17 サード・エンダーズ(8)
「けど、どこに行くんや?」
「うーんとね」
エルストは思案顔で、しかし確信を得たような光のともった顔で顎に指を当てる。
「とにかく〝父上には僕の魔力が要らない〟ようにすればいいと思うんだ、アギ。それにはたぶん、王都の火事をなんとかすればいいんだって思う」
「消すってことですか、エルスト様? でも、魔法でもなかなか消えませんよ、あんな大規模な火事」
ベルは難しい表情をした。
「人間の魔法ならね」
エルストは頷く。
「こんなこと言って、結局他人の助けを請うのかって思われちゃうんだけど……ヨウ・ヨウなら、なんとか消せるんじゃないかなって考えたんだ」
「ええっ?」
ベルとアギは驚いた。
「ヨウ・ヨウは水属性のドラゴンの代表でしょ。火には水が有効かなって……安直すぎるかなあ」
エルストはついに儚くもささやかな自信をみずから削ぎ始めた。ベルとアギは頭を掻くエルストを見て、うん、と口もとを結ぶ。
「せっかくエルスト様が考えついたんです、頼んでみましょ! 言ってみなきゃわからないですし」
「せやせや。間違ってもここにきて〝結局ムリ〟とか言わへんよーにしときーや!」
「……ありがと!」
エルストは自信のすべてを喪失せずに済んだことに安堵の笑みをこぼした。そうと決まれば、ベルが取り出したのは杖である。
「時間もないし、ちゃちゃっとワープしちゃいましょ」
「いい? お願いするね。ずうずうしいけど」
「いーえ! 私はエルスト様の宮廷魔法使いですから!」
ベルは杖を振りかざし、テン牧場の母屋からヨウ・ヨウの湧水洞へのワープ魔法をとなえた。
夜中の湧水洞内部は寒さが強い。ぴちぴちと滴る水の音が、エルストやベルの寒気を助長させている。
足もとはすぐに水浸しになった。湧水がブーツのなかを遠慮なしに濡らしていく。ぬくもりがほしいとは言わないが、この心が不安に浸食されていくような冷たさに、エルストやベルはしだいに表情をこわばらせていく。アギだけが平静だ。
「これは珍しい客人だな」
雄々しい声がエルストらを迎えた。ベルの魔法により、あっという間に湧水洞の最奥地へとたどり着いたのだった。ヨウ・ヨウはわざとらしく、眠たげに目をしばたかせながら、足は相変わらずあぐらをかいている。ヨウ・ヨウにとっては泉の湧水が心地よいようだ。翼も濡れている。
「お……お久しぶりです、ヨウ・ヨウ。僕らのこと、憶えていますか」
ヨウ・ヨウは肩を揺らして笑う。
「そんなにぼけているように見えるか?」
「あ! いや、そういう意味では……」
「真新しい客人のことでもきちんと憶えている。心配するな、エルスト」
「よかった……ありがとうございます」
「からかわれてんねんで、王子」
「あ、そ、そうだったんだ。はは、まあいいか……」
エルストはがしがしと頭を掻く。今はヨウ・ヨウと楽しい談話をしている場合ではないのだ。
「ヨウ・ヨウ。じつは今日は、というか、今すぐに、あなたにお願いしたいことがあって来ました」
「ほう」
ヨウ・ヨウは興味深げな眼差しを寄越した。エルストはヨウ・ヨウに、サード・エンダーズという組織が王都を襲っていることや、街が火に燃やされていることを伝えた。
「あなたは水属性ドラゴンの代表ですよね。でしたら、あなたの魔法なら、どんなに大規模な王都の火災だって消すこともできるのではありませんか?」
エルストは不安を期待に変えるよう、渾身の望みをこめて言った。だが、エルストが抱えている不安はヨウ・ヨウには今ひとつ伝わっていないようだ。
「ふむ」
ヨウ・ヨウは人間らしいしぐさで顎に手を当てる。
「もちろん可能だ。一瞬でできるとは言わないが、そうだな、王都全体に及ぶ炎と想定して、すべて鎮火するまでに一分というところだろう」
「一分!」
エルストとベルは呆気にとられながらも顔を見合わせた。一分で火災は鎮まる。それはエルストの期待以上だ。エルストらは喜ばずにはいられなかった。
「私がおまえたちを助けてやろう」
ヨウ・ヨウは片手を差し伸べる。エルストには、それが誰よりも大らかな救いの手に見えた。エルストは、己が希望が叶いそうであることへの嬉しさと高揚感に、思わず頬がほころぶのを実感した。早すぎることに達成感すらおぼえていたほどだ。ところが、
「その代償におまえは何を差し出せる?」
ヨウ・ヨウにそう言われたとたん、エルストの表情はじわじわ冷たくなる。おまけに、自分への、そしてベルとアギへの恥ずかしさに襲われる。せっかくうまくいきそうだった――エルストの恥ずかしさの原点はとにかくこれである。寒いのに、ひたいやこめかみは汗ばんでいる。頬も熱い。
「私が王都の火災を鎮める〝かわり〟だ。意味はわかるだろう」
わかっていなければ去るがいい、とヨウ・ヨウは言葉を結んだ。ヨウ・ヨウのつい今しがたの言葉の真意はエルストにはとうぜん理解できていた。とりわけ簡単な話だった。おそらくベルとアギもわかっているだろう。
「それはもちろんタダで助けてもらおうなんて思ってはいないです」
ベルとアギに見守られる中、エルストはこんなことを言い出す。ためらいはないようだが、不安はやはり、消えていない表情である。しかし、うまくいきかけたほんの先の未来を、エルストは取り戻そうとしているのはたしかだ。
「あなたからもらった花の種、お返しします」
エルストはかつてヨウ・ヨウからもらった花の種を取り出した。よく無くさなかったものだ、とベルはその小さな粒を見て思う。
ヨウ・ヨウが〝かわり〟として欲しているのは、人間が魔法を使う際に消費する〝魔力〟、これに値するものだった。対価と言えばよいだろうか。魔力がなければ魔法は使えない。ヨウ・ヨウは自身の魔法に値する対価を、エルストに求めた。エルストが何ひとつ差し出すことができなければ、自分がわざわざ腰を折って魔法を使い、王都を助けてやるまでもないと考えているのだ。エルストはその意味をきちんと汲み取っていた。
「エルスト様、いいんですか?」
ベルにはエルストはうなずいてみせた。
「以前ベルとアギとここにきたっていうのは、僕の時間……僕の寿命のうちだから。これはその証だよ。そうだよね」
「せやけど、それ渡してもうたら、ファーガスのじじいが言うとった誓約の旅をしたっちゅう証が消えてまうで!」
「じゃあもう一回くるよアギ、ここに、今夜のことが終わったら。たとえ僕ひとりでも……ううん、ベルとアギもまたついてきてくれるよね」
ベルが微笑んだのは、了承の意味を含んでいた。
「そう、また……僕たち三人一緒です、ヨウ・ヨウ。この花の種は僕だけじゃなく、ベルとアギの〝時間〟でもあります。ごめんなさい……僕にはそれしか差し出せない……ああっ! でも、ベル、アギ、いいかな? ふたりに今さら訊くなんてさ、勝手だし、ばかみたいだね……」
花の種を乗せたエルストの手は震えている。
「ほんと、今さらですね!」
ベルは困ったように腰へ手を当てた。アギも同意する。
「急に弱気に戻んなっちゅーねん、なんやねん、チョコっとカッコよくなったかな思ったらまたすっかり元どおりかい! ワシらの寿命は高いんやで、エエからシャキッとせい!」
「う、うん、ありがとう。えっと……ヨウ・ヨウ、これをあなたの魔法の代償にできますか? いいや、できなくたって、してください!」
語気を強めてエルストは言った。
「魔力がないエルスト王子なりに、これが考えた代償か……」
ヨウ・ヨウは片方のツノの生え際を指先で小さく掻く。次に顎を撫で、ふむうと大義そうに唸る。
「よかろう。今回だけの、特例だ」
ヨウ・ヨウの指先がエルストの手中の花の種をさした瞬間、花は突如として芽吹き、花開き、やがて茶色に枯れていった。枯れることのないと聞いていたエルストが咲かせるべきだった花が、瞬く間に粉末となって消えていったのだった。だが、エルストは満足げな表情だった。




