17 サード・エンダーズ(13)
エルストらが目にしたのは、謁見の間ほどの広さをもつ部屋を覆いつくすほど大量に置かれた加工済みドラゴンの山だった。明かりという明かりもなく、とはいえ窓ひとつないので、この部屋で頼りになるのはファーガスが焚いているらしい燭台のみだ。しかしほとんど薄暗い。エルストは左右を見たり、天井を仰いだりしている。次に背後に目をやると、先ほどファーガスが顔を覗かせていた入り口は跡形もなく消えており、そのかわり山積みされた加工済みドラゴンたちがまばたきをしながらエルストらを物珍しげに見つめていた。目が合ったので、エルストは思わず会釈した。加工済みドラゴンたちはそれぞれ青色や緑色、赤色とさまざまな体色をしているようだ。
「この部屋が……ええと」
エルストは適当な名前を探しながら頬を掻く。
「加工済みドラゴンの倉庫だ。わたしの胃袋を加工した部屋になっている」
ファーガスが答えた。王立魔法学園の生徒に支給される加工済みドラゴンはファーガスが管理しており、その部屋はファーガスの胃袋を加工したものであるとは境界村にてベルとゴリに聞いていたものの、このようなかたちで足を運ぶとなったこともあいまって、エルストは少々面食らったようである。まずは加工済みドラゴンの数の多さと多種多様さ、それから倉庫の広さに驚いた。
「ここがプロメテシアのいる場所につながっているんですか?」
「さっきも言ったように、岩トカゲにつらなる場所であれば自由に行き来できるのだ、エルスト王子。わかりやすく言うなら、この倉庫にいさえすれば、どこにでもつながる」
「でも、ファーガス理事長、ここには扉が見当たりませんよ」
「何を言う。そなたたちがいま通ってきたものこそがこの倉庫の扉なのだぞ。よし、少々待っておれ」
そう言うとファーガスは片手の指先を一本、ぐるぐると回した。まるで何かを掻き混ぜているようだった。その後、ファーガスが掻き混ぜていたのは空間だったのだとエルストは理解する。
眼前の景色が大きく歪んだのだ。これはファーガスが現れる前に見る、空間の歪みだ。エルストはつい目が回った。目の前にいたファーガスの姿が、渦巻き状に歪んでいるからだ。
「この歪みに入ればプロメテシアのところへ着くようにしてやったぞ」
つまり入れ、ということである。エルストはベル、アギと顔を見合わせ、いちど頷き、歪みの中に身を投じた。
大きな粒のかたちをなして滴ったのはマックスの血である。マックスは地にうずくまりながら奥歯を噛みしめる。生傷の痛みに耐えているのではない。これほどまでに負傷させられた自分自身にほとほと嫌気がさしているのである。マックスが今の自分に語りかける言葉はただひとつ、無様だというほかになかった。
「無様ですね」
マックスのこめかみに血管が浮き出た。マックスの中では、無様である自分が嫌いだが、それを自分以外の口から放たれることは何よりも嫌であったからだ。そして異形になった弟カーシーと同じことを考えていたことに、少なからず苛立った。
マックスは両足で立ち上がった。マックス自身、この場に充満する嫌悪感を払拭するにはそれが適切だと考えたのであった。だが無様を披露している自分を変えるには、なんの策も思い浮かばない。
「どうすればおまえは死ぬ?」
マックスはとうとう尋ねた。
「ここを滅ぼすまでは絶対に死にませんよ」
「そういうことを聞きたいのではない。殺す手段を尋ねているのだ。おまえを殺さなければ王国は一切安全ではなくなるようなのでな」
「正直言うと僕にもわかりません、こうなった僕が死ぬ方法なんてものは。こんな姿になったのは、僕も初めてですからね」
「クソッタレが」
マックスがつい本音をこぼすと、カーシーは肩を震わせる。
「ははは。いや、すみません。まさかあなたの素顔が見られるとは思わなかったものでして」
「まったく今日は、おまえに腹が立ってしかたがない」
「ええ、もっとも僕は、それをずっと隠してきていましたけれどね」
マックスとカーシーはそれぞれ身構えた。しかし、
「あ、ちょっと待って! ファーガス理事長、これ、すごく高い……うわあーっ!」
というエルストの悲鳴が聞こえたため、マックスとカーシーは、弾かれたように上を見た。
「突き落とすなんざ、やっぱ、じじいは陰険じじいやーッ!」
アギの怒号も聞こえた。
「エルスト様、まだ落ちないでー!」
しまいにはベルの声も聞こえた。この三人の悲鳴が、ドーム状に広がる地下部屋に煩わしく響き、地に突き刺さった白いレイピアが小刻みに震えてみせた。
「落ちないでって言われても、もう落ちてるよ、ベル!」
エルストが、ああぶつかる、と叫んだ直後であった。
ベルがクッション魔法を放ったのだった。エルストとベル、アギは、プロメテシアの目の前で対峙していたマックスとカーシーの中間に転がりつつも着地した。なお、ファーガスが開けていた倉庫への扉はエルストが気づいたころには閉ざされていた。天井にはごつごつした岩肌だけが見えている。ファーガスの姿はない。
エルストは立ち上がるべく、ひとまず地に手をついた。その際、手のひらに緑色の液体が付着したことに背筋が凍った。
「な、なんだ、これ!」
エルストは思わず手のひらを凝視する。
「プロメテシアの血だ」
エルストに教えたのはマックスだった。エルストは長兄マックスの顔を見る。やがてエルストらはこの地下部屋に充満する緊迫した雰囲気を読み取った。
「ファーガス理事長に連れられてきたのか」
そんな声がしたので、エルストらはマックスの反対側に首を動かした。するとそこには、じつに奇妙な鎧が立っていた。一見するとドラゴンのような、トカゲのような、この鎧こそは言うまでもなくカーシーなのだが、エルストらにはまだ、この人物が誰なのか把握できかねている。ただ、エルストにもベルにも、アギにも、もしやという予感はあった。
「カーシー兄様ですか?」
鎧姿のカーシーはうなずいた。
「カーシー兄様、その姿はいったい?」
「加工済みドラゴンだよ、エルスト。加工済みドラゴンと僕の肉体を同調させているんだ」
「同調ってなんですか? 私とアギが交わしてるような、魔法使いと加工済みドラゴンとの専任契約とは違うんですか?」
「ベル。専任契約は加工済みドラゴンが加工済みドラゴン自身の魔力を魔法使いに譲り与える、そういう契約だよね。僕はその真逆のことをしているんだ」
「どーゆーこっちゃ。つまり先生が先生の魔力を加工済みドラゴンに与えてもーたってことか?」
「察しがいいね、アギ。君たちがなぜいつもテストで赤点ばかりなのか不思議なくらい鋭いよ」
「褒められてもうたー! ワハハ、さっすがアギさんやな! ってちゃうちゃう、ふざけてる場合ちゃう」
アギひとりがうるさい。
「先生、冗談キツイで。なんでそないなことしてもーてるん!」
「プロメテシアを殺すためだ」
カーシーはそう言いながら、岩壁に埋もれたプロメテシアへと爆撃魔法を放った。轟音に苛まれ、エルストやベルは両耳を塞いだ。エルストの頬が緑色の液体で汚れるが、エルストは構わず爆撃地点へ目を向けた。粉塵にまぎれ、人のような影が見え始める。
その姿は徐々に明らかになっていく。全身が真っ白のプロメテシアを見るなり、エルストらの脳裏にはイオンの姿がよぎった。女とも男ともわからないが、とにかくこの岩壁に下半身が埋もれている存在はイオンと瓜二つの白さである。だがからだのそこかしこに切り傷がある。生々しい傷口から垂れるのは緑色の液体だ。プロメテシアはゆっくりとまばたきをしている。
「この人が、アエラ様とイオンの……」
エルストは息を飲んだ。そしてずるずると後ずさるが、プロメテシアの姿に気を取られていたため、背後にそびえたつレイピアに気づかなかった。エルストの手がレイピアの柄に触れる。エルストはレイピアを見た。真っ白な刀身だ。エルストにはこのレイピアに見おぼえがある。
「こ、この剣、まさかオフルマズド様の?」
エルストが言ったので、ベルとアギもついレイピアに目をやった。セカンド・エンドの夢で見てきたばかりのものが今ここにあるということに、三人はなんとも不思議な錯覚をいだく。
「ここはオフルマズド王がテレーマ王子を殺した部屋だ」
そう教えたのもやはりマックスだった。
「それより上はどうなっている、エルスト?」
マックスが尋ねたのだったが、エルストが返答にまごつくと、マックスは苛立ちを包み隠さず、王城の状況だ、と補足した。エルストはベルとアギと顔を見合わせ、こう答える。
「父上が殺されました。ドラキュラとかいう男に」
「なんだと?」
マックスは目を大きく見開いた。
「いい気味ですね」
カーシーが言った。ベルが顔色を変える。
「え、い、い、いい気味? 先生、何言ってるんですか。いい気味? 王様は殺されたんですよ!」
「ドラキュラはかねがね父を殺すと言っていたのだから、予定どおりに遂行してもらわないと僕としても困るよ」
カーシーは平然と言ったのだった。エルストは愕然とする。言葉を失う末弟にマックスが言う。
「エルスト、ベル。今のカーシーに何を言ってもすべて無駄だ。こいつは九年もの長いあいだ、我々王国に対する憎悪や怒りを隠してきたのだ」
「きゅ、九年? うーん、ワシにとっては微々たる年月やけども、人間にとっちゃタダゴトじゃない期間やな。いったい何があったんや、先生?」
「それはエルストが身にしみてわかっているはずだよ、アギ。父上がエルストに何をしていたか、君たちも、もう知っているんだろう?」
カーシーはエルストらに尋ねた。エルストは眉を歪める。
「僕の魔力が理由でこんなことを?」
「それもひとつの理由だということだよ、エルスト」
そう言ってカーシーが口を閉じ、しばしの間を置いたあと、マックスがふたたびエルストに尋ねる。
「エルスト、王都はどうだ?」
「火災は収まりました。避難してた人たちは学園にいます。あ、学園は、バンクの魔力を解放して、ちゃんと復旧してます。えーっと、それから……」
「火災は収まってますけど、街は粉々になってましたよ。ミズリン様が言うには、ドラゴンが街を壊したらしいです。あと……私たちもドラキュラに会いましたけど、ドラキュラ、もうどこかに行っちゃいました」
ベルがエルストの言葉に付け足した。エルストはベルの説明に間違いはないぞと何度もうなずいた。
「そうか」
マックスは短く答えた。
「ならあとはせいぜい、カーシーをどうにかするだけなのだな」
「どうにかって、マックス兄様?」
「殺すということだ」
それを聞き、エルストは困惑する。
「こ、殺すまで、何もそこまでしなくてもいいんじゃないですか、マックス兄様」
エルストに異を唱えられたので、マックスは忌々しげにエルストを見始める。
「王都をこんなふうにし父上を殺害した悪しき組織の人間を、おまえは、とくに殺さなくてもいいと言うのだな」
「それとこれとは!」
「別ではない。別にしてはいけない、エルスト」
マックスに強く否定され、エルストは言い淀む。
「で、でも……カーシー兄様、そもそもどうして僕の魔力のことがこんなことに繋がるんですか。父上を殺したり、街をめちゃくちゃにしたり、プロメテシアを殺そうとしたり!」
「話せばわかり合えるんちゃうんか、兄ちゃんたち? って、人が死んでんねんから、お互いわかり合うっちゅーのはもう間違っとることなんかいな……もう取り返しつかへんのかいな? なあ、兄ちゃんたち?」
「エルスト、アギ。僕はべつに兄上とわかり合いたいわけじゃないんだよ。取り返しなんかもつかない。理由はたくさん積もりに積もってる。その理由すべてを清算するためには、王国そのものを消し去るほかにないと僕は決めたんだ」
「け、消し去るって……」
ベルの口もとはひきつっている。声色ひとつ変えないカーシーの素顔は、エルストにもベルにも、アギにも、マックスにもわからない。しかしカーシーが王国を滅ぼそうとしていることが確固たる意志によるものなのであることは、エルストもベルも、アギも理解した。おまけにマックスとしても、カーシーとわかり合う気はさらさらないようだ。
「エルスト、ベル、とくにベルは痛いほど知ってるんじゃないかな。この王国が本当にろくでもないんだってことを」
「え? ベル?」
カーシーの顔がベルに向いたので、エルストは首をかしげる。
「王国が弄んでいたのはエルストの命だけじゃないんだよ。むしろ、僕がいま殺そうとしているプロメテシアだってそうさ。アエラ様とイオンのあいだに産まれておきながら、さらに人間とのあいだに子どもを産まさせられたプロメテシアだって、王国に延々と利用され続けていたも同然さ。違うかい、ベル」
カーシーが述べた言葉を一言一句逃さず聞き取ったマックスは、どういうことだ、と顔をしかめる。エルストもまたマックスと同じだった。
「ベル、君は十八年前、ドラキュラとプロメテシアのあいだに産まれた娘だ。そうだよね」
カーシーは冷静に言い放った。ベルはただ真っ青になり、その場に立ち尽くすだけであった。




