17 サード・エンダーズ(9)
ヨウ・ヨウの背中は広かった。エルストはヨウ・ヨウの背に飛び乗り、ベルはヨウ・ヨウの腕に抱えられて王都マグナキャッスルまでの道のりをワープしていった。この頼もしい助っ人を連れてワープしたのはベルの魔法であった。
ベルの眼下には強いオレンジの幕が王都を包んで揺らめいている。炎の幕だ。エルストもまた首を突き出してその光景を確認する。炎よりもまず、ヨウ・ヨウが岩トカゲのあたま付近に差し掛かるほどの高さを飛んでいたことにエルストはひどく驚いた。ヨウ・ヨウの柔らかそうな翼は上下しているので、エルストは必死に、せめて落ちないことを願うようにヨウ・ヨウの首にしがみついた。
「こ、ここ、王都のどのあたりかなあ?」
エルストは涙目になりながら空を仰ぐ。見たこともない鮮明さで星が瞬いている。こんな状況でなかったら、もう少し、星空を堪能する余裕もあったのだろうが、標高と真下の炎がエルストのもともと気弱な性格を刺激する。おまけに地上から立ち上る黒煙が火災の生々しさをエルストに伝えている。エルストはひとつ咳をした。
「教会あたりやあらへん? ま、どこにしたって燃えとんやから、位置は関係なさそーやけどな」
「わ、わ、わかってるよ!」
エルストはムキになっている。
「エルスト様、怖がってますか、もしかして?」
「ベルは怖くないの? 落ちたらひとたまりもないんだよ!」
「ほう、わたしがおまえたちを落とすと思っているのか?」
「いや、違う、違いますよ、もしもの話です、ヨウ・ヨウ!」
残念ながらエルストの魔力は未だ眠る王妃の体内にある。したがってエルストが自分の身を守るすべは無い。
「怖がっている間にも街は燃えていくぞ。それはわたしの望むところでもないし、おまえたちもそうだろう。さあ、さっそく始めるとしようか」
ヨウ・ヨウは態度を崩さず言う。
「ロヴェーショ!」
「おお〜、デカイ魔法陣や!」
「すっごーい! ひろーい!」
いち早く反応したのはアギだった。ベルも嬉々としている。そう、ヨウ・ヨウが呪文とともに放ったのは、王都全土に及ぶであろう巨大な魔法陣だったのである。青い光が炎の幕に覆いかぶさった。
エルストが見上げていた星空が、突如として黒雲に隠れた。
「……雨?」
エルストの目に、鼻に、口に、ぽつぽつと雨粒が降りかかった。
「イヤイヤ、豪雨ゥ〜!」
アギが悲鳴をあげる。それもそのはずだ。エルストやヨウ・ヨウ、ベルとアギを濡らす雨粒は、小雨とは言いがたいほど強烈に落ち続けている。ヨウ・ヨウが雨雲を呼んだ、もしくは生み出したのだろう。エルストはあっという間にずぶ濡れになった。
「炎が引いたら小雨になる」
つまり一分間の豪雨ということだろう。
「うわっ!」
「エルスト様、どうしました!」
エルストが大声を出したので、ベルが心配そうに声をかけてきた。
「なんか、上から降ってきた!」
「雨やろ?」
「これはどう見たって雨じゃないよ!」
「ほな豪雨や!」
「そういうことじゃなくってね!」
エルストは強い口調でアギの言葉を否定した。
「ああっ、もう、肩にへばりついた……うわあッ。ヌルヌルしてる! しかも動いてる! なんだ、これ!」
これにはヨウ・ヨウが答える。
「食糧もおおかた燃えたろうと思ってな。わたしから魚介のプレゼントだ」
「ぎょっ、魚介……」
エルストは苦笑せずにはいられなかった。目が大きく頭が丸い生き物が、八本の足を使ってエルストの左肩にしっかりとひっついているのだ。しかしながらこれはヨウ・ヨウの厚意なので、ありがたく頂戴するのがエルストにとって最善だろう。見れば雨粒に混じり、さまざまな魚が王都じゅうに降り注いでいる。
「市民の人たち、驚くだろうな……」
エルストが下方を覗き込もうとした、そのときだった。
「ならば見てこい」
「うわあーッ!」
ヨウ・ヨウが、あろうことかエルストとベル、アギを空中に放り投げたではないか。
「一分かけて着地するといい」
薄情なヨウ・ヨウに、
「結局、落とすんかァーいっ! せやから水属性は好かんのやっ、薄情者ーッ!」
と、アギが叫んだ。
ヨウ・ヨウがもたらした豪雨は、きっと魔法が込められていたのだろう、王都全土に広がりを続けていた火災を本当に短い時間で鎮火させた。
エルストとベル、アギは、まもなく王都の教会跡に着地するころであった。燃えたばかりの木片や瓦礫、鐘がエルストらのからだを今か今かと待っている。あの高さから落下して、あの瓦礫に直撃すれば、間違いなく落命するだろうということはエルストの想像にも難くない。雨に濡れたからだが空中の風にさらされ、芯まで冷めきった。エルストはベルとアギの姿を探す。ベルとアギもエルストに伴って落下している最中だった。
「ミャーキィ!」
ベルが大きく唱えた。するとエルストのからだを柔らかいクッションが包み込む。この感覚は、ヨウ・ヨウの湧水洞と、グランド・テレーマで味わったものと同じであった。今回も透明なクッションにエルストは助けられたのである。タコも生きている。
「ベル……ほんと、ありがと……」
雨粒が焦げた瓦礫を打ちつける。エルストはその上に足を乗せ、まっすぐ立った。ベルとアギも無事だ。
王都が暗い。それは決して雨雲だけの影響などではなく、王都じゅうの火が、ヨウ・ヨウが降らせた雨によって消し去ったからだ。
「よかった。炎、ちゃんと消えたね、ベル、アギ!」
エルストは本来ならばベルとアギと手を取り合って喜び合いたかったが、そうにもいかなかった。それは何もアギに手がないからというわけではない。ベルとアギが、火災が鎮まったにしては、やけに辛気くさくしているからである。とくにアギはもっと口うるさくあっていいはずだ。エルストがふたりの様子をうかがう。
「エルスト様……私の勘違いだったらそれでいいんです。けど」
ベルの言葉は歯切れが悪い。
「火災って、あのう、エルスト様、火災って、私よく憶えてないんですけど、こんなに街を壊すものなんでしょうか?」
ベルの杖が街を照らし出した。
街は、たしかにベルが言ったとおり壊れていた。この街のありさまをエルストはどう言い表せばよいのかわからなかったし、今は〝壊れている〟と言うのが適当だとも思った。焼けたところを突風に吹かれたとかいう沙汰ではなさそうだとも思った。とにかく原型がなんだったのか判別できないほど細かく打ち砕かれた破片や石のつぶてや木材の塊が、不規則に散らばっている。そのなかに埋もれるようにして建造物の基礎であっただろう岩が転がっているようだ。人はおそろしいほどいない。魚介混じりの激しい雨足が地上の瓦礫にぶつかる音だけが響いている。
「鐘も落ちてる」
ベルは巨大な鐘を照らした。この鐘くらいはエルストも知っている。もともと教会の頂上に設置されていたものだ。それが地上に転がっている。教会は石材で建っていた。
「尋常じゃあらへんな」
アギもまたベルに引き続き適切な言葉を使った。エルスト様、とベルが呼ぶ。
「私たち、これからどうすればいいんでしょう」
タコのぬめりけが気持ち悪い。エルストはひとまず浮き足立っていた先ほどまでの自分ごとタコを肩から引き剥がした。
「王城に行こう」
タコは鐘の口に吸着した。誰か見知った人がいないか探すため、エルストらは走って王城を目指すことにした。ぼたぼたと落ちてくる魚たちがむなしい。まるで深海に落ちたようだとエルストは思った。この暗さは、とても不安になる。
教会から王城への道はベルが詳しかった。とはいえ街の建物が跡形もなく倒壊していることから、ベル自身、正確な道中だとは断言できなかったが、それでもエルストはベルに任せた。途中、近づいてきた王城に明かりが灯っていることにエルストはわずかばかりの安心を得た。
「誰かいるの!?」
そんな声が届いてきたのは、岩トカゲが目前に迫ってきたころだった。ベルは声がしたほうに杖の光を向けた。すると相手方も同じようにエルストらに明かりを向けている最中だった。
「名前を言って!」
相手の声は女性だ。だが、エルストには、どこか聞きおぼえがあった。
「もしかしてミズリン姉様ですか?」
相手方の明かりが消えた。するとベルの杖の光により、ずぶ濡れになったミズリンの姿が照らし出された。
「ああ! おまえたちは無事だったのね。よかった……」
ミズリンもエルストらの姿を確認したらしい。
「だけどここにいたらきっと危険よ」
ミズリンが、いつになく気が動転しているように見えるのは、エルストの気のせいだろうか。
「あの、姉様。街って、火災だけですか?」
「どういう意味?」
「ほかに、何か……あったんじゃないですか? 城も近いっていうのに、人も見かけないし……」
「そうね。火災だけじゃなかったわ。ああ、思い出しただけでめまいがしそうよ」
「何があったんです」
「ドラゴンよ。ドラゴンがいたのよ!」
エルストとベルは顔を見合わせた。
「ミズリン様、それってヨウ・ヨウのことですか?」
「違うわよ、ベル。私にもあいつが誰なのかわからない。見たこともない! だけど本当にいたの! そいつが街を粉々にしたのよ!」
ミズリンがエルストに近寄る。
「あとね……エルスト、よく聞きなさい。きっとおまえはまだ知らないのでしょうけれど……」
ミズリンはいちど息を飲んだあと、呼吸を乱し、エルストの両肩に手を置きながらこう言った。
「お父様が殺されたわ」
その直後、王城から大きな破壊音が聴こえた。




