17 サード・エンダーズ(11)
「おまえが……ドラキュラ?」
そう尋ねたのはやはりベルだった。訝しむような、平常のベルからは考えられないほど慎重であるような、むしろ震えているほどの口ぶりだった。
「おまえがベルなのだな」
黒マントの男ドラキュラは確認するようにベルの名を呼んだ。エルストはその異変さに気づき、ドラキュラにこう問う。
「ちょっと待ってください。どうしてベルの名前を知っているんですか?」
ドラキュラはエルストを一瞥したのち、答えはせず、ベルに向かって歩み寄りはじめた。
「い、いやだ! こないで!」
拒絶を示したのはほかでもないベルだった。ベルは顔を強張らせ、はっきりわなわなと震えている。顔色が青白くすらあるようだ。エルストは反射的にベルの前に、ベルを庇うように移動する。
「あなたが父上を殺したんですか?」
エルストはそう訊いた。
「ここで否定しても無意味だな」
ドラキュラが答える。
「ああ、そのとおりだ。おまえたちの国王を殺したのは、この俺だ」
「ついさっき義姉上はダン元帥とあなたのことを呼びました。それもあなたの名前なのですか?」
「繰り返し言わせるつもりか?」
「いや、けっこうです。ドラキュラでけっこうです」
エルストは両手を突き出して広げる。
「ダンという名前は僕、聞いたことがありませんし、今はドラキュラの名前のほうが気になって気になってしかたがないんです」
突き出した手を胸もとに戻し、エルストはそのまま胸のあたりを掻いた。どうにもむずむずする。
「ドラキュラって……僕、聞きおぼえがあります。五百年前のテレーマ王子の名前ですよ、たしか。うん、たしかそうだ。これはもしかしてなのですが、あなたはテレーマ王子なのですか? でも似ていない……」
「あいにくだが今はドラキュラ以外に名乗るつもりは毛頭ない」
「わかりました……じゃあ……」
エルストは言葉を変える。
「あなたがサード・エンダーズの主犯なのですか?」
ドラキュラはその鋭いまなざしを数回閉じ、ああそうだ、と、これについても肯定した。
「なんで……」
エルストのうしろでベルが言う。
「なんでサード・エンダーズなんてやってるのよ!」
悲痛な訴えがエルストの背中に反響した。その声から察するに、ベルが泣いていやしないか、エルストは心配になったが、どうやら泣いてはいないらしい。アギはおとなしくしている。
「ベルとはどういう関係なんです。知り合いなんですか?」
エルストはドラキュラを睨む。だが、
「やめて! 言わないで!」
こうベルが強く制止したことにより、エルストはドラキュラからの返事を聞きそびれることになった。
「ベル」
「私のことを呼ばないで!」
「嫌われたものだな」
「とーぜんよ!」
「わかった。おまえのことは殺さないでおいてやる」
「殺せるもんか!」
「殺さない」
ベルとドラキュラは会話を終えた。アギが、ベルをいじめるなと文句を言った。ドラキュラは、こんどはゆっくりとエルストを見る。
「カーシーも、おまえたちのことまでは殺さないだろう」
「え?」
エルストは顔をしかめた。ドラキュラがいったい何を言っているのか、まったく理解できなかったからだ。
「ひとまずの用事は済んだ。ではな」
ドラキュラは踵を返し、足早にその場を離れた。エルストは追おうか躊躇したが、ベルが取り乱していることを思うに、それは止められた。
「なあ、どういうこっちゃ?」
ベルの頭上でアギが言った。
「僕、何がなんだか……」
エルストは放心しかけている。
「あいつ、カーシーとか言うとったよな?」
「うん、そう、そうなんだよ、そこが気になるんだ、アギ。それってさ、カーシー兄様のことなのかな」
「おまえたちのことまでは殺さへんって、どーいうことや?」
「や、やっぱり、殺さないって言ったよね。僕の聞き間違いなんかじゃないんだよね」
「ハッキリそう聞こえたで」
「どういうことだろう。なんだかすごく嫌な予感がするんだ」
「ワシもやで。おい、ベル、ベルは大丈夫か?」
アギから心配げに言われると、ベルはハッとした顔を浮かべ、うんうんと何度も頷いた。
「ねえ、ベル、いちど母上の寝室に行ってみてもいいかな」
目をこすりながら平静を取り戻そうとしているベルにエルストがたずねた。
「もちろん行きましょう。最後に王様を見たの、そこですし」
ベルはエルストの意図を汲み取ったようだ。ありがとう、とエルストは言い、カーシーのことは気になりつつも、さっそく王城の最上階へ走り出した。ワープ魔法を使わなかったのは、エルストが、城内に兄たちの姿がないか見たかったからであった。
王城にはいくつもの死体があった。使用人をはじめ、騎士の姿もちらほらある。そのいずれも焦げついたような死体だった。肉片が飛び散っているものもあった。エルストは気分が悪くなると同時に、犯人についてあらかた想像ができたことへの失望に苛まれる。「このあたり、たしかアドルー様と執事さんがいたところですよ」ベルがそう言った場所では、ひどい血だまりができていた。兄たちの姿はどこにもなかった。
王城の最上階はロウソクの火だけが寂しげに灯っていた。ほかに何かあるかと言えば、大きく変形した王妃の寝室に、つい今夜エルストと顔を突き合わせ、魔力を奪ってこようとした国王が、ひどく険しい表情で死んでいる遺体である。
そう、国王は死んでいる。ミズリンの言葉は疑わなかったがドラキュラの言葉はわずかに疑っていたエルストであっても、豪気をその両目に浮かばせていたであろう剥き出しになった国王の眼球を見ると、とうとう現実だと認識せずにはいられなかった。国王は、刺突されたみぞおちの痛みに苦しんだような顔ではなく、この場を去っていったのだろうドラキュラの背中を呪い殺そうとでもしたかのような顔をして死んでいる。その地に伏している両手は空だ。
「ウソやろ?」
王妃の寝室の扉をくぐってからというもの、一番に開口したのはアギだった。
「脈のはかり方って……こう、でいいのかな」
エルストの眉間の裏の内部にはサンゴルドで女を刺した一件の記憶が強烈に蘇っていたが、いま自分が直面しているのは肉親のからだだと思えば、エルストの手足はしぜんと動いていた。床に腰をおろし、なまあたたかい国王の手首に指を当てる。国王の体内は何も打っていない。次に首筋に手を当ててみたが、こちらも変わらなかった。
「本当みたい」
エルストは震える声で言った。ベルが短く息を吸った。寝室を照らすロウソクの火が揺れた。夜の空気がこの場の雰囲気すら重くしている。
「エルスト様、あの、大丈夫ですか?」
とても大丈夫ではないだろうと考えたものの、現在ベルの口を突いて出たのはそのような問いかけであった。
「こういう時って、やけに冷静になっちゃうものなんだね。とか言いつつ、僕の心臓のほうがばくばくしてるけど」
エルストはそう答えるのであった。なんとか正気を保っているらしい。その直後、ベルとアギの目の前で、いつまでも終わらないような溜め息をついた。
しかしエルストは溜め息をつくのを終わらせた。
「この部屋、散らかってるね」
それだけではない。数刻前とはうって変わり、王妃が眠っていたベッドや、肖像画、部屋のなかのほとんどのものが傷を受けている。剣による傷跡のようにエルストには見えた。きっと国王のレイピアによるものだろう。この部屋で、国王とドラキュラが争ったのだろう。
「そういえば、父上、マントも剣もないや」
「え? あ、ほんとですね」
エルストとベルは部屋じゅうを見回すが、黄金のドラゴンのあたまのついたマントも、神父を刺したレイピアも、どこにも見当たらなかった。ベルは不審に思い、こう言う。
「ひょっとして、ドラキュラが奪ったんじゃ」
可能性はじゅうぶんあり得た。サード・エンダーズは各地の魔法使いから加工済みドラゴンを奪っているのだ。国王から奪い取ったとしてもなんら不思議ではない。
「ほんなら、ドラキュラはそれが目的やったんかいな」
「でも、何も持ってなかったよ」
ベルが答えたそのとき、エルストとベルのあいだに、何も存在していなかったというのに、とつぜん緑色の手が現れた。
アギはハッと気づく。
「じじい!」
アギが呼んだのは王立魔法学園理事長ファーガスだった。空間に歪みを作り、その中から帽子をかぶり、マントをつけたファーガスが、ごくゆるやかに顔を覗かせた。
「国王が所持していた加工済みドラゴンはわたしが引き取った」
再会の挨拶などは一切なく、ファーガスは長い髪を揺らしつつ淡々と述べた。
「引き取ったって……〝倉庫〟に、ですか?」
ベルが投げかけた。
「そうだ。わたしの胃袋から作られたこの倉庫に、だ」
ファーガスは親指で己自身の背後を指した。かつて境界村で聞いた話だ。すべての加工済みドラゴンは、ファーガスの胃袋で管理されているのだと。そしてその胃袋の〝部屋〟は、おそらくファーガスがいま現れたところから繋がっているのだろう。
「魔法使いが死んだら、加工済みドラゴンを回収する決まりだからな」
ファーガスがそう述べた。
じつはエルストの平常心が先ほどから揺れ始めているのだが、ここにきて、エルストは訊かねばならないと意を決し、口を開くことにした。
「ファーガス理事長」
エルストに呼ばれたので、ファーガスはエルストのほうを向いた。ファーガスの瞳に映るエルストは無表情だ。
「見てたんですか? 父上が殺されるの」
ベルとアギが目を瞠る。一方ファーガスは、エルストと同じくらい感情を隠した顔である。エルストはさらに問う。
「助けてはくださらなかったんですか?」
ファーガスは数回、ゆっくりとまばたきをし、
「べつに国王に恨みがあったとか、そのようなことではないよ」
と言った。つまりファーガスは国王を助けやしなかったのだ。エルストは悔しそうに眉尻を落とし、未だ床に横たわったままの、この先ずっと起き上がろうとはしないであろう国王の姿を見つめる。
「あなたは……人間が嫌いなんですものね……」
エルストはセカンド・エンドの夢のなかでオフルマズドが言った言葉を思い出していた。ファーガスは何も答えない。いや、もしかすると何か答えようとしたのかもしれないが、エルストはその答えを聞くことはなく、かわりに王城が揺れるほどの激しい震動音を耳にした。
「な、なんやッ?」
アギがうろたえるのも無理はない。エルストとベルはその場に押しとどまることで精一杯だった。震動音はかすかな震えを残して収まったようだが、エルストとベル、アギが平静を失うにはじゅうぶんだった。ファーガスは帽子をかぶりなおした。
「そなたたちにひとつ教えておこうと思うのだがな」
そしてファーガスは悠長な口ぶりでそんなことを言いだす。
「カーシーが、マックスと戦っておるのだ」
「ハア?」
アギが素っ頓狂な声をあげた。
「どういうことですか?」
ベルは見るからに顔を歪めている。
「だから戦っておるのだ」
ファーガスは言いなおす。
「カーシーが、いつのまにか、加工済みドラゴンを鎧にしておったのだ」
「ますます訳がわかりません!」
そう言ったエルストとベル、アギの気持ちは同じである。ファーガスはエルストらに構わず話を続ける。
「カーシーはプロメテシアを殺そうとしておるようだ」
「プロメ……テシア?」
「……ん?」
エルストらが首をかしげたことに、ファーガスは眉をひそめた。
「そなたたちはセカンド・エンドの夢を見てきたのではないのか?」
エルストとベル、アギは顔を見合わせた。数秒後、もしや、と、エルストとベル、アギは思い至る。
「アエラ様とイオンの、子ども?」
エルストがファーガスに言うかたわら、ベルの表情がじわじわ青ざめていく。ファーガスがうなずいたとき、ベルはめまいがした。ベルがエルストの片腕を掴む。エルストがベルの手を見ると、少しではあるものの震えているのがわかった。エルストはアトウッド峡谷で取り乱していたベルの様子を思い出す。エルストとベル、アギは、しばし無言を続けた。




