15 セカンド・エンド(5)
「将軍殿下!」
ガードナーが応援隊を連れて到着したのは、岩トカゲが王都の郊外へと手を伸ばした直後であった。
「ドラゴンが……」
「わかっている。見えている。うろたえるな」
オフルマズドの声色には怒気が含まれている。エルストにはわからないが、オフルマズドは、部下の遅すぎる参陣と、テレーマの後味の悪い去り際に、苛立っているのだ。
「市民を避難させろ」
「いったいどこに……」
ガードナーが途方に暮れるのもしかたのないことだろう。エルストだって適当な答えは見つからない。王都郊外に腕を振りかざす岩トカゲから今すぐに逃れる道があるならば、オフルマズドはきっと、郊外にワープしていくはずだ。だがオフルマズドがいつまでもここにいるということは、オフルマズドにも、市民を避難させるに足る安全な場所についての見当がついていないということであろう。
ガードナーはテレーマの所在について尋ねた。オフルマズドは答える。
「もしかしたら王都のどこかにいるかもしれない。だが、この地震だ。遠くに行ったのかもしれない。わからないってことだ」
「そんな……」
「とにかく騎士を王都じゅうに。私は父上のところに行く」
「はい」
オフルマズドは最前線で市民たちを誘導するよりも優先しなければならないことがある。岩トカゲ自体をどう対処するか、決めなければならないのだ。その義務が、オフルマズドにはある。
岩トカゲが王都の郊外、農地の集落を破壊したことによる大きな揺れを浴びながら、オフルマズドは王城に急いだ。
「父上」
「はやかったな」
「緊急事態です」
謁見の間に移ると、父イントッシュ国王と、ふたりの弟が待機していた。
謁見の間の燭台に灯された火が大きく揺れている。王城も、止むことなく揺れているのだ。
「この地震はなんなのだ?」
「ドラゴンです」
「ドラゴン?」
「テレーマ王子がペドラと呼んでいました」
「どういうことだ! ペドラ? それに今、テレーマと呼んだか!」
「父上」
臣下の誰も、ドラゴンの来襲さえ知らないのか。知っている者がいたとしても、なぜ国王に申告しないのか、考えるほどにオフルマズドは腹が立つ。
「父上。私が捕らえたドルミート兵のなかに、テレーマ王子が正体を隠していました。先ほど正体を明かし、騎士団から去っていきました。時を同じくして、現在、巨大なドラゴンが、王都郊外を襲っています」
オフルマズドは考えうるだけわかりやすく説明したつもりだったが、国王は満足しなかったらしく、
「どういうことだ!」
とまくしたてるだけであった。
「巨大なドラゴンは、テレーマ王子が呼び寄せたということですか?」
次男がたずねた。三男も不安げな面持ちだ。どうやら、この三兄弟は、父よりは物分かりがよく育っているらしい。
「それはまだわからない。テレーマ王子の居場所も掴めない以上、ひとまず、市民の安全が最優先事項だ。騎士団を配備させているよ」
父に向ける声とは違い、オフルマズドの口調がいくぶん柔らかくなった。
「最優先事項?」
国王が玉座を叩く。そして叫ぶ。
「ファーガス!」
とつじょ謁見の間に突風が吹き荒れた。扉は閉めているはずなのに、とエルストは思う。オフルマズドが動じた様子はない。突風に消されてしまったのか、燭台の火が一掃され、謁見の間は暗闇を閉じ込めた。追い風が向かい風になった瞬間、エルストは、目の前に何かが出現した気配を感じた。風は止んだようだ。燭台には新たに火が点けられた。
「うわっ!」
目の前に緑色のドラゴンが背中を丸めて立っていたので、エルストはついつい間の抜けた声をあげてしまった。ファーガスである。
「理事長!」
だがファーガスはエルストの声には反応しない。当然である。
「貴様は絶対に奪われるな」
背中に打つようにかけられた国王の言葉にも反応しない。オフルマズドと見つめあうようにして静かに立つファーガスは、頭頂部から生える長い髪を邪魔そうにたらし、ゆっくりとまばたきを重ねる。
「それだけかな」
ファーガスは、人間よりかは長い首を斜め後ろにひねりながら言った。国王は、いけすかない顔をして、もうよい、とぶっきらぼうに返事をした。
「ファーガス……」
そう呼んだオフルマズドの声はまるで気の知れた友人に懇願するかのようだ。
「頼むよ、どうか」
「ドラゴンの命を?」
「きっと平穏にしてみせる」
オフルマズドは震動に耐えながら言った。ファーガスはふんと鼻を鳴らしながら右手のツメで空間を引き裂き、ファーガスだけが通るための、狭い道を作り上げた。ファーガスが透明になっていく。その先は空虚な場所なのだろう。ファーガスは、完全に姿を消した。
オフルマズドは妻アエラと赤子エイブラハムふたりが休む寝室を訪れていた。謁見の間も揺れているのだから王族が住まう部屋だって震動に襲われていることはわかりきっている。それでもオフルマズドは、妻と子のもとへ行きたがったのだ。
青色の部屋の中で、アエラはベッドの上で大切そうにエイブラハムを抱いている。赤ん坊というのは、こんな緊急時にも我が物顔で眠ってしまえるものなのだろうか。満たされたようによだれを垂らしている。アエラがそっと、我が子の口もとを拭ってやった。
「始まったのですね」
アエラはオフルマズドに投げかけた。そうであった。アエラも死後の意識でこの夢の世界に生きているのだから、いま王都で何が起きているのか、アエラは寝室にいながら理解しているのだろう。500年、エルストの上にあたる世代の王族たちが誓約の旅をおこなった回数とまったく同じ数、アエラはエイブラハム王子を出産し、こうして地震に見舞われているのだとエルストが思うと、なんだか気の毒にも見える。
「ベルとアギにも山ほど説明したいんだけど……」
オフルマズドが答えようとした寸前、床に亀裂が走ったのをオフルマズドの目がとらえた。天井にも、同じような、いなずまのような線があるではないか。
「ど、どういうことですか。城が崩れる!」
エルストはオフルマズドの体内で慌てふためく。
「もしかして、岩トカゲのしわざ?」
「そうだよ、残念ながら」
オフルマズドはアエラとエイブラハムを抱きかかえるように庇っているが、床は割れ始めており、アエラとエイブラハム、そして乗りかかるオフルマズドの体重を支えているベッドも斜めに傾きだした。
「エルストとベルと、それからアギに言っておく。これから岩トカゲは王城を破壊する」
「……わっ。ベルとアギ、叫びましたわ。うそつけ! って」
「ウソだったことを願いたいくらいだよ」
オフルマズドが言い聞かせたのはなにもベルとアギだけではあるまい。エルストにもまた言ったのだった。
「破壊するって、どこまで?」
エルストがたずねたので、オフルマズドは、微塵になるまで、と言い切った。
大きな震動が一度、王城を縦に揺らした。それきり震動はおさまったかのように思えたが、次の瞬間、とがった岩が部屋の壁を突き破ってきたではないか。オフルマズドは瓦礫から家族を守る。
「オフルマズド様、どうにかしてください!」
「どうにかって、どうやってだよ、エルスト?」
「魔法で……魔法で王城を守るとか、できるんでしょう!」
「ぼくに“死ね”ってことだね」
「いや……そう言いたいのではなく……」
「魔法を使うってそういうことさ」
エルストは体が前のめりになるのを感じる。それだけではなく、破壊された王城の破片が下方から飛んでくる。ひとつふたつ、頬をかすめた。これは気のせいなどではなく、オフルマズドは、そしてアエラと赤子もまた落下しているのだ。
「でも今は魔法しかないと思うんです! このままだと、みんな死んじゃうから!」
エルストが叫んだ。
「そうだよ、おそらく今は、それが正しい!」
オフルマズドはエルストの答えを肯定し、ベッドの傾きを正した。ちからわざではない。魔法である。それから、一瞬ではあるが、白い火花のようなものが曲線を描きながらオフルマズドたち三人の周囲を走り、球状をあらわしたかと思うと、火花はすぐに消滅した。なんらかの魔法であることは間違いない。三人を乗せたベッドは非常にゆるやかに下降していき、着地した。アエラや赤子エイブラハムが傷つくことはなかった。
だが、寝室どころか、エルストが気付いた頃には、王城は跡形もなく破壊されつくしてしまった。謁見の間もない。騎士団本部も、せっかく補修が進んでいたというのに、岩トカゲの手にかかれば砂になったように風にさらされていた。岩トカゲが王都の郊外に出現してから、これまで、いったいどのくらいの時間が経ったのだろう。エルストが思うに、一時間も経ったかあやしいところである。
オフルマズドは空を見上げる。イオンと飛んだ王都上空にはなかったはずの山が築かれていた。
薄暗かった王城からは考えつかないほど明るい。それもそのはずである。陽射しをさえぎるものなど何もなくなってしまったのだ。見晴らしのよかった王城が、いまは、岩トカゲに見下ろされている。
地中から生えた岩肌の、あのごつごつした山に備わっているであろう目には、オフルマズドの姿は映っているのだろうか。こちらからはけっして見えはしないのが悔やまれる。
エイブラハムが目を覚ましてしまった。ぎゃあぎゃあと泣く声が、王都の空を支配する岩トカゲの肌に反響する。
アエラがよしよしとエイブラハムの頬を撫でている。エルストは母親が子どもをあやす声を初めて聞いた。なんと優しく、なんと幸せな声なのだろうか。ひょっとして、あの唇から魔法の呪文が紡がれているのだろうか。ひどく穏やかな心地にさせてくれる。エイブラハムに対し、エルストは羨みのような感情をいだいた。
オフルマズドが周囲を見回す。見知らぬ山は足もとにもあった。初めて経験するエルストでも、これは崩れ落ちた王城の瓦礫の山だとすぐにわかった。土台となっている盤石はそのまま残っているようだが、落ち着くところを探している破片が転がっていく音と、人々の悲鳴がいやな雑踏を生んでいる。とくに悲鳴は、王都に住まう全員が奏でており、とにかくうるさい。ひとりひとりにアエラの声が届けば、あるいは、おさまるのだろうか。
岩トカゲが片手を王都に叩きつけたようだった。その衝撃で、オフルマズドは倒れてしまったが、すぐに身を起こし、アエラの肩を抱き寄せる。岩トカゲが手を振りかぶるごとに、砂塵をともなった風が強く吹きつける。
「オフルマズド……」
風にあおられながら、そして震動に揺さぶられながら、国王イントッシュが、息子たちを連れてやって来た。国王は頭を負傷しているようだが、かすり傷のようだ。体は元気に動いている。
「父上たちはここでアエラとエイブラハムと一緒にいてください」
国王たちがオフルマズドに助けを求めてきたことくらい、わざわざ言われなくとも、理解できる。大の男がすがるような目つきをしているからだ。
「私は騎士団の指揮がありますので」
壊滅した騎士団本部に生存者がどの人数いるのか、王都の街へ繰り出した騎士のなかで無事でいる者はどのくらいなのか、まったくわからないが、将軍という地位をいただいている以上、オフルマズドがその責任を投げ出すわけにはいかないし、投げ出すつもりもさらさらなかった。
オフルマズドは人差し指を曲げ、エイブラハムの頬に触れた。赤子の頬はエルストが驚くほど柔らかく、温かかった。この頬に、ベルとアギは、何度も触っているのだろうか。幼い子どもと接するベルとアギの顔をエルストは知らず、ふたりがアエラとどんな話をしているのか、想像がつかない。
「エルストに質問だよ」
家族を置いて騎士団本部跡地に歩いて向かう途中、オフルマズドがエルストにたずねる。
「こういう一大事の最中に、王族が一番やってはいけないことって、エルストは何だと思う?」
「一大事に、王族がやってはいけないこと? うーんと……逃げ出すこと、とか?」
「違うな。逃げることは、時として必要な手段だ。というか、この場合、素直に逃げたほうがいい。逃げ場所があるなら、だけど」
オフルマズドはエルストにも見えるように空を仰いだ。そこには、持て余すちからを発散したいがごとく、晴天をも揺るがす雄叫びをあげる岩トカゲがいる。
「一番やってはいけないことはね……何もしないことだよ」
オフルマズドが首を後ろへ振り返すと、はるか後方に、弟たちに魔法を使わせながら、頭を抱えてふさぎこむ国王の姿が、小さくあった。
「だけど、あんなドラゴン相手に、できることなんてあるんですか?」
「当時のぼくは、今、それを考えていたさ。必死にね」
王城とそう変わらない姿に成り果てた騎士団本部では、あいにく死者も出たらしく、血みどろの瓦礫があちらこちらに倒れている。なかには胴体が破れて内臓が出ている者もおり、持ち主がさだかではない腕や足も転がっていた。これらが王都じゅうに同じように広がっているであろうことは、エルストも想像に難くない。エルストは目を覆い隠したかったが、オフルマズドはひとつひとつ、しっかりと目に焼き付けていく。
「答えは出ましたか?」
「そう急かさないでくれよ。どうせ、じきわかる」
オフルマズドはこれといった目的地を決められず、知った顔の生存者がいないものかと探索してみる。
すると、びええ、という赤ん坊の泣き声が聴こえてきた。エイブラハムとは声が違う。ひとまずその声を道しるべにして突き進む。その間にも岩トカゲは好き勝手に暴れているようだ。
「お〜ッ、ヨシヨシ」
あれではとても泣き止まないであろうなとエルストが呆れてしまうくらい、荒っぽい声が赤ん坊をあやしている。
「こっちだな」
オフルマズドが駆け出す。どうやら声の主の居場所に見当がついたらしい。平たく長い瓦礫が重なりあって狭い空洞を作っている。赤ん坊たちはこの中にいるようだ。オフルマズドは、自力ではとても動かせない瓦礫なので、魔法を使って瓦礫を動かしてやった。
「チ・ビ!」
エルストは空洞で赤ん坊をあやす小さい男の名を呼んだ。それと反して、チ・ビは、ああっ、オフルマズド様、と、希望の光でも見つけたかのようにこちらを向いた。たくましい腕の中では赤ん坊がしきりに泣いている。
「何事ですかい、これは。いきなり、大地震がやってきて、本部がこうなっちまいやしたが」
「ドラゴンが襲ってきたんだ」
「ドラゴン! まさか、ブラウン様では……」
「いや、ペドラとかいう、岩のドラゴンだ」
「ペドラ!」
チ・ビは赤ん坊に負けないほどに大声を出した。信じられない、とでも言いたげだった。
「ペドラ様って言やあ、けっして砕けない、硬い皮膚のドラゴンやな。そこいらの道具では削れもできません」
「それが暴れているのを、なんとか止める手段はないのかな?」
「あばっ……」
チ・ビは眉間に大きなシワを寄せる。
「ドラゴン様が暴れちょるなんてのは、ワシかて生まれて初めて見ますわ」
つまり、止める手段は答えられそうにないということだった。
「うえーッ」
「おー、ヨシヨシ。あ、いや、すいませんね、ワシのせがれがやかましゅうて……さっき、母親が瓦礫に潰されて死んじまったもんやさかい……」
「赤ん坊が元気なのは何よりだ。名前はたしか、ウォーベックマンだったね」
「へえ、どうも、そのとおりです」
「必ず守ると誓うよ。君のこともね」
「ありがてえ……」
「仲間たちはいるかい? みんなと、できるかぎり身を潜めておくんだ」
オフルマズドはそれきり、チ・ビと別れた。赤ん坊の泣き声は、しばらく聴こえ続けていた。
「ウォーベックマンって……まさか!」
「ん? エルスト、どうした?」
「あ、いや……」
「知り合い?」
「知り合いってことが、あり得るんでしょうか?」
「加工職人の一族は長生きだよ」
「でも、ウォーベックマンは……」
エルストは、不確かさがおおよそを占めている、推測に過ぎない情報を、オフルマズドに告げられずにいた。それにチ・ビと赤ん坊とは、もうとっくに離れてしまった。確かめようがない。
「どこもかしこも、同じようだね」
オフルマズドが述べたのは崩壊に崩壊を重ねる王都の街並みと、それらに負けてしまった人々の残骸に対する感想であった。
「人が死んでる……こんなに……」
エルストは気落ちしている。
「こんな時、エルストは、どうする?」
「……魔法が使えない僕に訊かないでくださいよ……ううん、でも、もしも僕が魔法が使えたとしても、何に、どんな魔法を使っていいのか、わからない気がします。とにかくめちゃくちゃじゃないですか、こんなの」
「同感。建物をいちいち元どおりにしていくにしても、ぼくの魔力じゃ、とても足りない」
「元どおりにすることはできるんですか?」
「そんなふうな魔法もあるにはある。ただ、王都をすべて元どおりにするとなると、まず魔力がない」
「魔力……」
「元どおりにしたとしても、ペドラとかいうあの岩トカゲを止めないと、また壊されちゃうしね」
エルストは何かに思い至ったように声を出した。
「魔力のバンク! バンク、あれがあれば……あれはペナルティを受けた魔法使いから抽出した魔力を貯蔵してるんですよね。あれを王都のために使えば!」
「エルスト、本当にごめん、本当に……良い案だと思う。これ以上ないくらいにね。だけど、魔力のバンクというものは、ぼくが国王になってから設立した学園に、世界で初めて設置したものなんだ」
「え……そんな……」
「ぼくの力量不足だと思ってる。じつを言うと、この岩トカゲの襲撃があったからこそ、魔力のバンクというものを作ろうと考えたんだ」
王立魔法学園はエン王国が統一戦争に勝利し、オフルマズドが国王となってから設立された組織だ。そのことを、岩トカゲが起こす震動に揺らされながら、エルストは思い出していた。
「じゃあ……どうすれば……」
今となっては健全に残る建物のほうが少ないだろう。オフルマズドの目をつうじ、すっかり風通しのよくなった王都の街並みを眺めながらエルストは途方に暮れる。たまに飛来する砂埃がオフルマズドを咳き込ませた。
ベルならどうするか。アギなら。父なら、兄や姉たちなら、この時、オフルマズドに、なんと提案しただろうか。だが、何も思い浮かばない。想像ができない。なぜ想像できないかは、おそらく、魔法が使える者とそうでない者の差であるように感じられた。エルストの生涯をかけても埋められそうにない差である。
「……父上たちのところに戻ろう。ここで生存者を保護しても、岩トカゲがいるんなら、どのみち安全はない」
指揮すべき騎士の姿すら見当たらない。どこか諦めたようなオフルマズドの足は家族たちのもとへ向かった。
「ガードナー?」
オフルマズドがまずはじめに己の視界に際立たせたのは妻アエラの姿であったが、その次に、部下であるガードナーがいつの間にか家族たちと肩を並べていたものだから、彼の赤毛が目についた。
「将軍殿下……」
「よかった、君は無事だったんだね」
オフルマズドは和に加わる。
「私などが無事でも、王都がこれでは、あまり無意味に思えますが」
ガードナーは苦笑している。
「騎士団もほぼ壊滅状態……何人かの騎士は散り散りになっていますが……ペドラがいる以上、王都に逃げ場も、隠れ場もありません」
ガードナーが考えることはオフルマズドと一緒のようであった。
「こうなったら、国王陛下だけでも、イオンに乗ってお逃げになられては?」
ガードナーが言うと、その場一同、うずくまる国王に視線を落とした。
「わしだけが生き延びたところで……」
この父にも家族を想う同情心があったのか、と、オフルマズドをはじめとする兄弟は思ったが、そんな淡い期待は、次の言葉で打ち砕かれる。
「ドルミート王国には勝てぬ! それでは意味がない! 負けることは許されぬ! 我らがどんな思いで、何十年と戦ってきたか!」
弟たちがごくっと唾を飲む音が聴こえた。
「ではファーガス様をお呼びください! 私が、ファーガス様が封印なさった加工済みドラゴンを使って、あのペドラと戦います! 抑えてみせます!」
ガードナーが叫ぶように言った。それが名案のようにエルストは思った。ガードナーと、オフルマズドと、それからふたりの弟たちが加工済みドラゴンを使って戦えば、勝機がありそうだと、小さな希望を抱く。
その話を耳にしていたように、ファーガスが風に乗って現れた。ガードナーは怯んだ様子を見せる。オフルマズドは、じっとファーガスと見つめあった。
「もしもわたしが封印を解くとするならば、それは国王の命と、その息子たちの命をもらってからだ」
「そ、そんな……」
愕然とうなだれたのはガードナーである。
「貴様はわたしとドラゴンを買いかぶっている。加工済みドラゴンの魔力を、タダでもらえるとでも思ったか?」
「タダとは言いませんが……代償が大きすぎる……」
「大きすぎるように見えるのならばこの話はなかったことにしよう。ではな」
ファーガスは協力的ではなかった。エルストにはむしろ、冷酷なように見えた。ほかに言い残すことはなく、ファーガスはあっという間に風に溶け込んでいった。
少しの静寂が和を乱しつつある。正確には、無意識のうちに静寂だと思えてしまっていたほど、震動と岩トカゲが街を砕く音に、耳が慣れてしまっていたのだった。
「イオンでは……ペドラには太刀打ちできないでしょうか?」
ガードナーがおずおずとたずねた。オフルマズドは額を掻き、イオンか、と呟いた。
ガードナーがイオンにすがる気持ちも、わからないでもない。しかし、仮にイオンを頼ったとして、イオンが素直に岩トカゲに立ち向かっていってくれたとして、イオンは、はたして岩トカゲに敵うだろうか。チ・ビの話では、岩トカゲの皮膚はちっとも傷つけられないというではないか。それに、イオンは岩トカゲに比べて、飛行はできるが、とても小柄だ。エルストの脳裏には、岩トカゲの平手で地面に打ち落とされてしまうイオンの姿が、あまりにも鮮明に映った。だが、暴れるドラゴンに、人間のちからで敵うだろうとも思えなかった。ドラゴンの魔力は無限なのだ。彼らは死なない。そう考えるにつれ、エルストにはいつしか、イオンが甘美な果物のように思えていた。イオンだってドラゴンである。
エイブラハムが泣いた。すかさずアエラが優しい声を振りかける。
「そうだ。オフルマズド様……」
エルストはオフルマズドに言う。名案と言えば名案だが、愚案と言えば、そうにも言える。
「イオンを……加工しては? ……」
イオンとのあいだにある張り詰めた糸を、エルストはぷつりと切った。




