3 ヨウ・ヨウの湧水洞(2)
「おまえたち……侵入者だな」
羽毛のかたまりは鳥の翼らしく見える。水色の翼がゆっくりと開かれ、中から真っ青な牛のような頭が現れた。白目がちな瞳がぎょろりと一行を見据える。
「……ドラゴン?」
ベルが牛の頭に向かって言った。ベルにはあれが、ドラゴンに見えるのか。エルストは内心驚いた。
「いかにも」
低く響く声だ。
あたまは牛、からだはゴリラのようであると、エルストは過去に読んだゴリラの絵本を思い出す。しかしゴリラとは違って長い尻尾が生えており、ツノと翼、尻尾から、なんとなくドラゴンであることは、かろうじてエルストにも納得できた。腹部や手のひらは白い。ツノは赤かった。額から背中にかけては、水色の綿毛のような体毛が生えている。触り心地がよさそうだなとベルは思った。
青い牛、もといドラゴンは器用に二本足で立っている。尻尾は水に濡れているが、このドラゴンは気にしていない。
「ヨウ・ヨウだ」
「はじめまして。私はベルで、あたまにいるのはアギ。そしてこちらが、エルスト様」
ヨウ・ヨウと名乗ったドラゴンは、丸い目をじいっと細め、首をうんと前に出す。かと思えば、すぐに体勢を戻し、吐き捨てるようにこう言った。
「なんだ……火属性のドラゴンか」
「アアッ?」
即座に反応したのはアギだ。アギの表情はじつに不愉快そうだ。
ヨウ・ヨウはその場にあぐらをかいて座った。
「宮廷魔法使いか?」
「はい」
ベルはうなずく。
「ファーガス理事長から、あなたがたに挨拶をしてくるよう言われました」
エルストは緊張を隠せていない。その声はやや震えていた。
「挨拶か……ふん。おまえ、エルストとやらが、王子なのだな」
「あ、は、はい!」
「まあ、そうカタくなるな。座れ」
「いや水浸しやがな」
すかさずアギが口を開いた。そのとおり、泉から水が溢れ出ているこの場に座るのは、ベルとエルストにとっては、できることなら避けたいものである。
「……ええい」
ヨウ・ヨウはじれったいと言わんばかりに眉を寄せ、片手の指をピンと弾いた。
「わあっ!」
そのとたん、ベルとエルストは何ものかに足を掬われ、うしろへ転倒したではないか。
いや、転倒する、そのすんでのところで空中に尻をついた。ベルとエルストはそれぞれ顔を見あわせる。やがてふたりとも、おそるおそる自分の尻を触った。
「う、浮いてる!」
エルストの脳裏には先ほどホウキに乗った感覚が蘇る。ただホウキとは違い、尻にたしかな感触はない。ふたりはまるで空気イスに座っているかのような絵面だ。
「ぜいたくな客人だからな」
そうは言いつつも、ヨウ・ヨウは楽しげである。この空気イスはヨウ・ヨウの魔法らしい。
「すごいなあ。こんなこともできるんだ……」
ぽん、ぽんと触ってみれば、クッションのような感触がそこにある。エルストは感激した。
「おまえには魔力がないようだな」
「……わかるんですか?」
ヨウ・ヨウの言葉に、エルストは顔をしかめた。
「わかるとも。長年生きているからな。しかし、魔力のない人間を見たのは初めてだ」
そこから、ヨウ・ヨウは長々と語り始める。
「ドラゴンにも人間と同じように魔力がある。水、火、風、地の四つの属性のドラゴンがいるが、魔力そのものに違いはない。属性というのは、ドラゴンの種類と、使う魔法の種類の区別に用いるものだ」
「ドラゴンも人間も、みんな同じ魔力を持ってるってこと?」
ベルの問いに、ヨウ・ヨウはそうだ、と答えた。
「ただし、決定的に違うところがある」
ヨウ・ヨウの指がずいっと上に向けられた。ツメが長い。
「人間の魔力の量には限度があり、対してドラゴンの魔力は無限であるという違いだ」
「え?」
眉をあげて疑問を唱えたのはエルストただひとりであった。
「あ、それ、王立魔法学園で習いましたよ」
ベルが挙手する。
「人間が魔法を使う量には、限度があるって」
「どういうこと?」
何も知らずにいるのはエルストのみらしい。戸惑いの色を大きく見せている。
「簡単に言うなら……」
説明を始めたのはヨウ・ヨウだ。
「人間の寿命と魔力の量は比例するのだ」
「え……」
どういうことだ、とエルストは身を乗り出した。
「人間は生れながら、魔法を使うちから、つまり魔力を秘めている」
かつて宮廷魔法使い任命試験にて執事が語っていた話である。それと同じことを、このヨウ・ヨウも述べた。
「しかし……魔法を使うことによって、その人間の魔力は減っていくのだ。魔力が減っていくと、寿命も縮んでいく。つまり、魔法を使えば使うほどに寿命が短くなるのだ」
頷いていることから、どうやらベルも知っていたらしい。では空を飛んだのは、杖に明かりを灯したのは、すべてベルの寿命を削っていたということなのか。エルストはひどく困惑した。
「じゃ……じゃあ! 人間はみんな、魔法を使いながら自分の寿命を削っているっていうこと?」
エルストが声を張りあげるのも仕方ない。それほどに、エルストにとっては衝撃的な事実だった。腰が痛いからと作業に魔法を使う農民も、料理に異物が混入していないか魔法で味を確かめるコックも、みんな寿命を削っているということではないか。
そうやって人間が生きる世界に、エルストは愕然とした。
「まあ、待て。人間はみんなそうだが、例外もある。それが王立魔法学園だ」
ヨウ・ヨウはそう言ってエルストをなだめた。
「王立魔法学園に入学すると、生徒たちはドラゴンと契約する。ベルとアギのように。生徒が〝加工済みドラゴン〟と契約を結ぶのだ」
「契約って……どんな契約?」
「〝魔法使いが加工済みドラゴンの魔力を利用する〟。ひとりの魔法使いにつき一頭の加工済みドラゴン。要するに、専任契約を結ぶということだ」
ちなみに、どの加工済みドラゴンを選ぶかはファーガス理事長のご判断なんですよ、とベルがつけ足したが、エルストはまったく反応しない。頷いてさえみせず、ただただうつろを見つめている。
「加工済みドラゴンの魔力を使えば……魔法使いの寿命は減らないってことですか? ……」
エルストは頼りない声で言った。
「通常の魔法ならば寿命は減らないが、専任契約にも魔法を使っているからな。どのみち寿命は減るだろうさ」
ヨウ・ヨウの言葉に、エルストはベルとアギのほうを見た。胸から胃袋にかけて気持ち悪さが占めている。ドラゴンと契約するには魔力が必要だとはファーガスも言っていたが、寿命のことなどは聞いていない。なぜ言ってくれなかったんだ、だとか、もう魔法は使わないで、だとか、そんな言葉は出てきそうにもなかった。
魔法が使えない自分が異端であるにもかかわらず、魔法が使えて、かつ魔力、つまり寿命を減らしているというベルのほうが異端に思えて仕方ないのだ。
異端。そうだ。自分は魔法が使えず、そもそも魔力がない。だとしたら、自分の寿命は。そんな疑問が浮き出てきた。
「僕は……魔力がない僕は? 僕に寿命なんてあるの?」
どうして生きられているのか、というニュアンスを込めて尋ねたのだった。
「それがわからんのだ」
ヨウ・ヨウはきっぱりと言い切った。エルストの胸を占める気持ち悪さなど一刀両断する勢いであった。
「ファーガスもあたまを抱えたことだろう。いや、おまえ自身が今、あたまを抱えたいだろうな。だが、なぜおまえに魔力がないのか、そして魔力がないのになぜ生きているか? それは私にもわからん」
「ねえ、待って」
久しぶりにベルの声を聞いた気がする。
「魔力と寿命はイコールなんですか? つまり、寿命が魔力なの?」
「〝同一ではない〟はずだ。だが、魔力がなくても生きていられる生き物は、私はこうしてエルストに出会うほんのいままで知らなかった。五千年と生きてきた私が、だ。アギよりもうんと歳上なんだぞ。……そんな私がひとつ確信を持って言えるのは、魔力が尽きた人間は死ぬ。はっきり言えるのは、それしかない」
「ワシにもわからんなあ」
アギもヨウ・ヨウと同意見のようだ。
「ドラゴンの魔力は無限やから、つまり不死身なんや。寿命も無限っちゅーことな。ワシのように、たとえ加工されていても生き続けることはできる。せやけど……」
エルストに関してはサッパリだと言った。
不穏な沈黙がみなを包む。静寂のなかで、水の流れる音だけが小さく聞こえている。
「なんか……」
ベルが言う。
「不思議だらけですね。エルスト様って……」
「いや……あ、うん、そうなんだけど……」
エルストは言葉の選択に迷っている。
「僕からしてみれば、みんなのほうが不思議かな……」
「そうか?」
アギにはいまいちエルストの気持ちが掴めないようだ。種族でさえ違うのだから無理はない。
「せやけど、こうして面と向かって言葉を交わしてるぶんには、なんにも違和感ないで、王子は」
アギの口角があがる。
「ふつうの人間や」
アギと同じく、ベルもまた微笑んでいた。
「……ありがとう」
エルストはぎこちなく笑い返した。
「よい魔法使いをそばに置いたな、エルスト王子」
ヨウ・ヨウも温かく見守ってくれているようだ。声色が柔らかくなった。
「はは……来てくれたのは、ベルとアギだけだったから……」
宮廷魔法使い任命試験の日を思い出しているエルストは、右手の人差し指でこめかみを掻きながら言った。えへへ、とベルはなぜか嬉しそうにしている。
ヨウ・ヨウがおもむろに口を開く。
「宮廷魔法使いと媒介契約をした王族は、宮廷魔法使いと専任契約したドラゴンの魔力を使えるようになるのだが……」
そして一旦、間を置いた。
旅立ち前の謁見の間にてカーシーが述べていた、王族が代々宮廷魔法使いとのあいだに結んできた契約についての話だ。
「……媒介契約するための魔力すらないエルスト王子のこと、しっかりとサポートするのだぞ。ベル、それからアギよ」
「ワシがおるんや、任しとき!」
「アギだけじゃなくって私もいるってば!」
そこからやいやいと口喧嘩を始めるベルとアギ。これが彼らのいつもの光景のようだとエルストは思った。
「よし」
すると突如、ヨウ・ヨウは膝を叩いた。あぐらといい、人間くさい仕草だ。
「では、おまえたちにこれをやろう」
ヨウ・ヨウは手のひらを上にし、右手を一行の前に差し出した。手のひらには小さな粒がひとつだけ転がっている。
「花の種だ」
「あ、もしかして……」
エルストだけでなく、ベルとアギも何かに思い至ったようだ。三者はいっせいに周囲を見渡す。
「そう。この花たちと同じ花が、この種から芽吹く」
綺麗だろう、とヨウ・ヨウは得意げに笑った。
「ねえ、これ、お城に持ち帰ってもいいですか?」
ベルがヨウ・ヨウに尋ねる。
「ファーガス理事長が、ドラゴンに挨拶した証を持ち帰ってこいって、言ってたから……」
「ああ、そういうことになったのか」
ヨウ・ヨウはうなずいた。
「いいだろう。なくすなよ」
「ありがとうございます」
エルストがそおっと種を摘んだ。小指の爪くらいの大きさだ。
「私は花が好きでな。いままで私のところに来た王族たちにも、同じように種を渡してきた。そして彼らは己の宮廷魔法使いと一緒に、この湧水洞に種を蒔いていったのだ」
「それじゃあ……さっきの、王族のって言っていたのは……」
「王族たちが作っていった花畑だから、王族の花畑だということだ。ちなみに、この種はいちど花を咲かせば、ずっと咲き続ける。私の魔法の種だからな」
「マックス兄様とカーシー兄様も?」
「ああ」
からになった右手の指で、ヨウ・ヨウは一行の向かって左のほうを指した。
「一番新しいところで、そこの青い花だ。ごていねいに花弁に名前が入っているぞ」
どれどれ、と、エルストとベルはそれぞれ空気イスから降り、ヨウ・ヨウの言う青い花を探した。やがてそれらしき青い花が見つかると、
「〝ミズリン様ここに参上〟」
と、青い花弁に刻まれた文字を、ベルが読みあげた。
「……誰や」
アギが言った。眉を寄せている。
「僕の姉上だよ」
エルストが答える。
「姉貴かいっ! おったんかい、姉ッ」
「同い年なんだ。といっても、十ヶ月違いだから、姉上が王都を出てすでに十ヶ月になるけれどね」
「あ、だから、謁見の間にはいなかったんですね」
あのとき謁見の間にいたのはマックス王太子とカーシー、それから国王だった。女性の姿は自分だけだったとベルは記憶を思い起こす。
「うん。あ〜……まあ、姉上は僕のことをお嫌いなようだから、そもそも気にかけてさえいないだろうけど……」
エルストはしゅんと肩を落とした。左腕を掴み、気持ちをなだめているようだ。
「あー、仲悪そうやもんなあ、王子たち」
「うーん……良くはないかな。カーシー兄様は誰にでもお優しいけどね」
それぞれ事情があるのだろう。兄弟の父、国王からして強面だからな、とベルは思ったが、あえて口には出さなかった。言えば、エルストを困らせてしまうのではないかと心配したからであった。
「さて、私への挨拶はこれで終わった。おまえたちには次に、火属性のドラゴンのところへ行ってもらいたい」
空気を察したヨウ・ヨウは、多少わざとらしく言葉を挟んだ。一行はふたたびヨウ・ヨウと顔を合わせる。
「火かあ……」
ベルは顎に手を当てた。
「どこにいるんだろう。火山とか?」
「おお、ご明察」
よくわかったな、とヨウ・ヨウは手を叩いた。
「え……火山に行くんですか?」
はたして安全なのか。エルストは不安げに言った。
「そこから動かんのだ、ヤツは」
ヨウ・ヨウの言う〝ヤツ〟とは火属性のドラゴンの代表のことだろう。
「火山っていったら……ドルミート領ですよね……」
「ドルミート領?」
こんどはベルが首をかしげる番だった。エルストはていねいに教える。
「……ドルミート領は、王国の中で唯一認められている自治領のことだよ。ドルミート侯爵家が領主なんだ。そのドルミート領には、ブラウン火山もあるから、おそらくそこのことじゃないかな」
「ほー、詳しいなぁ、王子」
アギは素直に感心したようである。
「そりゃ、王子だからね……一応」
ちらりとベルを見ると、ポカンとしつつも拍手していたので、エルストは思わず苦笑する。
「ええと……地図だと……」
とはいえ正確な位置は不明である。ブラウン火山の場所を確認すべく、エルストは地図を取り出した。
「ここだね」
エルストは片手に地図を持ち、ブラウン火山のありそうなところを手のひらに載せる。ブラウン火山の文字を見つけたエルストは、もう片方の指で文字をトントンとつついた。その箇所をベルも確認した。
「わあ、けっこう標高ありそう」
「そうだね。ここよりも高いかも」
「何日かかるんやろな」
「え〜……」
エルストは唸る。
「ドルミート領の大都市であるグランド・テレーマに行くには、王都から馬車に乗って……三日、かな」
「じゃあ……十日はかかりそうだな〜」
長い旅になりそうだ、と、ベルは唇をとがらせた。
「っていうか、もう外、日がかたむいてそうですよね」
どれくらいここにいただろう。ベルは湧水洞の入り口のほうへ顔を向けたが、もちろんここからでは湧水洞外の様子はわからなかった。
「ここにいるぶんには、いてくれるだけいてもらって、私は構わんが」
ヨウ・ヨウは笑う。
「うーん、でも、足もとがこれですし……」
ベルは足踏みをする。ヨウ・ヨウのそばから湧く水で、湧水洞の中は水浸しなのだ。ベルのブーツも、エルストのブーツもすっかり濡れてしまっている。
「昼食をとった場所まで戻りましょっか、エルスト様」
あそこなら、ラグマットを敷けば何とか過ごせるだろう。空腹はやり過ごせないが、これに関しては仕方あるまい。釣りでもするか、とベルは考える。
「そうだね」
エルストも頷いた。ひとまずの方針は定まったようだ。
エルストとベル、アギらが水属性の代表ドラゴンヨウ・ヨウと別れを告げ、湧水洞から下山しているころ、時を同じくしてドラゴンと出会う二人組の姿があった。
所はアトウッド峡谷。世界のじつに四分の一を占める面積の、巨大な岩壁の迷路が広がっている。何万年とかけて積み重なった地層の最古のほうは、海と連なっているのだそうだが、峡谷の半分はすでに干からびて陸地となっている。生命力の強い多肉植物が自生している一帯や、砂浜から始まる海岸など、多様な景色を見せるのがアトウッド峡谷の特徴だ。
三日月型に抉られた大きな岩陰に夕日が射し込む。もともと赤茶色の峡谷だが、この夕暮れ時になると一層オレンジが強くなる。そのオレンジの岩陰に隠れる緑色の目があった。
二人組はこの緑色の目をしたドラゴンと向き合っている。
片方はまばゆいほどの金髪。その横に、赤毛がいる。どちらも十代の少女であった。金髪の少女は白いドレスに青のマントを羽織っており、赤毛の少女は全身を水色のマントで包んでいる。
金髪の少女が右腕を振り回す。手には杖が握られている。この少女の杖のようだ。先端が青く光り、金髪の少女が腕を振るたびに輝きを増していく。
元はグレーなのだろう。とても美しいとは言えぬドラゴンの皮膚に、金髪の少女は文字を刻んでいるようだ。
「終わったわ」
金髪の少女は腕をおろした。
「残るは、いよいよ最後のドラゴンですわね」
赤毛の少女は強張った顔をしている。
赤毛の少女の持つ杖は長い。自身の背丈よりも少し低いだけの杖を両手で握っている。彼女は金髪の少女付きの宮廷魔法使いなのだ。
「ミズリン・レレナ・エン、そなたにオフルマズドとプロメテシアの加護があらんことを」
「……ふん」
ミズリンはウェーブのかかった金髪を大胆に掻きあげた。美しい金髪が夕日に照らされ、ドラゴンにはまぶしく見えた。
アトウッド峡谷には、今日も強い風が吹き抜けている。