17 サード・エンダーズ(6)
自分たちはどこに飛ばされたのか、ベルは国王に転送魔法をしかけられたことは理解しつつも、肝心の現在地が把握できずにいた。
「クッソ〜、王様のヤツ〜!」
ベルとアギは無様にも冷たい石の床に横転している。好きでこうなったのではない。国王の魔法が、あまりにも乱暴だったせいだ。ベルは起き上がる。頭上ではアギがやかましく文句を垂れている。
「アギ……アギ、私……」
ベルはアギの帽子のつばを力強く握った。そして唇を噛みしめる。ベルが何を言いたいのか、アギはすぐに察する。
「ベル! 余計なことは考えんときや! 今はとにかく王子のトコに急ぐで!」
「……うん!」
アギは文句を垂れるのをやめた。するとその時、
「バルク!」
と、爆撃魔法を使う声が聞こえた。ベルではない。男性の声だった。背後から聞こえたように思えたので、ベルとアギはうしろを振り向く。
「……あ! あれ、王子の執事ちゃうか!」
「しかもアドルー様もいるよ!」
血まみれのアドルーと、衣服が焦げついた執事とが格闘している最中だった。ここは王城の通路なのかとベルとアギはようやく理解する。
エルストのもとに急ぐべきか、それともエルストの執事を助けるべきかベルは迷う。どうすねや、とアギが目の前の選択を急かしてくる。選ぶべきはベルなのだ。
「……ええ〜いッ! 執事さんを一瞬で助ければいいってことだっ!」
「そや、行くでェー!」
ベルはホウキに飛び乗り、持てるスピードを出しに出して格闘中のふたりへと直進していった。
「ラ〜ング!」
「うおッ」
ベルを乗せたホウキは勢いあまってアドルーと執事の眼前を素通りしてしまったが、その際、あわてて捕縛魔法を放ったことが奏してアドルーの意表を突くことができた。ベルが引き返してきた頃にはすっかり縄で捕らえられたアドルーが恨めしげに視線を飛ばしていた。捕らえられた拍子につまずいてしまったらしく、床にあぐらをかいている。一方、執事はまず衣服の乱れを整えている。
「おまえらッ! なんでここにいるんだよ!」
自分を捕らえたのがベルとアギだとわかるや否や、アドルーはふたりに向かって怒鳴りつけた。初めて目にするアドルーの怒りの気迫にベルとアギはカエルのように怯えてしまう。
「イヤー! 南国のプリンス様がグレとんでー!」
獄中ではもう少しおとなしかった気がするのは、アギの勘違いだろうか。
「ベル様、アギ様、お助けいただきありがとうございます。しかしエルスト様はどちらに?」
短剣を手にさげている執事はいつもの冷静な顔でたずねた。アギは執事に言う。
「おたくの王様に魔力を取られよーとしてんねやで、おい! 王子の執事やったら止めんかい!」
顔こそ冷静だが、執事は肩で息を整えながらアドルーとベルを見比べる。そしてこう言った。
「わたくしが止める必要はございませんよ」
「おい、アギ、ベル、こいつに何を言っても無駄だ! わかるだろ、こいつだってしょせん王国の犬なんだ。エルストを助けるって選択肢、ハナから無いに決まってる!」
アドルーは吐き捨てた。ベルは愕然とする。
「どういうこと? 執事さんは知ってるんですか、エルスト様の魔力のこと?」
「王国の一部の者しか存じておりません」
「っちゅーことは、おたくもその〝一部〟に含まれとるっちゅうことやな? ……このッ、外道王国め!」
「アドルー様も知ってらっしゃるんですか?」
ベルが訊いた。
「……うちの連中から聞いたんだよ。だけど、エルストの魔力なんてただの一部だ。こいつら! ドラゴンと共存なんて大それたこと謳っておきながら、プロメテシアや……」
アドルーの言葉の途中だったが、聞くにやまれぬことだと判断した執事は魔法によって短剣の刀身を針のように伸ばし、瞬く間にアドルーの左目に突き刺した。
「え……アドルー様!」
ひどく素早い所作だったためベルもアギも反応に遅れた。気づいた頃には、執事の短剣は元どおりになっており、アドルーは左目から血の川をあふれさせていた。激痛なのだろう。アドルーは悲鳴すら表に出ない。
「ちょッ、やりすぎちゃう!?」
「殺しはしないだけ儲けものだとお思いください」
「そーゆーハナシちゃうわッ!」
「この者にはまだ情報を喋らせていないのです!」
「情報? ……とにかく! アドルー様、止血! ……し、止血でいいのかな、アギ?」
「えっ、いや、目ん玉ケガしたことあらへんからわからへん! 止血でエエんちゃう!?」
ベルは慌てながらも急いで自らのワンピースを破き、その長い切れ端をアドルーの両目に結びつける。
「おまえら……馬鹿かよ……俺、サード・エンダーズなんだぞ……」
アドルーはかろうじて言うことができた。ベルのワンピースの切れ端によって視界を閉ざされているものの、顔はもがくように上を仰いでいる。
「そうなんです、私たち、だからはやくエルスト様のところに行かないと……エルスト様を助けないと……」
なおも止まらないアドルーの左目の血潮に、ベルは混乱を隠せない。
「だから私たち、行きます。きっとこうしてれば、執事さんはあなたを殺さない!」
そうですよね、とベルが執事を振り返ると、そこには、ベルの首もとに短剣を突き刺そうとする執事の姿があった。
ベルは息を飲んだ。どうやらベルとアギは、今夜の事態を甘く見ていたらしい。ベルの瞳には、燃えているであろう王都郊外に暮らす両親の顔が走馬灯のように駆け巡る。エルストの顔も、そこに映った。
敏感にも異変を察知したアドルーが、唯一自由のきく足でベルを蹴たぐった。それがアドルーの放った転移魔法であることに、ベルとアギは、アドルーとともに王妃の部屋に舞い戻った頃にさとった。
王妃の部屋を照らすロウソクの火が大きく揺れた。
「やっぱり、いやだ!」
火のゆらぎと同時に部屋に轟いたのがエルストの抵抗する声だった。
「エルスト様!」
マジョルダに詰め寄られているエルストの姿に、ベルは我に返る。こんど目に映っているエルストは走馬灯の幻想などではない、本物である。
ベルはロウソクの火を味方にした。小さなともしびを、すぐさま炎の渦へと変貌させ、国王とマジョルダを焼いてしまおうとする。ベルとアギが戻ってきたことにエルストはいち早く気づいた。ふたりが来てくれたことに高揚する気持ちのまま、エルストはマジョルダを押しのけ、ベルとアギへと手を伸ばす。
国王とマジョルダが消火した時にはすでに、エルストとベル、アギ、そして目に入ったアドルーも、そして王妃も、部屋から姿を消していた。
「陛下……」
マジョルダが言う。
「……私、王妃様に針を突き刺していましたわ。ですが、エルスト様の魔力……ちっとも抽出できていませんでした……」
マジョルダは戸惑っている。国王は初めて表情を曇らせた。
「最後の〝兄弟のよしみ〟で言いますが、兄上、どうせ無理ですよ」
プロメテシアとマックスの目の前でカーシーは言う。カーシーはおおきな爪でマックスに襲いかかる。
「エルストの魔力を抽出しようとしたって、できません」
「おまえが何か細工したのか?」
「察しがよろしいですね。以前、エルストがベルたちと一緒に、僕に誓約の旅のヒントをたずねてきた時に」
マックスはカーシーの攻撃をサーベルで受け流しつつ、忌々しげに、ドラゴンと化したカーシーを見る。こういう時――あからさまに牙を剥かれている状態は初めてだが、少なくとも、真剣な時――カーシーは嘘をつくような人間ではない。
いいや、とマックスは改めて首を振る。九年間、カーシーは我々に大嘘をついてきたのだから、この際、何を信じようと無駄か、と思い直す。
「それは私でも解けるのかな?」
マックスは思案顔で言った。細工するとしたら、何かの魔法だろうと想像はついた。
「さあ、わかりかねますが、せっかくだから解いてあげてきたらどうですか。王国のだいじな捨て駒でしょう。僕はプロメテシアを殺していますから、そのあいだに」
「ああ……止そう。父上にお任せする!」
マックスは、カーシーへの敵意、攻撃してでも押し止める意志を確実なものとした。
ベルが〝避難先〟として選んだ実家テン牧場付近は幸いなことに炎の被害は及んでいなかった。ベルは心から安堵する。家畜も無事のようだ。母屋も燃えていない。王都じゅうの喧騒が透明な壁を隔てたようにかすかに聞こえてくる。夜風に吹かれる牧草の上に、エルストや、ベル、アギ、アドルー、王妃は倒れている。王妃は今も眠ったままだ。
「ここは……」
エルストが上半身を起こした。エルストはまだアドルーと王妃の存在には気づいていない。ここがどこすらも、ベルに聞くまでわからなかった。
「私の実家です。パパとママを呼んできます」
王都の炎の光はベルの姿を照らすまでは届いていない。ベルがそう言い残し、歩いていく足音が、だんだん小さくなっていった。
エルストは岩トカゲがあるらしきほうを見る。岩トカゲの頭上の輪郭、王城の輪郭だけが夜空に浮かび上がっている。空は、街がある下方だけが明るい。ただし黒煙が充満している。助かった。またベルとアギに救われた。ベルとアギなら必ず自分を助けてくれると、心のどこかで確信していたことも事実であるが、ふたりが来なかったとしたら、自分の魔力はすべて奪われ、とうに死んでしまっていたのだろうかと考える。怖かった。生温かい風がひたいをそよぐ。脂汗が滲んでいたことに今さら気づいた。本当に助けられた。
「あいつ……」
すぐそばからアドルーの声が聞こえたことにエルストは喫驚する。
「アドルー?」
「あいつ……ベル……俺まで連れてきやがった……」
「ど、どこにいる? あ! いた……」
エルストは暗がりの中、アドルーの顔らしき部分に触れた。
「うわっ。なんだ、これ……なんか、ぬめぬめしてるけど……」
エルストは思わず手を離す。指に、なにかの液体が付着したようだった。
「おまえの執事に、目を、刺されたんだよ……」
「……じいが? ……どういうこと、ウソでしょ?」
「あの執事も知ってたぜ、おまえの魔力のこと」
エルストはしばし考えた。
「……アドルーも……知ってるってこと? ……ねえ! 知ってたの! 知ってたなら……」
どうして教えてくれなかったんだ。すべて言 わずとも、エルストが絶望していることなど、アドルーには想像にたやすかった。
「俺はドラキュラから聞いたんだ」
「ドラキュラ!?」
草を踏む音が聞こえた。ベルが両親を連れて戻ってきたのだった。だが、エルストがドラキュラと言った瞬間、その全員ぶんの足音がぴたりと止まった。
「……ドラキュラ? ……」
これはベルの小さな声だ。
「ドラキュラが……いるんですか? ……」
「……ベル? ドラキュラって……知ってるの?」
ベルは杖を照明がわりにしていた。まばゆい光がこの場にいるすべての人間の顔を照らしあげている。ベルの両脇にはベルの父ベニーと母サーシャの姿もある。
「ドラキュラって誰?」
エルストが言った。
「……ひとまず、家の中にお入りください、エルスト様。ケガ人もおられるようだし……そこの女性……」
「女性?」
ベニーに言われ、エルストはあたりを見回す。
「母上!」
エルストが大きな声を出しても王妃は目を開けることはない。
「あ、私が連れてきちゃいました。王妃様も連れてきたほうが、エルスト様の魔力、奪われることもないだろうと思って、つい」
「ありがとう、ベル」
「ワシもおるで!」
「アギも、本当にありがとう」
エルストは思わず笑みがこぼれた。
アドルーはベニーが、王妃はエルストが母屋へと運ぶことになった。母親を背負ったエルストは、その体重の軽さと、今もなお眠り続けていることに、いささか心配になる。執事に目を刺されたというアドルーのことも気がかりだ。あの温厚な執事が本当にアドルーを攻撃したのだろうか。いや、アドルーはいま罪人だ。城の人間が攻撃したとしても許されるのかもしれない――だが、エルストは、執事の行為を許しがたいと感じた。その理由については、まだ漠然としている。




