11 王都マグナキャッスル(5)
ベルとアギ、エルストが警戒していたのは王立魔法騎士団への入り口をくぐった先に〝いるかもしれない門番〟だ。
重たい二枚扉を開けるのはエルストだった。二枚の板に浮かび上がる王家の紋章を割るようにして片方が開く。
「誰も……いないね」
ひそひそと話す。王立魔法騎士団の本部通路を照らすオレンジのランプは王立魔法学園と同じもののようだ。薄暗い通路が十メートルほど続き、そこから階段となって地下に続いているようだ。バーバのような声は聴こえない。人間の門番もいないようだ。
「これさ……見える?」
扉を閉め、エルストは持ってきた地図を広げた。ランプの明かりはじゅうぶん届いている。ベルとアギが覗き込む。
「王立魔法騎士団は王城の……いわゆる岩トカゲの地下一帯が敷地なんだ。上は学園と王城があるからね。で、牢屋なんだけど。西、南、北の三箇所にわかれてるんだ。アドルーたちがいるのは独房だとは思うんだけど……どう思う?」
けっこう投げやりな質問だった。
「三箇所とも独房なんか?」
「記載されてないね……それは機密事項ってやつかな、アギ」
「じゃあ、一箇所ずつ回るとして……エルスト様、西、南、北、どれが好きですか?」
「え……方角……方角の好み? 考えたこともなかったよ……それに、ここから行くとしたら、まずは南北のどっちかだよ」
「じゃあ、南か北だったら?」
「うーん……南、かな。南って、赤って感じがするじゃない。こういう時は赤を選ぶものだってじいが言ってたんだ。なんか、それを思い出しちゃった」
「……ワシにはわからんナゾの感性やけど、まあ、ワシも赤やしな! ふふん! ほんなら南からぐるっと行こか」
うねるような階段を降り、左手から時計回りに進むことにした。タイムリミットは二時間を切っている。
夜を迎えたとはいえ、王立魔法騎士団の本部内はやけに人の気配がない。地図は持っているものの、エルストが本部を訪れたのはこれが初めてであるため、ふだんの様子は知らない。こんなものなのだろうか。扉はいくつもあるが、どこにも警備兵の姿は見当たらない。それどころか扉が開く音すら聞こえず、物音もせず、本部内に騎士がいるのか、全員出払っているのかちっとも見当がつかない。誰もいないということは考えにくいのだが。
「思ってたんとちゃうな。なんや拍子抜けやわ」
アギがこそこそ言った。まったくそのとおりである。エルストはうなずいた。エルストや、おそらくベルとアギも想像していた王立魔法騎士団の本部内というのは、騎士が行き交っており、物々しい雰囲気だったはずなのだが、目の前の静かな通路はそれとまるで違うのだ。アギがぼやくのも無理はない。
「そろそろ牢屋だよ。あ、その鉄柵の向こうだね」
エルストが指差したほうには扉のかわりに柵があった。手のひらが差し込める程度の間隔で組まれた鉄柵の向こうには、薄暗い通路がまだ続いている。
「鍵は?」
アギは鉄柵に鍵がかかっていないか尋ねた。エルストとベルはふたりして首を横に振る。鉄柵は解錠されている。
「今、囚人って、どのくらいいるんでしょうね」
「さあ……見たことないな……」
「そら王子は部屋に引きこもっとったんやさかい見たことあらへんやろ」
エルストは言い返す言葉もなかった。ベルは、ベルにしてはそっと静かに鉄柵を開けた。金の軋む音がかすかにしたが、とくに人が来る様子はない。
「独房じゃなかったら引き返しますか?」
ベルはエルストに訊く。
「もしかしたら、名簿があるかもしれないですけど」
「ああ、じゃあ、それを確認出来たらいいな」
囚人の名簿なんてあるものなのか。牢屋という空間にただ漠然と監房と番人のイメージしかなかったエルストは感心した。そうか、囚人とは管理されるものなのか。だが、管理されているということは人の手が加わっているということだ。番人はいるに違いない。一行はゆっくりと進んだ。
「あれ……」
先を確認したベルが不思議そうに声をあげた。
「誰もいない……」
ベルの目には八つの監房が映っている。監房は通路を挟んで四つずつに分かれている。通路の手前には小さなカウンターがある。名簿や鍵があるとしたらきっとあのカウンターなのだろう。オレンジのランプは監房の中まで照らしているが、ここから見るに、どの監房も空なのだ。カウンターにはそもそも人がいない。
監房の影に誰かが潜んでいるかもしれない。ベルはエルストを残して通路を進んでいく。しかしやはり、どの監房にも囚人は捕らえられていなかった。通路は行き止まりである。
「ちょっと……ベルっ」
人がいないとわかればベルの動きも大胆になる。エルストの制止の声も聞かず、ベルはカウンターを調べ始めた。まず壁際の戸棚を開ける。棚の中には鍵がいくつもぶら下がっていたが、誰もいないんだからこんなものに価値はない。ほかには鎖やら棍棒やらが見つかった。囚人を捕まえるためのものだろう。ベルの興味は戸棚を閉めたと同時にカウンターに移る。
カウンターの引き出しには名簿があった。手書きだ。名前と生誕日、それから収容された日であろう日付だ。罪状は書かれていない。尻に振られた番号は監房の序列だろうか。ベルはページをパラパラとめくる。エルストはその音につられてカウンターへとやってきた。
「ないなあ。アドルー様の名前、ないですよ。ドルミートなんて、さらにない」
「この名簿は南の監房だけの記録なのかな?」
「さすがに全部の監房のぶんは、まとめて置いてないってことですかね……ざんねん」
ベルは名簿を閉じた。エルストはようやく監房を覗く。そろそろと奥まで見たが、本当に誰もいない。では次は西の牢屋を目指すべきだ。
監房を後にし、鉄柵を通過して左に行く。人はまたしても見当たらない。そのため、進むのは容易であると思われた。
ランプに照らされながら歩く。西の牢屋へ続く通路にもまた鉄柵があった。ここまで誰ともすれ違っていない。鉄柵も解錠されている。エルストは眉を寄せつつも鉄柵を開け、薄暗い通路へ進み出す。
その時であった。カツンと足音が聴こえたのだ。通路の先、西の牢屋からだ。エルストは驚いてベルとアギを見る。ベルはこくこくとうなずいている。ベルとアギにも聴こえたようだ。そして同時に、エルストの足音でもベルの足音でもないことを意味した。一行はふたたび薄暗い通路の先へ視線を戻す。そのあいだにも、足音はこちらへ近づいてくる。
「……ミズリン様。誰かいますわ……」
そんな声が聴こえた。やがてオレンジのランプが目の前に現れた人物のシルエットを照らし出す。
「……姉様? ……」
エルストは目を疑った。なぜなら目の前に現れた人物というのは、青いマントをなびかせた、姉ミズリンとその宮廷魔法使いパトリシアだったからだ。驚くエルスト同様、ミズリンとパトリシアも目を丸くさせている。
「おまえ……エルスト? どうしてここに?」
ミズリンは、見れば杖を握っている。パトリシアは大ぶりの杖を両手に抱え、ベルを怪訝そうに見ている。
「いや、僕たちは……ええと……」
「なんやミズリン姫、なんか捕まるほどの悪さでもしたんか?」
アギが言うとミズリンもパトリシアも不快そうに顔を歪めた。あたりまえだ。
「あなたのほうこそ、また問題でも起こしたのではありませんこと? ベル・テン」
アギに反論したのはパトリシアだった。
「ちょっと待って……パトリシア。ここで揉めていてもしかたないわ。急がなければ」
ミズリンがパトリシアに耳打ちするように言った。それを聞き逃さなかったアギが、なんや急用らしいな、と言った。
「おまえたちには関係ないことよ」
ミズリンが言った。
「そうですわ。だいたいあなたたち、誓約の旅の真っ最中でしょう。旅はどうしたんですの?」
「中断中です。アドルー様に……むごッ」
「は? アドルー?」
アギと同じようにベルの言葉を聞き逃さなかったミズリンがエルストに詰め寄った。エルストはベルの口を手で塞ぎながら、ああしまった、と目を閉じる。
「アドルーは捕まってるはずよ。……まさかエルスト、おまえ……」
ミズリンは何かに察したらしく、すぐにパトリシアと顔を見合わせる。そしてミズリンもパトリシアも苦い顔で一行を見た。ミズリンが言葉の続きを言う気配はない。
「……いや、なんやねん! 言いかけたんならハッキリ言いーや! 肝心なトコで言い淀む、そういうのが女子の悪いとこー!」
「静かになさい。私たち、アドルーに会うために内緒でここへ来ているの。見たところおまえたちもそうなのね?」
アギの文句などには屈しないミズリンの鋭い眼光に睨まれ、エルストはついついうなずいてしまった。
「って……ミズリン姉様も内緒で?」
「アドルーへの面会許可が得られなかったのよ。お父様からの」
「アドルー様の婚約者であるミズリン様も会っちゃダメって……どのくらい厳戒な体制なんだろ」
エルストの手から解放されたベルの口が言った。
「おまえたちもお父様に断られたの?」
「〝ならん。くだらん。今言えることはない。〟……って、即答やったで」
アギの国王のモノマネはあまり似ていなかった。
「相変わらず、人情というものがない父だこと……」
「え……それ、ミズリン姫が言う? 言えるセリフなん?」
「ちょっと。あなたのドラゴンが何かうるさいですわよ、ベル・テン」
パトリシアはアギの名前を覚えるつもりはないようだ。それはパトリシアなりの嫌味なのだろうか。そう言うパトリシアのパートナードラゴンは今日も見当たらないが、どこにいるのだろうか。同じ王立魔法学園の生徒であるベルも見たことがない。
「ちなみに、ミズリン様たちはどっちから回ってきたんですか? 私たち、王立魔法騎士団の入り口から左手に、南の牢屋から回ってきたんですけど」
「私たちも南から回ってるわ」
ミズリンが答える。
「こういう時は赤を選びなさいって、私の乳母が言ってたの」
「……王族のしきたりかなんかか?」
「なんのこと?」
「いや、なんでもあらへんわ」
ミズリンは話題を戻す。
「アドルーがどこにいるかは私も知らないのよ。だけどこの西の牢屋にもいなかった」
「ですから、ミズリン様とわたくしは残る北の牢屋に向かうところなのですわ」
続けてパトリシアが言った。ベルは腰に手を当てる。
「西にもいないんですって、エルスト様」
「北にいるのかな。ううん、いるはず……だよね」
「行ってみよーや。ほなミズリン姫、またな」
「お、お待ちなさい! いったいなんですの。ミズリン様を差し置いて抜け駆けするつもりなら許しませんわよ!」
パトリシアは慌ててエルストとベルの背後へ回り、西の牢屋を出る道を塞いだ。ミズリンも当然といった顔で、一行よりも先に歩き出す。
「……ついてくるつもり?」
己の背後を歩くのはパトリシアだけだと思い込んでいたミズリンは、そのまた背後で足を動かすエルストとベルに言った。振り向いた眼差しはエルストと同じ色であるはずなのに、エルストよりもうんと強い。
「いや……ほかの道は、地図には載ってなくって……ごめんなさい」
エルストは姉にはとくに頭が上がらない。弱々しく言った。
「謝ることなーんもないやろ、王子。目的地は一緒なんやから」
アギがフォローした。
「大勢で歩くと誰かに見つかるかもしれませんわ……」
パトリシアが不安そうに言った。
「でもここまで誰とも会わなかったわ。不気味なくらい」
ミズリンが先頭を歩きながら言った。この際、エルストらには構わないことにしたようだ。
「不気味……言われてみれば不気味ですね。私たちも誰も見てないし」
ベルが最後尾だ。
「なんにせよ今がチャンスですわ。ミズリン様、次の角は右でございます」
あたりまえなのだが、ミズリンらが角を曲がればエルストらも角を曲がる。これにはもはや誰も文句を言うことはなかった。黙々と通路を進んでいく。
「もうすぐですわ」
パトリシアは王立魔法騎士団本部内の地図を頭に叩き込んでいるようだ。エルストが地図を確認すると、たしかに北の牢屋は近いはずである。
北の牢屋に繋がる鉄柵にも、やはり鍵はかかっておらず、ミズリンのわずかに込めたちからでも簡単に開くことが出来た。ベルが最後に鉄柵を閉める。まもなく監房である。
「ここは……独房のようね」
先に足を踏み入れたミズリンが言った。これまでの、南、それから西の牢屋とは異なり、ひとつひとつの監房が狭く、そして孤立している。右と左にふたつずつ分かれ、合わせて四つの独房が軒を連ねていた。監房を分ける中央のカウンターには誰もいない。
「わたくしが確認してまいりましょう」
パトリシアが杖を握りしめて独房ひとつひとつを覗いていく。左の最奥の独房を見た、その時であった。
「ミズリン様!」
パトリシアが主ミズリンを手招きした。ミズリンはすぐさまパトリシアに駆け寄る。
「……アドルー……」
最奥の独房を覗いたミズリンがそう呟いたのを、エルストもベルもアギも聞き逃さなかった。エルストは気付いた時には走り出していた。