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Enders war  作者: 急行2号
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18 〝あの夜〟のあと

 不思議な死体だと思った。

 砂漠で埋葬したような、王立魔法騎士団の一員とよく似た騎士の死体にまぎれ、その不思議な死体は倒れている。

 砂ぼこりまみれになり、頭髪は乾燥しきり、すり傷だらけである。だが両目からはぼろぼろと涙を流している。

「あれ?」

 荒れ果てたサンゴルドの町でウォーベックマンは首をかしげた。不思議な死体を見つめていたのはウォーベックマンである。不思議な死体について、あることに気づいたのだった。

「あんた、ベルじゃないか?」

 ウォーベックマンは死体の髪を掴み、あたまを持ちあげて死体の顔をよくよく確認する。

「……ちょっと! なにすんのよ! イーターイー! 髪、掴むなぁあッ」

 不思議な死体、もといベルは、涙まじりに叫んだ。


 サード・エンダーズの襲撃があった〝あの夜〟から一週間が過ぎ、王都は曇り空の朝を迎えていた。

 ミズリンとパトリシア、そしてエルストの申告があり、テン夫妻は王立魔法騎士団本部へと連行された。容疑はサード・エンダーズへの関与。また十八年前、王立魔法研究所に在籍していた者として事情聴取がおこなわれることとなった。

「あなたがたは、ひととして冒してはならない禁忌の壁を越えたのですよ」

 ベニー・テンは当時の王国、ひいては王立魔法研究所の〝プロメテシアとダン王立魔法騎士団元帥の交配〟についてこう供述した。事情聴取を仕切ったマックスにしてみれば非常に曖昧であり抽象的な供述だった。

「プロメテシアのようなドラゴンと人間が交わり、ハーフを産ませることは、人間が踏み込んではならない領域です」

 マックスは、なるほど、と思った。夫ベニーも妻サーシャも、プロメテシアこそが〝ハーフ〟であるとは知っていなかった。つまりベルがドラゴンの血を四分の一ほど引くクォーターであることは、テン夫妻は現在もなお知らないのである。前国王は王立魔法研究所の職員にはセカンド・エンドのことを伏せていたらしい。

 テン夫妻はドラキュラと名乗るダンの行方についても知らないようだ。しかし十八年前、テン夫妻がダンを取り逃がしたことは明白であった。

 マックスはテン夫妻にその他ドラゴンの存在についても尋ねた。テン夫妻は口を割っていないまま王立魔法騎士団本部に捕らえられている。


 王都の街並みは依然として復旧のめどは立たず、黒く焦げた建物の残骸が風に晒されている状態だ。人が歩くのも困難である。避難民もやはり王立魔法学園に取り残されている。よって学園の授業も停止したままだ。避難民の不満もそろそろ溜まってきたころであるが、テン牧場をはじめとする王都郊外の被害は少なかったので、王立魔法騎士団の面々が、牧場や農場から食糧を仕入れていることもあり、不満や不安の蓄積はゆるやかと言っていいだろう。

 とはいえ避難民としてはとつぜんの災害だったとも言える。

 騎士の調査では、王都にはすでにサード・エンダーズの姿はないとのことだった。調査隊を派遣していた境界村にしても同様である。境界村は、王立魔法研究所の建設地がとくに壊されていたらしい。村民の命も少数ではあるが失われた。ゴリやその他魔法使いたちの奮闘も虚しかったようである。マックス王太子にはゴリより陳謝の報告が入った。

 そう、マックスはすでに意識が回復していた。

 マックスはまず王都市民に対して国王崩御とカーシー王子の死去を報じた。そして〝あの夜〟の危機を救ったのはエルスト王子であるとも伝えた。王都市民は驚いていた。

 国王の葬儀はごくしめやかに執りおこなわれた。国王に続き、王城や王都の犠牲者も弔った。

 王都市民に対して、サード・エンダーズの存在を明かすことを、マックスは断腸の思いで決断した。王都市民にとってはあまりにもとつぜんすぎた出来事であったからだ。

 そしてサード・エンダーズ、ひいては〝あの夜〟の首謀者がカーシーであるとも公表した。カーシーを身代わりにし、ドラキュラや王都に出現した未知のドラゴンの存在は秘匿したのである。

 王都市民の混乱は避けられなかったが、首謀者がすでに落命しているとあり、多少の安心は得られたようである。


 五日前、つまり〝あの夜〟から二日目、ミズリンやエルスト、ファーガス、その他関係者の了解のもと、マックスは国王に即位している。

 これにより王位継承順位に変動があった。マックス嫡子であるクリスタベルが第一位に、ミズリンが第二位に、エルストが第三位に浮上した。しかしミズリンは来たる婚姻を経るとともに王位継承権が剥奪されるため、そのとき、エルストは第二位に浮上することとなる。

 亡き国王の王妃は王太后となったが、王太后はいまだ眠ったままである。

 マックスは王位即位とともに、王立魔法騎士団元帥に叙任された。

 元帥としてまずおこなったことは、カーシーの密葬と、前国王に殺されたオフルマズド教神父の死体を処分することと、テン牧場にいたアドルーをふたたび捕縛することであった。ミズリンは何も言わなかった。アドルーは王立魔法騎士団本部に収容されることがとうぜんだと考えたからである。

 アドルーは意識こそ回復していたが、左目はやはり失明していた。抵抗する気力もなかったようである。素直に捕縛されていた。


「僕はおまえを、絶対に許さない」

 エルストは全身を跳ねさせた。眠りが浅かった。胸を押された気分になり、肩で呼吸を整える。

 カーシーの夢を見た。カーシーの死に際を映した夢だ。真っ赤に焦げながらこちらを見て、うらめしげに、憎い仇でも見るかのように歯を噛みしめ、呪い殺さんばかりの形相を向けてくるカーシーの姿が鮮明に映っていた。

 エルストは五日間、自室のベッドにひとり横たわっている。幸い、王城にはほとんどと言ってよいほどサード・エンダーズからの被害は及んでいなかった。

「ごめんなさい……」

 エルストは肩を震わせ、ひとりぼやく。

 エルストの心に、サード・エンダーズの襲撃、カーシーの殺害、いなくなったベルとアギが、重苦しさを与えている。眠る前、執事が部屋の明かりをつけようとしていたがエルストは止めた。暗ければ不安と自己嫌悪に苛まれるが、かといって明かりは煩わしく、誰かに見られている気がする。エルストは暗いほうを選んだのだった。

 こんなときこそベルとアギに、隣にいてほしい。

 エルストは最初こそ――〝あの夜〟が明けてすぐのころこそ王都じゅうを走り回り、兄マックスの戴冠式が終わってもなおベルとアギの姿を探していた。だが王都のどこにも、テン牧場にさえいないとあり、エルストの足はしだいに王城から離れることはなくなった。テン夫妻でさえ、ベルとアギの行方は知らなかった。ちなみにひと気のなくなったテン牧場には見張りの騎士が置かれている。テン夫妻がサード・エンダーズに加担している可能性がある以上、マックスがそう指示したのである。

 エルストの全身をだるさが襲っている。手足を動かすにも、起き上がることすらおっくうである。エルストはろくに食事も摂っていない。食事を摂らないので、あたまが働かない。あたまが働かないので、自分が何をすべきかわからず、気だるさに身を任せているのだ。

 ベルとアギはどこへ消えたのだろうか。王都にはもういないのだろうか。どこかへ行ったのだとしたら、どこへ行ったのだろうか。

 そして不可解なのが、なぜエルストに何も言わずに姿を消したのか、である。

 もしやベルとアギは、サード・エンダーズに加担しにいったのだろうか。このまま、敵になってしまうのだろうか。敵になったら、カーシーと同じように殺してしまうのだろうか。

 エルストは枕を抱き寄せた。緑色のシーツにしわが走る。

 ひとりでいることがこれほどまでに頼りないと、生まれて初めて知ったような心地だ。


 部屋の扉が叩かれた。誰かがノックしたようだ。エルストは視線だけを動かした。

「入るわよ」

 ミズリンだった。薄暗い部屋の天井、床に、廊下からの白い光が射し込んでくる。

「いいかげん起きてるでしょう。少しくらい顔を見せたらどうなの」

 エルストがミズリンと会うのも五日ぶりだった。ミズリンは、〝あの夜〟に比べ、すっかり平静を取り戻している。

「マックス兄様がお呼びよ。これから三人で話をしましょう」

「……話?」

 エルストは唇だけを動かした。ミズリンの顔は、エルストの体勢では見えない。

「ドラキュラのことは、だいたいのことを私から伝えたわ。あの夜、おまえたちから聞いたような話をね。だけどほかに気になることがあるみたい、マックス兄様は」

「なんです?」

「私はマックス兄様じゃないんだから私に訊かないでちょうだい!」

 ミズリンの苛立ちが声色から伝わってくる。

「おまえ、ひとをばかにしているの? もっとましな性格じゃなかったかしら……ひとと話すときは身を起こしなさい。しかたないから今回だけは許すけれど、いいこと、次はないわよ」

「……すみません」

 エルストが謝ると、ミズリンの溜め息が聞こえた。

「だらしがない。まず食事を摂りなさい。みっともない。ホットサンドを焼かせるわ」

「ホットサンド? ……」

 エルストがわずかにあたまを起こした。

「……グランド・テレーマでおいしそうに食べてたでしょう。お好きじゃなくって?」

「えっと……」

 エルストは言い淀む。好きか嫌いかと問われたら、もちろん好きだ。だがいまは、ベルが焼いたチキンステーキのほうが恋しいとは、エルストは自覚しながらも言えずにいた。

「あ……ちょっと待って。さっきの、撤回するわ。ホットサンドを食べる前に、お湯でも浴びてきなさいね」

 ミズリンの声が低くなる。

「おまえ、くさいわよ」

 ミズリンはエルストの自室を出ていった。


 湯浴みを済ませると、エルストは少しばかりからだが軽くなった気がした。エルストが身支度をして談話室へ赴き、現在、マックス、ミズリン、エルストの三人は、カーシーの動機や行動について、ローテーブルを囲んだソファーに腰かけながら三人のみで話しあっている。

 議題はカーシーについてだ。とくにミズリンは当時王立魔法騎士団本部の地下部屋にはいなかったので、カーシーについて、あまり知っていることはなかったのである。だがカーシーをサード・エンダーズへと大きく動かしたきっかけはなんだったのか、本人のいない現在、導き出される答えは明確ではなかった。

 そして最も解きがたい疑問であり、マックスが気にかけてやまないのが、カーシーがまとっていた加工済みドラゴンは〝誰が再加工したのか〟ということである。加工済みドラゴンはカーシーの宮廷魔法使いであった者が所持していた加工済みドラゴンであるが、もともと、鎧などという姿形はしていなかったことをマックスは知っている。再加工されたことは明らかだ。

 エルストは嫌な予感がした。加工済みドラゴンを再加工するなど、チ・ビたちの誰かがおこなったに違いない。ではエルストがブラウン火山を訪れたとき、チ・ビも、ブラウンも、加工済みドラゴンを再加工したことはエルストに隠していたのだろうか。加工済みドラゴンはブラウンの炎で焼かなければならない。

 そう考えたのはエルストと変わらない年に誓約の旅をしたミズリンも同じだった。ミズリンはエルストの隣で顔色を青くしていた。

「ドラゴンの加工職人たちがサード・エンダーズだっておっしゃるの?」

 王族のための談話室で、目の前に座るマックスに、ミズリンが眉をしかめながら尋ねた。

「その可能性もなくはない」

 マックスは国王の証でもある赤いマントを背もたれに起き、足を組んで答えた。もはや傷は全快したかのようだが、マックスはたとえ痛みがあろうとも、あくまでも妹や弟、家族に痛みを気取られぬように平然をつらぬいている。

「じゃあ……ブラウンは?」

 エルストがおなかをさすりながら言った。ホットサンドはまだ来ない。

「それも断言できない」

 マックスはやるせなさそうに言った。エルストとミズリンは顔を見あわせる。どちらも気まずそうな表情をしていた。


「た、た、た、た」

 エルストが片頬を引きつらせながら言う。マックスとミズリンは、なんだなんだとエルストの顔を見ている。

「太刀打ちできませんよね? ブラウンに」

 エルストのこの言葉はブラウンがサード・エンダーズに味方している場合の話である。マックスも、ミズリンも、エルストも、ブラウンの脅威はセカンド・エンドの夢を見て知っている。

「だいぶおそろしいな」

 マックスは非常に珍しく素直に答えた。

「もしもの場合よ!」

 ミズリンが怒鳴る。

「サード・エンダーズにブラウンが加担するわけないわ」

「え、あ、ご、ご、ごめんなさい」

 エルストは萎縮した。

「待て、ミズリン。おまえのその言い分はこちらに都合が良すぎる」

「は?」

 ミズリンはマックスを睨んだ。よくマックスを睨めるものだ、とエルストはミズリンの隣で感心している。

「私たちは最悪の……最悪の最悪の最悪の、そのまた最悪のケースを想定しておかなければならない」

「え、じゃあマックス兄様、ブラウンがもしもサード・エンダーズに加担していたとするなら?」

 エルストが尋ねる。

「ただの最悪レベル一だ」

「ひぇっ……」

 思わず悲鳴をあげたエルストを、ミズリンが容赦なく睨みつける。

「じゃ……マックス兄様、最悪の最高レベルは?」

 エルストが問うと、マックスは、

「私たち以外の人間すべてがサード・エンダーズに加担していることだな」

 と答えた。これも、あり得ないと断言はできなかった。


 談話室の扉が控えめにノックされた。このノックの仕方はエルストの執事だ。

 マックスが執事に入室を促すと、執事はワゴンを引いて談話室へ入ってきた。

「ミズリン様から申しつかっておりましたホットサンドをお持ちいたしました」

「ホットサンド?」

 マックスが片眉をあげる。

「エルストに。ちょうどお昼だから私たちもいただきましょう」

「ご用意いたします」

 執事は恭しく魔法を使い、ローテーブルの脚を伸ばし、エルストらのみぞおちあたりまで高くした。

 執事は宮廷で抱えているコックにベーコンエッグ、チキンとトマト、マカロニサラダ、合計三種のホットサンドを用意させていた。マックスが、ぜいたくだ、と言ったが、執事いわく農場や牧場は運営を再開しているらしい。避難民が不満を抱くほど食糧難にはなっていないそうだ。

「エルストはホットサンドが好きなのか?」

 まさか味覚の好みをマックスに指摘されるとは思っておらず、エルストはたじろぐ。

「あ、いや、前、グランド・テレーマでミズリン姉様たちと食べたことがあって、それで」

 その当時はアドルーもいたのだろうとマックスは察した。

「いただきます」

 執事がグラスに水を注いでいるあいだ、エルストはベーコンエッグのホットサンドを選びとった。ベーコンの塩気がちょうどいい。ケチャップとコショウの風味が鼻奥を突っついてくる。

 エルストは隣と正面を見る。するとマックスも、ミズリンも、ナプキンを受け取る前にホットサンドへかぶりついていた。エルスト同様ホットサンドに遠慮がないあたり、ふたりとも空腹だったのだろう。そんな姿が、エルストにはおかしかった。

 この三人で食事をすることになるときが来ようとは、エルストは露ほども思っておらず、目にはしぜんと涙が溢れようとしていた。

「ちょっと、どうしたの?」

 ミズリンが口もとをぬぐっている。ようやくナプキンを受け取ったらしい。

「あ、いや……いろいろ」

 エルストは食べかけのホットサンドを皿に戻す。

「グランド・テレーマで食べたのが、なつかしくって。あのときはアドルーもいたし……父上は亡くなられたし……カーシー兄様、殺してしまったんだなって……」

 エルストはついに涙をこぼす。

「飲み込んでからお話しなさい、はしたないわよ」

 エルストはミズリンにこくこくと頷いた。

「ベルとアギとも、食べたかったなって」

 マックスとミズリンは押し黙る。しばらくしたのち、ミズリンが、ばかね、と呟いた。いつものトゲのある言い方ではなく、どこか温情が含まれた声色であったとエルストには思えた。

 エルストはカーシーを思い出す。そして地下部屋で隣にいたベルとアギを思い出した。

「マックス兄様」

 エルストが言う。

「僕にとって、最悪の最高レベルには、絶対に到達しません」

 マックスが眉を寄せた。エルストは続ける。

「ベルもアギも、サード・エンダーズなんかじゃ、ありませんから」

 きっとまたふたりと一緒に食べることができる。目の前にグランド・テレーマの青い空と海を連想しながら、エルストはふたたびホットサンドにかぶりついた。


 ベルとアギを信じると決めたとたん、エルストは身軽になった。ホットサンドを食べ終えたあと、足早に王立魔法騎士団本部へと向かう。今回は忍び込んだわけではない。入域許可証ならマックスから降りている。

 前回訪れたときとは異なり、独房には、見張りの警備兵も、ほかの囚人たちもいる。その中でエルストが目的とする人物はアドルーだ。テン夫妻はここと違う独房に収容されている。

「独房好きだよな、おまえ」

 アドルーは茶化しながら言った。ひげが生えている。白い清潔な衣服に着替えていたようで、手錠のみ、かけられている。エルストとアドルーは鉄格子を挟み、お互い床にあぐらをかいた。執事に刺された目の傷が痛むらしく、アドルーの表情は時おり歪んだりしている。

 国王やカーシーが死んだことは、アドルーにも伝えられている。カーシーがプロメテシアを殺しそこねたことには顔に熱をこめ、憤りや屈辱といった色を見せていたとはマックスからエルストが聞いた話である。姿を消したドラキュラには、表情を変えなかった。

「わくわくするよ、ここ」

「フザケにきただけなら帰ってくれ」

「それだけじゃないんだ」

 エルストとアドルーは会話を続ける。

「えっと、じつはさ、僕、ブラウン火山に行くことになったんだけど……アドルー、ドラキュラの居場所って知ってる?」

「いや、まったく話が見えない……順序を組み立てて話してくれよ。なぜ俺にそれを尋ねようと思ったんだ? 自分の用件だけペラペラ話すなよ」

「あ、ご、ご、ごめん! 気持ちがたかぶってるんだ」

 エルストはあたまを掻く。

「じつはブラウンへ会いに行かなきゃいけないっていうのと、ベルとアギを探しに行きたいっていうのと、同時に湧いてきちゃって……アタフタしてるんだ」

 エルストはマックスとミズリンとともにホットサンドを食べたあと、マックスからブラウンへ会いに行くよう命令されたことを目の前のアドルーに伝えた。ブラウンがサード・エンダーズに加担していないか確認するためだ。ドラゴンは王族と宮廷魔法使いしか会ったことがないため、王立魔法騎士団に任せるよりも、マックスはエルストを選んだのだった。


「ベルたち、どっか行っちまったってことか?」

「うん、そう、そうなんだ」

「おまえさ……まずそこから話せよ。ちっとも伝わらないぜ」

「ご、ごめん」

「ベルたちがドラキュラのところにいるって?」

「そんな気がするんだ」

 エルストは胸に手をあてながら言った。アドルーは短く溜め息をつく。

「火山にしても、ミズリンとパトリシアに行かせればいいじゃないか。わざわざおまえが行かずとも」

「ミズリン姉様は王都が気がかりなようだから」

「ああ、ドールが王都を壊したんだったな」

「……ドール?」

 エルストが目を丸めた直後、アドルーは、しまった、というふうな顔をした。

「口が滑った!」

 このときアドルーは正直であった。

「忘れてくれ」

「ううん、聞いたよ。ドールって聞いたよ、今。それがドラゴンの正体? ドラゴンの名前?」

「は? ドラゴン? ドールはクォー……あ、いや、なんでもない」

「クォー……何!? やっぱりベルと同じなの!?」

 エルストは鉄格子に掴みかかった。アドルーは居心地が悪そうな顔を浮かべる。もしかするとアドルーも、ドラキュラから、ベルがドラキュラとプロメテシアの娘であることを聞いているかもしれない。いや、きっとそうだとエルストは半ば確信する。

「ドールは……」

 エルストの気迫に観念したようにアドルーが言う。

「ベルの兄貴なんだよ。ドラキュラとプロメテシアの……王立魔法研究所で、ベルよりも先に実験体として生まれた。研究所の火災もドールのしわざだ」

 エルストは顔を大きく歪めた。その後、手で口を覆った。

「そんなこと……ベルは知ってるのかな? ……」

 エルストが言った。

「さあ。わからないけど、知らないんじゃないかな。ほら、グランド・テレーマで、ベルが兄弟はいないって言ってたしな」

「ねえ、あのときから、アドルーはベルのこと知ってたの? お願いだから、ドラキュラの居場所を教えてくれよ!」

 エルストが尋ねたが、アドルーは肩をすくめるだけだった。


「ねえ……アドルー」

 エルストはいまいちど鉄格子を強く掴む。

「ブラウン火山に、ついてきてくれない?」

「はあ?」

 アドルーは聞き返す。

「あのさ」

 エルストは居ずまいを正す。

「僕、自慢じゃないんだけど、ひとりでいることにすっごく不安をおぼえる性格みたいなんだ。ひとりになってみてわかったことなんだけどね」

「まあ……見た感じ、そうだろうな」

「でしょ? ひとりじゃ、ほら、さっきみたいに気持ちがたかぶって混乱するし」

 アドルーは頷いている。

「だけどついてくも何も、俺は罪人だぜ。しかもサード・エンダーズだ」

「うん」

 エルストもまた頷く。

「だけどアドルーは友だちっていうか、そんな感じだから……罪人や敵なんだって思えないんだよ。あ、いや、ほんとは友だちって言いたいんだよ、アドルーのこと。そう思ってる! だけど面と向かって言うのは、ちょっと照れくさいや」

「なんだそりゃ」

 思いのほか恥ずかしがり屋のエルストに、アドルーはついつい呆れたように笑った。

「しかし俺が罪人であるかぎり、おまえの兄貴がここから出してくれることはないんだよ」

「うん。だからね……ちょっと待ってて」

「何を?」

「マックス兄様にお願いしてくるのを!」

「えっ? あっ、おい!」

 エルストは弓に弾かれたように立ち上がり、アドルーの前から一目散に駆け出していった。アドルーはぽかんと口を開けたまま、エルストが去っていったほうを見つめている。

「なんだあいつ……」

 アドルーは戸惑っていた。


「マックス兄様!」

 マックスとミズリンがいまだ王城の談話室にいると聞き、エルストは急いだ。談話室ではマックスとミズリンはソファーに向き合って座りながらハーブティーを飲んでいる最中だった。マックスは、さっきとは打って変わってはつらつとしたエルストの様子を訝しみながら、なんだ、と尋ねる。

「ブラウン火山にアドルーを同行させてもいいですか?」

「ばか言うな」

 マックスは即刻一蹴した。エルストは言葉を詰まらせる。

「おまえの魔力もまだ母上の体内にあるままだ。カーシーの魔法を解く方法もわかっちゃいない。いわば丸腰のおまえがサード・エンダーズの一員と行動をともにするなど、死にに行くのと同じことだ」

 マックスはミズリンの目の前にも関わらず淡々と告げた。エルストは両手でこぶしを作る。

「でもアドルーはドラキュラの居場所を知っています、絶対に!」

「だからなんだ?」

「僕が聞き出します。聞き出してみせます」

 マックスは思わずミズリンと顔を見あわせた。ミズリンは眉をひそめている。エルストはもうひと押しする。

「アドルーの同行を許してくださったなら、あの夜、王都を壊したドラゴンの正体をお教えします」

「この私に取り引きを持ちかけるか」

「僕はいまアドルーからこの情報を聞き出してきました」

 本当はアドルーが口を滑らせただけなのであるが、この際、魔法が使えないエルストに取り得る手段はウソをつくことくらいだった。かつてベルとアギふたりと一緒に王立魔法騎士団本部に忍び込んだときを思い出しながら、エルストはいま、マックスと向き合っている。

「ならばアドルーからドラキュラの情報を吐かせたあとブラウン火山に向かえ」

 マックスが言った。

「それじゃベルとアギを探しに行くのが遅くなってしまいます!」

 エルストが主張するとマックスは表情を固めた。


「おまえ、ブラウンに会う道すがら、ベルとアギを探しに行くつもりなのか?」

 それは初耳だとマックスが言った。するとエルストはこう言いかける。

「僕にずっと……」

 ひとりでいろって言うんですか、とエルストは言いかけたのだが、すべては言わなかった。その言葉はふさわしくない気がしたからだ。

「僕にはベルとアギが必要です。契約こそ……僕が魔法を使えないせいで仮契約かもしれないけど……でもふたりは、僕の宮廷魔法使いと、そのパートナードラゴンです!」

 王族と宮廷魔法使いのあいだには本来、魔法を用いた契約がなければならない。だがエルストとベルは、エルストに魔力がないため、誓約の旅をはじめる前、かたちだけの契約を交わした。だがエルストにとってはベルとアギはれっきとした宮廷魔法使いとそのパートナードラゴンである。一年にも満たない旅の途中だが、そう実感している。

「僕はブラウンに会います。それがマックス兄様からの王命ですから。王命はだいじにします。だけど僕が僕として、ベルとアギを探しに行きたいんです!」

 エルストが言うと、マックスは腕を組んだ。

「なぜそれがアドルーの釈放につながる?」

「ベルとアギがどこかへ行ったのだとしたら、それはきっとドラキュラのところです。そう思うんです。ドラキュラは……ベルの父親だから」

「ドラキュラの正体はダンだったな」

 あの夜、ベニー・テンから聞いた情報は、とうぜんマックスにも伝わっている。

「……アドルーがドラキュラの居場所を知っているという可能性も、あながち的はずれではないかもしれん」

 マックスは目を閉じつつ言う。

「ダンはドルミート領の出身なのだ」

 エルストが顔を強張らせた。ドルミート侯爵やアドルー、ドラキュラのつながりが見えてきた。


「いいんじゃないかしら」

 長らく閉口していたミズリンが言葉を発する。

「アドルーをエルストと行かせても」

 マックスが目を開け、澄まし顔をしている妹を見た。

「どのみちエルストの宮廷魔法使いなんてほかの人間は探しに行かないわよ」

「えっ」

 ミズリンの冷たい言い草にエルストは口もとを引きつらせる。ミズリンの瞳がエルストを映す。

「自分の宮廷魔法使いは自分で探しに行きなさいってこと」

 ミズリンがつけ加えた。

 マックスはエルストとミズリンを交互に見る。それが一分ほど続いた。マックスはいちど歯を見せ、溜め息を挟んだ。

「アドルーの罪を帳消しにするわけではないからな」

 そのマックスの返答には、アドルーの同行を許可する旨が込められていた。エルストは目を輝かせる。

 エルストがマックスに、ありがとうございます、と言いかけたとたん、マックスがエルストに向けて手のひらを差し出した。マックスは無言である。エルストはしばし思案する。マックスは何かを求めているようだ。そしてエルストは、つい先ほど述べた自分の言葉を思い出す。

「王都を壊したのはドールという、ベルのお兄さんです。つまりドラキュラとプロメテシアの息子。ベルよりも先に、王立魔法研究所で実験体として生まれたそうです」

 マックスは無表情だが、ミズリンはたいそう驚いている。

「十八年前、王立魔法研究所の火災はドールが原因だとアドルーは言っていました」

「アドルーひとりの証言だけだと信憑性に欠くな」

 マックスはあくまでも冷静だ。エルストがやや不安げな顔をした、そのときだった。

「マックス兄様。私、エルストがブラウン火山に行っているあいだ、ドルミート侯爵に尋問してみるわ」

 ミズリンがそう提案したのだった。

「ドルミート侯爵もサード・エンダーズだったのでしょう? 何か有益な情報が聞けるかもしれないわ」

「それは騎士の役目だ」

 マックスは足蹴にした。だがミズリンは食い下がる。

「やがて私の父となる人よ。面会くらい許してくださらない?」

 ミズリンはマックスに対しても強気だった。

 マックスはミズリンの左手に光る指輪を一瞥し、観念したように両手をあげた。

「好きにしろ。まったく、とんだ跳ねっ返りだ……ふたりとも、聞き出した情報は後日、包み隠さず教えなさい」

 降参したらしい。ミズリンはすぐさまエルストのほうを向き、不敵に微笑んだ。エルストの顔にも笑みが浮かぶ。

「アドルーに殺されるんじゃないぞ」

「アドルーは片目が見えないんだからきちんとフォローするのよ」

 マックス、ミズリンに言われ、エルストはどちらともに元気よく頷いた。


 エルストがふたたび王立魔法騎士団本部へと去っていくと、残されたマックスとミズリンのあいだには少しの沈黙が訪れた。マックスはまだ温かいハーブティーへと手を伸ばす。

「あのエルストが私を強引に説得するとはな」

 ハーブティーをひとくち飲み、

「あの引きこもりだったエルストが」

 そう言い終えた。

「どうして私にそんなことを話すの?」

 ミズリンもまたハーブティーを飲む。

「ほかにこんなことを話しあえる家族がいなくなったからだよ」

 ミズリンがハッとしたように、わずかに顔をあげた。ハーブティーを飲み終えたマックスと目があう。

「私たちの弟だもの」

 ミズリンは目を伏せた。

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