妖術
妖術。妖力の強さによって、使える術も異なる能力の一つである。
中級妖以上が使え、容易に操れるものから困難なものもある。妖術は、基本、練習あるのみである。ただし、中には失敗すれば自分に危険が及ぶものもあるので、使うときは注意が必要だ。特に相手の命を奪うような妖術は……特に……。
「まずは簡単なものから、行くか……」
「そうしてくれ」
「今何が出来る?」
「いやいや、俺、超素人」
「じゃあ……」
そういいながら、翡翠は机の上から羽ペンを手に取ると、空汰の目の前の床に置いた。
「これを浮かせてみろ」
「……どうすれば?」
「あ……」
翡翠は苦笑しながら、思い出したように本棚から呪文の本を手に取ると、あるページを開き空汰に差し出した。
空汰はそれを受け取ると、首を傾げた。
「で?」
「浮遊呪文だ。浮かせたいものに集中して、呪文を唱えるだけでいい。特に手はいらない。慣れれば、操ることが出来るから、その時は人差し指を立てて操ってみるのもいいが……、まずは、浮かなければ始まらない」
「これを浮かばせられればいいんだな?」
「そうそう簡単にはいかないよ」
空汰は本を二、三度確認して、羽ペンをじっと見た。そして、心を落ち着かせ呪文を唱えた。
すると、羽ペンが少しだけ浮いた。
それを見た翡翠は、目を丸くして驚いた。
――――簡単だろうとは思っていたが、まさか一発で出来るとは思わなかった……
空汰が気を抜くと、羽ペンは落ちた。
「出来たぞ! こんなに簡単なのか!」
「いや……まぁ、簡単だけど……」
「そんなに驚くことか?」
「まぁな。大したものだ」
「やった!」
「じゃあ、次は動かしてみるか」
翡翠はそういうと、床に置いていた羽ペンを机の上に戻し、代わりに懐から長方形の木箱を手に取った。
「これを、浮かせて、今お前が立っている自分の場所まで動かせ」
「急に、難易度上がってないか!?」
「俺はスパルタだ」
空汰は苦笑した。
翡翠は、空汰を一瞥すると床に木箱を静かに置いた。そして、そのまま窓際に行くと、空汰の方を振り返った。
「じゃあ、俺は逃げる」
「……え!? 早くないか!?」
「どうせ、もうそろそろ、お前だって日課を出しにいかなければならない時間だろ? それが出来たら、持って行けよ」
「え、ちょっと、待てよ!」
空汰は止めようとしたが、翡翠はそのまま消えていった。
空汰は仕方なく、呪文を唱えた。
しかし、少し重いからか思うように浮かなかった。ふらふらとし不安定だった。
それでも空汰は諦めずに、木箱に集中した。
すると、少しふらふらとしていたが浮き上がった。空汰は翡翠の言葉を思い出し、人差し指を立てて静かに動かした。すると、不安定ではあるものの右に動かせば右に、左に動かせば左に動いた。それを見た空汰は、自分の方にスッと指を動かした。
しかし、途中までうまく飛んできていたが翡翠が出て行った窓から風が入り込み、バランスを崩し木箱は落下してしまった。
――――もう少しだったのに……
空汰はしゃがみ込み、木箱を拾い上げようとした。
――――何かが挟まっている?
空汰は挟まっている紙を手に取り見ると、そこには綺麗な人間の字で『空汰へ 翡翠裕也』と書かれていた。自分の名を見た空汰は、翡翠に名を忘れるなと言われていたことを思い出した。
そして、紙を置き、木箱を開けた。
するとそこには、白銀と薄ら水色掛かった綺麗な羽ペンが入っていた。
翡翠からのプレゼントだろうか。
空汰は羽ペンを手に取り、窓の外を見つめた。
――――本当に、正直じゃないやつだ……
空汰の顔には自然と笑みが浮かんでいた。
❦
「あ! スカイ! おはよう!」
サシはスカイに飛びついた。
「サシ、おはよう。どうしたの?」
「何二日も休んでるんだよ! 編入早々ダメだな~」
「ごめん、サシ。風邪をひいてしまって……」
「全く、お前は。元気に生きろよ!」
「あ、ありがとう」
そこに笑みを浮かべるディリーが来た。
「あ、来たんだね。おはよう~!」
「あ、おはよう。ディリー」
「全く困ったよ」
「ご、ごめん……」
「もー。僕ぷんぷんだからね!」
「ごめんなさい」
ディリーが怒っているわけは、休んでいる間にも生徒会は仕事をしていたということを言いたいのだろう。実際、生徒会は基本毎日、集まっているらしい。ということは、今日もある。
「良いよ! 今日来たから許してあげる!」
空汰は苦笑を浮かべるしかなかった。
ディリーは、今日は生徒会に来るから許してあげると言いたいに違いない。
「あ! そういえば、お前ら今度のパーティーに行くのか!?」
「パーティー?」
空汰が不思議そうにしていると、ディリーが元気よく片手をあげた。
「はい! 僕は行くよ! 僕が行かないと始まらないでしょ!」
「分かったから、お前少し黙ってろ」
「え~、酷いな~、サシ」
「スカイはどうだ?」
「何のパーティーですか?」
話を聞いていないから、妖長者が関係あるわけではない。
「あ、そっか。スカイは初めてだな。暁月記学園である定期パーティーだ。参加は自由! その期間は三日間! その間は授業もなし! 最高!」
「いいね~! スカイも行こうよ! とっても楽しいよ!」
「そうなんだ。じゃあ、行ってみようかな」
「いいねいいね! 行こう!」
「ディリーいいから、黙ってろ」
「本当は僕がいないと、寂しいくせに~」
「うるせぇよ」
「照れちゃって~」
「だから、お前黙れ」
「ぶー」
サシはあきれ顔をしていた。
空汰はそんな二人を見て、微笑んでいた。
――――この二人といると、とても楽しい……。亮弘と賢太のことを思い出す。……そういえば、アイツらは今、何をしているのだろう
「そうだ! 一緒に行かない!?」
「え?」
「僕とサシとスカイで!」
サシは笑顔で、スカイを見た。
「良いね、それ! な!? 行こうぜ!」
「うん」
「やった! スカイと行けるんだ! 僕嬉しいよ!」
❦
翡翠は空汰に伝えられたことのなかで、一つだけ引っ掛かっていることがあった。
最近の交換ノートの内容にそれはある。
(翡翠へ
暁月記学園のことだが、仲良くし過ぎだとケンジに怒られてしまった。本当に面倒だ。俺も人間界では学校に通っていたから、久々の学校生活が案外楽しいなと感じている。折角なら学園生活を楽しみたいと思っている。
前にこのノートで公務について、学園について、何か気になったことを教えてほしいと書いていたから、書くことにする。
暁月記学園に編入して、早一週間経つ。学園で友達も出来た。ディリーとサシという妖とアンジュという人間だ。サシとディリーは俺と同じ四年Sクラスで、サシはA班、ディリーと俺はN班。そういえば、アンジュは何班だろうな。
それから、俺に一つだけ疑問がある。
ディリーのことだ。ディリーは暁月記学園、四年Sクラス、N班……いや、P班所属。所謂生徒会の生徒会長をしている。それだけならいいのだが、生徒会長については色々な噂が流れている。例えば、人殺しだとか怒らせると怖いとか……。昔生徒会のみが入れる場所に誤って入ってしまった生徒が居たそうだ。その生徒は、生徒会長に目をつけられ、存在ごと消されてしまったらしい。その真意を確かめたい。生徒会長は俺を多分見張っている。俺もあいつに探りをいれたいが、易々といきそうにない。お前が調べられることを、調べて俺に教えてほしい。
今回の公務の最終着地点は、生徒会長についての報告だ。
翡翠、頼む)
翡翠は、図書室の本を出してはなおしを繰り返していた。
ディリーという名の男の子の名を知っている。どこかで、聞いた名前だった。
翡翠は胸騒ぎがしていた。
――――嫌な予感がする……
翡翠は手に持っていた本を棚になおし、何千冊も並ぶ本棚を眺めた。
ディリーはN班に仮所属になっている。ということは、伯爵家の可能性が高い。フルネームで分かればすぐに見つけることも出来るが……ディリーという名だけなら他にもたくさんいる。
ディリー……。
翡翠は何かに気付き、急いで部屋に飛び戻った。
部屋に入ると、書斎に走った。
机の引き出しを乱暴に開ける。
そこには暁月記学園の全校生徒の写真が載ったアルバムがあった。翡翠は卒業をしていないため、卒業アルバムではない。
アルバムを手に取り、ページを捲る。学年別の集合写真が載っているページを見る。
自分が載っている学年の集合写真を見る。自分は最前列の中央に笑顔を見せて座っている。いや、今は自分ではない。
翡翠は写真をじっと見つめた。
そして、見つけた。
「こいつだ……」
❦
授業が始まり、空汰は翡翠から貰った羽ペンを片手に頬杖をついていた。聞いても全く分からないし、興味もなかった。テストがあるまでここにいるわけでもないので、正直そんなに勉強をする気にもなれなかった。
今黒板に文字を書いているのは担任のカケイラ先生だ。カケイラ先生の担当授業は妖世界の地理についてである。
空汰がボーっとクラスメイトを眺めていると、一羽の蝶が迷い込んできた。
生徒たちは珍しい蝶を興味津々に見ていた。空汰だけは、その蝶が誰であるかが分かっていた。
蝶は教室中を飛び回り、空汰の前も数回通っていた。青の蝶は紛れもなく澪である。
蝶は教室中を静かに飛び回り、やがて、空汰の前に再び現れると折りたたまれた紙を落として、去って行った。
空汰はその紙を隠すように机の下に隠した。
そして、授業の終わりの鐘ととともに教室を抜け出し建物の陰に隠れた。
紙をゆっくりと開く。
(まず、お前に伝え忘れていたことだ。ツェペシ家は裏切り者ではない。裏切り者に脅され、上辺だけの裏切り者となった。
この先を読むときは、誰もいないところで読め――)
「そんなところで何をしているの?」
空汰は驚いて紙を咄嗟に隠し顔を上げた。そこには、ニッコリと笑みを浮かべ、首をかしげるディリーがいた。
「あ、いや……。一人になりたかったんだ」
「ふ~ん。何か嫌なことでもあった? 僕が相談にのるよ?」
『ディリーという生徒会長はかなり権力もある。それを利用して存在ごと消したに過ぎない!』
――――そんなはずはない……
「嫌なことではないのだけど……。ごめん、俺そろそろ、教室に戻るよ」
「じゃあ、僕も一緒に!」
「ごめん。一人になりたいんだ……」
空汰はそういって、足早に去った。
その背中を静かに見据えるディリーの背後に、赤髪のマランツが立っていた。
ディリーは振り返ることもなく、低い声で言った。
「スカイについて調べて」
「……あいよ」
❦
空汰は教室に戻り、席に着いた。すると、サシが近寄ってきた。
「どこ行ってたんだよ。一人にするなよな!」
「一人?」
ディリーがいないのだから、一人なのは知っているがわざとしらを切った。
「ディリーがどこかに行っちまったんだよ!」
「ディリー? どこに行ったのかな?」
「分からねぇ。俺、あいつよくわからねぇし」
「何かあったの?」
「あいつが居る前では、もちろん言えないけど、あいつ怒らせると相当怖いからな。しかも、何考えているのか分からないし、放課後はすぐに帰るし」
すぐに帰るのは生徒会室に行くからだ。
「怒らせると怖い? 何考えているのか分からない?」
何を考えているのか分からないことには、確かに同意する。
「あまり怒らないらしいんだが、たまに怒るみたいなんだ。何に対してどのくらい怒るのかは俺も知らないが、かなり怒らせると人が変わったみたいに怖いらしい。未だにディリーに怯えている奴もいるらしい」
「誰?」
「俺もよく知らないな。アンジュに聞いてみるとどうだ? あいつなら、結構俺よりも知ってるぞ?」
「アンジュが?」
「アンジュとディリーは前に付き合っていたからな」
「付き合って!? え!?」
「意外だろ?」
「意外も何も衝撃事実だよ」
「何が衝撃なの~?」
空汰とサシはビクッとして、声のした方を向くと、そこにはいつものように笑みを浮かべるディリーの姿があった。
「いや、えっと……。お、俺がA班の中では結構上位者なんだってこと」
「そうそう。サシってこんな風だから、もっとバカなのかと思っていたけれど実は結構頭いいんだなって話」
ディリーはあまり納得いっていないようだった。
「ふ~ん。まぁ、いいや」
「それより、ディリーどこに行ってたんだ? 俺を一人にするなよな」
ディリーはまた笑みを浮かべると、一瞬空汰を見て、サシを見た。
「一人だったの? じゃあ、……スカイはどこに行っていたの?」
空汰は心臓がギュッと掴まれた感じがした。
――――知っているくせに……。何を考えているんだ……!?
「……俺は、トイレに……」
「あ、そうなんだ~。僕はね、散歩してきたの!」
「そ、そうなんだ」
サシは時計を見てディリーを見た。
「散歩ってお前お気楽だな」
「そう? 結構楽しいよ」
「休憩時間によく行こうと思うよな」
「楽しいよ?」
「そうか。そろそろ授業が始まるぞ」
「そうだね! 席に座らないと」
ディリーはそういうとニッコリとした笑みを空汰に向けて、席に戻った。それを見たサシは、空汰にボソッと言い、席に戻って行った。
鐘が鳴り、先生が入ってくる。
授業が始まった。
そして、授業が何事もなく普通に終わる。
終わるとすぐに空汰は立ち上がり、教室を出た。廊下にはすでにサシがいた。
『授業終わったらアンジュのところに行くから』
空汰とサシはアンジュのもとへと向かった。
Aクラスに入ると、アンジュはいつものように本を読んでいた。
アンジュはサシと空汰に気付くと視線をあげ、本を閉じた。
「何?」
「よ! お前さ、ディリーと前付き合ってただろ?」
「スカイにそのことを一々話さなくていい」
「まぁまぁ、そう言わずに。あいつのことで知ってること、教えてやってくれよ」
「……なんで?」
「ほら、あいつ不思議なところあるじゃん? こいつが気になってるんだよ」
アンジュは空汰を見た。
「何が知りたいの?」
「あ、えっと……。付き合っていたの?」
「付き合っていたよ。一年くらいね。でも、あいつから別れを告げられたよ」
「ディリーから?」
「付き合ってほしいと言われて付き合うことにした。そして勝手に振られた。わけのわからないやつだよ」
「確かに……」
「スカイ」
「は、はい?」
「ディリーに変なことを言ったりしたりしてないだろうね?」
「変なこと?」
「私もあいつのことはよく分からない。ただ……。変な奴という事だけは知っている。スカイ、一つだけ忠告しておこう」
「はい」
「ディリーには深入りしない方が、身のためよ」
空汰とサシはアンジュとわかれ、教室に戻ってきた。
ディリーが走り寄ってくる。
「も~、どこに行ってたの~。今度は僕一人?」
空汰が口を開く前にサシが一歩前に出た。
「悪いな。ちょっとトイレだ」
「そっかぁ。それは仕方ないね!」
「ごめんな」
「うん、大丈夫だよ!」
空汰は、ふと懐になおした翡翠からの手紙を思い出した。
――――そういえば……続き……
ディリーに視線を向けると、笑みを浮かべるディリーと視線があった。
三人は時計を確認し、席に着いた。
鐘が鳴り、先生が入ってくる。
授業が始まった。
空汰は、教科書に隠しながら翡翠からの紙をもう一度開いた。
(まず、お前に伝え忘れていたことだ。ツェペシ家は裏切り者ではない。裏切り者に脅され、上辺だけの裏切り者となった。
この先を読むときは、誰もいないところで読め。
お前の疑問に、ディリーのことについて調べてほしいと書いてあったし俺も気になったこともあり調べてみた。
ディリーとは仲良くなってはダメだ! 今も仲がいいのならば、今すぐ離れろ。そいつはかなり面倒な妖の類だ。そいつはただの生徒でも、ただの妖でもない。
昔俺が暁月記学園の生徒だった時からいる妖だ。その時から生徒会長だった。
ディリーという妖は伯爵家生まれの男の子だ。いや、見た目が男の子なだけで実際は男の子ではない。両親は普通の妖だが、その息子だけは違った。それが、ディリーだ。
そしてそのディリーという妖は――)
スッと紙が無くなった。
空汰は驚いて顔を上げる。すると、そこにはニッコリと笑みを浮かべたディリーが紙を手に持ち立っていた。
空汰は授業中であることを確認する。しかし、何かが可笑しい。
――――時間が止まってる!?
ディリーは手紙を全部読み流すと、不適な笑みを浮かべ空汰に紙を返した。
「君は……誰?」
「……スカイ」
「ふ~ん。じゃあ、その手紙を書いた妖は誰? いや……人間かな?」
空汰はディリーの問いを聞いて、もう一度手紙を確認する。読む暇はない。
「ディリー……。君は、人間の字が読めるの?」
「読めるよ! 僕天才だから」
空汰は黙り込んだ。
時間がとまっているということは、今、この妖世界で動けるのは空汰とディリーだけ。妖世界に二人だけしかいないことと一緒だ。翡翠に助けを求めることも出来ない。
「で……。君は誰?」
「スカイ……」
「それは偽名だ」
「俺はスカイだ。それ以外に名はない」
「僕はあまり気の長い方じゃないんだ。悪いけど、早くしてもらえる!?」
ディリーは変わらず笑みを浮かべていたが、目は笑っていなかった。そしてディリーの周りに生徒会メンバーが集まった。どうやら、生徒会メンバーだけは動けるようだ。多分、こうやって日々の生徒会活動をばれずに行ってきたのだろう。
ディリーが手を出すと、マランツがファイルを差し出した。
ディリーはファイルから紙を取り出すと静かに見ていった。
「……君本当に誰?」
「え?」
ディリーは困ったように紙を振りながら見せてきた。そこには、編入願書とスカイとしての戸籍情報があった。
「それは……」
「君について調べたんだ。でもね……。んー。困ったなぁ」
ローリーはディリーから紙を受け取ると、目を通した。
「偽造ですね」
「そうなんだよ~。僕は偽造か本物かぐらいすぐに分かるよ。だから、君はスカイじゃない。別人だろう?」
「……」
「黙り込むの? そっか。まぁ、いいけどさ」
ディリーはそういうと、空汰の前の席に座っている妖を押し倒し座った。空汰は驚いて時間が止まり固まっている妖が転がっているのを見て、ディリーを見た。ディリーは冷笑を浮かべていた。
「ねぇ、ゲームは好き?」
「……」
「君、まだあの手紙、肝心なところが読めてないままでしょ?」
「……」
「ひどいなぁ。友達なのにー。何か話してよ」
「今のこの状況で友達と思う方が難しいだろ」
「ん~、ま、そうかもね」
「それで、逆に聞く。お前は誰だ?」
「ディリーだよ」
「そんなことは知っている」
「伯爵家生まれの、伯爵だよ。ディリー伯爵って呼んでくれると嬉しいなぁ。ちなみに、両親はもういない。何故だと思う?」
「知らない」
ディリーは満面の不敵な笑みを浮かべた。
「僕が殺したの」
「……どうして」
「どうして? 愚問だね。どこまで読んだのか、僕は大体分かるよ。僕の両親の事については少し読んだよね? 僕の両親は僕を気味悪がった。僕の事を大嫌いだと言った。僕の事を邪魔だと言った。僕も両親が邪魔だった。だから、殺した。それだけ」
「どんな理由があっても殺してはいけない」
「そうだね! 確かにそれは思うよ!」
「君はよく分からない」
「分からなくていいよ。分かってもらいたいとも思わないから」
「……」
空汰はディリーに恐怖を覚えていた。何を考えているのか分からず、手紙の事もばれ、スカイという偽名であることもばれた。暁月記学園に来て、まだ二週間程。このままでは、公務にも支障が出る。温和に済ませたいところだが、どうやらディリーは怒っているらしい。表情は笑顔だが、目は全く笑っていない。ディリーは今、スカイという偽名を持つ者をどうしようかと思案しているに違いなかった。
そう考えるだけでも相当恐ろしかった。
「さてと。場所、変えようか」
場所を変えられては、困る。牢にでもぶち込まれそうな気がしてならない。
「嫌だ。俺はここから動かない」
空汰がそういうとディリーは腹を抱えて笑った。やがて笑いが収まると空汰を見た。
「ごめんね。あまりにも可笑しかったから。あのね、動かないなら動かなくてもいいよ。でもね、さっきも言ったけど僕は、気が長い方ではないんだよ。そろそろいい加減にしてくれないかな!?」
ディリーはそういうと、指を擦り合わせ乾いた音を鳴らした。すると、空汰の体が宙に浮いた。
「そうだ。さっきの手紙の続き。読みなよ! 折角なら、ね?」
空汰は言われた通り、手紙を取り出し読み始めた。
(そしてそのディリーという妖は様々なものを好きに操ることが出来る妖だ。例えば、時間。時間を止めたり進めたり戻したり出来る。他にも自分以外の相手の心。それを操って何人もの生徒を自殺に追い込んだ。それから、一番質が悪いのは相手自身を操ることが出来るものだ。ディリーに一度でも触れられれば操り人形のように動かすことが出来る。そこで朗々を使われれば終わりだ。絶対にそれだけは回避しろ。
ちなみにディリーは、始末を考えている相手への最期の優しさとして『ゲームをしよう』と持ち掛ける。それに勝てば、ディリーにかかった呪いは解ける。ここで、間違えるな。お前をディリーが操れなくなるわけではない。ディリーに掛かっている呪いが解けるだけだ。そこからは、ディリーの思い次第だ。『ゲームに勝てばお前を解放する。負ければ死ぬ』というのがディリーのゲームの条件だ。勝て。ディリーに勝て。だが、無理をするな)
空汰は読み終わり、ディリーに視線を向けた。依然、ディリーによって空汰の体は宙に浮いたままである。
「ディリー……。呪いって?」
ディリーは答えなかった。代わりに、ナッツが一歩前に出てきて、持っていた本を開き空汰に見せた。
そこには妖字が並んでいた。
「ディリーには……。古より……あ、ある呪いが掛けられているのです。それを……解くには、誰かと勝負をして……負けること……。もちろん……、ズルはだめ……。ズルをして負ければ、双方が死にます…………」
「ナッツ」
ナッツはディリーの声に怯えるように後ずさり、本を閉じた。
ディリーはため息を吐いた。
「ま、僕は呪いなんてどうでもいいんだけどね」
「ディリー」
「だから、ディリー伯爵って呼んでよ」
「……」
「呼びたくないならいいよ。で、何?」
「その呪いは、どんな呪いなの?」
「ん? ……死の呪いだよ」
「死の……呪い?」
「うん。僕は僕以外の誰かを殺し続けなければ自分が死ぬんだ」
「だから、殺すのか?」
「うん! そうだよ。僕は誰かを殺し続けることで生きているんだ」
「それって……つらくない?」
ディリーは虚を衝かれたような表情をした。
それを見た空汰は、宙に浮いたままの体を下した。その様子を見たディリーはさらに驚いた。
「どうして……」
「俺も一応ちゃんと妖術は少しだけ使えるんだ」
学園から帰った後に、夜な夜な一人練習をしていたから。
「僕に、そんな言葉をかけたのは君くらいだ」
「俺からしてみれば、ディリーはただ強がっているだけじゃないのか?」
「僕が?」
「ディリーは、本当は誰かを殺したくないんじゃないのか?」
「そんなことはない。誰かを殺すことは、凄く楽しいんだ」
「ディリー。俺と勝負をしないか?」
「君と?」
「そうだ。俺と真剣勝負をする。俺が勝てば、お前は呪いが解けるのだろ?」
ディリーは、黙り込み鋭い視線を空汰に向けていた。
やがて、空汰から視線を逸らし立ち上がると教室の扉の前に立ち止まった。そして、振り返ったディリーの表情は、どこか悲しそうな笑みだった。
「スカイ。僕についておいで」
❦
ディリー。数百年を暁月記学園の生徒として過ごしてきた。その理由はたった一つ。
「どんなゲームをするの?」
先ほどの悲しげな笑みとは打って変わり子供のような無邪気な笑みを浮かべていた。
スカイに連れてこられた場所は、生徒会以外立入禁止の場所だった。中央に噴水がある。
「真剣勝負じゃないと呪いは解けないんだよね?」
「何? もしかして、君。僕とゲームをして呪いを解こうとしてくれてるの!?」
「そうだ」
ディリーは吹き出し笑った。
「ふざけないでよ」
「……ふざけてはない」
「ふざけてる。すごくふざけているよ、君は」
「ふざけているのは君だ」
「スカイ、君はバカだね」
空汰はずっと笑い続けるディリーをただ見据えていた。他の三人の生徒会メンバーは見慣れた風景のように、静かに立ち尽くしていた。
「君は僕が今まで出会った中で一番バカだ」
笑いを抑え込み、噴水の端に手を置いた。
「昔。五、六年くらい前の話さ。とある生徒が入学してきた。その生徒は、すべての面において優秀でそれまで学年一位を抜かれたことのなかった僕を軽々と抜いた。
僕はその生徒と仲良くなろうと声を掛けた。だが、その生徒は誰とも接点を持つこともなく学園生活を一人で過ごしていた。ただ、モテてはいたな。僕がその生徒に話しかけると、その生徒は言ったんだ。『複雑だな』と。最初は意味が分からなかった。でも、すぐに気づいた。その生徒は僕に会ったその一瞬で、見抜いたんだ。僕には『生まれつき持つ複雑な呪いが掛かっている』ことを」
「……その生徒は……」
「入学したてだから、一年生だよ。一年Sクラス、B班所属だった」
「ディリーはいつから、この学園に?」
「僕? 一つ勘違いしないでくれないかな?」
「え?」
「僕だけがずっとこの学園に居たみたいに言っているけれど、僕だけじゃないよ、この学園にいるのは……」
ディリーがそういうと、マランツ、ローリー、ナッツがディリーのそばに立った。
どうやら生徒会メンバーは全員、ずっと学園に居るらしい。
「どうして、俺をP班に?」
「今更聞くの?」
「友達だったから?」
ディリーは嘲笑を浮かべていた。
「そんなわけない。僕は今までだれ一人だって友達と思ったことは無いよ」
「その昔の生徒はどうだったんだ?」
「あの子は、僕の事なんて眼中に無かっただろうよ」
「……それはどういう……」
「あいつの笑顔を僕は一度も見たこともはないし、あいつが学園を去るまでは僕はずっと次席だった。最悪だ。二年でいなくなってくれて凄く喜んだよ」
「二年!?」
「そうだ。その生徒は何故か二年で辞めた。ライバルが消えたんだ。凄く裏しかった」
「待って。その生徒の名は?」
「ん~……。確か…………ユウ」
「ユウ……」
翡翠だろう。翡翠裕也のユウ。
「ま、もう遠い昔だ」
「お前は……ライバルがいて、楽しかったんじゃないのか?」
「は? 何言ってるの?」
「お前はいつも学園では一番上だった。そこに自分に勝る存在が来た。楽しんでいたんじゃないのか?」
「僕が楽しむ? そんな下らないことで?」
「それから、ユウとは友達だったんじゃないのか?」
「……あんなやつが友達なわけがない」
「なら、一人だと感じても尚、お前はユウとかかわり続けた? 笑顔を一度も見たことがない。それは、お前がよくユウを見ていた証拠だ」
ディリーは面倒くさそうにため息を吐いた。
「確かに、いつかあいつを抜いてやろうとあいつの周りにいつもいた。B班からP班所属にも変えた。だけど、あいつは結局僕に笑いかけることも負けることもなく去った。……悔しかった」
「それまで一度も負けたことが無かったから……」
広場は静けさに包まれた。
その静けさを破ったのはナッツだった。
「スカイ……。頼みます」
空汰は首を傾げた。
ディリーは噴水の端に座り、いつものように笑みを浮かべた。
「さて……、ゲームをしようか。僕が勝ったら君は死ぬ、君が勝ったら僕の呪いは解ける。もちろん、君も解放する。それでいいのかな?」
空汰はディリーを静かに見据えた。
「……もちろんだ」
❦
翡翠は異常な静けさを感じながらも、書斎で本を探していた。
ディリーの力により、妖世界の広範囲の時間の流れが止まっている。しかし、妖長者の屋敷内……、敷地内のみ時間は普通に流れていた。理由はたった一つ。強力な結界が施されているからだ。
もちろん屋敷内の者達は敷地外の様子に慌てた様子を見せている。当たり前だ。敷地外に妖長者がいるのだ。何か遭ってからでは遅い。
翡翠は、書斎の本棚から本を漁り倒していった。順番に見ている時間は無い。しかし、どこをどれだけ探しても出ては来なかった。
疲れ果て崩れるように座った。
鳥が敷地から出る。すると、時間が止まったように固まった。
このままでは空汰が危ない。そんなことは言われなくても分かっていた。
自然とため息が漏れた。
――――アイツは……
俺の事を嫌っていた。ユウという名で学園に通っていた俺は、自分でも思っていたより優秀だった。ずっと学年一位だったディリーを初めて抜いたのが俺だった。
ディリーの呪いの事は出会ってすぐに気づいた。質の悪い複雑な呪いだった。関わりたくなかったから逃げていたが、こうなってはきちんとけりをつけなくてはならい。逃げていてはダメだ。
そう思い、どこかで見たことがある呪いの本を探していたが、なかなか見つからなかった。あの広い図書室も見た。しかし、なかった。ならばあるとしたらここだけ。
――――絶対にあるはずなんだ……。見落としたか……
翡翠は重い腰をあげ立ち上がった。
「どこに行ったんだ……?」
正直どんな本だったのかも思い出せないが、確かにあった。それだけは確かだ。
翡翠は腕を組み、片手を唇にあてた。
記憶を探る。
――――かなり古い記述だったはず……。ページの端がバラバラで揃ってはいなかった……。紙は色あせていた……。……ページを捲ると……
翡翠は何かを思い出したように床に転がっているたくさんの本を探り始めた。
そしてやっと見つけた。
「この本だ。ページの端が揃っていない、色褪せ、しかも……ページが一枚破られなくなっていた」
翡翠は急いで記述を探す。
あるページで手を止めた。そこには『殺人鬼呪法』と書かれていた。
翡翠はそれを読みながら、部屋の窓から飛び出した。
❦
「ゲームは簡単、宝探しだ」
「宝探し?」
「僕はあまり妖術に長けていない。正直、あまり上手な方ではないんだ。それに物騒なことが嫌いでね」
「妖殺しは物騒ではないと……?」
「僕にとってみれば、趣味の一環だよ」
「正気とは思えない」
「そう? 個人差があるってことだよ。それにさ……。人間だって、人間を殺すじゃない? 僕たちよりもはるかに多く、残酷に……。しかもそれから逃げてる」
「まともなやつだっている」
「妖世界だってそうさ。まともな妖だっている。君はこの妖世界に来てどれくらいなのか知らないけれど、妖たちは皆、不満を抱いているんだ」
「不満?」
「妖世界には大きく分けて、三つの種族がいる。下級妖と呼ばれる妖は、妖術も使えず、扱いも雑だ。中級妖と呼ばれる妖は、妖術は使えるが、扱いは普通、暮しには差があるようだけどね。高級妖と呼ばれる妖は、妖術はもちろんのこと、扱いは優先的、豪華すぎる暮らしだってしているさ。しかも、ここは実力社会じゃない。生まれたときから、下級、中級、高級と分かれている。不公平な社会だよ。僕みたいにどんなに実力があっても、伯爵から上にいくにはかなり難しい。僕が妖長者になってもいいくらいだよ」
「そんな格差が……」
「ちなみに、マランツは子爵家。ローリーも子爵家。ナッツは爵位どころか中級妖さ」
「マランツ、ローリー、ナッツはどうしてP班に?」
「僕が、生徒会に入ったのも実際偶然なんだ。まぁ、その時の生徒会はユウ以外全員後に殺しちゃったけどねぇ」
「……そこに……」
「新しく入れたのが、この三人だよ」
「どうして?」
「本当は一人でも良かったのだけど、寂しいのは嫌いなんだ」
「だったら大勢の方が……」
「大勢? 大勢いたら、僕は殺しちゃうよ?」
「……三人は殺さないのか?」
「殺す意味が分からない。彼らは仲間だ」
「矛盾している」
「仕方ないよ。僕は気紛れのマイペースなんだ。気が向けば、三人を殺しちゃうかもしれないわけだよ」
「三人はディリーのそばに?」
「マランツは僕が誘ったら、入ると言ったんだ。ね?」
マランツは顔色一つ変えず、頷いた。
「あぁ。ディリーに誘われたから入った。良い暇つぶしになる」
「男二人じゃ寂しいからってことで、女の子を誘ったんだ。あのころの僕は別にローリーじゃなくても良かったのだけど、ローリーは頭が良かったからね」
ローリーは空汰をチラッと見るとすぐに視線を逸らした。
「生徒会っていう響きが好きだったから……です。それだけです」
「ナッツは元ストーカーかなぁ」
ナッツは肩をビクッと震わせた。
「ぼ、僕そんなことしてないですっ」
「ナッツは、生かしていると言った方がいいかな。僕に憧れを持ったらしく、僕を探っていた。その頃から生徒会は誰か分からないという風にしていたのだけど、ナッツは分かっちゃったんだ。だから、殺さない代わりに僕の下につかせるという約束を交わした。といっても、所詮口約束。破っても破らなくても殺すつもりだったけど、気づけばずっと生きてるね」
「生徒会に入れて……す、すごく嬉しかった……です……」
空汰は三人の言葉に違和感を覚えたが、視線をディリーに戻した。
「それで、ディリー」
「何?」
「そろそろ、ゲームをしよう。君等の話は分かった。今度は君を知る番だ」
「ふ~ん。僕を知りたいの?」
「俺は君の友達になれないかなと思っている」
「馬鹿げた話だね。僕の友達なんて、誰もなれないさ。僕が友達と思わないのだから」
「だから、勝負をしよう。その代り勝ったら、俺の言うことを一つ聞いてもらう」
「なるほど。普通の条件に上乗せかぁ。なら、僕もしていい?」
「何?」
「逆に僕が勝ったら、教えてくれないかな?」
「何を?」
「スカイ、君、知っていて隠してるよね? ユウのこと」
「……知らない」
「僕に嘘は通じないよ。手紙にも書いてあったよね。朗々を使われると最悪だって。君に朗々を使わない代わりの条件でどう?」
空汰はディリーを見据えていたが、視線を逸らしため息を吐いた。
「……分かった。ルールは?」
「今回はここに五人いるから、二人一組で行う。まず各ペアはこの小枝をはじめの三十分でこの学園内の好きなところに隠す。そしてそこからは競争をするんだ。僕のペアがスカイのペアが隠した小枝を先に見つけて、スカイペアよりも早く戻ってくれば僕の勝ち。逆ならスカイの勝ちだよ。簡単でしょ?」
「不公平だ」
「え?」
「ペアを作るのは別にいいが、今までディリーに忠誠を尽くしてきた彼らの誰かとペアを組むのは不公平だ」
「まぁ、確かにそう思うかもしれないね。じゃあ、アンジュにしようか」
「アンジュ?」
「アンジュは僕の事を知っている。生徒会長をしていることも、僕がこんなゲームをしていることも、ほとんど……。スカイだって知っているよね? 僕とアンジュが付き合っていたことくらいは」
「……確かに知っている。だけど、それも……」
「アンジュは僕の事が大嫌いだから、大丈夫だよ」
「え? だって、付き合って……」
「過去の話だよ。それに、彼女は一度も僕の事を好きにはならなかった」
「だから、別れを切り出したのか?」
「そうだよ。さすがに疲れたしね。殺さなかっただけ、良かったと思ってよ」
「でも……。時間は止まっている。アンジュが動けるわけ……」
「ローリー。アンジュを連れて来て」
ローリーは、分かりました、というと空汰を見て、どこかへと行った。
「さてと、僕は誰にしようかな~」
ディリーはナッツとマランツを見た。
考え悩む素振りを見せていたが、空汰にはわざとらしく見えていた。
「よし! ナッツ」
「は、はい!」
「たまには一緒にゲーム、しよっか」
「ぜ、是非!」
マランツは表情こそ変わっていなかったが、どこかホッとしているようだった。
「よし。僕のペアは決まったよ!」
「毎回、この宝探しなのか?」
「そうだよ。あ~でも、飽きたなぁって思ったら、かくれんぼとかしたことあるよ。でも、僕とかくれんぼはダメだね。出ておいでって言ったら出てきちゃうから」
「操るのか……」
「あ、でも宝探しでは操ったことないから、大丈夫だよ! 安心してね!」
安心できるものか。この学園内にいる限り、ディリーの敷地内にいるようなものだ。安心できるわけがない。妖長者といつバレるかが問題だ。
そこにローリーが戻ってきた。少し離れた後ろにアンジュの姿があった。
「アンジュ……」
アンジュは空汰を見て、ディリーを見た。
「私を巻き込まないで」
ディリーはそういうアンジュのそばに駆け寄った。
「ごめんね、アンジュ。でも、ゲームをするうえでフェアじゃないって言われて……。スカイのことを頼みたいんだ」
ディリーから視線を逸らし、立ち尽くしている空汰に視線を向け空汰の方に歩み寄った。
「いいわよ」
「ありがとう、アンジュ」
「スカイのためなら、少しくらいは手助けしてあげてもいいわよ」
マランツが小枝を手渡してきた。空汰はそれを受け取りまわして見た。ガラスのような花の蕾と葉がある妖世界でも珍しい種類の小枝だった。
ディリーも同じ小枝を持っていた。
マランツはディリーペアとスカイペアの間に立った。
「では、今から三十分以内に隠しに行ってください。学園内であればどこに隠してもいい。例えば屋根の裏とか水の中とか地面に埋めてもいい。敷地外には禁止」
ディリーは不敵な笑みを見せていた。まるで、もうすでに勝ちを分かっているかのような余裕な表情だった。
「さ、隠しに行こうか、ナッツ」
「は、はい」
そういうとディリーは笑みを浮かべたまま、屋敷内へと入って行った。
「スカイ、私達も」
「そうだな」
空汰とアンジュはディリーたちが入った場所とは違う屋敷内に入って行った。
❦
翡翠は暁月記学園の敷地外に立っていた。
入りたい……入りたいのだが、入ればディリーにバレてしまう。
見たところとても簡単な結界が張られていた。下級妖、中級妖程度なら入る際に消滅してしまうほどの結界ではあるが、翡翠にとってみれば、微弱すぎる結界である。だが、かと言って安易に入っていい結界でもない。破ってしまえば術者にバレてしまうし入ってしまってもバレてしまう。しかもこのタイミングで暁月記学園に侵入するのは必ずといってもいいほど、ディリーの味方ではなく空汰の味方側だ。敵を安易に増やすほど、ディリーだってバカではない。伊達に昔から生徒会長としてこの学園に君臨しているわけでもない。
さてと……。
「どうしようか」
翡翠は困ったように苦笑を浮かべていた。
結界ばかりは、最終的に破るほかない。ということは結局バレてしまう。
だから問題なのは、今空汰がどこにいるかだ。結界を破って入れたとしても、空汰を見つける前にディリーが来てしまえば意味がない。ディリーが来るよりも早く空汰のもとに行き、出来る限りの話をしなければならない。
しかし、空汰がどこにいるのかを知る方法は無い。式は全員もちろん屋敷にいるし、俺が式に助けを求めたときは空汰の事で頭がいっぱいになり、その場は凌げるが、そのあとはどうなるか分からない。まさか、俺が実は妖長者です、とか、俺は翡翠裕也です、なんて名乗れるわけがない。学園に行くときは、妖石も妖長者の印も長老に預けてしまうから、空汰さえいなければ、妖長者ですといってもバレはしないが、空汰を助けに行かせるためには空汰が妖長者であることを知っている必要がある。そして、何らかの接点がなければいけない。だが、妖長者の印を持っていない空汰を妖長者だと認識できるのは、傍から姿を変え学園にいることを知っている者か俺だけだ。しかし、その話をするわけにもいかない。
澪はそこにいるが、澪も実態を持つ身。結界内に入れば居場所はバレる。
空汰を探し出す前に見つかってしまう可能性だってある。危険な賭けだ。
せめて、空汰が今いる場所さえ分かれば……。
「『殺人鬼術法』について教えてやることが出来る……」
ディリーは生まれつき、呪いを受けているわけではない。本人はそう言っているようだが、あれは、第三者が、ディリーが生まれてすぐに掛けた呪いである。決してディリー自身がはじめから呪われていたわけではない。あの呪いは、解こうと思えば自分自身で解ける呪いだ。もちろん、それなりにリスクはあるが、ディリーほどの力の持ち主ならば出来ないわけではない。ディリー自身、それくらい気づいてはいるはずだ。
なら、どうして解かないのか……。
ディリーは、優しすぎる妖だからだ。
❦
空汰とアンジュは屋敷内を適当に歩いていた。
「どこに隠そうか」
「簡単なところに隠せばすぐに見つかる」
「地中に埋めるのは?」
「ダメだよ。ナッツは透視の能力がかなり高い。すぐにバレてしまうよ」
「いや、待てよ。透視の能力とか聞いてねぇし!」
「やっと素が出たね」
「え?」
「敬語からため口になったけど、どこか他人行儀だなってずっと思っていたから、そうやって普通に話をしているところを見るのは、少し嬉しいよ」
「そうだったのか……」
「ちなみに、地中に隠すとか物陰に隠すとかは考えない方がいいでしょうね」
「だろうな」
空汰はあることに気付いた。
「なぁ」
「ん?」
「それってさ、隠せるところ無くね?」
❦
ディリーとナッツは屋敷から出て中庭を歩いていた。
「ナッツは生徒会から抜けたいって思ったことは無いの?」
「な、無いです!」
「そうなんだぁ。で、どこに隠す~?」
「スカイは何の能力が……一番得意なのでしょう……?」
「分からないなぁ」
「えっと……同じクラス……同じ班です……よね?」
「確かにそうなんだけどね~。何でも平等に出来る感じがするんだよ」
「平等……に……?」
「妖術は初心者感あるけれど、他は特に……。寧ろ高級妖以上に見えるよ」
「妖長者だったり……しませんよね。ハハッ……」
「それはないよ。だって、あんなに妖術の使えない人間がなるわけないじゃない」
「まぁ、確かに……」
「でも隠していることがあるのは確かだよ」
「隠してる……こと……ですか……?」
「だって、編入期間は一ヶ月だよ?」
「一ヶ月……? 一ヶ月後はどうするのでしょう……?」
「放浪?」
「そんな人だったら普通……き、来ませんよ」
「でしょ? だから」
「それは……何か……ありそうです……」
「案外妖長者っていうのも間違っていないかもしれないね」
「です……よね?」
「う~ん。まぁいいや。このゲームに勝ったらたくさん質問をするんだ」
「交換条件は一つだけ……」
「まぁ、口約束だし」
「怖いです……。す、すみません!」
「うるさいなぁ。さてと、どこに隠す? アンジュの能力はあまり役に立たないと思うし~」
「地中に隠します……か……?」
「ん~。それも良いけど……」
そういってディリーはニヤリと笑みを浮かべた。
❦
両ペアが戻ってきたのを確認してマランツが時計を確認した。
「三十分以内……。では今から、探してもらう。制限時間はない。見つけたらここに戻ってくること」
ディリーは相変わらず笑みを浮かべている。
「勝てるといいね!」
空汰は微笑みディリーを見た。
「俺らが勝つ」
「凄いね! 頑張ってね!」
空汰は返事をせずに、ディリーのそばを通り過ぎた。
――――絶対に勝つ……
❦
翡翠は、耳を澄ましていた。微かな声を聞き分けるために。
学園内に空汰がいることは確実だ。
「……急がないと」
「でも、ディリーたちがどこに隠したのかすぐに分からない限りは勝てない」
「あちらも勝てないよ」
「確かに考えにくい場所だけど、すぐに分かってしまう」
「それまでに見つければいいわけだ」
空汰の声だ。
翡翠は笑みを浮かべた。
――――どうやら天は俺に味方してくれたらしい……
翡翠は、本を力で直し、塀を飛び越え、結界の中に足を踏み入れた。
空汰は背後から音が聞こえ、咄嗟に振り返った。そこには、笑みを浮かべる翡翠が立っていた。
「翡翠……!?」
「よ! スカイ。遅くなってすまない」
❦
ディリーとナッツは立ち止まっていた。
ナッツはディリーのただならぬ様子に、怯えていた。
ディリーは、立ち止まり思いつめた表情を浮かべていた。
――――誰かが侵入した。ここで来るのは、スカイの味方……。先にそちらの始末をしないと……
「ナッツ!」
「は、はい!」
「学園内に侵入者だよ。先にそちらに行く」
「で、でも……。しょ、勝負は?」
「そんなもの……僕らが勝つからいいよ」
僕らが負けるわけがない。
僕の邪魔をする奴らは全員許さない。