者に?」
「傘下に居ればいいと言っていたから」
「式にしたらよかったじゃねぇかよ」
「式は少し縛りすぎる。あくまで自由を与えてあげたいから」
「よく長老を黙らせたな……」
「翡翠と違って頭は良いから」
翡翠はじーっと空汰を睨んでいたが、何も言わずに窓際に近寄った。
「あ、ちょっと!」
「もう、俺、お前嫌い!」
「はいはい」
「本当だからな!」
「なぁ、翡翠」
「何だ」
「妖町祭りがあるんだろ?」
「……あるよ」
「そっか~。あ、そうだ。羽ペン、ありがとな」
空汰の何か言いたげな表情に翡翠はため息を吐いた。
「……行くか?」
「え、行けるのか!?」
「いや?」
「はい、出ましたー。はい出ましたよー、皆さん。翡翠の勝手に抜け出すやつ」
「行きたくないなら置いていくが?」
「お前、行くのかよ」
「だって、初めて、自由に見て回れるんだ。行かない手は無いだろ?」
空汰は頷いた。
まぁ、確かにそうだ。
「俺も行く!」
「じゃあ、一週間後な!」
「妖町祭りって一週間後?」
「そうだ。相当楽しいぞ!」
「楽しみにしておく」
「それまでに文句言われてもいいように、公務は終わらせておけよ。溜まってるんだから」
「無理だな」
「断言するな!」
「まぁ、出来る限りは」
「ちゃんとしておけよ」
「はーい」
空汰はボーっとしていたが、あることを思い出し翡翠を見た。
「おい」
「今度は何だよ」
「書斎も図書室もぐちゃぐちゃだったって、黄木に怒られた」
翡翠は苦笑を浮かべた。
「誰だろうな~」
「お前だろうが!」
❦
珀巳は、自室で本を読んでいた。
そろそろ妖長者に話さなくてはならない。
澪と名乗る男にも言われた。
今度は必ず話そう。
どんな結末が待っていても……話さなくてはならない。謝罪しなければならない。
追い出されてもいいように、荷造りを……しておかなければならない。
――――翡翠様……
❦
「珀巳?」
「そう、結局返事をもらっていなかったからな。珀巳をこれからどうするつもりだ?」
「え? あぁ、そういえばそうだっけ?」
「あぁ」
「どうするって言われてもなぁ」
「まず、話を聞かないといけないだろ?」
「話?」
「どうして裏切ったとか、遅刻の理由とか……」
「あぁ……。そういえば……」
「お前なぁ……。忘れていたわけじゃないだろうな?」
「いいや、忘れてはいないけど……」
「ならなんだよ」
「お前さぁ、一つ聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「花が咲き誇る小川のある中庭を知っているか?」
「……あぁ、知っている。回廊のところだろ?」
「そうだ」
「そこがどうした?」
「男の子に出会ったことは?」
空汰はスッと立ち上がった。
「知っているのか!?」
翡翠は横目で空汰を見た。
「知っているけど……」
「誰なんだ!?」
「……名は、澪」
「澪!? お前の式と同じ名だな」
「確かに名だけはな」
「名だけ?」
「お前って本当にバカだな」
「急に悪口かよ」
「いやぁ、筋金入りのバカだなって」
「……澪は人型になるのか?」
空汰がそう言った瞬間、翡翠が吹き出し笑った。爆笑する翡翠を横目に、空汰はため息を吐いた。
「澪はまず、言葉話せない時点で気づけよ! お前バカだなぁ!」
「バカって言った方がバカ」
「小学生かよ!」
「うるせぇよ!」
「お前面白い」
「で、知ってるなら教えろよ」
「お前、本当に分からないのか?」
「分からない分からない。さ、教えろ」
翡翠は笑みを浮かべていた。
そこに蝶の澪がやってきた。澪はチリンチリンと綺麗な音を鳴らした。
空汰には全く聞き取れないその音と、澪というその男の子には明白な違いがあった。
翡翠は、用意されていたお菓子の中から棒付きの飴を手に取り銜え、空汰を見た。
「あの男の子は――」