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Enders war  作者: 急行2号
24/49

15 セカンド・エンド(1)

 戦争の始まりは何だったのか。きっかけは何だったのか。仕掛けたのは“どちら”だったのか。小さな芽に過ぎない序章を、オフルマズドが探し出すには時が遅すぎた。

 セカンド・シーズンが始まって1530年という節目に生まれたオフルマズドを、エン家の人々は大々的に歓迎した。530年間、世襲制度をもって王座を繋いできたエン王国では長子であるオフルマズドを第一に優先し、弟たち第二、第三王子は教育こそされたが、オフルマズドの前ではうやうやしく頭を垂れることを強制された。そしてオフルマズドこそが宿敵ドルミート王国を討ち滅ぼす勇者であると、エン家のみならず、エン王国民すべてが信じ、願っていた。

 そしてオフルマズドが二十歳になった今、エン王国はドルミート王国との戦争を開始し、49年目を迎えている。

「けっこう前置きが長くなったかな……でも、エルストは理解がはやくて助かるよ」

 オフルマズドは長い金髪をうしろでひとつに結びながら言った。物心ついて以来、髪の長さは襟足で揃えているだけのエルストからは想像もつかない、じつに慣れた手つきだ。よってこれはエルストがオフルマズドの体を操っているというわけではない。オフルマズド曰く、エルストの意識が、生前のオフルマズドの体内に入っている状態なのだという。アトウッドのかけた魔法だとのことだった。エルストは信じがたいと思ったが、こうして自分の体が見当たらず、オフルマズドの目線で視界をとらえているという状況、長い金髪をすべる手触りから、信じがたくとも事実なのだろうと納得した。とはいえ困惑するのは確かだ。先ほどドレッサーのカバーを取り外した時に感じた違和感の正体は、この体が自分の体であると錯覚してしまったことによるもののようだった。実際は、エルストがこの体を動かすことはできない。

「あの。僕がオフルマズド様の体に入っているということは、なんとなくわかったんですが……」

 エルストの声が響くのもオフルマズドの体の中だけということだ。オフルマズドの体の外には一切聴こえないらしい。

「ベルとアギはどこにいるんですか? 僕たち、同じ夢を見ているんじゃ?」

「ああ、同じ夢だ。ベルというのは君の宮廷魔法使いかな。そのベルという人も、パートナーの加工済みドラゴンと一緒に、このセカンド・エンドの夢を見ているはずさ」

 オフルマズドはぱくぱくと口を動かし、エルストの質問に答えながら着替えている。先ほど着用していたのは寝間着だったらしい。しばらくすると青と白の装いに変貌する。

「時代についての話はブラウンから聞いていないかな。ぼくがいま生きているのは、そして君が見ているこの夢の世界は、セカンド・シーズンという時代なんだ」

「王国歴ではないのですね」

「それはぼくが王位に就いてから始めた暦だよ。エルストのようにここに来た子どもたちにさんざん訂正したな」

「……あれ? オフルマズド様は、国王じゃ……」

「今は王太子。エン王国の第一王子。そして二十歳。ねえ、若いだろ? ここに来た子どもたちはみんな、石像と違う! って驚くんだ。ぼく、石像だと老けて見えるのかな? エルストはぼくの石像を見たことはある?」

「レイピアを持ってる石像ですよね。もちろん、何度も」

「髪をおろしたのが間違いだったかな。威厳がありそうだと思って、そう作ってもらったんだけど……」


 オフルマズドはまたもドレッサーの鏡の前で外見をチェックし、照れ臭そうに前髪を整えている。エルストは豆鉄砲をくらったようにぽかんとしている。エルストが知っているオフルマズドというのは、石像や史料の中で描かれている“国王”そして“国教の唯一神”の顔をもつ荘厳な男性だ。史料のどこにも、オフルマズドがこんなにおしゃべりな青年だったとは記されていない。鏡に映るオフルマズドの笑顔だって、どんな壁画、絵画であったとしても、一切見たことがないのだ。

 そしてここで重要なことがある。いまエルストが乗り移っているオフルマズドは、肉体こそ生前のものだが、意識はなんと死後のものだという。事態を把握すべく思考を働かせるが、徐々にくらくらしてきたエルストに、オフルマズドはお構いなしに話しかける。

「ぼくはエルストの顔を知ることはできないんだ。エルストの髪は何色?」

「金です」

「ぼくと同じじゃないか! ああ、そういえば、こないだ来たミズリンも金髪だとか言ってたな。嬉しいな。隔世遺伝というやつかな。瞳の色は?」

「青です」

「ますます嬉しいよ! ほら、ぼくと一緒。なら、きっとミズリンとエルストは似ているんだろうね。マックスとカーシーは黒髪だったろう?」

「あ、ああ……でも、僕だけ母が違うので……ミズリン姉様とも似ているかどうか……」

「ああ、そうか。ミズリンたちのミドルネームはレレナで、エルストはエレクトラだったね」

「はい。あ、ご存じなんですね」

「ご存じも何も、母親の名前をミドルネームにするのはぼくらエン家の風習じゃないか。ぼくはここに来た子どもたちの名前はすべて憶えてるよ。君たちの父親の名前だってね。君たちのおばあさんはレガリアって名前の女性。そうでしょ? 君たちの父親は、レオポルド・レガリア・エンだから」

「父上もこうしてオフルマズド様と?」

「もちろんだよ。あれは忘れられないなあ。気難しい性格の少年だった」

 オフルマズドは肩を竦めた。少年時代の父は、こんなにおしゃべりなオフルマズドとどのような会話をしたのだろうか。想像もつかない。


「さてと、楽しいおしゃべりはここまで。カーテンを開けよう。朝なんだ」

 オフルマズドはつかつかと踵を鳴らしながら部屋を歩く。ドレッサーの反対側に大きな窓があるようだ。青いカーテンが閉じられている。オフルマズドはカーテンに手をかけた。

「そういえば……ここは王城なんですか?」

 エルストが訊くと、オフルマズドは少し微笑んだようだった。勢いよくカーテンを開ける。

「そう。ここは王城の最上階。だけどエルストが言う王城とは違う場所」

 エルストの目、いや、オフルマズドの目には白い光が飛び込んできた。朝の陽射しである。二度、三度とまばたきをするうちに、視界には水色が染まっていく。雲ひとつない晴天だった。そして徐々に灰色の街並みが映し出されてきた。王都の街並みである。貴族街、中心街、それらにエルストが知る、ベルやアギと歩いた王都の風景と同じ特徴を探したが、どうにも物足りなさを感じた。そしてエルストは決定的な相違点を見つける。

「なんか……低い」

 そうなのだ。エルストが知る王城から眺める景色とは、少し位置が低いように感じるのだ。

「それも幾度となく聞いた文句だよ」

 オフルマズドは苦笑する。

「ここには岩トカゲはいないんだ」

「ええっ?」

「テラスまで行こう。そうするとわかるはずさ。ちょうど、朝食の約束もしていることだしね」

 オフルマズドは弾んだ足取りで部屋を出た。冷たい空気が体を包む。その感覚はエルストにも伝わってきた。どうやら、意識と五感がオフルマズドと一体化しているらしい。不思議な心地だ。こうして廊下を歩いているのも、エルスト自身の体のようなのだから。だが、体を動かしているのはあくまでもオフルマズドだ。横を向きたいとエルストが思っても、オフルマズドがそう思わないかぎり、この体が横を向くことはない。そしてそのエルストの思考がオフルマズドに伝わっているのかは、エルストにはわからなかった。なぜなら、オフルマズドが何を考えているのか、エルストにはさっぱりわからないからである。

 王城の廊下もまたエルストが知る王城とは違う。壁の装飾も、磨かれた床の模様も初めて見る。エルストの時代になって改築されたのだろうか。じいに訊けばすんなりと答えてくれそうなことだが、エルストには不明なことであった。

 部屋を出るなり、オフルマズドの執事や、兵装した騎士らがかしこまって頭を下げてくる。すれ違うメイドもいちいち立ち止まっては頭を下げる。オフルマズドはどれにも欠かさず手を挙げながら応えていった。


「すごい……」

 オフルマズドの体の中でエルストが呟いた。

「うん? どうした、エルスト」

「使用人たちが僕に向かってあいさつしてる。すごい」

「ええ? それは……あたりまえのことなんじゃないのかい」

 少なくとも、オフルマズドは生まれた時からそうされてきている。王族に生まれたからにはそういうものだと、幼いころから体に染み込まされてきた。

「とんでもない。僕、会釈なんて、こんなにされたことないです。なんか、へんな感じ……」

「おもしろい生活をしているようだね、エルストは」

 エルストは初めて敬意というものを感じた。

 この王城の屋上には空中庭園があるらしい。そんなもの、エルストが知る王城には存在しない。

 階段をのぼって庭園へ出ると、オフルマズドは空を見上げ、腕を広げて一回転した。この景色をエルストの目に焼き付けるように、すみずみまで見渡しながら。

「本当に岩トカゲがいない……」

 エルストは、わあ、なんて言いながらオフルマズドの両目をとおして外の風景を確認した。王城からこんなふうに空を見上げるならば、岩トカゲの巨体は必ず視界に入る。それがこの王城にはどこにもそんなものはない。オフルマズドは満足げに人差し指で鼻をこすった。

 手入れが行き届いた常緑樹に囲まれた空中庭園に小さなテラスがある。向かい合わせのテーブル席に金髪の女性がひとり着席していた。そばにメイドが控えている。

「やあ、お待たせ」

「殿下」

 薄紫色のドレスに身を包んだ上品な女性はオフルマズドの姿を見るなり笑顔を浮かべた。ここに胸なんてないのに、エルストは鼓動が高鳴るのをおぼえた。美しい女性だ。

 メイドがオフルマズドに一礼する。メイドが朝食を用意しているようだ。

 オフルマズドが着席すると、メイドがテーブルにサラダ、オムレツ、パンなど、簡素な朝食を広げた。デザートにはオレンジがある。ハーブティーのかおりがテラスに漂う。エルストは空腹を感じた。そういえば、味覚はあるのだろうか。オフルマズドはきっと今からこの朝食を食すのだろうが、エルストは他人の体で何かを食べるなど初めての経験である。それも、先祖の体で。戸惑うエルストをよそに、オフルマズドはメイドをさがらせ、目の前の女性に話しかける。

「体はどう?」

「はい、順調です」

「それはよかった。ええと、中の……ベルとアギだったかな。どう?」

「うふふ。びっくりしていますよ」

「ベルは女の子?」

「はい」

 女性はにこにこと応じている。

「さあ、では、エルストに紹介するよ」

 オフルマズドはテーブルに乗り出す。フォークが肘に当たり、音を立てたがオフルマズドは気にせず、鼻の前で手のひらをこすり合わせる。


「エルスト。目の前に座る彼女はぼくの愛する妻、アエラ。年齢はぼくのふたつ上。おなかには赤ん坊がいる。アエラはハーブティーが好きで、ぼくたちがここで会う時は必ずそれを飲む。好きな食べ物はオレンジ。あ、ミルクも好きだよね。いいことだ。嫌いな食べ物は魚介とチーズ。ミルクは好きなのにチーズはだめなんだ。それから、趣味は刺繍。ぼくのために作ってくれたりもするんだ。あとは、何があるかな……とにかく優しい女性だ」

 オフルマズドはアエラを見つめながら語り、照れるね、と最後に付け足した。

「殿下の中にいるのは? 起きた時から、ベルがエルスト様、エルスト様って呼んでますのよ」

 アエラが訊くと、そうだった、とオフルマズドはエルストの紹介を始める。

「ぼくの中にいるのはエルスト。エルスト・エレクトラ・エン」

「エルストね。……あら、ふふっ。そんなの知ってるって、ベルとアギが文句を言ってます」

「ぼくはアエラにエルストを紹介しているんだ、ベル、アギ。悪いけど聞いておくれよ」

 オフルマズドは苦笑する。

「エルストは金髪の男の子なんだ。瞳もぼくと同じ。なんだか素直な子だよ。うーんと……それから……エルストが好きなものってなんだい?」

「チキンのステーキですって。ベルとアギが口をそろえて言いましたわ。ふふ」

 エルストが答える暇もなかった。オフルマズドも肩を揺らして笑っている。

「結構。三人とも、仲が良いようだね。ベルとアギとも話してみたかったよ。それは永遠に叶わぬことだから」

「あの……オフルマズド様」

「ん?」

 エルストがオフルマズドに尋ねる。

「さっきから、アエラ様がベルとアギの名前を出していますけど……もしかして……」

「そう、そのとおりだよ。エルストがこうしてぼくの中にいるように、今、アエラの中にはベルとアギがいる」

「そ、それじゃあ、僕たちが見る同じ夢というのは……つまり同じ夢を見ているというのは、こういう意味だったんですか」

「目線が違うだけ。いいだろ?」

「ええ……悪いって言っても、どうしようもないんですよね?」

「うん」

「……じゃあ、わかりました。文句は言わないです……」


「エルストはいい子だね。アエラもまたぼくのように死後の意識でこうして目の前に生きている。それがおかしな話だってことは重々わかってるよ。でも君たちがこの夢を見ているってことは現実。君たちが夢から覚めたら、きっとこの夢のことをおぼえてる。ところで王族は代々ぼくの中に入るんだけど、その宮廷魔法使いとしてこの夢の世界に来た魔法使いたちは、みんなアエラの中に入るんだ。この前のミズリンの宮廷魔法使い、パトリシアもアエラの中にいた」

「ほかにも死後の意識でいる人が?」

「いないよ。ぼくたち夫婦だけだ。そして君たちに見せている夢というのはね……じつは今から、過去に起こった歴史そのままの出来事が同じように起こる。ここからがだいじだよ。ベルとアギもちゃんと耳を傾けて。ぼくらがいくら死後の意識でいるとはいえ、ぼくもアエラも、これから起こる出来事については、なにも変えられない。“起こらないようにする”っていうのは、無理なことなんだ。君たちの時代に過去の出来事として伝わっていることが、ここからは、未来として起こるんだ。それは必ず約束されている。つまり、この夢の世界でいうところの未来は絶対に変えられない。なぜなら、それは君たちの時代でいうところの過去の歴史を改変してしまうということになるから。そんなの、できないに決まってるだろ? どんな魔法を使ったとしてもさ。いいね、よくおぼえておいてくれ」

「い、一度、ベルとアギと話をしたいです」

「ああ……それは肝心なことだよ、エルスト。あのね、エルスト、ベル、アギ。君たちには同じ夢を見させているけれど……一緒にアエラの中にいるベルとアギ同士は話せても、三人揃っての会話はできない。つまりエルストはぼくとしか話せない。夢から覚めるまでは、けっしてね」

「そんなあ!」

 エルストの悲鳴が響くのはオフルマズドの体内だけであった。

「きっとベルたちもアエラの体の中で不満を言っていることだろうね。だけどこれこそが、誓約の旅の決まりだから、かんべんしてくれ」

 オフルマズドの話は終わり、オフルマズドとアエラは朝食を食べ始めた。オフルマズドはバジルソースのかかったサラダを頬張る。独特の苦味と酸味が、オフルマズドの鼻と舌をつたわってエルストの感覚に及ぶ。それだけではない。野菜を噛み砕くたびに、滲み出た水分すら味わうことができる。本当にオフルマズドと一体化してしまったのだ。やわらかいオムレツをぞんぶんに噛んで飲み込んだ時、エルストはとうとう認めざるを得なかった。これは夢だが、現実なのだ。エルストが観念したことを悟ったのか否か、オフルマズドは上唇をなめた。


「オフルマズド殿下」

 エルストにとっては奇妙な朝食を終えたあと、下階からひとりの騎士が現れた。騎士とは言うが、そう思っているのはエルストだけで、この剣を装備した兵士が騎士なのかどうかは断言できるものではない。エルストが知る王立魔法騎士団が結成されたのは王国歴が始まってからのことだ。ただエルストは、男が腰に剣をさしているから、なんとなく騎士だと思っている。なんらかの軍組織に所属しているのだろうということは、胸の紋章で察することができる。オフルマズドはハーブティーに口をつける。

「本日未明付けの報告です。ドルミート王国軍の手の者が、湧水洞へ進攻したとのこと。兵士が多数、負傷しております」

「ふむ」

 オフルマズドはティーカップを置いた。

「相手方の数はわかるかい。おおよそでいいんだが」

「は。十名と聞いております」

「わかった。私が行こう」

 すると騎士ふうの男は歯を噛み締め、

「よろしいので?」

 と尋ねた。

「今から馬を走らせても間に合わない。だがこの報告は援軍を求めているんだろう。なら、一番はやいのは私だ」

 オフルマズドは立ち上がった。そして大空に向かって指笛を吹く。笛音が青空に響き渡った。

「いってくるよ、愛しいアエラ」

「お気をつけて。待っております」

 妻にキスを投げると、オフルマズドはテラスから駆け出した。そのまま広々とした空中庭園を横切り、空に向かって蹴り上がる。まるで風に乗ったようにオフルマズドの体が宙に浮いた。

「お、落ちる!」

 すかさずエルストが言ったが、オフルマズドは気にしない。

「心配はいらない。ひとりじゃない」

 己の体内に優しい言葉をかけたあと、オフルマズドは王城から飛び降りた。驚くべき行動だった。突拍子のない、無謀な振る舞いのように思えたが、オフルマズドの言葉どおり心配は無用らしかった。王都の上空へと飛び出したオフルマズドの体を、大きな鳥が受け止めたのである。

 いや、鳥などではなかった。トカゲのような体に、コウモリのような両翼。白い巨体はまさしくドラゴンである。


 ドラゴンに飛び乗るなり、オフルマズドは魔法によってマントを出現させた。青色のマントだ。そればかりでなく、レイピアも、いつの間にか手にしている。

「イオン、湧水洞だ」

「はい」

 白いドラゴンはおだやかな青年の声でうなずいた。名前はイオンというらしい。とんがった耳が見える。成人男性よりも一回り大きな体だ。オフルマズドはその背にまたがる。エルストが驚いたことに、イオンには手綱が回されている。握るのはもちろんオフルマズドだ。

「おっと……その前に、旋回だ。せっかくだから、エルストに景色を楽しませよう」

 イオンは翼をはためかせてななめに傾いた。王城を中心に、うねるように空を飛んでいる。

「エルスト、見えるかい。これがぼくの時代の王都だ!」

 太陽の陽射しを浴びた王都の街並みが眩しい。エルストの時代の王都マグナキャッスルよりもはるかに規模が小さいが、それでも、白い街と道を行き交う人々、馬車、それらの放つ生気は過去も未来も遜色ない。教会がないのは、オフルマズドの生前であるからだろう。何度か周回したあと、イオンはまっすぐに西を目指した。王都の端には衛兵が並んでいる。侵入者がいないか、見張っているようだ。

「物々しい雰囲気ですね」

 エルストが呟くと、オフルマズドは下界に視線を落とす。

「そりゃ、なんてったってドルミート王国との戦争中なんだ。50年にも及ぶね。しかたないさ」

「あ、統一戦争ですね」

「そういうこと」

 王国歴が開かれる以前、世界を二分していたエン王国とドルミート王国は、50年にわたる戦争を続けた。後の世では統一戦争と呼ばれているそれはオフルマズドが両王国を統一し、新王国を建国するきっかけとなった。最後はエン王国がドルミート王国を下すのだ。

「王国の……エルストたちの歴史の教科書には統一戦争と書かれている戦争のことを、ぼくらはセカンド・エンドと呼んでいる。各属性を代表するドラゴンと、誓約の旅を終えた王族のみが知る呼び名だ」

「えっと……ブラウンが、そういうことを言ってたような……たしか、ドラゴンだけが生きていた時代。それがファースト・シーズン」

「そう。そしてそのファースト・シーズンを終わらせたのが、ドラゴンとドラゴンによる戦い。つまりファースト・エンドだ。いまエルストがいるのは、セカンド・シーズン。人類が生まれた時代だ」

「うう、ややこしいなあ……」

「あははっ。無理におぼえなくてもいいよ。エルストの時代に戻ったら、ファーガスにでも聞くといい」

「……あれ? そういえば、統一戦争がセカンド・エンドなら……僕たちの時代は、なんと言うんですか?」

「王国歴が始まった時代のことだね。要するに、ぼくが国王になった時代で、エルストが生きる時代……それをぼくらは、サード・シーズンと呼ぶ」


 その時、絡み合った糸の束がほどけたような――あるいは単独であった糸たちがまとめて結ばれたような、そんな気分にエルストは陥った。ともかくオフルマズドの言葉によって整えられた糸たちを、エルストは改めて握りなおす。すると自然と、ある結論に至った。

「サード・エンド。サード・エンダーズ……」

 オフルマズドは確実に前を見ている。とうに王都から離れ、例の湧水洞に向かう空をまっすぐ見ている。だがなぜか、エルストはその光景を見ていない。正しく言えば見ることができていない。今エルストはオフルマズドの脳を借りているのだろうか。そんな疑問には誰も答えることはないが、エルストの意識、それが構築する脳裏という記憶の倉庫には、アドルーの姿だけが浮かんでいる。

「ああ、なんてことだ!」

 エルストはうろたえる。

「今すぐベルと話したい! ベルとアギと、このことについて話したい!」

「エルスト。落ち着いてくれよ、様子がおかしいぞ」

「あなたが冷静なだけですよ!」

「いいや、おかしいのは君だ。いったいどうしたんだい?」

「ああ、何か……答えがすぐ、喉まで出かかっているんだけど……でも、うまく言葉にできない。でも、だいじなことがわかったんです! とにかく、そんな気がするんです」

「今の、ぼくの話で?」

「そうなんです! オフルマズド様はとてもだいじなことをおっしゃってくれました。感謝したい気持ちでいっぱいなんですけど、今はベルとアギと話すことが先決なんです!」

「エルスト、さっきぼくがテラスで言ったことをもう忘れているようだね。これからぼくが湧水洞に向かうことは、エルストの時代でいう過去で実際に起きた出来事なんだ。言っただろ? 今から起きる出来事を変えることはできない」

「そ、そこをなんとか!」

「だめだ。それに、アエラは今日、出産を迎えると決まっている。エルストがぼくの息子の誕生日を知っているかどうかわからないけれど、ぼくの息子の誕生日は今日なんだ」

「そんな……」

 弱々しい声をあげたエルストに、オフルマズドもやや困惑したように言う。

「エルスト。君たちが今、どんな問題を抱えているのかは知らない。だけどお願いだよ。どうかこの夢の世界にいるあいだは、目の前で起きることだけを見つめてほしい。いけないだろうか」

 エルストはしばし押し黙った。

「……はい。わかりました。誓約の旅……ですもんね」

「そうだ。君のための旅だ。ありがとう」

 オフルマズドは微笑み、湧水洞へと急いだ。その時のオフルマズドの優しげな笑みを、エルストは見ることができなかった。

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