3 ヨウ・ヨウの湧水洞(1)
青々としげる草木は、アギの一本角を除いてベルの全身を隠す蓑になっている。ジージーと虫が鳴くのを横目に、ベルは吐息すら押し殺す。
時刻は正午を過ぎたくらいであろうか。日差しはじゅうぶんにあり、視界も良好だ。
草の葉と葉の隙間から、ベルの握る赤黒い杖がそおっと、地面とまっすぐ平行に突き出た。杖の長さはベルの肘から手首までの長さと同じくらいだろうか。太さは、一番太いところでベルの親指ほどだ。先端に行くほど細くなっている。
ベルがこくりとうなずいた。これが、ベルとアギにとっての合図となった。
「今だあッ!」
「エルスト様〜!」
人気などまるでない山麓。流れ穏やかな小川のほとりに、エルストは岩の上に腰をおろしていた。深い緑色のケープで上半身を隠している。小川の上流からそよ風が吹いていて、少し肌寒い。
そこへ、小石を蹴りながらベルとアギが姿を現した。エルストは振り向いた。
「お昼ごはん、確保しましたよ!」
「……それ、なに? 毛皮がついてるように見えるけど」
「ウサギです!」
ベルはつい先ほど仕留めたばかりのウサギ一羽を誇らしげに掲げた。うしろ脚を掴まれたウサギはすでに絶命している。よく見ると、横腹と喉元に二箇所、毛皮が焦げた痕がある。
「すごく汚れてるね……」
エルストは腰をあげようともせず、眉をひそめながら呟いた。
「そりゃ野ウサギやもん。ゼータク言ってられへんで」
すかさずアギが反論した。
「王子のほうこそ、進捗どないやねん?」
「僕はね……」
するとエルストは頬を緩ませた。
「このくらいの魚二匹だよ! アギに焼いてもらおうと思って」
エルストは両手を使って首の幅くらいの大きさを測った。それを見て喜んだのはベルである。
「すごい! エルスト様、すごい! 三日ぶりのごちそうだなあ」
ベルはしみじみとこれまでの道のりを思い返す。
「じゃ、明日の午前十時に、お部屋まで迎えに行きますね!」
謁見の間を退場したのち、ベルとアギ、そしてエルストは廊下にもかかわらず今後について協議した。あのように国王自ら脅されては、居ても立ってもいられなかったのだ。
ひとまず最初の目的地である湧水洞について執事に確認すると、歩いて五日はかかるだろうとの情報を得られた。そんなに遠いんか、とアギが文句を言ったが、五日は五日です、と執事の答えは変わらなかった。
このころは、からだが沸騰して死ぬことばかりに悩まされていた三者がうかつであったのだ。今思い返せば、よくよく備えて王都を発つべきであったと揃って後悔している。
翌日の昼前に王都を発ったのだが、ベルの手荷物はホウキと杖、ナップサック。このナップサックの中には保存食と救急用具が入っており、薄手のラグマットと小さな水筒もぶらさげていた。
そしてエルストは、主に衣料品と衛生用品を詰めたナップサックと、一握りのナイフを持っていた。地図とコンパスも彼の持ち物となった。
「いやあ、まさか、保存食がたった二日でなくなるとはな〜」
ウサギを持ったベルは、もはや良き思い出だと言わんばかりに笑い飛ばした。
そうなのである。きっと道中に小さな村でもあるものだと決め込んで進んでいたエルスト王子ご一行は、腹の空くままにベル自家製のパンや干乾し飯、かんぴょうやローストチキン等々をことごとく食い尽くしたのである。
ところが二日経ったところで一行は気づいた。湧水洞付近に、街はおろか村落の印ひとつ地図上には記されていなかったのである。すでに最後のかんぴょうは、ベルとエルストの胃袋の中であった。
「小川を見つけてラッキーやったなあ! あたりは森林やし、こりゃけっこう食糧も豊富やで」
「ホント、ホント! おまけにエルスト様、釣りが上手だし!」
ベルとアギはにこにこと笑顔を絶やさない。
一行が小川のほとりで今日の飯に悩んでいたところ、目のよいアギが野ウサギを見つけ、食糧にするべくベルが追いかけたのである。その間、エルストは小川での釣りを任された。少しでも栄養がほしい。
「で、エルスト様、魚はどこに?」
「うん、二匹とも小川に戻したところだよ」
「……うん?」
「……え?」
ベルとアギの笑顔が硬直する。
「ごめんなさい、エルスト様。もう一回言って」
しだいに片頬が引きつる。
「だから、二匹とも小川に」
「戻した?」
「うん」
エルストは平然としている。ベルがなぜ笑顔を苦笑に変えたのか、その意味がわからないようだ。
見かねたアギが溜め息をついた。察しのいいこのドラゴンはすでに笑顔をなくしている。
「あかん。予想以上の世間知らずやで、この王子」
それからベルとアギはエルストに対し、川は生け簀ではないので一度戻した魚は返ってこないことをかたく言い聞かせた。
岩から降り、野草と小石と砂の乱れる川のほとりに敷かれたラグマットの上に座るエルストは、城から持参したナイフを、唇をとがらせながら見る。ナイフはエルストの目の前に置かれていた。
先ほどベルとアギが狩ったウサギはこのナイフによって捌かれた。生々しい手作業を、エルストは正直に眺めていた。とうぜん気分が悪くなった。そのほかに、護身用のナイフが野ウサギの血で汚れたことに、少なからず不快感を示したのである。
「いや、ワシはエエんやで?」
ベルの頭ではアギがおしゃべりをしている。
「ドラゴンやから腹は空かんし、ほら、それ以前にアタマだけの存在やしな。胃袋はベルの持っとるナップサックや」
ベルはアギが焼いたウサギの肉を頬張っている。ごつごつした地面の上にじかに尻をついている。
「いつまでグチグチ言ってるのよ」
「だってウサギ、ちょっと小さかったやん……」
アギはアギなりに、人間ふたりの空腹を心配しているようだ。このウサギの肉では彼らは満腹にはならないだろう。アギは、エルストが魚を逃がしたことを、いまもなお気にしているらしい。
「ちゅうか、王子もスネとらんと、ちゃんと食べーや。育ちざかりやろ」
「うん……」
エルストはこんがり焼けたウサギの手先を持っている。一口かじっただけで、あとは食べようとしていなかった。
「もしかして、エルスト様、具合悪いですか?」
「ううん。元気」
エルストはもう一度、ウサギの肉にかじりついた。やはり味気ない。おまけに、硬くて、ぼそぼそしている。エルストはどうにか飲み込んだ。
「……ベルが前焼いてくれた、チキンのステーキのほうが美味しかったな……」
エルストはぼそりと不満を発するのである。
「か〜っ! このォっ、温室育ちのお坊っちゃんめ!」
この手の不満には、アギはうるさい。
「仕方ないやないかー! 調味料もないし、トクベツに養育したトリじゃあるまいし! そりゃボソボソしとるわ! 仕方ないやん!」
ワシかて焼くなら高級牛がいいわッ、とアギは言い捨てた。
「エルスト様、ごめんね。それっぽいところに寄ったら、美味しいお肉、買いますから」
ベルはすでに完食したらしい。じつはベルは、旅立ちの前、カーシーから旅の資金を預かっていた。旅での財布はベルの当番のようである。エルストは頷き、残りの肉を口に入れた。
「そういえば……」
昼食も済ませ、ふたたび移動することになった一行。ナイフを腰に差したエルストは、アギのおしゃべりを思い返す。ベルはホウキを小脇に抱えたままラグマットをくるくると巻いている。
「アギって、どうしてアタマだけなの?」
エルストはアギを見た。
「ん? ああ……」
アギが答える。
「ワシ、加工済みドラゴンやからな」
「〝加工済み〟……」
エルストはアギの言葉を反復する。
「もともとは胴体もあったけど、二千年くらい前かなあ……こうなったのは。生まれてすぐのことやったさかい……いや、いつやったっけ……」
アギはぼんやりと上の空を眺める。
「ちなみにこのマントは、アギの皮膚で出来てるんですよ」
ホウキとラグマットを抱えたままのベルは、エルストに見せるようにくるりと一回転した。アギと同じ色のマントがひらりと舞う。
「だから、あったかいんです」
「そら火属性のドラゴンやからな。体温高いで」
「へえ……」
エルストの関心は尽きないようだ。
「じゃあ、父上のマントと同じだね。あれも加工済みのようだから」
エルストの脳裏に、父国王のマントについたドラゴンの姿が思い浮かぶ。
「あ! あれな」
アギも、ベルも記憶に新しい。
「ピッカピカの、金色のアタマだったよねえ」
「あれは火属性ではないな! 間違いなく! いやらしいから!」
頭の上でアギが笑うなか、ベルはラグマットとナップサックを背負った。ドラゴンの属性に〝いやらしさ〟なんてあるのだろうか。これは勉強になったと思いながら、エルストも地図を取り出す。エルストには、ジョークは通用しなさそうである。
執事が言った五日という日数を彼らはすでに歩いていた。湧水洞は、ここからさほど離れていないはずである。ベルは木々を見上げた。森林が、山の上までを覆っている。
「さて、目的地ですけど」
ベルの視線はそのままだ。
「湧水洞っていうからには……水が湧き出ている洞窟なので……」
「水……水かあ……」
エルストもつぶやいた。そんな一行の耳にはちょろちょろという川のせせらぎが聞こえている。エルストが魚を逃した小川である。エルストとアギは、同時に小川を見た。
「この川って……どこから流れてるんだろうね?」
言ったのはエルストである。
「これで決まりか?」
ふたりに確認するようにアギが言った。
「よし!」
ベルはびしっと指をさす。その先は、
「上流に行くぞー! おー!」
小川の上流であった。
小川は山の上から続いているらしかった。遠くから見るとなだらかに見えた山の斜面も、いざ内部をたどりはじめれば、急斜面となる。おまけにコケのはえた岩がぽつぽつと点在している。大きいもので、高さは一メートルだ。一行の行く手を邪魔してやろうと、至って涼しげな顔をしてこちらを見ているに違いない。
木々はいずれも枯れてはいない。旬なのか、寒くなれば赤く染まるのかはわからないが、栄養が豊富なのであろうことは幹の太さを見れば一目瞭然である。根もとにはキノコも生えている。一行の中で一番背の高いエルストが樹木に両腕を回したところで、手が届かないほどである。樹齢も高齢なのだろう。てっぺんは見えない。この山は、王都の岩トカゲよりも高そうであった。
エルストとベルの足は山肌をのぼっていく。地に落ちてしまった小枝を踏み鳴らしながら、あるいはうんと伸びた草を掻き分けながら進んでいく。葉の長い草が鼻先をくすぐり、エルストはくしゃみを連発した。アギもくしゃみをしていた。たまにはの岩の上をよじのぼった。空気はひんやりと冷たい。
「これ……今日中に、見つかるかな?」
先頭を行くエルストが不安そうに言った。これ、とは湧水洞のことを指している。
「見つからなかったら……山の中で野宿ですね」
ベルは返す。昼間でこれほど冷えるのだから、夜になれば寒いに決まっている。エルストは肩を震わせた。そんなエルストの思いを見透かしたかのように、ベルはにっこり笑う。
「大丈夫ですよ。いざとなったら、このマント、お貸ししますから」
エルストはちらりとベルのほうを振り返った。
「それって……魔法が使えなくても、暖かい?」
するとベルは真顔になり、ぺたぺたと、己の着るマントを触ってみた。しまいには、首をかしげたのである。なんとしても、はやく山を降りねば。エルストはふたたび肩が震えるのを感じた。
「あ、水の音が大きくなった」
後ろでベルがつぶやくのを聞いて、エルストは耳を澄ませた。そしてあたりを見回してみる。たどってきた小川は真横に横たわっているが、変わった様子はとくにない。
「もうちょっと上ちゃう?」
アギにも音の変化が聞こえているらしい。
「こりゃ滝やで」
「滝だね」
「滝なの?」
エルストにはどうもさっぱりわからなかった。ともかく、目指す方向に変わりはないのだ。エルストとベルは立ち止まることなくのぼった。眼前にはいままでと比べると最も急になる段差がある。石に隠れて、段差の先は見えない。
「よっ……」
エルストが段差に手をかけた。
「エルスト様、気をつけて」
足もとでベルが言う。
「……と」
膝を乗せ、次いでかかとを乗せる。やがて段差をのぼりきったエルストは、その光景に目を奪われた。
「ちょい、王子、ボサッとしとらんと手ー貸せぇや!」
「あ! ご、ごめん」
後続のベルが段差につまずいているのにも気づかず、アギの文句で初めてエルストがベルに手を貸した。ベルは嬉しそうにお礼を言いながら、エルストと同じようにのぼってきた。
「うわあ! キッレーイ!」
ベルは思わずしゃがみこんだ。エルストも足を崩す。
段差の上には、ベルとアギの言うとおり滝があったのだが、エルストの目を奪ったのは滝ではない。滝壺を縁取るように咲く花があったのである。それも一輪ではなく、何十とある。黄色や赤、ピンクといったカラフルな花々だ。
「ねー、何の花かなー、エルスト様〜」
「うーん……僕、植物には詳しくないんだよね……」
「植物に〝も〟、や。も!」
滝壺は半径二メートルくらいか。水深は、さほど深くはなさそうである。上空からの陽射しを浴びた水面がやさしくきらめいている。
しかし、輝いているのは水面ばかりではないようであった。
「これ……花、光ってるよね?」
エルストはベルとアギに確認した。ベルはすぐに頷く。
そうなのだ。色とりどりの花々も、どうやら光っているようなのである。見間違いなどではない。葯のあるところから、花弁と同じ色の光の粉を出している。雄しべなのだろうか。
ベルは手当たりしだい、花弁を撫でてみた。いや、撫でているのではなく、引っ張っているようにエルストには見えた。ぐいぐいと、ベルの腕は容赦なく、確実に花弁を引っ張っている。
「けっこう頑丈……」
ベルは花弁をぬくのを諦めたようである。
エルストは滝水を見た。この滝はどこから来ているのだろう。さらに上があるようだが、これ以上は崖になっており、とてものぼるのは困難だろう。とはいえいまさら別流を探るのも骨が折れるし、そもそもこの山には何本の川があるのかもわからない。川をたどれば湧水洞があるとの確証もないまま進んできたので、一行の誰にも正解はわからないのである。
思えば、目先の川を頼りに猛進してきた気がする。ベルが水筒に水を足す横で、エルストは地図を広げた。本当は、地図の読み方だって心もとないのだが。
だが、〝湧水洞〟と書かれた場所はたしかに山の中だろう。幾重にも巻かれた線の中にある。
「ここで行き止まりなのかなあ」
ベルは滝壺の周囲を見回すが、来た道のほかには、道と呼べる道はない。気のせいか、先ほどよりも薄暗くなってきたようだ。
「上……やっぱり、上に行くしかないのかな……」
エルストの声は語尾にいくにつれてか細くなっていく。ところどころ剥き出しになった岩をつたってのぼれなくもないだろうが、落ちたら頭部を打って即死だろうということは、川と生け簀の違いすら知らなかったエルストにだって容易に理解できる。花はクッションにはならないし、滝壺だって、この浅い水深だ。どこに落ちたって命取りである。
「エルスト様」
アギがずり落ちないように抑えたまま、ベルは崖を見上げて言った。
「こういう時こそ、宮廷魔法使いの出番ですよ!」
するとベルは勢いよくホウキを振り回した。
「ステイ!」
ベルがホウキに魔法をかけたのである。地面に並行に浮かんだホウキは、誰の手を借りることもなくその場にとどまった。
「魔法だ……」
エルストはどこか感激した面持ちでホウキの周囲をぐるぐると回った。ベルにしてみればホウキを浮かせることなど初歩中の初歩の魔法だが、エルストにとっては夢のような体験なのだろう。目を輝かせている。
「乗っていきましょ!」
ベルはエルストの背中を強引に押した。よろけたエルストが、不意に足を浮かせた。尻もちをつくと思いきや、ホウキの柄がそれを支えた。
「うわあ! う、浮いた!」
驚きの声が滝壺に響いた。エルストはかたく目を瞑り、力強く柄を握る。
「よいしょ」
エルストの後ろに空いた隙間にはベルが座った。
「アリ〜」
軽やかな合図をもとに、一行を乗せたホウキは滝壺と並行を保ちながらみるみる上昇していく。ゆったりとした上昇であった。エルストもまた、おそるおそるといったふうに目を開ける。滝の流れに逆らってのぼっていく感覚であった。ふと下を見れば、花の輝きが小さくなっていた。
「けっこう重たいなー、王子〜」
アギが言うのに、エルストは後ろを振り向いた。
「ど、どうしてアギが言うの?」
「どうしてって、そりゃ、このホウキもワシのからだの一部! 背骨と体毛で出来てるんや」
アギは鼻の穴を膨らませ、誇らしげに言った。
「……そうなんだ……」
エルストはなんだか楽しくなってきた。いっそこのまま、雲の上まで行きたいものだ。そう思った。
冷たい風をまといながら、一行は崖の上へとのぼってきた。木々は少なく、岩肌が露出している地帯になっている。さらに上があるかと思いきや、あの小川の湧水地点は崖の上からさほど遠くはないようだ。ひとまず足場を確認してベルが降りた。短い浮遊の旅も、もう終わりである。
平らな岩が多く、地盤も安定している。見渡せば山を一望でき、遠くには王都の岩トカゲも親指の爪ていどに視認できた。あんなところから来たのだ。けっこう歩いたなあ、とベルはそんなことを思いながら、いまだホウキに乗せたままのエルストに手を貸した。ベルの手を借りたエルストも着地する。ホウキはふたたびベルの手中に戻った。
「川はたどれそうか?」
アギが誰ともなく尋ねた。ベルが川の流れるもとを探す。
積み重なった岩岩の隙間から、細い小川が流れてきている。積み重なった、いや、よく見れば何かの入り口のようだ。階段のようにして岩を降りた先に、たしかに洞窟の入り口がある。山はまだまだ中腹のようだが、川をたどるならこの中だろう。
そこでベルはおかしいことに気づいた。
「この川、のぼってる」
「え?」
エルストは聞き返す。
「〝のぼってる〟! 洞窟の中から上に、岩をのぼって流れてるんです」
ほら、とベルは指さす。エルストもまた階段を降りた。岩に囲まれた洞窟の中はさらに下に伸びており、その奥の低いところからひとすじの小川が本当に〝のぼって〟来ている。滝へと流れるにはいったん、階段をのぼり、岩を越える必要があるが、この小川は跳ねるでもなくただ静かに岩肌をつたい、滝へと行っている。驚いたものだ。
「こりゃ何かあるで」
一行がみな心のなかで思っていることをアギが代表してつぶやいた。
「きっと湧水洞だ!」
ベルが両手を高くかかげる。
「あとはドラゴンを探すだけだね、エルスト様!」
「ファーガス理事長の話では、水属性のドラゴンに会わなければならないんだよね」
「せやなあ、湧水洞っていうからには、水属性やろなあ」
もしもここに火属性のドラゴンがいるとしたら、それは意外である。
「僕、生のドラゴンに会うのは初めてだよ」
「悪かったな、ワシは加工品で!」
アギがやかましく吠える。
「私も初めてかも……王都にいるのはみんな加工済みドラゴンでしたから」
たまに空を飛んでるらしいですけど、とベルはつけ足す。
「ともかく、奥から探してみよーや」
エルストは頷いた。
奥に進めそうな道はこちらだ。洞窟内の入り口を過ぎて小川をたどると、天井は高く、上からぽたぽたと雫が落ちる通路を行くことになる。足場はとうに水浸しだ。小川というよりは、流れの見える水の筋を見分けながら進んでいると言ったほうが正しい。岩壁は白い。薄暗いが、入り口からの日光が入り込んでいるようだった。横幅は人間がふたり並んでもじゅうぶんな余裕がある。
ところどころ苔が生えていて、湿気の多い洞窟だ。水は、不思議と濁っていなかった。道のりには岩の柱がぬきん出ている箇所がある。先頭を行くのはベルだ。奥に行くほど道が広くなっているのを感じる。さらに道を下っているのは一目瞭然だ。そしてやはり、水は道をのぼっている。
「誰か〜いませんか〜……」
ベルの声がやけに響く。
「水属性のドラゴンって……しゃべるのかな?」
そのうしろでエルストの声も反響した。
「そりゃーしゃべるやろ。人間の言葉を話すくらい、わけないで」
アギの声も同様である。ドラゴンはどのように人間の言葉を学んでいるのかは、エルストにはわからない。ドラゴンが本を片手に勉強しているさまは、それはそれとして面白い。
「そろそろ明かりが必要かなあ」
ずいぶん地下に来た気がする。ベルは背後を振り向き、日光が少なくなってきたのを確認すると、杖を取り出した。
「ルス」
杖の先端が点灯した。暖色の、オイルランプを灯したかのような光だ。ベルは先端を行く手に照らした。ぼんやりと岩の影が映し出される。
「便利だね」
エルストはつくづく感心した。
ぱしゃっと水を蹴りながら、一行は奥へと進む。
「あっ。見て、エルスト様」
杖の先が揺らめいた。
「あれ。滝壺にあった花みたい」
「本当?」
首をかしげるエルストに、ベルは杖の先をくるくると回しながら答えた。杖が照らす先に、ちらちらときらめきが見える。杖よりも明るいのか、白い光に見えるが、その白い光を囲むように花弁の形が浮き出ている。一行は近づいてみると、たしかに滝壺にあった花々と同じようであった。あれは水の中から咲いているのか。滝壺と比べると数は少ないが、どれも色も鮮やかである。
「オイ、奥にも見えるで」
アギが教えてくれた。そこでベルとエルストは息を飲む。
「あ、明るい!」
ベルの声がエルストの耳をつんざく。
たどり着いた奥は広間のようにドーム型になっているようである。天井は今までよりもうんと高いらしく、なるほどベルの声も大きく響くはずだ。しかしベルは空間に反応したわけではない。地面に咲き誇った花の群生が、広間をぼんやり明るく照らしていたのだ。色とりどりの花が、それぞれの色の輝きを放っている。一概には何色とは言えぬ明るさである。言ってしまえば、七色か。
どうやらここで行き止まりらしい。最奥地に泉があり、この洞窟から続く水はあの泉がはじまりのようだ。その横に、花を避けるように羽毛のかたまりが寝そべっている。
「まるで花畑だ」
泉から始まる小川と羽毛を除き、あとは花たちが陣取っているではないか。さすがに壁には咲いていないが、まるで朝日が射し込んだかのように明るい。
「これは花畑だぞ。王族の」
「……ん? エルスト様、いま、しゃべりました?」
ベルがエルストにたずねる。エルストの顔を見ると、彼は首を横に振った。
「じゃあアギ?」
「いや、ワシでもないで」
アギもまた否定した。
「……何か聞こえましたよね? 王族がどうのって……」
おかしいな、とベルは辺りを見回す。
「イヤイヤ、あからさまにあのかたまりが怪しいやんけ!」
アギの冷静な指摘に、ベルは杖の明かりを羽毛のかたまりに向けた。とはいえ、もはや杖の明かりはその意味をなしていないが。
羽毛のかたまりはベルやエルストよりも三倍はあるかというほど大きい。もそもそと動いている。