11 王都マグナキャッスル(3)
授業は休み時間らしく、王立魔法学園の内部は教室を移動する生徒たちで溢れていた。ベルは職員室に向かうと言ってエルストを案内している。なんでも、図書室にエルストを入れてよいのか教師に尋ねるという。マジョルダ先生に訊けばよかったな、なんてぼやきながらベルは学園の廊下をぐんぐん進んでいく。
すれ違う生徒たちからは異様なものを見るような視線が送られ、エルストは居心地の悪さを感じていた。
「あ」
ベルがぴたっと足を止める。エルストは危うくベルにぶつかるところだった。
「カーシー先生〜!」
とんがり帽子をかぶる多くの生徒たちにまぎれ、ひとり飛びぬけている黒い頭が目に入った。茶色のローブを身にまとい、眼鏡をかけたカーシーがこちらを振り向く。ベルの声が届いたようだ。カーシーはぎょっとした顔でエルスト一行を二度見した。
「エルスト! 君たち、どうしてここに……」
カーシーは眉をしかめて驚いている。速足で近寄ってきた。生徒たちはカーシーとすれ違うと欠かさず挨拶をする。カーシーはていねいなことに、ひとりひとりに応えていた。
「旅は? まさか、もう終わった、なんて言わないだろうね」
「いや……違うんだ、カーシー兄様」
エルストとカーシーが王立魔法学園で会うことはこれが初めてだ。生徒たちはエルストの名前を聞くや否やひそひそと小声で話をし始める。あれがエルスト王子なのか、魔法が使えない王子だ、ねえ、本当に魔力がないのかな、などと、生徒がエルストを歓迎する気配はまったく感じられない。
「ええと……」
エルストは辺りを見回した。生徒の多い廊下でアドルーのことを口にすると、へんな騒ぎを起こすかもしれない。侯爵家のことは学園内にも知れ渡っているのだろうか。見当がつかず、エルストは困ったようにベルとアギを見る。
「カーシー先生。私たち、アド……」
「わあっ! ベル、それはまずいよ!」
エルストは慌ててベルの口を覆った。
「あんな、先生。ワシら、ア……」
「アギもやめて!」
おしゃべりな口がふたつもあると大変だ。
「カーシー兄様……ぼ、僕たち、次のドラゴンを探しているんです……」
ここはそう言ったほうが賢明だろう。
「居場所を調べるために、これから学園の図書室に行こうと思ってて。……そこは僕でも入れるかな?」
エルストはベルとアギの口から手を離す。
「ちゅーか、まず先生に訊こうや。なあ、先生。ワシらヨウ・ヨウとブラウンっちゅうドラゴンに会うたんやけど、次にドラゴンに会うんならどこに行けばいいんや? 先生も誓約の旅、したんやろ?」
「そうだね……」
カーシーは顎に手を当てる。小脇には授業に使うのか、本や書類を抱えている。エルストにはわからない内容だ。
「図書室の右奥の棚を調べてみなさい。きっとあると思うよ」
「ええーッ! ヒントだけかい!」
「まずは自力で探すんだ。頼ってくれてとても嬉しいんだけれど、僕が答えを知ってるからといってすぐにねだるのは、あんまり感心しないよ」
カーシーはにこにこしている。
「どうにもわからなくなったらもう一度おいで」
カーシーはローブの内側から濃いグレーの杖を取り出し、ダマーンと唱える。杖はベルのものとさほど変わらないサイズだ。
カーシーの呪文に反応した杖の先端からは細い光が出る。すると光は筋を描き、エルストの左手の甲へと向かった。エルストが驚いて左手を見ると、〝カーシー・レレナ・エン、王子エルストの図書室への入室を許可〟とすでに黒い文字が記されていた。
「これでエルストも入れるよ」
「ありがとう、カーシー兄様」
「大変だろうが、頑張りなさい。誓約の旅はエルストにとってもたいせつなものなのだから」
マックスやミズリンと違って、カーシーのエルストを見る眼差しはあたたかさに満ちている。ベルはこれまで数回しか会ったことがないマックスやミズリンの顔を思い出しながらエルストとカーシーを見た。カーシーの穏やかな性格は、学園の生徒であるベルもよく知っていることだ。
「よかったですね、エルスト様」
ベルは微笑んだ。
「うん。これでベルとアギと一緒に、僕も図書室に行けるよ」
「じゃあ、僕はこれで失礼するよ」
カーシーは左足を動かす。
「一週間後に学園の卒業式を控えていてね。予定が立て込んでしまっているけれど、また何かあったら呼んでくれ。できるかぎり、ちからになるから」
「せやかて居場所は教えてくれへんのやろ」
「そう言わないでくれよ、アギ。僕たちも自力で旅をしてきたんだからね」
カーシーは手を振り、今度こそ踵を返してふたたび生徒の群れの中へと歩いていった。
「そういえば……カーシー先生の宮廷魔法使いって、誰なんでしょう?」
カーシーの後ろ姿を眺めながらベルが言った。
「ああ、カーシー兄様には、今は宮廷魔法使いは付いていないよ」
「へ?」
「数年前……亡くなったって話、聞いたことがあるから」
エルストが言い終えた頃には、黒い頭は見えなくなっていた。
王立魔法学園の図書室というものをエルストは見くびっていた。
なんだこれは。エルストは〝図書室〟の中をぐるりと見渡す。エルストの部屋よりも何倍も広い。境界村の教会よりも広い。王城の謁見の間よりもさらに広い。部屋、というより館、だろう。本棚が何十と羅列している。螺旋階段があり、上を見ると、さらに本棚が鎮座していた。計三層のフロアで構成されているらしい。先ほど訪れたバンクの部屋とはまた一味違う圧迫感がエルストを襲う。ランプがいくつもあるので、明るいには明るいが、図書室の入り口からは最奥の本棚の全貌は把握出来ない。螺旋階段から登った上二階はなおさらだ。おまけにカビ臭い。息が詰まりそうだ。
「ようこそ、王立魔法学園の図書室へ」
あのバーバの声だ。エルストは、失礼します、なんて律儀に答えていた。受付の魔法使いが静かに視線を送ってくる。図書室に受付なんてあるのか。エルストもまじまじと見つめ返した。
図書室では、はしご、脚立、椅子、それらを生徒は活用して本を読んでいるようだ。一行が図書室に着いた頃には授業が再開していたらしく、生徒の数は少ない。その代わり、司書らしき人々がゆったりとした動作で本を整理する姿がちらほら見受けられる。どうにか空けたのであろうスペースには横長のデスクがある。ここで自習する生徒も多いのだろう。
図書室って、こんな感じなのか。生まれて初めて図書室というものに足を踏み入れたエルストは感慨深げだ。王城で暮らしていた時は執事に言えば必要な本を持ってきてくれたので、図書室を利用したことはいちどもなかった。
「で……カーシー先生は、右奥って言ってましたけど……」
ベルの言葉にエルストとアギは右方向を見る。
「右ってさ……どこまでが右なんだろうね」
エルストの声は情けない。
右端の壁側は間違いなく右だ。問題は、壁からどこまでを右とするか、だ。おおまかに分けるとすると、入り口の二枚扉の真ん中の隙間を境界として定め、二枚扉の正面に直線を引くのが常套だろう。だが、それではあまりにも範囲が広すぎる。なんせ上のフロアも広そうなのだ。
「とりあえず……はじっこから行きましょうか」
これにはベルもお手上げのようだ。切ない顔色でエルストとアギとともに真紅のカーペットを歩いた。
「ドラゴンに関係がありそうなタイトルで探すべきかな?」
エルストは首が痛くなりながら本棚を見上げる。文字どおり本に囲まれるなんて不思議な気持ちだ。きっとあの一番上の段の本は、僕を虫けらのように見下しているに違いない、とエルストは思う。
「うーん……私……本には疎くって……」
エルストとは対照的にベルはうつむき加減だ。いや、うつむいているのではなく、うつらうつらと船を漕いでいる。
「ちょっと……ベル。ねむたいの?」
「うう……文字の列を見たら、眠気が……」
ベルはゴツンと鈍い音を立てて本棚に頭をぶつけた。その拍子にアギが転げ落ちる。
「こりゃ前途多難やで……」
ひっくり返ったアギをエルストが拾った。ベルはこの有り様だが、国王との謁見の時間まで少しでも本に目を通しておきたい。エルストはアギをベルに渡すと、ひとり本棚を物色し始める。ベルは目をこすり、そんなエルストの姿を見ると、いちど体を伸ばし、自身も本のタイトルを見比べ始めた。
右奥の本棚は民謡、童話、それにちなんだ歴史や地理の本が並べられているらしい。中にはカラフルな絵本もある。ベルは色につられて絵本ばかり手に取った。エルストは難しそうな史料を取る。王国史のようだ。現王国の成り立ちは、当然ながらエルストも知っているが、おさらいしてみればドラゴンについての手がかりがあるかもしれない。
〝王国のあゆみ〟、著者はファーガスと記されている。このサインは見たことがある。間違いなく王立魔法学園の理事長ファーガスの筆跡だ。
「ファーガス理事長って、本も書けるんだ……」
おまけに手書きだ。活版印刷ではない。エルストは目次を開く。
「統一戦争終結……王国建国……王立機関発足……」
王立機関とは王立魔法学園と王立魔法騎士団のことだろう。それから王立魔法研究所か。整然と並ぶ文字はまるで機械じみている。筆跡のずれはほとんどない。
ドラゴンについて書かれているとすれば、統一戦争終結から王国建国のあたりだろうか。ひょっとしたら誓約の旅について書かれているかもしれない。エルストはぱらぱらとページをめくる。
エルストは三冊目の本を棚に戻した。最も新しく目を通したのはエン王家の家系図だった。最初のファーガス直筆の本から順に、しらみつぶしに右へと並ぶ本を読んでいたのだが、ドラゴンについて得られた情報はまるでない。それにしても、ここは王族の書庫も兼ねているのだろうか。家系図をまともに遡ったのは初めてだ。
王族に生まれた子どもは十七歳の年に誓約の旅に出る。見つかった情報はせいぜいそのくらいだ。エルストは溜め息をついてベルとアギがいるほうを振り向く。
「ぐごーっ」
ベルとアギは寝ていた。本当に文字に弱いらしい。読みかけと思わしき本を抱えたまま、本棚を背もたれにして寝ている。カーペットの上に堂々と足を広げて寝る人を見たのもエルストは初めてだ。無理に付き合わせてしまっただろうか。エルストの心を罪悪感がちくちくと突く。
先ほどからひとやすみもせず本を読んでいたため、見事に肩が凝ってしまった。エルストは肩を回す。立ったまま読んでいたからか足も痛い。仕方なく、ひとりで次の本を手にすることにした。家系図の隣の〝エイブラハム王の会食〟だ。二代目国王エイブラハムが全国の貴族を呼び寄せた大晩餐会についての本のようだ。エルストはベルとアギの隣に腰を下ろして読むことにした。アギの鼻ちょうちんが揺れる。
「エルスト王子、国王陛下がお待ちです」
エルストはページを一枚めくる。
「エルスト王子!」
「わあっ! は、はい!」
エルストは慌てて立ち上がった。そして首を振ってあたりを確認する。しかし他人の姿はない。隣のベルとアギが相変わらず寝息を立てているだけだ。
「……バーバ?」
考えられるとしたら彼女だった。
「国王陛下が謁見の間でお待ちですよ」
バーバは声のみでエルストに知らせた。もうそんな時間だったのか。エルストは頭を掻く。調べ物はまだ途中だが優先すべきは国王との謁見だ。エルストはベルとアギに声をかける。
「……ヨダレ……んも〜……」
気持ちよさそうにヨダレを垂らすベルを見て、エルストはハンカチは持ってたかな、と懐を探る。ちょうど一枚持っていた。
「ベル、アギ、起きて」
エルストが少し強めに言ってもふたりが起きる気配はない。エルストはわずかに苛立ちながら、手に持っていた本をちからいっぱい振り、アギの鼻ちょうちんを割った。ベルとアギはぱちぱちとまたたきをした。どうやら起きたようだ。
「そちらから謁見を申しつけておきながら遅刻するとは、どういう了見だ」
四十日ぶりに会った父は玉座で怒っていた。それもそのはずである。エルストは父との謁見に十五分遅れてしまったのだから。
「すみません、父上」
エルストは力なくうなだれる。手には要請書を握りしめている。謁見の間の赤い絨毯は図書室のカーペットよりも上等な顔で一行を出迎えていた。ベルとアギはまだ眠たそうにしている。扉には執事が控えており、国王とエルストの親子の再会を静かに見守っている。国王のそばには誰も控えていない。国王はただ玉座に居座り、レイピアを杖のように握っているだけだ。赤いマントの左肩には黄金のドラゴンが眠っている。
「旅はもう終わったのか」
国王はエルストが王都へ帰還した目的をまだ知らない。エルストは首を振った。
「旅はまだ途中です。僕たちが王都へ戻ってきたのは……その……」
緊張で手のひらの中にある要請書が汗ばんだ。
「こっ、これを受け取ってください……」
玉座まではこんなに長い距離があっただろうか。エルストは絨毯の上を歩き、国王の目の前まで来ると片膝をついた。そしておそるおそる、自らの手でしたためた要請書を差し出した。国王は息子が差し出した要請書を受け取る。ごていねいに蝋で封をしている。
要請書が父の手に渡ったことを確かめるとエルストは二歩退がった。
「騎士団の情報開示要請か」
国王はエルストを一瞥する。まさかあの気弱なエルストがこんなものを用意するとは思わず、意外であるというのが国王の本音だ。国王は唇を引き締め、控えめな文字で書かれた文章に目を通す。
「アドルーの情報だと?」
国王の厳しい声にベルも思わず肩を震わせた。眠気など一気に吹き飛んだ。鋭い眼光はエルストのみならずベルとアギにも向けられる。
「僕はヨウ・ヨウの湧水洞の麓でアドルーに襲われました……グランド・テレーマの宮殿では、マックス兄様はアドルーとドルミート侯爵がサード・エンダーズの一員だと言って王都へ連行なさいました。サード・エンダーズって、魔法使いを狙うんですよね? じゃあアドルーは、どうして僕を狙ったのか……僕たちはそれが知りたくって王都に戻ってきたんです」
国王はそれからもう二度と要請書を見ることはなかった。
「サード・エンダーズの情報は誰から聞いた?」
「アドルー本人……です。魔法使いを狙ってるって、アドルーたちが連行される数日前に……」
「罪人が自ら情報を漏らすとは面白いものよな」
そうは言うが、国王はちっとも笑うそぶりは見せず、白髪の眉ひとつ動かさない。
「アドルー様たちって、本当に罪人なんですか?」
訊いたのはベルだ。眠気は吹き飛んだにせよ、緊張感をあらわにするエルストと比べると、じつにけろりとした顔をしている。
「できれば、直接お会いしたいんですけど」
「ならん。おまえたちは自分たちの置かれている公的な立場を理解しているのか?」
「わかっとるわい」
アギが吠える。
「わかっとる、けどサード・エンダーズは王子を狙ったんやろ! ワシらが王子を守ったんやで。なあ、教えてーや。アドルーの動機はなんやねん?」
「いま尋問をおこなっているところだ」
国王はベルとアギの言葉を一蹴した。
「仕事遅いんとちゃうか? アドルーらが捕まったの、何日前やおもてんねん!」
「王立騎士団は慎重に調査している。たかが一介の加工済みドラゴンが騎士の任務に口を挟むな」
「た〜か〜がァ〜?」
この手のセリフはアギにとっては挑発と見なされることを、アギと付き合いのない国王は知らなかったのだろうが、そうは言ったところですでに後の祭りである。
「なーんや偉そうにおっしゃってくださってますけれど、国王はァん、ホンマはアドルーらの口割れへんくて手こずってるんとちゃいまっかァ〜?」
ゲヘヘヘへへッと下品な笑い声付きだった。怒ったアギはこうなるのだ。
「そう言えば罪人と面会出来るとでも思ったか? 残念だったな」
エルストは父の、アギの態度を受け流す姿勢に内心感服していた。
「カ〜ッ! さすがはマックス王太子とミズリン姫のオヤジやな! スました顔がそっくりやわ!」
「くだらん」
その態度もや、とアギはキャンキャン吠えた。
国王は杖のように持ったレイピアを床にコツンと鳴らした。二回だ。するとエルストの用意した要請書が国王の手を離れ、ひとりでに宙に浮く。そして書面に〝却下〟と、国王の魔法によって赤い文字が現れる。
「罪人への尋問が終了していない今、おまえたちに聞かせてやれる情報はない」
国王の言葉とともに要請書はエルストの手元に瞬時に返ってきた。エルストは要請書をぎゅっと握りしめる。
「尋問が終われば? ……」
玉座の間近で父を見る。
「得た情報を分析して裏付けをとらねばならない。そして騎士団の幹部で検証する。おまえに何を伝え、何を教えるか、それはすべての検証を終えたあと、私の判断で決定する」
あまり期待は出来なさそうだ。おまけに長期的な調査になりそうである。エルストはわずかに肩を落とす。そこでエルストは諦めるかと思いベルが口を開きかけたが、次のエルストの言葉を聞いてベルは押し黙ることにした。
「では……父上の見解をお聞かせくださいませんか。アドルーが僕を狙った理由、とか……父上はどうお思いですか?」
エルストが何かに食い下がるのを見たのは国王も初めてであった。国王は眉間のしわを一層深め、じっと息子を見る。
「今言えることはない」
それは父の、何やら思考を巡らせての返答のようにエルストには思えた。そうですか、とエルストはとぼとぼとベルとアギのもとに戻っていく。
「行こう……ふたりとも」
「ええんか?」
アギは満足していない様子でエルストに訊く。
「父上はお話ししてくださらないようだし……しかたないよ」
ベルはエルストと国王を交互に見る。そして、
「ナイスファイトでしたよ、エルスト様!」
と、こぶしを作ってにっこり笑った。
「王様!」
ベルは国王を読んだ。
「もしもサード・エンダーズがまだエルスト様を狙っていたら? その可能性は大いにありますよね?」
国王は眉を寄せて考えたのち、うなずく。
「とはいえ目的は不確かだ。おまえたちは警戒を怠らずに旅を続けよ」
とのことだった。結局、王都で得られたものはなかったか。エルストは落胆したままベルとアギとともに謁見の間を出た。執事もいささか残念な様子で一行に続いた。
一行が去った謁見の間で、国王は深い深い溜め息をついていた。