17 サード・エンダーズ(15)
カーシーが死んだ直後、マックスがまず気にしたのは生存する家族の行方だった。
「妻とクリスタベルや、ミズリンは無事なのか?」
煙が充満する中でもマックスがわずかに顔色を落としているのがエルストにはわかった。マックスはそれら家族が無事でない場合の対応手段を想像しているようだった。
「あ、ぶ、無事です。義姉様とクリスタベルはベルが城外に逃がしてくれました。そうだよね、ベル?」
「は、はい。ミズリン様たちも私の実家……ええと、テン牧場にいらっしゃるから、マックス様の奥さんもそこに」
「はたしてそれが無事と言ってよいのかは甚だわからんが、ひとまず礼を述べよう。ありがとう、ベル」
マックスに礼を言われたことがそうとう意外だったらしく、ベルはびっくりして、どういたしまして、とぎこちなく応えていた。
「でもマックス兄様のほうが無事じゃないですよね」
エルストが指摘したのは、マックスの白の礼装が血で汚れているからである。かすり傷などでは済みそうになく、エルストには、マックスが平気そうに振る舞っていることが不思議でならない。マックスはカーシーがまとっていた、割れた加工済みドラゴンの鎧と、ほかならぬカーシーの焼死体を一瞥したあと、おもむろに地にあぐらをかいた。
「ねえ、ベル。止血する魔法とかある?」
エルストがベルに尋ねたが、ベルは首を振る。
「そういう治療のために使う魔法なんてないんです」
「あ、王子いま、なんや魔法かて意外に不便やなァおもたろ?」
「そ、そんなことないよ、アギ。ただ魔法も……なんて言うか……万能じゃないんだね」
そしてエルストはこう思う。
「僕がいままで無事だったのは、ベルとアギがいてくれたからなんだね」
ベルは苦笑するのだった。
マックスはひたいに脂汗を滲ませながら、愛用のサーベルを大きく振りかざし、何やら魔法を唱えた。そののち十秒とかからずに、この地下部屋に充満していた煙が跡形もなく消え去ったことにエルストはひどく驚く。マックスは、王都の上空に煙を逃したのだと言った。
「そんな重体で魔法を使って大丈夫なんですか?」
このエルストの問いにマックスは、
「しのごの言ってられない。私の長生きよりも、ここの煙を晴らすことのほうがだいじだ」
とあっさり答えるのだった。
エルストはプロメテシアを見る。プロメテシアは、エルストらの存在こそ認知しているかのようなそぶりだが、言葉も、さらには感情の色もいっさい見せていない。カーシーにつけられた傷はあるが、それがプロメテシアの生命をおびやかしているふうでもない。流れ落ちた緑色の血液は乾きつつある。エルストは己の手のひらを眺める。薄い膜となった血液が、手のひらの動きにあわせて剥がれ落ちている。エルストが隣を気にすると、ベルとアギもまたプロメテシアに惹きつけられていた。
「あれが私のママ……」
人と呼んでよいのか、ドラゴンと呼べばよいのか、ベルはとまどっているようだった。ベルがプロメテシアの種類を決めれば、すなわちそれがベル自身の種類にも結びつくからであろうとエルストは考える。エルストはベルが決めた種類の呼び方に従おうと思った。
「私の……パパは……」
ベルは終始、微妙な顔つきであった。
「エルスト」
マックスが呼ぶ。
「上へ戻ったら、マジョルダに、魔力バンクの解放を続けろと命令しろ」
マックスの瞳はうつろだ。
「それから騎士団には王都内をくまなく捜索させるんだ。ドラキュラがいないかだ。一小隊には境界村へ向かわせろ。そんな指令はまだ出しちゃいないからな。ああ、あと、騎士団本部と王城にたくわえた食糧を避難民にわけるんだ。きっとあの火災で王都じゅうにある大半の食糧が燃え尽きていることだろう」
「あ、食糧なら問題ないで! ヨウ・ヨウが魚をぎょーさん降らせてくれたからな」
「……なんだそれは。すまん、理解ができん」
マックスが困惑した表情を見せた。
「王都の火災が収まったの、じつはエルスト様がヨウ・ヨウに頼んだからなんです。そしたらヨウ・ヨウ、豪雨と一緒に魚介もたくさんプレゼントしてくれました!」
ベルが少し得意げに答えた。
「よくわからんが、そういうことなら、食糧のことはエルストに任せる」
マックスは強引に納得したようだった。
「そして私が起きたら、ドラキュラについて、詳しい話を聞きたい」
うつろなマックスの瞳がベルを捉える。
「まだ王都を動くんじゃないぞ」
マックスはエルストらに強く念を押した。エルストは小さく頷く。マックスはいちど長い溜め息をつき、エルスト、とふたたび呼びかけた。
「助かった」
それだけ言い残し、マックスはからだを倒して気を失った。
「なんや言うだけ言って気絶しおったで!」
アギは焦っている。
「ね、ねえ、気絶しても血って止まらないんだよね、ベル」
「えっ? た、たぶん……わ、わかんないです!」
「よいしょっと」
エルストは上半身の衣服を脱ぎ、マックスの胴体にきつく結びつけた。それを見たベルがアギのマントをエルストの肩にかけてやった。
エルストらは王城に戻ったのち、ミズリンらへ事態を報告すべくテン牧場に向かおうと話しあっていた。気を失っているマックスの看病は、王城で出くわしたエルストの執事に任せることにした。執事と顔をあわせた際、エルストはアドルーのことを思い出し、もどかしさを噛みしめたような顔をしたが、王城でエルストが信頼できるのは執事くらいであることから、アドルーの件については黙っていた。
エルストやベル、アギが悩んだのはカーシーの焼死体をどうすべきかということだった。まさか王城や王立魔法学園に持ち込むわけにもいくまい。せめて今夜の事態が落ち着くまでは、プロメテシアがいる地下部屋に、そのまま安置することにした。地下部屋を離れるとき、ベルはさびしげな、心にトゲが刺さっているような表情を見せていたが、それよりも王都のことやテン牧場のことが気になるのだろう、プロメテシアには何も言わずにいた。
「牧場に行くまえに、マックス兄様に言われたことをしなくちゃ」
エルストは王立魔法学園へ足を運ぼうと言った。
魔力バンクのもとへ向かうと、そこにマジョルダがいた。国王が死んだことをマジョルダは知っていた。そのうえで、エルストにかける言葉を探しているようだった。
「エルスト様の魔力、やっぱり抽出しなければいけませんか?」
ベルがマジョルダに尋ねた。
「そうねェ。決定権は国王陛下だけがお持ちだったから、私の一存ではなんとも言えないわン。というか、いまは魔力バンクのことでテンヤワンヤしててね。マックス殿下がお目覚めになられたら、マックス殿下に聞いてみてくださるかしらン」
「魔力バンクの中……魔力、まだ、たくさん残ってるの?」
これはエルストが訊いた。
「あ、そうそう、ソレなのですわ、エルスト殿下。エルスト殿下にもお伝えしないといけませんわね。学園はなんとか復旧できたんですけれど……さすがに崩壊した王都じゅうの建物を復旧することは……この残量じゃ、難しいんですの」
「そっか。わかったよ、マジョルダ。ありがとう」
エルストにお礼を言われると、マジョルダは面食らったようにして、申し訳なさそうに苦笑いした。
次は王立魔法騎士団である。王立魔法騎士団の面々は、〝あの〟エルストに指図されることに不快感を隠さなかったが、将軍であるマックスが重体であり、元帥である国王が殺害された手前、エルストの指示どおりにドラキュラを探さないわけにはいかなかったようだ。境界村へ向かうことも、騎士たちは自ずから動いていった。境界村については一小隊の報告を待つことになる。そしてエルストは最後に、騎士たちに、王都じゅうに魚介が落ちているだろうから、とうぶんはそれで過ごそうと言った。騎士たちは不審がっていたが、実際に魚を目にすると、納得するほかにすべはなかった。これにて王立魔法学園での用事は済んだ。
テン牧場ではベニーとサーシャが出迎えてくれた。エルストとベルはテン夫妻に対して居心地が悪そうにしていたが、アギだけが普段どおりである。
「いきなり王太子妃様や王女様たちが見えられたから、びっくりしたよ」
ベニーはそう言いながらも苦ではなさそうだ。エルストがアギのマントを羽織っていたことに気づき、ベニーは、使い古したようなシャツを一枚、エルストに貸し与えた。アギのマントはふたたびベルの肩に舞い戻った。
牧場の母屋では、いまだ眠ったままの王妃のそばに王太子妃とクリスタベル王女が座っており、ミズリンとパトリシアは意外にもアドルーのそばに椅子をもち腰かけていた。アドルーが寝ている部屋はベルの寝室らしい。
ミズリンはエルストらの姿を見るなり弾かれたように立ち上がる。
「エルスト! 王城は? サード・エンダーズは?」
ミズリンは大声である。
「えーっと」
エルストはまず何から言うべきか迷っている。そんな弟の様子を見かねたミズリンは、声を小さくする。
「長くなってもいいわ。全部お話しなさいな」
「はい」
アドルーも気を失ったままだ。ベルは、エルストとベルのぶんの椅子を持ってきた。エルストはベルに礼を述べて腰かける。ミズリンらも同じく腰をおろした。
エルストはゆっくりと、国王が本当に殺されていたこと、カーシーがサード・エンダーズであり加工済みドラゴンの鎧をまとっていたこと、カーシーがプロメテシアを殺そうとしていたこと、マックスがカーシーを止めようとしていたこと、しまいにエルスト自身がベルと一緒にカーシーを殺したことを告げた。
ミズリンとパトリシアは非常に驚いていた。カーシーがサード・エンダーズであり、長年、王国に対し裏切りの機会を狙っていたことを、ミズリンとパトリシアも知らなかったようだった。ミズリンは怒りと悲しみを混ぜたように目を伏せ、唇を歪めた。しかし王立魔法騎士団に指示を出したことをエルストが述べると、ミズリンの気はやや晴れたようだった。王都のことがよほど気がかりだったのだろう。
「それで、ドラキュラは? 街にいたドラゴンのことも気になるわ」
ミズリンは膝の上で手を組みながら言った。
「ドラキュラはどこかへ行ってしまったようです。いま騎士団が探してます。でも姉様、ドラゴンなんて、ほんとにいたんですか?」
「まあ。私が信じられないの、エルスト?」
「ち、違います。そうじゃなくって。だってドラゴンなんて、つまり加工されていない、生身のドラゴンということですよね?」
「ええ」
「それならヨウ・ヨウか、ブラウンか、アトウッドか、イオンということになりますよね」
ミズリンもセカンド・エンドの夢でイオンの姿は見てきただろう。だがミズリンは首を振る。
「違う……彼らのどの姿にも当てはまらなかったわ」
「ほんなら、いったい誰やねん?」
手はないが、お手あげだと言わんばかりにアギがぼやいた。
「エルスト様」
そこでベルが口を挟む。
「エルスト様。もっと違う……違う姿のドラゴンがいても、おかしくないんじゃないでしょうか」
「え、それって、どういう……」
そう言いながらエルストはベルを見た。ベルは無表情だった。
「〝私みたいなの〟がいて、それがもし、私よりもドラゴンに近い姿をしてたなら?」
エルストの顔が強張る。
「ベル、兄弟、いるの?」
たしかベルはひとりっ子だとグランド・テレーマでベル自身が言っていた。あのときの言葉がウソであったとしたなら――ウソではないと言い切れる自信は、エルストにはない。ベルはうつむきながら言う。
「わかんないです。いないと信じたいです。信じたいです、ホントに。だけど、わからない」
「ちょっとお待ちなさい。おまえたちだけで話を進めることは許してないわよ」
ミズリンは目を細める。
「ベル、〝私みたいなの〟とはどういうこと?」
ミズリンに問われ、エルストとベルは視線を交わす。
「僕から言っても?」
ベルは頷いた。
ベルの生い立ちについて、エルストはていねいに、ミズリンとパトリシアに伝えた。
ベルはテン夫妻のじつの娘ではなく、プロメテシアとドラキュラのあいだに産まれた娘であることや、十八年前、王立魔法研究所を燃やしたのはベルであること。テン夫妻は王立魔法研究所の研究員であったこと。プロメテシアやドラキュラ、ベルは、王国の実験体らしかったこと。父国王やマックスは、王立魔法研究所を燃やしたのは前王立魔法騎士団元帥だと言っていたこと。そのひとつひとつにミズリンとパトリシアは息を飲んでいた。
「ベルがドラキュラとプロメテシアの子どもであり……王立魔法研究所を燃やしたのが前王立魔法騎士団元帥ならば……」
すべて聞いたうえでミズリンが言う。
「ドラキュラの正体は前王立魔法騎士団元帥、ダンなのかしら?」
「あ、そ、それ」
エルストが反応を見せる。
「義姉上がドラキュラを見たとき、義姉上はドラキュラをダン元帥と呼んでいました。元帥って……そういうことか!」
エルストはひとり納得する。
「ベルはドラキュラの正体について何か知ってる?」
エルストはベルに尋ねたのだった。
「聞いちゃだめ? ドラキュラのこと」
エルストの表情はひきつっている。ベルはたまらず悲しげな、苦しげな、決して良いとは言えないような感情をあらわにしてうつむくばかりだ。エルストとアギや、ミズリン、パトリシアはベルが何か言うのをじっと待っている。ベルの、言いたくないと訴えている口もとは、エルストは見なかったことにした。
「本当に父上が殺されたんだ」
エルストにしてはめずらしく、ベルを責めるような語気だった。エルストにとって、生前の交流こそ浅くとも、じつの父親が殺されたことは看過できるただごとではない。しかもその犯人がベルと親子だというのだから、エルストの気持ちはますます荒んでいくのだった。
「ドラキュラの正体はダン元帥ですよ」
部屋の入り口からベニーの声が聞こえた。部屋にいた全員が扉のほうを振り向く。ベニーが扉に寄りかかり、腕を組みながら立っていた。
「あなた……」
ミズリンが立ち上がった。そのままヒールの音を鳴らしながら歩み出る。
「あなた、それが本当なら、サード・エンダーズについて知っておきながら黙っていたのはいったいなぜ!? 元研究員ならどうしてベルのことを国王陛下に申し出なかったの! あなたたちさえ、あなたさえちゃんと言っていれば今夜のこの事態は起こらなかったかもしれないのに! ちゃんと防げたかもしれないのに!」
ミズリンはベニーの胸ぐらを掴む。
「なんとか言いなさい! あなたよくも黙っていたわね! よくも! よくも! よくも! よくも!」
そのうちミズリンがベニーの腕を叩きはじめた。
「よくも! よくもッ!」
パトリシアは動揺している。慌てて制止にかかったのはエルストだった。
「ミズリン姉様、やめて、暴力は良くないです!」
「その暴力でお父様を殺したのはどこの誰なのよ! 王都をめちゃくちゃにしたのは誰なのよッ!」
「ベニーさんじゃないです!」
エルストがそう叫ぶや否や、ミズリンはハッとしたように手を止め、やがてか細い糸が切れたかのようにベニーを前にして膝から崩れ落ちた。
「ふっ……うう〜っ……うわあああああああああーッ」
エルストは驚いた。大声でむせび泣く姉の姿を、このとき初めて目に映した。床に膝をつき、あたまを抱えてうずくまり、全身を震わせて泣いているのは間違いなくミズリンだ。
パトリシアがミズリンのそばに駆け寄る。エルストは、鼻先をぬぐったり、眉間をつまんだり、手を振るなどして平静を保とうとしている。
「わたくしたち、王妃様のところへいますわ。そのほうが……王太子妃様もクリスタベル様もいらっしゃいますから、ミズリン様も、きっと……落ち着くでしょうから」
パトリシアは気まずそうにエルストに言った。エルストは、くれぐれもよろしく、とパトリシアに伝えた。エルストでは、ミズリンの冷静さを取り戻せないとわかりきっていた。
ミズリンとパトリシアが去った部屋で、エルストとベル、アギ、そしてベニーは、いっせいに腰かけながら、ベッドの上に眠るアドルーの横顔を眺めている。
「あの、ベニーさん。さっきはごめんなさい、あ、姉が……」
エルストがおどおどした様子で言い出したので、ベニーは片手を振って止めた。
「いえ、いいんです。お気になさらず。ミズリン様の言うことはごもっともです。私もそう思います」
ベニーは丸眼鏡の位置を整える。ミズリンに叩かれたことで、丸眼鏡はすっかりずれていた。
「すみません、言いたくなかったんです」
ベニーははっきりとそう言った。続けてこう述べる。
「あのう、エルスト様。これだけは言っておきます。私や私の妻が罪に問われたとしてもなんら構いません。構わないんですが、ベルだけは違うんです」
ベニーの言葉に、ベルは顔をあげた。
「もしもエルスト様が、私たち夫婦もサード・エンダーズなのだと……ええと、この場合、マックス王太子殿下が次期国王にご即位なされると仮定して……マックス様へご申告なさったとしても、私たちに落ち度があることは明確ですし、ドラキュラのことについてもきちんとお話しいたします」
ですが、とベニーは発言を続ける。
「ベルだけは何も悪くないんです。ベルだけは潔白です。ベルのことについてだけは、王国が悪いです」
「パパ!」
ベルが一瞬にして顔色を変えた。エルストは唇を噛みしめる。隣室からはミズリンの悲痛な泣き声が聞こえている。まだ泣き止まないらしい。それもそうだろう、とエルストは思う。
「それは僕、わかりません」
エルストが言った。
「あの、ベニーさんには、僕が落ち着いてるように見えているのかもしれませんけど、あの、でも……はっきり言うと僕だって気が動転してるし、いまベルやベニーさんたちのことについてまともな判断ができるような状態じゃないんです、僕自身」
「ええ、わかります」
ベニーは頷いた。
「ですから、そのことは……もう少し待ってください。王国が悪い……悪い……」
エルストはぶつぶつ言っている。
「王国に悪いところがあったってことも……その、僕、なんとなくわかります。わかりかけてるんです、ベニーさんがいま言ったことも。うん……僕も同じ気持ちかもしれない。だけど断言できません、いまは」
「それでじゅうぶんです」
ベニーは立ち上がり、サーシャがいるダイニングへと去っていった。
その夜は、テン夫妻の言葉に甘え、エルストもまたテン牧場の母屋で過ごすことにした。エルストとベルはアドルーが眠る部屋にそれぞれ毛布を敷いて横になる。アギは椅子の上に置かれた。自覚しているよりもずっと自分は疲れていたらしい。そう思いながら、エルストが眠りに落ちるのはあっという間だった。
翌朝、エルストが目覚めたとき、ベルとアギの姿は王都のどこにも見当たらなかった。




